おいしいもので避暑
マスター名:茨木汀
シナリオ形態: イベント
相棒
難易度: 易しい
参加人数: 25人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2011/08/19 18:46



■開拓者活動絵巻
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jitari






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■オープニング本文

「‥‥もうだめ」
「‥‥あー、ちょっと水被ってこい?」
 へたり込む佐羽に、苦笑しつつおじさんが言った。炎天下の屋台、しかも扱うのは卵焼き。なんでうちはカキ氷やらないんだろう‥‥、朦朧とした頭で佐羽は思う。
 慣れない町暮らし、というのも響いているのだろう。つまり佐羽は、へとへとだった。
「ここ最近、暑いからな。お前もがんばってるし‥‥、よし。
 二日、休みをやる。そこの森行ってこい」
「森‥‥?」
「池があるんだよ、蓮の咲いてる。近くに小さな旅館もあるし、けっこう風情のあるとこだぜ。まあ、ダチでも誘って避暑してこい。
 蓮の実、食ったことあるか? けっこうウマイぞ」
「‥‥おいしいもの‥‥?」
「ああ」
 きらり。
 佐羽の瞳に、生気が戻った。

「というわけで、綴さんも来ませんか?」
 場所は変わって薔薇の庭園。さんさんと降り注ぐ太陽も、頭上に張り巡らされた薔薇でいくぶん和らいでいる。染否の郊外にあるこの家は、家自体は小ぢんまりとしているものの、庭の規模が大きい。
「まあ、いいの?」
 ミルクティーのような甘い色の髪を揺らし、綴は顔を綻ばせる。
「はい。流和ちゃんとか、みんなも誘って。きっと暑くて大変だろうし」
「そうね‥‥。そうだわ!
 薔薇を摘んでいきましょう。薔薇風呂にすればいいと思うの。旅館の方には、話を通しておくから」
「いいんですか!?」
 顔を輝かせる流和に、綴はにっこり微笑んだ。どのみち毎日毎日花がらを摘まなければならないので、ものすごく大量の薔薇がとれるのだ。断る理由は何もない。使う前に洗う必要はあるが、全員でかかれば短時間で済むだろう。砂糖漬けのように、ちょっとの傷もつけてはいけない、なんてわけでもないし。
「ええ。あそこの池は水遊びはできないけれど、かわりにお風呂を存分に使わせていただきましょう」
「わぁ‥‥!」
「あとは、薔薇酒と‥‥、そうね、薔薇を練り込んだバターを持っていきましょう。町でパンを買っていけば、お菓子になるわ」
「やったー!! あっ、えっと、ありがとうございます!」
 いいのよ、とふんわり微笑む綴。
(染否のオアシス‥‥!)
 根っこが妙に淡白な住人の多いこの町で、とことん優しいこの女性が、佐羽の癒しであった。

「‥‥えーと、なになにー?
 避暑に来ない、って?」
 所変わってある農村。佐羽からの手紙を受け取り、流和は首をかしげた。
「なんじゃ、修行中の身空でずいぶんなご身分だの」
 師匠がぶちぶち文句を言う。細かいことに頓着しない流和は完全にスルーした。というか、聞いてもいない。
「蓮の実っておいしいんだって」
「はちすじゃの。うむ、流和、用意せい」
「ええ、師匠も来るのー!?」
「あれはさして甘くはないが、ウマイんじゃ! つべこべ言うでない!」
「もー。
 じゃ、あたし開拓者のみんな誘ってくるよー。この暑い中戦うの、疲れてるだろうし、佐羽ちゃんもギルド行ってきて、って書いてるし」
 保護者同伴のお泊り会かぁ、と、ため息ついて流和は言った。


