【陰影】逃亡花
マスター名:姫野里美
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: 普通
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2009/12/11 09:29



■オープニング本文

●陰殻の法
 陰殻上忍四家――陰殻最大の氏族であり、多くの里を支配下に置く。
 彼等は、外敵に対して一致団結して戦う一方、陰殻における主導権を巡っては陰惨な争いを繰り広げていた。陰惨な――そう。派手さは無い、陰惨な争いだ。アヤカシとも戦わねばならぬ昨今、兵を動かして派手に争えば、それは国力の疲弊に直結する。
 然らば。争いは静かに。
 陰謀を、策を弄し、毒を伏し、極々少数の者達を犠牲に留めて行われる。
 シノビは、その地位を増すに従って里や氏族全体に対する責任を負い、一定以上の地位にある者は、時に、その抗争の因果を背負ってこの世を去る。
 戦はせぬ。
 恨んではならぬ。
 それこそが、上忍四家の間で合意された、陰殻の正義。ここ陰殻では『そういう事』になっている。そうでなくてはならぬ。そうでなくては、一族郎党、互いに殺し尽くして、後に何も残らぬ。
 だが‥‥時に。思いも掛けぬ気の緩みから、その均衡、掟が崩れる時もある。
「許して下さい‥‥」
 誰かの呟きが、暗がりに聞こえた‥‥。

●足抜け
 それからしばらくして、陰殻では、きな臭い噂が流れていた。なんでも、大きな里の長が何者かによって倒され、後継者が乳飲み子ってことで、かなり揉めているらしい。
 詳しい事はともかく、里には大小さまざまな村がある。上忍4家と呼ばれる大きな流派もあるが、隅っこの方で細々と営業している里も多い。そんな里になると、お家騒動なんぞより明日の食い扶持と言うわけで、一族の面々は、今日もご飯の種を探して、裏社会の情報収集に明け暮れていた。
 夜も眠らぬ歓楽街、楼港「不夜城」――
 賭仕合の噂が流れるこの街は、慕容王が裏社会の顔役を務める一方、四大流派の影響下に無い中立的な街として知られている。
 酒場や遊戯店が並ぶ一方で、合法、違法を問わずに賭博が開催され、街のあちこちには天然温泉の湯気が立ち上る。高級な遊郭から場末の酒場まで、利用者も千差万別。一度足を踏み入れれば身分不問とするのが暗黙の了解でもある。
「さって、今日の晩飯は‥‥と」
 その一画で、腹ごしらえの場所を探しているノイ・リー。しばし吟味した後、とある定食屋に入ったところ、事件は起きた。
「足抜けだーーーーー!」
「捕まえろ! ぜってぇ逃がすなー!」
 隣の店の若い衆が気色ばんでいる。駆け抜けて行く彼らを目で追った船長、他の客にこっそりと聞いた。
「何、誰か逃げたの?」
「ああ。詳しくはしらねェが、足抜けだってさ」
 何でも、楼閣の娘が1人、店を抜け出したらしい。まぁ、いなくなっただけで足抜けと断定するのは、少しばかり早すぎると思わないでもないが、ワケアリの御仁には仕事の種がぶら下がっている事が多い。そう判断し、船長は店を早々に出ると、追っ手の後へと続いた。見れば、広場のあたりで、うろうろしていた。
「よう、難儀してるな。どんな奴なんだい?」
「胸のでかい女だ。後足が細い。あの足じゃ、そう遠くまではいけないはずなんだが‥‥。店の金まであらかた持ち逃げしやがって‥‥。く、もう一回探せ!」
 とは言え、若い衆ってばうろうろと走り回っているだけである。そこに回れ右した船長は、川の方へと向っていた。
「ぷらぁと、仕事だ。あの若い衆よりおねえちゃんを先に見つけて、たんまりおぜぜを頂こうぜ」
 どうせ店の金だ。お姉ちゃんの懐は何も痛まない。ニヤリと笑みを浮かべる船長だった。

