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■オープニング本文 ●幕間 ジルベリア某所。 目的成就に必要な『贄』を探すために、街を歩く『人物』がいた。 誰かに気取られぬよう素知らぬふりで街を歩くが、彼方此方に憲兵の姿、あるいは領内の騎士らの姿が多く見られる。 この処、カレヴィリア領内で殺人や行方不明といった事件が多発したせいもあり、見回りも強化されたようだが‥‥こんなものは『人物』にとって何の予防にもならない。 それに。この『人物』は、己が熱狂的に信奉する『あの方』のために良い行いをしている――飼いならされた家畜どもが、『あの方』の礎になれるのなら過ぎたる褒美。という信念、いや妄念を持っている。それに微塵も揺るぎはない。 しかし、この間殺した女は、巷で淑女と呼ばれていたのに死ぬ間際に大きな声を出した。 口に詰め物をする前に目覚めて騒いでしまったのだから、滅多刺しにするほかなかった。 目が覚めなければ一刺で殺してやったのに。大量の血液も零してしまったし、なんて醜い女だ。 そう、血液も必要だ。 まだ、贄が足りない。 だから――今日も、探さなくては。 酷く邪悪に染まる心のまま、その『人物』はある人物に――目星をつけた。 ●数日後 ジルベリア 「あらまぁミコちゃん! お久しぶりね」 神楽に立ち寄り、頼んでおいた書籍を手に入れてジルベリアに戻ってきた御神本 響介は、近所のおばさんに呼び止められた。 「こんにちは。ちょっと神楽に行ってまして‥‥どうぞ、お土産です」 と、よもぎ餅を手渡す。おばさんはあらあら綺麗な色、と言いながら嬉しそうな顔をした。 「ミコちゃんは若いのに、しっかりしてるわねぇ。でもダメよ、彼女は一人にしなくっちゃ。お家にいろんな子いっぱい来てるじゃない」 「‥‥お言葉ですが、彼女たちは仕事仲間の知人や友人で、そういう間柄ではないです」 確かに入れ替わり立ち替わりいろいろな人が訪れたりする家だが、そうか、近所では開拓者たちはそういう目で見られているのか、と納得した響介。 「そぉなの? 独身で寂しくなったら、いつでも声をかけてね?」 「ありがとうございます。その時は改めて伺います‥‥では」 どこにでも世話を焼きたがる人というのは居るものだ‥‥そう実感した響介は家の郵便受けを確認した後、引き戸に手を伸ばして室内に入る。 雨戸も閉めていったので、室内は薄暗い。荷物を置いて、茶を呑むために湯でも沸かそうと思った時である。 外から、恐怖に彩られた叫び声が響いてきた。 反射的に顔を上げ、身を翻すと引き戸を思い切り開け放って外に出る響介。 周囲をせわしなく見渡すと、ローブを着込んだ人物が、木々に隠れるようにこそこそ森に向かっていくのが見えた。 その人物は大きな袋を背負っており、注視すれば――その袋が、もこもこと動いている‥‥! 「ギリギリ届く、か‥‥瑞垣!!」 結界呪符を使用し、その人物の行く手を白い壁で阻む。 突如現れた白い壁から飛び退き、その人物は後ろを振り返る。 黒い和服に身を包んだ男‥‥響介が立っていた。 「一般の方でしたら申し訳ないのですが、大荷物で森に向かっていくのであればとてもそうだとは思えません。 僕に権限はありませんが、その大きな大きな袋の中身、見せてもらえませんか?」 その人物はたじろぐが、質問にも答えないばかりか荷物を手放そうとはしない。しかし、袋の中は相変わらずもこもこと蠢く。 「‥‥袋の中が、人間なら動きを止めてみてください」 ぴた。と動きは止まる。人物は袋をわざと振って揺すったが、響介の視線が鋭くなった。 「‥‥詰所まで、ご同行願えますか。嫌だというなら無理にでも来てもらいます」 言い終わると、響介は指笛を吹いた。すると、響介の家の屋根から飛び立った鴉がいる。 響介が万が一の時にと、手懐けておいた鴉だ。指笛は誰かに助力を頼むときに鳴らす。恐らく、ティーラのところに向かったはずだ。 ティーラが誰かを連れてくるとして、早くて20分。