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■オープニング本文 ある巫女がいた。 志体持ちではあるが戦いに対する適性が絶望的なまでに低く、しかし決してめげることなく研鑽を続けて多くの人間を導く立場につき、身を粉にして働いた。 その後、心身の衰えと共に後進の成長を実感するようになった巫女は、手がけていた仕事が一段落したことを機に引き継ぎを行い、天儀を去った。 巫女の新たな舞台はアル=カマル。 そこでも多くの人間に幸を与え続けている。 ●理想と現実 「となれば良かったのですが」 アル=カマル開拓者ギルド係員は、己の眼鏡の位置を直しつつため息をついた。 「どうやらあの方、ええ、先程話した巫女のことです。退職を機会に趣味であった料理に注力することにしたらしく、教育者としてでもジン(志体)持ちとしてでもなく、料理人として活動されているのです」 頭痛をこらえるようにこめかみを揉む。 「特にこだわっているのはあの魚料理。確か刺身でしたか。その料理をアル=カマルで広めるために活動されているのです。影響力がある方ですので様々な催しに貴賓として呼ばれる訳ですが」 そのたびに刺身を初めとする料理を熱心に勧め、大勢の人間を困らせているらしいのだ。 巫女の活動範囲は内陸部。 氷霊結を駆使して新鮮な魚を調達し見事な技術で刺身にするとはいえ、内陸部ゆえ魚を生で食べた経験が無いどころかその発想すら持たない者も多く、勧められる側にとっては拷問に近かった。 「それを除けば素晴らしい方ですので、有力者の方々も対処に困ったおられるようでして」 刺身普及活動を止めさせてくれ。 それが今回の依頼である。 「10日ほど後に、とある内陸部の街の新領主就任式典が開かれます。その式典までになんとかしてください」 複数の有力者にきつく申し渡されているらしく、係員の顔は緊張に青ざめていた。 |
■参加者一覧
倉城 紬(ia5229)
20歳・女・巫
リンスガルト・ギーベリ(ib5184)
10歳・女・泰
春風 たんぽぽ(ib6888)
16歳・女・魔
闇野 ハヤテ(ib6970)
20歳・男・砲
シフォニア・L・ロール(ib7113)
22歳・男・泰
雨下 鄭理(ib7258)
16歳・男・シ
蒼雀姫(ib7475)
12歳・女・シ
神待 雅華(ib7493)
14歳・女・陰 |
■リプレイ本文 ●輝く刺身 「じゃあ‥‥俺が刺身を食べた事が無い人だと思って刺身を勧めてください」 並みの一軒家なら丸々入りそうな食堂に据えられた巨大なテーブル。 その上座に座り、闇野ハヤテ(ib6970)は静かに促した。 強靱な筋肉を清潔な衣服で覆った老人は、無言でうなずき調理を開始する。 今だ瑞々しさを保つ大型魚の胸部に薄い刃を差し込み、手際よく解体してひとかたまりの魚肉を取り出す。 清められたまな板の上におかれたそれは、部屋の外から差し込む柔らかな光に照らされて、まるで宝石のように輝いていた。 老人の顔には緊張は浮かんでおらず、無風状態の海のように凪いでいる。 それでいて刃を操る腕の動きは精密を極め、魚肉の筋原繊維の状態が分かっているとしか思えない動きで、刺身を一つずつ切り出していく。 切り出された刺身は、豪華さのかけらも無いが鮮烈なほどに白い皿に薬味と共に並べられ、透き通るような黒の醤油を入れられた皿と共にハヤテの前に並べられる。 ここは砂漠の中にたたずむ都市の中心部。 にも関わらず、ハヤテは確かに磯の気配を感じた。 「‥‥そういうことですか」 この時点で、ハヤテはだいたいの事情を把握した。 「問題があるなら是非教えて欲しいのだが」 老人はハヤテの瞳を真正面から見つめながら真剣に尋ねる。 「言葉で表現するとなると時間がかかりすぎます」 ハヤテは、人によっては冷たささえ感じる口調で答え、一度手を合わせてから箸を伸ばす。 