年貢の話をしよう
マスター名:ほっといしゅー
シナリオ形態: ショート
EX
難易度: やや難
参加人数: 4人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2010/10/21 03:46



■オープニング本文

 この季節、植え込みの金木犀のおかげで、庄屋の庭は爽やかな香りに包まれているはずである。はずである、という語句を用いたのは、この屋敷の主である勘吾にとっては、その香りを楽しむ暇が全くない、ということを表したからである。彼はいま座敷の畳の上で、大いに悩んでいた。
 その悩みの発端は、つい先週のこと、稲こきも終わりようやく一段落つこうとした矢先のことである。突然、若年寄の伴太が、大慌てで勘吾の元へ駆け込んできた。こういう場合、すわケモノかアヤカシかと思ったが、彼の予想ははずれた。
「伴太、どしたや(伴太、いったいどうしましたか)」
「あのよ、余塚のてーらがよ、はー新田の稲ぁ年貢に出したぐねぇちけ。どーすべ(あのですね、余塚の人々が、えー、新田で採れた稲を年貢として納めたくないそうです。どうしましょう)」
「あ〜? なじょして?(ええっ、なぜでしょう)」
 余塚の新田については、以前から因縁があることは勘吾も知っていた。新田の検知の際、志士と一悶着を起こしたのだ。これらの田は、もともと余塚の農民が、北面、あるいはここ壱師原の領主の力を借りず自分たちで開墾した農地であり、ここ近年になって、ようやく稲が植えられるようになった土地である。いま領主の号令で開墾が進められている倉川とは違い小規模であるが、それでも彼らにとっては、長い期間と労力をかけて拓かれた一大事業であり、誰にも触られたくない自由の土地であったのだ。勘吾をはじめとする近辺の集落の農民たちも、その努力の結晶として風になびく稲穂を見、心打たれたものである。
 しかしそれが、年貢を納めない、となると話は別だった。意図的な年貢の不納は重罪である。この報せを聞き、急遽勘吾は余塚の近隣の集落で備蓄してある非常用の蔵米を足りない分に充て、村の分の年貢米を、なんとかして期限内に納めたのである。年貢は村全体で一括して納めるようになっていたため、このような調整が可能であった。裏を返せば、不納の責任を村全体で負わなければならないのだ。
 納めたあとは、村うちで内々に話をつければめでたしめでたしで話は終わるはずだった。しかし、そうは問屋が卸さなかった。これを不服に思った村内の何者かが、この件を領主へ告発してしまったのだ。備蓄米は飢饉に備え、領主の命で保管されているものであるから、勝手に持ち出すことはできないものであるこれが露見すると、勘吾も罪に問われることになる。。誰が密告したかも勘吾には気になるところであったが、それよりも彼の目の前に置いてある、領主からの呼び出し状のほうが恐ろしかった。余塚の代表者にあたる、組頭の八郎平にも、同じ物が届いていることだろう。
 このたびの年貢米の件について、二三聞きたいことがあるからぜひ来てほしい、よろしく頼む――と一見平静を保ち、気さくで、何の変哲もない手紙のようであるが、実際は強制的に、『お裁き』への出頭を命じるものである。領主の花押と朱印が、それを如実に物語っていた。
 出頭まで数日を残すのみとなったが、ここで勘吾は、よし、と決心した。ここ壱師原においてこういった訴えが提起された場合は(めったに起こされるものではないが)、当事者を呼び出し話を聞くことになっている。また、呼び出されたものが一方的に吊し上げられないように、それぞれ弁解人を帯同させることが可能となっていた。この弁解人を、彼は開拓者につとめてもらう心積もりでいた。中立性の高い開拓者が介入することで、領主にとって都合のいい裁決はできなくなるはずだ、八郎平も賛成してくれるだろう、と彼は思った。

