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■オープニング本文 足が滑った。 それから、薄い氷が割れて肌に突き刺さった。 刺すような水の感触。水面が遠くなっていく。 もがいた腕が求めた水面に届くことはない。 肺から漏れた空気だけが、のぼっていく。 ――あの子らが、待っているのに。帰らなきゃ、いけないのに。 それでも彼女は、沈んでいった。 冬の厳しい空気が緩み始め、空気に湿り気を帯びた柔らかさが現れ始めたころ。 開拓者ギルドに、手をつないでやってきた五つほどの子供たちが訪れた。 「あら、いらっしゃい。どうしたんですか?」 受付カウンターから出てきて、受付嬢は膝をかがめて視線をあわせる。子供たちは痩せた手で、よく磨かれた、けれどただの石ころを差し出した。 「依頼ですか?」 困ったな、という感情を出さずに受付嬢は微笑む。こくりと片方が頷いた。 「おかあさん、さがしてほしいの」 「いなくなっちゃったの」 「かえってこないの」 「ずっとずっとかえってこないの」 拙い言葉を根気よく聞いた結果、いくつかのことが判明した。 母が働きに出て行くのはいつものことで、大抵は子供たちも一緒に行った。町のあちこちで紙くずや木切れの落ちているのを集めると、売れるからだ。 その日は雪が深かったから、母だけが出て行った。そして、帰ってこなかった。 子供たちの日付の感覚は曖昧で正確な日にちはわからなかったが、住んでいる場所と天気を照らし合わせれば――。ひと月ほど前だと、知れたのだ。 アヤカシか、それとも事故か事件か。 つやつやの石を見下ろして、受付嬢はわずかに顔をしかめた。 「依頼……というより、ほぼボランティアです」 受付嬢は、あらかじめそう断った。 「依頼主は五つ前後の子供二人。男の子と女の子で、兄弟です。行方不明の母親の捜索ですね。 なぜいなくなったのかはわかりませんが、正直……、生存の確率は薄いと思っております」 幼い子供を残してひと月。大抵の親は、そんなことができるわけがない。 「生存していた場合、身柄の確保と子供への引き合わせ。死亡していた場合は……。遺体か遺品、可能なら両方の回収と、お手数ですが、埋葬のお手伝いまでをお願いいたします。子供たちはどこか、孤児院等に入れるようこちらで手配できます。 母親の行動範囲を地図にまとめておきました」 それから、と報酬の話に移る。 「報酬は……、こちらになります」 よく磨かれた、石ころ。受付嬢は寂しそうに苦笑する。 「つまり、ほとんど無償……なのですけれど、ね」 |
■参加者一覧
ルオウ(ia2445)
14歳・男・サ
海月弥生(ia5351)
27歳・女・弓
玖雀(ib6816)
29歳・男・シ
ケイウス=アルカーム(ib7387)
23歳・男・吟
御凪 縁(ib7863)
27歳・男・巫
ラグナ・グラウシード(ib8459)
19歳・男・騎
ダンデ=ライオン(ib8636)
22歳・男・魔
東城 夜刀彦(ib9056)
15歳・男・シ |
■リプレイ本文 春になろうというのに、まだ雪の厚みが減らない大地。 (年端もいかねぇガキ共がギルドにねぇ? 健気なこった) 永遠の別れも、まだ理解できないだろう。御凪 縁(ib7863)はそう思う。 「ひと月、か……」 吐き出した声を乗せた、ケイウス=アルカーム(ib7387)の吐息が白く煙る。 「……早く見つけてあげないとね」 口の中で小さく呟き、みすぼらしい木戸を叩く。からりと開いた戸の奥は暗いだけだった。視線を下げると、あどけない女の子と視線がかち合う。 「俺はサムライのルオウ! よろしくな」 ルオウ(ia2445)が明るく声をかけた。 (母ちゃんが行方不明か……頑張って捜してやらないとなっ!) もともと備えた正義感に加え、ルオウの両親も既に亡い。ぺこりと小さなお辞儀を返す姿を見て、より一層見つけなければ、と思う。 ケイウスは母親が普段木切れを集めて売っていた場所を尋ねると、地図上のいくつかの場所を指差して拙い説明が加えられる。 縁は、キャンディボックスから取り出した飴玉を、子供たちの手の中に転がした。 「わぁ……」 「きれい……」 感嘆の声がもれる。 きらきらしていて、少し透き通っていて、まるで、宝石みたいな。 はにかむように姉が礼をのべる。気もそぞろにせわしなくそのあとで弟がお礼を言って、目は飴玉に釘付けだ。