見た目は極上。 口の中に入れると適度な脂と共に爽やかさが口内にいっぱいに広がっていく。 素材を新鮮なまま砂漠のオアシスまで運ぶために必要な努力、そして素材を活かせる包丁の腕、いずれも生半可なものではすまない。 だからこそ目の前の老人は気づけなかったのだ。 「自負があり、自負以上の素材と腕があるからこそ気づけない」 ひゃらららー♪ という謎解き物語の解決役登場シーンのような音楽が流れる中、細く厳しい目をした雨下鄭理(ib7258)が現れる。 ちなみにミュージック担当は蒼雀姫(ib7475)である。 「その土地の人にはその土地の人の食事形態があり、積み重ねてきた歴史がある。例えば」 「巫女のおじさん、姫は貝が食べたい!」 鄭理の解説をぶった切って姫が挙手すると、老人は机の上に並べていた木箱の1つを明ける。 中には透明な氷がびっしりと敷き詰められており、中央に新鮮な貝がいくつか並べられていた。 プールや日差し避けの木々の間を通った後でも熱を持った風に鮮度を奪われる前に、姫の食べやすい大きさに形を整えてから皿の上に並べる。 「いただきます!」 元気に言って満面の笑顔を浮かべ食べ始める姫に続き、ハヤテも別のネタを頼んで食べ始める。 「彼等は刺身を食べる土地で育ったからこれを食べ物と認識し、美味いものだと認識している。蒼雀殿、調査は完了したかな?」 「んんっ‥‥」 姫は口の中の刺身をよく噛んで飲み込んでから、この街で聞き込みを行った結果が記載された紙を取り出す。 「うん、ていりん。ここの人達は、小麦とお野菜とお肉、たまにお乳を食べてるみたい。魚は食べる機会がないから味も知らないって人が結構いたよ」 富豪の中には干し魚ではない魚を食べる者もいたが、彼等にとっても生で魚を食べるなど常識の埒外らしい。 アル=カマルは天儀と比べると暑い。 つまり生ものが腐りやすい。 天儀ですら新鮮な魚を食卓に届けるのは難しいのだ。この街における生魚は腐敗したものと受け取られがちだし、100パーセント近い確率でそれは思い込みではなく事実なのだ。 「それでも刺身を勧めるつもりか?」 「勧めたい気持ちは変わらん。しかし予想以上に困難が予想されるのは理解し」 「おじさんっ! タマゴは?」 「みゅー。チビにぃずるい。お仕事じゃなくてご飯食べてる」 食卓に広げられた華やかな刺身に気づき、神待雅華(ib7493)がとととと駆け足で食堂の中に入ってくる。 「雅華、これは」 仕事中だ、と続けようとしたとき、鄭理は老人の目配せに気づいて口を閉ざした。 老人は準備よく用意していた炭に火をつけて鉄板を熱しながら、タマゴを割って鉢で溶きながら砂糖と塩を適量加え、流れるような動作で卵焼きを焼き始める。 姫と雅華にふわりと甘い卵焼きが差し出されたのは、数分後のことだった。 ●プールサイドの決闘? 清潔な水が張られた大理石のプールの中で、ようやく丸みを帯び始めたばかりの白い肢体が優雅な泳ぎを披露していた。 その身を隠すのは上下に分かれた水着のみで、その水着もデザインは良いが面積が小さく、特に臀部を覆う部分はほぼ紐状の布地が最も重要な部分のみを隠している有様だった。 常人が身につければ破廉恥漢にみられかねない水着ではあるが、心身を磨き上げた者が着れば別の見方をされる。 「参るか」 リンスガルト・ギーベリ(ib5184)はプールサイドに手をつき、手の力だけで己の体を宙に舞わせ、華麗にプールサイドに着地する。 プールに併設された小さな建物で体を拭うと、あらかじめ用意していたものを装着する。 中心となるのは先程プールで身につけていた水着と同型のもの。 みずみずしさを通り越して生命力が溢れ過ぎた白い肌が惜しげも無くさらされている。 細い足は膝上まで達する黒のニーソックスに覆われ、高い踵のハイヒールを完全にはきこなしている。 