『逃げ出したお姉さんを、連中より先に見つけて、安全な空まで運ぼーぜ!』

 だが、話はそれで終わらなかった。
「これで予定通り‥‥と」
 わたわたと若い衆が騒いでいる光景を見て、ほくそ笑む彼岸花の着物女性がいたとかいないとか。


■参加者一覧
華御院 鬨(ia0351
22歳・男・志
橘 琉璃(ia0472
25歳・男・巫
山本 建一(ia0819
18歳・男・陰
赤マント(ia3521
14歳・女・泰
紅蜘蛛(ia5332
22歳・女・シ
神鷹 弦一郎(ia5349
24歳・男・弓
雲母(ia6295
20歳・女・陰
橋澄 朱鷺子(ia6844
23歳・女・弓


■リプレイ本文

〜序〜
 船長の元に集ったと言うと、ノイ・リー(iz0007)船長に人望があるように聞こえるが、待ち合わせとして適当だった為に過ぎない。それでも開拓者達は、依頼のあった陰殻の都市‥‥楼港「不夜城」へと訪れていた。
 目的は、逃げた遊女を追い、その逃走を手助けする‥‥為にである。
「ふむ‥‥話には聞くばかりで、実際に来たのはこれが初めてだが、本当に不夜城は華やかだな。‥‥その分、闇も濃いのだろうが」
 神鷹 弦一郎(ia5349)が周囲を見回してそう言った。赤く塗られた格子や、夜中でも足元が不案内にならないよう、数多くの大きな提灯がある。今はまだ、日が高いので、提灯は昼行灯状態だが、それでもなお、人々は多い。今は、あまり夜遅くまで出歩けない主家持ちの人々が、一時の癒しを求めている状態だ。
「遊女どすか。妖艶さを学ぶにはええどすが、うちには無縁どすなぁ」
 格子から手を伸ばし、客引きに熱心な者達もいる。そんな彼女達の仕草を見て、華御院 鬨(ia0351)は普通に感想を述べている。
「仕事と私事は一緒にしない性質だが、遊女となれば話は別だな‥‥ふふふ‥‥」
 逆に興味津々の雲母(ia6295)さん。おめめがきらんと瞬いて、早速物色を始めていた。妹分の橋澄 朱鷺子(ia6844)が、ちょっと複雑な表情をしているが、気付かない。
「捕まったら死ぬ程のお仕置きが待ってるというのに、それでも逃げ出すなんて勇気あるわね」
 もっとも、そんな彼女達に逃げ場はない。紅蜘蛛(ia5332)の目は、その華やかな世界の影を見抜いている。それは、店の奥で目を光らせる若い衆だったり、目つきの悪い兄ちゃんがうろうろしている姿だったり。
「店のお金着服で、逃亡ですか?これは、また思い切った事しましたね」
「きっと余程の事情があったんだろうなあ‥‥。里のお兄さんが病で薬が必要とか‥‥? 何かを買ってから里に戻ろうとするかもね」
 橘 琉璃(ia0472)がのんびりと口にすると、赤マント(ia3521)が同情するかのように首をかしげていた。と、山本 建一(ia0819)も「どうも、違和感ある気がするけど。とりあえず、引渡しはしない方向で」と口ぞえている。
「色々裏がありそうだから、少しは愉しめそうかしら」
 その様子に、くすっと紅蜘蛛の口元が歪む。調べてみる価値はありそうだ。
「困っている者が居たら助ける。そういう性分なんでな。さて、では逃げたお姉さんとやらを保護しに行くとしよう」
「気の強くない女性に対して逃げられる様じゃダメですよね。しっかりと里の方まで送ろうとしましょう。頼みましたよ熾思ノ鶯」
 そこへ、朱鷺子が苦笑しながらそう言った。彼女の龍の名はシシノオウ、と読むらしい。こうして、一行はまず、街付近まで龍を移動させる事になった。体の大きな龍は、たとえ駿龍といえども目立つ。そこで、かなり離れた場所に待機させる事にしたのだ。
「この辺なら良さそうだね」
 赤マントが待機させたのは、街の出口付近。里がある方向とは逆側だ。乗せておいた男ものの服と晒しを引っ張り出すと、船長にこう確かめる。
「えぇと、名前は‥‥春風さんで、年のころ20代半ばのおねいさん。逃亡時の服装はこんな感じ、かな」
 その辺のお兄さんを捕まえ、聞き出した所による姿を、すらすらと地面に描いてみる。が、あんまり上手じゃないので、着物着たおねいさんと言う以外は、分からなかった。
「弓は置いて行った方が良いかもしれんな」
 神鷹も、目立つ弓を朱鷺子に預けている。もしかしたら、文句を付けられるかもしれないと言う事で、他の竜達も、町に入る川の近くに潜ませていた。
「では、私はここで龍の見張りをしますね。気をつけてくださいね」
「すぐ帰ってくるからな」
 そんな『妹』をなでぎゅとする雲母だったが、妹にはにっこり笑顔で「いえ、見つけてからで結構ですわ。お姉さま」と答えられてしまうのだった。