 それと時を同じくして、久賀綾続は一枚の紙を前に考え込んでいた。彼の目の前のそれは、匿名で提出された訴状である。それによると、余塚に贔屓した庄屋が、自分たちの備蓄米を勝手に持ち出し、新田の年貢を棒引きした、とある。
 呼び出したふたりを処罰してしまうのは簡単である――領民の人心が離反するのを顧みなければ。また仕方ないなと許すこともできない。無理な要求がひとたび認められれば、彼らは同じことを繰り返し、年貢を自ら納めることはしなくなってしまうに違いない。その心理はいずれ領内全体へと波及し、領地の統治が金銭的にも、心理的にも立ちゆかなくなることは目に見えている。新田の年貢を納めさせるためにはどうしたらよいか、考えなくてはならない。もしかしたら、彼の上司、領主である祁瀬川景詮には、もう何か、いい案があるかもしれないが‥‥。


■参加者一覧
恵皇(ia0150
25歳・男・泰
赤鈴 大左衛門(ia9854
18歳・男・志
明王院 千覚(ib0351
17歳・女・巫
ライア(ib4543
19歳・女・騎


■リプレイ本文

 開拓者の足取りは、重かった。今回の依頼は、開拓者の得意とするものから大きくずれていたからだ。依頼人のもとへ向かう誰もが、ことの割り切れなさを感じ、多かれ少なかれ心境を曇らせていた。
 赤鈴 大左衛門(ia9854)には、今回の裁定は非常に分が悪いものに思われた。いかなる理由にせよ、規則を破ったのが依頼人の側であることは言い逃れできないからだ。
 その一方で、明王院 千覚(ib0351)は依頼人である勘吾の動機を探っていた。経緯によると、勘吾は害意あって備蓄米を横領したわけではないから、それを軸に論を展開すれば、うまくいくかもしれない。あとは勘吾と八郎平の不平を緩和できるよう働きかけられれば、多少の罰でも禍根は残さないはずだ。
 ジルベリア育ちのライア(ib4543)にとっては、これが出身のせいかどうかはさておいて、領主に対して懐疑的な感情を抱いていた。年貢を自主的に納めないということは、相当な覚悟の表れであることはジルベリアでも天儀でも変わらない。いったいなにが八郎平をそうさせたのか。
 直観的な判断をよしとする恵皇(ia0150)は、他の3人と比べてこの依頼をそこまで難しくは捉えていなかった。状況を整理して心情を正直に伝えれば、酌量の余地は必ず生じる、というのが彼の考えだった。領主と領民の信頼関係が、そう簡単に壊れるはずはないし、もし壊れるようなものであるのならば、領主の人望などなきに等しく、この地ですでに一揆が起きているだろう。そこが寄せ手になる。
 呼び出しを明日に控え、勘吾の屋敷は、まるでこれから婚礼の儀でも始まるかのような緊張感に包まれていた。開拓者が訪ねると、それを出迎えたのは彼の妻だった。夫は座敷で村役と話しています、と彼女は告げると、開拓者をそのまま居間へと案内した。彼らが居間に通されると、卓を挟んだ2人の男のうちの片方が、八郎平に憤慨して怒鳴り散らしているところだった。ぞろぞろと入ってくる4人に対して、その男は鋭い視線を浴びせかけたが、次の瞬間、上座の男がまあまあとひと言ふた言取りなすと、彼らに向けられた視線は和らいだ。上座の男は続けた。
「よう来てくんなすった。庄屋の勘吾です」
 勘吾の紹介で、彼と議論を交わしていたのは報せを受けて駆けつけた別の村役であり、八郎平はまだ屋敷へ到着していないということがわかった。自己紹介もそこそこに4人が話に加わると、八郎平が来るあいだ事実の整理をしておこうと、千覚は新田のことについて切り出した。
「ああ、ありゃあ、そもそも八郎平の親父さんが干拓始めたとこでしてな」
 勘吾の話を聞き、さもありなん、と一同は思った。そんな思い入れの強い土地に役人が堂々と、しかも分け前を分捕るために足を踏み入れたとあれば、規則であっても腹が立たない方がおかしい。ただし、直接の原因は、それだけではなさそうだった。