頭には黒い猫耳カチューシャ。 覇気あふれるリンスガルトを妖艶に、あるいは可愛らしく飾るそれらの衣装は、彼女を悪のヒロインにふさわしい雰囲気を持たせることに成功していた。 リンスガルトは街に繰り出してとある作戦を実行するため、足取りも軽く屋敷の外へと通じる通路に向かう。 が、プールからさほど離れていない場所で、大きな箱を複数重ねて肩に担いだ老人と鉢合わせてしまう。 「巫女殿、お元気そうで何よりじゃ。妾はこれから街に繰り出す」 「なるほど。それは良い」 老人は静かにうなずき、穏やかな視線でリンスガルトを見る。 相手を持ち上げることもなく、非難することもなく、ただ真正面から受け止める瞳にリンスガルトは圧倒されるような力を感じていた。 張り合うわけではないが、彼女は目をそらさず老人と見つめ合う。 双方無言で数分経過した頃、老人と向き合うことで己の内面とも向き合っていたリンスガルトは、ひとつの応えに至っていた。 「この格好で外出は拙いかの?」 「開拓者ギルドの係員が泣いて止める程度には」 突飛な行動をする開拓者に慣れた街ならともかく、これまで開拓者に縁がなかったこの街では少しばかり刺激が強すぎる。 リンスガルトは老人に慰められながら、ちょっとだけ肩を落として自室に戻るのだった。 ●本望 「ふむ」 仕事が単なる食事会になってしまった翌日、鄭理は邸宅の書庫に籠もって知識に耽溺していた。 既知の情報も多いが、著者がアル=カマル出身であるため物の見方が異なっているのがなかなかに面白かった。 「う、うまいのじゃああああ!」 突然どこからか響いてきた雄叫びに、鄭理は書庫の出入り口へ素早く振り返る。 が、本に意識が裂かれていたためか、己の脇に大量に積んでいた本の山に肘を当ててバランスを崩してしまう。 「あ」 倒れかけた本の山をなんとか支えたものの、それは別の本の山の倒壊を招いてしまう。 大量の本に潰された鄭理が救助されたのは、かなり時間がたってからだった。 ●精進 「はーい、リンスガルトさん、少し自重しましょうね」 春風たんぽぽ(ib6888)は魔法の蔦でリンスガルトを縛ると、その小さな口にまだ暖かなクッキーを何枚も詰めていく。 最初は抵抗していたリンスガルトだが、クッキーの上品な甘さに目元を緩めて口だけを動かすようになる。 「独学の限界ですね」 老人の包丁捌きを確認していた倉城紬(ia5229)は、己の頬に手を当てて小さく息を吐いた。 「そうですか? すごくお上手なんですけど」 たんぽぽは厨房に並べられている皿を見て目を輝かせる。 素材は新鮮で盛りつけも美しく、彼女の目には文句の付けようのない出来に見えていた。 「技術は優れています。でも、料理人として必要な部分が欠けているのです」 紬は眼鏡の下で、心底残念そうに目を伏せていた。 「材料を無駄にするってことかい?」 シフォニア・L・ロール(ib7113)は、白いご飯の上に魚の残りを醤油につけたものと新鮮な鮭の卵を載せながら答えた。 白い飯の上の黒と赤の海の幸は蠱惑的な香りを伴っており、部屋の隅におかれたソファーで寝ていた雅華がもぞもぞと起き出してきていた。 「それも欠けている一部です。せっかく良い素材を余さず使い尽くすだけのレパートリーが無い、ですよね?」 料亭で厳しい修行をくぐり抜けてきた紬がじっと見つめると、老人は思わず一歩下がってしまっていた。 「そうかい? この吸い物も結構いけるけど」 分厚く漆が塗られた器を傾け、中に入っていたスープを口にする。 シフォニアの趣味とはややずれているが、それでも満足できる味だった。 「おそらく、ご自身がお好きな料理ばかり修業されていたのでしょう。それでここまでの技量を身につけたのは凄いことですけど」 老人は目をそらし、へたくそな口笛を吹き始めていた。 「そういう視点もあるか。お嬢ちゃん、これはどうだい?」 