花殺
マスター名:茨木汀
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: 普通
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2011/06/30 06:39



■オープニング本文

 雨が降る。傘をさす。夜が明けて朝になる。
 ぎしり、池の上。軋む橋を歩く。ざあざあと音がする。
 雨が降る。跳ね返って足首まで飛び散る。冷たい感触、水の音。きれいだと言ってくれた、黒地に菖蒲を描いた着物の裾が濡れる。
 林の手前まで広がる花菖蒲の紫色が、けぶるように咲き誇る。
 鮮やかな新緑。まっすぐ空へと開く紫。打ち付ける雨をただ忍ぶ。
 ぱし、ぱしゃ、音を立ててその中を歩く。くるり、重い和傘を回した。とまっていた雨粒が、ぱっと四方に飛んでいく。
 ため息をついて、くるり、傘を回した。雨粒は飛んでいき、花菖蒲の咲き誇るどこかへ消えていく。
「‥‥来ない、んだろうな」
 ぽつり、呟いた言葉が震えた。むなしく雨音にかき消されて、誰に届くこともない。
 親のゆるさぬ仲だから、駆け落ちをしよう。そう言ったやさしい人は、やさしさの分だけ甘い人でもあったから。やさしすぎたから、きっと、本音なんて言ってくれない。こんな終わりを、少女はたぶん、ずっと予感していた。
 くるり、傘を回す。空はもうすっかり明るくて、約束の真夜中をあまりにも過ぎていた。
 さよなら。音を紡がず、吐息だけで別れを告げた。

「あや! いないのか、あや!」
「だめ、そう君。家にもいない‥‥!」
 泣きそうな顔の幼馴染が、あやめの家から出てくる。幼馴染の美春だった。
「‥‥っ」
「心当たりないの‥‥?」
「‥‥ない」
「そう‥‥」
 嘘だった。
 いやというほどある心当たり。夕べの約束。――もとより、守るつもりのなかった約束。
「っ‥‥」
 別れよう、そのひとことが言えなくて。言わなくても、わかってくれるだろう――そんな、方法を選んだ。
「あやちゃん、どこ行っちゃったんだろう‥‥」
 途方にくれたような美春の声。雨が降る。やまない雨音、水の気配。
 肺の奥まで湿気た空気が満たしていく。
「‥‥他を、探そう‥‥」
 ただ罪悪感だけで、足を動かした。

 くるり、傘を回す。雨音が途切れることなく鼓膜を打つ。まるで自分まで雨粒のようにとけあって流れていきそうだ。そんな幻を脳裏に描いて微笑んだ。
 つらいつらい、と心は文句を言ってくる。大丈夫、となだめているのに、どうも納得してくれない。
 しかたがない、のだろう。つらいのだ。今は。
「どうにもならない、けど」
 悲しい悲しい、気持ちが揺れる。心のままに林を歩く。足は泥にまみれて、でもこのまま緑に埋もれて消えてしまいたい。
 彼が自分を見ていないのは知っていた。きっといつかは振り向いてくれると。
(みっともなかった、のかなぁ‥‥)
 くるり、傘を回して。飛んでいく雨粒みたいに、陰も形もなくなってしまえばいいのに。この気持ちごと全部。
 ため息をついた。肺から空気を吐き出して。
 ふと、唐突に生まれた目前の黒い影。
「――え?」
 ばくり。音が、した。

