暗雲のお見合3・解放
マスター名:朝臣 あむ
シナリオ形態: ショート
危険
難易度: 難しい
参加人数: 5人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2012/09/16 20:00



■オープニング本文

 崖の上の庵。
 その中で月を見上げるように外を見ていた月宵 嘉栄(iz0097)の元に足音が届く。ヒッソリと、抜き足を持って近付く足音に彼女の目が外から内へと動いた。
「月宵殿。不自由はされておりませんか?」
 問いかける声は、能庵寺統括の息子、鳳冠(ほうかん)の物だ。彼は部屋の中を伺う事無く、扉越しに声を発する。
「今夜、魔の森へ討伐に向かう事と成りました。つきましては例の話を進めたく思うのですが、如何でしょうか」
 嘉栄が霜蓮寺から能庵寺へと見合いで訪れた際、彼女は鳳冠と対面しては居なかった。
 嘉栄が能庵寺到着と同時に顔を合わせたのは、能庵寺の統括。そして統括は嘉栄を見るなり、彼女を崖の上の庵に閉じ込めてしまったのだ。
 目的は霜蓮寺と能庵寺の関係を断つこと。
 どうやら能庵寺統括は他寺社との関係を断とうと動いていたようだ。そしてそれは上手くいく――筈だった。
「魔の森への討伐へは鳳冠殿の僧兵を全てお連れ下さい。可能であるならば、統括の率いる僧兵も連れて行けると良いかと」
 能庵寺統括の後ろにはアヤカシの影がある。そんな情報を聞き付けた嘉栄は、大人しく能庵寺の手に納まった。
 その時彼女に接触をしてきたのが鳳冠で、彼は嘉栄にある相談を持ちかけたのだ。
「統括暗殺は上手くいくでしょうか」
 声を潜めた鳳冠の言葉。これが嘉栄に持ちかけた相談だった。
 悪政を如き、民を苦しめる現統括。
 その背にアヤカシの影があると噂され、しかも他寺社との関係を断とうと動く彼を誰が支持するだろう。
 民の中には鳳冠を次期統括へと動く者も多く、彼はそれらに背を押される形で動いていた。
「お兄様は?」
「……未だ戻らず」
「そうですか……」
 鳳冠と同じように魔の森へ討伐に向かった彼の兄は、討伐直後より消息を絶っている。
 既に半月が過ぎようとしている事を考えると、生きているか如何か怪しい。
 その事もあって、鳳冠は自らにアヤカシ討伐の命が下った際、言葉では言い表せない違和感を覚えた。
 そして其処へ舞い降りた嘉栄との見合い話。
 東房国・霜蓮寺のサムライの話は聞いていた。彼女ならば何か知恵をくれるのではないか。
 そんな思いから必死で嘉栄の消息を探したのだ。そして見つけ出し、先程の相談を持ちかけた。
 しかし、その時嘉栄が言った言葉は、
「『アヤカシを捨て置いて内政だけを整えようとしても無意味です。内も外も解決してこそ、能庵寺の未来が見えると言う物』……こう言われてハッとしました。ですが、今の能庵寺に両方を成しえるだけの力はありません。だからこそ」
 そう言葉を切り、鳳冠は扉の向こうで深々と頭を下げた。
「月宵殿の申し出を有り難く頂戴いたします。霜蓮寺の僧兵のお命、この鳳冠が確とお預かりいたします!」
「先の開拓者の報告を受け、霜蓮寺統括は僧兵を送って来るでしょう。彼等は迷う事無く魔の森へ向かう筈です。彼等と接触しましたら、これを……」
 言って、嘉栄は蒼い宝玉を差し出した。
「これは管狐の宝玉です。少々口は悪いですが、彼に話をさせれば協力は直ぐに得れると思います」
 捕縛下にある今、管狐のゴンちゃんは静かにしているよう言い聞かせてある。
 彼の言葉が必要になった時、ゴンちゃんは姿を現すだろう。そしてその声を受け、鳳冠は嘉栄の手から宝珠を受け取った。
「魔の森へは我が僧兵も連れて行きます。警備は相当手薄になるかと……ご迷惑をお掛けしますが、どうぞ宜しくお願いします」

