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■オープニング本文 甘ったるいチョコレートの香り。 「うーん……」 くるりと溶けたチョコレートを混ぜ、佐羽は首をかしげた。 「どうかしたんですか? 佐羽ちゃん」 ミルクティー色の柔らかな髪を珍しく几帳面に結い上げておだんごにひっつめた綴が、同じくテンパリングをしている。 「この前自分でチョコレート作ったら、表面になんか白っぽいのができちゃって。混ぜてるときはなんともないのに、なんでかなって思ったんです」 「ああ……。たぶん、テンパリングがよくなかったのね。その白いものは、ブルームだと思うわ」 「テンパリングって、こうやってチョコレートを混ぜることですよね?」 「そうよ。きちんとテンパリングしないと、見た目だけじゃなくて風味や口当たりも悪くなるの。表面に艶も出ないし……、チョコレートを扱うのなら、必須といっていいわね」 改めてちゃんとお勉強しましょう、と、綴はチョコレートを撹拌しながら話し始める。 「まず、チョコレートを一度液状に溶かします。ここまでは問題ありませんね? 混ぜているときに、空気を入れてはいけないのは?」 「大丈夫です。そこまでは問題ないです」 「では、溶けた後。少し温度を下げるんです。一定の温度に保って撹拌し、作業する。これが基本的なテンパリングです。 いくつか方法はあります。湯煎と氷水を交互に使って温度管理をする方法と、湯煎で溶かしたあとにマーブル台に中身を広げて、パレットナイフで集めたり広げたりしながら冷ます方法。既にテンパリング済みのチョコレートを刻んで混ぜて、温度を下げる方法。マーブル台を使う方法は、経験が必要ですから難しいかもしれません」 「マーブル台?」 それです、と綴は石の板を取り出した。白っぽいが、灰色の模様が入っている。つるつるした表面の、四角い石だ。 「石……ですよね?」 「大理石を切り出したものですね。お菓子作りにはあったほうが便利なんですよ」 でも、難しいから今回はやめておきましょう。綴はそれをしまった。 「テンパリングで他に大事なのは二つ。温度と湿度です。 寒すぎても暑すぎてもよくありませんから、春くらいの気温が好ましいです。また、水滴や水蒸気は大敵です。チョコレートに混ざってしまうと、ブルームの原因になりますから十分注意してください」 練習しましょうか、と微笑む綴に、はい! と頷いた。 練習、つまり同じ作業を繰り返す。 練習すれば、練習結果があらわれる。技術面でもそうだし、使った材料が減るのも、その結果として習作が増えるのもそうだ。 つまり、増えた。 チョコレートがたくさん。 「……うへぇ」 さすがにいくら大食漢の佐羽とはいえ、チョコレートだけがごろごろあったら胸焼けを起こす。 「ちょっとお口直しが必要ですね」 くすくす笑いながら、綴はパイを持ってきた。台はパイ生地だとわかるのだが、その上は一面真っ白い生クリームのようなものが、なぜか狐色に焼き色がついている。 「これ、なんですか? はじめて見る……」 「レモンメレンゲパイっていうんです」 「レモン……何?」 「レモン、メレンゲ、パイ。ちょうどレモンの旬ですから」 説明するより食べさせたほうが早いと思ったのか、綴はそれ以上の説明はしないで切り分ける。断面は二層になっているのが見て取れた。パイ生地にレモンクリームが詰め込まれ、その上に例の焼き色がついた白いものがたっぷり乗っかっている。 ぱくり、とフォークで一口。さくりとしたパイ生地と、酸味の強い、爽やかなレモンクリーム。そして白いものは、ふわりと甘く口の中でとけた。 「なにこれ、おいしい……」 「一番上のそれは、メレンゲなんです。卵の白身を泡立てたんですよ」 「甘いの苦手っていう人も食べやすいかも。これ、いいなぁ」 「簡単ですから、一緒に作りますか?」 「ぜひ!」 そして、その『一緒に作ってみる』のは、例によって例のごとく、お暇な開拓者さんもぜひどうぞ。 季節柄チョコレートでもいいし、レモンメレンゲパイでもいい。好きなほうを選んで作ろうというお誘いがかかった。 |
