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■オープニング本文 ●木 晩秋。空気は日々冷たさを増し、冬の訪れが近い事を知らせる。 いや、もはや冬か。風は冷たい。 柿の木。赤い実を豊富につけた柿の木。 それはとても大きな木で、実をつけるようになったのも最近というわけではないだろう樹齢も豊かと思しき木だ。 そしてその大きな木が枝を自在に広げてもゆとりがある庭。 木に負けず劣らず大きな屋敷。とある村の名主の屋敷。その庭に木は植えられていた。 「ちょっと取ってくる」 男の子が木に手をかける。 「気をつけるんだぞ」 「落ちるなよ」 老人が心配そうにそれを見つめる。その傍らにはその息子と思しき壮年の男。 父親と祖父の心配もよそに、慣れたものと男の子の動きは早い。あれよあれよと上の方に登っていってもう少し手を伸ばせば実に手が届く位まで登ってしまった。 「あっ」 「む」 実に手が触れようとしたその瞬間、実は勝手に落ちた。 十分に熟れているという事だろう。それに一つ落ちたところで何の問題もない。落ちた柿は拾えばいいのだし、木にはまだいくらでも実がなっているのだから。 「あれっ?」 気を取り直して別の実に触れようとしたら、また落ちた。 「おかしいなあ」 やはり次の実も触れる前に落ちた。三つ連続。偶然とするには、少し出来すぎている。 猿が木の上で暴れているでもない。たかが子供一人分の振動だ。それに手が届く瞬間、狙ったように落ちる。 「あれれっ」 そんな事を考えている間に今度は実が次々と自然に落ち始めた。 まるでそれは柿の雨の様。大粒の橙の雫がぼとぼとと音を立てて地に落ちる。 「早く木から降りろ!」 老人が叫ぶ。明らかに異様。直感が告げる危険。 しかしその叫びは遅かった。全ての実が落ちた時、すでにもう柿の木は柿の木ではなくなっていた。 「うわああ!」 「太郎!」 枝がしなり、木の枝だったとは思えぬ柔軟さで、男の子、太郎を絡め取る。 木の上の子供、太郎が逃げる間もない瞬時の変異であった。 「太郎を離せ!」 男が柿の木に駆け寄り、木に手をかける。必至の形相で登ってもその速度は遅い。 そうしている間にも木は変貌を続けていた。 大きく枝分かれした部分が裂けていた。 それは考えたくは無いが、口だ。 木に口は必要ない。木に口が生えたとしたらそれはアヤカシだ。そしてアヤカシの食べるものは── 「ぎゃあああ!!」 丸呑み。 そして、太郎がどうなってしまったか悟らずにはいられない音が幹より漏れてくる。そしてこれでもかと残酷な現実を突きつける、幹より滲む赤い液。 「太郎!?」 男は叫ぶ。無いと分かっていても太郎の答えを聞くために。 だがしかし、そのすぐ後、男が息子と同じ様な運命を辿ったのは言うまでもない。 ●実 柿の木。否、柿の木だったもの。 かつて余る程実を付けていたその木だが、今となっては数えるほどしか実が成っていない。 そしてその実は色艶こそ柿のそれであったが、それ以外は何一つとして柿の実としての体を為していないのであった。 まず大きさが違う。柿の実なぞ握りこぶし一つ程度のものだが、それはもうその比ではない。握りこぶしどころか、人丸ごとひとつ分だ。 そして形も人そのものだ。つまり、柿の実で出来た人形が柿の木に吊るされている様な、何とも不気味な代物になっている状態だ。 さらには頭部にはうっすらと顔の様なものがある様に見える。苦悶する様な、痛みに絶えかねている様な、どれもこれも幸せそうには見えない表情で。 「ああ、また実が増えている‥」 「名主様は気がふれてしまわれた‥」 その柿の木だったものは大きい。故に、屋敷の外からでもその禍々しい存在は見て取れる。 孫と息子を同時に失った老人、この村の名主はあの日以来、来る日も来る日も柿の木だったものとその実を眺めていた。 「また客を食わせたか」 「これ以上はもう‥」 村を訪れた旅人は、その珍しい柿の実を見る。中にはそれについて名主の元へ尋ねる者もいた。