食べるのがもったいなくて、太陽の光にすかしてみたりしている。そんな子供たちの顔をよく見ながら、縁は言った。 「それ食っていい子に待ってな」 どこかしらその子供たちと似ているはずの母親を探している、間は。 「待ってろよ、必ず見つけてくるからな」 ルオウの言葉に、姉が頭を下げて弟は期待の眼差しで手を振った。 必ず。声もなく繰り返して、背を向けた。 ダンデ=ライオン(ib8636)にとって、「歴史」は栄光でも功績でもなく、おのが存在意義と同義語だった。 (歴史の強制終了だと? ンなの……ふざけてやがる……!) 苛立ちを声には出さず、けれど食いしばった奥歯がギリ、と軋む。 例えどんな姿になってようと……ガキ共の母親を見つける。そう、どんな姿であろうとも、だ。 集落では東城 夜刀彦(ib9056)が情報収集をしていた。 「一刻も早く家族の元へ……帰してあげなくては……」 例え。 (例え生きて会う事が叶わないのだとしても……) 町でも、手分けしての情報収集が行われていた。 「……母親、か」 ぽつり、呟いてラグナ・グラウシード(ib8459)は小さく頭を振り、聞き込みを続ける。失踪当時の母親の様子や服装。ひと月経てば容赦なく記憶は薄れてゆくものだが、行方不明という不穏な結果は町でもわずかに囁かれた噂のひとつだった。何人かは記憶していて、同じく聞き込みを行うルオウやケイウスにも、よく覚えているよ、と些細な目撃情報を語った。 そこの湯屋であらかたの薪を買ってくれるんだよ。あそこの家の子が買っていったよ。かんじきを履いていたっけね、夕飯にって芋を買っていったよ……。 (きっと生きてる) 選別も絞りもせずに片っ端から人を捕まえて、隅から隅まで町を駆けずり回って、そうしてルオウが手に入れたのは、集落に帰っていく背中を見送った、という言葉だった。 「ルオウ」 小さいとはいえ町ひとつを短時間に駆け回って、大きく上下する肩にケイウスは声をかけた。 「街道の途中には池があると聞いていたが……、やはり相当に危険らしい。そちらは何かわかったか」 顎から伝った汗が落ちた。乱れた息が、まだ、整わない。 「ひと月、前……、帰るのを、見たって」 海月弥生(ia5351)は、そのほかのいくつかの情報も吟味して……、推測を口にした。 「いつも通り働き、食料を買い求め、街道を通って帰っていった……」 「探索場所を、街道に絞ろう」 断言したケイウスは、それでもわずかの希望を捨てきれない。 空はよく晴れていて、この日はその澄んだ空気をひときわに凍てつかせていた。機能的な忍び装束も、冬用ではない外套も、そんな冷気から守ってくれるほどに厚くはない。けれどあえてその身を晒して、玖雀(ib6816)は雪道を踏みしめた。 「大切な者を失えば誰しも傷を負う。かけがえない者であればあるほど、な……」 街道らしき場所は雪原にまばらな足跡が残るだけで、言われなければ道だとも思わないようなところだった。道の途中で方角を見失ったのか、うろうろとして方向転換したような足跡も散見される。 (いつまでも立ち止まってはいられない。 守られ残されたもんには、生きる義務がある) 進み方がわからなくなって、目指した目的地を見失って、右往左往して立ち止まって途方に暮れて、そんな足跡はけれど、またどこかへ向けて進んでいた。 「そのへん危ないと思うわ、足元気をつけて」 弥生の忠告に頷いて、ケイウスは聴覚を最大限に研ぎ澄ませた。冷たい空気を吸い込んで、声に変えて吐き出す。 「――」 呼びかけに微かな返事が返らないかと、声の限りに叫んだ。途絶えた足跡や痕跡がないかも見た。 (状況を考えれば生存の可能性は低い。 もう生きていないなら、呼びかけや音を探る事に意味はないかもしれない) 骸は返事を返しはしない。死者への呼びかけは意味を成さない。それでも、ほんのわずかにでも可能性があるのなら。 まなうらに、母を待つ子供の姿が浮かんだ。 夜刀彦もまた、周辺を探索する。耳の奥に、集めた情報が木霊する。質素な生活。子供の成長を話し合っていたこと。あの道は危ないから、いつも心配でね……、そんな近所の、声。 「親子三人で……あんなにも懸命に生きていたのに……」 好きで居なくなるはずがない。貧しくも温かな家庭だと知れば、なおさらそう、思う。 (けれどそれならば……ご母堂は……) 慎重に池の縁を杖で探り、雪をどけていく縁。カツンと硬い音は氷だ。