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■オープニング本文 春になる。人それぞれになるが、始まりと終わりの季節だ。 ○変化する人々 開拓者ギルドで受付職員をしている鈴奈は、久々に行きつけの和菓子茶屋を訪れた。 ところが仲の良い看板娘の桃霞から、とんでもない一言を聞かされる。 「えっ! 桃ちゃん、結婚するの?」 「うん。相手の男性はずっとウチの店で和菓子職人として、働いてきた人でね。実は父さんに黙って、こっそり付き合っていたの」 和菓子茶屋の一人娘でもある桃霞はいつかは跡取り婿をむかえる必要があったが、どうやら良いお相手がいたようだ。 「この間、彼が作った創作和菓子が父さんに認められてね。ついでに結婚も認めてもらったの♪」 「そっそう……。おめでとう」 「ありがと♪ あたしは結婚してもここで働き続けるから、鈴ちゃん、いつでも声をかけてね」 「弱ったなぁ……」 「兄さん、まだ言ってるの? いい加減、しっかりしてよ」 京司と京歌の兄妹は受付職員の仕事を終えた後、家への帰り道を並んで歩いていた。 「だって人事異動なんだぞ? そう簡単に割り切れない」 「受付職員から依頼番組頭に上がるだけでしょう? 職場異動なんてないし、仕事内容もちょっと複雑になるだけじゃない」 「……まあ、な」 「兄さんは引っ込み思案なところがあるけど、仕事は真面目で真剣に取り組んでいるから。評価されたと思って、素直に受け入れなよ。わたしもいつかはその地位に上がるからさ」 自信たっぷりに微笑みを浮かべる妹を見て、兄は観念したようにため息を吐く。 「まっ、お前が側にいるなら大丈夫だな」 「……いい加減、妹離れしなよ」 受付職員の芳野は呼び出されて、開拓者の香弥と彼女の婚約者兼従弟の辰斗と共に高級料亭の個室にいた。 「ほお。ではとうとう結婚するんだな」 「はい」 「ようやく僕も仕事に慣れてきましたし、香弥を妻にむかえる覚悟も決まりましたので」 芳野の目の前にいる香弥は一人の女性としての艶が出ており、辰斗はしっかりした顔付きになっている。 二人の成長した姿を眩しく芳野は見つめていたが、香弥の表情がふと暗くなった。 「あの、それで大変申し上げにくいことなのですが……」 「ん? どうした?」 「私、結婚を機に開拓者を辞めるつもりなのです」 その一言で、芳野は日本酒をたっぷりそそいだお猪口に口を付けるのを止める。 「結婚をした後は、通いになりますが実家の剣道の師範になります。そして辰斗の妻として、生きたいのです」 「……そう、か。寂しくはなるが、良いことだ。お二人共、幸せにな」 「「はい」」 開拓者ギルドで受付職員の仕事中の雛奈は、大量の報告書を両手に抱えて歩いていた。しかし幼馴染の青年・篝を見つけて、そちらへ向かう。 「篝、久し振りね。開拓者ギルドに来るなんて珍しいじゃない。また依頼を頼みに来たの?」 明るく声をかけた雛奈だが、何故だか篝はビックリした表情で振り返った。 そしてモジモジした後、突然、雛奈の両手を掴む。そのせいで大量の書類が床に散らばった。 「なっ何すんのよ!」 「雛奈! 俺と結婚してくれ!」 「はあっ!? 何でよ!」 眼を丸くする雛奈を見て、篝は急に身を縮ませる。 「俺、『そろそろ見合いでもしないか』って親に言われて……。でもその時頭に浮かんだのが、雛奈だったんだ。ずっとただの幼馴染だと思っていたけど、違ったみたいで……。その、ずっと死ぬまで一緒にいるなら、雛奈が良いんだ!」 突然の告白に、雛奈は唖然とした。しかし周囲の視線がこちらに集まっていることに気付き、慌てて篝の手を振り払う。 「……その答えはとりあえず、書類を拾い集め終えたら言ってあげる」 そう言った雛奈の顔は、耳や首まで真っ赤に染まっていた。 「なあ、野衣ちゃんは受付職員の仕事、辞めたいと思ったことあるか?」 「無いですね。私は今の仕事がとても合っていると思います」 受付職員の仕事を終えた利高と野衣の二人は、珍しく居酒屋の個室で飲んでいる。 しかし利高は酒に弱く、野衣はとても強い。野衣は酒瓶を次々と空けながら、ぐでんぐでんになった利高の愚痴に付き合っていた。 「俺はもう辞めてーよ。つーか仕事なんかしたくない。もう専業主夫にでもなっちまおうかな?」 「お相手がいるんですか?」 「いたらとっくに専業主夫になってる」 野衣は利高の言葉を聞いて、ふむと考え込む。すると柔らかな笑みを浮かべながら、明るく声をかけた。 「では私の専業主夫になってくださいますか? お金は私が開拓者ギルドで働いて稼ぎますから、その代わり家のことや子育てをお任せしてもいいですか?」 「……はい? 野衣ちゃん、いくら何でもそんなこと冗談でも言うべきじゃないぞ」 「あら、本気ですけど」 利高はキョトンとするが、野衣は笑みを全く崩さない。