影踏みの思い出
マスター名:茨木汀
シナリオ形態: ショート
危険 :相棒
難易度: 普通
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2010/08/01 06:47



■オープニング本文

 それは、子供たちにとっての日常だった。
「終わった! 遊ぼうトーワにぃ!」
 地面に習った字を繰り返し書いていた子供が、木の枝を放り出して言い放つ。
 他の子供もなんとか終わらせ、めいめい青年のまわりに集まった。
「影踏みしよう、トーワにぃ!」
「やだよぉ、トーワにぃはかくれんぼするんだい」
「高鬼がいいよ、トーワにぃ」
「じゃんけんでもして決めといで、みんなで遊ぼうな」
 子供たちに混じり、廃墟の縁側でひとりの青年が微笑んだ。わっ、とすぐさまじゃんけん大会が開催され、勝った負けた、ずるい後出し俺正義、とてんやわんわの大乱闘。ちょこん、と『トーワにぃ』のそばに座った、すこし年上の女の子だけがおとなしい。
「瑠衣奈ちゃんはなにかやりたい?」
 『トーワにぃ』は女の子に尋ねる。彼女は苦笑交じりに微笑んだ。
「ううん、見てるから」
 そう、と緩やかに頷く『トーワにぃ』、ほどなくして「影踏み決定!」と子供たちがまとまった。
 村からいくぶん離れたそこは、一度は田として開墾された荒地だ。なぜここが荒地なのか子供たちは知らないが、影踏みをするには広々として申し分ない。そばに小さな廃屋があるのも都合がいい。少なくとも子供と、その廃屋に住み着いた『トーワにぃ』にとっては。
 だから、それは彼らの日常だった。
 村の大人たちが、いつのまにか居ついた『トーワにぃ』を疎もうと。子供たちにとっては、それで構わなかった。

 数年後。
 瑠衣奈は年頃の娘へと成長していた。ちらほらと同年代の娘たちが嫁ぐ中、瑠衣奈はそれらしい話となるとやんわりと避け、あいまいに濁して答えることがない。
「ねぇ、川下のご長男は男前なのよ? しっかりしているし、あなたもそろそろ‥‥」
「そうね、素敵な殿方ね。でも母さん、そんなに焦ることでもないわ、大丈夫よ。今日はトーワにぃのところに行くね」
 ねじれたにんじんや小さすぎて売り物にならないじゃがいもを籠に詰め、瑠衣奈は家を出た。
 辿る道は慣れた道。子供のころからの通い路。すこし村から遠すぎるそこへ急ぐ。瑠衣奈にとっては、結婚など実感が湧かなかった。みんなでかくれんぼしていたい、大人になるのはよくわからなくて、怖い。幼稚だと言われようが、本音はそんなものだ。
 なのに、最近『トーワにぃ』はそっけない。
 子供たちが行ってもやんわり追い返されているようだし、瑠衣奈が食事を作りに行っても、家にさえ上げてもらえないことも少なくない。彼が妙に咳き込んでいたり、日に日に痩せていくのも心を騒がせる。なにもかもが不安だった。影踏みをしていたあのころに、じぃっと閉じこもってしまいたい。
 すこし震える手で、立て付けの悪い戸を開いた。すぅ、と息を吸い込む。
「トーワにぃ、わたし、瑠衣奈よ。ご飯を持ってきたわ、いいかげん食べて‥‥トーワにぃ?」
 玄関のすぐそこは囲炉裏。火は入っていない。『トーワにぃ』はこちらに背を向けていた。
「‥‥どうしたの、トーワにぃ?」
 草履を脱いで上がりこむ。そろり、そろりと近づいて、その肩に手を置いた。ゆっくりと振り向く『トーワにぃ』、よかった、嫌われてはいないみたい‥‥、ほっとしたのも束の間だった。
「え‥‥?」
 振り向いた『トーワにぃ』の瞳が、あきらかに不自然だった。濁っていて生気がない。ぬ、と彼の腕が伸びる。首筋に触れた。――冷たい。
「や‥‥!」
 反射的に動いただけだった。持っていた籠を投げつける。ばらばらと中身が転がり、その隙に瑠衣奈は逃げ出した。脱いだ草履もそのままに、裸足でひたすら走りとおす。尋常でない様子に田の中から声がかかるが、瑠衣奈はわき目も振らずに家へと飛び込んだ。家には誰もいない。怖くなって奥へ駆け込み、押入れの中、布団の隙間に潜り込む。ほどなくして、瑠衣奈の意識はぷっつりと途絶えた。

