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■オープニング本文 桜が咲いた。 手紙が届いた。 白は消えていた。 「うわ‥‥、すごい、ですね」 思わず声が漏れた。ざわ、風が吹く。 あふれるように桜は散る。踊るように空を舞う。堰を切ったかのように、あらゆる花が咲き乱れていた。眩暈がするような色彩の洪水。甘い香りの風が吹く。手紙で呼び出されたと思ったら、そこはいつのまにか、銀世界から春爛漫の鮮やかな世界へ変貌を遂げていた。 「雪が溶けましたから」 折り紙を抱え、十瀬はゆるく笑んだ。疲れが滲んでいたが、以前のように気持ちを置き去りにした表情ではなかった。 「なんだか‥‥、ずいぶん、多くないですか」 桜が舞う。沈丁花の甘ったるい香り。足元にそよぐオオイヌノフグリ、菫。燃えるような黄色い連翹。雪柳が白い小花をたくさんにつけて枝を垂れ、木瓜はどこか硬質に感じる花を咲かせていた。 他にも九夜の知らない花たちが、長い冬に耐えかねたように花開かせていた。 「もっと暖かいところだと、もっとゆっくり花は咲くと聞いています。 でも、ここは春が短いから。順番に咲いていられるほど、余裕がないんじゃないでしょうか」 雪国の冬は厳しいが、春は驚くほど賑やかだった。あれだけの雪が嘘のようにも思える。 野菜の種と鍬を抱えて走る子供とすれ違う。 「十瀬姉ー、提灯足りねぇってかーちゃん言ってたぞー」 「ええ? じゃあ、探してこなくちゃ」 「手伝いましょうか」 「あ、‥‥すみません。九夜さん、お客さまなのに」 済まなそうに眉尻を下げる十瀬に、気にしないで、とだけ告げて手伝った。 明日は花見で、明日は桜の散るだろう日で、明日は、葬送と鎮魂の祭りの日だった。 「お花見のお誘いを‥‥、したいと思っております」 九夜がギルドを訪れたのは、祭りの何日か前の日のことだった。 「ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、ある山奥の村が滅びました。後には犠牲者が屍人としてアヤカシ化までしまして‥‥、すぐそばの、ふもとの村にも多少、犠牲が出たのです。 その鎮魂‥‥、というか、まあ、なんというのでしょうね」 すこしだけ、九夜は言葉を迷わせた。適切な言葉が思いつかない、というように。 「村と廃村とを結ぶ一本道があるのですが、一歩踏み外せば谷底に真っ逆さま、というものです。 ほとんどの遺体は廃村に埋葬しなおしてありますが‥‥なんというか、やはり、どこか恐怖心は残ってしまっておりまして」 その一本道の谷底から、桜が散るとき、花弁が空に向かって吹き上げるのだという。どこまでも高く遠く舞い上がるのが美しいと近隣の村にも評判で、例年であれば田植え仕事を一時中断してでも花見客が来る。 「祭りはしたいけれど、怖いものは怖い、と。 ですので、開拓者の皆さんにも参加していただければ」 「それは、警備としてでしょうか」 受付がたずねる。九夜は頭を振った。 「いえ、お花見のお誘いです。 前回しっかり討伐していただきましたし、危険はないと考えております。ただ、開拓者がいるという事実があれば皆さん安心して楽しめるでしょうから‥‥、いてくださるだけで、というやつです。 ごく普通に、お花見をしてくだされば、と」 わかりました。受付は頷いた。 |
■参加者一覧
空(ia1704)
33歳・男・砂
晴雨萌楽(ib1999)
18歳・女・ジ
杉野 九寿重(ib3226)
16歳・女・志
マルカ・アルフォレスタ(ib4596)
15歳・女・騎
リーゼロッテ・ヴェルト(ib5386)
14歳・女・陰
