水底を巡るもの
マスター名:茨木汀
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: 普通
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2011/08/24 06:24



■オープニング本文

 ギルドを訪れたのは、髪の白い女であった。
 年のころは二十の半ばか後半か。しみや皺のない顔とは裏腹に、その両手はあかぎれや節くれが目立ち、ずいぶんとぼろぼろであった。とはいえ身なりは悪くはないし、物腰は優雅とは言えないが、姿勢がよく動きに無駄がなかった。そして腰には刀を差している。真新しい鞘で、まるで使われた形跡はない。
「依頼を頼みたいの」
 色の薄い唇が、抑揚のあまりない声で告げた。眦の下がった瞳は笑えば柔和といえるだろうに、熱を持たずに淡々と受付嬢を見つめる。その瞳の色も薄い。どちらかといえば緑、だろうか。氷と呼ぶほど冷えてはいないが、感情の見えない目であった。
「詳細を伺えますか」
「具体的に何が聞きたいの」
 ひどく無機的な返し方。けれど妙な依頼人や事情の複雑そうな開拓者の多いギルドの受付嬢は、さして戸惑いもせずに答える。
「いろいろですね。依頼によって聴取内容も変わりますし。ともあれ、まずはお名前とどのような依頼なのか、をお聞かせ頂けます?」
「暮谷匂霞。ある刀の回収をお願いしたいの」
 その風貌と、変わった名前。それから刀、というキーワード。受付嬢の脳裏に、冬頃の記憶が蘇る。
「研師の暮谷様ですか? 十河様の事件の」
 かつてひとつの事件があり、それを担当したのがこの受付嬢であった。匂霞は少しだけ不審そうな顔をして、すぐに担当者であると思い至ったのだろう。黙って頷くだけだった。
「佐羽さんの研ぎ教室は終わりましたか? 気になっていたんですけど」
「つつがなく。でも、世間話をしに来たわけじゃないわ」
「失礼。では内容を」
「湖に落ちた刀を回収してほしいの」
 簡潔すぎる話。物言いが端的な匂霞から、受付嬢は四苦八苦して情報を引き出す。それを整理すると、こういうことであった。
 ある盗賊の刀が、湖に落ちた。盗賊は死んだが、遺品を受け取るべき身内や親しいものはいない。
 話を聞いて回収に向かったが、湖にはアヤカシが棲んでいた。ゆえに回収できず、困ったのでギルドに来た、と。
「‥‥そういえば、暮谷様は戦えないんですか?」
「逃げ足以外は期待しないで」
 じゃあ腰の刀はなんなんだ、と思わないでもなかったが、いちいち突っ込むのも面倒で、そうかと納得することにした。
「護衛はいります?」
「いらないわ。森に脅威はなかったし。刀に傷がつかないよう、それだけ気をつけて」
 必要な話だけをして、匂霞は踵を返す。白い髪が揺れていた。

 肌に冷たい水の感触。湖底から見上げる水面は煌いて。
 太陽の光が筋のように降りてくる。水草がゆらゆらと揺らめいている。水面に差す、朝焼けのように鮮やかな橙色に輝く影。枝を垂れた凌霄花が、花を散らして水に添えたのだろう。そういえば岸辺にたくさん咲いていた。
 透き通った世界。こぽこぽと気泡が水面へ昇って。
 腕を伸ばした。抜き身のまま水草の奥に埋もれた、一振りの刀に。
 そのときだった。気配を感じたのだ。咄嗟に身を捻ると、すぐそばを氷柱が過ぎった。
 ――忌々しい。
 思い出して唇を曲げる。手が髪をかきあげ、そのままくしゃりと握り締めた。
 ――あと少しで手が届いたのに。すぐ、助けてあげられると思ったのに。
 鋼は錆びやすいから、気が気でない。もう既に刀身が赤く錆び始めていたのを、水中で見た。きっと刃こぼれがあったりもするのだろう。下手をすると肉置きがめちゃくちゃだったりするかもしれない。山賊がまともな研師を利用していたとは思えないから、研ぐたびに痛めつけられたはずだ。余計なものがわらわらと泳いでいたのが、心底恨めしい。
(きっとまだ、きっと‥‥まだ、助けられるはず)
 無事でいてと、切なる願いを胸の奥で呟いた。