■参加者一覧 / 玖堂 柚李葉(ia0859) / 玖堂 羽郁(ia0862) / 礼野 真夢紀(ia1144) / 黎阿(ia5303) / からす(ia6525) / 和奏(ia8807) / フラウ・ノート(ib0009) / 明王院 未楡(ib0349) / マルカ・アルフォレスタ(ib4596) / シーラ・シャトールノー(ib5285) / 黒木 桜(ib6086) / カチェ・ロール(ib6605) / 羽紫 稚空(ib6914) / 羽紫 アラタ(ib7297) / 和亜伊(ib7459) / 和 葵(ib8592) / ケマル(ib8936) / 風雪(ib8948) / zero96(ib8961) |
■リプレイ本文 ●はじまり、はじまり 「パティシエのシーラ・シャトールノーよ、よろしくね」 「レアよ。宜しくね」 シーラ・シャトールノー(ib5285)に続き、黎阿(ia5303)も挨拶を送った。 「佐羽、久しぶり。おにぎりとおでん以外にも作れる様になったみたいね。 折角だから教えてもらえないかしら?」 「えっ?」 「天儀風でなら簡単なものならできるんだけど……」 家事は苦手なほうだという黎阿に、佐羽の頬に喜色が走った。 「あ、あのっ、あたしも綴さんの受け売りなんだけど……」 照れつつも楽しそうに器材の説明からはじめる。 「お菓子作りなんて初めてだけど……うまくできるかなあ?」 エプロンの結び目を背中で結びながら、ケマル(ib8936)も馴染みのない場所に戸惑っていた。 「キッチンなんて味見でしか入ったことないよ……上手に作れるかなあ?」 慣れない人もいれば、慣れ親しんだ人もいる。洋菓子作りなんて特技だぜばっちこい、和亜伊(ib7459)は自信満々だ。 「腕のなる時期が来たな!」 用意されていた道具のみならず、掌サイズなハートの型を持参。 「あらあらぁ、みんな張り切ってるのねぇ」 不安も自信もなんのその、ほろ酔い気分で和 葵(ib8592)はのほほんと、他人事チックなことこの上ない。息子・亜伊と一緒に葵も作業するはずだが、……大丈夫だろうか? 「いつも美味しい物が食べられるので、綴さんと佐和さんの所に来るのは、いつも楽しみです」 カチェ・ロール(ib6605)の素朴な言葉に、ふわりと綴は微笑んだ。 「嬉しいわ。おいしいもの作りましょうね。カチェちゃんは何にするんですか?」 「チョコレートを作ってみよう思ってます」 「テンパリング、がんばってね」 「はい」 ●チームチョコレート マルカ・アルフォレスタ(ib4596)は、チョコレートに生クリームにと材料をそろえていた。 「あれ、マルカさんトリュフ? 去年も作ってたよねー」 「……聞かないでくださいまし……」 暗雲背負ったマルカに、あはは、と佐羽は乾いた笑いを返した。あれから一年。――前回のミートローフを思えば、だいぶ進歩したもんである。 「リベンジですわ!」 ぐっ、と華奢な手を握り締めるマルカに、ぱちぱちぱち、となんとなくノリで拍手してみる佐羽。つられてカチェもぱちぱちぱち。 「カチェちゃんもチョコ?」 「はい。チョコレートって、ただ溶かして固めるだけじゃないんですね。 直火にかけずに、お湯で溶かすんですよね」 「うん。こうやって器を重ねるの」 「お湯で溶かすって、お湯の中に入れるんじゃないんですか?」 「そ、それはよくないと思う……」 ちまちまと二人で準備。マルカは綴にレシピの確認に行き、準備をはじめた。 「えーと……」 「何をお作りになられるのですか?」 ケマルに声をかけたのは、明王院 未楡(ib0349)だった。チョコレートを、と伝えると、棚から型の詰まった箱を引っ張り出す。 