鍋と雑炊を振る舞え!
マスター名:馬車猪
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: やや易
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2011/11/29 04:37



■オープニング本文

 雑炊。
 飯に野菜や魚介類や肉を加え、味付けした上で粥状になるまで煮たもののことをいう。
 当然のことながらバリエーションに富み、味噌や醤油を使った天儀風、ごま油などを巧みに使った泰国風、最近ではジルベリアやアル=カマルの影響を受けたものまで登場しているらしい。
 下品な食べ物として嫌う者もいるが、多少古くなった食材でも美味しく食せる庶民の味方である。

「慈善活動ですか」
「宣伝と営業です」
 腹回り豊かな商人がにこりと微笑む。
 対面に座る開拓者ギルド係員は、曖昧な表情のまま手元の資料に目を向けた。
 都市の近くの川原を1日借り切って大鍋と食材と薪を大量に運び込み、無料で食事を振る舞う大イベントの企画書である。
 参加者の制限を行わないため、懐が寂しい者が多く参加するだろうと予測されていた。
「寒い冬の日に振る舞われる熱々の鍋と雑炊。そのとき器に刻まれている宣伝は、いつまでも記憶に残るのですよ」
 笑みが浮かんでいない瞳に、過去を懐かしむ色が一瞬だけ浮かんで消える。
「なるほど。開拓者が設営と調理を担当するということで良いでしょうか」
 係員が真面目な顔でたずねると、商人は顔に浮かべた笑みを濃くした。
「開拓者がしたいなら止める気はないですが、私がお願いしたいのは催し全体盛り上げと警備です」
「もしや催しの運営まで任せるおつもりですか?」
 さすがに驚いた係員が確認すると、商人は泰然とした態度でうなずいた。
「宣伝は碗に刻んだもので十分です。食材の要望があれば出来る限り叶えましょう。集まった人達が日々の憂さを晴らせるような催しを期待していますよ」
 己の行動は全て我欲に基づくものである。
 自らの態度でそう主張する慈善家に対し、係員は礼儀正しく頭を下げるのだった。


■参加者一覧
水鏡 絵梨乃(ia0191
20歳・女・泰
喪越(ia1670
33歳・男・陰
アルネイス(ia6104
15歳・女・陰
からす(ia6525
13歳・女・弓
村雨 紫狼(ia9073
27歳・男・サ
針野(ib3728
21歳・女・弓
Kyrie(ib5916
23歳・男・陰
セフィール・アズブラウ(ib6196
16歳・女・砲