■参加者一覧
/ ヘラルディア(ia0397) / 鬼啼里 鎮璃(ia0871) / 秋霜夜(ia0979) / 紫焔 遊羽(ia1017) / 礼野 真夢紀(ia1144) / 皇 りょう(ia1673) / 月酌 幻鬼(ia4931) / 夏葵(ia5394) / からす(ia6525) / 和奏(ia8807) / アルーシュ・リトナ(ib0119) / 琥龍 蒼羅(ib0214) / 明王院 未楡(ib0349) / 言ノ葉 薺(ib3225) / 東鬼 護刃(ib3264) / ウィリアム・ハルゼー(ib4087) / マルカ・アルフォレスタ(ib4596) / パニージェ(ib6627) / スレダ(ib6629) / 羽紫 稚空(ib6914) / 羽紫 アラタ(ib7297) / 神風 獅幻(ib7365) / 水野(ib7381) / 水生(ib7382) / アリナミンR(ib7384


■リプレイ本文

●出発
 礼野 真夢紀(ia1144)は、やたらと活きのいい三人を誘った。
「知り合いに今修行中の人がいるんです。朋友に対する想いとか関係の話して貰えないです? その人まだ自分の村守る事中心で朋友の事まで頭回ってないみたいですから」
「マジ? やったぜ後輩だ!」
「ちょっ‥‥、変なこと吹き込まないでよ!?」
「僕らでいいの? あんまり詳しくないよ?」
 言いながらも嬉しそうにやってくる。結果を言うなら、あまり知識のない湯花にいいかげんなことを話す真樹、そしてにこにこ笑うだけで役に立たない鋼天と知識面ではまるで頼りないこととなったが、
「そっか、開拓者なら朋友もいるか‥‥。あのテンションにはついてけないけど」
 とりあえず流和の意識を朋友に向けるという大目的だけは達成されたようであった。

●月見草の間
「今回は修行とか言いませんー。
 あたしも日々の錆落とししますね☆」
 秋霜夜(ia0979)は部屋に荷物置き、浴衣に着替えて旅館の中をパタパタうろつく。食事までは暇なのだ。同じく明王院 未楡(ib0349)は、師匠に交渉する。内容は流和の受け渡しだ。
「お食事時には、美味しい物を振る舞いますから‥‥」
「む。‥‥別に構わんぞ? こんなんでよければいくらでも」
 ひょい、と猫の子でも吊るすように流和の首根っこ引っつかみ、未楡に差し出す。
 食べ物の効果もあるだろうが、もともとあんまし保護者気分のない師匠のことである。真実彼にとっては「こんなんでよければいくらでも」なのだろう。
(なんか腹立つ‥‥)
 うっすら不満に思った流和であったが、最近四六時中師匠と一緒なのである。その監視下から開放されるのはたいへん魅力的だ。
「ありがと師匠。未楡さん、よろしくお願いします!」
 不満をぺいっと投げ捨てて、師匠の手を離れる流和であった。

●睡蓮の間
 綴からお酒とバターを受け取り、アルーシュ・リトナ(ib0119)は睡蓮の間へ入った。
 パンにバターを。そして軽く砂糖をかけてパンに口をつける。窓の縁に腰掛ければ、眼下に広がる蓮の池。
 小鳥の囀りを歌う。声に惹かれて集まってくる小さな鳥たち。そこは二階だというのにいつのまにかリスまでも窓辺に並んでいた。
 そんな小さなものたちにパンくずを分け与え、静かに歌を紡ぐ。

――薔薇の香満ちて 歌零れ
  遥かに蓮池見下ろせば
  涼風誘う 舟遊び
  揺れる花をすり抜けて
  心漂う一時よ‥‥

 チチ、と小さく囀りながら、自然と動物たちはおのが場所へと帰っていった。
「偶のお酒も良いですね‥‥。
 氷、頂いて来ましょうか」
 ほろほろと薔薇の香り、花の色。吹き抜ける風はいっそ、冷たいくらいで。
 音のない部屋。遠く聞こえる笑い声。
「‥‥ああ、さざめく笑い声が歌の様。
 落ち着きますね‥‥」
 