厚いが、大人の体重は支えられないだろう。少し力を込めてつくと、あっけなく割れた。 不自然に盛り上がった雪を見て、弥生が呼子笛を吹いた。それは高く物悲しげに鳴り響く。 「見つけたのか」 「あれだと思います。足元に気をつけて」 ダンデが赤くなった手で雪を掻き分けた。色あせ擦り切れた着物、一目で水死体とわかる遺体。 「っち……こんな場所で発見されるのを待ってんじゃねぇよ」 そのまま無言でその女性を見つめる。動じることはない。彼にとっては、今更だ。 (あぁ、それよりも、ひと月もこんな暗く冷えた場所で一人、居たと言うのか。 別に死ぬのは怖くない。ただ、今まで綴った歴史が無くなるのが――……) ――嗚呼、ぐるぐると色んな感情が巡る。 駆けつけたルオウは、しばし呆然と佇んだ。動かない。応えない。返事をしない。何も。 逸らしかけた目を、逸らさないで。 (師匠は言ってた、俺達は人の死に近い所にいるんだからそこから逃げるな、向き合えって) 意味はまだわからない。しかし、約束のために最後まで見届けることを選んだ。 「寒かったろうな……頑張ったんだよな……きっと……」 もがいて、あがいて、……きっと。 「……」 ラグナは息を呑んだ。予想はしていた、けれど、あの家には。 あの家には子供たちが、待って、いるのに。 胸が痛む。 (母親の魂はここからずっと彼らの元に帰ろうとしていたのだろう、一か月もの間) そう、思った。 (どうして……この世はこれほどに、切ないのか……) 笛の音に呼ばれて、夜刀彦は思い巡らせた。 もうどこにもいない家族。失った故郷。すぐ傍にいたいつまでも居てくれると思った人を失うことが、どれほどの苦痛と絶望を呼ぶか……分かるからこそ、息が詰まる。 (あの子達もまた、家族を失ったのか……) 手の中で握り締めていた石は、夜刀彦の体温を受けて暖かい。 「……迎えに、来ました」 ケイウスが遺体に語りかける。回収しましょう。弥生が言った。 「雪をどけて、池の縁を明確にしておきましょう」 「無理をして遺体を傷つけたくないな……」 ケイウスの言葉に、縁は聖宝珠を掲げた。優しい風が遺体を包むが、変化は見られない。 (少しでも生前に近い姿で弔ってやりてぇと思ったが……無理、か) ラグナとケイウス、ルオウ、夜刀彦で丁寧に引き上げ、毛布に包んだ。玖雀はその髪を束ねていた髪紐を抜き取る。過去がちらついていた。 (あの時も俺は我が君の亡骸を抱き、遺品を手にした……) 高く結わえた黒髪に、華やかな赤い髪紐が揺れる。 懐や袂を失敬して、ルオウとラグナは遺品を探した。ケイウスは周辺に何か落ちてはいないかと雪を除ける。 不自然に膨らんだ懐から、わずかの銭が入った袋。安っぽい帯飾り。そして。 「……芋、だ」 丹念に調べていたケイウスは、離れたところに埋まった芋を取り上げた。 細くて、不恰好な、さつま芋。 丁寧に、大切に。掘った穴へと遺体を、おろす。 (さぞ寒かったろうに……帰りたかったろうに……) 夜刀彦の白い頬を、涙が伝った。幾筋も、とめどもなく。 (子供らに会いたかったろうに……) 手の中の石を、ともに埋める。よく磨かれた、石。 (せめて子供らの心をあなたに……) 届いてほしい。どうか魂だけでも、子供達の心と会う事ができるように。 (分かっている。こんなのはただの自己満足だと) それでも魂の安寧を願う。願わずには、いられない。 涙のあとを風が撫でた。痛いほど、冷たかった。 「歴史を……歴史が、終了させられるってどんな気分だ?」 土を被されていく女に問いかける。その身体に一筋も傷をつけまいと、素手でそこかしこの雪を掻き分けていたダンデの両手はもう感覚がなくなっていた。じんじんと熱い気はするが、痺れたように鈍い感覚しか伝わってこない。 目を伏せた。唇に嘲笑が浮かぶ。 「……死人に口無し、だな」 遺体は何も、語らない。 (墓というものの下に隠れてしまえば、土に還っていくその冷酷な現実を子どもたちが見ることはない) すっかり土を被せて、ラグナは作業のために屈めていた長躯を起こした。そんな彼らへ弥生は古酒を注いで、暖をとることを進める。自分も杯を傾けて、過去をふり返った。猟師だった父と、山奥で暮らしていた日。 (父さんが亡くなったのもこんな季節――十年近く前の頃……) ジルベリアから渡ってきたという母は、父よりも数年早くに亡くなっていた。食料が足りない。