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■オープニング本文 使い古された傘。 でも、私にとって、大切な大切な傘。 そう、君がくれた傘。 ●志保と雨 迂闊。たしかに出かける前からちょっと怪しいかなとは思っていたけれど、こんなに早く降り出すとは思わなかった。ぽつ、ぽつと雨が乾いた道に点を打つ。雨独特の匂いが鼻をくすぐったかと思うと間もなく雨足は強まって、あっという間に道は水を含んで真っ黒になっていった。その黒くなった道を走って先を急ぐ者。あるいは用意していた傘を開く者と、人のとる動きは様々だ。 「なによ、傘を持っていたくらいでその自慢げな顔は」 と思いつつ、傘を差していく見知らぬ女を見送った。この辺りはあまりなじみのある場所ということでもなく、知り合いの家というものちょっと心当たりがない。そもそも雨が本格的に降っているため、傘が無い状態で一足駆けてもずぶ濡れになってしまいそうだった。 「待つ、しかないか‥‥」 軽く一つため息ついて、ため息をつくと幸せが逃げるんだっけ?なんて事を考えてみたり。くだらないことでも考えていないとこの時間をすごすのは辛そうだ。用事に向かった先で羊羹を一ついただいたのが失敗だったか。でも、あの羊羹は甘くて美味しかったなあ。失敗というには羊羹や伯父さんに申し訳ない。となると、やっぱりこの時期に不用意に傘を持たずに出た自分が迂闊だったという結論にたどり着く。 「あの人がさっと現れたり、はないよね‥‥。雨、早くやまないかなあ‥‥」 雨宿りに借りた軒先で志保(しほ)は再びため息をつくのだった。 ●育生と雨 「これは当分やまないだろうな」 相思鼠の着物を来た細身の男が呟く。彼の名は育生。勤め先の用事で外に出た帰り道だ。連れ合いも無く一人歩いているわけで、先の台詞は誰に言った言葉ではないただの独り言だ。もっとも強い雨音が彼の小さな独り言をかき消してしまって誰も耳にする事はないのだが。雨は出先では面倒ではあるけれど、少し考えをまとめるには悪くない。番頭に頼まれている仕事の事、明日の仕入れの事、そしてあの娘の事。 「あの雨宿りをしている女が、志保ちゃんだったらいいのにな」 そしたら送るという名目で話すきっかけができる。何より一緒の傘で肩を寄せ合って歩くなんて想像しただけでも胸が高鳴るじゃないか。 一歩ずつ雨宿りをしている女に近づくたびに、どうも女が志保に見えてくる。線のはっきりした体。しゃんと伸びた背筋。白く薄い肌がとっても魅力的で。その距離が縮まるのとは反比例して胸の高まりが止まらない。さっきまで考えていたことなんてすっかり吹き飛んでしまった。そして志保も育生の存在に気づいたようで、彼女の表情がほころぶのがわかる。 なんか気の利いた事でも言わないと。ど、どうしよう。どうしよう。えっとさっきまではどうしようと思ってたんだっけ?? 「こ、この傘、使ってくれ!俺はも、もうすぐそこまでだから!!」 育生は傘を押し付けるように志保に渡すと、雨の中を猛烈な勢いで駆け抜けていった。 ●簡単すぎる依頼 「傘を返すための方法を考えて欲しい?」 アヤカシ退治でもなく、人探しでもなく、危険も困難も見当たらない。ただ傘を返す、それだけ。さすがにそれはないだろうと。 「でも、どうしたらいいかわからなくって。お父さんやお母さんには相談できないし‥‥」 そんなもの今から歩いて返しに行けばいいだろ。と大人になりすぎた職員は思わず口にしそうになったが、依頼を探しに来ていた開拓者達が『相談に乗るよ』と救いの手を伸ばす。 「お前らがいいならそれでもいいけどな」 と独り身の長くなった職員はちょっと嫌そうな顔をしながら依頼書の作成にとりかかった。 |
■参加者一覧
江崎・美鈴(ia0838)
17歳・女・泰
深山 千草(ia0889)
28歳・女・志
早乙女梓馬(ia5627)
21歳・男・弓
ニーナ・サヴィン(ib0168)
19歳・女・吟
ティエル・ウェンライト(ib0499)
16歳・女・騎
ミヤト(ib1326)
29歳・男・騎
盾男(ib1622)
23歳・男・サ
月川 悠妃(ib2074)
19歳・女・サ |