●釣鐘草の間
「さて‥‥、部屋でゆっくり過ごすのも悪くは無いが」
 琥龍 蒼羅(ib0214)は一人ごちる。友人も来ているようだが、主に一人で過ごす予定であった。
(折角来たのだから、少し池の周りを見て回るか)
 着替えなどを置いて、それから斬竜刀を手に部屋を出た。
(何もせずとも、池のほとりや森の中を歩くだけでも良い気分転換になりそうだ)
 そうして陽の下に出る。鮮やかに輝く太陽。花弁の端を桃色に染めた蓮が咲き誇る池。吹き抜ける風は湿り気を帯びて冷たい。濃密な緑の香り。
 少し開けた場所を見つけて、蒼羅は居合いの鍛錬をした。別に日課というわけではないようだが、時間の有効活用であった。それから汗を流しに風呂場へ行くと、まだ早いからだろう。誰もおらずに広い浴場を一人で独占できた。

●鈴蘭の間
 しーんと静まり返った鈴蘭の間。その部屋の中で、ぼけーっと正座している女が一人、いた。
 色の薄い髪をした、皇 りょう(ia1673)である。なぜだかやたらと覇気がない。
「――ハッ」
 時間とともにわれを取り戻し、自力で現実に戻ってくる。
「いかんいかん。完全に気が抜けていたな。
 体と心を休めるのも開拓者の仕事の内かと考え参ったわけだが‥‥」
 さて、何をしたものやら。やること全然ないせいで、かえって頭を使う羽目になった。
(家での休暇ならば、武具の手入れや鍛錬に精を出すところなのだが)
 休暇というか、そればっちり戦準備である。
(取り敢えず、ここでこうしていても埒が明かないし、話に聞いた「はちす」とやらを食しに行ってみるか‥‥)
 ほてほて池に向かうりょう。
 それが天儀食闘(フードファイト)史に残る一戦の始まりだとは、その時は誰も知る由が無かった。‥‥まさかほんとに何か残っちゃってはいない‥‥はず。たぶん。
「これは何と美味な‥‥!」
 もぐもぐはちすを頬張るりょう。隣で師匠が一生懸命皮を剥いては集めた実を一気に頬張っている。
「なかなかの食べっぷりですね。この美味を前にしては当然でしょうが」
「ふ。やりおるのぉ、若いの」
 最終的に師匠はあんまり量を食べなかったが(むろんりょうと比較すればだ)、持って帰るのか、やたらと大量に集めていった。

●聖夜の鐘の間
「お舟を浮かべて良いのですね‥‥」
 ぎぃ、と櫂の音。ちゃぷ、と水が跳ねる。和奏(ia8807)は小船で乗り出し、水辺の散策に出た。
(蓮や睡蓮も素敵ですが、水の綺麗な場所なら蓴菜もありそう)
 まっすぐに空に伸びる蓮の間を漕いで、蓴菜を探してみる。
(採って帰ればお料理してくださる方がいるかもしれません)
 水の音。ちらちらと陽光が蓮の花や葉の隙間から注いでくる。光は共に乗っていた人妖の少女の髪を輝かせた。ぎらつくほどではない。程よく花と葉が光を漉していて心地よい程度、爽やかな夏の日差し。
 花は百合に、咲き方は蓮に、葉は睡蓮に似た植物を探すと、程なくしてそれらしきものを見つけた。幹と枝の間に芽生えた新芽を摘み取る。やはりほとんどが蓮の咲く池であるから、あまり数は見つからなかったけれども。
 三杯酢で和えたら喉越しのよい夏らしい肴にはなりそう、そう思う。そのまま持って帰ると、厨房の板前が手早く調理して出してくれた。
 それから風呂へと向かう。人と一緒に入る習慣のない和奏は、足を湯につけるのみとした。

●薔薇の間
「綴様がよろしければご一緒にどうでしょうか」
「まあ、嬉しいわ」
 マルカ・アルフォレスタ(ib4596)の提案に、綴は顔をほころばせた。荷物を置いて整理をしていると、どこからともなくかすかな歌声が聞こえる。
「あら‥‥、ふふ」
 頬を緩める綴。
「まあ。歌声ですわね」
「この声、アルーシュさんでしょうか。マルカさんは音楽は?」
「笛でしたら」
 時々吹く楽器を挙げる。うらやましいわ、と綴は言った。あまり得意ではないらしい。
「ジルベリアの楽器に憧れたこともあったのですが、どれも身につかなくて。器用なお友達がいたのですが、彼女は興味もなさそうなのにさらりと使ってしまうんです」
 才能が違うのだろう。マルカも器用な性質であった。