そして名主はその旅人を迎え入れるのだが、旅人が外に戻る事はない。代わりにまた柿の実もどきが一つ増えているという始末だ。 「名主様、気持ちはわかるがもうこんな事は──」 「ならん。この木を切る事はならん!」 無論、あれはアヤカシだと早々の対処を求める声は村人からあがっていたが、取り合わない。それどころか今でもその屋敷にアヤカシを庭に植えたまま暮らしているのだ。 柿の木が歩き出す気配こそないが、村にアヤカシが居座っているというのは事実でこれは到底受け入れられる事態ではない。しかし肝心の名主がどうにもならない。 「仕方ない、開拓者ギルドに依頼を」 「もうそれしかないな」 という次第で依頼が一つ張り出される事になったわけだが。 「このままでは木が危うい」 と名主も木の守りを固め始めていた。ただし、こちらはアヤカシを守るという常軌を逸した行い。集まるのは金目当てのならず者や食い詰めてどうにもならなくなった者など吹き溜まりの寄せ集めであった。 各個人にどの様な事情や過去があるかは知らないが、概ねろくな連中ではないだろう。とはいえ金の払いが良いのか態度は悪いがそれなりに警備としての体裁はとっている。 元はただの屋敷であるが故に、城や砦という事の程ではないが普通の人間には近寄り難い状態となっていた。 そして開拓者達は村にたどり着く。柿が、異形の柿が微かに風に揺れている。 |
■参加者一覧
九重 除夜(ia0756)
21歳・女・サ
鈴木 透子(ia5664)
13歳・女・陰
ノルティア(ib0983)
10歳・女・騎
エラト(ib5623)
17歳・女・吟
フランヴェル・ギーベリ(ib5897)
20歳・女・サ
笹倉 靖(ib6125)
23歳・男・巫
にとろ(ib7839)
20歳・女・泰
熾弦(ib7860)
17歳・女・巫 |
■リプレイ本文 ●橙 「人を喰らいて実を付ける、か。因果な事だ」 九重 除夜(ia0756)の目に映る橙色の柿の実。 否、その実が人の形を為しているとなればもはや柿の実とも言うのもいかがなものか。 「死してなお、というのは酷いものです」 アヤカシに食べられた後もその無残な姿を晒されているかの様で、熾弦(ib7860)の心が痛む。 まるで木に人が吊るされているかの様にも見える悪趣味な木ではあるが、さらに趣味の悪い事実がある。 「犠牲者の数がわかるとはぁ嫌な柿アヤカシにゃんすねぇー」 にとろ(ib7839)が言葉の通り、柿の実の数はアヤカシに食われた数に等しい。 「‥‥三つ、四つ、五つ、六つ‥‥」 ノルティア(ib0983)がその悪趣味な実の数、即ち食われた人の数を数え上げる。実も大きいので、離れた場所からでも簡単に数える事ができる。 『アヤカシも心配だけど、ボクの理性が保てるかどうかが心配だね』 ノルティアが小さな手で指折る姿をフランヴェル・ギーベリ(ib5897)は黙って見つめていた。 「気が狂うってのはわからないでもないが」 気が狂うとは仲間の事ではなく、その柿の木がある館の主であるこの村の名主だ。 というのも最初の犠牲者は名主の息子と孫と笹倉 靖(ib6125)は聞く。 そして今は実が六つ。という事は何処の誰が犠牲になったかは知らないが、後の四人は名主による手引で犠牲になった他人である可能性が高い。 罪なき者、いや罪人であろうともアヤカシの餌にするなどというのは狂喜の沙汰だ。 などとそれぞれの思いで柿を眺めていたが、眺めていて終わるものではない。柿の木が急に立ち枯れるなど期待する事もできはしない。 「では打ち合わせどおりに」 エラト(ib5623)がそう言うと、他の者達は頷くなり手を上げるなり『わかった』との意思を返す。そして各々の役割を果たすため動き始めた。 ●聞き込み 「ありがと。アヤカシ。いなくなる‥‥よう、がんばる。から」 そういっておじぎをするとノルティアがさらに小さく見える。見張りの事でも柿の事でも何でも良い。とにかく情報を集めようというわけだ。 