〜捜〜
 橘さん曰く、『日没まで情報を集めてみよう』と言う事になった。
「この地図によれば、出入り口はさほど多くない区画のようだな」
 紅蜘蛛が、渡された地図を片手に、周囲を見回している。格子窓のある店が軒を連ねるその区画は、逃亡阻止の為か、細く入り組んだ路地には、行き止まりもある。退路を確保するのは厳しそうだ。
「全ての地図は無理みたいです。今回みたいな逃亡を阻止する為と、昨日あった店が今日はないとか、そう言う事があるからみたいです」
 地図を借りてきた橘が、×印を書き込んでいる。店がしょっちゅう入れ替わる為か、3ヵ月前の日付を記してある地図なのに、既にかなりの部分が変わってしまっている。
「その割には、まんまと逃げられてしまって居るようだな」
 雲母が路地を覗き込んでいる。若い衆がやっきになってあちこちの路地へ向って居るが、一向に遊女のゆの字も出てこないらしく、時々鉄拳制裁が降り注いでいた。
「いや、多分このあたりに潜んでいるんだろう。時間が来たら、囮と護送に別れて探した方が良い」
 神鷹がそう言っている。結果。手近な者と二人一組となり、捜索に赴く。見つからない場合は、追っ手が手薄になった場所を探そうという事になった。
「心得た。よし、まずは街の状況把握だ!」
 雲母、赤マントを引き連れて、そのお姉ちゃんが数多くいるであろう花街の方へ向ってしまう。
「それにしても、何故春風はんは逃げたのどすかなぁ」
「上手く、見つかれば良いのですが、人の多さが、吉となるか?凶と出るか?でしょうか」
 橘と華御院も、花街のほうへと出向いていた。遊女っぽく気崩した格好の華御院を、橘が連れ出して居るような光景だ。もっとも、2人とも美人ではあるが、中身は立派な男性である。
「最近、遊女が逃げたときいとりやすが、どないしてなんやろうなぁ」
 その格好で、聞き込みを開始する華御院さん。酔客はその見た目に鼻の下を伸ばしながら、この界隈ではたまに起きる事だと教えてくれる。
「おい、いたぞ!」
「あっちだ!」
 その証拠に、若い衆が誰かを追いかけている姿が目に付いた。慌てて追いかけてみれば、長羽織を纏い、襟の後ろを大きく開けた女性が、路地の向こうへと消えていた。
「どうかしたかしら?」
「紛らわしい格好してんじゃねぇっ!」
 いや、よく見れば紅蜘蛛である。どうやら若い衆は、彼女を逃げた遊女と見間違ったらしい。かなり大勢の人間が引っかかってしまい、彼女は妖艶な笑みを浮かべて、「ふふ、ごめんなさいね」と闇に溶け込んで行く。
「あっちは上手く行ってるみたいだな。こっちも頑張ってみようか」
 どうやら、囮役は任せて政界のようだ。そう判断した赤マント、鼻の下を伸ばしている雲母はさておき、小銭を握り締めて店の中へと入って行った。
「いらっしゃいませー」
「ごめんねー、ちょっと聞きたい事があるんだけどさー」
 年齢上、じろりと顔を一瞥されるが、酒を飲みに来たわけでも、お姉ちゃんと遊びに来たわけでもないので、赤マントはさっさと客引きしている女の子に小銭を握らせ、用件を聞きだす事にした。
「ああ、春風姐さんですか。そう言えば、故郷のご家族の具合が悪いとか、嘆いてましたよ」
 貰った手紙の内容が知りたかったんだが、直接は周囲にこぼしてはいまい。そう判断し、変わった事がなかったかを問いただすと、そう愚痴られた事を教えてくれる。
「へぇ、それで、どうしたんだい?」
「薬湯でも送ったら? って言ったら、そうしてみるってさ」
 あまり高い薬は買えないが、よく温まる茶くらいなら用立てられるだろう。他にも、そう言った安くて効果のある薬湯を幾つか調べていたようだ。お得意さまである旦那衆にも何やらおねだりしていたようだが、そこまで踏み込むには、彼女のお小遣いでは足りない模様。
「こっちの情報からも、薬屋畑の事をきにかけていたようどすから、間違いないかもしれまへんぇ」
 一方、華御院達も、ひいきの旦那衆から、彼女が薬を捜し求めていた事は聞き出せた。さすがに神楽の都で女形をやっていると言う触れ込みでは、旦那衆の口も財布も軽くなるらしく、教えてあげたのと同じ薬畑を教えてくれた。
「なるほど‥‥。確かに、奴らには思いつかないかもしれませんね」
 ガサツな若い衆は、そこまで気が回らなかったらしい。それを確かめた一行は、早速その畑へ向かう事になった。ただし、神鷹は龍と朱鷺子のところへ戻るそうである。
「あれかな? そこのおねえさーん、探し物はこれかなー?」
 畑の様子を伺う、1人の女性。既に綺麗だったと思しき着物はボロボロだ。そこへ、真っ先に駆けつけた赤マントが、後ろから声をかけた。
「えっ。きゃあっ!」
 驚いた女性が、怯えた表情で尻餅をついてしまう。見るからに開拓者と言った格好の彼らに、驚いて口をぱくぱくさせている。
「安心してください。我々は、あなたを助けに来たんです」
「はぁ‥‥」
 困惑した表情の遊女春風さん。なんとか事情を確かめようとした刹那、街のほうから男集の声。
「見つけたぞ! あの辺りだ!」
「もうかぎつけてきたんどすな」
 そう言えば、旦那衆に口止めしていなかった事を思い出す華御院。蹴り出そうかと持っていた扇に手をかけたところで、雲母は春風太夫の姿をじぃっと上から下まで眺めると、にやりと笑って手をかけた。
「私をお姉さまと呼べ、そうしたら助けてやる」
「え、あの‥‥」
 きょとんとしている彼女。と、雲母さんは胸をそらし、自慢げにこう言ってのける。
「世の中の女は全て私の妹だからな、妹思いのお姉さまと言う事だ」
「分かりました煙管の姐様。どうかお助けくださいな」
 普通聞いたら、頭を抱えるようなセリフだが、春風さんは妙に納得した表情で、その手を握り返して、さらっと言ってくれた。
「ふふん。最初からそう言えば良いのだ! 来い、我が朋よ!」」
 大喜びで口笛を吹く雲母さん。彼女が『遊女の世界では、後輩が先輩を姐と呼んで世話をする』モンだと知ったのは、もう少し後の事である。