「まあ、そんなわけでして‥‥」
 受付嬢は簡潔に依頼の概要を話した。
「依頼主はちょっと性格に難はありますが、問題行動を起こすわけでもなし。本人も護衛は不要と言っていますし、刀の扱い以外は、かなり気楽なお話ですね。アヤカシもそれなりに弱いみたいですし。まあ、水中なので相応の対策は必要でしょうけれど。
 というわけで、避暑ついでにいかがです? 景色のきれいなところですから、きっと気分転換にいいですよ。ちょうど凌霄花の散るころですし」
 依頼主は刀を回収してしまえばさっさと帰ってしまうので、そういう意味でも気兼ねなくのんびりできるだろう。
「行ってくださる方、いらっしゃいますか?」


■参加者一覧
佐上 久野都(ia0826
24歳・男・陰
空(ia1704
33歳・男・砂
鈴木 透子(ia5664
13歳・女・陰
エメラルド・シルフィユ(ia8476
21歳・女・志
シルフィリア・オーク(ib0350
32歳・女・騎
グリムバルド(ib0608
18歳・男・騎
鹿角 結(ib3119
24歳・女・弓
アルセリオン(ib6163
29歳・男・巫


■リプレイ本文

「そんな綺麗なアヤカシなら、ちょいと見てみたいものだねぇ〜」
 シルフィリア・オーク(ib0350)は相手がアヤカシかどうかなんて構わずに、純粋に興味を示した。透き通った湖も期待ができる。水も泳ぐのも、決して苦手ではない。楽しみだ。
「おや匂霞殿 久し振りですね」
 佐上 久野都(ia0826)がおそれげなく依頼人へ声をかけた。そうね、と素っ気無い返事が返ってくる。
「成る程。刀剣に貴賎なし、と言った所でしょうか。
 貴女らしいと言うか‥‥承りましたよ。手は尽くしましょう」
「ええ。頼んだわ」
(‥‥相変わらずだなーあの人)
 グリムバルド(ib0608)はそう思った。元気そうで何より、と思いつつ、思考を今回の依頼に向ける。
(えーと、今回は何だっけ。水に沈んだ刀だっけ。
 ‥‥宙に浮かぶ刀よりマシだな。うん)
 いろいろあれは大変だった。今回の依頼はそれにくらべてわかりやすく、やりやすい。やっぱり刀だけど。
(とはいえ、普通の刀だからなぁ‥‥壊さないよう気をつけておくかー)
「刀壊したら、アヤカシより匂霞さんの方が怖ぇからなぁ‥‥」
 ぼそりと呟く。聞こえていたのか匂霞が振り返り、色の薄い瞳でグリムバルドを見つめ。
「刀、大事にして」
 念押しした。
「なんと言いますか、匂霞さんもお変わりないようですね」
 鹿角 結(ib3119)もそう思う。面識のある三人にとっては、なんというか、いろいろ納得できすぎる話であった。
(まあ、突然人当たりが良くなられても驚いてしまいますが‥‥そっけなくとも、匂霞さんの刀への思い入れは少しは知っているつもりですし、以前に話を合わせてくださったお礼もありますから、お手伝いしましょう)
「刀ねェ‥‥」
 忍刀「暁」に触れる空(ia1704)。
「まァイザッて時に使えないモン程意味の無いモノは無ェからな」
 空は口の端に小さく言葉を乗せた。別に誰に語るわけでもない。
「ソレ既に刃の意味無ェだろ鈍器使えよッて賊を見た事は何度か‥‥。
 それにしても‥‥やァれやれ」
 感情の読めない依頼人の横顔。とはいえ、空も読みやすい性質ではない。
(また面倒そうな依頼主だ。人間性に興味は無いがな)
 ともあれ、余計な枝葉を払って獣道を進む。藍色の薄い刀身が振るわれるのを、目を細めて匂霞が見ていた。視線は多少感じはするが、強くはない。おそらく空自身へ向かう視線だからではないからだろう。
(‥‥刀に己が人生を捧げるが如くか。ふん、そういう風もあるだろう)
 アルセリオン(ib6163)は思う。匂霞のその姿勢を風にたとえて。何かを風にたとえるのは彼の特徴であったが、人の想いや交わりについては特に顕著になるようであった。
(それよりも湖の風が淀む前に正しき風の巡りを取り戻さなければな)
 よく澄んだ世界に、瘴気は無粋が過ぎた。

