【初夢】和平前夜
マスター名:ほっといしゅー
シナリオ形態: イベント
EX
難易度: 普通
参加人数: 10人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2011/01/15 02:14



■オープニング本文

※このシナリオは初夢シナリオです。実際のWTRPGの世界観に一切関係はありません。
 あくまで架空シナリオであり、実際の天儀の歴史を正確に反映したものではありません。

●天儀歴925年 1月
 天輪宗徒の自立をめぐって激化した東房と北面の争いは、最終局面を迎えようとしていた。
 長い年月と人々を巻き込んで続けられたこの戦については、みな内心では今すぐにでも終わらせたい思いが強かったのだが、しかし、互いに講和という政治的な解決については決断を渋っている状態であった。このとき、双方の首脳陣は出方を水面下で探っていたのだが、落としどころ――すなわち、終戦後の国境をどこへ置くか、で議論が紛糾していたのである。東房と北面が対等に講和するという体面を保つため、線の引き方には細心の注意を払わなければならなかった。現在の支配領域は東房国内の鞍川で東西に分かつ形になるが、この川を境に、双方の面子を賭けた、前線と同じくらい激しい一進一退の攻防が繰り返されていた。
 ようやく講和の話がまとまろうとしていたとき、虚を衝いてこの均衡を破ったのが、北面志士・木之下兼詮の一団であった。彼が率いる多数の騎馬部隊が、松の内が終わる前に鞍川を渡河し、東房領内を強襲したのである。川の西は地盤のよくない湿った荒れ地が広がっていたことから、東房勢が騎馬の進軍には適さないと考えたその裏をかいたのだった。
 この抜け駆けにも等しい戦闘の結果、ものの数日で鞍川東岸は彼の勢力下に収まった。このままでは、ここを橋頭堡として後続のさらなる進軍のおそれがあり、東房勢は、一度鞍川東岸の領土を放棄し、戦線を立て直さなければならなかった。この猛攻を目の当たりにし、東房勢を指揮する妙道院梁貫は敗走の覚悟すらしていた。
 しかし、木之下隊の快進撃はそれ以上続かなかった。これは一説には、終戦後の論功行賞を巡った内紛によって補給が滞ったのではないかと、まことしやかに噂されている。兼詮がこのまま攻め続けていれば、手柄が全て木之下隊に持って行かれてしまだろう、と北面志士衆が危惧していたのは事実だが、ことの真相はさておき、理由はどうあろうと彼の軍勢は倉川東岸の橋頭堡を築いただけで、侵攻を止めてしまったのである。
 これを梁貫は見逃さなかった。前日とうって変わって静かな様子を見張りの兵から伝え聞いた彼は、立て直しができた最小限の手勢のみで、木之下隊本陣へ向けて打って出ようとしていた。この時点で攻撃がいつ再開されるかは定かではなく、これは大きな賭けであった。最深部に陣取る兼詮を彼が動くよりも早く討ち取れば、これ以上領土は失わずに講和へ持ち込むことができるだろう。兼詮が動けば失敗する可能性は限りなく高いが、それでも試す価値は十分あった。
 幸いにして、彼の隊の士気は高かった。深夜、前線近くの寺で集められた兵に向かって、梁貫は高らかに呼びかけた。
「生きては帰れぬことと心せよ。狙うは敵将の首ひとつ」


■参加者一覧
/ 井伊 貴政(ia0213) / 柳生 右京(ia0970) / 礼野 真夢紀(ia1144) / 平野 譲治(ia5226) / からす(ia6525) / 和奏(ia8807) / 不破 颯(ib0495) / 无(ib1198) / 久悠(ib2432) / ライ・ネック(ib5781