ウルグ・シュバルツ(ib5700)
29歳・男・砲
果林(ib6406)
17歳・女・吟
カチェ・ロール(ib6605)
11歳・女・砂 |
■リプレイ本文 カチェ・ロール(ib6605)の目の前に広がったのは、絢爛な花の世界だった。やわらかな風が過ぎ行き、その風に煽られてはらほろ、白い雪柳の花弁が舞う。カチェの爪よりもずっとずっと小さな、白い花弁だった。 「お花がいっぱいで綺麗ですね」 雪ばかりの銀世界とは一変して、色彩の洪水。やわらかな色をした空が、いっそう花々を引き立てる。砂漠育ちのカチェにはなじみのない、けれど目を楽しませる景色。 「父様の田舎も今頃は見頃ですかね」 杉野 九寿重(ib3226)は故郷を重ね、心を和ませた。開拓者を頼もしく思ってくれるのだから。そう思って、巡回に出た。 カチェに折り紙を教えてくれるのは、同じかすこし年下くらいの女の子だった。女の子は、そのきょうだいや友人らしき子供たちに教える片手間にカチェの進み具合も見る。 「三角に二回折ってー、それからここを開くの」 「こう、ですか?」 「うん、そうするとほら、四角になる」 ふたつの小さな手が、ちまちまと正方形の色紙を折る。 「綺麗に折るのは、なかなか難しいです」 「ナレとケイケンってやつだよ」 すこしずつずれた折り跡。日焼けして色の落ちた縁側の板の上で苦心して作り上げ、全員が折ると我先にと一本道へと走っていく。 そこは以前と打って変わって花見客がにぎわいを見せていた。折った鶴を持ち、カチェも谷底を覗き込む。 ぶわ、と風が吹き上げた。いつかと同じ勢いで、でも、もう冷たくは感じない。 折った鶴を手放す。子供たちも投げていた。風とともに桜が舞い上がり、折鶴も頭上へ巻き上げる。 何度も何度も花弁とともに鶴を舞い上げて、けれどゆっくりと折鶴はその高度を下げていった。あとからあとからひっきりなしに桜は踊り、青い空をも彩っていく。 「すごい、すごいです」 素直な感動が唇からこぼれる。青い瞳に桜がうつる。 「カチェはこんなの、始めて見ました」 隣にいた女の子が、にっと得意げに笑みを浮かべた。 「へっへー! イイモノでしょ! うちの名物は雪だけじゃあないんだから」 「カチェは砂漠で育ちましたから、こんなにお花が咲いているのは初めてです」 「へー? 砂漠かぁ」 想像つかないなぁ、と女の子は呟く。まるで砂漠とは正反対の、柔らかな春の世界で。 ひとつの素朴な民家の縁側。さやさや、枝垂桜が風にそよぐ。細い枝は一様に地面を向き、薄い花弁を纏って揺らぐ。陽光がマルカ・アルフォレスタ(ib4596)の金髪を弾く。かがやく髪を揺らして、地元の子供たちと交流を図っていた。 「おお、ジルベリアのお菓子ー!」 わー、と一気に群がる子供。 「きちんと皆様で分けてくださいませ」 「ダイジョーブ! よしてめーら、せーれーつ!」 ガキ大将が取り仕切る。一通りお菓子が行き渡ったところで、マルカは用意された折り紙を手に取った。 「わたくし、折紙というものを折った事がないのですが、教えて戴けませんか?」 「おー、いいぜ! かかってこいや!」 その子流の歓迎の言葉らしい。折り方を学び、マルカは器用に紙を折っていく。 「ねーちゃん、はじめてにしちゃジョートーじゃねーか」 もきゅもきゅパンプキンパイをほおばりながら、子供がすなおに感心した。 「工作は割りと得意ですの。でも紙で鶴が作れるなんて、初めて聞きましたわ!」 嬉々として首の部分を折り上げ、ちょこんと頭を作る。きゅっと翼を広げて完成。 「じゃ、行こうぜー」 「あふぁひふぉー」 ほっぺたをふくらませた子供が、わらわらとくっついてきた。 