【城】金も人も不足気味
マスター名:馬車猪
シナリオ形態: ショート
危険 :相棒
難易度: 難しい
参加人数: 8人
サポート: 2人
リプレイ完成日時: 2012/03/24 04:36



■オープニング本文

 方々から恨まれた上司が後継者も残さずこの世を去るとき、部下はどうすればよいだろうか。
 逃げる?
 かつての敵に寝返る?
 それとも上司の遺産を横領し上司に取って代わる?
 一般的にどれも成功の確率が低く、一時成功したところで長続きする可能性は低いだろう。
 巨万の富を思うがままに使ったある男の部下達が、現在このような立場にある。
 彼等の中での一番人気は、退職金を受け取ってすぐ天儀に移住することであった。

●アル=カマルのとある学者の言葉
 は? 外交の秘訣について教えて欲しいって?
 いや、あなた、そんなこと外に漏れる訳ないでしょ。
 外っていうのは氏族首長の一族や高位貴族の他って意味ね。
 細々とした慣習やら礼儀作法やら、それも地域独特のものを身につけていないと交渉の入り口にすらたどり着けないってこととは分かっていますよね。血筋とかも大事な場合がありますし。
 あー、いや、言いたいことは分かりますけどね。正論やらお題目だけで通じるのは圧倒的に強い立場の側が弱い側に強制するときだけですって。そうしたときだって余程うまくやらないと恨みが残って後の世代につけを残しますし。
 その点、例の新しい領主は上手くやりましたよね。最悪の場合でも城に引きこもってしまえば領民共々生き延びられるんで、地位や伝統や血筋を根拠にたかられても相手を無視できますし。アル=カマルの主要氏族に喧嘩を売らない限り安泰でしょう。
 ま、領地が発展したら否が応でも外との関わりができてしまうんですけどね…。

●依頼
 天儀開拓者ギルドの片隅に新たな依頼票が張り出された。
 内容は開拓事業の推進。
 依頼期間中、1つの地方における全ての権限と依頼人の全資産の扱いを任されることになる。



●依頼票
 城塞都市の状況は以下のようになっています。
 状況が良い順に、優、良、普、微、無、滅となります。滅になると開拓事業が破綻します。

 人口:微 流民を受け入れています。
 環境:優 人が少なく水が豊富です。商業施設等は存在しません。
 治安:普 滞在者が増加しつつあるため徐々に低下中です。
 防衛:普 もうすぐ城壁が完成します。
 戦力:微 開拓者抜きで、小規模なアヤカシの襲撃を城壁で防げます。守備隊訓練中。
 農業:無 何が育つかの特定だけは完了しています。一段階上昇間近。
 収入:無 余った水を外から来た商人に売っています。元流民の教育費が嵩んでいます。
 評判:微 周辺領主からあまり良く思われてはいません。ほぼ横這いです。
 資金:無 城を完成させるまでの費用は支払い済みですが、他は最低限の運営費しか残っていません。

 人材:農業技術者3家族。超低レベル志体持ち8名。

・新たにとりうる行動
 複数の行動を行っても全く問題はありません。ただしその場合、個々の描写が薄くなったり個々の行動の成功率が低下する可能性があります。

行動:人材登用
効果:成功すれば官僚相当数名と外交官相当1名が人材に加わります。
詳細:依頼人の死後にアル=カマルを離れる予定の、依頼人の部下を引き留めます。大勢から恨みを買っている自覚があるため、本人と家族の安全が数世代保証されない限り説得には応じないでしょう。

行動:対外交渉準備
詳細:これを実行しない場合、対外交渉実行時の効果が悪化します。
詳細:開拓地周辺の情勢について説明を受け、同時に彼等に通用する儀礼を身につけます。極めて多くの時間が必要で、説明だけですませる場合でも1依頼の全期間拘束されます。交渉を行える機会は限られ毎回行える訳でもなく、しない方がましな場合もあります。依頼人は専門家を使うことを勧めていますが強制するつもりはないようです。

行動:城外開拓に向けての調査
効果:成功すれば城外の開拓準備を実行可能になります。
詳細:城外の土地の詳細な調査を行います。時間がかかり、アヤカシの襲撃も予想され、それ以外にも何が起きるか分かりません。