■リプレイ本文 傘をどう返すかだけなら、ただ持っていけばいい。問題なのは貸し手と借り手の微妙な関係‥‥。 ●作戦会議 「がんばって、『大好きだ』と直球だ!」 江崎・美鈴(ia0838)の第一声に志保は『ええええっ』と悲鳴にも近い叫び声をあげる。 それが出来るのならどれだけ気が楽かと思う志保にニーナ・サヴィン(ib0168)が落ち着いてと声をかける。 「男の人って気になる子に素直になれない生き物みたいよ?」 「そういうものなんですか?」 「でも待ってるだけのお姫様じゃ、幸せは他の人のものになっちゃうわよ?」 再び志保は『ええええっ』と悲しげな声を出す。なんだこの娘はいちいち反応が面白い。 美鈴はナデナデしたいなと思ったがその手はすでに志保の頭を撫でていた。そしてそのまま黙って撫でているのも変なので『お団子なりお見舞いの品をもって行くとポイントアップ』だと聞いたことがあると告げてみる。 「手作りのお菓子とか薬の差し入れとか? 」 ニーナは手作りのお菓子と言いながら『ジンジャークッキー』が風邪に良いことを思い出すが作り方まではわからない。 だがそんなことで心配はいらない。今回志保を手助けするのは二人だけではない。 お料理が得意な開拓者だって多いのだ。 ●料理は愛憎 「好きな人に食べて貰うんだって思ったら自然とおいしくなるんだよ〜♪」 あの後『料理なんてできないし』と尻込みする志保にミヤト(ib1326)が言った言葉だ。『料理は愛情』とは誰が言った言葉か知らないが、思いを込めて作られた料理とは自然に美味しくなるものだ。そう、『多少』野菜の切り方が不揃いであったり、『ちょっと』焦げていたとしても。 そんなこんなで材料の買出しに出ているわけだが、月川 悠妃(ib2074)は料理を作らないらしい。荷物持ちとしてついて来ている。どうせだから何か作れば、と勧められた悠妃は 「私が料理をするとなると」 と言い始めてからちょっと間をおいて次の句を継ぐ。 「病人が元気になる前に、多分、生命が尽きてしまうわね。流石に、それは不味いわ」 「‥‥育生くんが死んじゃったら大変だよね〜」 悠妃の料理がどれほど致命的かはともかく、危険を感じたミヤトは悠妃に料理の手伝いをお願いするのはやめて素直に荷物持ちをお願いすることにした。 ●仕込み一日目 志保が気合を入れて見舞いに来たのにいませんでしたでは話にならない。 深山 千草(ia0889)は育生の非番の日を調べる必要ありと、育生が働く店にやって来た。 せわしく人が動く中、話を聞けそうな手ごろな相手はいないかと辺りを一瞥して、下働きと思しき老女に目をつける。 「育生はちょうど明後日が休みだったはずじゃよ」 老女は忙しそうに仕事をしながら答える。老婆は続けて曰く 「お嬢さん、もしかして育生に気があるのかい?」 「いえ、私ではないのですけれど。とあるお嬢さんが‥‥」 と話し始めるとさっきと打って変わって老婆の食いつきがいい。どうやらこの手の話が大好物のようだ。一通り話を聞いた老婆は育生にその日は家で休んでおくように伝えると千草に約束してくれるのだった。 「育生くんというのはあんただな?あいつが借りてた傘返しに来たぜ」 盾男(ib1622)はわざと『あいつ』という言葉に力を入れて育生に話しかける。手元には育生が志保に貸した傘と同じ形のもの。細かい傷や汚れまではさすがに一致しないが、そんなものは近くで確認しなければ違うものとはわからない。 「あなたは一体‥‥?それにあいつというのは??」 「ミーの事はどうでもいいね。あいつというのはもちろん志保のことアルよ」 志保という言葉を聞いたときの育生の顔ときたらどうだ。もともと体調も良くないのだろうが、顔はみるみるうちに青ざめていくではないか。これはこのまま続けるとろくなことになりそうにないアルと判断する。 「まあそれは冗談ですが、志保さんがそのうち返しには来ると思うから真面目に相手してやれよ」 育生は何がなんだかわからないといった表情で、はあと返すのが精一杯だった。 ●仕込み二日目 傘を渡すだけで嫌われていると勘違いされるというのは育生の行動に相当の問題があるのだろう、と早乙女梓馬(ia5627)は考える。そしてもしこのまま育生の所へ突然志保が見舞いに来たら、また同じような事態になるだろうと。それにしても育生の臆病さは梓馬には理解が難しい。遠目で見ていた盾男の挑発を思い出し、俺だったらどうしたかなと苦笑する。 「おい、大丈夫か?」 梓馬はちょっとふらついている育生に声をかける。 「ええ、大丈夫です」 大丈夫とは答えたものの、育生は昨日の盾男襲撃(?)のショックか体調が原因か若干具合が良くなさそうには見える。