■リプレイ本文

●前日
 それを鍋と認識するのは難しかった。
 直径は1メートル強、深さは1メートル弱。
 自壊を防ぎ運搬時の衝撃に耐えるため、厚みはかなりのものだ。
「え、えいっ」
 興味を引かれた人妖のしづるが宙に浮いたまま全力で鍋を横から押す。
 しかしぴくりとも動かない。
 さらに浮き上がってから鍋の中に身を乗り出し、内側をぺちぺち触る。
「こーら、調理道具を触るときは手を洗うんだよ」
「うにゅ!?」
 しづるは優しく襟首を掴まれ、まるで猫のように運搬される。
 針野(ib3728)がしづると共に向かったのは、大規模な商店の奥に設置された厨房だった。
「お邪魔して良いかな?」
「ええ。こちらは一段落つきました」
 メイド服を着こなす少女が、しづるが見たのより一回り大きな大鍋をかき混ぜていた。
 大鍋からは濃厚な肉の香りが漂ってきており、しづるは針野にぶらさげられたまま可愛らしく鼻をすんすんと鳴らしていた。
「味見をお望みですか」
 セフィール・アズブラウ(ib6196)は鍋を熱する火を弱めてから、ジルベリア風の碗に大鍋の中身をすくい取る。
「へえ。骨付き牛肉で出汁をとるのか」
 しづるよりも針野がより興味を持ったようで、興味津々に鍋の中を覗き込む。
 表面には美味そうな油が浮いていて、灰汁は綺麗に取り除かれている。
 香りは芳醇かつ複雑で、素材の良さ以上に徹底した手間が掛けられていることが分かる。
「この香りは、なんだろう。良い香りだけど」
「ありがとうございます」
 悩んでいる針野に構わず、しづるは礼儀正しく頭を下げる。
 冷たさを感じさせるほど整った顔に淡い笑みを浮かべ、セフィールは落とさないよう注意しながら碗を渡す。
 ふう、ふうと何度も息を吹きかけてから、しづるは小さな唇を碗に触れさせる。
「いただきまーす。…にゅ!」
 しづるの目が大きく見開かれ、小さな体がふるふると震えだす。
「はりちゃん! これすごいよ。濃いのにすっとしてて、口の中にぱぱっと広がってくるんだよ」
 余程味覚に衝撃をうけたのか、普段の気弱さが吹き飛ぶ勢いで味を解説している。
「月桂樹、かな?」
「お見事です」
 しかし肝心の針野はほとんど聞いておらず、メイドさんと料理談義に花を咲かせていた。
「理屈は分かるけどすごく時間がかからない?」
「良い物には手間がかかりますから」
 セフィールも時間がかかったことを否定はしなかった。
「クロさん、火の番をお願いしますね。私は明日のための食材の確認に行きますので」
 かまどの熱で暖まりまどろんでいた猫又が、眠たげににゃーと鳴いてから火が確認できる場所に移動する。
「よっしゃ、わたしもキムチの仕込みをすますんよ。しづる、美味しいからってお代わりとかしちゃだめだからね」
「シヅそんなことしないです!」
 全身を使ってひとしきり抗議をしてから、しづるはごちそうさまでしたと言いつつ碗をセフィールに返し、主人の後を追うのだった。
「葱、だと」
 牛肉とキムチの香りが漂う厨房で、村雨紫狼(ia9073)は体をよろめかせ、食材が詰め込まれた木箱に倒れるようにしてもたれかかる。
「説明するのです! マスターは過去の依頼でネギを操る敵さんにネギを…おし」
 いきなり解説を始めたメイド(セフィールを本職とするとこちらはなんちゃって萌えメイド)に、高速で飛来したハリセンが炸裂する。
「いたいですー。あれ? ミーア何してたですか?」
 本心から首をかしげるミーアの種別は土偶ゴーレム。
 近くで確認しない限り人肌と見分けがつかない素材がふんだんに使われ、作り手の偏執的な領域にまで達したこだわりが反映された、完全人間型ゴーレムである。
 ただし性能の大部分を萌の実現につぎ込んでしまったため、土偶ゴーレムとしての能力は格の割には平凡だった。
「寝ぼけてたんじゃねーの」
 注文した食材が届いているのを確認し終えた紫狼は、手を洗い調理用の服装に着替えると早速下ごしらえを開始する。
「そーですかー」
 あっさり言いくるめられたミーアの頭部にあるアホ毛は、風もないのにぴこぴこ揺れていた。
「予想より豪華になりそうだな、こりゃ」
 キャベツとネギと鶏肉を大量に、しかもほぼ同一の大きさになるよう刻み、清められた木箱に詰め込んでいく。
 当日予想される混雑を考えると、予め下準備をしておかないと途中で料理が足りなくなりかねないと判断したのだ。
「豪華って、金箔なのですかっ、コーティングなのですかっ?」
 わくわくと目を輝かせて聞いてくるミーアを無視し、アル=カマル産の香辛料を正確に量りつつ調合し、味噌、ニンニク、生姜、玉ねぎと混ぜ合わせてから寝かせる。
 買えばかなりの費用が必要になるだろうが、幸いなことに依頼人が設定した予算内に収まる内容だった。
「ギルドも面倒くせーよな」
 個人的理由で今回の依頼の報酬は辞退するつもりだったのだが、開拓者ギルドの係員が「受け取って貰えないと慣行的にどーたらこーたら」と抵抗したので、だいたい報酬分の金額を自分の財布から出して食材購入にあてていた。
 これならどこからも文句が出ない。
「さーて、明日はどうなりますかね」
 開拓者に朋友に大量の来客が一所に集まる以上、平穏無事に終わらせるのはかなり苦労が予測された。