行動:農地の大規模拡張
効果:農業が上昇。資金が低下。
詳細:資金を投入して農地を拡張速度を上昇させます。

行動:城外で捜索を行いアヤカシを攻撃
効果:成功すれば収入と評判がわずかに上昇。
詳細:城壁の外でアヤカシを探しだし討伐します。手頃な集団はこれまで参加した開拓者が討伐したため、城外で捜索を行った場合、見つかるのは小鬼程度の雑魚か下級アヤカシとしては最上位に近いアヤカシの大集団になる可能性が高いです。アヤカシを倒せば良い評判が得られ、新たな商売人や有望な移住希望者が現れます。

行動:城壁内部の設計変更
効果:不定
詳細:城壁の内側には建設が予定されていてもまだ建設がはじまっていない建物が多数存在します。設計の変更を行うことで、新たに資金を使うことなく新しい施設を建設できます。

行動:その他
効果:不定
詳細:商売、進行中の行動への協力等、開拓事業に良い影響を与える可能性のある行動であればどのような行動をしても構いません。


・現在進行中の行動
 依頼人に雇われた者達が実行中の行動です。開拓者は中止させることも変更させることもできます。

行動:城壁工事。
効果:防衛が上昇。実行した場合は今回で終了。
詳細:規模が極めて大きく、現時点でも外部からの攻撃に対しある程度効果があります。

行動:城壁防衛
効果:失敗すれば開拓事業全体が後退します。
詳細:開拓者の援護が無い場合、成功しても負傷者または戦死者が発生します。

行動:守備隊訓練
効果:戦力の現状維持。
詳細:規律と練度を維持するために最低限必要です。

行動:治安維持
効果:治安の低下を抑えます。
詳細:警備員が城壁と外部に通じる道を警戒中です。練度は高くありません。

行動:流民の受け入れ
効果:人口が上昇。収入が低下。治安が低下。
詳細:背後の確認や職業訓練が必要になるので負担は大きいです。ただし人口が増えれば防衛、戦力、農業、収入、評判が上昇し易くなります。中止後再開可能です。

行動:環境整備
効果:環境の低下をわずかに抑えます。
詳細:排泄物の処理だけは行われています。

行動:農地の拡張
効果:農業がわずかに上昇します。
詳細:既に支払われた資金の枠内で拡張中です。


■参加者一覧
鴇ノ宮 風葉(ia0799
18歳・女・魔
玲璃(ia1114
17歳・男・吟
フレイア(ib0257
28歳・女・魔
将門(ib1770
25歳・男・サ
朽葉・生(ib2229
19歳・女・魔
鳳珠(ib3369
14歳・女・巫
ネプ・ヴィンダールヴ(ib4918
15歳・男・騎
アルバルク(ib6635
38歳・男・砂