「‥‥ここの人も、いつも見張りが立ってるって、言ってた‥‥」 「以外にきっちり守ってやがんのな」 寄せ集めと思っていたが、なかなかちゃんと仕事はしているらしい。 しかし普通の仕事ならまだしも、朝昼晩それぞれ番を立ててアヤカシを守っているのだから迷惑な話だと靖は思う。 「いつでもいるってことは、いつ仕掛けても同じかもしれないが──」 それでも真昼間よりは夜半や明け方がいいだろうかと考えを巡らす。そしてこれ以上はあまり有用な情報は集まらない様にも思える。 「もう、十分じゃないか?」 「‥もう少し、聞いて‥おきたい。けど」 ノルティアはどんな事でも聞いておきたいようだが、そう広くもない村だ。何か嗅ぎ回っている者達がいると悟られるとまずい事情もある。 「余り動くと気付かれるかもしれないからな。次の家で終わりでいいか?」 「‥わかった‥」 背丈の差がある二人はこうして慎重に、確実に情報を固めるのだった。 ●潜入 一方、熾弦とエラトは名主の館に出向いていた。 流石に厳戒態勢とは言わぬものの警備の者を立てるくらいだ、易々と中に通される事はなく、門前で立ち止めを食らっている。 「出てきたはいいものの仕事がなくて‥。路銀も尽きかけて、正直選ぶ状態ではないのです」 熾弦は仕事が真っ当でない事を知りつつも、背に腹は変えられぬといった困窮振りを示す。 自分達も警備に加えて欲しいと頼み込んでいるのだが、人が足りているのか、あるいは普通に警戒しているのかもしれないがとにかく歓迎の色はない。 「お前らに何が出来る?」 そもそも道を踏み外した様な連中ばかりが集まっている所にいくら仕事がないとはいえ、顔立ちも整った若い女が二人やってくるのは不自然極まりない話ではあるのだ。 「では、試してみてはいかがですか」 とりあえず話すよりも実力を見せた方が話は早い。エラトはまるで『かかってこい』とでも言う様に手招きをする。 「ふん、どうなっても知らねえぞ!」 とは言いつつも線の細い少女に本気で殴りかかるのは気がひけたか、男は拳ではなく払いのけるような形でエラトに腕を振る。 普通ならこのままか弱い少女が張り倒されるのだが、エラトはそんな『普通』ではない。一瞬、耳を押さえたくなる高い音がしたかと思えば、何でもなかったかの様に男の手を止めている。 「この様な事もできます」 「私も試して見ますか?」 と軽く笑みを浮かべる熾弦。 「ああ、まあいいか‥。入れ」 もし試されていたなら熾弦は『力の歪み』で捻ってやろうかと思っていたのだが、男は面倒くさがりが幸運して痛い目には遭わずに済むのだった。 ●備え 「普通の垣根だね」 問題の柿の木を囲むのはフランヴェルら開拓者であれば、いや、志体を持たずとも何とでもなりそうな垣根であった。よじ登ってもいいし、崩す事だって難しくはないだろう。 「護衛がいるだけにゃんす」 雇われた護衛が物々しさを醸し出しているものの、にとろにはそれ以外は何の仕掛けも無い普通の屋敷に見える。何も無いが故に、逆に何をすればいいのか迷う。 「木の位置も‥迷う事はないだろうが‥」 元より庭に植えられていたただの柿の木であったから、やはり庭の中も迷路やら防壁があるわけでもなく、ただやや離れて見張りをしている者達がいるだけだ。 備えあれば憂いなしとは言うものの、除夜にはやや手持ち無沙汰な感が否めない。 「あとは時を待つか‥」 「いざという時に動ければいいさ。今は休もう」 退屈と寒さが敵になると睨んだフランヴェルは甘酒の用意。ほのかに香る甘い匂いが一時とはいえ心を安らげる。 「ではここらで待たせてもらうにゃんすよ」 必要な情報が既にあるのであれば、下手に動き回って勘付かれるよりも大人しくしている方が良いのかもしれない。にとろは静かに時を待とうと決めた。 ●討ち入り 「合図は無いね」 「ああ‥」 もうすぐ夜が明けるが、フランヴェルや除夜へ屋敷に潜入を図ったエラトと熾弦からの連絡はない。 しかし合図がなければ夜明けに襲撃をかけるとは前もっての約束だ。 「そろそろいくでにゃんすか?」 「‥準備は‥でき、てる‥」 「それじゃあ、行くか?」 