「どの型にされます?」 「そうだな……じゃあ、これ」 型を決めて、チョコレートを刻む。腕力の要る作業だが、充分な腕力のあるケマルは粉末にならない程度に細かく刻むことに注意すればよかった。 刻み終えたら湯煎にかけて、ゆっくりと木べらで撹拌しながらとかしていく。ふわりと濃厚な甘い香りが鼻孔をくすぐった。 マルカも慎重に、でも心に受け取ってくれる相手の、その喜ぶ顔を思い描いてチョコレートに生クリームを混ぜていた。 「……ふふ。だいぶ安定してきましたね」 綴の言葉に、マルカは少し恥ずかしげに口を開く。 「先日教わったミートローフを、その、大切な方に食べていただいたら、とても喜んで下さいましたわ」 「よかったですね。頑張りましたものね」 「有難うございました」 が。 礼をのべた拍子に、つるりと器が手から離れた。 「あ」 ぱし、と横から伸びた手がそれを止める。 「大丈夫ですか?」 未楡がにっこり微笑むのに礼を述べて、しっかりと持ち直す。カチェも綴のテンパリングを見ながら、温度を指先で確認しつつ湯と水のあいだを移動させる。 「温度管理……が、気をつけることでしたっけ」 聞いたことを頭の中でまとめながら、丁寧に作る。ケマルも熱すぎるな、と感じたら冷水へと移して、温度調節を計っていた。 「チョコレートが一杯あるようだし、チョコレートムースのケーキが良いかしら」 材料を見回して、シーラはそう決めた。 「まずは、卵黄と溶かしたチョコレートを混ぜ合わせるの。それから卵白と、生クリームを泡立てておく。お砂糖は三回に分けて入れるの。いきなり入れちゃだめよ、ある程度泡立ってからでないと」 「体力勝負ですね」 佐羽は卵を片手で割りながら苦笑する。シーラは手早く泡だて器を動かした。 「意外とお菓子作りって肉体労働なのよね」 「あとは最初に混ぜた卵黄とチョコレートと、泡立てたメレンゲを混ぜて……、泡立てた生クリームをそこに少しずつ加えて混ぜていくの」 「ゼラチンとか、寒天とかは? 用意してませんけど……」 「チョコレートは冷やすと固まるでしょ? その作用を利用するから、必要ないのよね」 「へー」 「あとは焼いたパイ生地に入れて冷やすだけ」 パイ生地へ種を流し込み、季節柄使っていない部屋へ持っていけば冷却になる。 カチェも表面に光沢が出てきたチョコレートを、型へと流し込んだ。綴のコレクションは幅広いので、いろいろな型が楽しめる。 「あ、もふらさま」 とろとろ、もふらさまの型にもチョコレートを流し込んだ。 「後は固まるのを待つだけですね」 そんなカチェに続き、納得のいく光沢に仕上がったチョコレートをケマルも型に注ぐ。一定量を注いだら別の穴へと注ぎ込んで、最後に軽くとんとんと空気を抜いてやるのも忘れない。 「今日なら、廊下で固まると思います。台を出していますから、使ってくださいね」 「わかった」 こぼさないように持ち上げて、そろそろと水平に移動させた。 ●チームレモンメレンゲパイ 「簡単、というものほどやってみると結構難しいものである」 からす(ia6525)は材料をそろえながら、そんなことを口にした。 「レモンは地元でもちょっと作ってますし、レモンパイならお姉様の友達に教えてもらったし好きなお菓子の一つですけど……メレンゲ付きのは知らないです」 礼野 真夢紀(ia1144)も鍋や木べらをそろえる。甘味についての知識に欠けた黎阿が道具に迷うと、さりげなくからすが助言してくれた。真夢紀もたずねる。 「黎阿さん、あまりお菓子とか作りません?」 「嫌いじゃないけど甘味よりお酒のが好きだし。 でも、旦那は下戸じゃないけど余りお酒飲まないのよね……。 私の為だけに一緒に飲んでくれるのはそれはそれで嬉しいんだけど……」 照れたような黎阿の言葉に、わー、と佐羽が目を輝かせた。恋バナ、女の子の大好物。 「じゃ、もしかして旦那さんのため?」 