〜話〜
 一方、龍を預かっている『妹』の朱鷺子さんはと言えば。
「何か大騒ぎになってるなぁ」
 預かった龍が、のーんびりと昼寝こいている横で、街の喧騒を遠くから眺めていた。もうすぐ出番かなぁと、預かった龍達を点呼していると、何やらひそひそとこちらを伺う団体さん。船長が追い散らそうとしているのを見て、朱鷺子さんはとてとてと近づいて声をかけた。
「あのー、どうかしましたか?」
 何でも、でかい龍がいるので、何事かと警戒しているらしい。別にいぶかしがられてお調べ‥‥と言うわけではなさそうだ。興味津々と言う感じで、龍に近づこうとしている村人に、彼女はにっこりと笑ってこう告げる。
「私は龍を他の街に輸送してる最中なのです。あまり近づかないで下さいね?」
 どこへ運ぶのか聞かれたが、彼女は首を横に振った。秘密の輸送任務なのです。と答えると、村人は納得した様子で、遠巻きに見物している。少しくらいなら、一緒に遊んで上げても良いかしら? と、自分の愛龍である熾思ノ鶯を呼び寄せた直後、口笛が遠く鳴り響いた。
「雲母ねえさまの?」
 呼ばれて、ばたばたと舞い上がる龍。と、それと入れ替わるように、神鷹が迎えにやってくる。
「お帰りなさい。あ、見つかったのね?」
「話は後だ。急ぐぞ!」
 そのまま八尋に飛び乗る神鷹。頷いた朱鷺子もまた、自分の龍に飛び乗る。
「はーい。あ、ごめんなさい。そう言うわけなんですー」
 村人が驚いて逃げ回る中、彼女はぺこっと一礼して、ぶつからない様に空へと上がった。後始末は船長が何とかしてくれるだろう。
「くそう。出直しだ! 人を集めやがれ!」
 もっとも、駆けつけたときは、既に雲母が追っ手をのしていた。「一昨日おいでー」とあっかんべーする間に、龍達を着地させる。
「間にあった?」
「なんとかね。すぐ出るぞ!」
 それぞれの龍に飛び乗り、脱出する彼ら。
「ほらほら、そこに乗ってたら、お家に帰れないよー」
 日向ぼっこしていたにゃんこが、うっかり龍の上に乗ってしまい、赤マントがそれを降ろして上げている。さすがに龍の速度は、牛やもふらさまの比ではない為、彼女達はあっという間に船長野船まで戻る事が出来た。
「あなたが噂の遊女さんね。足抜けするだけでも無茶なのに、お金まで盗んでいくとはね。‥‥本当に只の遊女かしら?」
 落ち着いた刹那、そう話を切り出す紅蜘蛛。
「いえ、あの‥‥」
「なんだか事情がありそうどすなぁ。どないして、逃げたんどす?」
 華御院も、相手の様子を伺っている。表情からは、やましい事があるようには見えないが、油断は禁物だ。
「まあ、私達の役目は貴女を里に送り届ける事だから。折角身代わりまでしてあげたんだから、お礼は弾んでもらうわよ?」
 高飛車に言われ、彼女は観念したようにため息をついた。
「‥‥‥‥わかりました。実は‥‥」
 言葉を選ぶように話し始める彼女。それによると、彼女は遊女のふりをしたシノビだそうで、主家の命によって潜入していたのだが、必要な情報を得たので、店を抜け出したそうだ。そこには、最近噂になっているシノビの里同士の抗争が絡んで居るらしい。
「シノビの里に?」
「色々と事情があるらしくて‥‥」
 彼女自身も、詳しい事は里に帰ってからと思ったらしい。しかし、シノビの任務とあらば、家主に正体を明かすわけにも行かず、結果騒ぎになってしまったとの事。金子の持ち出しも、それまで3年程勤めていたのに、あるはずのない借金を天引きされた結果なので、自分の金を取り戻しただけらしい。
「ふむ、通りで身のこなしが違うと思いましたぇ。そうどすか‥‥」
 考えてみれば、普段虐げられている遊女が、ここまで逃げられているのが妙である。が、相手がシノビだと聞いて、納得している華御院さん。
「ともかく、衣装を変えないとね。胸、目立つし」
 そこへ、赤マントが別の服とさらしを持ってきた。了解を得ると、胸のあたりにぐいぐいと撒きつけて行く。
「服も、こっちの方がいいでしょうね」
 息苦しいほど胸を締め付け、上から橘が男モノの服を着せる。どこから調達してきたのか、この辺では珍しい外国の品だった。
「こっちの服は借りますぇ。囮も必要でっしゃろ」
 余った遊女服は華御院が身につけていた。くるりと一回りすれば、そこにいるのは華御院ではなく、春風太夫そのものだった。