 瑠衣奈が押入れに隠れた頃、『トーワにぃ』だったモノは、瑠衣奈を探すように廃墟を出た。
 そして、翌朝。
 村まで出てきた『トーワにぃ』に声をかけた村人が、襲われた。
 そして、その村人も『トーワにぃ』と同じになった。
 更に三人の被害者が出たところで、目撃者が逃れ他の村人へ伝え、村は大恐慌に陥る。『トーワにぃ』たちは群れて動き、逃げ遅れた村人を次々と襲っていく。
 村を南北に分ける川の南へと一時避難し、橋を落として安全を確保したころには、更に十九人の被害者が出ていた。なんとか落ち着いたところで点呼を取り、アヤカシと化した人々を除いて数え――しかし何度数えても、一人足りなかった。


■参加者一覧
柊沢 霞澄(ia0067
17歳・女・巫
音有・兵真(ia0221
21歳・男・泰
鬼灯 仄(ia1257
35歳・男・サ
巴 渓(ia1334
25歳・女・泰
真珠朗(ia3553
27歳・男・泰
コルリス・フェネストラ(ia9657
19歳・女・弓
百々架(ib2570
17歳・女・志
アルマ・ムリフェイン(ib3629
17歳・男・吟


■リプレイ本文

「瑠衣奈ちゃん? ‥‥ああ、髪は黒くてこれくらいの長さ、あの日は‥‥一斤染の浴衣だったと思うな」
 アルマ・ムリフェイン(ib3629)が瑠衣奈の最終目撃者に尋ねたところ、返事はすぐ返ってきた。
 川を渡る準備を仲間がしている間にと、情報収集に着手したためである。同じく音有・兵真(ia0221)も瑠衣奈の容姿、そして村の簡易地図を作成しようと情報を集めたのだが‥‥。いかんせん、紙と墨がなかった。いや、村人に尋ねればあることにはあるのだろう。しかし墨を磨ってる時間もなければ、墨が乾くのを待つ時間もなさそうだった。幸か不幸か、集めた情報は少なく簡易なものである。じゅうぶん記憶していられる範囲だ。
 アルマと兵真が戻ると、川のそばでも思い思いの準備が進められていた。
 巴 渓(ia1334)が引き締まった腰に荒縄を結びつけ、もう一方の端を、木の幹へ結びつける。と、そこへ柊沢 霞澄(ia0067)が声をかけた。
「あの‥‥、巴さん、これもつけて頂いていいでしょうか‥‥」
「これか? 構わないが‥‥」
 渡された二本の縄もついでに結ぶ渓。
「ありがとうございます。三点支持にしたほうが、渡りやすいかと思って‥‥」
 霞澄の言葉に、渓は若干引っかかりを覚えた。三点支持とは読んで字のごとく、両手両足で身体を支え、手か足か、一本だけを離して次の足場を探す行動を指す。‥‥一般的に、崖のぼりの専門用語。
 落ちればたしかに崖を登るはめになるか、と、渓はさらりと疑問を流す。そして崖の端に立ち、瞬脚を発動させた。直後に踏み切る。渓の身体が大きく宙へと飛び出し――、
 渡りきる前に失速し、盛大な水しぶきが上がった。
「大丈夫!?」
 心配した面々が崖から覗き込む。しかしそのときにはもう渓は起き上がり、ひらりと片手を振って無事を伝えた。
 どうやら瞬脚で跳躍力を伸ばすことはできないようだ。移動限定の効果なのだろう。落ちたものはしかたがないし、落ちた拍子につけてしまった怪我はさっさと生命波動で治す。川を進んで対岸の崖を見上げた。思い切り垂直。登れるだろうが、少しばかり骨が折れそうだ。
 しかしやらなければ進まない。取り掛かろうと手をかけたところで、はらりと上から縄が垂れてきた。続いて後ろで大きな水音。振り返ると、真珠朗(ia3553)がばしゃばしゃと水音を立てて渡ってきた。彼は渓と同じく対岸にたどり着くと、垂れた縄を取る。二、三度引っ張って確認すると、そのままスルスル登っていった。
 苦無に縄をくくり、投げて木に巻きつけたようだった。
「借りるぜ」
「ええ、どうぞ」
 渓もそれを登り終えると、対岸の木に縄を固定した。橋のかわりに、ぴんと縄が張られる。確かに縄が渡ったことを確認すると、次々と残った面々がぶら下がって渡ってきた。渓と真珠朗は濡れてしまったが、この日差しだ。じき乾くことだろう。