「待ってくれ、美春。さすがに林は‥‥」
「だってっ‥‥、あやちゃん、泣いてたらどうするの!?」
 約束の菖蒲園の向こうの林。深いわけではないが、天気の悪い日に入るのは躊躇われる。
「けど‥‥」
「けどじゃないよ! そう君は心配じゃないの!?」
「あやめもだけど、君だって心配‥‥」
「――もういいっ!」
 荒げられた声に肩が跳ねる。泣きそうな顔をした、美春。息を切らせて肩を怒らせて。
「もういい、あたし探しに行くから!」
「待っ‥‥」
「ついてこないで! もう帰ればいいじゃない!
 昔っからあやちゃんにばっかり冷たくして! やっと結婚するのかなって思ったら、なによ、なんであやちゃんだけいなくなるわけ!?」
 伸ばした腕が空を切る。荒い呼吸音を耳が拾う。きっと、次の決定的な言葉も拾うのだろう。
「夕べの約束だってすっぽかして! 信じられない!」
 ――ほら、やっぱり拾ってしまった。
 背中を向けて駆け出す美春。林の中に消えていく、赤い傘。
 くしゃり、前髪を握った。
 結婚相手があやめだろうと美春だろうと、きっと自分の親は納得しない。それなら気持ちを寄せてくれるあやめのほうが、と、思っていたけれど。
 美春に傾いた天秤は戻らなかった。それだけだった。
「‥‥僕の。せいだよ、な‥‥。全部」
 気持ちを振り絞る、心を奮い立たせる。
 怒られてはじめて向き合う気になるなんて。苦笑しつつ、林に向かった。
(謝ろう。全部、話して‥‥、傷つけるだろうけど、また)
 けれど三人の幼馴染が林から出てくることは、なかった。

「なんということだ!」
 いらいらとした表情を隠しもせず、男は言う。
「宗谷がいないだと。まったくあやつは! だからつきあう友は選べと、あれほど!
 市井の娘のひとりやふたり、知ったことではないが‥‥、ちっ」
「旦那様、お出かけの準備が整いました」
「あとを任せる!」
 男はギルドへと、向かった。

 辟易とした顔の受付嬢が、依頼の説明をしていた。
「行方不明者の捜索です。‥‥状況的に、既に生きていない可能性があるんですよね‥‥、最悪、アヤカシがいることも考慮してください。
 また、既に死亡している場合、直接遺族に報告しないほうがいいかもしれません。‥‥その、少々‥‥気位の高い依頼主でしたから。
 その場合、遺体などが見つかるようであれば、町長へ渡してくだされば結構です。帰りにギルドに報告して頂ければ、依頼主へは私どもで報告しますので」
 苦りきった顔で、受付嬢は注意を促した。


■参加者一覧
尾鷲 アスマ(ia0892
25歳・男・サ
喪越(ia1670
33歳・男・陰
カトレア(ib0044
23歳・女・魔
カーター・ヘイウッド(ib0469
27歳・男・サ
白藤(ib2527
22歳・女・弓
リリア・ローラント(ib3628
17歳・女・魔
カチェ・ロール(ib6605
11歳・女・砂
ナキ=シャラーラ(ib7034
10歳・女・吟


■リプレイ本文

 空は鈍色。雨は銀粒。雨の香りと土の匂い。金の瞳に映る町は、ひどく沈んだように。
「‥‥雨。止みそうに、ありませんね」
 ぽつり、リリア・ローラント(ib3628)の唇から言葉がこぼれた。
「‥‥2人が居なくなって1日‥‥ですっけ?
 ――アヤカシが居るなら‥‥最悪の可能性も考えないと‥‥ですねぇ」
 もしもの時には、せめて。遺品だけはと、白藤(ib2527)は思う。
「‥‥どうして、いなくなっちゃったのでしょうか‥‥」
「――まだ見つからないんでしょう?」
 人気のない町中で聞こえたのは、リリアと似た年頃の少女たちだった。
「心配だね‥‥、春も‥‥」
「あや‥‥、朝にはいなかったって? 何してるのよ、あの子‥‥」
「おばさまも全然‥‥わからないって」
 鮮やかな傘とすれ違う。
(こんな雨の中。‥‥あやめさんは、真夜中に、外に出たという事?
 誰にも気づかれないように。ひとりで)
 雨粒が跳ね返って足を濡らす。ほんの少しずつ、体温が下がっていった。