●当日
 この冬初めて霜が降りた川辺に、太陽が水平線から顔出す前から人が集まっていた。
 立ち入り禁止と書かれた立て札は当然のごとく無視され、石で組まれたかまどの前にびっしりと人が密集している。
 かまどを離れるにつれ人の密度は低くなっていくが、それでも河原に降りることさえ難しい状況だった。
「どうしやしょう?」
 大型の荷車を運んできた巨漢が開拓者に指示を仰ぐ。
 同じ型の荷車は数台有り、このままでは会場予定地に食材や薪を運び込むことができない。
「この場で事態を収束させるまでここで待機を。琴音は」
 金髪赤眼の人妖が、しづると協力して大きな箱を宙に浮かしている。
 高度は3メートル弱。
 非志体持ちでも全力で飛べば届くかもしれない距離だが、身軽な2人なら飛んでいるときに捕まるような失敗はしないだろう。
 からす(ia6525)は小さくうなずくと、全く慌てず行動を開始する。
 大型の荷車に乗せられた超大型鍋の中に食材と薪を入れ、軽々と抱え上げてから跳躍した。
 大きさだけなら無力な少女に見えるからすが持つのは、体積にして数十倍、重量にして数百倍ありそうな物体だ。
 しかし卓越した身体能力と、それを使いこなすだけの技術を持ったからすにとっては、ちょっとだけ大きな荷物でしかない。
「通してくださいなのです〜」
 からすの真似をしようとしたミーアが人の波に流されていく。
「昼までには帰ってこいよ〜」
 ミーアの主人はあっさりと見捨て、大釜2つを器用に抱え上げる。
 さすがにそのまま人の波を突破することはできないが、彼はこの後何が起きるか知っていた。
「えっ」
「あれ、何だ?」
「龍? アヤカシ? え、何あれ」
 それに気付いた人々は、空を見上げたまま惚けたように身動きを止めた。
 人は、真にあり得ないものを見たとき現実感を喪失してしまう。
 神楽の都の夜に店を開いているような、粋な作りの屋台が宙を舞っていた。
 何度目をこすっても、何度瞬きをしても現実は変わらない。
 いっそ何かの幻術にひっかかっていた方が良かったかも知れない
 不条理そのものの光景は、見る者の正気を瞬く間にすり減らしていく。
「よぉ、アミーゴ。景気はどうだい?」
 宙で屋台をひく男が、飄々とした表情で集まった人々に語りかける。
「みんな雑炊目当てなんだろうが、蕎麦も忘れないでくれよ。早い、美味い、安い! 出ます、出します、出させます! ソウルフードといったらやっぱりこれだろ?」
 危なげなく着陸する屋台を、たくさんの目が呆然と追っていく。
「提供するのは「そば切」でござい。さあ、食っていってくれ。どんどん作るぜー」
 滑空艇から屋台用装備を引っ張り出して組み立てながら、喪越(ia1670)は同時に調理も行っていく。
 飛行中も今も釜の状態は万全だ。
 湯切りをされた麺がポン、ポン、ポポポポ〜ン、リズミカルに器に入れられ、やや濃いめのスープが華麗に宙を舞い器を満たしていく。
「お、おう」
 明らかに堅気っぽくない荒くれ男が、おっかなびっくり器を手に取り、腰が引けた状態で一口すする。
「う」
 美味いというより先に、箸と口が高速で動き、汁ごと麺を腹におさめてしまう。
 それから先は早かった。
 男は遠慮無く別の器を手に取り勢いよく啜り、負けじと他の男達もそば切りに殺到する。
 喪越は大量の客を鮮やかな手際で処理しながら、人の流れを誘導し河原に空間を空けていく。
「そこの嬢ちゃん坊ちゃん! 順番が来るまでこれ食ってな!」
 八面六臂の活躍を見せる喪越の手から、麺を油で素揚げして砂糖を振りかけた菓子が飛ぶ。
 受け取ったのは、薄着で小さな体を震わせていた子供達だった。
 大人に押しのけられていた彼等は菓子をかじり、今にも泣き出しそうな笑顔を浮かべるのだった。

●開幕
「ようこそ」
 炊き出しの開始を宣言したのは、Kyrie(ib5916)だった。
 一分の隙もなくゴシック調の服装を着こなし、端正な容貌を徹底した化粧で整えた彼は、喪越とは別の方向性の非日常をこの場にもたらしていた。
「これより炊き出しを開始します。皆さん全員が三食食べても大丈夫なだけの量を用意しています。前にいる方を押さず、駆け出さず、立ち止まったり後退せずに進んで下さい」
 Kyrieの声は洗練されすぎて人間味が感じられないほど美しく、何故か死を連想させるほど甘かった。
 美貌と美声に魅せられたご婦人方が彼に寄ろうとするが、鍋から漂ってくる香りに魅せられた者はそれ以上に多いらしく、人の流れは用意された大鍋に向かって行く。
 最も人が集まったのは、2人の人妖が担当している大鍋だった。
 既に準備を完了している面々とは異なりまで準備が完了していないのだが、ただでさえ珍しい人妖が2人、どちらもとびきりの美形であるため、どうしても注目を集めてしまう。
 普通なら目にすることも難しい存在なのだから仕方がないとはいえ、引っ込み思案な面があるしづるには辛い環境だった。
「急がないで。左手は動かさずに…そう」
 視線からの盾になってやりながら、琴音は丁寧にしづるを指導していく。
 やがて作業が完了し、精密に一口大に切られた具材と、ひとつひとつのサイズの差が大きな具材が沸騰する鍋に投入される。
「琴音ちゃん、ごはんはいつ入れるの?」
 炊きたての白米にうっかい触れてしまい、赤くなった指先をふうふう吹きながら問いかける。
「…そう時間はかからない。待っている人が多いし、早めにする?」
 元気よくしづるが首肯すると、菜箸で鶏肉の状態を確認してから、琴音は器用に大量のご飯を鍋の中に投入する。
 炊きあがってから時間のたっていない白米は、鍋の温度を下げずに見る間に汁と旨みを吸っていく。
 しばらくかき混ぜてから再び味見をし、今度は大量の卵を割って中身を鍋に投入していく。
 づるが自分もやりたそうにしているが、大量の殻を中に投入しかねないので今は任せられない。
「…もういいかも」
 卵が柔らかめの半熟になり、甘く芳醇な香りが広がっていく。
 艶やかに輝く米に、官能的な白と黄。
 しづるはきらきらした目でみつめ、そんなしづるに観客達からうっとりとした視線が向けられていた。
「…味見を」
 木製のおたまに卵と鶏肉入り雑炊を少量とり、しづるに手渡す。
「んっ、んんーっ! 甘くてとろとろしてるよ!」
 言葉の内容よりもしづるの笑顔で出来映えを確認した琴音は、準備が完了したと判断した。
「…そう。じゃあ呼ぼうか」
「うん。いらっしゃいませ」
 瞳しがちなしづるが精一杯浮かべた笑顔は、多くの者の心を捉え、そのごく一部に特殊性癖を目覚めさせたのだった。