 村は、閑散としていた。
 畑のそばに投げ出された農具。放置された荷車。束ねられた青菜が、からからに干からびているのもあった。
「‥‥いないね」
 ぽつり、とアルマが呟く。すぐに霞澄とコルリス・フェネストラ(ia9657)が、スキルを使ってアヤカシを探した。
「いました。瘴索結界ぎりぎりのところに‥‥、二体。あの小屋の裏です‥‥」
「私も見つけました。同じ方向です。もっと遠くにも‥‥十五はいますね」
 鏡弦を使ったコルリスは、詳細な情報こそわからないが――調べられる範囲が桁違いだった。
「どこか、村はずれにおびき出したいんだけど‥‥怪の遠吠えを使うからさ」
「どこか‥‥、あ。たぶん北のほうに、荒地がある。廃屋しかないはずだ」
 村人から大まかな村の地理を聞いていた兵真が、脳裏から情報を引っ張り出した。瑠衣奈の所在に気をとられていたのか、アヤカシの誘き寄せに適用するのを忘れていたようだ。その様子に気付いたのか、コルリスも口を開く。
「アヤカシを退治した後行方不明者を探す、という流れでよろしいでしょうか?」
「あたしはそのつもりだったけど‥‥」
 百々架(ib2570)が肯定する。だいたいの面々は同じつもりだったようだ。特別に反対意見もない。決まりでいいだろう。
 北へ移動すると、兵真の言ったとおりに荒地があった。畦があるので、一度は田畑として開墾されたのだろう。充分な広さもある。
「じゃあ、始めるよ」

――‥‥

 人の耳には聞こえない、その音色が響いた。アルマの奏でるそれは、村の広域へ広がる。霞澄とコルリス、そして後衛を背にして渓、兵真、鬼灯 仄(ia1257)がそこで待つ。
 他方、真珠朗と百々架はまだ村にいた。霞澄の言っていた小屋の陰から見ると、そばに二体。もっと奥の小道を通る影もある。
「敵の知能自体も低そうですし、生きてる人間がいる事を派手にあぴーるしていきますかね」
 真珠朗の言葉に、百々架も頷き、飛び出す。
 屍人は顔を上げた。死後三日目、目に見えた大きな腐敗はないようだが――、どろりと濁った目だけは隠しようもない。それらが我先にと群がってくる。しかし、出てきたのは四体だけ。
「‥‥これだけなの?」
「もっとあぴーるが必要ですかね‥‥」
 考えつつ、走り出す真珠朗。
「鬼さ〜んこちら、手のなる方へっ」
 鬼ごっこを模して百々架も走る。特別な作戦は考えていなかったが、もっと遠くにいる、と言っていたコルリスの言葉を頼りに、数を集めにかかった。
 やがて――。
「そろそろよさそうね‥‥!」
 背後から迫るアヤカシの攻撃をひらり、ひらりとかわしつつ、百々架は走る。
 怪の遠吠えにつられたのか、走り回る二人に気付いたのか、みるみる追いかけてくるアヤカシは急増した。振り返ると死体が二桁を超えてついてくる。
 北へと進路を変えて走る二人。脱落者なくきっちり追いかけてくるアヤカシ。やがて景色が変わり、寂れた雰囲気が一層強まり――荒地へ出た。