もちろんその事は他の者とて承知の事。屋敷の中の二人も忘れてはいないだろう。 「‥行くか‥」 除夜は太刀を手にとり腰を上げる。 行くと決まれば話しは早い。ノルティアとフランヴェルはそれぞれの獲物で、靖も素手ではあるものの三人で垣根を崩せば人が通れるほどの隙間は容易く開く。 除夜とにとろは警備の者などにも目をくれず一路柿の木目指して駆け抜ける。 「何だお前らは!」 「曲者だー!」 忍び込みではない、襲撃だ。異変に気付いた警備の者達が騒ぎ立てる。 「逃げるなら罪には問わない!立ち去れ!」 「別に、邪魔したいなら邪魔すれば‥‥。ボク達は、斬っても罪‥ならないし」 今回の目的はならず者達を掃討する事ではない。柿の木アヤカシさえ駆除できれば他は見逃してやっても良い。開拓者達はわざと逃げ道を残すようにして決断を迫る。 中には逃げる者もいたが、どこまで仕事熱心なのか残る者達も少なからず。 「あいつら何してやがる‥!」 逃げた者以外にも中にまだ何人もいたはずだ。男は数が合わないと唸る。 そこに屋敷の中から、別の人影。だが期待した増援も昨日加わった新入り二人だけだ。 「他の奴らは何処へ行きやがった!?」 「中で眠っておいでです」 「目覚めても縛られてますが」 熾弦が淡々と語る横で、響くはエラトの歌声。 「なんだ、と‥」 「ね、ねむい‥」 こうして彼らもまた崩れ落ちるのだった。 ●柿の実 ずん、と果物が落ちる音とはまるで違う重量感のある音が響く。 見れば橙の人型がうごめいている。 「くそっ!やっぱりこいつらも動くのかよ!」 人の形という時点で靖には嫌な予感がしていたが、実際に柿の実が動くとなると正直困惑してしまう。 それらはぎこちない動きではあったが、緩慢という事もない速さでこちらへ迫ってくる。 「邪魔な奴らよ!」 除夜は叫び、敵の注意を引き付ける。 今はもうかつての名残はその形にしか残していないが、これらは元は人間だったのだろう。などとややもすれば躊躇する気持ちも生まれかねないが。 「アヤカシなら遠慮はいらないね」 獲物を刀に持ち替えたフランヴェルが柿の実もどきに斬りかかる。相手はアヤカシ。そうと割り切らねば己が新たな柿の実となるかもしれない。 そして柿の実はこちらに襲い掛かってくるだけではなかった。 一部の柿の実が開拓者達の相手をしている間、後ろでは別の柿の実らが眠りこけたごろつき共を担ぎ上げている。 「‥‥あ‥‥」 「待つでにゃんす!」 奴らの目的など考えるまでもない。担ぎ上げた後、どうしようというのか問うのは野暮だ。そしてそんな問いかけの時間も、にとろやノルティアには許されない。 「好きにはさせません!」 眠らせたのはエラトの子守唄。それも敢えてごろつき共用心棒必要以上に傷つけまいという配慮であった。アヤカシだけが彼女の敵であった。そしてそれはエラト以外も同じ。 斬って捨てても構わぬ様な連中かもしれない相手であっても、無碍にその命を散らせまいと動く。 「やらせない!」 ぐにゃりと、柿の実の足元が歪む。致命傷でなくても不恰好で拙い足元の柿の実にはそれでも十分だったらしい。熾弦の目線の先に居た一体がつまずいた。 「アヤカシの好きにさせるわけにはいかないわね」 ごろつき達は夢の中。されど開拓者達が懸命に守りぬく。 柿の実一つとして、自由になっている個体はない。だがその分開拓者達も実への対応に追われ、木に近づく事が出来ていない。 しかし、一人柿の木に近づく者があった。 「わしも今いくぞ‥」 柿の実に担がれているわけではない。自らの足で柿の木へと向かう者がいた。 「何を!?」 「危ないです!」 枝がその者、つまり名主を絡めとらんと這い寄る。エラトがその枝から守ろうと発する音も一瞬。恒久的に守れる類のものではない。 「早まるんじゃない!」 そんなフランヴェルの静止の声ですら手遅れ。 軽々と吊り上げられた名主はいともあっさりと木に飲み込まれて行く。 「‥‥そんな‥‥」 音。骨を砕く音。ごりごりと砕く音、そしてそれは次第に磨り潰す様な音へ。 