●紫陽花の間
 ふわり、鬼啼里 鎮璃(ia0871)の足の下で、腐葉土が柔らかく沈み込む。
 森の散策は静かであった。木々の間を風が吹き抜けてくる。この季節にはなかなか貴重な冷たい風を楽しんで、目に入りそうな髪を押さえた。
 池へと行くと、数名がはちすをもぎ取っているところであった。中にはやけに白熱している人物もいたが、だからといってこの池を制覇できるわけでもない。岸近くに咲いている蓮の茎を手繰り、花弁の落ちた後の青い実をもぎ取った。実は首からぽくりと簡単に取れて鎮璃の手に収まる。顔ほど大きいわけではないが、拳より二周りはある実であった。
 そうして部屋に戻ると、こちらはお茶の時間のようである。真夢紀がなにやら色々とカキ氷を作っていた。
「佐羽さんのやってる卵焼きって甘いんですか? それともしょうゆや塩味?」
「出汁醤油だよ。‥‥例によって例のごとく、いなくなった奥さんのレシピ」
 真夢紀の問いに、お手上げ、と佐羽は笑った。いくらなんでも、食べたことのない味を再現するのは無理である。
「パセリとか鱈子解して入れても色綺麗ですよね〜。お酒かけかき氷は14歳以上の人のみですよ?」
 ぎく、と佐羽の肩が震えた。
「‥‥佐羽さん?」
「え、えと。舐めただけだから!!」
 綴の薔薇酒が佐羽の前に置いてある。料理人の本能で、味見しないではいられないのだろう。実際ほんの少し手にとって舐めただけである。けれど、それでも子供の未成熟な身体には‥‥、好ましくないのも事実だ。
「よくそんなの舐めようって気になるよねー」
 流和は肩をすくめた。味覚は濃い目だが、彼女は刺激物を嫌う傾向がある。村の素朴な味付けに慣れているせいだろう。三人衆は酒には興味も示さない。カキ氷をしゃくしゃくやりつつ、からす(ia6525)のお茶菓子に夢中である。
「如何かな? 茶菓子もあるぞ」
 花祝<紫陽花>と、薔薇の花びらの砂糖漬け。クッキーに、甘味「梅の実り」。
「わー、かわいい! どこで買ったの?」
 お菓子の見た目に喜んだのは鋼天であった。
「これは良い趣味じゃの。この青がなんとも美しい」
 花祝<紫陽花>を手に取り、鑑賞して喜ぶ師匠。さっきどこぞで見せた食い意地が嘘のようにおとなしい。綺麗なものを愛でる感性は存在するようだ。食い意地は張ってても。
 お菓子のお礼というわけではないだろうが、池に行っていないからすにはちすをひとつ差し出した。
「仄かに青臭さもあるがの、淡白な味でこれもなかなか良い。まあ、甘くはないのだがの」
「私も甘味には目が無いもので」
 甘味談義に花が咲く。共通の趣味は会話を弾ませるものだ。
「これも持ち帰れないのが残念」
 薔薇バターの器をつまむ。赤く染まったバターが綺麗だった。