「まあお酒飲まない人は甘味の方が好きって聞くし。 それならこういうお祭りを機に何か覚えてみたいわ。 よろしくね」 がんばる、と親指立てる佐羽。まずはレモンクリーム作り。コーンスターチをとき伸ばすのも気をつける必要があるが、火にかけるともっと注意がいる。 「コーンスターチはゆっくり混ぜるのだ。且つ火にかけすぎないように」 丁寧なからすの説明に、うんうんと頷く黎阿。かき混ぜていくとだんだん抵抗がかかるようになる。不透明だった液体がほんのり透き通っていき、レモンの香りがあふれてくる。 「そろそろいいだろう」 「こんなものでいいの? なんか、切り分けたらどろっと流れ出てきそう」 「冷えるともっと硬くなるからね」 次はメレンゲだ。泡立てるときは、同じ方向に泡立て器を回す。 「なかなか泡立たないものね?」 「ゆっくり丁寧に。菓子作りは気長に楽しくやるのだ」 「ん、頑張ってみる」 「メレンゲを乗せるときはパイが縮まないよう丁寧に敷き詰めることだ。 緻密に真剣にやると疲れてその後作るのが嫌になってしまう。 そうだね、鼻歌でも歌いながらやればいいと思う」 少し根気よく泡立てれば、次第に泡がふくらみ、きめ細かく、もこもことかたく立ってくる。砂糖を入れ、レモン汁を少し加えてレモンクリームの上に広げていく。 「じゃ、焼いてこよー!」 ●ダブル・親子 「って母さん酔っ払ってて手元が危なっかしいじゃねぇか……」 ほのかなアルコールの香り、それに薄く染まった葵の頬。 「亜伊ったらぁ、母さんは大丈夫よぉ?」 言いながら、どごっ、と麺棒をパイ生地に叩きつける葵。 「っぶね!?」 思わず距離をとる亜伊。 「そうじゃない、塊をゆっくり伸ばすんだ……」 「あらこう?」 がすっ。 「いや、だから」 「こうかしらぁ」 「……うん、まあ、そんな感じで」 いびつな形に伸びていくが、まあ、気にしないことにしよう。気にしたら負けだ。ところどころ破れたり生地がダレたりしはじめているが、無事なところを使えばいいし。ダメなところはまとめなおしてまた伸ばせばいいし。生地は……まあ、ダレても食えないシロモノになるわけでもないし。 亜伊も自分の分の生地を伸ばしにかかった。生地になるべく触らないよう、均等に伸ばしていく。適度な厚みに伸びたら例のハートの型で生地を抜いていった。 「母さん、ほら。型抜きできるか?」 「それくらいできるわよぉ? 心配性ねぇ〜」 やっぱりちょっと危なっかしい手つきに冷や冷やしつつ、生地の中央にチョコレートを乗せる。端に卵黄を塗ってもう一枚の生地を重ね、フォークの先を押し付けていった。 表面にも卵白を塗り、焼き色が付く程度にオーブンへゴー! 数分待って天板を取り出すと、一緒にチョコレートの香ばしい香りと、小麦とバターの焼けた香りがふわりと漂った。 「パイにも色々あるもんさ!」 どや顔で天板を突き出す亜伊、上手ねー、と葵がにこにこ微笑んだ。 ●ダブル・恋人 「去年も一緒にチョコ作ったし、今年も頑張ろうな♪」 玖堂 羽郁(ia0862)の言葉に、佐伯 柚李葉(ia0859)はふわりと笑顔を浮かべた。 「うん……!」 一緒の時間も、一緒の作業も、別々に作る彼のためのお菓子だって楽しみで。浮き足立った心のままにキッチンに入る。 最初に作るのは、冷却時間を考えてチョコレート。柚李葉が作るのはハート型に固めたシンプルなものだけど、丁寧に溶かして型へと注いだ。 一方羽郁も、シトロネットを作っていた。柚李葉に今年も渡すためのチョコレート。レモンピールは棚にあったのを、綴に声をかけて使用許可をとる。快く了承の返事が返ってきた。チョコレートを刻んで湯銭にかけ、とけたところにレモンピールを次々とくぐらせていく。網の上に乗せて余分なチョコレートを落とし、ある程度固まったのを見計らってマーブル台に乗せていく。きれいなスティック状に固まるだろう。 「よし、と」 その鮮やかな腕前をこっそりと覗き見て微笑み、全部終わったところを見計らって柚李葉は声をかけた。 