「天儀は季節ごとに、たくさん綺麗な物があるんですね」
 雪が吹雪き桜が咲き、雨の滴る菖蒲園がある。故郷とはずいぶんと違う土地だった。ずいぶんと違うけれど、綺麗だとカチェ・ロール(ib6605)は思った。
 本当は、仕事ではなく。ただこの雨の景色を、紫の花を楽しめればよかったと思う。
「無事に見つかると、良いのですけど」
 覚悟をしながらも、探す。ざあざあと降る雨。ぱしぱしと水の張った地面を歩く。人気のない菖蒲園。
「どこかで雨宿りしてないでしょうか」
 小さな東屋で、人影がないのを確かめた。少女たちがのどかに雨宿りをして、それを見つけて‥‥、そうであれば、どれほど幸いだっただろうか。
 人のいない東屋は、やけにがらんとしていた。
 東屋に向かったカチェとは異なり、周囲の捜索に回ったのはナキ=シャラーラ(ib7034)だった。
「行方不明か‥‥。
 ま、よくある事だな」
 生き延びてきた――たぶん、育ったなんて受身的な人生歩いてはいないだろう――環境上、ナキはすこし、すれたような言い方をする。けれど意識は高く、三 人の名を呼んで探した。ひらひらと鮮やかなバラージドレス。菖蒲園を飛ぶ蝶にも見える。蝶は探す。あやめを探す。紫の植物だけが広がっていて、目当ての花 は見つからない。

 喪越(ia1670)は空を見上げた。皮膚に打ち付ける雫の感触。水を吸い込んでいく髪。
「‥‥鬱陶しい雨だな。今日はどこの誰の涙雨だというのか」
 空は言葉を返さない。打ち付ける雨音だけが鼓膜を震わせる。黒い髪がなお黒く、無地の外套が色を濃くしていく。些細な雨なら弾くだろうが、この雨はすこし、強い。
「今日も今日とて浮世は怨嗟の声に満ちれども、さりとて常世に旅立つ度胸も無し。恨めしきは弱小なる人の身と心の在り方よ。――行くか。新たな哀しみを墓穴に弔う為に」
 から、ころ。下駄の音にあわせて、ばしゃばしゃと水が跳ねる。そしてぎしりと軋む橋。念のため、仲間を下がらせた。それから人魂で、小さな魚を泳がせる。人魂と共有した喪越の視界を、鮮やかな橙色の影が過ぎった。鯉だろう。何匹か泳いでいる。
 他に見えるものといえば、水草のようなもの、だろうか。ゆらゆらと細い緑色のものが揺れている。水中では輪郭がぼやけて見えるので、細部の判断は難しい。――とはいえ、人のようなものはいなかった。