 湖辿り着く。小船はなかった。人のあまり入らぬところであるからだろう。
 なのでまず取り掛かったのは、筏の作成であった。木はいくらでもあったし縄も十分持ってきていて、特に問題もなく作れる。別段技量の要るものでもないことだ。
 斧で切り倒し、鉈で細かい枝を払い落とす久野都。シルフィリアは大薙刀で伐採する。
 それから切った丸太を並べて荒縄で縛り、グリムバルドも手伝って筏を組んでいく。ダミー兼非常時の浮きとして小さなものも作り、さっそく水に浮かべた。
 水辺服を着た鈴木 透子(ia5664)は、小道具としてシーマンズナイフを腰に差す。
「準備体操はしたほうが良いでしょうか?」
 すこし筋肉をほぐしたほうが身体にはいいだろう。軽く筋を伸ばし、身体を動かす。シルフィリアも同じく、水着にコルセールコートを羽織って準備を整えた。
 数本の岩清水と西瓜を岸の端で冷やす久野都。戦闘時に被害を受けなさそうなところを選んでの設置だ。
「西瓜?」
「遊び心も偶には必要だと思うのですよ」
 グリムバルドに微笑する久野都。刀に湖に、アヤカシに西瓜。シュールだ。
 もし匂霞に心配事がなければあの無表情で面白いんじゃない、などと言ったのだろうが、生憎彼女の意識は完全に刀へ傾いたままである。

 刀の沈む場所を問う開拓者たちに、匂霞の示したのはすいぶんと沖のほうであった。いったいなんだってそんなところに沈んだんだか知らないが、とりあえずその場所を避けるように戦えばいいだろう。さらにシルフィリアは湖周辺の足場を自分の目で見て確認した。とはいえこのあたり以外からはろくに岸に上がれないだろう。草木がぼうぼうだ。
 準備を終えて筏に乗り込む透子とシルフィリア。櫂などはないので、足の長いシルフィリアが思い切り岸を蹴りつけて沖へと向かった。
「釣り‥‥って呼ぶには浮きがでか過ぎるな‥‥」
 筏を浮きに、筏から岸へと伸びる縄を釣り糸に見立て、グリムバルドは呟いた。

 結の鏡弦の結果に従い、できるだけその近くに筏を寄せた。透子は手をつけて水の温度を確かめる。ひんやりと冷たい。
 足を水面から差し入れ、チャポンと浸かった。ぶるっ、と暑さに慣れた身体が震える。
「渡して頂いていいですか?」
「これだね」
 シルフィリアから二体の人形を受け取る。えらく重たい人形は、黙っていれば水面に浮こうとする透子の身体を水底へ沈めた。逆らわず、むしろその引力を利用して潜る透子。蒼く輝く湖面、近づく水草の淡い緑色。結んだ命綱がゆらゆらと水の中で揺れる。
 ひとりきりの水底。やわらかな水草を踏みしだく。透子は周囲を警戒して進んだ。おそらくそう長くは潜っていられまい。息を止めるには限度がある。
 さして待つわけでもなく、視界の端に煌きを捉えた。それは青く煌く鱗持つものであり、透子が誘き寄せるべきものでもあった。
 こぽり、小さく口の端から空気を逃がす。二体の人形を抱えなおし、距離を計って魂喰を放った。先頭の一匹を式が喰らう。多少抵抗したようではあったが、あっさりとそれは消滅した。二匹目を倒してすぐに、水を伝って響く咆哮。多少威力は弱まっていたが、それは違わず届いて効果を発揮する。泳いでいた数匹がその水域を離れて猛然と岸へ、残ったものは湖面へと、昇っていった。