 食事の際には、紫陽花の間は更に人が増えた。
「大部屋‥‥紫陽花の間、だったな」
「あ、蒼羅さーん」
 やってきた蒼羅を目ざとく見つけて流和が手を振る。だいぶ前とはいえ、居合いの手ほどきを受けたのをしっかり覚えていたようだ。
 食事に入ると、目を引くのは大食い二人だ。佐羽は量こそ多いが、そこまで激しいわけではない。問題はもう一人、流和である。早い。
「ゆっくり食べなさい」
 結局からすの台詞は流和に対して言われることとなった。むぐむぐ口の中のものを飲み下し、だって! と流和は抗議する。
「おいしいんだもん‥‥!」
 なにひとつ理由になっていない。まだ本格的にこの二人の食事風景を見ていなかった綴はちょっと唖然としていた。マルカにとってはいつものこと、にこにこと幸せそうにその食いっぷりを眺める。佐羽はそんなに早食いではないが、最終的に流和と同じだけ食べるのだ。綴の箸が止まるのも無理はない。
「やっぱり大勢でのお食事は楽しいです♪
 お膳は山菜の煮物、川魚の焼き物、蓮根のお料理かしら?」
 霜夜は自分のペースで食べる。蓮の下には蓮根が成るので、たくさん採れるのかもしれない。
 そんな子供たちの世話を焼くのは未楡である。はちすを甘刀「正飴」を溶かしたシロップに漬けて甘いスープに、あるいは炊込みご飯にして。夏バテ予防の薬膳料理が出される。
 箸休めに、はちすのお菓子とかあると嬉しい、と思っていた霜夜には甘いスープがちょうど良かった。師匠はスープから黙々と胃に詰め込んでいる。

「これを投げ合い親交深めると聞きましたっ」
 もふらのぬいぐるみを取り出し、拳を握る霜夜。
「ってあれ?
 『もふら投げ』じゃなく『まくら投げ』?」
 その疑問が解決する間もなく、同じく何かを取り出すマルカ。
「やるからには負けませんわ!」
 そう宣言して抱える、もふもふまくら。天儀の伝統的スポーツだと信じている少女は、金髪を靡かせやる気満々である。
「あたしもー!」
 小豆の詰まった宿の枕を引っ張り出し、流和も参戦。
「おもしろそーじゃねーか!」
「まあ、枕くらいなら手加減すればアリ?」
 真樹と湯花も同じく枕を引っ張り出す。鋼天や佐羽、綴は鉄傘を防御の為に置いたからすのところへ身を寄せた。
「どれだけ効果があるやら」
 鎮璃ができるだけ障子や襖を布団で覆い、未楡も食事の片づけをする。旅館の人がちょっと恐縮していた。
 ともあれ始まった枕投げ、チーム分けも得点係もなにもないのでたいへんカオスな試合となる。たぶん一番被弾が少なかったのはマルカであろう。飛び来る枕を叩き落し、自分の枕は正確に投げる。勝ち負けは判然としなかったが、
「楽しかったですわ♪」
 にこにこと少女は微笑んだ。意外なことにみなが手加減したので特に壊れたものはない。鎮璃がきちんと対策を取っていたのも一因だろうか。
 それから遊び疲れた霜夜を連れて、風呂に入って汗を流す。薔薇風呂から上がった女性たちは、ほんのりと薔薇の香りを纏っていた。
「わぁ‥‥未楡さん浴衣も似合う‥‥」
 大人の色香を漂わせる未楡に、霜夜が見惚れて素直に褒める。
「本当、うらやましいです」
 華奢な綴がほう、とため息をつく。そんな未楡は睡眠前のお茶にと、甘味や各種お茶を出した。
「紅茶に薔薇酒を少し入れてみたんですけど‥‥如何ですか?」
「素敵ですわ」
「佐羽さん、ダメですから」
「う、うう‥‥」
 真夢紀が釘を刺していた。