そのために出て行った父は、結局帰ってくることはなかった。 知り合いや近所の人たちの手も借りて探索が始まったのは、二週間もあとのことだった。雪、の、せいだった。 (崖下転落で生きていないのを確認できたのよねえ……) 空気の冷たさ、探しにも行けずにじっと待つ日々。動かしようのない現実。 (やはり無意識でも宛にしてた保護者が居なくなるのは、寂しくて悲しくて怖いもので) 体温で暖められた吐息を吐き出す。白く煙って消えていく。 (何れ真実を知るだろうけどね……) まだ理解できなくても、いつかは。 来たときと同じように、みすぼらしい木戸を叩く。待ちかねたように弟が飛び出してきた。 「お帰りなさい! おかあさん、いたの?」 期待の眼差し。その中でも見え隠れする不安。姉も出てきて、結果を尋ねる。 ――うそつきと、言われるかもしれない。憎まれるだろうと、思った。 「ごめんな」 持ち帰れなかった朗報のかわりにルオウの伝えたのは。 (どんだけ強くなっても、アヤカシをいくら倒しても、こんな時なんて声をかけていいか、わかんねぇ……情けねぇよなぁ……) 「え……だ、だって、みつけて、くれるって……」 「おかあさん、どこにいたの?」 慎重に、探るような――あるいは、確認するような姉の目。 柄じゃねぇけど。縁はゆっくりと、言葉を選んだ。 「お前らの母親は遠い所に行って二度と戻らねぇ」 言い含めるように、聞かせる。細かい話は割愛して、伝えたいことだけを言葉にした。 「だが常に見守ってくれてる」 「でも、……だって、おか、あさん」 あどけない声が揺れる。揺れながら母を求めている。 こぼれそうな涙をぐっとこらえたのは、子供たちばかりではなかった。そのことにラグナは、自分を罵倒する。 (泣きたいのは、本当に泣きたいのは、お前じゃないだろう!) しんじゃったんだ。もうもどってこられないんだよ、おかあさん。 理解した、あるいは、してしまった姉が言う。鼻にかかった声で。 固く拳を握って、とうとう泣き出した弟の泣き声を聞きながらラグナは耐える。 (わかっている。この世の誰もを救うことなど、出来ないことも。 わかっている。自分がこの子どもたちを救うことなど、出来ないことも) その無力さが、心に重く圧し掛かった。 (お母ちゃんも必死で頑張ったんだって、母ちゃんの分まで頑張るんだぞって……言ってやりたいのにさ) 喉の奥でつっかえた言葉は、ついにルオウの口から声となることはなかった。 ケイウスは遺品を姉の手に渡した。おかあさんのだ。確認の声がこぼれる。 「君達を残して死んでいった母親は本当に悔しくて悲しかったはずだ。 望んで君達を置いていくわけじゃない」 それだけは分かって欲しい。響く泣き声に重ねて、言って聞かせた。 一頻り泣いて落ち着いたのを見計らい、ダンデは供え物の希望を問う。 「なんでもいい……野に咲く花でも母親と一緒に食べた思い出の茶菓子でも……採取するし、買ってやる。我侭を言え」 「しろいごはん」 ずずっと鼻をすすって、弟は言う。 「しろいごはん、おかあさんにあげたい」 そうか。頷いて、それから。 ――……何も知らない二つの星よ、蒲公英から言葉を送ろう。 「……大切な奴の歴史はどんな小せぇ事でも構わねぇから、忘れないでやれ」 それだけ、ダンデは言い置いた。 墓へ行く直前、玖雀は姉を自分のところに呼んだ。顔立ちはわからなかったが、母親とよく似た髪を綺麗に結い上げ、あの髪紐で結ぶ。向こうから笛の音が響いていた。 久しぶりとはいえ、毎日の仕事だったそれを手は覚えていた。主と仰いだ女性とは少し違う髪質だと思いながら、最後に朱色の簪をさしてやる。 「これはやる。母親に、綺麗な姿見せて来い」 「でも……」 「代価はもうもらった。ほら、ここにある」 あの石を出して、儚く微笑む玖雀に。彼女は小さく頷いて、墓前へ出た。 じっと黙って泣こうともしない子供を玖雀は抱きしめる。ぼたぼたと玖雀の服に水滴が落ちた。 母親がもういないこと、二人を食わせる為に必死に生きていたことを、話す。 「立ち止まるのは悪い事じゃない。 だが、いつかは前を向いて足を進めなくてはいけない」 まるで自分に言い聞かせるように。強く優しく語りかけた。 それを聞くともなしに聞きながら、横笛の歌口から息を吹き込む夜刀彦。物悲しくも優しい音色が、鎮魂曲を彩った。 「……」 依頼の報酬。磨かれた、ただの石。 ラグナはそれを、自宅の机にことり、置いた。 |