 時間は少しだけ戻る。
 筏に乗った二人が沖へと漕ぎ出ししばらくすると、空もまた湖面へ踏み出した。水蜘蛛によってその足は水面を踏み抜くことはない。さらに奔刃術で水面を走る。
 刀のあたりまで走るのと、湖底へ透子がたどり着くのは同じころであった。よく透き通った水面は、陽光を乱反射してさえいなければ湖底を見通しやすい。真下はよく見えるのだが、さすがに見渡すのは無理だった。久野都の人魂が同じく湖を見渡して、結局真下に集中せざるをえなくなっている。
 久野都も空も、それでもすぐにアヤカシを見つけた。青く染まった鱗は水の中で見分けづらいが、なにぶんとてもよく光を反射する。
「来ました。六、七、八‥‥、九匹、でしょうか」
 手早く久野都が仲間に伝達。グリムバルドの喉から、咆哮が迸った。空は弓を引いて月涙を放つ。矢は水面を突き抜け水の抵抗を丸ごと無視し、一匹を貫いた。
「四匹、こちらに来ます。――今引くのはやめたほうがいいでしょう」
 すぐに括った縄を引こうとしたグリムバルドに、久野都は人魂の視界を借りつつ言った。全力で引いても結局魚のほうが速いし、こちらに向かっているアヤカシと同じルートでしか引き戻せない。かえって危なかった。
 とはいえ、やはり水面の二人も攻撃に晒されていた。下から氷柱が打ち上げられ、空は決して大勢を崩さないようにそれを避けた。けれど機動力の低い筏にいるシルフィリアにはそれができない。剣を抜き放ち、盾を構える。既にオーラドライブは発動済み。衝撃と共に感じる冷気、水飛沫と砕ける丸太。水中に放り出されて身構える。武器の重さで身体が沈む。シルフィリアの身体の浮力に対して、武器のほうが重かった。
 二撃目の氷柱がシルフィリアに向かう。ガードも使って耐える。正面の敵に集中し――あるいは気づいてはいても、地上ほどに上手く身体が動かないためか――無防備なシルフィリアの背中。矢を番えている暇はない。空はわざと足のつき方を変えて自ら水蜘蛛を破る。暁を抜き放ち、沈む進路上にいるものを断ち切った。
(捉エた‥‥ッ!)
 水の抵抗で刀を振るうにももどかしい、それでも暁の切刃は青い鱗に触れ、やすやすと切り裂いた。
 沈みゆく二人の上から、悠然とアヤカシが迫る。青い鱗は眩いほどに光を弾き、目に痛い。
 浮き上がるには手にした武器は重すぎ、腕を掲げても届く距離ではなくなっていた。
 その二人の間を縫って、何かが下から飛来する。それは真っ直ぐに煌く青を目指し、そして、喰らった。
 湖底に二人の足が着く。水草が揺れる。先に沈んでいた透子が、差し込む陽光の眩しさに手を翳して水面を見ている。
 あとはもう、煌く青はどこにも見当たらなかった。

 岸からはやってくる四匹がすぐに見えた。アルセリオンの瘴索結界でも、反応は四つ。久野都が夜光虫を飛ばしてみたが、咆哮の効果が続いているためか気にする素振りもない。アルセリオンは視界の端に依頼人を確認した。念のためであった。
(アヤカシが刀に近寄ったからと言って無茶をする者でもないようだがな)
 すこし離れ、じ、と湖を見つめる匂霞。動く素振りはない。
 沖の筏が砕けるのが見えたが、距離と――なにより反射する水面で敵の姿が視認できない。結は目を細め、すぐに諦めた。見えないのではどうしようもない。鏡弦には反応するが、生憎アヤカシは捉えても人間の気配は捉えない。まかり間違って沈んでいった囮役に当たってはことである。
 番えた矢は自動的に可視範囲内の敵へと向けられる。手早く二匹を撃ち取れば、アルセリオンが力の歪みを放つ。それは一匹の煌く青い身体を捻った。力の歪みによるものか、あるいはアヤカシが醜くばたついたせいか。水が波打ち波紋を広げた。注意深く観察するが、それが大きな反応を引き起こすことはない。むしろ激しかったのはグリムバルドの攻撃だ。
 地奔。衝撃波が地面ではなく湖面を奔る。もともと二十メートルも届くような豪快な技は、最後の一匹を葬り、その場で激しく水面を波立たせた。空は既に水蜘蛛を解除していたので、そっちの影響はなかったが‥‥あったらちょっと危なかった。
 小さく吐息を吐き出す音。気を配っていたアルセリオンは、それが匂霞のものだとすぐに気づいた。
「終わったの」
 確信を込めて、それだけを尋ねる声。
「僕が感知できる範囲であればな」
 続いている瘴索結界の反応から、アルセリオンが答える。が、とりあえず。
「囮役引っ張るぜー」
 そろそろ透子の息が苦しくなるころだ。