一本道で、みな一緒に鶴を投げる。折鶴がゆっくり底へ降りる中、吹き上げてくる桜の花弁。マルカは感嘆のため息をこぼす。掛け値なしに美しく、絶好の花見スポットだ。 「これが天儀の桜‥‥美しいですわね」 「どんなもんだい!」 意味もなく威張る子供に微笑んで、では遊びましょう、と連れ立った。 ぶわり、九寿重の黒い髪が青空に踊る。 桜色に染まった一本道。ふわり、鶴を投げ入れた。 (風に飛んで舞い上がるのは更なる希望への祈りですかね) 煽られながらゆっくりと降下していく折鶴。前後の村人も同じように投げ入れて、桜吹雪に色を添えていた。 人通りは多いものの、移動自体はみな緩やか。しぜんと九寿重ものんびり歩くことになる。あたたかな陽気が九寿重を包み、谷底の桜からは鳥のさえずりが聞こえた。 一本道を通り抜けると、廃村。まだ襲撃の爪あとも生々しいが、それでも蔦の類がすこしずつ廃墟を覆っていた。意識して「見回っている」姿をとり、歩いて回る。ところどころ、故人を偲ぶように酒を酌み交わす姿も見えた。 (脅威が居ないのは確実ですけども、それでも何かしら庇ってくれる存在が居るのは周りに心強いですし) 自分が楽しむよりは、周囲を安心させたいと見て回る。そんな中でも、萌え始めた緑の若草に、ほころぶ勿忘草。薄いその花の色が雑草に混じって揺れる。 足の裏に草を踏む感触。柔らかな土。 「やあ。あんたは飲まないのかい」 酒の入った徳利を掲げて、廃墟の庭先から男が声をかけていた。 「はい。‥‥おひとりですか」 「ん、まあ、な。 もったいないねぇ、いい日なんだし、ハメを外したっていいだろうに」 まじめなんだなぁ、そう言う男と少しだけ世間話をして、それから丁寧にあいさつを交わし、九寿重は見回りに戻った。最後に気をつけろよ、と男は九寿重に手を振り、酒を煽る。 だれかを偲んで、一人さびしく酒を飲む。安心してそれができる環境を、ただ静かに維持するよう、つとめた。 仕事がひと段落つき、はじめての花見を楽しみに来た果林(ib6406)。日の傾いた茜色の空の下で、濃く香る沈丁花。黄色い連翹の連なる庭はまるで燃えるよう。 けれどその庭の奥、たたずむ家は打ち壊された廃墟だった。あからさまに顔を伏せるものはいないが、酒を酌み交わす人々にもどこか寂寞とした雰囲気が漂う。逆に意識的にはっちゃけた者のにぎやかな声も聞こえた。 「あ、あの‥‥ここは‥‥」 果林の問いに、女は普通にお花見してくれてぜんぜんかまわないのに、と、苦笑交じりに微笑む。 「そう、ねぇ‥‥。 一冬に二回もアヤカシ騒ぎは‥‥ちょっとびっくりしたかしら」 やんわりと包まれた言葉。が、どこもかしこも廃屋だらけの村を見れば‥‥言葉の裏を推し量るのはたやすかった。ほろり、頬を涙がつたう。 「無礼を承知でお願いがあります‥‥。どうかここで、レクイエム‥‥、葬送曲を奏でてもよろしいでしょうか‥‥?」 「もちろん。嬉しいわ。 でも葬送が終わったら、お花見も楽しんで行ってね」 そっと果林の涙を袖で拭い、友達がいるから、と墓地へ去る背中。 (ここで何があったのか私だけが知らなかった。 私だけがお花見気分と浮かれてた) 思いつめたような果林がヴァイオリンを手に取る。遠く沈む太陽。染まる茜色の世界。弓を引いて弦を震わせる。大気に響いて音は広がり、四方の山がかすかなこだまを、返し。 果林はただ、安息と慰めを、願った。 「これは‥‥凄いな」 三度訪れた村は、ウルグ・シュバルツ(ib5700)にまったく異なる姿を見せていた。 どこもかしこも色鮮やかに染まっている。ひらり、蝶が彼の前を過ぎった。真っ白なこぶしの花の下を通ると、小さな民家がある。縁側でお茶を飲んでいた人物が、ウルグに気づいて手を振った。 