――つまり冗談ではなく、本気だ。 右へ左へ視線を動かした利高は再び野衣を見て、神妙な面持ちで姿勢を正す。 「こんな俺で良ければ、末永くよろしくお願いします」 「はい。こちらこそ。ずっと仲の良い夫婦でいましょうね」 「ヤレヤレ。春は始まりと終わりの季節と言いますが、本当に目まぐるしく変化していきますね」 美島は休憩時間に同僚達の話を聞いた後、一人で近くの公園を散歩していた。 公園に植えられている桜は咲き始め、風もあたたかく柔らかいものになっている。 美島はふと立ち止まり、風に揺れている桜の枝を見ながら少し遠い目をした。 「鈴奈さんはお友達がおめでたいことですし、京司くんの昇進は京歌さんも喜んでいましたね。芳野さんも見守り続けてきた恋人が夫婦になることを喜びながらも、香弥さんが開拓者を辞めることは少々残念そうでした。雛奈さんは幼馴染の彼と婚約しましたし、野衣さんと利高くんも婚約するとは驚きました。大人しそうに見えていましたが、案外野衣さんって恋愛に関しては情熱的なんですね。利高さんはお仕事を辞めることを喜んでいましたが……今後、どうなることやら」 美島はクスッと笑い、肩を竦める。 「……しかし変化はまだまだ続きそうですね。開拓者の皆様にとっても、春は大事な季節ですから」 出会いもあれば、別れもある。嬉しいこともあれば、寂しいこともあるのだ。 ――さて、開拓者である『あなた』はこれからどんなふうに変化するのでしょうか? |
■参加者一覧
葛切 カズラ(ia0725)
26歳・女・陰
からす(ia6525)
13歳・女・弓
リューリャ・ドラッケン(ia8037)
22歳・男・騎
ヘスティア・V・D(ib0161)
21歳・女・騎
リンスガルト・ギーベリ(ib5184)
10歳・女・泰
リィムナ・ピサレット(ib5201)
10歳・女・魔 |
■リプレイ本文 ○葛切カズラ(ia0725)の春 「春という季節は、終わりの季節でもあり始まりの季節でもあるわ。と言うことで、お引越しをしましょう♪」 久し振りに休みが取れたので家でゆっくり過ごしていた羽妖精のユーノと天妖の初雪は、自分達の共通のパートナーであるカズラが突然言い出したことに呆気に取られる。 『……カズラ様、いきなり何を言い出すんですか?』 『仕事疲れが出ちゃったの?』 二人の相棒から冷めた眼差しを向けられて、カズラは心外だと言うように唇を尖らせた。 「アラ、本気よ。今まではこの借家に暮らしていたけれど、これからは一軒家に住むの。ここより広くて大きな家だし、庭も広くて素敵なのよ。……ただ、ワケあり物件なだけよ」 カズラの最後の言葉を聞いて、ユーノと初雪はスっと眼を細める。 『ああ、なるほど。開拓者の仕事を通じて、ワケあり物件を見つけたんですね』 『それで「開拓者の自分なら住めるわよ」とか言って、格安で買ったんだ』 「大正解♪」 二人は『はぁ〜』と重く深いため息を吐くも、カズラはすっかり引越しする気満々である。こうなっては止められないことを、相棒を長年やっている二人はよく知っていた。 「でもちゃんと事件は解決したんだから、大丈夫よ。ただ数年間、買い手がつかなかったから家や庭が荒れているのよ。だから荷物を移す前に、掃除と片付けを先にやりましょう」 言いながらも、カズラは掃除と片付けに必要な道具を集め始める。 二人は諦めた表情で、準備を始めた。 カズラの案内で来たのは近くに花街がある土地で、小さな山の麓に平屋が一軒ある。 「花街が近くにあるなんて、なかなか面白い場所でしょう? 買い物には困らないし、花街は何かと開拓者を頼ることがあるから顔見知りが多くて良いのよね〜」 カズラは嬉しそうに言うが、ユーノは意味ありげな笑みを浮かべて、初雪は困り顔になった。 『カズラ様の場合、私生活で知り合ったのでは?』 『どーせ仕事の知り合いって言うよりも、個人的な知り合いなんだよね?』 「あら、よく分かったわね」 言い当てられても、カズラはケロッとしている。 「でもまあこの家に関する依頼はギルドが引き受けたことだったし、私はたまたま参加しただけよ。元々この家を狙っていたわけじゃないのよ?」 偶然にもよく知っている所の依頼を引き受け、そしてこの家に移り住むことを決めたのはつい先日のことだ。 『……ですが放置されていたというのは、本当みたいですね』 『春だし、草木がイキイキしているよ』 二人は壊れた門を通って庭に入った途端、眼に映りこんできた光景にうんざりする。 庭には一本の大きな桜の木が植えてあり、地面には春の野草が絨毯のように生えていた。建物はパッと見は大丈夫そうだが、中はかなり荒れている。 「井戸も掃除をしなきゃね。