雅華に赤と黒のどんぶりを渡してから、拘束され中のリンスガルトに老人作の刺身を箸で食べさせる。 リンスガルトはうんうんとうなずいて満足感を表明していたが、雅華により醤油で頬に落書きされて抵抗を開始する。 「と、も、か、く! 式典で刺身を紹介されるつもりならこのままでは駄目です。生身を食べる事に慣れていない方達にお勧めするのはとても大変ですよ」 紬の言葉に、老人は全面降伏するように首を縦に振った。 「うーん‥‥この刺身、お魚に見えなくする事って出来ないのかなぁ?」 刺身の載った皿を上から左右から覗き込みながら姫が言うと、老人は途方に暮れた表情で首をかしげる。 「はははっ、それならこれはどうだい」 シフォニアは刺身と薬味を大皿に並び替えていく。 「うん、見た目はお肉っぽいです」 感心したように言うたんぽぽであったが、そこか奥歯にものがさはまったような気配があった。 肉の方が良いのは確かでも、生であるという問題は解決されていない。 「俺だって海の食材だったら料理ぐらいできるさ」 海育ちだからね、と言ってウィンクしつつ、恐ろしく手慣れた動きでたんぽぽに迫る。 シフォニアの魔の手がたんぽぽに伸びかかったそのとき、ハヤテが背後からシフォニアの両肩を押さえて固定した。 「シフォニアさんは、どうかそこそこ自重しやがれ」 「酷いよハヤテ。俺に何の恨みが?」 「はいはい」 たんぽぽは笑顔で手を振りながら、ハヤテに引きずられていく麗人をあっさり見捨てていた。 そうしている間にも、この中で最も料理への造詣が深い紬が話を進めていた。 「別の国だと思いましたが、お肉の焼き加減を調節していくやり方があるそうで、それを応用できないでしょうか」 「生食に慣れてもらうために火を使ったものから始めると?」 「はい。醤油ではなく醤油ベースのソースを使ったり、薬味を、ええと、こういう感じで使う方法もありますが」 刺身に軽く味をつけつつ薬味と共に青菜で包んでいく。 熱心に技術を盗もうとする老人は、男性を苦手としている紬の至近距離でその調理を凝視している。 もっとも紬の側も調理に全霊を集中させているので、男性の接近に全く気付いていなかった。 「試食は‥‥はい、姫さん」 目をきらきらさせている姫に手渡すと、雅華が元気よく手をあげた。 「あたしもするっ」 雅華の料理の腕を知る鄭理がこの場にいればなんとしても止めただろうが、あいにく彼は本の下で本を傷つけずにその場を抜け出すため苦闘している最中だ。 見た目だけは紬並みの出来映えの一品を仕上げた雅華は、悪意無しに彼女としては改心の出来のそれを老人に差し出した。 「いただきます♪」 「頂こう」 かじりついた姫が満面の笑顔になる。 老人も笑顔を浮かべていたが、よくよく見てみると老人は白目を剥いて気絶していた。 ●起床 「ふぁふ」 ただ柔らかいだけではなく、体重を巧みに受け止め持ち主の疲労を最高の効率で抜き取る寝台。 肩から足先までを覆うのは、温度を常に適温に保てるよう調節された薄い羽毛布団。 たんぽぽは目をこすりながら名残惜しげに寝台から起き上がると、大きく伸びをして全身に活をいれた。 「明るい?」 疲労が完全に抜けているのは良いのだが、部屋の中が妙に明るい。 足の裏を優しく押し返す絨毯の上を歩いて窓に近づき大きく開け放つと、真昼の陽光を眩しく照り返す白い町並みが眼下に広がっていた。 「もう真昼っ。起こしてくれてもいいのにー」 たんぽぽは可能な限り急いで身支度を整えると、式典後の宴に備えて下ごしらえを始める老人を手助けするため、厨房に向かうのだった。 都市への滞在中、老人の刺身普及活動は行われず、関係者はほっと胸をなで下ろした。 しかし老人の活動は巧妙になっただけであり、舌を徐々に馴らしていつの間にか刺身を受け入れさせるというやり口で徐々に刺身を広めているそうである。 |