●桜の間
 双子の兄、羽紫 アラタ(ib7297)と料理を満喫するためにやってきた羽紫 稚空(ib6914)。
 心に決めた女性のいる彼は、混浴にも特に興味を示さず、さっさと入浴を済ませて部屋へと戻る。桜の間、二人部屋だ。帰ったときには食事は用意されており、それに舌鼓を打ちつつ言葉を交わす。
「お前、この部屋‥‥お前の女の名前で選んだだろ‥‥」
 アラタが言う。その部屋の名前。思い当たるのは、ひとりの女性の名前であった。稚空の恋人の名前、のようである。
 稚空が一年以上かけてそのひとへ想いを寄せた、苦労の果てに得た恋人の座。ことは稚空の手だけでは終わらず、もう一人の兄がその女性へと恋愛を伝授してようやっと‥‥という話であった。だというのに、双子の兄、アラタがそのひとへ好意を持ち始めている。稚空はそう思っていたし、事実そのひとについて話を差し向けると、ムッと赤面しながらアラタは意地を張った。
「あんな女‥‥」
 けれど、稚空にとってはすぐにそれが単なる意地だと分かってしまう。それは双子ゆえなのか、それとも同じ女性を追うためなのか、あるいはどちらもか。
 話しているうちにだんだん白熱し、膳を旅館のものが下げるころには。
「お前には絶対渡さねーからな」
「違うっつってんだろ!」
 そこは枕の飛び交う戦場と化した。
 とはいえ血で血を洗うようなどろどろっぷりではなく、違うの違わないのと言い合う兄弟喧嘩であった。
 部屋は壊さないで頂きますよう、と旅館のものに水を差されたので、あまり全力でできなかったが‥‥、まあ、それも振り返ればそんなことあったなと、きっと笑える思い出になるだろう。そもそもが仲の良い兄弟のようであるから。

 朝の空気は澄んでいた。荷物を纏めて帰り支度を整える。
「ま、たまには男同士で来るのも悪くは無いな」
 フッ‥‥、口の端に笑みを浮かべて、アラタは宿をあとにした。

●竜胆の間
(あの天然朴念仁なパニ兄様が避暑旅行ですか?
 海水浴にも行ったらしいですし、これは何かあるですね)
 むむ、ときぐるみに身を包み、スレダ(ib6629)は唸った。視線の先には憧憬の対象であるパニージェ(ib6627)と、スレダにとっては見知らぬ女性である、紫焔 遊羽(ia1017)がいる。
(しかし、本当に遊羽には感謝だな。天儀の夏はジルベリアに比べ辛い。避暑、いい響きだ)
 涼しい森を抜け、パニージェは旅館に足を踏み入れた。ふと視線を感じて振り返るが、まばらに他の開拓者が歩いているだけ。
(殺気では無いが、これは‥‥?)
 一方、スレダは慌てて木陰に身を隠した。
(万屋で変装に使えるのをくれと言ったですが――。
 これじゃ仮装な上に目立つじゃねーですかっ! 気付かねー私も私ですがっ)
 麗しきまるごともふらに、心の底から突っ込むスレダ。背格好は隠れるが、いかんせんちょっと目立ちすぎた。でも時々、まるごとシリーズで戦いに行く御仁もいる世の中なので、もしかして堂々としていれば目立たなかったかもしれない。‥‥いや、保障はできかねるが。
(と、兎に角! 大部屋を取って、尾行開始ですっ)
 紫陽花の間を取り、荷物を置く。急いで取って返せば、廊下を歩く二人を見つけた。
(私より年上みてーですが‥‥い、色々と大丈夫ですかね)
 じぃ、とその背中を見つめる。一体何処へ‥‥、と思えば、二人部屋の竜胆の間に荷物を置き、二人して風呂へと向かっていった。
(‥‥そんな関係だったんですね‥‥)
 状況証拠から導き出された答えに、スレダは行き着いた。

 掌で転がす指輪。きらり、白い肌の上で光を弾く。
(押し付けがましい‥‥やろか?)
 小さな不安とともに遊羽は指輪を仕舞い、露天風呂へと向かった。
 華やかな花弁が浮く。匂い立つ甘い香り。
「薔薇てな、なんと香りのえぇ‥‥♪」
 湯気に乗って香りが満ちる。仄かにアルコールの香りが混じっていた。パニージェの浮かべた熱燗である。
「殿方が手酌は関心せんで? ほらほら」
 パニージェの杯に酒を注ぐ。一緒にと、パニージェはもうひとつの杯を遊羽に渡した。
 ほどよく温まり、ほどよく飲んで。部屋に戻って夕食を共にし、西瓜を切って寛ぐ。
 それから、遊羽は指輪を取り出す。
「二つもあるて、以前ご一緒して貰ろたしよければ‥‥。
 不要なれば、捨て置いて下さいまし」
「要らない訳が無かろう‥‥では、俺も。親愛の証として、受け取ってくれ」
 情愛ではなく親愛を込めて。異なる名前の刻まれた、同じ指輪を贈り交わした。