「で、検地のときに揉めたのか」
 ライアが続けて放った問いに、先ほど声を荒げていた村役が、勘吾の代わりに回答した。
「もともとは先代がよ、はあ、干拓の年貢の取り分を差っ引くって決めたべよ?(もとは先代の領主が、ええと、余塚新田の年貢率を割り引くと決めたのです。ですよね?)」
 勘吾は頷いた。
「したっけ、干拓終わるめえに先代死んちったべ? ほしたらあの娘っこが、じゃねえいまの殿様がよ、その約束はきけねえちけよ(ところが、干拓が完了する前に先代が亡くなったものですから、後継ぎの小娘、いえ、いまの殿様が、その約束を反故にしたのです)」
 おそらく、領主としてはほかの地区と差をつけるわけにはいかなかったのだろう。親から地位を引き継いだ組頭の八郎平は、この決定に不平を言いながらも数年間は従っていたが、今年になってとうとう我慢できなくなったらしい。予想と異なる事実に、大左衛門は頭を捻った。だが、問題の本質が年貢の割合についてだとしても、結果としては納める量に収束するので、検地の精度と同じ次元の話にすることは不可能ではないはずだ。年貢の割合が北面王の領地と比較して高くても、現に他の村の領民は納めている事実があった。それを天秤にかけたに違いない。
 八郎平が屋敷にやってきたのは、ちょうどそのときだった。すると、村役が彼の姿を認めるやいなや、立ち上がり声を張り上げ彼に飛びかかろうとしたのだ。村役を拳ひとつで伸すわけにもいかず、恵皇は後ろから羽交い締めにし彼を抑えたが、そのままでは乱闘騒ぎとなっていたことだろう。村役が暴れているのに気付いた八郎平だが、とくに驚く素振りも見せず、開拓者のたちの前に姿を見せた。開拓者たちが見るからに彼は思い詰めた表情で、正面の虚空をじっと見つめているようだった。
 興奮している村役を帰らせ、ふたたび開拓者の自己紹介を済ませると、開拓者たちは勘吾と八郎平と6人で改めて相談を始めた。勘吾の横領については、八郎平の行為を前提としていることから、八郎平について意見をまとめるのが先決である。大左衛門が、まず口を開いた。
「八郎平さぁの気持ちァよーく分かるだス。力ァ合わせて長ェ時間掛けて開墾したンだスからな」
 座布団に正座していた八郎兵はうつむき、膝に置いた拳をきつく握りしめていた。けンど、年貢を納めねェンはまずいだスよ、と大左衛門が言い及んだ瞬間、彼は顔を上げて話し始めた。
「わかってます、それは余塚のみんなもわかってるんです」
 なぜ? 恵皇は鋭く訊き返した。確信的な行動の裏には、当然、ある一定の意志が働いているはずである。八郎平は、彼の父が以前から年貢を下げてもらおうと要望してい、意見が通らなかったため開拓を始めたことを恵皇に伝えた。彼は糸口が掴めたような気がした。前々から年貢に不満があったことが、今回の遠因となっているのだ。
「率が高かったのは、昔からなのか?」
「いえ、父が言うには先代が上げたそうです。必要なのはわかりますが、ここまで年貢を集めなくても、と思うのです」
 そのライアの質問で、彼らが抱く不満の根源がはっきりとした。これを軸に論を展開して、領主へ譲歩を乞うことになるだろう。実際に少ない年貢で、昔は上手くいっていたわけだ。彼女の注釈に、恵皇は同意した。不満を放置すれば、しっぺ返しがあるのは当然のことである。続いて話は、先代の領主と新田との約束に及んでいた。
「先代の殿様は、新田の年貢は下げることを約束していましたが、父はそれにあまり乗り気ではなかったようです。なぜなら――」
 ははあ、と、大左衛門が遮った。たとえ新田の年貢率が下げられたとしても、それだけで状況が大きく変わるわけでないし、また率が高いままの周囲からの妬みも誘いかねない。そう考えると、彼の父が約束を嫌がったのもじゅうぶんに納得できた。
「土地の持ち主が誰のものでもないのでしたら、新田だけ依怙贔屓もできませんね」