瘴気回収を行ったとしても、ここでは練力回復が期待できない。 逃すわけに行かないが、一人で20分逃さず持ちこたえるのは割と厳しい。 やるしかないかと思っていると、どういうわけか高笑いが聞こえた。今放ったばかりの鴉も一緒である。 「お困りのようね、御神本さん!! このティーラが手助けしてあげても宜しくてよ!!」 「‥‥それは嬉しいですけど、何でここに」 聞けば、御神本に知らせることができたからこちらに寄ったのだという。 すぐそばまで来ているときに悲鳴が聞こえ、走ってくるとこのような状況で、空から目印のついた鴉が彼女の側に降り立ったと云うわけだ。 「ご安心なさい。憲兵には開拓者ギルドに人をやらすよう蹴飛ばしてきましたわ」 蹴飛ばすものではなかろう、と思うのだが、まあティーラだからしょうがない。 彼女は一先ず足止めにアイヴィーバインドを放ったが、素早くそれは回避され、相手はウィンドカッターを放ってくる。 「ふぅん。ジン(志体持ち)ですの? では、手加減要りませんわよね‥‥!! わたくしのゴー・トゥー・スリープを食らうとよろしいですわ‥‥!」 久々に体を動かせますわねと言うティーラ。しかし、後方支援職であることには変わりない。そして彼女はエルフ。人よりも体力の面では少ないはずだ。 ギルドから要請を受けた開拓者たちが来るまでに、この人物の足止めを試みなければなるまい。 「袋には、危害を加えないようにお願いします。きっと、今しがた悲鳴をあげた方がいる可能性が高いです‥‥」 「了解ですわよ。不審者をギッタギタにする目的は変わりませんもの」 「そうですね。この人に聞きたいこともたくさんありますし‥‥」 眼前のローブ姿を睨みつけ、その人物もすっと短刀を構えた。 |
■参加者一覧
氷海 威(ia1004)
23歳・男・陰
九法 慧介(ia2194)
20歳・男・シ
海月弥生(ia5351)
27歳・女・弓
リーゼロッテ・ヴェルト(ib5386)
14歳・女・陰
雪刃(ib5814)
20歳・女・サ
マハ シャンク(ib6351)
10歳・女・泰
朧車 輪(ib7875)
13歳・女・砂
香緋御前(ib8324)
19歳・女・陰 |
■リプレイ本文 ●突如として。 ギルドへ慌てた様子の憲兵が駆け込んできたのは、ティーラにせっつかれてから数分後。 要領を得ない言葉と、どういった状況がよく分からないまま、言われたことをなんとか理解しようとする開拓者達。 「なんだかよく分からないけど‥‥緊急で人助けが必要なんだよね?」 困惑顔で雪刃(ib5814)は憲兵にとりあえず行こうと声を掛ける。 模様眺めしていた海月弥生(ia5351)らも同行し、彼らはティーラと憲兵が出会ったらしい場所にまで向かう事にした。 「でも‥‥そのひと達がどこまで時間稼ぎできてるか、心配な処だけどね」 弥生が肩を竦めながら呟いた。 この辺りです、と言いながら周囲を見渡す一行。 すると、住人らしき年配の女性が『あっちで争っている人が居るんだよ』と教えてくれた。 礼を述べてそちらの方角へ掛けていくと――三人が争っていた。 「はぁい、お待たせ〜♪」 響介やティーラの顔を知っているものも数人いたので、リーゼロッテ・ヴェルト(ib5386)が間延びした声で呼びかけて、どうしたのかと尋ねる。 「ああ、お早い到着で助かりました‥‥状況は不明ですが、人攫いと遭遇したんですよ」 足止めに苦労しました、と語る響介。 言う割には二人とも左程疲弊していないようだが、ティーラは近接で挑んでいたのだろう。足元に積もった真白い雪が踏み荒らされていて、立ち回りの跡が見受けられた。 二人が対峙している人物を見て、九法 慧介(ia2194)は『おお』と小さい声を上げた。 「怪しい人だ。ローブ姿で動く袋を担いでるところとか、どこからどう見ても怪しいね」 こんなに言い訳出来ない姿の人は初めてだよ、と言いながらも、ある種感心したような口ぶりだ。 指摘されたローブ姿の人物‥‥が持っている袋は、活発でないにしろ動く。 