■リプレイ本文

 その日は、晴れ渡っており風もなかった。そのため日没ともなると、気温は日中と比べ大きく落ち込み、鞍川流域の広範囲が濃霧で覆われた。視界は50間足らずになり、奇襲にはうってつけである。予想外のできごとではあったが、幸先はいい。
「士分でないのですから、あれは止めてくださいよね、全く」
 僧兵とはいえ、死ぬことと見つけたり、とは無粋なものだ。荒野の草むらに身を隠しながら、出撃前に妙道院が語った訓示を思い出し、无(ib1198)は懐に収まっている小さなケモノにひとりごちた。ただ、寒さで丸くなったそれはたいへん眠そうで、彼に同意も否定もする様子はなかった。まあいい、これが終われば酒でも飲むか――と、彼は濃霧の中目をこらして、陣幕の数を数えていた。
「そうですね‥‥私も、木之下さまには特に恨みなどありませんから‥‥」
 彼の相棒のかわりに、隣で同様に陣を眺めている和奏(ia8807)が受け答えした。傭われの兵として半ば成り行きで参戦することになった彼らに、何か個人的な思惑があるわけがない。悪く思わないでくださいね、と思い続けていた彼だが、これで戦が終わりになるのであれば、早く終わりにしたいという気持ちをぶつけても大丈夫かな、とも思えた。
 夜霧に紛れ彼らが探っていたのは、目標である大将の場所だけではない。木之下勢の最大の武器である騎馬を利用するために、厩をはじめ、武器、兵糧、あるいは退路など、ありとあらゆるものを作戦に組み入れる必要があった。
 外側からの偵察だったために、はたして総大将の位置まではわからなかったが、おそらく軍勢の中心に陣取っているのだろう。ここで木之下兼詮を討ち果たせれば、流れを明らかに終局へと向かわせることができる。そのためにも、兼詮は鞍川の向こうへ逃がすわけにはいかなかった。濃霧ににじむ篝火の明かりを頼りにし、物見のふたりは敵陣をくまなく調べ上げた。
 无と和奏が持ち帰った敵情は、集められた者たちを神経をいたく刺激した。宵闇に紛れているのは木之下も同じであり、おそらく夜が明け、霧が晴れると同時にまた攻勢を再開させるであろうこと、そして鞍川の渡しから、次々と後詰めの兵が川を越えていること。これは妙道院勢にとって夜明けまでしか時間がないことを示していたが、井伊 貴政(ia0213)は特段、動揺した素振りも見せなかった。
「間に合って良かったな。最後の機会が転がり込んできたというわけだ」
 まったくです、とライ・ネック(ib5781)が同意した。木之下勢はいま独自の時間割、それも相当緻密なものを使って動いているのだ。そこに自分たちの奇襲が虚を衝いて割り込めば、計画はあっという間に破綻する、という目論見である。これも武技にいうところの『後の先』に他ならない。それに、木之下勢の時間が止まらないのであるから、自分たちにとってはそれをさらに先んずるしか方法はなかった。少数の手勢で考えうる限りの混乱を敵軍に与え、士気を挫くために、部隊は計画を練りに練った。
 幸いにも、妙道院のもとには、弓を扱える不破 颯(ib0495)と久悠(ib2432)、そしてからす(ia6525)が属していた。からすが突入を志願したため、残るふたりが支援の射撃をすることとなったが、当然のことながら初手には火矢が選ばれ、いの一番に火矢を射る目標は、細心の注意をもって決定されていた。
「――いくさってのは的が多すぎてどれにしようか迷っちまうから、はじめはあのくらいでいいかねぇ」
 雇われの性か、大役を任されたふたりもまた、緊張などどこ吹く風、である。颯は目標が厩だと聞いて、自嘲気味に笑った。見つかる前に火矢を射ればよいのであるから、簡単である。大将首を狙えればいいんだけど、とは思ったが、それを口にする前に久悠に諭された。
「相手は騎馬隊なれば、まず馬から射るのは兵法の初歩。それに、兵の中には大将を守るべく動くものが必ずいる。それを追えばいい」
「へえ〜なるほどねぇ、まずは外堀から、かあ」
 方針が全会一致の同意を見たあと、木之下勢を囲い込むように部隊は散開して宵闇へ紛れ込んだ。計画では火矢からの出火を契機に、各々が敵陣へ攻め込むこととなっている。
 眼前の軍勢のかすかにたてるざわめきと対峙して、平野 譲治(ia5226)の意気込みは軒昂たるものであった。和平間近になって不意討ちとは、不届き千万なり。おいらの式にて、一矢でも二矢でも三矢でも、報いてやるのだ。