■リプレイ本文

●授業
「はー、ぁ…礼儀作法なんて、まさか家を出てまで覚えることになるとはね…」
 講義が終わった直後、鴇ノ宮風葉(ia0799)は全身の力を抜いてソファーに倒れ込んだ。
 常軌を逸した詰め込みにより額に汗が浮かんでいるが、それでも風葉はましな方だ。
 都市の規模拡大を見越して将門(ib1770)が住民から選抜して押し込んだ者達は、魂が抜けたような虚ろな顔で机に突っ伏している。
「太陽があの椰子に重なった頃に午後の授業を開始します。それまで食事と仮眠を取っておくように」
 照明用の油は豊富にありますから授業は深夜まで続けます。
 そう言い残して去っていく教師を、風葉は生気の薄れた瞳で見送っていた。
「皆さん、よろしければ食事を運んできましょうか?」
 エラト(ib5623)は力の入らぬ体を気合いで動かしている。本来なら授業に十分耐えられたはずだが、体調不良による体力低下は様々な面で彼女に負担をかけていた。
「あたしは食事よりお茶がいいな」
 教室の後ろの席で見物していた羽妖精が、何かを頬張りながら無茶な注文をつける。
「瑞ー」
 己の朋友をたしなめようとした風葉は、記憶にはあるが嗅ぎなれない香りに気付く。
 砂糖とバターを限界まで加えた焼き菓子だ。
「どこで買ってきたのよ。白状なさい」
「さっきまで見学していたおっちゃんに貰ったよ? いや爺ちゃんだったっけ?」
 口の中に残っていたバタークッキーを全て飲み込み、瑞は体を伸ばしつつころんと机の上に転がった。
 風葉は無言で立ち上がり、日光と砂避けのタペストリーをはね除けて教室の外に出る。
 そこには、護衛を連れて庭を散策中の老人の姿があった。
「餌付けすんな!」
 ふーっ、と猫のように威嚇すると、領主はふんと鼻を鳴らした。
「遊ぶのは構わんが仕事もせい。流民の受け入れ、少々工夫せねば門前にスラムが出来ていたぞ」
 領主は砂漠の入り口や街道の先に人を派遣し、裏表様々な手を使い人の流民の流入を押さえ込んでいた。
「全面的にあたし達に任せるんじゃなかったの」
「いずれ嫌でもそうなる。精々金が尽きんよう手をうつことだ」
 感情の感じさせない声で応え、老人はゆっくりと廊下を進む。
「そーいやどこまでやっていいのよ」
 つまらなそうに、しかしなれ合いではない奇妙な共感と共にたずねると、領主は足を止めもせずに答えた。
「好きにせい。お前等がしくじるなら儂の目が曇ったということ。無意味な責任転嫁はせん」
「さよーで」
 風葉は肩をすくめると、んじゃ猫かぶりは止めましょと呟きながら教室に戻っていった。

●大通り
 大型の馬車が四台同時に走れる幅の大通り。
 両側には看板こそ出ていないが大型の店舗がいくつも並び、大通りの先には建築中の宮殿がある。
 そして、大型店舗の巨大な入り口から巨大な大工道具を携えた桜色の巨人が姿を現す。
 ネプ・ヴィンダールヴ(ib4918)の駆鎧、ロキである。
 商人と商品を入れればすぐにでも稼働可能な店舗を仕上げた桜色の巨人は、満足げにうなずいてからほっそりとした狐の獣人を排出した。
「鴇ちゃん! 褒めて欲しいのですよ」
 リズミカルなステップを踏みながらくるりと一回転する。
「あれ? 鴇ちゃん?」
 が、1度見に来ると言っていたはずの想い人の姿がない。
 このとき、風葉は建設中の宮殿内にある教室で熟睡中だった。通常なら身につけるのに一月はかかる雑多な知識、近隣都市上層で通じる地域版故事成語や各種慣例に近隣遊牧民上層でのみ通じるそれまでを詰め込まれた結果、限界を超えてしまっていたのだ。
「あら。もう終わったの」
 豊かな黄金の髪を厚手の帽子と外套で隠した麗人が声をかけてくる。
「商人用倉庫は昨日のうちに仕上げたという話だし、大したものね。騎士以外でこれだけ動かせる者はそういないでしょう。その力、次は城壁の仕上げ工事と守備兵詰め所の建設に使いなさい」
 穏やかな口調であるにも関わらず一切の反抗を許さない、命令することに慣れた貴族の言葉であった。
「え、でもその、生さん手伝ってコンクリ作ったり水路作ったりしなきゃ。それにほら、交易拠点化を目指して区画整備しなきゃですし」
 わたわたと両手を振りながら反論しようとするが、フレイア(ib0257)はむしろ優しげな視線を向けてくる。
「ネプ君。頼りがいのある男はどうすべきかしら」
 風葉のいる場所にちらりと視線を向ける。
「うー…。はい」
 少しでも風葉の近くにいたいという男心をもっと役に立ちたいという別の男心が上回り、ネプは駆鎧に乗り込み工事の最終段階に入った城壁へ向かって行く。
 ネプを見送ったフレイアは、道路と店舗の境に深く掘られた幅数メートルの穴を縁から見下ろす。
 底はコンクリで補強され、傾斜をつけた陶器製巨大導管が複数設置されていた。
「下水道の敷設は順調か。一時はどうなることかと思ったけれど」
 陽光と風避けの分厚い布の上からでも分かる豊かな胸をなで下ろす。
 もう少し工事が進んでいれば、石畳を掘り返してから水道管や下水道を設置する羽目になっていたかもしれない。
 後で作るとなると時間も資金も必要になっただろうから、今回の工事が都市建設事業の破綻を防いだのかもしれなかった。
「この場はお任せします。それでは御機嫌よう」
 待機していた現場監督に後のことを任せ、フレイアは優雅な足取りでネプの後を追うのであった。