これはこのまま放ってはおけないな、と一番元気が出るだろう言葉をかけてやることにする。 「次の休みに志保が傘を持って見舞いに来る」 「次って明日、ですけど?」 「そういうことになるな」 明日とは考えてみれば時間がないなと思う。だが心の準備が必要とはいうものの、あまり長すぎても育生は持つまい。梓馬はきっとこれくらいの方が丁度良いのであろうと思って言葉を続ける。 「何も恐れることではないだろう?」 育生に足らないのは勇気だ。ならば不安や緊張を少しでも取り除いてやれば、いくらかはマシになるのではないか。本当はもう少し話をして、育生の緊張なりを和らげたいと思うのであるが、なにせ育生は仕事中。これ以上引き止めることは適わず、育生は仕事へと戻っていってしまう。 「あとは本人次第、か」 仕事を終えた帰り道、育生の前に物憂げな表情をした娘、ティエル・ウェンライト(ib0499)が現れる。 はあと深いため息をつきながらとぼとぼと育生とすれ違う。 何か辛い悩みでもあるのだろうかと思っていたら、その不幸そうな娘に『あの』と呼び止められる。 「私、好きな人がいるのですが、告白できずに困っています」 唐突だ。さすがに驚いたが夜も眠れないと言っているし、話を聞かないのも可哀想だ。 「男性の方に聞いたほうが気持ちがわかるのかな、と思いまして」 「俺の考えは他の人と違うかもしれないけれど」 そう言いながらも育生は滔々と語り出す。世間的には男から想いを告げる事のほうが多いのかもしれないけれど、告白によってもしかしたら今の関係が壊れてしまうかも‥‥という恐怖に打ち勝てず、前へ進めない男もいるのだと。 「このままではいけない、と彼も思っているかもしれないね‥‥」 「そういうこともあるんですね。参考になりました。ありがとうございましたっ」 さっきとはまるで別人のようにティエルは走り去る。これはきっかけさえあればいけるのかなーと思いながら。 「どうやら、何も心配はいらなかったようね」 悠妃は走ってくるティエルを出迎える。もし何らかの邪魔が入ったり、芝居がまずい方向に行きそうであれば手裏剣が飛ぶなりして何とかフォローをしようと考えていたのだが。 「後は本人達次第だけど、どうなるかしらね?」 どうなるかは明日にならないとわからないが、これだけ結構な仕込みをしたのだからきっと大丈夫よね、と悠妃は帰路に着くのだった。 ●料理は愛情 「ミーはもう一味、塩味が足りない気がするアルネ」 各地を彷徨いながらも現地の食文化に接してきた盾男が、志保の作ったお粥を採点する。食通に料理初心者の作ったものを評価させるというのは、作る方も食べる方も正直楽ではない。特に食べる側の盾男とすれば、食べても食べても、目の前にはお粥がやってくる。というかお粥しかやってこない状況が続くのだ。 それに加えて、中にはお米が硬すぎたり、意表をついた素材が紛れ込んでくることもあるから気が抜けない。 「‥‥お粥ばかり食べさせられているが、そろそろ限界アル」 それにアドバイスするにしたって、お粥のようなシンプルな料理にアドバイスをすることは限られている。一通り問題のありそうなところは解消されつつあるので、後は細かい部分や慣れというところじゃないかと思うのだが‥‥。 「お粥は火加減が大事なんだよ〜」 台所からミヤトの声がする。まだ志保はお粥作りを続けるらしい。さすがにこれ以上は、と思った盾男は一案を講じることにする。 「そういえば、花の用意がまだだったネ。ちょっと買ってくるアルよ」 言うが早いが盾男は家の外に飛び出していった。 ━━お粥はできれば付き添いの手を借りず、一人で作って欲しい。 ミヤトは志保に対してまずこう言った。お粥くらい彼の経歴を持ってすれば、それこそ朝飯前に何種類のお粥を用意できるだろう。でもそれでは意味がない。志保が自分で作ったものを育生に食べさせるのが大事なのだ。 「『志保ちゃんが自分の為に作ってくれるんだ』って育生くんも喜ぶと思うよ」 最初は料理に対して尻込みをしていた志保ではあったが、この言葉を聞いた後の上達は目覚しいものがあった。 「ここまでやれば大丈夫そうだね〜」 まだ志保の料理には上達の余地が残っているものの、志保はプロの料理人を目指すわけではない。至高でも究極である必要もない。ここらで十分だろうと判断する。 何より、これ以上お粥を増やすわけには‥‥。 「お見舞いに恋心も添えて、ね。がんばりましょうか」 千草は甘味をつけるために、さくらんぼを鍋に入れながら考える。