せっかく山の綺麗な水が飲めるようだし、いつでも使えるようにしとかないと」 『掃除どころか、修理までしなきゃいけないようですよ?』 ユーノは半分壊れかけている井戸を見て、やるべきことが多いことを改めて実感した。 『修理道具は花街から買ってきた方がいいんじゃないの?』 初雪の言う通り、修理する為の道具が足りない。 「そうね。じゃあユーノ、これから買う物を紙に書くから、花街で買ってきてくれる?」 『私が持てる量で、お願いします』 そしてユーノは花街へ買い物に行き、カズラと初雪は掃除と片付けをはじめる。 カズラは家の中のいらない家財を外に運び出し、初雪は壊れた小物などを外に運ぶ。家の中がスッキリすると、ユーノが両腕に買ってきた修理道具を抱えて戻って来た。 『カズラ様、とりあえずこのぐらい買ってきましたが、よろしいですか?』 「ええ、ありがとう。私は井戸の修理をするから、二人は家の中の掃除をやってくれる?」 『りょうかーい。じゃあユーノ、行こっか』 初雪はユーノと共に、家の中に入る。そして持ってきた掃除道具の中からハタキを二本取り出して、二人は掃除を開始した。 鼻と口は布で覆っていたものの、それでも埃との戦いを繰り広げていたが、やがて初雪は少ししんみりした表情で呟く。 『この家の掃除と片付けが終わったら、住み慣れたあの家とはサヨナラなんだよね。そりゃあ借家よりは、一軒家の方が住みやすくて良いとは思うんだけど……。いざ引っ越すとなると、ちょっと寂しくなるね』 『あの借家には、思い出がいっぱいありますからね』 ユーノも賛同するように、強く頷く。 『確かにイロイロあったしね〜。……うん、本当にイロイロあったよ。しょうもないことから、あんなことまでっ! 僕が大体、酷い目に合っていた気がするよ! しかもカズラが原因で!』 『……まあ否定はしませんけどね。そういえば買い物をしている途中で、この一軒家について聞いたことがあるんです』 それはカズラが引き受けた、依頼に関することだった。 何でもこの家は元々借家だったらしく、その時は借り手がいなかった為に空き家だったらしい。 ある夜、花街で働く遊女と、同じ店で使用人として働いていた青年が駆け落ちをしてこの家に隠れたのだが、その時アヤカシに襲われて二人は殺されてしまった。 それ以来、この家はアヤカシが住み着き、困り果てた大家が開拓者ギルドに依頼をしたのだ。 『でもそんな事件があった家には、誰も住みたがらないでしょう? その上、何かとアヤカシが寄って来るようになったみたいで、カズラ様はそれを承知の上でこの家を引き取ったらしいですよ』 『……えっ? それじゃあこの家には、勝手にアヤカシが寄って来るってこと?』 『まあそうなりますね』 開拓者でなければ住めない家になったので、格安でカズラは引き取ったらしい。 真実を知った初雪の表情が、徐々に強張っていく。普段仕事で家を留守にしがちなカズラとは違い、パートナー達は留守番をしていることが多い。その間のことを考えただけで、初雪の怒りは爆発した。 『かっカズラぁああーー!』 そして初雪はハタキを手放して、外にいるカズラの所へ行く。 『……アラアラ。でもまっ、退屈せずにすみそうですね』 一人残ったユーノは、楽しげにクスクスと笑った。 ○からす(ia6525)の春 からすとその相棒達が住む屋敷は、春の陽気に包まれながらもどこかソワソワした空気が流れている。 猫又の沙門とからすは縁側で座布団の上に座り、お茶を飲みながらのんびり将棋をしていた。庭は春の植物で彩られており、ほのかに桜の香りも風に乗ってやってくる。 『ふわぁあ……。あ〜、春やなぁ。ええ陽気で気が緩んでしまうわー』 沙門は大きく欠伸をしながら、座布団の上に寝転んでしまう。 「だが勝負は気を抜かない方が良いぞ。ということで、王手だ」 『ぬぅっ。なら次はここや!』 「うむ……。なかなか良い手だな」 将棋盤を真剣に見つめるからすに、土偶ゴーレムの地衝が三色の串団子を二本、乗せた白い皿を差し出す。 『団子ができたでござるよ。硬くなる前に、食べるといいでござる』 「ありがとう、地衝。ところで人妖の琴音と、羽妖精のキリエの様子はどうだった?」 『二人共、頑張っているでござるよ。琴音殿はああいう作業が好きな為に、黙々と真剣に進めているでござる。キリエ殿は様子を見に行った時はお疲れであったが、差し入れの団子を食した後は集中して作業に取り組んでいたでござる』 「すぐにその状況が頭に浮かぶな。実に二人らしい」 『ニャハハッ! 二人の性格は、主が一番よく知っておるからのぉ』 からすと沙門は将棋を一時中断して、団子を食べ始める。口の中に優しく広がる甘さと柔らかさに、先程までの緊張感が解けていく。だが茶を飲もうとして、空であることに気付く。 