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■オープニング本文 「だめよ、宵名。そんなところを歩いて! こっちへ来なさい」 「だいじょうぶだよ、へいきだもん」 崖の端を歩く子供は、母の心配げな目も気にしない。からり、その足下から崩れた石が落ちていく。さ、と母の顔が青ざめた。 「来なさい! そこはだめ」 きょとん、と子供は母を見上げる。伸ばされた腕を、むっとして払いのけかけて。 「宵名っ!」 バランスを崩した身体。突如吹き抜けた突風。煽られて、ふわり、と足場を失った。 「おかあさ‥‥」 まだ未成熟でやわらかな手が伸ばされる。指先は触れ合わず、重力が二人を引き離した。 「宵名‥‥!」 覗き込むと、下の様子が伺える。子供の身体は、崖の途中から張り出した木の枝に引っかかっているようだった。木の上にこしらえられた、妙に大きい鳥の巣よりも下。上からだと、巣が邪魔で黒い頭くらいしか見えない。 「宵名、宵名っ! お願い、返事をして、宵名っ!!」 返事はない。意識が遠のきかけた瞬間。 全長が人間ほどもありそうな、鷲がひらりと巣へ降りる。 「う、そ‥‥」 わななく唇を引き締めた。パニックを起こすのは簡単だ。取り乱して絶望するのも。けれど、それでは意味がない。目を閉じて、感情を理性でむりやりに屈服させた。 「宵名、いい子でねんねしててね‥‥」 山道を戻れば、町に戻れる。助けてくれる人が、いるかもしれない。 「すみません! あの!」 髪を振り乱した女が、声をかけてきた。 「志体をお持ちの‥‥かたですか。お願いです、依頼を受けてください。娘を‥‥娘を助けてください‥‥!」 |
■参加者一覧
霧葉紫蓮(ia0982)
19歳・男・志
鬼灯 仄(ia1257)
35歳・男・サ
皇 りょう(ia1673)
24歳・女・志
水月(ia2566)
10歳・女・吟
氷那(ia5383)
22歳・女・シ
赤鈴 大左衛門(ia9854)
18歳・男・志
高峰 玖郎(ib3173)
19歳・男・弓
浄巌(ib4173)
29歳・男・吟 |
■リプレイ本文 「娘さぁがどうかなスっただスか? まンず水飲んで落ち着くだスよ。」 赤鈴 大左衛門(ia9854)は、取り乱す母親をまずなだめにかかった。渡された水筒に彼女は戸惑い、一拍置いて一口含む。ここにきてはじめて、喉が渇いていることに気がついた。 「かような場所にて騒ぐでないぞ」 浄巌(ib4173)の言葉に気遣いはなかったが、その女をいくぶん冷静にさせた。人通りの少なくないそこは、人探しにはもってこいだが――同時に、人目がとても気になるところでもある。 「あ、あの‥‥どうも、ありがとうございます」 空になってしまった水筒を、おずおずと大左衛門の手に返す。それから女は手早く思考をまとめ、状況を伝えた。いっさいの感情が省かれた説明だったが、すがるような瞳がひどく雄弁に心情を語る。それをまっすぐに、真摯に受け止めたのは霧葉紫蓮(ia0982)だった。 「事情は理解した。僕達に任せてくれ」 女が見たのは、紫色のまなざし。ほろり、と一筋涙が伝う。 「準備が出来次第すぐに宵名の元へと向かおう」 「はい‥‥!」 震えた返事に、大左衛門が笑顔を見せた。 「なァに、ワシらがきっちり助けるだスから、安心するだス」 素朴な言葉に、何度も頷きを返す。 「説法ならば断ろうたが人助けならば止むなしか」 一方深編笠の下、喉の奥で笑う浄巌。一瞬ひるんだ女に、 「なに袖振り合うも他生の縁とも言うものよ」 どこまで頼りにしていいのか、すこしばかり不安な言葉で応えた。 「あの、では、案内を」 急ぐ女を、鬼灯 仄(ia1257)は片手で制する。急ぎなのは理解するが、と前置いて。 「あんたは茶でも飲んでろ。準備が要る」 わざとでんと構えた仄の言葉に、女は唇を引き結び――、頷いた。 肉屋の前で、紫蓮と水月(ia2566)、高峰 玖郎(ib3173)は鶏を見た。 ――ケーッ、コッコッコ 鮮度確保のためなのだろうが、生きた鶏が籠の中にいた。