 翌朝宿を出る二人の前に、スレダは姿を現した。こうなったらしかたがない、挨拶しとこうと思ってのことである。
「レダ? ‥‥ああ、成程、視線はお前か‥‥」
 パニージェは苦笑する。遊羽が和やかに声をかけた。
「初めましてやね‥‥遊羽と言いますよって、よろしゅうに」
 簡単に挨拶して、それからスレダは遊羽に告げた。
「紫焔さん、パニ兄様を宜しくお願いするですね」
「ぱにさんにはいつもようして貰ろてて‥‥恥ずかしい限りやわ」
「私は先に帰ってるですから、ごゆっくりです」
 根っこのどこかで行き違いが生じた認識。けれど傍から眺めていればスレダのたどり着いた結論はもっともなことであったし、無理もない。というか、こんだけ仲いい男女がいればだいたいそこにたどり着く。
 けれど結局その誤解は明らかにならず、ゆえに訂正されることもなかった。

●朝顔の間
 恋人同士で避暑に来た、ウィリアム・ハルゼー(ib4087)と夏葵(ia5394)。二人は到着するなり部屋にこもって、まったりした時間を過ごしていた。
 夏の暑さに慣れた身体には寒いくらいの室内も、ごく薄いとはいえ薔薇酒のアルコールで温められる。男装、いや、普段の女装をやめてごく普通の天儀男性の格好をしたウィリアムは、薔薇のバターを塗ったパンも酒も、ほどほどに口にする。
(何故ならばその後に野望が!)
 野望といっても恋人との夜についてだ。その恋人は、差し込む陽光にその金髪を輝かせてウィリアムの手の中の瓶を見ている。
「ジルベリア風味の酒ですね‥‥そういえば夏葵とゆっくりとお酒を飲むのは珍しいですね」
「あたしまだお酒飲めないのです‥‥」
 金色の少女はまだあどけない。そんな彼女にウィリアムはきっぱりと言った。
「十三歳でお酒を飲んでも死にません」
 いや、個人差はあるが、飲んですぐに死ぬこともある。ちょっとやそっとでどうにかならない人間も多いが‥‥。
「ほちょぉ‥‥。ちょっとだけなら飲むのですよ」
 薦められるままに酒を口に含む夏葵。それは甘く漬けられた酒で、口当たりが良い。甘いものが好きな夏葵には飲みやすい種類のものだっただろう、抵抗もなくこくこくと飲み干す。
「うぃる〜」
 免疫がないせいか、それとももともと弱いのか。酔いが回って夏葵はウィリアムに絡む。
「夏葵‥‥」
 絡んできた少女を受け止め、ゆっくりと押し倒した。

「避暑に来たはずが身体がべとべとですねぇ‥‥」
 ぼやくウィリアム。甘いけだるさとは逆に、朝の空はどこまでも青く澄み切って。やがて隣に眠る少女も目を覚ました。金色の瞳がウィリアムを映す。ぱっと元気な笑顔が広がった。
 肌つやもよく、夏葵はずいぶんと調子が良いようである。
「精気を吸い取られたのは気のせいでしょうか?」
 風呂に行く準備をしつつそんな夏葵を見て、軽い冗談を言うウィリアムであった。