「地衝、悪いが茶のおかわりを頼む」 『ウチも。猫又やさかい、ぬるめで頼むわ』 『了解でござる』 空の湯呑を二つ持った地衝が台所へ行った後、沙門は戸が開け放たれた大広間の中に視線を向けて、春の風でパタパタ揺れ動く大きな地図を見て眼を細めた。 『……住み慣れた場所から離れるというのは、何度経験しても慣れへんもんや。主は大丈夫なのか?』 「寂しくないと言えば、嘘になるな。私とて住み慣れた家には愛着を持っている。……だが私は根っからの開拓者なのだ。心が赴くままに、生きていたいのさ」 ――からすの心は既に、決まっている。 からすと相棒達は開拓者ギルドを通じて、新天地の開拓の準備を進めていた。大広間に広げている地図は現在のものだが、それを新しくするのがからすの今の仕事である。 「この世界には見つかっていない大地が、まだまだあるだろう。私の願いはそこへ行き、新たな発見をすることと、そこに住むもの達と交流をすることだ」 琴音とキリエには開拓者ギルドに集まった新天地の報告書や絵から、これから行く大地の地図の作成を頼んでいた。 新天地は危険なことも未知なことも、多いだろう。だが開拓者にしかできない仕事であり、また長期間、住居を留守にする仕事でもある。 それでもからすは引き受けた。体こそまだここにあるものの、心は既に新天地へと向かっているからだ。 『……あちらの土地にも、主が気に入っているカラスがいるとええな』 「そうだな。今まで餌付けしてきたカラス達には悪いが……まっ、この天儀にいるカラスならたくましく生きていけるだろうさ」 団子を食べ終えた時、琴音とキリエが両腕に大量の書類や巻物を抱えながらやって来た。 『……地図、できた』 『完成しましたよー!』 「おお、できたか。では早速行く場所を決める……その前に、沙門。これで詰みだ」 『しもたーっ! ぬかったわー!』 突然、勝負の決着がついてしまったことに、沙門は驚いて二本の尻尾を立てる。 からすは(してやったり)と微笑みながら、大広間に琴音とキリエと共に入った。 大広間の畳の上で、琴音とキリエはこれから向かう大地の地図を広げていく。まだ地図というには情報不足なところがあるが、それはこれから埋めていけば良いと、からすは思う。 「さて、どこから行こうか?」 大きな地図を見ながら、からすは首を傾げる。 相棒達も興味津々といった表情で、地図を見つめた。 『話が分かるモノがおる場所がええな。土産を持っていけば、その土地のことを詳しく教えてくれるかもしれへんし』 沙門の意見を聞き、キリエははしゃぎながら両手を上げる。 『面白い生き物と、お友達になれると良いね! 世界中にお友達がいたら、すっごく楽しいもん♪』 そこへお茶を入れ直してきた地衝が、話に入ってきた。 『まだ見ぬ敵もいるでござろう。準備はしっかりと整えていかねばでござるよ』 『……きっと、いろんなものが見える。新しい絵も、いっぱい描けるんだろうな』 いつも大人しい琴音には珍しく、ウキウキしている。 「う〜む、迷うな。まあまずは茶を飲むとするか」 地衝から湯呑を受け取ったからすは、ゆっくりと茶をすすった。 目の前にいる自分の相棒達は、楽しそうに新天地へ思いを馳せている。その姿が今の自分と同じであることに、からすは内心ほっとしていた。 開拓者のパートナーは、余程のことがない限りは離れることはない。だが逆を言えば、余程の理由があればパートナーという関係はすぐに解消されるものでもある。 からすが新天地を開拓するという依頼を引き受けたことを告げた時、相棒達の顔に浮かんだのは不安だった。しかしそれでも、からすと共に行くと言ってくれた。誰一人も欠けずに。 相棒達にもそれぞれ親しい仲のものがいたり、この土地から離れがたい気持ちもあっただろうが、それでもからすを選んでくれたのだ。 この先、不安が完全に消え去ることはないだろう。それでもこの仲間達がいつでも側にいてくれるのならば、何とかなるんじゃないかと思える。 不意に外から桜の花びらが飛んできて、からすの膝の上に舞い落ちた。 「今日は良い春日和だな」 からすは湯呑を持ったまま立ち上がり、縁側に出る。晴れた春の空を見上げていると、黒い鳥が飛んでいく姿が眼に映る。 「……『からす』という名は、自由と知性と気まぐれの象徴だ。ゆえに行き先は、行ってから考えても良いかもしれないな」 からすは二ヤッと笑うと決めたことを告げに、大広間に戻った。 ○リューリャ・ドラッケン(ia8037)とヘスティア・V・D(ib0161)の春 「ヘスティア、大丈夫か?」 「ああ。しかし大分このお腹も大きくなったな。……まっ、それだけ中にいるチビが育っている証拠だな」 リューリャとヘスティアは桜の花が舞い散る中、散歩をしていた。 