 同様に士気の高まっていた柳生 右京(ia0970)であったが、その心境は逆に落ち着き払っていた。狙うはまさに木之下兼詮ひとりであり、彼と一合相まみえることこそが右京のこの作戦における目的であった。願わくは彼が真の兵たらんことを。そう思いながら、右京は太刀の柄に手をかけ、その瞬間を待っていた。
 もしも、この襲撃の様子を霧がないところから眺めたのならば、慌てふためく木之下勢の姿がはきりと捉えることができるであろう。もちろん、もしもはもしもであり、仮定に基づく議論は無意味なものではあるのだがけれど。
 冬の夜の冷え込みと濃霧がいちだんと勢力を増してきたころ、うっすらと光る篝火の中から、ひときわ大きく揺らめく炎が浮かび上がった。颯と久悠の放った火矢によるものである。火の付いた厩から馬が暴れて出てきたのと、誰かが敵襲、と叫んだのはほぼ同時だった。のちに、これ以降の状況を正しく語ることができた木之下勢は、指を折って数えるほどしかいなかった。
 勢いよく飛び出したからすは、まず逃げ惑う馬に目を付けた。混乱に乗じしばらく木之下勢と一緒に駆け回ったあと、既にあるじを失ってしまったのか、落ち着きを取り戻し佇んでいる黒鹿毛を目ざとく見つけ、御することに成功した。
「よし、いい子だ。頼むよ」
 からすは騎馬の首筋を掌で優しく叩いてねぎらい、次いで鐙を軽快に脇腹へ打ちつけると、黒鹿毛はすぐに速歩から駈歩、そして襲歩へと移り、夜霧を流れるひとすじの疾風となっていった。そこから放たれる弓は、ほとんど音も立てず、誰も知らないうちに、胸や喉を襲い兵をなきものにした。
 一方で、无は敵襲、敵襲と叫びながら木之下勢を煙に巻いていた。喧騒と暗闇で誰が何を言ったのかさえわからない状況では、東房勢5千の夜襲だの、最後の退却の舟が出るだの、はては木之下兼詮は既に討たれたという流言さえ、真に受けてしまう兵も現れるほどである。またありもしない5千の敵兵を信じ込んだ兵による同士討ちも、陣の随所で見られるようになってきた。
 こう浮き足だっては、精兵も形無しですね。彼はまた、懐の中の丸まりに語りかけた。そして物陰に隠れると、式を呼び出し、最後の目標を探しにかかった。
 ここまでの混乱に陥ったのも、ほぼ同時に、各所から火の手が上がったことによるものが大きかった。このため木之下勢は10人足らずである敵の兵力をこれ以上ないほど過大評価し、士気の崩壊に繋がったのである。
 この火計は、最初の2、3こそ颯と久悠の火矢であったが、以降、陣を縦深的に放火を行ったのはライ・ネックである。无と和奏の下調べした陣を組まなく渡り歩き、あるいは陰から陰へと飛び移りながら、短時間のうちにすることをしたのである。彼女を阻止せんとする兵も現れたが、彼らは闇に溶けたような苦無によって、武器庫や兵糧庫と同じ運命を辿らされることになった。
 火矢の大役を果たしたあとは、颯と久悠は戦場を縦横に駆け、敵戦力を削ぐことに集中していた。急所を狙うなど、物理的に無力化するだけでなく、矢で集団の恐怖を煽り恐慌に陥れるなど、精神的にも無力化することにつとめた。ただ弓を持つ者については、優先して狙いが定められた。
 襲撃の尖兵をつとめる貴政と右京は、木之下勢の敵愾心を一心に浴びながら奮戦していた。これが井伊家の家運をかけた一戦であったならば、貴政のいくさぶりは後世まで語り継がれるものとなったことだろう。対して右京は、語り継がれる血筋はなかったが、個人的な目的に関してじゅうぶん満足していた。彼の思惑と妙道院の思惑が一致していたことは、東房にとっては吉、北面にとっては凶以外のなにものでもなかった。ふたりは兼詮が目の前に現れるまで、けして振りを緩めない覚悟で、木之下勢と太刀打ちしていた。
「次に刀の錆になるのは誰だ、かかってこい!」
 貴政も右京も多勢に無勢で、幾度も囲まれそうになったが、その都度囲みを解いたのが譲治の火の式である。燃え上がる周囲の陣よりも明るく輝くと、飛び回ったり爆ぜたり、あるいは投げつけたヴォトカに引火したりと、兵の隙を作り出すには一定の効果があった。もちろん、ふたりにはそれでことが足りた。
「おうっ、年貢を納めるのはまだ早いぜよっ!」
「ふん、なぜ私が年貢など」