●甘い作物
 城壁内に広がる広大な農地で、大きな水瓶を背負った霊騎が器用に水を撒いていた。
 自らに忠実な朋友の意外な特技に内心驚きながら、鳳珠(ib3369)は呆然としている農業技術者に相談を持ちかける。
「甘い作物ですか?」
 自分の子供がはしゃぎながら霊騎の務を追いかけるのを横目で見つつ、彼は最近仕入れた別の儀の知識も動員して回答した。
「確実に育つのは苺に、あれでしょうか」
 技術者が示したのは水源。正確には水源の側で青々と茂っている椰子の木だ。
「実を加工すれば甘味にも酒にもなりますよ」
「なるほど」
 鳳珠は提示された情報をもとに数秒の間に考えをまとめ、改めて提案する。
「大規模な農地拡張の際に栽培を開始できるよう、準備を進めておくことは可能でしょうか」
「それはもちろん」
 技術者は即座に首肯する。
 しかしすぐに難しい顔をして付け加えた。
「ただ、甘味は高く売れるかもしれませんが主食ではありませんから…」
 売れれば金は手に入るが、食料自給ができない場合は高い金を払って食料を他所から買い入れるしかなくなる。
「その件ですけれど」
 サラファ・トゥール(ib6650)がふらりと現れる。
 砂漠を横断して都市に戻った直後らしく、蠱惑的な肢体を堅苦しささえ感じられる外套で包んでいた。
「部族の首長がどう考えているかまでは調べられませんでしたが、一般的な民には悪感情を抱かれてないようです。少量とはいえ水を売っているのが好意的に評価されているようですね。ただ」
 現在行っている食料の購入が続けば徐々に感情は悪化する。購入の量が増えれば加速度的に悪化していくだろう。
 彼女はジプシーとして民の中に紛れ込み、建前抜きの本音を探り出してきていた。
「参りましたね」
 農業技術者はしわの寄った眉間を揉む。
「開墾計画を前倒しにする必要があるかもしれません。私には住民台帳を見る権限はないので概算でしか計算できないですけど、移民受け入れを今日で打ち切って食糧自給率10割を保てる範囲で可能な限り甘い物の生産をするとしたら」
 天儀製のものらしい算盤を弾いて計算し、さらに頭を抱える。
「城壁内で限界まで農地を拡張してぎりぎりです。軽い天候不順が起きるだけで困窮する家庭がでてくるでしょう」
「そう、ですか」
 領主の打った手により1日あたりに訪れる移住希望者は減っているし、開拓者も受け入れのペースも落としている。しかし人口が増える日はあっても減る日はない。
 鳳珠は打開策を模索するものの、手持ちの情報だけでは妙案を思いつきそうにない。
「しっかし、今回異様に作業がはかどりますね」
 暗い雰囲気を払拭するために、技術者は大きく手を広げて農地を一望する。
 現在体調が良くないとはいえ鳳珠は高位の志体持ちである。つきっきりで農地拡張に従事した結果、当初の予定より数割増しで作業が進んでいた。
「それに何よりあれですよあれ!」
 技術者は子供のように目を輝かせて騒ぎ出す。
 自分の子供にひかれているがお構いなしだ。
「生さんが用意した水車ですか?」
「ええ! あれがあるとないとでは大違いです。水をひくために複雑怪奇で長大な配管が必要だったり超大規模な土木工事が必要になったり水を全て人力で運ぶなんて悪夢を見ずに済むんですよ。最高じゃないですか!」
 いい歳をした男の熱弁を、鳳珠は曖昧な笑みで受け流していった。