「ウルグさん」 お久しぶりです、と九夜は顔をほころばせた。十瀬が小さく礼を返し、ぱたぱたお茶を持ってくる。 「‥‥あれから、どんな様子だ?」 小さな縁側にかけてたずねる。九夜は目じりを和ませた。 「畑の忙しい時期ですからね。気もまぎれるでしょうし、なにより‥‥春は、賑やかですから」 「‥‥強いな。此処の者達も、九夜も」 「まあ。ほめてもお茶しか出ませんよ」 ころころと笑う十瀬。翳りはあれど、笑うゆとりが今はある。 「大事でなくとも、何かあればまた声を掛けると良い。 ‥‥俺も、他人事の気では収まらなくなっているしな」 「そんなことを言われると、ほんとうに呼んでしまいますよ?」 雑談のさなか赤色を見つけ、九夜は手を振った。気づいた少女、モユラ(ib1999)がやってくる。 「お久しぶりです。モユラさん‥‥でしたよね」 雪の中でもよく映えた赤毛を、その言葉を、九夜は覚えていた。 「約束しましたよね、雪が溶けたらって‥‥なんて、偉そうでゴメンなさい」 雪深い日の、小さな約束。 「来るのが、遅くなっちゃいました」 「いえ。‥‥来てくださって、嬉しいです」 「その‥‥お参り。ご一緒させてもらえますか?」 もちろん。九夜は頷き、それから四人で鶴を折った。 「これは、この土地の風習なのか?」 十瀬が嬉々として鶴を量産する中、ウルグはたずねる。 「いえ、風習というか‥‥。お見舞いには、よく鶴を折るでしょう?」 十瀬は笑った。伝統ではないらしい。なにかをやろうと思って、それがたまたま鶴だったのだろう。それから支度をして出かける。茜色に染まった廃村。開けたところにひたすら並ぶ、新しい墓。 モユラはお酒とお菓子をそなえた。 「よかった。 ちゃんと‥‥ちゃんと、弔ってもらえたんだね」 弔えなかった遺体も多かった、雪の深すぎた冬のころ。 (あたいはもう、なんにもしてあげられないけど‥‥) せめて、安らかに眠れるようにと、祈った。 「‥‥手向けの花は、充分そうだな」 人為的に手向けられたもののほかに、シロツメクサや勿忘草、タンポポがひょこひょこと顔を出している。夏になれば、すっかり草花に覆われてしまいそうだ。 皆の名が刻まれた石碑に手を当て、ウルグは黙祷をささげた。 (俺は‥‥此処で起こったことを、忘れることはないだろう。 あのようなことが、また起きないよう‥‥起こさせないように) 真っ赤な大地に四人の影が、長く伸びた。 メソメソしてんのもガラじゃーない、モユラは気持ちを切り替えた。 「廃村にゃ花が沢山咲いてるんだって? いいねいいね。 折角だから鑑賞させて貰うよ」 「冬が深いので、春はうんと楽しめるようにしているんです」 「こんなに沢山花がさくの、かなり珍しいんじゃないカナ」 「まるで爆発したみたいでしょう?」 興奮気味のモユラに、十瀬も便乗してはしゃぐ。残された男二人はしかたがないと苦笑を交わした。 だんだん薄暗くなっていく中、十瀬は自分の提灯に火をともす。 「モユラさんは?」 「提灯もいいけど、あたいはコレが、ね」 ひらりひらり、蝶が舞う。暮れ残った薄明かりの中で、煌く蝶は人目を引いた。 「わ‥‥、きれい」 撫でるようにして花を照らす蝶。きらきらと煌く光。色の薄い花々は、光をほのかに反射して。 (‥‥あの真っ白だった村が、ここまで綺麗に染まる。 この事件で傷ついた人達の心も、同じように‥‥いつか、明るい色に染まってくれれば) きらきら、蝶は照らす。モユラの赤い髪。ウルグの青い目。蝶につられて歩く十瀬。心配げに見守る九夜。 (いつか‥‥) 転びかけた十瀬を支えた九夜。ただずっと、モユラはそれを見守っていた。 