妊婦のヘスティアを労わるリューリャは、少しでも楽になれるようにと彼女の背中に手を添えている。 安定期に入ったおかげで、ヘスティアにはある程度心の余裕ができた。今朝起きた時にはあまりに外の天気が良いのを見て、リューリャと散歩をしたくなったぐらいだ。 だがこの散歩には、二人のこれからのことに関して大事な意味がある。そのせいか、ヘスティアの表情には僅かに影が滲んでいた。 「……故郷のジルベリア帝国に帰って自宅で出産すること、許してくれてありがとな」 「礼を言われることではない。出産時は精神的にいろいろと不安定になると聞いたし、安心できる実家で子供を産みたいと思うのは当然だからな」 「うん……。でも少しの間とはいえ、ここを離れると思うとやっぱりちょっとさみしいな」 ヘスティアは少し悲しそうに、視線を下に向ける。 「故郷を出てここへ来た時、俺は一人でこの道を歩いたんだ。でも帰りはリューリャと彼女と一緒だなんて……何か縁って不思議だよなぁ」 「これからは一人じゃないさ。俺も彼女も側にいる。結んだ縁を大事にしながら、未来を生きていこう」 「……ああ」 それからしばらく、二人は黙って歩いていた。会話をしなくても、二人は穏やかな気持ちになれる。 しかし満たされた思いがある反面、これから伝えなくてはいけないことについて、ヘスティアは不安も抱いていた。 やがて二人は土手に訪れて、縁台があったので並んで座る。 そしてヘスティアは覚悟を決めて、自分の思いを語りだした。 「リューリャ、実は言っておきたいことがあるんだ」 「何だ?」 「その……チビを産んだ後、落ち着いたら俺は傭兵団に戻りてぇんだ」 「ヘスティア……」 リューリャが驚いているのは、視線をそらしていても分かる。自分が突拍子もないことを言っていることを、ヘスティアは自覚していたからだ。 「リューリャには今まで黙っていたけれど、実は傭兵団の仲間から『出産を終えたら戻って来いよ』って言われたんだ。その言葉が、ちょいと嬉しくてな。まだチビが小さいうちは、家の近くの仕事にしてくれって頼むつもりだ。だから……ダメ、かな? 泊まり込みの仕事なんてするつもりはないし、必ずその日のうちに家に帰るから……」 必死に言いながらも、ヘスティアは自分の声がどんどん小さくなっていくことに気付く。だがこれでは本気を伝えきれないと考え、両手をギュッと握り締める。 「……本当は分かっているんだ。チビの為には家にいた方が良いってことは……さ。そんで夫のリューリャを支えることが、妻として良いことだと思っているんだけど……。でもやっぱり俺は、傭兵団であることを捨てられない。だから……」 「そうしたいのならば、俺は止めないさ」 「えっ?」 予想外の言葉に、ヘスティアは驚いて顔を上げる。 リューリャはどこか諦めながらも、しょうがないというように微笑んでいた。 「『ダメだ、行くな。家にいろ』なんて言う、横暴な夫だと思ったのか? 君がそうしたいのならば、しても良いよ。子供の世話はお互い時間を作って、やれば良いだろう。忙しい時は、他の開拓者に頼むという手もあるしな」 「ぷっ。何だ、それ。……でもありがとう。正直言って、反対されると覚悟していたんだ」 ヘスティアは自分がどれだけ残酷なことを言っているのか、理解していた。本来ならば結婚をして子供を産んだ時点で、妻として母として家にいるべきだと分かってはいる。しかしどうしても自分の中にある『傭兵団』の部分が、静かで穏やかな生活を望まないのだ。 「……でもヘスティア、条件がある」 「何だ?」 「仕事が忙しいことは、俺もよく分かっている。けれどできるだけ子供と一緒にいて、思い出を作ってほしい。そうじゃないと子供は母親という存在がどんなものなのか、分からなくなってしまうからね。母親という存在が理解できなければ、自分という存在も理解できなくなるかもしれない。……それはとても寂しいことだ。だから仕事に一生懸命になるのは良いけれど、子供のことはめいっぱい愛してほしい。そして帰りを待つ俺と子供の為にも、決して無茶なことはしないでほしい。これが条件だ」 「リューリャ……」 静かながらも強い意志がこもったリューリャの言葉を聞き、ヘスティアは静かに眼を閉じて自分のお腹に触れる。 「……俺、さ。チビがある程度大きくなったら、いろんな所に連れて行きたいんだ。様々な物を見て、たくさんのことを経験して、自分が生きる道を力強く歩き進んでいけるように、いろいろと教えてやりたいんだ。……俺はそうして、育ったからさ」 ヘスティアはゆっくり眼を開けると、母親としての顔付きになっていた。 「でもチビに自分が望んだ未来を選び取る強さを身につけさせた後も、いつかどこかで困ったことがあったり、危ないことが起こった時には母親として手を差し伸べたいんだ。