●杜若の間
 内風呂から上がって、待ち合わせの廊下。湿り気を帯びた髪を揺らし、東鬼 護刃(ib3264)が浴衣をまとって姿を現した。
「似合っていますよ。それに少し色香がある」
 半分はからかい気味に、もう半分は本気を込めて。言ノ葉 薺(ib3225)は浴衣姿の護刃に感想を告げる。
「薺の浴衣姿も‥‥はて、これは尾はどうなってるんじゃろうな?」
 素朴な疑問と何気ない言葉を交わして、夜の散歩へと。池は黒々と水を湛え、蓮は夜空に向かって花開く。
 かすかな木の軋む音。漕ぎ出した小船が水面を進む。波紋が広がり水の上の月を揺らめかせ、その姿を光のかけらに散らしていく。
「ここが一番涼しいと思ったのですがいかがでしょうか?」
 薺の問いに、護刃は頷く。
「ここで一献というのも良さそうじゃな」
 欠けた月が闇を青く照らす。薺は腰に下げた瓢箪をとり、口を開けた。甘く薔薇が香る。
「夜に出た蓮も持ってきたでな、こいつを肴にしようか」
 蓮の実をひとつ。護刃はまるで蜂の巣のようなそれを取り出した。
「満月で無いのは残念じゃが、欠けた月を愛でながらも悪くはなかろう?」
 あまり強くはない酒を口に含む。言葉を重ねて時間を費やして。
(‥‥こうして幾度も言葉交わしていると言うに、想いは重ね増すばかりとはのぅ。
 ふふっ、幸福というのはこういう事を言うんじゃろうな?)
 静かな時間と甘い花の香り。小さな水音、冷えた夜の空気。
 青白い光に透き通る蓮の花の間で。ふと、薺は尋ねた。
「蓮の花言葉をご存知ですか? 神聖に雄弁、清らかな心。そして離れゆく愛」
 ちゃぷり、櫂は水音を立てる。夜は静かだ。薺の諧謔を明瞭に伝える。
「勿論、私は離すつもりはありませんが」
 とん、と、薺が動くまでもなく護刃の身体が倒れこんでくる。まるでそれは、寄り添うように。
「うん‥‥薺‥‥好いておるぞ‥‥」
 惜しみのない好意が伝えられて、輝く金の瞳が閉じられる。
 かすかな寝息。甘い花の香り。薄くアルコールが漂う。
 ちゃぷ、と櫂が水音を立てる。波紋が広がる。水面の月は幾千にも千切れても。
 欠けた月はただ、水面に浮かぶ二人を照らした。

●菊の間
 二人きりになれたのは、久しぶりのことであった。だから月酌 幻鬼(ia4931)は彼の嫁、ヘラルディア(ia0397)のわがままはなんでも聞くつもりでいたのだが‥‥。
(既に『嫁』と広言されてる身の上ですが、わたくしも頼るのに頼もしく思われます)
 部屋に着いても食事が供されても、ヘラルディアはおとなしかった。頼もしく思いつつも都合がなかなかにつかず、逢える機会の限られているヘラルディア。限られた時間とはいえ、生い立ちもあって他人を振り回す気質ではないのだろう。
(こうした催しでお誘い出来るのは喜ばしい限りですので、じっくり嗜むのも良いでしょうね)
 そんな控えめで穏やかな愛情により、静かで落ち着いた夕食となる。窓から入る風は、夜の森によって冷えきっていた。すこし寒いくらいの夜。灯火がわずかに揺らぐ。赤い灯が闇を照らす。二人の影がすこし、揺れる。
 箸を置く。旅館のものが膳を下げる。残ったのは薔薇の香り高い酒。
「晩酌をしてくれないか」
「勿論です」
 とくとく、透き通る赤い液体が注がれる。浴衣の袖から覗く手首。瓶を持つ細い指。
 食後の酒を楽しんで、さて、いつ言い出そうかと思っていたら、タイミングを計っていた彼の嫁に先を越される。添い遂げる儀を、と、彼女は願い出た。

 外で肌を曝すのは恥ずかしい、そう思いつつもタオルを巻き、露天風呂へ出る。夜半の風呂場は人気もなく、月が静かに照らしていた。
「こうして貴方の背中を流せるのは、わたくしにとり充実できるものでしょうかね」
「‥‥傷だらけてあまり見せられるもんじゃないが‥‥」
 幻鬼は肌の上に残る傷跡を気にしつつも、背中を流してもらう。できるだけリードするように意識しながら、それから。
 二人は部屋へと戻った。その夜のことは――知るものはない。