「朧!」
 ひゅんっ、と風を切る音。百々架の脇をすり抜けて、矢がアヤカシの頭を打ち抜いた。ぐら、とその身体が傾き、重い音を立てて倒れた。もはやぴくりとも動かない。
 やってくるのを鏡弦で把握していた、コルリスの放ったものだ。距離のあるところを、鷹の目で補っての攻撃だった。
 仲間が倒れてもアヤカシに怯む様子はなく、荒地の中ほどに到達する。
 そこで攻撃に転じたのは真珠朗だった。手近なアヤカシに空気撃を放つ。もろに食らったアヤカシが倒れ、そばにいた別のを巻き込んで転倒する。すぐに渓が踏み込んだ。真紅の篭手をはめた拳が唸り、手近な一体を打ち倒す。大きく吹っ飛ばされたそれは――立ち上がることは、なかった。
 巫女ではあるが、前衛を買って出た仄は刀を携えていた。それは紅い燐光を纏う。
 頭を狙った一撃は、浅く皮膚を薙いだだけ。返す刀でもう一撃。――わりと深かったはずなのに、まだ倒れない。逆に受けた攻撃を、身体を反らして外した。
「痛みで退かないなら、砕くしかなかろう」
 それの行動を妨害し、破壊するように――、兵真の振るった八尺棍が目前のアヤカシをぶち抜いた。が――。
 腹に大穴を空けておきながら、あたりまえのように立ち上がって向かい来るアヤカシ。
「もらうわ!」
 そこへ、ざんっ、と二本の剣が追い討ちをかける。充分なダメージが通ったのか、それはようやく動かなくなった。
「五体――、こちらへ向かっています! 気をつけてください!」
「真珠朗さん、後ろ! 百々架ちゃん、囲まれる! 下がって!!」
 コルリスが、まだ来るアヤカシの数を鏡弦で把握して注意を促す。数が多すぎ、乱戦の様相を呈してきた。囲まれないように、と気をつけていた者もいた。いたのだが――、なにぶんお互いそれぞれに動くものだから、戦列が乱れに乱れるのだ。アヤカシの数が多いのも一因だろう。はじめから戦いは他のメンバーへ任せる気だったアルマは、状況を見て注意を促す。
 負傷の度合いを見ていた霞澄は、まだ閃癒を控えていた。
 乱戦模様がいかにも派手なので錯覚しそうになるのだが、鍛えた開拓者たちに当たる攻撃はわりと少ない。多少当たってもちょっとした怪我、の範囲内。
 大丈夫そうですね‥‥、と戦局を見守り、前衛を突き抜けてきたものに白霊弾を打ち込んだ。

 百々架の炎を纏った剣が最後の一体を切り裂く。
「これでおしまいね。撃ちもらしはないかしら」
 仄が倒したアヤカシの数を数えた。
「二十四‥‥と。大丈夫そうだな」
 撃ち零しはない。ここでうっかり一体でも逃げたものがいたら、村人が村に戻ったときが大惨事。間違いなく全部倒したことを確認した。
 一方霞澄は、そばにあった廃屋に入った。外観のとおりに痛んだ内装。ただ、廃屋というにはそこかしこに生活の痕跡が見える。兵真の話では、ここが村の余所者の家だという。
 遺書があるかも、とあちこち開けてみる。粗末な書き物机の引き出しに、紙束の閉じられたものが見つかった。
 ぱらり、と開く。綴られた日付と出来事。――日記帳だ。日付は飛び飛びではあるが。
 書いてあったのは、彼の名前。弟がいたこと。商家に生まれたこと。彼は病弱ゆえに弟が重んじられ、家督のために家を追われたこと。村には馴染めないが、できることがあって幸せなこと。そして、最後の日付は五日前。
『なにかの病気だろうな。無理がきかなくなってきた。瑠衣奈ちゃん、そろそろ感づきそうだよね。
 願わくば、僕が死ぬのが先でありますように。あの子は無理をしても薬代を工面しかねなくて、心配だ』
 それだけだった。
 霞澄はそれをどうするか迷った末、そっと持ち出した。