〜逃〜
 春風に変装した華御院さんは、太夫姿の紅蜘蛛と共に、街のほうへと向っていた。
「さっき龍が止まってたから、こっちに違いないぞ!」
「くそ、急げ!」
 若い衆は何やら物騒な品を持ち出している。まさか龍に喧嘩を売る気だろうか。どこか楽しげに、紅蜘蛛は長羽織を脱いだ。
「いたいた。さて、はじめるとしましょうか」
 下に着ていた衣装が露になる。裾をひらりとなびかせて、逃走開始だ。目立つ衣装のせいか、すぐに追っ手が集まってくる。
「いまだ! 全力移動!」
 追っ手の姿を確かめた刹那、雲母が背中に春風を乗せ、龍を羽ばたかせる。刹那、打ち合わせどおり、山本が紅蜘蛛を通りの向こうへ抱えあげた。
「うふふ、こっちへおいでなさい」
 すちゃっと塀の向こう側へ着地する紅蜘蛛さん。若い衆が姿を見かけ、「いたぞ! あそこだ!」と人を呼ぶ。
「ついてきたわね。さて、注意を引くには、これかしら」
 ちらりと胸のあわせを大きく開く紅蜘蛛さん。よく見えるよう、ギリギリまで近づかせるが、その手には飛苦無が握られていた。
「しまった、偽物か!?」
「うふふふ。遊女との戯れ、愉しんでくれたかしら?今宵は良い夢を見れると良いわね」
 ようやく追い詰めたと言わんばかりに、人数を繰り出した彼らに、嫣然とそう言う彼女。
「く、くそー! バカにしやがって! じゃあお前が代わりに稼げー!」
「お断りよ」
 その足元がたたんっと軽く建物の壁を蹴った。そのまま、三角跳の要領で塀の上へと舞い上がる。足元に撒菱をばら撒きつつ、塀の下に待機させていた小船へと乗り込んでいた。彼女が乗り込むと、待機していた山本が、さっさと出発させる。
 だが、話はそこで終わらなかった。
「こいつはこのまま飛ばした方が正解だな」
 一方、雲母は背中に春風を乗せたまま、彼女の里へと向かっていたのだが、その前に現れたのは、まるで呼び寄せられるように現れた、空を飛ぶアヤカシだった。
 形は、羽の生えた小型のトカゲと言ったところだろう。龍には似ているが、かなり小さい。その分、数が多くて、周囲を取り囲まれるようになっていた。
「何でこんなところにアヤカシが‥‥えぇい、深く考えるな!」
 雲母、春風さんをのせたまま、くるりと回れ右。
「追っ手ですか‥‥面倒な事になる前に落としますか」
 後に続く朱鷺子さんはと言うと、龍の上で弓を構えていた。距離を取り、月の名を持つ矢を放つ。一匹がお陀仏になった頃、ようやく囮の班が追いついてくる。
「倒してしまえば、問題ないでっしゃろ!」
 春風さんを朱鷺子に任せ、後ろから追いすがる華御院さん。その間に横っ腹へ回りこんだ神鷹が、た鷲の目で強化した矢を狙い撃つ。
「振り切るぞ! しっかり捕まってろ!」
 隙間が開いた刹那、春風を乗せた雲母は、文字通り雲の軌跡となって、遥か彼方に龍を走らせるのだった。