●苦闘
 熱い尊敬の眼差しを向けられている朽葉・生(ib2229)本人は、苦戦を強いられていた。
 領主の力を利用し大型風車の設計図を手に入れ、水車をもとに動力源に風車を使った水汲み水車を目指すまでは良かった。
 話しを持ちかけられた熟練工が、迷いもせず全ての縁を絶ちきってこの都市への移住を決断するほどの魅力がある計画ではあったのだ。
 実現のために必要な技術水準が高すぎたことが、唯一にして最大の問題であった。
「問題は砂だ」
 壊れかけの鑿で削り出されたような、これまでの過酷な人生が伺える顔の職人が重々しく断言する。
 地面に転がる円形の大型部品を鷲獅鳥の司がつつくと、たっぷりと水を吸った砂がこぼれてくる。
 流れてくる水に砂が混じっていのではない。城壁を越えて吹き付ける風に混じっていた砂だ。
 部品と部品の間に溜まった砂は全体の動作を妨げ、短時間でその機能を失わせてしまう。
 砂を防ぐための細々とした部品をつける工夫も試してはみたが、機能は低下し整備も頻繁にする必要が出てくるため実用性に乏しくなってしまっていた。
「照明を持ってきましょうか」
 太陽が地平線に近づいているのに気づき、生が提案する。
「いや、今回はここまでにして灌漑設備の設置にまわるつもりだ。とりあえず稼がないと生きていけない」
 職人は、本人としては人生最大の感謝を込めたつもりの、客観的には愛想のない礼をしてから別の工事現場へ向かうのだった。

●移民管理局にて
 今までの縁を切りこの都市を故郷とする。
 都市内の法を守る。
 虚偽申告はしない。
 3つの条件と都市内法の主要部分を簡易な言葉で聞かせ終えたときには、説明開始から1時間近い時間が経過していた。
「へ、へいっ? 町にいれてくれるん、くださるならそれで十分でさぁ」
 都市内法の読み聞かせの途中で明らかに理解を放棄していたにも関わらず、男はペンに手を伸ばし慣れない様子で申請書に署名しようとする。
 偽名を書いているようには見えないが、自分の名前を書き慣れているようにも見えない。
 おそらく読み書きができないのだ。
 移民管理局で移住希望者の面接を担当している玲璃(ia1114)は、笑顔を浮かべたまま目だけで圧力をかける。
 知識が乏しく知恵を磨く機会も得られなかった移住希望者は、都市の高官を怒らせたのかと思い冷や汗を流す。しかし足りない部分はあっても人に恥じることが何も無い彼は、緊張はしたものの必要以上に怖じ気づきはせず、自分自身の名を申請書に書き記すことに成功した。
「ありがとうございます。これで手続きは完了しました。おかえりなさい。今からこの都市があなたの故郷です」
 新たな住民は俯き加減に椅子に座ったまま呆然と玲璃を見上げ、1分近くかけてようやく現状を認識する。
 既に自分は流民ではないのだ。
「あっ」
 腹の底で熱いものが爆発し、見開かれた瞳から透明な涙が溢れ出す。
「ありがとうございます! お、俺、頑張ります。頑張りますっ」
 握りしめた両の拳は、激情により小刻みに震えていた。
 数分後、何度も頭を下げる住民を見送ってから玲璃は住民台帳に新たな名前を書き加える。
 依頼期間中領主から移民に関する全ての権限を与えられている玲璃が名前を記すことで、正式にはどこにも属せていなかった男が1人消え、新たな市民が誕生した。
「次の方」
「どうぞー」
 玲璃と朋友の睦の柔らかな声に導かれて入室したのは、移民希望者ではなく将門だった。
「根を詰めすぎるな。食事を抜けば保たないぞ」
 将門が運んできた2つの盆には、乾燥大豆を水で戻したものを薄く塩で味付けしただけの煮物の皿、彩りに添えられた二十日大根の小皿、堅く焼かれた長期保存用のパン一切れがぞれぞれ1つずつ並んでいる。
 いずれも少量だ。部屋の中にいくつも並んでいる、たっぷりと水が入ったジョッキとの対比がもの悲しい。別に2人が冷遇されている訳ではない。都市の現状を知るために新規住民用配給食の余りを運んできただけだ。
「今日はここまでにしたらどうだ」
 玲璃の机に盆の1つを置く。
「これだけなのですか」
 玲璃は自らの食事の貧しさを嘆いたのではなかった。成人男性でもこれだけしか配給されない新規住民の健康状態を心配しているのだ。
「守備隊の中にはどぶろくらしきものを作った者もいたようだが」
 将門は意図して話題をずらす。教育期間中の新規住民や自活できない者に対する配給については、予算の限界もあるので今のままいくしかないからだ。
「そういえば、医療に携わる人材を育てようとしていたのだったな。見込みのありそうな者はいたか?」
 別の簡素な机に自分の夕食を置きながら玲璃にたずねる。
 玲璃は、無言で首を横に振るしかなかった。
「そちらはどうでしたか?」
 将門は、彼にしては極めて珍しくため息じみた息を吐く。
「才は磨かねば無意味というのを実感した。辛うじて使えそうな者を選んではみたが、使い走りができるようになるまで3月、最下級の官吏になるまで全ての労働を免除し教育を受けさせても半年というところだ」
「時間が、かかりますね」
 玲璃の言葉はどこまでも苦かった。