 一方、残りの面々は兵真と仄が中心となって瑠衣奈を探しに出た。
 彼女の自宅から探し始める。戸を開き、中に上がって呼びまわる。
「瑠衣奈、いないか」
「だ‥‥れ‥‥?」
 仄の何度目かの呼びかけに、返るか細い声。
 家の中には誰も居ない。誰も居ないが、声はした。――押入れから。
 すぱん、とふすまを開ける。布団の間から、黒い髪がはみ出ていた。
「あんたが瑠衣奈、だな?」
 布団を押し上げて瑠衣奈の身体を引っ張り出す。飲まず食わずに動かずも入って、自力で出て来れそうもないのだ。
「あの‥‥?」
 戸惑う瑠衣奈にとりあえず神風恩寵をかける。ところどころ、擦り剥いていたりした傷が消えた。
「おい、皆。こっちにいた」
「ほんと!? ああ、ほんとだ、よかった‥‥、干飯と岩清水、口に入れられる?」
 まずは瑠衣奈の胃袋、と思った面々は少なくない。アルマに続きコルリスも岩清水を出し、百々架は台所を拝借して作った芋幹縄で作った味噌汁を出した。
「お味噌汁作ったんだけど‥‥食べれる?」
「‥‥具がいっぱい‥‥すごい‥‥」
 絶食した直後に、いきなり胃にものを入れるのはよくない。それを知ってか知らずか、瑠衣奈はまずゆっくりと岩清水だけを飲んだ。落ち着いてから、時間をかけて箸を進める。それでも、食べた量は少なかった。元より質素な食生活のためかもしれない。
「僕は瑠衣奈ちゃんの話が、聞きたいな。
 混乱してても、言葉にして伝えてみて。僕が聞く。
 どんな気持でも良いよ。君なら向き合えるから、‥‥大丈夫」
 話を聞きだすアルマに、瑠衣奈はつっかえつっかえ、昼食を作りに『トーワにぃ』の元へ行ったこと、‥‥彼の目を見て、逃げたことを話した。
 長くはないその話。聞き終えて、コルリスは慎重に切り出した。
「村から逃げず、村人達に謝罪して回るのがベターと思います」
「逃げる‥‥?」
 真っ先に逃げ出したせいで、この娘は村の有様を知らないのだろう。酷かもな、と思いつつ、二十四名の死者が出ていることを話した。
「知らせなかったことで犠牲が増えたのは事実。
 嘘を重ねて村に残っても辛いんじゃねえかね。
 伝手を頼って街に出て働くってのも心機一転ってことでいいと思うがね」
「村を‥‥? わた、し‥‥」
「まぁ‥‥諸悪の根源を辿れば、アヤカシなんだよ。‥‥ね?」
 アルマのフォローの言葉にも、瑠衣奈はうつむいた。最終的な判断は任せるべきだ、と一線を引いたコルリスはそれ以上口を開かない。
「「想い出」は、たいてい綺麗で。だが「過去」もそうだとは限らない」
 真珠朗の言葉に、瑠衣奈はくしゃりと顔をゆがめた。
「皆には‥‥謝りたい。でも、わたし‥‥、あわせる顔なんて」
 この後のことに気を揉んでいた百々架。かつて迫害された記憶のある彼女は、このまま村に留まれば瑠衣奈が暴力を受けるのではと、心配していた。なまじ体験しているだけに。
「ついていってあげましょうか? 危なければ、守るわ。あたしは‥‥慣れているから」
「ありがとう、ございます‥‥でも、村八分だと‥‥思います」
 うなだれる瑠衣奈を見届けた兵真と渓は、先ほど渡ってきた川を同じように戻った。兵真は村長だけとまず話す。
 瑠衣奈が助かったこと。瑠衣奈が、第一発見者だったこと。それから、アヤカシ化した人々を火葬したあとに埋めたいこと。
 ひどく複雑そうに、村長は顔を歪めた。これは良くないかもな、と判断する。
「埋葬に関しては、構いません。最後に会いたい者だけ、会わせていただければ。
 瑠衣奈については‥‥ありがとうございます。どうするかは、皆と決めねば」
 渓が一万文を出す、と言った。それだけあれば村人も黙るだろうと。しかし、村長はその申し出を‥‥喜びつつも、断った。その金を、争いなく皆に分配できるとは思えない、金があっても納得できない者も多いだろう、しかも成人した娘のやらかしたことだ、と。
 できる限り配慮はしますと、村長は頭を下げた。

 橋をかけるには数日がかりになる上、崖の上り下りのできる村人は限られる。縄を渡るのは難しすぎて無理だ。そのため、埋葬に参加できたのは主に若者、壮年の男たちだった。
 燃やして、掘って、埋める。
 それだけを執り行い、終わった。永久の遺体も同じく埋めて、霞澄は日記を瑠衣奈に渡した。
「生き延びたその命で村に残るか出て行くか決める事が出来るのは、自分自身だけだ」
 兵真の告げた言葉に、瑠衣奈は頷いた。皆の配慮で落ち着きを取り戻したのか、しっかりと。
 ひと段落してから、彼女は荷物をまとめ、自分のしたことと謝罪の旨を手紙に書き置き、日記を抱いて村を出た。
 逃げではないかと不安がりながら、新しい一歩なのだと言い聞かせて。