病人には甘いもの。定番だ。後は戻した寒天とあわせて、涼感のある一品を仕立るつもりだ。 途中、猫のような何かが素早い動きで鍋の中のさくらんぼを幾つか摘んでいった気もするが、量は多めに用意してあるしそれくらいは何の問題もない。摘んでいった猫が猫舌でなければよいのだが。 「お粥もそうだけれど、匙を持って行って、食べさせてあげることが出来るわね」 志保が食べさせる姿を想像し、ちょっと嬉しい気分になるのだった。 ●当日 「折角だから、可愛くしていかない?」 ニーナの提案に迷わず『はい』と答えた志保だが、やはり不安が拭い切れないのかニーナに髪を編んでもらっていながら、小声で胸の内を語り出す。 「でも、もし、迷惑だって言われたりしたら‥‥」 「雨の時に自分の傘を差し出すなんて、嫌いな相手にはするわけがないだろう」 だから心配する必要はない、と梓馬は志保に言う。傍から見ればそれと分かることでも、以外と当事者になると見えていないこともある。 「それも、そうですよね‥‥」 「そうよ、心配しないで。‥あとは紅を少しさすくらいで十分ね♪」 薄い化粧が施された志保は、白桃の様なみずみずしさがある。こんな娘がお粥やらを持ってお見舞いに来て落ちない男なんているのかしら?ニーナは自信をもって志保を送り出す。 言ってみれば近所へのただのお見舞いではあるが、傘に加えて料理や花などで女手一人ではちょっと手に余る大荷物になってしまったし、一人で行くのは心細いだろうと数人が志保に付き添うことにした。 「好きなのは好きって言ってすっきりしてしまう方がいい」 どうしようと迷う志保に美鈴は答える。でも、もし勇気がないなら思いを留めていて時期を待つのもありだとも。 ちゃんと自分の考えは主張しながらも、無理強いをしないのが彼女なりの優しさだ。 志保の家から育生の家までは遠くない。時間にしたら四半時もかかってはいないはずだ。だが、志保にとっては昨日の寝床に入ってからこれまでの間が永遠とも思えるような長さのように感じられた。 一歩一歩育生の家が近づくたびに、怖くなって、立ち止まりたくもなった。だけど‥‥。 「自分で返さないと、ダメだ」 美鈴が文字通り、志保の背中を押す。志保の目の前にはいつの間にか育生の家があった。 「くっ、がんばれ‥‥っ!」 ティエルは隙間から二人のやり取りを覗く。言葉こそはっきりと聞き取れないが、もどかしいやり取りをしているだろうと思しき二人を見ていると自然と手に力が入る。『恋愛成就のお守り』を握り締め、二人のやり取りを見守るのだった。 『あなたのために作ってきたの』と言ったかどうかはわからないが、志保はお粥を用意すると匙を使って育生にお粥を食べさせるのだった。食べる方も食べさせられる方もぎこちなく、見ているこちらがなんだか気恥ずかしい。 しかし、料理の力か、時が経つにつれて二人のやり取りが次第に自然なものになってくる。デザートの寒天を食べる頃にはとても和やかな雰囲気である様に見て取れた。 育生は全ての料理を平らげて、志保が食器を片付けようと手を伸ばす。 『あ、いいよ俺が片すから』『育生さんは調子が悪いのだから‥‥』そんな感じだろうか、一つの食器を取ろうとした時に、触れ合うお互いの手と手。 見つめあう視線。 一寸の沈黙の後━━━お互いに何か言いかけて、笑いあう二人。 そして、意を決したように育生が志保に何かを伝えるのだった。 「そこだ、行けっ!」 「あら、以外と積極的‥‥♪」 外野も大分五月蝿かったような気もするのだが、二人の世界の壁は厚くそんなことは妨げにならなかったようだ。 ●別の雨の日 「恋は焦らずね」 あの後千種から言われた言葉を思い出す。 こんなしっとりした雨の中ゆっくりとした時間を過ごすのも悪くないなと志保は隣の育生を見て思う。 この傘はあの時の傘。あの時と違うのは、傘の中にいるのが一人だけではないということ‥‥。 一つの傘に寄り添って歩く二人の姿を見て、ミヤトは大きく手を振って声を掛けようとする。 「育生くん、志保ちゃん、赤ちゃんが‥‥」 気が早いミヤトの言葉は最後まで続くことはなく、頬を風魔手裏剣がかすめて、『ひぃ』という小声をあげる。 手裏剣が飛んできた方向を振り返ると、悠妃が凍りつくような微笑で立っている。 何故かミヤトの頭の中で、『邪魔するな』という言葉が彼女の声で再生される。 ミヤトはもう一度『ひぃ』と悲鳴を上げてがくがくと震え出すのだった。 |