「欲張って、レモンメレンゲパイも作りたいです」 「これが固まるまで時間あるな。やるか♪」 「はい」 まずレモンクリームを作りにかかる。きゅっと絞って、皮を刻んで……、練り上げたレモンクリームをひとすくい、ぺろりと舐め取った。 「甘くて、すっぱい……」 「お、いい味じゃん」 メレンゲを乗せてオーブンで焼き色をつけたころには、チョコレートも固まっていた。柚李葉はピンク色でそこに文字を書き記す。 「う……か……」 たった二文字を丁寧に、慎重に。 「ん?」 「あ、羽郁を呼んだんじゃ、ないの」 その羽郁も、固まったシトロネットを並べにかかっていた。 ●チームマカロン 黒木 桜(ib6086)が卵白を割り入れると、ひょいと横から手が伸びてそれを取り上げた。 「こいつは男の仕事だ。ほら、稚空やるぞ」 羽紫 アラタ(ib7297)がひとつを双子の弟、羽紫 稚空(ib6914)に手渡した。泡だて器を手にとって、稚空も桜の黒い頭のてっぺんを見下ろした。 「つーか桜、お前もっと俺を頼ってくれていいんだぜ? 将来……」 まだ告げていないプロポーズの言葉に、一瞬口ごもる。 「と、とにかく! お前は俺のとっても大切な人なんだからなっ!」 稚空はそう宣言して、卵白を泡立てにかかった。そんな弟の姿に、ニヤリと笑みを浮かべて耳打ちするアラタ。 「そういやお前、黒木にはもう言ったのか?」 「こっ……これから言うんだよっ!」 一方桜は稚空の宣言に恥ずかしがりながらも、材料をふるいにかけてマカロナージュの準備を進めていった。 桜風味と抹茶とチョコレート、三種類。 「こんな感じでいいのか?」 「はい。ありがとうございます」 アラタからメレンゲを受け取る桜。稚空がちょっと嫉妬した。 「何気にアラタと仲良いような……」 ともあれ卵白を三等分してそれぞれふるっておいた粉類を加え混ぜ込んでいく。これがマカロナージュ、マカロンを作る際のポイントとなる作業だ。ふわふわのメレンゲがしっとりと、表面に艶が出るように混ぜていく。それから生地を綿で作った絞り袋に入れて、天板に搾り出していく。 「それにしても、普段俺も料理はするが……大したもんだな、手際が見ていて気持ちいな……」 慣れた様子で次々に搾り出し、空気を抜いていく桜に、アラタが感想をこぼした。 「ふぅ……」 一通り終えて息をつく。しばらく乾燥させなければいけないから、休憩だ。 「なんかやることあるか?」 「稚空……そうですね」 オーブンは他の使用者との兼ね合いがあるし、むしろ兼ね合いがあるせいで今から薪をくべる必要はない。順番がまわってくるころにはほどよく予熱されているだろう。今のうちに使ったものを片付けておく。 「ま、力仕事は任せろ!」 自分はたしなむ程度にしか料理をしないからと、稚空も力仕事を買って出た。双子の二人は再び泡立て器片手に挟めるクリームの作成。生地の表面が乾くころにはオーブンも空いていて、薪を新たに放り込んで温度調節をしつつ焼き上げる。作ったクリームを挟めて、廊下へ持っていって冷却。すっかり冷めれば、完成だ。 ●そのほか、いろいろ。 送られてきたという伊予柑を、ゼリー用に持ってきたのは真夢紀だ。厳密にはゼライスを使わずに寒天を使うので、伊予柑の寒天、と言ったほうが正しいかもしれない。 「綴さんにはいつも場を提供してもらってますし」 「気にしなくてもいいのよ。……でも、いい香り。かんきつ類の爽やかさは、気持ちいいわ」 まず寒天を水でふやかして、伊予柑は薄皮も剥いていく。白い繊維もだ。地道にちまちま取っていき、綺麗に剥けた身を飾り用にとっておく。 他は潰して絞り汁をとり、濾す。流し缶に飾りの身を並べ、牛乳と寒天液を半分注ぎ込んだ。いったんここで廊下に持ち出し、冷却して固める。 牛乳部分が固まったら、絞り汁と残りの寒天液をあわせてその上へ。 「よし。