色。僅かに赤みを増す木の幹。そしてその朱も酔いが醒めていく様に元の色へ。 変化。あっという間に増える一つの実。そしてその実もまた早々に木から落下する。 「笑えねえ冗談だ‥」 靖は煙管を咥えたまま苦い顔をした。 ●伐採 「ボクは柿の実になるつもりはないからね」 フランヴェルは擦れ違い様に囁く。そしてその言葉が届くか届かぬうちに、横なぎの刃が払われる。 一刀両断。不揃いな柿の身の上半身が転げ落ちる。 元が誰だったかなど知らぬ。だがこうする以外に道は無い事は知っている。 「後ろ‥‥お願い、します」 「おまかせください」 ノルティアは盾をかかげて前に出る。迫る枝を打ち、断ち切り、一歩ずつ前に出る。 小さい彼女を守るのは自らの盾のみならず、エラトの歌声がさらに守りを固めている。 「無茶はするなよ!」 「怪我をしたら言ってください!」 さらには靖が、熾弦が控えている。丸呑みにされて食べられる様な事ではどうにもならないが、多少の傷なら恐れる程の事もない。 「根元から‥弱らせて、あげる‥‥」 小さな歩みもいつしか届く。届けば、剣先が根に突き刺さる。 ノルティアが根なら、にとろは枝。 「へし折ってやるにゃんすよぉ!」 伸びる脚が枝を叩く。弾かれる。枝と脚とが根競べの様に激しく打ち合う。小枝は折れても太い枝はなかなかにしぶとい。にとろの脚も赤く、動きのキレが落ちてきた。 しかし、にとろの武器は蹴りだけではない。 「いい加減にするでにゃんす!!」 拳をその太い枝に叩きつけ、しっかりと気を込めればついにはその枝も折れる。 「そろそろ終いか‥」 いささか寂しげな装いとなった木を見て呟いた除夜は気を研ぎ澄まし、全神経を刀に向ける。 この一撃で全てを終わりにせんと振り上げた刀を目一杯の力で振り下ろす。 「来夜流“花咲”‥終が崩し――“刃散”」 ●寂しい風 「誰も‥‥いなく‥なっちゃったね‥」 数刻前の喧騒がまるで嘘の様に今は物悲しい館だ。雇われの荒くれ者達も去り、名主の家族は既になく 、そして名主も、柿の木も何もかもが居なくなった。 「ええ、誰ももう」 『居ない』という言葉をエラトは腹の底に残したものの、口に出そうが出すまいが今ここに居るのはノルティア達だけ。何だか足りないような、収まりが付かない虚しさとも言うべきちょっとしたひっかかりが心の片隅に残る。 「嫌な事件だったにゃんすねぇ‥。それでは私はこれで失礼するでにゃんすよ」 そう言い残してにとろは振り返る事無く場を立ち去る。寂しさはあれど落ち着きを取り戻した一帯に、乾いた下駄の音が響き、そしてその音は次第に小さく遠ざかっていった。 「次があるのなら、穏やかにすごせ‥‥」 仮面の下で除夜がどの様な表情をしているかは誰にもわからぬ。だが、アヤカシに食われた者のみならず、アヤカシまでもを弔うつもりの彼女が笑みを浮かべているという事はないだろう。 「孫が好きだった木も‥わからねえな」 アヤカシとなって消えた柿の木の代わりになる木を植えようかとも靖は思ったが、それを尋ねるべき相手もいなければ、その木の成長を見守る者もいない事を思い出す。 今はただ無念の内に亡くなった者達を弔う事くらいが自分達に出来る事だろう。 「これで安らかに眠れるかしら?」 せめて、柿の実となってしまった者達が今度こそ安らかに成仏してくれる事を熾弦は祈る。残された者にはそれしかやれる事はない。死者と生者との間はいつでも一方通行で、その隔たりは大きい。 「ボクも大切な人に何かあったら‥‥?」 最も望まぬ悲劇を少し想像しそうになったフランヴェルは、頭を振ってその嫌な考えを断ち切ろうとする。例えほんの仮定であったとしてもその様な縁起でもない事は予想などしたくもない。 ただ名主の様に狂うかはわからぬにしろ、ほんの少し想像しただけでも耐え難い感情が沸き起こる程だ。平静としていられるかどうかというと難しいだろう気はした。 風が、冷たい。もうそろそろ柿の収穫時期も終わりだろう。何にせよ、これ以上人の形をした柿の実が実らぬ事を誰もが望むのだった。 |