長い枝を地面に垂らし、艶やかに花を纏う枝垂桜。西日に輪郭も淡く浮き上がる花のそばで、リーゼロッテ・ヴェルト(ib5386)はできた鶴を掌に乗せた。 「きれいにできましたねぇ」 「夕日が完全に沈みきる前に一本道まで行って来るわ」 お気をつけて。庭の主である、老婆に見送られて一本道へ向かう。 (吹き上げ桜は夕日に照らされてた方が綺麗でしょうし) 予想はたがわず、谷底から吹き上げる桜の花弁は赤い光の中で舞う。桜色をしているはずなのに、それは白く光を弾いていた。まわりが夕焼け色に染まるものだから、きっとかえって白く見えたのだろう。鶴を投げ、それを見守る。ゆっくりと日が傾く中、夕焼けの赤が濃く際立つ。棚引く雲は溶けるような黄金に輝き、吹き上げてくる桜も同じ色を弾いていた。 透明な金色。どこか赤色も感じさせる、色。リーゼロッテの髪も照り映えて。 「うん‥‥とっても幻想的じゃない」 やがて山間に太陽が姿を隠すと、空は薄く藤色が広がる。同じ色に桜も染まっていた。 そのまま先ほどの庭に戻り、枝垂桜の根元に腰を落ち着ける。ほどなくして月が顔を出した。青白い月明かりに、黒く浮かび上がる枝。その枝を飾る桜は、月光を弾いてぼんやりとあたりを薄く照らし出す。リーゼロッテを囲むように垂れる枝。その中で、持ってきた葡萄酒に口をつけた。とろけるような色と深い香り。 「見事な枝振りでしょう?」 老婆がやってきて微笑んだ。 「ええ。 よかったら家の人もどうかしら?」 葡萄酒の入った杯を掲げた。老婆は目じりを和ませ、孫と思しき青年を呼びつけた。 「不思議な香りのお酒ですね」 「ジルベリア産の酒は初めて? 花見には天儀酒が合いそうだけど、これも悪くないわよ」 「いただきます」 とくとく、酒が注がれる。水面に月と桜が映る。 月明かりの下で、あちこちふらふらと歩く人影があった。空(ia1704)である。 超越聴覚で聞こえる音声。笑い声、泣き声、ほんのささいな諍いが、ぽっと起こってすぐ消える。 くわえた煙管をふかしつつ、月がくっきりと照らす世界を見て回る。あちこちに生えた桜が、たいした風もないのにはらほろと花弁を散らした。 「なンだ兄ちゃん、ひとりかー?」 「酒あるぜー、酒!」 あきらかな酔っ払いが、桜の下から手招きした。 「おー、騒げ騒げ。 今日ぐれェは無礼講なんだろ、何かあったら呼べー」 ひらひら、やる気も込めずに手を振った。まだ何か言っているが、立ち上がってこっちに来るわけでもない。気にせず歩みを進めた。 「はァー‥‥平和、だな。感覚が鈍りそうなぐらい」 アヤカシの影もなく、凄惨さは土と花とが覆い隠した世界。 時々嫌にならァ。口の中で呟いた。 (古くから桜というのは諸行無常の象徴。 潔く散るその花から武士道の例えともなる。 されども戦死の暗喩にも使われる。 そう、戦死。美しいが、な) ぶつぶつ、声は小さく。かすかに甘い桜の香。一枝程度では香らないが、太い木が一本あれば薄く香る。煙管の煙と一緒になってほとんどわからないが。 見事に美しい、好きな奴は多いだろうな。そんなことを考えながら、器用に鶴を折る。淡い月明かりと歩きながらの不安定な中で、かさり、紙の音を立てながら。 (誰かが死のうとも世は続く、今までと変わりなく、生きている者は世と共に変わり続けるという訳だ。死んだ者だけを取り残して。 だが留まって見せるさ、絶対な。 其れが許されぬというのなら、燃えてしまえば良い、過去の想いも何もかも) ぐしゃり。 空の手の中で、広げた紙の翼も細い首も、握りつぶす。 はらほろ、変わらず桜は散り続け、どこもかしこも花弁が敷き詰められて。 煌々と月は輝き、ただひたすらに大地を照らしていた。 |