できました、と」 冷やして流し缶から抜いた寒天を逆さまに皿へ取り出す。下が薄っすらと色づいて透き通っていて、上は白く艶やか。天辺は伊予柑の身が並んでいて、白と橙のコントラストも可愛らしく仕上がっていた。 「あとはメレンゲ繋がりでシンプルなシフォンケーキね」 シーラは卵黄に、蜂蜜、小麦粉、植物油を混ぜて生地を作る。さらに冷やしておいた卵白にレモン汁を入れ、蜂蜜を加えてメレンゲをつくる。その二つを混ぜ合わせて型に流し入れ、オーブンへ。 「混ぜるだけなんですね」 「泡を潰さないようにするのが、ポイントかしら。卵白はね、暖めたほうが泡立ちはいいんだけど……、泡が安定しないのよ。だから、冷やしたほうが結果的に早く、きめ細かな泡を立てられるの」 「ほー」 「あらあら…そうするとより一層美味しく出来るのですね」 佐羽と未楡が並んで感心した。ふわりと優しい香りがオーブンから漂ってくる。 「あ、焼けたかな?」 「残念、まだよ。匂いがしてくるのは兆候だけど、匂いがしてすぐに開けるとたいてい生焼けなの」 それからもうちょっとだけ待って、オーブンから取り出す。逆さまにして冷ませば、完成だ。 ●お茶 とぽとぽ、湯を注ぐと広がる薔薇の香り。ポットに蓋をして蒸らし、注いで配る。からすの持ってきたローズティーだ。 「如何かな?」 「ありがとうございます」 手分けして配膳しながら、思い思いに席に着く。 亜伊の作ったチョコレートパイはころころと膨れたハート型をしていて可愛らしい。葵はあまり膨らまなかった自分のチョコレートパイをひとつ口へ運んだ。 「なんだかぱりぱりしないわねぇ? クッキーみたいよ、亜伊」 「そりゃ、普通にべたべた触ったらな……。パイ生地じゃなくてクッキー生地になっちまうよ。今度はもうちょっと気をつけて作ろう、母さん」 「おかしいわねぇ? 母さんちゃんとやったわよぉ〜?」 そんな親子の一角とか。 おそるおそる、自分の作ったトリュフを口に運ぶマルカ。思い切ってぱくり。甘い。苦くはないし、こげてもいない。最高とはいえないが、きわめて普通の、そう、ここが重要。普通のチョコレート。 「ちゃんと食べられますわ!」 思わず叫ぶ。視線が集まる。一瞬の沈黙。 はっとしたマルカの頬に朱が走った。 「お、美味しい紅茶ですわね」 ごまかすようにローズティーをごくり。よかったですわね、と未楡が微笑んだ。 桜と稚空、アラタも三人で固まっていた。ころりと可愛らしいマカロンが、お皿の上に行儀よく並んでいる。ひとつをつまんで口に放り込む稚空。 「うめぇ! やっぱお前の作る料理は最高だぜ♪」 べた褒めに桜がほんのり頬を染めた。 柚李葉は羽郁と席をとって、紅茶に生クリームを乗せた。それからできたチョコレートを添えて渡す。 「貰って、くれる?」 「もちろん! じゃ、これは俺からな」 羽郁がお返しに差し出したのは、白いお皿に並べられたシトロネット。並びはもちろん、「ゆずりは」の文字を描くように。 「柚李葉、ハッピーバレンタイン♪」 ふわり、柚李葉は幸せな笑みを浮かべた。 口に運んだメレンゲはしゅわっと優しくとけて、レモンの酸味と砂糖の甘さ。 もったいないけれど文字をひとつ崩して、一本のシトロネットに歯を立てる。甘酸っぱい芳しさが、広がって。 大好きな人との甘い甘い……幸せな時間。 試食用とは別に、作った作品をいそいそと包むカチェ。黎阿や他の希望者も、それぞれ思い思いに包装していた。 「あ、カチェちゃんも持って帰るんだー。おみやげ?」 「この前看病して貰ったお詫びと御礼に、チョコレートをあげようと思うんです」 その言葉に一瞬考え、ぽん、と手を叩く佐羽。 「ごめ、時間経っててついぽろっと。もうすっかりいいの? ……いまさらだけどさ」 「はい。ぜんぜん大丈夫です」 「あのときのひとかー。そっか、よろしくね」 さよならと手を振って、またねと別れて。 指や髪に甘い香りを含ませて、今日一日はきっとそのまま。 |