「とりあえず、あの誘拐犯を捕まえればいいのね?」 「そういう事ですわね」 リーゼロッテに、その通りと伝えるティーラ。 まずは袋の奪取から、と考え、じりじりと周りを固め始めた。 「間怠っこい事を‥‥。ローブの奴も、袋の中も特に気にすることはないだろう? 私達開拓者が全てを助けれる訳もなく、またその必要もない」 マハ シャンク(ib6351)は呆れたように言い、拳をゆっくり握る。 「――したいのにできないのか、できるのにしないのか? そこで賢愚が分かれましてよ。後者でないのを望みますわ」 手っ取り早い仕事は嫌いではありませんけど、とティーラは髪を後ろに流すと捕獲対象を見つめた。 なんとも難儀なことよの、と香緋御前(ib8324)は嫣然と微笑む。 戦闘中でなければ見惚れてしまいそうな笑みだが、一瞬にしてその表情は引き締まった。 「何を企んでおるかは知らぬが、妾に出くわすとはのぅ‥‥逃げられてはかなわぬゆえ、動けぬようになってもらおうかの‥‥!」 言うや否や、リーゼロッテと香緋御前はほぼ同時に影縛りと呪縛符をローブ姿の人物に発動させた。術師であれば抵抗はするだろうが、その際の隙だけでいい。 事実、抵抗を試みる人攫い。その数秒の間に背後まで囲んだ。 氷海 威(ia1004)は指に挟んだ術符へ隷役を注ぎ込み、暗影符を使用。 相手の視界を包んだが、完全に奪い去ることはできないようだ。 「中に入ってる者! 生きたいのなら盛大に暴れろ!」 マハがそう叫んだが、袋は先ほどと大きくは変わらない。もしかすると、既に弱らされているのかもしれない。 慧介が殺気と抜刀するときの音を大きく出し、念を入れフェイントも仕掛ける。視界が良好でないときは、耳などに頼るしかない。 音に反応した人攫いは、眼前に逆手で握った短刀を構えた。 (今しかない、よね‥‥!) 運良く後ろに回り込むことができた朧車 輪(ib7875)も、目の前で揺れる、肩に背負った大きな袋を注視。 ぐっと気を入れなおして、雪を蹴りつけ走る。袋に手をかけ、ぐいと引っ張る。その手応えが伝わったらしく、視界も不完全な人攫いは、輪がいるであろうあたりに短刀を振るい、ごく僅かではあるが腕を切りつけられた。 皮一枚程度を切り裂く程度の薄い傷に輪は怯まない。小柄の体躯に抱き込むように袋を引っ張る。袋越しには、人の温もりと感触が感じられた。 再び短剣を振り上げる人攫いめがけ、弥生は瞬速の矢を射る。手首を狙って‥‥軌道は僅かに上、武器に当たった。人攫いの動きが一瞬強張る。 「まだまだっ!」 弥生は即射で再び武器を持つ手を狙い、今度こそ手首を射る。 慧介が円月で人攫いの足を狙い、マハが瞬脚で一気に距離を詰めて百虎箭疾歩を穿つように叩き込んだ。 どすりと拳が薄い胴へめり込み、間髪入れずに泰練気法・弐で脇腹――肝臓あたりに鉤突きし、そこから肘打ちを側頭部、両手突きで顔と股間を狙う、いや、打ちのめす。 が、最後の打撃は完璧には決まらなかった。突如、相手の袖から眼突鴉が飛び出したため、マハは翼で覆って顔を防いだからだ。 一瞬の隙を突いた今、人攫いは身を翻す。ここで包囲を解く訳にはいかない。 「何処か行こうなんて思わないでね?」 弥生が矢を番え、放つ。再びリーゼロッテは影縛りを、ティーラはアイヴィーバインドを放って拘束を試みる。 相手も気力を振り絞って抵抗したのだろう、術の効果は得られていない。 その間に輪は袋を奪還し、駆け寄る慧介の手を借りながら袋を離れた場所に持ってくると、袋の結びを解いた。 中には轡をかけられた赤い髪の娘が入っており、虚ろな目を向けている。 「‥‥もう、大丈夫だよ」 小さく微笑み、袋を引っ張りながら娘を出す。見たところ外傷はないようだ。 そこへ、響介がやってきて『有難うございます』と二人に軽く頭を下げた。 「僕は彼女の様子を観るためここに待機しますので、皆の援護を願えますか」 「うん、じゃあ。お願いね‥‥」 たたっと小走りに仲間の方へと戻っていく輪と慧介。 (こっちから取り押さえれば‥‥) 利き手とは逆の方面に回りこんだ雪刃。彼女の武器は大太刀だが、周囲の仲間や袋の中にいる人への影響が出ないよう極力抜かぬように配慮したため、未だ素手である。 もう配慮してやる必要はないとはいえ、この男を殺してしまうわけにいかない。 後は捕獲するだけだ。それならば、かえってこのスタイルのほうがやりやすい。 取り押さえようとした雪刃の腕を振り払うように、人攫いの伸びた爪は雪刃の肌を引っ掻く。 素手だからと侮る無かれ。拳でも足でも、歯だって武器にはなるのだ。 「‥‥っ!」 瞬間、視界に数度赤が混じり、怒りと痛みが神経を撫でるが、引っ込めかけた腕を伸ばし人攫いの細い肩を捉えた。 その腕には数本の筋が腕につき、掻かれた場所には血がにじんでいる。 まだ体を激しく揺らして何とか逃げようとする人攫いに再度合流した慧介が体当たりで突っ込み、二人はごろごろと雪上を転がる。 「もう観念するんだ。逃しはせん!」 しかし、抵抗の意か放たれたウィンドカッターは彼の頬を裂く。苦心石灰を発動しているにしろ、避けようとしていなければもっと大きな傷であったろう。 押さえつけている慧介を手伝いながら、雪刃が荒縄を受け取るときつく縛り付け、終わると手を離してぽいと冷たい雪に転がした。 自分の前に転がってきたので、マハは爪先で蹴飛ばす衝撃でひっくり返した。 口の中を切ったらしい。口の端から血を滲ませ、荒い息をつく人攫い。 まだ術を練る可能性や自害する危険もあることから、用心つつ近寄った威は人攫いのフードを掴んで脱がす。 意外にも、人攫いはどこにでもいそうな――細身の男だった。顔はさんざん殴られたせいか、腫れている。 「よし、捕縛完了っと♪ ティーラ、ボッコボコにできなくて物足りないんじゃない?」 「リーゼロッテこそ、わたくしの舞う様が観たかったようですわね。又の機会に叶えますわ」 別にいらない。 威や弥生が所持品を探している間、リーゼロッテは腰に手を当てながら男を睥睨していた。 「いろいろ聞きたいことがあるわね。目的は何?」 男は答えない。 「これが初めての犯行‥‥なの?」 雪刃が重ねて問いかけるが、尚も答えようとしない。 「まだ殴られ足りないようだが。望みなら幾らでも殴ってやろうか?」 マハが拳を握ったが、男は腫れぼったい顔を向けただけ。完全黙秘を貫くつもりか――と思った所で、男はニヤリと笑った。 「口を割らせようとした所で、俺はお前らに教えてやることなどない」 「あら、喋れるんですの? それに勘違いしては困りますわ。四の五の言わずブチ撒けろと命令しているだけですもの」 腕組みしたまま どすん、と男の膝の上にブーツのまま足を載せるティーラ。 「魔術も陰陽も知識はそこそこあるようですけれど。何を思って? 魔術の儀式を済ませた以上は、掲げるものがあるはずですわ。『礎』は何です」 男はそれに対し若干視線を彷徨わせる。ティーラはその表情を見た後、つまらなそうに鼻を鳴らし、男の胸を蹴って離れる。 「――私から聞くことはもう有りませんわ。どうぞ、他の方、ご質問を」 では、と威が進みでて、男を鋭く睨む。 「箱の中の符‥‥『木』とは何の意味がある?」 以前、殺人現場の床下に隠されていた『木』の符。それに対し、威が静かに尋ねると、ローブの男は『陰陽師か』とかすれた声で呟く。 「意味が分からないか」 輪が会話を聞きつつ、響介のほうを肩越しに振り返って見やる。 袋の中にいた若い娘は、漸く意識が戻ってきたのだろう。震える体を抱きしめたまま、歯をカチカチと鳴らして怯えているようだ。 「‥‥おや、どこかで見たことがあると思えば‥‥貴女は」 響介が女性の正体に思い当たったらしい。近くに寄った香緋御前が知り合いかえ、と小首を傾げた。彼女はどうやらこの街の炭焼き職人の娘さんらしい。 炭焼き職人の娘さんがなぜ、と自身の羽耳に触れつつ響介は思案する。 そこへ、威の持論が聞こえた。 