「普通の道とか菖蒲園はいいけどねえ、林はちょっと‥‥」
 もっと歩きやすい格好の方がよかったかしら。カトレア(ib0044)はひとり、ぼやいた。かつ、かつり。いつもより靴音が鈍く聞こえるのは、橋の上の水のせいだろうか。華奢なヒールの踵を鳴らす。細い足首に水滴が飛び散る。
「ま、でも多少の困難より見た目が優先されるわよね」
 それでも躊躇わず、林に向かう。
「林は入り組んでいると言うけれど、歩くにあたってわざわざ変な道を選ぶとは思えないのよね。獣道かもしれないけど基本的には道なりを探すっていうのが良いのじゃないかと思うんだけど」
「地図を頂いてきました。不完全だそうですが‥‥」
 白藤は一枚を別班になる喪越に渡し、もう一枚を広げた。それは町の人間が数人で書いてくれたものだ。地図はなかったが、内部を知る人間は多かった。
 それから、白藤は鏡弦を使う。反応はない。とはいえ‥‥。
「――アヤカシがいたら‥‥アヤカシの殲滅に切替えた方が良いですよね‥‥」
 弓を下ろし、林に踏み込む。リリアは木の枝に、色の明るい端切れを結びつけた。
(‥‥あやめさん達がもし、迷っているなら。これに気付いて、辿って帰れるかな‥‥)
 結びつけた手から雨水が滴る。指先が冷えていく。
(‥‥不明者は男が1、女が2。
 さて、何があったやら‥‥)
 鉄傘に雨粒が落ちる音。傘の下、尾鷲 アスマ(ia0892)は銀の瞳を地面に落とす。踏み均された獣道。足元、陰、人影‥‥。探す視界に映る不自然な道。
 雨でぬかるんだ柔らかな地面に残る、足跡。とはいえそれは薄い。人の体重をかけられて固くへこんだその部分も、雨が柔らかく緩ませている。見ようと意識しなければ、見落としかねない痕跡だ。
 同じく、転倒防止と痕跡探しに注意していたカチェも気づいた。少し辿ると足跡が分岐している。青と銀の瞳がかち合った。
「では、カチェたちは左に行きます」
「私たちは右に行こう」
 半分に班分け、とはいえ人数が奇数なので、カチェたちが三人の班になって分かれる。
「あやめさん、美春さん、宗谷さん。居たら返事して下さい」
 声を上げてカチェは探す。林の中に響く声。雨音が邪魔して遠くまでは届かないのが、わかった。
「あやめさん――」
 繰り返し呼びかける。足を泥にとられないよう、進む。変わらない林の風景が続いて。
「居たら返事して下さい」
 ざあざあ。雨ばかり。足が泥にめり込む。声を上げる。痕跡を探し、微かな足跡を辿る。
 頃合を見て、喪越は人魂を飛ばして位置を確認、捜索範囲を均等にしていく。ナキが枝に目立つ紐を結びつける。紐と端切れは印象が違うから、混合することは少ないだろう。
 そしてまた足を踏み出す。ずぶり、泥に沈む感触。それでも先を、急いだ。

 甲班ではそれと出くわすなり、すいとアスマが隼人を使い前衛に出た。鉄傘を頭上からおろして盾のように持ち、その影で太刀を鞘走らせる。見る間に雨がアスマに注ぎ、髪に肩、服を重く湿らせた。
 ぬかるんだ地面を蹴る。若干動きにくいが、伸びてきたカエルの舌を切り払って肉薄。太刀に練力を纏わせ、本体を切断。返す刀でもう一体を切り伏せる。
「カエルよね、あれは。
 飲み込めるものを何でも食べるって言うけどあれなら人間くらい丸呑みするかもしれないわね」
 カトレアは冷静に呟きつつ、アイヴィーバインドを放った。緑色の巨体を絡め取り、サンダーを撃つ。
「気持ち悪いですねぇ‥‥大きくなると」
 弓を引き絞り、狙いをつける。強射「朔月」が、アイヴィーバインドで拘束されたカエルの背後を射抜いた。
 ウィンドカッターが林の中を突き抜ける。緑の中に紛れていた一体が慌てて飛び出してきた。
 咄嗟に放たれた矢と雷の一撃が、それを消し去る。蔦に絡まったままの一匹をアスマが断ち切った。静かになった林の中で、白藤が弦を弾く。
「‥‥このあたりにはいません。向こうに何体かいます」
「‥‥襲われてないですよね? だいじょぶ、ですよね‥‥?」
 リリアの問いにざあざあと、雨ばかりが主張した。