 千覚の意見も八郎平は聞き入れていた。どうやら、彼はいわゆる『わからずや』ではないようだった。
「その通りです。殿様にはっきりと伝えるにはこの方法しかないと悟り、年貢を留保しました。これは私の独断です。ですから死罪は覚悟の上です」
 いやそれは困る、と、ここで八郎平を諫めたのは勘吾であった。なんといっても、おまえはまだ若いのだ。余塚のためにも、そのようなことになっては困る。勘吾が八郎兵の肩を叩くと、八郎兵はまたうつむいて、ぼそぼそとばつが悪そうに、そう言われても、と口ごもった。開拓者は、ふたりと彼らの村ができることを確かめ、交渉のための手札を作り始めた。

 翌日、6人はそれぞれの思惑を抱きながら、領主である祁瀬川景詮の居城へ出向いた。八郎平は白い着物に身を包み、まるで死に装束のようである。大左衛門は、羽織袴に大小を差しての、久しぶりの正装であった。
 城とはいっても山城に近い造りで、天守などの大仰な城郭があるわけではない。ただ曲輪や櫓などの縄張りは様々な工夫がなされており、籠城に適した造りになっている。その城内、本曲輪の大広間に開拓者たちは通された。まずふたりが最前列に座り、後ろに開拓者、他には、大左衛門の見知った顔である、久賀綾継が書記として祐筆を務め、立会人の家臣が2人、さらに下座に侍していた。
 家臣が、殿のお成り、と発すると、開拓者をのぞく全員が顔を伏せ、景詮の臨席を待った。開拓者が頭を下げないことに戸惑いも見せず、景詮は歩いて来、用意されている上座の茵に腰を下ろした。全員の頭が上がったのち、家臣の口からあらかじめ列席するものの名が読み上げられ、『お裁き』は始まった。
 促されると、ふたりはそれぞれ、その行為に至った動機からつぶさに語った。八郎平からは親の代から年貢率に不満があったこと、割引の約束を反故にしたこと、それを伝えるためにこのようなことに及んだこと、余塚の衆には罪がないことが伝えられた。続いて勘吾からは、年貢を欠かすわけにいかなかったとの思いと、急遽拝借したのちに補填する考えもあったことなど。その話が終わるまで、景詮はふたりを遮ることはなかった。八郎平がいっとき領主に対する不満を顕わにしたときも、景詮は表情ひとつ変えず、黙って聴き入っていた。
 二人から、証言が真実であることの言質を取り、次に開拓者たちの考えを聞こうか、と景詮は二人の後ろを扇子で指し、4人をなぞった。張り詰めた空気の中で、初めに発言したのは千覚であった。
「勘吾さんについてお話しします。庄屋の裁量を越えたのは罪でありますけれど、私心なき行いには情状に酌量の余地があると思います。いかなる申し開きとて、倉に手をつけた責は免れませんが、しかし逆に言えば、それだけの罪とも言えます」
 ここで千覚は、勘吾の庄屋としての権限をいったん剥奪し、村民の信任を得てふたたび庄屋に任ずるよう勧めた。それは、処罰をした体面を保ちながら罪を問わない、軽微な罪に都合のいい裁定である。問答の間、景詮は視線を千覚に据えたまま、全く動かさなかった。瞬きも少なく、淡々と話を聞く景詮の静かさは、開拓者をしてもいつか爆発するんじゃないか、と思わせるほどであった。
 次は、という催促に対し発言の素振りを見せた恵皇へ、景詮は素早く向き直った。彼は急に視線が合ったのに驚いたが、発言権を得たのを雰囲気で悟ると、腿をぱしっと両手で叩き、申述を始めた。
「今回の件は、余塚の衆が年貢を正しく納める意義に気付かず不満を溜め、それを勘吾ひとりが背負おうとしたことがそもそもの始まり。高い年貢であればなおさら、その意義を知らしめるのも、領主様の務めかと思うが」
 景詮は笑った。ただ目は笑ってはいなかった。「すべて私の責か」しかし淡々と、抑揚のない低い声で彼女は問うた。