と殺済みのもの、といえば――、この店では血抜きして逆さ吊りに並んでいる。血が抜かれているので微妙といえば微妙だが、生きた鶏を連れ歩くのも微妙である。 「らっしゃい、兄さんがた。なんにする?」 すこしばかり考えて、水月はすい、と逆さづりのそれを指差した。 「一羽でいいかい?」 すかさず紫蓮が、 「いや、二羽で」 「まいどあり!」 三人で割り勘して払う。一気に二羽も売れたせいか、店主が非常にイイ笑顔で見送った。 そうして戻ってきた開拓者を先導し、女は山道を目指す。 「こっちです」 焦りのにじむ声。息が上がっても、歩みを緩めようとはしない。緊張のせいか恐怖のせいか、すこしだけ膝が笑っているのがわかった。 (我が子を想う母の愛の強さには胸を打たれるな‥‥) 必ず報いる、と胸のうちで呟く。 「絶対に助ける」 女は振り返らなかったが、目元を袖でこすった。 足を止めることになったのは、崖の中腹の山道だった。見晴らしはよく、すこし風がある。見下ろす先に木が張り出し、そこに巣があった。鷲の目を用いた玖郎の目に、巣の影に黒い影がとまった。枝葉が邪魔で全貌はうかがえないが、ぴくりとも動く素振りがないのだけはわかった。 「団体への反応は‥‥とも思ったのだが。変わらないようだな」 皇 りょう(ia1673)がぽつりとこぼす。こちらに興味を示すなりすればかわいげもあろうが、ぞろぞろ全員で近寄っても、鷲はほんの一瞬、ちらりとこちらを見たきりだ。警戒心がうすいのか、よっぽど自信があるのか‥‥。 まずは案内役の母親を、万が一にも目をつけられないようにと、下がらせたのは水月だった。 「でも‥‥」 離れがたい、と女はためらった。安心させるような言葉を、なにか。口を開いて、適切な言葉が見つけられずに一度閉じた。 「大丈夫」 結局それだけを伝え、あとを護衛の浄巌に任せる。後ろ髪を引かれつつも、来た道を戻る浄巌に女はついていった。 「あの‥‥どこまで‥‥?」 「鷲担当が動く時、鷲に見つかっては無意味」 隠れ場所に相当するようなところは、このあたりにはない。道の両側とも崖だ。上に続く崖か、下に続く崖かの違いはあるとしても。 だから道をすこし戻り、距離を取るくらいが限度だろう。戻る距離に応じて女の歩みが鈍るものだから、隠れられそうなところまでは行けなさそうだった。 崖に戻った水月は虹色をしたあざやかな小鳥をつくると、それを眼下の鷲へと差し向けた。小さな翼を広げ、小鳥は水月のもとから飛び立つ。じ、と水月は鷲の様子を見つめ、小鳥を近づけさせた。鷲はたいして興味を持ってはいなかったが、巣の縁あたりまで小鳥が来ると――。 つん。 なにげなく、小鳥をつついた。瞬間的に小鳥は消え、鷲は一瞬驚いたかのように身を引き――。ふたたび、何事もなかったかのようにくつろぐ。 (穏やかというか‥‥?) 攻撃的な部類でないのは確かだ。玖郎が空鏑で音を立てるも、みごとに知らん顔を決め込む鷲。こんな無関心ぶりが人間との適切な距離感を保たせてきた‥‥の、かもしれない。 「‥‥これもだめか」 なにぶん情報が少なすぎたため、あの手この手とやるしかない。玖郎は、穏やかな方法のうちでは最終手段である、鶏を持った紫蓮に目を向ける。ちょうどりょうが鶏を掻っ捌いていたところであった。実は今回、真剣を持っているのは彼女一人だったりする。氷那(ia5383)も刃物は所持しているが、手裏剣よりは刀のほうが作業に向いたという、単純な消去法であった。 「助かる」 「なに、これしき。上手くいけばいいが」 豪快に一刀で捌いたりょう。刀身をぬぐい、鞘へおさめる。血はたいして流れはしないが、野生ならじゅうぶん気づくだろう。 しかし――待てど鷲は無反応。 「満腹‥‥ということだろうか」 りょうが考え、水月もうーんと首を傾げる。他の策が尽きたのを見て取って、玖郎が矢を矢筒から抜いた。宵名の位置を確認し、弓へつがえて引き絞る。宵名の反対、ちょうど巣の縁を狙い済まし――。 すん、と空気を切って、矢は射抜き、そして巣を貫通した。そのまま矢は谷底に向かい、見えなくなる。 さすがにこれは攻撃とわかったのか、それとも単にうっとうしくなったのか。