 刀を引き上げてきたのは透子であった。一番水中にいたから、湖底を把握していたのだろう。
「間違いありませんか?」
「ありがとう。この子よ」
「‥‥如かして、匂霧殿、その刀の具合は?」
 久野都が尋ねる。匂霞は眉根を寄せた。
「‥‥錆びは平気。これくらいなら、すぐ落とせるわ」
(打ち直すのかは知らんが、アレはもうあのままじャ使えんな)
 空はそう判断したし、匂霞もおおむね空と同意見のようだ。
「でも姿が崩れている‥‥、肉置きを直さないとだめね」
 ずいぶん削って姿を直す必要がありそうだ。それでも丁寧に水気を拭い、布に巻いて大事に抱える。
「つーか匂霞さんて刀しか研がねぇのかな。俺、槍の穂先研いでほしいんだけど‥‥」
 グリムバルドの問いかけに、彼女はあっさり頷いた。
「研げるわ。刀と天儀の槍、研ぎ方は同じだから。有料だけど」
 それから槍の刃を眺め、切っ先の鋭さに眦をかすかに和ませる。
「わたしたちは刃に鋭さを持たせたりして整えるけれど、それはその刃の持つ力を最大限に引き出すよう努めているに過ぎないわ。けっしてその刃の持つ性能以上のものは与えられないの。そこは注意して。
 それから、研ぐときは刀身だけにするわ。すべて分解する必要があるから、何か思い入れがあるのなら気をつけることね。
 それで構わないのなら、わたしが暇なときに持ってきて」
 それだけ言ってふいと踵を返す。結が背中に声をかけた。
「手伝えることはありますか?」
 専門的な何かは無理だとしても、単純な人手として。そう申し出る彼女に振り返る。
「今はいいわ。あなた、弓を使うのでしょう」
 それは断り文句のようで、ひらりと荒れ果てた手を見せ、たいした礼も挨拶もなく去っていった。

 冷やしていた岩清水と西瓜を引き上げた。ざぶ、と冷たい水の中から取り上げられたそれは、久野都の掌の熱をいくぶん奪ってゆく。
 さくりと包丁を差し込むと、中から赤々とした実が現れた。グリムバルドものんびり寛ぐ。
 はらり、凌霄花の花がひとつ、水面に落ちて波紋を広げる。薄く蚊取り線香の香が漂った。
 空は、遊ぶという名目で弓に矢を番えた。風がそよぐ。はらり、緑が舞う。引き絞った矢が放たれ、薄っぺらい木の葉を打ち抜き向こうの木へと突き刺さる。
 はらり、舞う葉を。かさこそと蠢く小さな蟲を射抜いた。
「念の為‥‥」
 建前を設けて、ささやかな水遊びに興じる透子。クラゲのように水中を漂い、沖へとふらり、流れていく。ゆらゆら、黒い髪が揺れる。水が投げ出した身体を優しく受け止めていてくれる。食べられる魚を探しはしたが、あのアヤカシがすっかり食べ尽くしてしまったようで‥‥、生き物の影は見当たらなかった。少し残念に思いつつも、ゆらゆら、揺れる。きらきら、水面は輝いて。
「ふぅ、水面がキラキラと輝いて、まるで宝石みたいだねぇ〜」
 シルフィリアは水中散歩と洒落込んでいた。手の甲にちりりと小さな痛みはあるが、激しく主張するようなものでもない。戦いのさなかについたのだろうけれど、手当てをするとしても水から上がったあとで構わないだろう。
 ぐんと水の中に潜って泳げば、カーテンのように差し込む光。姿のないそのカーテンを突き抜けて泳ぐ。
 結もまた涼みに湖へと入る。水が表皮から熱を奪い、心地よい清涼感に身を委ねた。
 アヤカシが残っていないかどうか、アルセリオンは重点的にそのことを確認して回った。
(水が穢されるのは、あまり気分の良い話ではないからな)
 水も空気も、よく棲んでいた。丁寧に確認した後、気を緩めて周辺の散策に出る。
(水遊びをする柄でもない。
 それに、ここまで緑と水豊かな場所は見る機会などなかったからな)
 水の匂い、風の気配、濃密な緑の香り。
 蝶がひらりと視界を過ぎた。一見普通なのに、後翅の右側にだけ白い班が入っている。さらりとアルセリオンはその姿を描きとめた。

 濡れそぼって戻ってきた女性たちに毛布を貸す久野都。シルフィリアは水着から持ってきた浴衣に着替える。冷えた身体に暖かい布の感触を感じた。