「そうは言ってない。今回の原因である年貢に対する不満を取り除くように働きかければいいことだ。つまり、領民のためいかに年貢が必要だということを理解させるような労働を罪の償いとして課すのが、勘吾や余塚の衆のためにもなる」
 景詮と視線を合わせたままで、勘吾については以上だ、と恵皇が締めくくった。彼の弁の勢いを借りるように、景詮に先んじてライアの口が動いた。
「八郎兵の行いに移らせてもらうが、それ以前の話として、かつての約束が果たされなかったのならば、少なくとも埋め合わせをすべきではなかったか。それは余談だが、ただ、反故にしたことへの不満を認識していたのならば、それを放置してはならないはずだ。領主が信義に背けば、領民は喜んで年貢を納めようとはするまい。もちろん、そのことを免罪符にするわけではないが、領主の側にも不作為の落ち度がある」
 ここへ至って、開拓者の意見に対し景詮は初めて口をつぐんだ。やはりライアから目は逸らさなかったが、彼女の見た限り、それは熟慮しているようでもあったし、また、なにかに思いを馳せているかのようでもあった。
 そろそろ、年貢率を見直す時期にさしかかっているのでは。先ほどと調子を大きく変え、諭すように、ライアが口添えした。景詮がまだ無言であることを見、この機を逃すまいと大左衛門が切り出した。彼はここで議論をまとめれば、押し切れるとみていた。
「今回の件、八郎平さぁが勘吾さぁを困らせるンは本意でねェだスよ。減った備蓄ンなら新田の米ェ充ててもええだス。もしそれでも気が済まねェなら、割増し分もきっちり耳を揃えて納めるだスよ。ただ、これは米ン代わりに別のモンで勘弁して頂きてェだスが‥‥」
 なにを、と尋ねる景詮に対し、大左衛門はとっておきの札を切った。
「――炭なンぞどうだス。こン先の季節にゃ必須だスし、それに湯の花に下肥とくりゃ、そっちにも当然要るだスしな?」
 これまでの壱師原がかかわった依頼から、彼はある答を導き出していた。それをぶつけたのである。それを知ってか知らずか、景詮は動じなかったが、大左衛門の目には綾続がはっと顔を上げるのが映った。
 全員の意見が出揃った。景詮は一呼吸置くと、開拓者の意見が出払ったのを検め、一息に結論を述べ始めた。
「裁定を下す。まず勘吾、庄屋のおぬしが命に背き、備蓄米にて年貢を納めたことは許し難く、これを年貢米として認めることはできるものではない。よって年貢米を持ち帰り、蔵に持ち出した米を戻し入れよ。また、年貢米は余塚新田の取れ高にてこれを補填し、すみやかに納入すること。なお諸般の事情を鑑み、庄屋の権限を剥奪する代わりに延滞の罰として炭20俵を追納せよ。――次いで八郎平、年貢の滞納を意図的に行ったことは大罪である。罰として余塚組頭の任を解き、勘吾にこれを兼任させる。よいか。今日から壱師原の志士となり、倉川西岸の開拓に尽力するのだ。おぬしは新たに倉川の姓を名乗ってよい。元綱、それと勘吾、干拓が軌道に乗るまで八郎平を支援してやれ」
 裁きが下された。勘吾の弁はおおむね認められたが、倉川流域の東側は大左衛門も知ってのとおり、水路も整備され始め開拓が進んでいたが、西側はまだ手つかずの荒野である。この区域も東側と、また余塚新田と同様に、大変な仕事となるだろうことは、壱師原の人間には自明であった。ふたりは神妙な面持ちのまま、領主と開拓者に平伏し、家臣に導かれて帰途についた。八郎平が広間を退出する際、景詮は付け加えた。
「干拓が成功した暁には、わが領全体の年貢割を引き下げてやる。もちろん、私が生きているうちが条件だ。できるな」
 景詮はふたりにも、そして家臣にも有無を言わせなかった。最後に、綾続のしたためた議事録へ裁定の証人として開拓者たちの裏書を求めると、景詮は開拓者の知恵に、あの抑えた口調で感謝の念を述べた。
 そして4人はそれぞれの名前を、議事録の裏に記した。天儀歴1010年10の月、これが壱師原の公文書における、最初の開拓者の記録である。