〜了〜
 そして。
「あれが合流する村ね。なんとか振り切ったかしら」
 無事に逃げおおせた紅蜘蛛さんが目指したのは、彼女の里だと言う村だった。ひっそりと山間にある村のようで、船長の小型艇も、かなり離れた場所に止まっている。
「船長〜! つれてきたよー」
「おう、ご苦労だったな!」
 先頭の赤マントがおててふりふり駆け寄っていた。なでなでと褒めてくれる船長。子ども扱いされて、ぷーと膨れている赤マントさんだったが、そんな中、朱鷺子はほっと胸をなでおろす。
「なんとか里にまで護送できましたね。無事につけてよかったと思います」
「んー、でも彼女、このまま護送しても、お金取れないと思うよー」
 赤マントが聞き出したところによると、持ってきた金子は給料分なので、せいぜいお昼一回分と言ったところだろう。
「これから、どないするんどす。結局は追われる身どす」
 そんな中、華御院がそう尋ねた。しばし考えていた春風さんは、抗争のあおりで繰り広げられるらしいシノビ同士の大会に出る事になると口にする。その後は、神楽の里に逃げ込めば、生活のアテはあると呟いていた。
「そうどすか‥‥。気をつけて」
 確かに、開拓者になれば、氏族のしがらみからは解放されると聞く。元・遊女やシノビの里から落ち延びてきた者も多少なりとも居るのは確かだ。
「ありがとうございます。ところであの‥‥。雲母姉様は?」
 その春風さん。運んでくれた雲母さんを気にかけているようだ。しかし、彼女の姿は既にない。山本曰く、「妹と一緒にどこかいなくなった」そうである。
「きっと、また会えると思うわよ。神楽の里に向うなら、だけどね」
 紅蜘蛛、そんな彼女にそう言って挨拶していくのだった。