子供が成長したからって、ズバッと切り離すのは何か違うだろう? せめて俺が元気なうちは、腹を痛めて産んだ子供には頼られる存在でありたいんだ。だから傭兵団に戻りたいってのもあるな」 子供にいざという時が訪れた時の為に、ヘスティアは強いままでいたいのだろう。 そんな彼女の母心を知り、リューリャは胸が熱くなるのを感じた。 「……俺は君が帰ってくる場所をずっと守るから。もちろん、子供と共に。君が昔、俺の居場所のきっかけをくれたように、『僕』は君が帰るべき場所を守り抜くことを誓うよ」 「あっ、うん……。俺が帰る場所はリューリャの所が良いから……。他のどの場所に誰がいても、絶対にリューリャとチビがいる場所を選ぶから……さ」 ヘスティアは赤くなる顔を隠すように、リューリャの肩に顔を押し付ける。 リューリャは背中に回していた手を、ヘスティアの頭に乗せた。そしてもう片方の手は小指を立てて、ヘスティアに見せる。 「それじゃあ絶対の約束だ」 「ああ」 ヘスティアは自分の小指を、リューリャの小指に絡めた。触れ合う肌から熱と共に、あたたかい気持ちが流れ込んでくるようだ。 「さて、風が少し冷たいな。そろそろ家に帰ろうか」 「そうだな。体を冷やすのは、チビにも悪いし」 リューリャの手を借りながら立ち上がったヘスティアだが、何故か歩きだそうとしない。モジモジと照れ臭そうに、視線をさまよわせている。 「どうかしたか?」 「んっ……。少しの間、手をつないでてもいいか?」 「良いよ。それじゃあ手をつないで帰ろうか」 「うん!」 リューリャの提案を聞いて、ヘスティアの顔にようやく満面の笑みが浮かんだ。 ヘスティアの手のぬくもりを感じながら、リューリャは遠い目をする。 「こうやって手をつなぐのは、久し振りだな。……でも二人で手をつないでいられる時には、限りがある。子供が産まれたら世話をする為に、自分の手を使うだろうしな」 「そうだな。でも本当に懐かしい。子供ん時の追いかけっこでさ、鬼役の俺はこうやってリューリャの手を捕まえたんだよな。楽しかったなぁ、全力の追いかけっこ」 ヘスティアは懐かしそうに楽しそうに語るが、リューリャの表情には不安が浮かぶ。 「やりたくても、しばらくはダメだからな。子供が幼いうちは……」 「いや、流石にもうそんな歳じゃねーよ」 リューリャはヘスティアが子供の頃のように追いかけっこをしたいと思っていると考えたらしく、違うと分かると安堵のため息を吐いた。 「まあでも確かに懐かしいな。追いかけっこをして、君にこうして捕まえられて、そして養父に引き取られて……。それが今につながる何もかもの、はじまりだったんだよな」 「そうそう。リューリャは俺の好敵手になってくれて、そんで兄ちゃんにもなってくれて、そして旦那にまでなってくれた。……不思議だよなぁ。今までお互いのことを見てきて、それでもずっと一緒なんだからさ。俺はリューリャのものだし、リューリャは俺のものだ」 ヘスティアは独占力を出しながら、リューリャを見上げてウインクをして見せる。そしてリューリャの腕を、ギュッと抱き締めた。 「もう少しだけ、独占させてくれよな。子供が産まれるまで、間もないんだから。今だけは、な?」 甘える仕草をするヘスティアを見つめながら、リューリャは過去に思いを馳せる。 (『君』があの時、『僕』を捕まえたから、今の『俺』はここにいる。あの時、本来存在するはずのない未来を『君』がくれたんだ) ならばリューリャとヘスティアがこれから先も共にいるのは、必然なのかもしれない。 母親の顔と妻の顔をどちらも合わせ持つヘスティアの穏やかな微笑みを見ながら、リューリャは確かな未来を感じた。 「俺は君達と共に歩める未来を、幸せなことだと信じているよ」 「リューリャ……。ああ、俺もだ」 ○リンスガルト・ギーベリ(ib5184)、リィムナ・ピサレット(ib5201)、リリアーナ・ピサレット(ib5752)の春 小さな体に大きな荷物を背負いながら、リィムナはギーベリ家が所有する屋敷の居間に足を踏み入れた。 「リンスちゃん、姉ちゃん、お待たせー!」 神楽の都にあるジルベリア風の大きな屋敷では今、春の陽気と合わせて、とある理由で明るく賑わっている。 その原因であるギーベリ家に仕えるメイドのリリアーナは、妹のリィムナの所へ駆け寄ると荷物を持ってあげた。 「大量に荷物を持ってきましたね。こちらで過ごす為に必要なものは全て、お嬢様が用意していたんですよ?」 「あたしはまだ、泰国で大学生活を送っているからね。春休みでも、やっておきたいことがあるんだよ」 リィムナは今、家族の元から離れて寮生活を送っている。いつも長期の休みの時は実家に帰るのだが、今回は特別な事情がある為にリンスガルトの家に泊まることにしたのだ。 「姉ちゃん、結婚おめでとう。