●魔性の香り
 厚い鉄板の上で焦げるソースの香りは、あまりに目立ちすぎた。
 複数の大鍋から雑炊の香りが立ち上ってはいるのだが、脂とソースが高温で熱せられる際に生じるものは、空きっ腹を抱えた老若男女をたちまち虜にしていく。
「はいはいは〜い。最後尾はこちらなのです!」
 お気楽な表情のミーアが誘導を行い、紫狼が大量の皿を並べると同時に焼きそばを盛りつけていく。
 麺と鶏肉しか入っていない焼きそばに見える。
 しかし漂ってくる香りは複雑かつ芳醇で、適度な脂で光る麺は客の口内に大量の唾を生じさせる。
「うおっ、すげっ」
「全部肉みてぇだ」
 農村部から来たと思われる野良着の男達が、猛烈な勢いで食べ始める。
 味噌をベースに生姜、玉葱、葫、各種調味料を巧みに組み合わせたソースは、いくら食べても飽きさせず、男達を何度も列に並べさせることになる。
「顔ぶれが変わらねぇのはいただけねぇな」
 繊細さはある程度度外視し、予算内で一定の味となにより量を重視する一品に仕上げたのは紫狼の狙い通りなのだが、どうにも一部の層に受けすぎてしまったらしい。
 手を止めず、表情を変えないまま、紫狼は視線を動かさず2人の人妖を確認する。
 どちらも強力な人妖なので、人攫いにあう可能性はあってもさらわれる可能性は極めて低い。
 しかしこの2人ほど希少価値が高い人妖になると、志体持ちの賊を雇って襲わせる者が出てきかない。
 もっとも、一定以上の腕を持っている客は琴音の主の気配を感じた時点で圧倒的という表現すら生ぬるい実力差を悟り、仮に狼藉を働く気があったのだとしてもその時点で完全にその気を捨て去っていた。
「ありがとさん。しづるのこと見てくれてたんやろ?」
 急に隣から話しかけられ、紫狼は片方の眉を器用につり上げた。
 繊細な甘さが混じるキムチの香りが鼻腔をくすぐり、焼きそばを担当していた男達の視線が匂いの源に向けられる。
「気のせいだろ」
 紫狼の声には照れは皆無だった。
 針野は丁寧に頭を下げてから自分の持ち場に戻る。
 惜しげもなくキムチを使った2つの鍋は既に空になってしまい、次の雑炊と次の次のキムチを作っている最中だった。
「みんなごめんなー。次の分ができるにはもうちょっとかかるし、焼きそばとかも美味しいと思うよ」
 一滴の汁も残さず空になった2つの鍋にちらりと目を向けてから、針野は気合いを入れ直す。
「量が量だけど…ばあちゃんも、里の祭りじゃこんぐらい作ってたんよ…。よっしゃ、わしもやれるだけやってみるさー!」
 運送業者によって運び込まれていく食材を見据え、針野は楽しげに調理を再開するのだった。