鷲は飛び立つと、一気に玖郎たちの上に舞い上がった。 「引き付ける‥‥しかないな」 紫蓮の言葉に、わし、と鶏の足をつかみ、りょうも駆け出した。同じく引き付け役である水月と玖郎もそれにならう。鷲は翼をすぼめ、勢いよく降下した。玖郎を狙ったそれを、殿をつとめていたりょうが受け持つ。 その瞬間。 鷲は即座に狙いを玖郎から外し、ついでにりょうも外して――鶏へ一直線に飛びついた。 「っ――!」 がり、と容赦なく鶏を引きむしる鷲。鋭い足で遠慮なく手を切り裂かれたりょうは、反射的に鶏を放って手を引っ込めた。今になってなぜ反応するのか。りょうは考えをめぐらせ――。はたと気づく。 (風向きか!) においが届かなかっただけらしい。目的の鶏をとらえた鷲はそのまま空高く、巣へ戻ろうとする。刹那。 高く高く。 空鏑が鳴った。鷲は疎ましげに旋回し、戻り来る。そこへ。 ――!? 翼に、足に、首に。 わっさと無邪気にまとわりつく子猫たち――。 「爪を立てない様気をつけて」 水月の小さな言葉を汲み取り、鷲によってたかってわらわらとじゃれた。その水月と玖郎を守るように、りょうと紫蓮が前をかためる。 進んで倒すつもりがないため、戦局は膠着状態へ陥った。 鷲が巣から飛び立つとき。浄巌は、小さく息を呑み飛び出そうとする女をおしとどめる。 口を開いて抗議しかけた女に、人差し指をすいと立てた。笠の上からではあるが、じゅうぶん意味は汲み取れたのだろう。女はもどかしげに口を閉じる。鷲がたしかに引き付け役のほうに気をとられたのを確認し、女を放した。 「ありがとう、戻ります」 すぐに浄巌は女に並んで走り、仲間のもとへ戻る。ちょうど、氷那が今から降りるところだった。 「よろしくお願いします」 「しっかり支えといてやるから安心して降りてきな」 仄の言葉に頷いて、氷那は縄を掴んだ。 めぼしい木も出っ張りもないそこで、頼みの綱は――、自身の身体に縄を巻きつけた大左衛門と、彼の補佐に回る仄、二人の自重と腕力のみだ。縄の擦り切れる崖の角に、と自身の肩当をあてがう大左衛門。そこに縄をあてて、慎重に氷那をおろす。けれど、ただ置いただけの肩当は不安定だ。一瞬、それが外れそうになり――。 ぱし、と仄が足で踏みつけ、固定した。 「悪ぃ、踏んどく」 「そのまま頼ンまス」 氷那の様子を確認しつつ、大左衛門は手早く、確実に縄を伸ばしていく。そうしてするするとおろされた氷那は、鷲の巣を超え、宵名の姿を見た。 「もういいわ、止めて」 声と手振りで止めてもらい、木の枝が折れないよう気をつけ、それを掻き分ける。小さな女の子がいた。片手でそっと抱き上げる。もう片手は縄を掴むので、どうしても離せなかった。すぐに抱き込んで安全を確保する。 「宵名さん」 ゆっくりと目を開く子供。まだぼんやりしている。 「助けに来たわ。痛い所はない?」 「‥‥? いっぱい痛い‥‥」 なるほど、枝葉で擦りむいたのか、擦り傷切り傷、あとは打撲のあとだろうか。どれも大した怪我ではないようだ。血もとうに乾いている。 「無事でよかった‥‥」 「ここ‥‥」 「大丈夫、私達が助けるわ。お母さんのところへ、戻りましょう」 「よいな、おっこちたの‥‥?」 急に心細そうにした宵名に、やわらかく微笑む。大丈夫よ、と繰り返した。 「一緒に引き上げてもらうから、その間はおとなしくしていてね?」 「うん」 念押しした氷那に頷き、子供特有のふわふわした腕がしがみつく。それをしっかり抱きしめた。 上には身を乗り出す女と、それを見張る浄巌。そして縄を支える仄と大左衛門が見えた。両手が塞がって合図に困ったが、察した仄が引き上げにかかってくれた。腰に縄を結んだほうが便利だったかもしれないが、何事もなく無事に崖に戻る。最後は崖に足をかけ、縄を手繰って登った。 「宵名っ!!」 「おかあさん!」 ゆっくりさせてあげたいところだが‥‥場所がよろしくない。氷那はすぐに呼子を銜え、一息に吹ききった。高い音が鳴る。 「さ、逃げの一手だ。行くぞ」 浄巌は笠には触れるなと戒めて、母親を背負う。宵名はそのまま氷那が抱えた。いくらも行かないうちに鷲を引き付けていた四人も追いついてきた。