まさか五行王の正室になるなんて思わなかったよ。玉の輿だね♪」 「まあめでたいことではあるが、妾は少し寂しいものじゃ」 豪華なソファに座りながら紅茶を飲んでいたリンスガルトは、眼を細めながらリリアーナを見つめる。 「長年仕えてくれた優秀なメイドであるが、妾にとってリリアーナは実の姉のような存在じゃ。もし向こうの家で不愉快なことがあれば、すぐに知らせるのじゃぞ? 例え王が相手でも、汝を悲しませる者は許さぬからな!」 「ありがとうございます、リンスガルトお嬢様。このお屋敷で働けるのもあと僅かな日々となりましたが、できることは全てやっておきたいと思っております」 主人とメイドの間にあたたかな空気が流れるものの、長年家族として過ごしてきたリィムナの頭の中には姉が泣かされている姿がどうしても思い浮かばない。 もうすぐリリアーナと五行王の結婚式が行われるので、手伝いをする為にリィムナは姉の仕事場であるこの屋敷に滞在することにしたのだ。 「リィムナ、疲れていないのならば、これからピクニックへ行かぬか? ちょうど桜が見頃じゃ」 「良いね! 姉ちゃん、サンドイッチを作ってよ」 「はいはい。でもその前に、荷物を部屋に運びましょう」 「うん!」 リィムナは連れてきた轟龍のチェンタロウの背に乗り、リンスガルトは炎龍のMiGの背に乗って空を飛ぶ。あたたかな春の陽射しと風を浴びながら、神楽の都を離れて桜の名所と言われる山へ来た。 数多くの種類の桜が咲き乱れている中で、リリアーナが作ってくれたサンドイッチを二人は頬張る。 「やっぱり姉ちゃんのサンドイッチは最高だね! ……これからは気軽に作ってもらえないと思うと、余計に美味しく感じちゃう」 明るく振舞ってはいるが、やはり姉が嫁入りするのは少し寂しいのだろう。 笑顔の中に暗さを滲ませるリィムナに、リンスガルトはイチゴと生クリームのサンドイッチを彼女の口の中に押し込んだ。 「むぎゅぅっ!?」 「いつでもは無理かもしれぬが、それでも作ってはくれるじゃろう。それまでは姉の味を受け継いだ汝の味で、我慢するのじゃな。妾も我慢をするとしよう」 二ヤッと笑うリンスガルトに励まされていることに気付いたリィムナは、ゴクッとサンドイッチを飲み込むと満面の笑みを浮かべる。 「それじゃあギーベリ家にいつ嫁いでも良いように、嫁入り修行をはじめようかな?」 「ぐほっ!?」 そしてその夜は屋敷の大広間で、燕尾服姿のリィムナとドレス姿のリンスガルトがダンスを踊る。アルガーン・スターリを使いながら曲を演奏するのは、リンスガルトの相棒で人妖のカチューシャだ。 楽しそうに踊る二人の姿を、壁際で待機しているリリアーナは優しい眼差しで見つめ続ける。 翌日、リィムナは応接室でリリアーナと共にリンスガルトを待っていた。 「二人共、待たせたな! どうじゃ?」 扉を開け放って中に入って来たモノに、二人は一瞬攻撃しそうになる。しかし中からリンスガルトの声と気配がするので、寸前で止めたが……。 リンスガルトは着ぐるみを着用していた。真っ赤なタコの頭に豚の胴体、背中には龍の翼と尻尾が生えているソレは、パッと見は新種のアヤカシにしか見えない。 「タコ漁と龍牧場と養豚場が盛んな街から、ゆるキャラの制作を依頼されての。妾が考えて作ったダコドラブッヒーじゃ! 可愛いであろう?」 「うっうん……。かっ可愛いね、アハハ」 「たっ大変素晴らしいと、思います」 姉妹は引きつった笑みを浮かべるも、リンスガルトは上機嫌で着ぐるみを見ている。 一歩後ろに下がったリィムナは、笑みを崩さないままボソっと呟く。 「……こういうアヤカシ、いそうだね。鵺の別バージョンみたいな感じでさ」 「コラ、お嬢様は気に入っておられるんだから、そういうことを言ってはなりません」 「じゃあ姉ちゃんはどう思ったの?」 妹の真っ直ぐな視線から逃げて、リリアーナは空中を見つめる。 「『混ぜるな危険』という言葉が、一瞬頭の中に浮かびました……」 「そうだね。アレを見た子供達がどんな反応をするのか、考えるだけでも怖いよ。とりあえず、提出日まで何とか作り直すように説得してみようっと」 それから数日が経過したが、リンスガルトはリィムナに対して少し不満を抱いていた。 「リィムナ、今宵も自分の部屋で眠るのかえ?」 「うん、ゴメンね。ちょっと今、研究で忙しいんだ。姉ちゃんの結婚式までには、終わらせたいからさ」 リンスガルトの許可を得て、リィムナは屋敷の地下にある書庫を行ったり来たりを繰り返している。両手にいっぱいの本と巻物を与えられた部屋に持ち込み、夜は一人で過ごすのだ。 たまには一緒に寝たいと誘ってみても、困り顔で断られる。 避けられている気がして、リリアーナに尋ねてみても「万が一悪い癖が出た時に、お嬢様を困らせたくないからでは?」