 同じころ。乙班もカエルに遭遇していた。
「おっきな口です。カチェも一口で食べられてしまいそうです」
 さすがに開拓者を一飲みにできはしないだろうが、絵的に考えればカチェのように小さな少女は丸呑みにされそうだ。伸ばされた舌を避け、アサドを振るう。
「糞蛙が! んなとろくせぇ攻撃が当たっかよ! ボケ!」
 悪態をつきつつ、伸びた舌を翻す。のそりと出てきた一体の奥からまた一体、シナグ・カルペーを使った。カチェの死角をカバーしつつ、背後の喪越を意識して戦う。ぐっと距離を詰めるカチェ。カエルの皮膚を切りつける。隙を見てナキも同じ一匹に拳を叩き込んだ。
 妙に柔らかく、ぬるりとした手応え。間髪入れず襲ってきたもう一体の攻撃をかわし、手近な木につかまって体勢を維持する。
「ちっ‥‥、そっちは任せるぜ!」
「すぐに倒します」
 ナキはもう一体の攻撃を翻し、カチェから意識を反らさせた。
 そして道の脇からもう一体、姿を見せる。その近くに、鮮やかな紫色の傘が転がっていた。
「殺生はあまり好かん。だが」
 脇から伸びた舌を、槍で弾く喪越。正体不明の肉塊を呼び出した。漂う腐臭、不気味な鳴き声。
 それは喪越の意識が向けられた側面の一匹を、喰った。
「貴様等が彼等を喰らったのが自然の摂理ならば、これもまた当然の流れというものだ」
 消えるカエルの姿をしたもの。続けてナキの相手取る一匹に意識を向ける。混沌の使い魔が飛ぶ。アヤカシが式に喰われる。
 ざむっ。
 最後にカチェが、自分の相対したものを切り捨てた。

 開拓者たちが見つけたのは、三本の傘と片方だけの草履だった。
 血も争った形跡も、逃げ出した痕跡もない。人間の足跡はアヤカシのいるあたりで、ぱたりと途切れて消えていた。
 納得ができずにファイヤーボールを作り、茂みの中を照らそうとするリリア。けれど火は、瞬く間に消えた。雨のせいではないだろう。放たれない魔法の炎は、手の中で明かりにもならずに消えてしまった。
 泥の中から草履を拾い上げる。大人びた少女を連想させる、紫の鼻緒。その泥を拭き取って、リリアは丁重に抱きかかえた。
 生まれる微かな諦め。
 ――まだ探せる。生きている。
 心は納得していない。
 打ち切りたくない。
 ――辛い。
 揺れる少女のために、アスマは暫し待つ。細い肩を見下ろして、じっと。
 ざあざあと、雨の音。肺を満たす湿気。戦う際に濡れた肩が冷えていく。
 充分待ち、それから、アスマはリリアを引きずるように歩かせた。よろめくように一瞬体性を崩し、反射的にリリアは足を踏み出す。
「下を向くのは構わぬが、躓く為に俯いたのでは無かろう」
 励ましは知らない。無理に歩かせる。迷うように自ら歩き出したとき、彼はその手を放した。
(‥‥足が、重い)
 気づけば町へ戻っていた。依頼人に会う者と、会わない者とが分かれる。
「私はいいわ。ろくな事にならなそうだし。
 見つけるまで帰ってくるなとか言われても困るし。
 ‥‥それで生き返るわけでもないしね」
 カトレアは泥に汚れた足を気にしながら、帰路へとつく。カチェとナキも会いはせず、喪越はいつのまにか、そこにいなかった。
「‥‥リリア嬢、御覚悟は?」
 茶化しを交えて、確認をした。アスマなりの気遣いだった。頷く少女。白藤も二人と共に屋敷に向かう。
 そこで使用人に話を通すと、すぐに依頼人がやってきた。
「‥‥宗谷はどこだ」
 彼の視線を遮るよう、アスマは前へ出た。それから、事実を告げる。リリアが丁寧に、あったことをすべて伝えるように補足した。
「死んだ‥‥? 証拠は!?」
 その目が、リリアの抱える傘に目を留める。苔色のそれは、覚えがあったのだろう。紫の傘と桜色の傘も。握った拳が震える。唇が戦慄く。怒りと絶望に目が染まる。
「あの娘どもっ‥‥! あの娘どもか、厚かましくも宗谷を連れまわし、挙句に死なせたのか!!」
 大声に大気が震える。
「死ぬのならひとりで死ねば良かったのだ、宗谷が死ぬ必要などなにもなかった‥‥! 宗谷は幸せになるべきだった。私の跡を継ぐ者だった。美春など忘れて、あやめなど振り切って! まともな女を娶らせる。そうさせるべきだった!!」
「二人の事をどう思おうと勝手です」
 静かに。白藤が言葉を返す。
「――けど罪も無い人が亡くなったんです。それを‥‥二人を冒涜する事は絶対に許さない」
「罪もない‥‥? 罪もない宗谷を巻き込んでおきながら‥‥罪がないだとっ‥‥!」
 踏み込もうとした依頼主を、間に立っていたアスマが押し留めた。
「私が、承ります。
 ギルドへの伝言も含め、どうぞ」
 淡々と告げる。ぎりぎりと奥歯を噛み締める音が聞こえた。
「遺体も。‥‥ないの、か」
 リリアが頷く。震える腕が少女に伸ばされた。苔色の傘を、その手に渡す。
「もう良い。‥‥行け!」
 ひったくるように受け取ると、彼は家の中に入っていく。
 菖蒲園に白藤は戻った。変わらずに降る雨の中、菖蒲の花を切り取る。雫のついた花菖蒲を束ね、花束を作った。
「花菖蒲の花言葉は嬉しい知らせ・優しさ・伝言‥‥。――相手が何を思ってるかなんて口にしないと分からないのに‥‥」
 雨が降る。雨が降る、降る。
 腕に抱えた花菖蒲の花束が、雫を滴らせていた。