●真昼の初陣
 城壁の片隅で半鐘が激しく打ち鳴らされ、予め準備されていた乾燥草に火がつけられ狼煙があがる。
 狼煙があがった場所近くの住民は持ち場や家から離れて都市内では最も戦力が充実した宮殿建設予定地に向かって走り出す。
 不幸中の幸いと言うべきか、今日のうちに避難訓練が予定されていたので住民の避難は予想外に順調に行われている。
 この体制を構築したフレイアは半鐘が鳴った時点で反対側の城壁でアーマーを使った工事中であり、現在は敵の別働隊に備えて待機中である。
「これならあいつらだけでもなんとかなるか」
 砂の連なりを超えて近づいてくるのは1匹の毒蛾だ。
 アルバルク(ib6635)の知識によれば犠牲者の動きを鈍くする程度の毒鱗粉をまき散らす、飛行能力を除けば雑魚と表現しても問題のないアヤカシだ。
「わりぃが後詰めに回ってくれ。余裕があるうちに実戦の空気を吸わせておきてぇ」
 城壁の上から内側に向かって叫ぶと、北辰の銘を持つ駆鎧は了解の合図を返しつつ後退していく。
 アルバルクが戦場の用意をしている間も状況は動き続け、最初にアヤカシに気付いた警備員から通報された守備隊の面々が集まってくる。
 一瞬だけ都市内に視線を向けると、朋友のリプスが子供を誘導しながら、火事場泥棒の誘惑に駆られたらしい大人を目力で抑えているところだった。
「全員集合しやした」
 守備隊全員がアルバルクの前で整列する。
 服装に乱れはあるが銃と剣の整備と準備は完全。
 内面がそのまま行動に表れているようだった。
「てめぇら守備隊の初陣の相手が決まった。あそこにいる太めのお嬢さんだ。訓練通りに丁重にお相手して差し上げろ」
 獰猛な男達と、影響を受けて獰猛になりつつある男と少年達が雄叫びじみた返事を返す。
「始めろ!」
 アルバルクの命令と同時に横列を組み、風に翻弄されつつもこちらに向かってくる巨大蛾を待ち受ける。
 全長1メートル台後半のそれは守備隊の面々の遠近感を狂わせ、緊張を強いて精神を消耗させる。
 しかしアルバルクにより徹底的にしごかれた彼等は暴発はせず、高い城壁を越えるため、速度を犠牲に上昇してきた大毒蛾が目の前に現れるまで耐えた。
「やれ!」
 命令と同時に8丁の銃が火を噴き、大毒蛾の羽と頭部を砕く。
 アヤカシは城壁の壁面にぶつかりながら、最終的に堀の底にぶつかって瘴気に戻ったが、堀の石ひとつ傷つけることはできなかった。
「良くやった! 昨日没収した密造酒の代わりに葡萄酒を奢ってやる」
 未だアヤカシの脅威が残る砂漠に、熱の籠もった雄叫びが響いた。