と家族ならではの冷たい眼差しと声で語っていた。 それを言われてしまうと、リンスガルトは何も言えなくなる。 リィムナの悪い癖は次の朝、早速出てしまった。 「……また立派な天儀の地図を描きましたね」 「えへへ♪」 「笑い事じゃありません」 「……はい、ごめんなさい」 リィムナの悪い癖とは、おねしょのことである。 リリアーナは朝の挨拶よりも先に、おねしょの報告を聞いて顔をしかめた。それでも布団を持って、人目が少ない裏庭で洗って干してくれる。 「とりあえず布団が乾くまで、立っていなさい。よりにもよって、お嬢様のお屋敷でおねしょだなんて……」 「さっ昨夜はちょっと勉強に集中しすぎて、寝る前にトイレに行くのを忘れちゃったんだ。今後は気をつけるよ! ……リンスちゃんに嫌われたくないし」 「ぜひそうしてください」 リリアーナはリィムナの頭に軽く拳を当てると、屋敷の中に戻って行く。だが屋敷の中で、リンスガルトがこちらを見ている姿を発見した。 「少し厳しいのではないか? あれでも他の場所では、滅多にせぬようになったのじゃぞ?」 「お嬢様は妹に甘すぎます。これは愛ゆえのしつけなのです。わたくしはもう今までのように、側にはいられないのですから」 これからリリアーナの一番側にいるのはリンスガルトでも妹達でもなく、夫なのだ。そして夫との間に子供が生まれたのならば、優先的に守るのはもちろん子になる。 「姉の役目は永久に続きますが、世話を見ることはできなくなります。わたくしはリィムナに、お嬢様の隣に立つに相応しい者になってほしいだけです」 リリアーナは意味ありげに笑うと、歩いて行ってしまう。 「……ヤレヤレ。やっぱりリリアーナは、姉じゃのう」 リンスガルトは肩を竦めると、リィムナの所へ行く。しかし目の前までやって来たというのにリィムナの視線は足元に向いており、何かを考え込んでいるようだ。 「リィムナ、そんなにショックだったのかえ?」 「えっ!? あっ、リンスちゃん。えっへへ、そうなの。またやっちゃったの。ゴメンね」 声をかけられてはじめてリンスガルトの存在に気付いたリィムナは、申し訳なさそうに弱々しく笑う。 「それはよいのじゃが……。何か心配事でもあるのか? リリアーナのことや大学のこととか……」 「大丈夫、何でもないから!」 誤魔化すような明るさだったが、これ以上リンスガルトは問い詰められなかった。 「……じゃが気になる。ならばもう直接、聞いてみようぞ!」 リィムナは相棒のオートマンのヴェローチェと天妖のエイルアードと共に、書庫の部屋に閉じこもっている。理由は集中して研究をやりたいということだが、放っておかれたリンスガルトの寂しさは限界を越えてしまった。 「リィムナッ、いつまで妾を放っておく気じゃ!」 「うわっ!? リンスちゃん? ビックリしたぁ」 突然部屋に入って来たリンスガルトに驚いて、リィムナと二人の相棒は飛び上がった。 「ん? 随分と部屋が散らかっておるのぉ。何の研究をしているのじゃ?」 部屋中に散らばっている紙にはリィムナの文字でいろいろ書かれているが、読んでもリンスガルトはいまいち理解できずに首を傾げる。 「……まっ、いっか。隠すつもりはなかったけれど、まだこの研究は完成していないし、内容にちょっと問題があるから黙っていたんだ。でもここまで来てくれたから、教えるよ。ホラ、あたしが研究していたのはこのことなんだ」 リィムナは手に持っていた本のあるページを開き、リンスガルトに見せた。しかし途端にその表情は曇る。 「……こんなことを研究しておったのか。んむぅ、しかし本当に可能なのか?」 「多分……ね」 自信なさげにリィムナは答えるものの研究を続けているということは、何かしら確信を得たということだろう。 「……よしっ! ならば妾もこの研究に付き合おうぞ!」 「ええっ!? でも向こうには何があるのかまったく分からないし、あたし達の開拓者としての力も技も何一つ通用しないかもしれないよ?」 「それでも妾と汝ならば、何とでもできる! そうであろう?」 「リンスちゃん……。うん、そうだね」 二人は柔らかく笑うと、どちらからともなく抱き合いキスをする。 ヴェローチェとエイルアードは空気を読み、静かに部屋を出て行った。 「愛しておるぞ、リィムナ」 「うん、あたしも。ずっと一緒にいようね♪ ……ということで、とりあえずこの本を全部読んで暗記してね。まずはそれからだよ」 リィムナは見せた本を、リンスガルトの胸に押し付ける。 「あっ暗記かの?」 「大丈夫! あたしが教えながら読んであげるから。ちゃんと覚えないと、お仕置きだからね?」 「研究は難しそうじゃが……、お手柔らかにの」 二人の様子をこっそり廊下から見ていたリリアーナは、二人分の紅茶を入れる為に階段を上って行った。 |