 ナキは依頼主には会いに行かなかったけれど、代わりにあやめと美春の関係者を訪ねた。見つけられなかったことを詫びると、友人らしき少女たちは寂しそうに首を振る。しかたのないことだから、と。
「あの三人のこと‥‥? あやと宗谷さんが付き合ってた、と思うわ。春と三人、幼馴染ね。私たちはあやや春とは仲いいけど‥‥、宗谷さんと仲良くすると、旦那様から睨まれるから」
「え? あたし、宗谷君は美春が好きだと思ってたけど。違ったの?」
「ええ? 美春にその気はないはずだけど。あの子、ちょっと鈍い子だったし‥‥。
 あ、ごめんね。なんだかよくわからなくて」
 でも話に来てくれてありがとう、と、少女はナキの髪についていた葉を払う。戦ったときにでもついたのだろう。ひらり、金色の髪から地面に落ちて、雨に打たれた。
(‥‥女が男に振り回されるのも、アヤカシに人が喰われるのもよくあるこった。
 だが‥‥やりきれねーなあ)
 少女たちの元を辞す。濡れた地面を歩き出す。
(どうしてかな、こんな時は。無性にあの女のツラが見たくなる。
 そういやあいつだけだったな。
 野良犬みてーに地べた這いずり回って生きてたあたしの目を、真っ直ぐ見てくれたのは)
 水浸しの道を踏んで。
(‥‥また襲撃しに行くかな)
 鈍色の空の下、金色の髪が翻った。

 打ち付ける雨の感触。泣き止まない空。泣いている泣いている、泣いている。肩に頬に髪に身体に雨が。
「全ては諸行無常。喜びも悲しみも偽りの幻に過ぎぬ。
 そう悟るのが賢く生きる道よ。――――!」
 力任せに打ち付けた拳。じん、と走る痛み。
 何とも言えない表情で、喪越は踵を返した。

 受付嬢は報告を聞き、寂しげな笑みを浮かべた。
「そうですか‥‥。お疲れ様でした。大変でしたでしょう。
 熱いお茶を、飲んでいかれてはどうです。ずいぶん‥‥冷えたでしょうから」
 花菖蒲、花殺、はなあやめ。咲いて散って、林の奥に。
 雨に打たれた花束が、北の林に捧げられていた。