「――予想としては、枕の中にあった札‥‥アイヴィーバインドを木行に見立てた『陰陽五行』の要素かと思われるが‥‥」 「魔術の五大要素に木は無いものねぇ」 リーゼロッテも頷く。響介はハッと顔を上げて、娘の横顔を見る。狙われた符号が、ある気がした。 経緯を見守っている雪刃は、何か知っているの? とティーラに尋ねた。 「御神本さんはこの地方で行われている、行方不明や連続殺人の中に関連性があるかもと探しているんですわよ。その『木』が当てはまるなら有力な手がかりになるのかもしれませんわね」 そして弥生が持ち物検査を続行しているが、その袋の中には犯行の『符』らしきものもない。 続いて威は娘に歩み寄って、怖い思いをした後ですまないがと詫びつつ切り出す。 「誘拐された経緯を尋ねたい」 娘は涙に濡れた睫毛をわななかせつつ、震える唇でたどたどしく答えた。 「お父さんの、忘れ物‥‥煙管を届けに行ったら、来ていた『先生』がお父さんの背中にお札を貼って。そこから変な、お化けが、お父さんを絡めて‥‥恐ろしくて悲鳴をあげたら見つかって」 無我夢中に逃げているうちに捕まったのだというが――‥‥ 娘が『お父さん』と呟いた。香緋御前が背に手を当ててさすってやりつつ宥めるだが、更に威は問う。 「先生、とは一体どんな男です? ご家族が以前より体調不良などで祈祷を頼んだことは?」 背が高い金髪の男だと言いながら、だいたい10日ほど前から祈祷を行ってもらっているという。 今しがた捕まえた男も、金髪。 「‥‥それで、この男が、その‥‥先生なわけ?」 リーゼロッテの問いに娘はちらと男を伺って、捕らえられた時を思ったか顔を覆って首を横に振る。一同に緊張が走り、男は腫れた顔のままニヤニヤと笑っていた。 「違うと知った所でもう遅い。その女はどうせ処分するつもりだったし、これはこれで――お前らを遠ざけるために、十分時間は稼げた」 「なんてこと。時間稼ぎしたつもりが、こっちが時間稼ぎされていた、とはね」 弥生が顔を不快に歪めながら呟く。 「謀られていたとはのう‥‥」 香緋御前は溜息を吐きながら街のほうを見た。本当に危ないのは、ここではなかったのだ‥‥! 「でも‥‥急げばまだ間に合うかも――」 雪刃が言えば、男はもう手遅れだと言い、もう一度繰り返すと堪えきれず甲高い声で嘲笑した。 おかしいことなんか、ない――と、輪はゆっくり顔をローブの男に向けた。 「耳障りな声だ。舌を引っこ抜いてやろうか――」 マハが鬱陶しい、と胸ぐらを掴んだ所で、空気を震わす爆音が轟いた。 思わず身を硬くする雪刃。音のした方を振り返れば、天に届かんと伸ばされる赤い火と、人々の悲鳴。 あちら‥‥南の方角は、確かに炭焼き小屋がある方なのだ。 「お父さん‥‥!」 娘も半狂乱になって、泣き始めた。その震える肩を抱きしめてやる弥生。 「‥‥【火】、確かに発動したぞ。我らが‥‥」 胸ぐらを掴まれたまま、燃え盛る炎のほうに顔を向け恍惚の表情を浮かべる男。 「何か背後にあるかもしれぬとは思うておったが‥‥我等、という事は、おぬし一人の犯行ではないということか‥‥」 香緋御前は柳眉を寄せ、男の顔から街の方へ視線を移した。 ティーラはこの男の身柄を引き渡す為、憲兵を探しに行くと離れていく。火事の方は、既に作業要員が向かっていることだろう。 「御神本殿」 威は炎を射るような目で見つめている響介に声を掛ける。 「‥‥また、犠牲が出てしまいました。悔しい限りです」 響介は唇を噛み締め、悔恨の情を抱えていた。俺も同じです、と威は告げた後、 「犯人は‥‥いや、犯人『たち』は、『見立て』による何らかの儀式を行っている可能性があるのではないかと思う」 確かに『火』と言った。そして前回は『木』――‥‥現在の行方不明者から出ないとも限らない。 「見立ての殺人‥‥五行の『相生』の順で行くなら次は『土』‥‥というわけでしょう。ですが、次を行わせるわけにはいきません」 『先生』とやらを突き止め、絶対に止めなければ‥‥低く搾り出された声は、とても重たかった。 |