●霜蓮寺
「随分とキナ臭い話が出てきましたな」
 そう零し、霜蓮寺統括の側近を務める久万は、開拓者が手に入れてきた情報に目を向けた。
「鳳冠の目的は現統括の失脚でしょうな。とは言え、魔の森も捨て置けない現状、嘉栄を使いアヤカシ討伐の策を立てた……こんな所でしょうかな?」
「真実は聞かねばわかるまい。だが、この様な文が来れば疑いようもない、か」
 統括はそう言葉を添えると、開拓者が持ち帰った魔の森の詳細が書かれている紙と、能庵寺から届いた文に目を落とした。
「嘉栄の指示では魔の森北西部に強いアヤカシが潜んでいる可能性があると言う。其処を重点的に調査、討伐に動くよう僧兵を向かわせよ」
「嘉栄の方は如何なさいますかな?」
 僧兵を能庵寺近郊の魔の森へ送る事はわかった。それが向こうの要請でもあるのだから、呑まない訳にはいかないだろう。
 では嘉栄はどうなるのだろうか。
 そう問いかける久万に、統括は苦笑を滲ませ呟いた。
「面倒事に巻き込まれている可能性がある。開拓者を雇い、早急に接触し行動を把握、必要であれば手伝うよう伝えてくれ」
「承知」
 そう言うと、久万は急ぎ僧兵の指揮と、開拓者ギルドへの依頼の為に動き出した。

●能庵寺
 能庵寺統括の屋敷にある主の自室。
 其処に置いた椅子に腰を下す能庵寺統括は、ぐったりとした様子で曇った空を見詰めていた。
 部屋に唯一存在する窓。
 其処から見える空がこんなに曇り出したのは何時からだろう。
 ぼんやり動く思考を遮る様に手が伸びた。
 白い冷たい指先が頬を滑り落ちる。と、彼は虚ろにその手を見上げた。
「うふふ、何を見てたのかしら?」
 妖艶な笑みを浮かべる紅い唇。艶やかな黒い髪は腰まで伸び、一見すれば美女の様相。
 しかし女には唇以外の顔が無かった。
 それでも能庵寺統括は女の顔を見て穏やかに微笑むと、彼女の手に自らの手を重ねた。
「……さあ、わからん。わからんが、もうすぐ、君の望みを叶えてあげられる。鳳冠の死と引き換えに……」
 そう言った統括は、女の大きく膨らんだ腹を見て、心底愛おしそうに微笑んだ。


■参加者一覧
珠樹(ia8689
18歳・女・シ
アルーシュ・リトナ(ib0119
19歳・女・吟
リディエール(ib0241
19歳・女・魔
長谷部 円秀 (ib4529
24歳・男・泰
緋那岐(ib5664
17歳・男・陰


■リプレイ本文

 魔の森へ向かう能庵寺の僧兵の中、珠樹(ia8689)は彼等と同じ僧服に身を包み目的地へ向かっていた。
「そこの新しく入った方」
 不意に聞こえた声。目を向けると、其処には他の僧兵とは違う僧服を纏う男が居た。
 顔を布で覆い隠すこの男は、能庵寺統括の次男、鳳冠だ。
 彼は珠樹が近付くのを見て、前方に顔を向けた。
「確か、シノビの技を習得している。そう、仰っていましたね。可能でしたらその技をお借り出来ませんか?」
 僧兵に紛れ込んだ珠樹は、進軍早々、鳳冠の目に止まった。彼は珠樹の動きに疑問を持ち、他の僧兵とは何かが違うと指摘してきた。
 それに対して咄嗟に口にしたのが「シノビの技を習得している」というものだ。
 そして鳳冠は彼女のその言葉を受け入れ、その技を借りたいと言う。
 自分の兵なのだから自由に使えば良いだろうに、如何にもこの男は真面目過ぎる気がする。
「この先に霜蓮寺の僧兵が居る筈なのです。先行して状況を把握し、私の報告してくれますか?」
 正直、鳳冠の傍を離れるのは気が引けた。
 しかし彼の言葉を断るには、珠樹の立ち位置は些か分が悪い。
「わかりました」
 彼女の目的は鳳冠の信用調査と身辺警護だ。もし彼が敵だった場合を視野に入れ、仲間とは別行動を行っている。故に、あまり離れたくはないのだが、仕方がない。
 珠樹は鳳冠に頷きを向けると、すぐさま早駆を使用して駆け出した。
 霜蓮寺の僧兵が来ている事は間違いない。
 ならば早急に情報を把握し、鳳冠の元に戻る必要があるだろう。
「それにしても、ゴンは嘉栄の仕置きが相当堪えてるみたいね」
 緊迫する空気を脱するように零した笑み。それが顔を覆う布の下から零れ落ちる。
 鳳冠と会った際、彼の傍には月宵 嘉栄(iz0097)の管狐、ゴンが居た。彼は珠樹を見るや否や、何かを言おうとしたのだが、珠樹は透かさず圧力をかけたのだ。
「大人しい管狐ですね。私の知っている管狐は随分と煩く、持ち主が躾の為に頭を口に突っ込んでいました。そのせいか、私もそうしたくなる時があるんですよ」
「それは中々面白い方ですね」
 そう言って笑った珠樹と鳳冠だったが、これを耳にしたゴンは違ったようだ。
 珠樹の言葉に含まれる「あんまり煩いと私もあんたのことパクッといっちゃうかもしれないわよ?」と言う真意を察したのだろう。
 以降、ゴンは黙り込んで余計な事は口にしなかった。
「――見えた」
 珠樹の視界に僧兵の姿が飛び込んで来る。と、同時に、彼女は戦闘の構えを取る。
 何かがおかしい。
「まさか……アヤカシ?」
 鳳冠と嘉栄の情報は確かだった。
 目の前で繰り広げられる戦闘。それを見て足を止めた珠樹に、霜蓮寺の僧兵を率いて来た久万が見付けた。
「鳳冠殿も此方へ?」
「ええ。私は偵察に来ただけ。直ぐに戻って現状を伝えるわ。そしてそれ以降も、彼の傍に居るつもりよ」
「御面倒をお掛けしますな」
「別に……」
 そう呟き、口元の布を引き上げた。
 そうして久万を見る。
「……くれぐれも無茶はしないように頼むわ。貴方達に何かあったら嘉栄が悲しむから」
 珠樹はそう告げ、元来た道を戻って行った。