●空へ
 吹き付ける風は痛みを覚えるほど強く、空は地べたから見るそれとは全く異なり、完全な透明がどこまでも続いている。
 自らの体を支えるのは、生まれて初めて間近で見る美しい手。
 籠もっている力は恐ろしく強く、にも関わらずどこまでも優しく抱きしめてくれる。
「これから飛ばすよ。男の子なんだから泣いたら恥ずかしいぞ」
 いつもなら減らず口の一つでも飛ばしていたかも知れない。
 けれど今は、綺麗な手を握りしめることしかできない。
「よし。元気な子にいいものを見せてあげるよ」
 翼が風を切り裂く音が響き、陽の光を反射する川面が急速に迫ってくる。
 恐怖と、それ以上の興奮が、目を閉じることを許さない。
 川面への直撃コースから川面と水平のコースへ移行し、川面を激しくかき乱しながら直進していく。
 最後にわずかに高度を上げると、信じられないほど巧みに速度を殺して着地する。
 そっと下ろされ足の下に地面を感じたとき、少年は腹の底から雄叫びに近い声をあげていた。
「男の子だねぇ」
 水鏡絵梨乃(ia0191)はくすりと微笑むと、待ち構えていた少年少女に向き直る。
「今度もじゃんけんで選ぶよ。最後まで勝ち残った子を空に連れて行ってあげる」
 子供達の歓声が響く。
 絵梨乃がじゃんけんを終わらせ、残り少ない練力を使って飛び立とうとしたとき、それまでバイオリンの音と共に踊っていた道化服の男が手を差し出す。
「主催者からの差し入れです」
 バイオリンを片付けながらKyrieが説明すると、絵梨乃は心底愉快そうに笑った。
「人使いが荒いね。でもそういうのは嫌いじゃない」
 練力回復アイテムを嚥下し、絵梨乃は小柄な少女を背後から抱きしめる。
 そして光で出来た翼をはばたかせ、子供を空という非日常の空間に連れて行くのだった。
「皆さん、よければこちらをどうぞ。体の芯から暖まりますよ」
 彼が道化服の青年と共に配るのは、形の良い長ネギがたっぷり入った豚汁だ。
 空の旅を経験した子供達は体温がかなり低下してしていたが、熱いものを腹に入れると急速に体力と体温を回復させていく。
「この匂い、なに?」
 Kyrieから受け取った碗を宝物のように大事に抱えていた少女が、不思議そうにあたりを見回す。
 Kyrieと同系統の派手なメイク、いや、派手な彩色がなされた人型土偶ゴーレムが、大仰なジェスチャーである場所を示す。
「ドレスのおねえちゃん?」
「作業着ですよ」
 セフィールは柔らかい口調で否定する。
 彼女の身につけているメイド服は、生地こそ良い物を使っているが、家事を行う際に汚れるのを前提に設計製造された品だ。
「あの、それは、えっと」
 少女はセフィールが掻き混ぜていた鍋に目をやり、困惑の表情を浮かべていた。
「ボルシチ…肉と野菜の汁と、雑炊です」
「えっ」
 子供達の困惑の度合いが増す。
 天儀人向けにアレンジが施されているとはいえ、完全なジルベリア料理だ。
 特に牛乳チーズ雑炊は、子供達には食べ物かどうか判断ができない。
 一般的に高級とされる料理に全く縁がなかったため、知識が根本的に不足しているのだ。
 子供だけでなく大人もその傾向が強いらしく、セフィールの鍋の減り具合は他の鍋に比べてずいぶんと遅れていた。
「惜しいですね」
 自らの鍋を空にしたKyrieは子供達の近くに薪を積み上げ、手を触れずに火をつけてやりながら首を左右に振る。
 ジルべリア人としては、良い腕の料理人が手間暇掛けて創り上げた郷土料理が不人気なのが少々寂しい。
 Kyrieは牛乳チーズ雑炊を受け取ると、木のさじを銀のスプーンのように使い、一口一口時間をかけて故郷の味を堪能する。
 材料は米、葱の微塵切り、一口大に切ったほどよく塩が抜けた塩付け肉に、適度な歯ごたえと風味を加える椎茸。
 そして乳製品の濃厚な味が全てを包み込みまとめあげている
 ふう、とKyrieが零した吐息は、少女や奥様達だけでなく、一部の男性まで赤面させる効果があった。
 一度興味を引かれ、まとまった人数がセフィールの料理を口にしてからは展開が早かった。
 天儀ではなじみが薄いとはいえ、素材も調理した者の腕も一流なのだ。雑炊も鍋も見る間に食い尽くされ、鍋の残りで新たに作られた雑炊まであっという間に食い尽くされてしまうのだった。

●完食
 炊き出しは、予想以上の人数の腹を満たしつつ夕方に終了した。
 器の半分近くが無断で持ち去られていたが、依頼人は非常に満足していたそうである。