 彼のひとことでまだ戦える、と息を吹き返したふたりはまた、八面六臂の斬り合いを始めるのであった。
 襲撃が開始されてから半刻ほど経ち、木之下の軍勢は多くがお互いに討ち取られるか、炎に巻かれるか、川に飛び込むか、あるいは後方へ散り散りになっていた。木之下勢の一部は川向こうの軍勢に救援を求めたが、これに応じる将兵はいなかった。以前から北面での兼詮の勢いは危惧されていただけでなく、かねてより无が梁貫へ進言し、離間のための虚報を流布させていたことも、諸将の出足を鈍らせる結果となっていた。
 和奏は夜霧と戦塵にまぎれ、兼詮の馬印、すなわち本陣を捜していた。まともに戦える兵はほとんどなく、木之下勢もはや壊滅か、と思っていた矢先、霧の奥から見覚えのある家紋が現れた。あらかじめ確かめておいた、木之下家のものだった。
 篝火はあったが、人の気配はなかった。和奏が陣幕の中を覗き込むと、やはりもぬけの殻で、鎧武者がひとり、討ち取られた体で倒れている。兜に取り付けられている一本角のような長い立物が、その甲冑が兼詮のものであることを示していたが、彼の中で、状況と人物の風貌から、これは影武者であると直感が告げていた。
 馬を駆るからすも式を駆る无も、目標とする人物を捜し当てることはできなかった。无は、兼詮がここにはもういないのではないかと焦ったが、彼の予想は半分正しかったのである。
 そのとき、木之下兼詮は馬上で、夜霧の向こうで焼け落ちる自陣をじっと見ていた。付き従えるは口取小姓の侍がひとりきり。眼前の炎はすなわち、自らの野望が完全に潰えたことを表すしるしであった。このまま落ち延びたとしても、ただ生き恥を晒すだけである。
「もはやこれまでだな」
「最期までお供いたしまする」
 そうして彼は燃えさかる炎へ向け、馬を歩ませた。
 この戦闘は懸念をひとつ残し、東房の大勝にほぼ決着した。妙道院の放った手練の古強者は存分な働きを見せ、またその中で命を落とすこともなかった。後日、政治的な解決へ向け、東房と北面は歩み寄りを見せるだろう。ただしこれは平和のための戦いなどではもちろんなく、厭戦のための多大な出血を強いられた戦いのひとつとして、数多くのいくさと並べられるものでしかない。
 残ったただひとつの懸念は、凱旋気分に浸る間もなくすぐに発見された。彼が北面勢の前にその姿を表したのは、戦がほぼ鎮まり空が白んできたころ、妙道院の手勢の協力で、捕らえた将や負傷者の後送や、首実検などを行っていたさなかである。和奏の見た影武者と見た目はほぼ変わらなかったが、その気迫には並ならぬものがあった。濃厚な朝霧の奥からでも、殺気が伝わってくるような気さえした。
 姿を現すやいなや、兼詮はとどろき渡る大声で名乗りを上げた。我こそ北面が志士、木之下兼詮なり、全力でかかって参れ。
「来たか、強き者‥‥」
 まずそれに、待ちかねたような素振りの右京が呼応すると、つづいて貴政が声を上げ、はたして襲撃を成功させた全員、9名が討ち取らんと武器を取った。
 それを確かめると、兼詮はまず大きく咆哮した。ついで飛ぶように下馬し、自身の大槍で討ってかかり、1合2合と、囲まれているにもかかわらず皆と対等に渡り合った。ただ弓は避けようとせず、急所へ突き刺さるのを逃れるのみで、彼はもとより勝ち残る気などなかった。
 3合4合、5合6合と打って、しばらく互角の剣戟が交わされたあと、彼の剣気にみな押され始めたころ、途端に兼詮は立ち止まり、槍を放して腕を広げた。
「もうよかろう。楽しかったぞ。柳生と申す者、討て」
 彼に射られた矢は13本に達しており、この時点で彼は瀕死だったのだろう。右京が御免、と太刀を薙ぐまでに彼が息をしていたかどうかは、今となっては誰にもわからない。ともあれこうして、北面の猛将、木之下兼詮は鞍川の戦いにて討ち果てたのである。

 以降、この地にはいくさらしいいくさが起きることはなかった。戦後の鞍川流域は、東房との協定の結果、北面がかろうじて領土を保つことになった。かの地を含めた北面との境は、兼詮の功により、東房勢を牽制する役目を期待され、彼の息子が拝領することとなった。なお、兼詮のなきがらは、川を越えた西岸に祠の形をとって葬られたという。
 そして鞍川は倉川と名を変え、流域は新たに壱師原と名付けられた。また木之下家はのちに北面候より祁瀬川姓を賜り、現在に至っている。