●能庵寺
 能庵寺の野平街。其処で聞き込みを行っていたアルーシュ・リトナ(ib0119)は、痛恨の表情で息を吐き、胸の前で手を組んだ。
「1週間に1度だった襲撃が、今では2日に1回、ですか……それでは修復も人も間に合いませんね」
 彼女の言う襲撃とは、アヤカシの物だ。
 見た所、修復の追いついていない建物も多数。これらを修復するには、最低でもひと月は要する筈。
 但し、修復に専念できる人と力があれば、だが……。
「あの……統括さんの御子息が、やはり襲撃にあったと聞いたのですが。お1人ではなかったのですよね?」
「ああ、勿論だよ」
 そう答えたのは、アルーシュの来訪を快く受け入れてくれた野平街の住人だ。
「ただ生還者は誰もいなかったがね」
 絶望。そんな色が住人の顔に浮かぶ。
 話によると、鳳冠の兄が魔の森へ向かった後、何時まで経っても帰還しない彼等を別の僧兵が見に行ったそうだ。
 その時にも被害にあった僧兵が居たそうだが、戻って来た僧兵は口々に鳳冠の兄は死んだと語ったそうだ。
「でも、ご遺体はなかったのですよね?」
「相手がアヤカシだからねえ。骨も残さず食われちまったんだろうさ」
 確かにアヤカシは人を糧に生きる。だからそうした事もあるだろう。
 それに魔の森で人が生存できる確率は極めて低い。その日数が多ければ多い程に。
「……お辛いですね」
 そう零し、アルーシュは瞼を伏せた。
 嘉栄が何をしようとしているのか、彼女の行動を聞いた言葉だけで判断するのは危険だ。けれど時間がない事も事実。
 だからこそ、彼女と共に霜蓮寺から来た開拓者等は各々の力で動いているのだ。
 そんな彼等の為にアルーシュが出来る事、それは――
「皆さんの力になれないでしょうか? 可能なら、能庵寺の僧兵の方々にも手を貸して頂けると嬉しいのですが」
 そう、今のアルーシュに出来るのは、少しでも僧兵の注意を此方に向ける事。
「そいつは、難しいんじゃないかね……何せ、あたしらはお払い箱だからさ」
 野平街は鳳門の向こうにある住宅街よりも質素だ。それは此処が貧困世帯を集めた場所だからでもある。
 そのような場所に、貴重な兵を派遣する筈がない。
 そう口にする住人に、アルーシュは大きく頭を振った。
「そんな事はありません。民を守らずして街は成り立ちません。僧兵の方々が手にした力が誰の、何の為のものなのか……それを理解しているのなら、彼等は動いてくれる筈です」
 アルーシュはそう言うと、鳳門のある方へと歩いて行った。
 そして正面から堂々と力を貸してくれる様、頼み始めたのだ。
 これには住人も僧兵も驚いた。
「貴方がたは、貧しさとアヤカシの襲撃に苦しむ街の人々を盾としているようなものではないですか!」
 魔の森への討伐は行われている。しかしそれは外での出来事。中に居る住人らの安全は確約されている訳ではない。
 それにあの野平街は塀もなく、アヤカシの襲撃に晒されるだけの場所。誰が如何見ても不自然なのは確かだ。
「手を広げられる限界はある。掲げる理想と現実に隔たりがある事も……でも、出来る事はある筈です」
 真っ直ぐな瞳で語りかける彼女に、僧兵等は口を噤み、その中で1人だけ口を開く者があった。
「……何をする気だ?」
「気休めにしかなりませんが、襲撃の激しい場所の慰霊と瘴気払いをします。その間だけでも人を貸して頂けませんか?」
 アヤカシは瘴気の集まる場所に発生する。
 せめてその瘴気を断つ事が出来れば、多少は違うだろう。
 そう言葉を発した彼女に、僧兵等は唸り、そして……
「わかった。少しだが人を貸そう」
 この声に、アルーシュは深く頭を下げ、これから数時間、精霊の聖歌を演奏する。
 この間、この時間だけで如何か、出来る限りの情報を集めて欲しい。
 彼女はそんな思いを篭め、僧兵等と共に野平街へ向かった。