もれなく鷲も追いかけてくるが、しばらく山を下ると引き返していった。 「‥‥もういいだろう。執念深くもないようだ」 紫蓮が息を吐きながら呟いた。諦めのいい鷲である。隠れ場所に乏しいので、だいぶ助かった。ぱちくりする宵名を、浄巌の背から降りた母親に返す氷那。 「宵名‥‥!」 こらえていた嗚咽がこぼれた。 (あのように――) りょうは思う。瞳を閉じても、母の記憶はない。体温も香りも――呼び声も。 (あのように想っていてくれたのであろうか?) 考えても詮無いことだ、と思えども。 (‥‥そうだといいな) ふっ、と。淡く薄く、寂しげな笑みが頬を彩った。 皇家現当主である以上、彼女はいずれ子を儲けなければならないのだが――。目が遠くを見た。 (まだまだ修行が足りぬ。そして何より、こんな私を好いてくれる相手がおらねばな‥‥) 子供より先に、まず相手。――現在、目の前の課題のようだった。 「ありがとうございます、本当に‥‥なんとお礼を言っていいか‥‥!」 落ち着いた女は、繰り返し礼を述べた。そろそろ両手の指を超えそうなくらい同じ台詞が繰り返されており、いいかげん飽きた宵名が、 「おかあさん、そればっかり」 単純な事実を指摘した。氷那が目線をあわせて諭す。 「宵名さんもびっくりしただろうけど、お母さんもびっくりだったのよ?」 「うん‥‥びっくりした。ぜったいおちないとおもったのに」 今でもなんで落ちたか不思議であるようだった。子供特有の万能感によるものだろう。氷那は言葉を重ねる。 「これからは気を付けて。 お母さんの言う事を聞いて、危ない所へは行かないようにね」 「うん。こんどはおちないようにあるくね」 一抹の不安を覚える台詞だ。玖郎も念押しに参加した。 「高いところや危ないところが面白いという感覚は分からないでもない」 しかし、と玖郎は続ける。 「親に心配をかけるのは駄目なことだ。それだけは忘れないでいてほしい」 「‥‥おにいちゃん、とべるの?」 じ、と宵名の目がその背に注がれる。玖郎は小さく首を振った。 「じゃあ、おにいちゃんもおちちゃうの?」 「落ちるようなことをすれば」 宵名は肩を落とした。そろそろ、あきらかに自分が落ちるようなことをしたのだと気づき始めたようである。 しゅんとした宵名に、大左衛門がフォローを兼ねて口を開く。 「童っ子ァやんちゃなぐれェがええたァ言うだスが、本当に危ねェかどうか見極められるようンならにゃいけねェだスなァ」 「む」 暗に見極められなかったと言われたと、さすがにその小さな頭でも気づいたらしい。事実だから反論はしなかったものの、すこしばかり不満げだ。大丈夫だと自信があったから、なおのことだろう。 「けンどまァ無事で良かっただス」 宵名は頷いた。大きな手が、わしわしと黒い頭を撫ぜる。 「これに懲りりゃ、もうちっとおっ母さぁの言う事を聞くだスよ」 それから喉が渇いているのではと出された甘酒を、宵名は大喜びで受け取った。現金な切り替えの速さはすばらしいが、もうすこし釘を刺さないとならないだろう。紫蓮はすこし乱れた宵名の髪をやさしく撫でて整えた。 「宵名、無事で良かったな」 「うん!」 「母君はお前の事を心から案じ愛している。お転婆は程々にな」 「‥‥うん」 しばらく崖っぷちで遊ぶのはよそうかな‥‥、宵名はそう思った。 (はねのおにーちゃんがおちるなら、よいなもおちちゃうよね‥‥) 小さな頭は、なんとか今回の事件を消化しようとしていた。「ぜったいだいじょうぶ」が崩れたショックはあるが、次はいかにして落ちないように遊ぶか――、たぶん、すぐに思考はそこへたどり着くだろう。 けれどもそこへ直結する前に、浄巌が口を開く。 「童よ此度で懲りたかや。 幼き今では全てを知らず。 親の忠言は聞くものぞ」 ぽかん、と宵名は浄巌を見上げる。意味がさっぱりわからない――、あどけない顔にありありと書いてあった。とても大切な忠告だったが、難しすぎたようだ。 「あとで、よく言って聞かせます。ありがとうございます、なにからなにまで」 またにじんだ涙を指でぬぐい、女は十数度目の礼を述べた。 |