 アルーシュと途中まで共に行動していたリディエール(ib0241)は、長谷部 円秀 (ib4529)と共に嘉栄が居るであろう崖の上の庵を目指していた。
「ややこしい事に巻き込まれたようですねぇ……トラブル誘引体質、なのでしょうか?」
 ポツリと零した声。これに円秀が何とも言えない表情を覗かせる。
「望んで巻き込まれているような気もしますが……はてさて」
 呟き、円秀は手元の紙を見た。
 其処には珠樹の筆跡で庵までの道順が書かれている。それこそ、見張りの位置や、進む際に注意した方が良い場所まで、かなり細かくだ。
「ここを抜けると崖の上に出るみたいですね」
 円秀はそう呟くと、リディエールを庇うように先に外へ出た。
 一気に開ける視界。そして見えた能庵寺全体の姿と魔の森に彼は目を細め、そしてリディエールを振り返った。
「この下に嘉栄さんが居る筈です」
「行きましょう」
 2人は頷き合い、庵の傍まで下りた。
 そして窓から中を覗き込むと――
「やはり来ましたか」
 若干呆れたような笑みを浮かべる嘉栄がいた。
 彼女は庵の内部にリディエールと円秀を招くと、見張りが居ない事を告げ、部屋に置かれていた刀に手を伸ばした。
 それを見て円秀が問う。
「何をするつもりですか?」
「……能庵寺統括の暗殺を行います」
「!」
 息を呑むリディエール。そして目を眇めた円秀は、怪訝な表情で嘉栄を見た。
「……何故?」
 問いを向けたのはリディエールだ。
 前の調査で能庵寺統括が現地位に相応しくない行いをしている事がわかった。
 だが其処で何故嘉栄が暗殺を行うのか。その意味がわからない。
「能庵寺統括にはアヤカシの影があります。そして能庵寺統括はその影に浸食されている」
 だから統括を討つ。
 そう語った嘉栄に待ったが掛かった。
「何故、アヤカシではないのですか? 逆に、統括暗殺が今でなければならない理由が見えないのですが……」
 確かにリディエールの言う通りだ。
 能庵寺統括にアヤカシの影がある。嘉栄はそう言った。
 だがそれは統括を暗殺する理由には繋がらない。しかも気になるのはそれだけではない。
「何故、嘉栄さんなのでしょう」
「……私が動けるから。では答えになりませんか?」
「鳳冠さんが魔の森へ向かったのは知っています。なので嘉栄さんが動けると言うのは理解できるのですが、嘉栄さんは霜蓮寺の代表も当然。暗殺の主犯となれば争いを引き起こす可能性もあります。それがわからない筈もないのですが」
 霜蓮寺次期等活。これが嘉栄の現在の肩書で、それが何を意味するのか。
「嘉栄さんの手伝いはしたいところですが、大義が無ければ暗殺露呈で争いとなるでしょう。せめて、総括が排除されて然るべきという根拠を示さなければ……」
 そう言い、円秀は嘉栄の返答を待った。
 これに対し、嘉栄は刀を腰に差し、静かに口を開く。
「能庵寺統括の背後には、女のアヤカシが居ります。それは鳳冠殿も承知していること」
 そう言葉を紡ぐと、嘉栄は能庵寺統括の現状を話し始めた。
 事の始まりはアヤカシ襲撃の開始時期と重なる。
 この時期は、能庵寺も野平街の外へ僧兵を送り、民を守ったらしい。
 そして負傷した民を1人ずつ治療していたという。そしてその中に、身重の女性が居たらしい。
 能庵寺統括はその女性と懇意になり、いつしか女性は統括の屋敷にまで入るようになったと言う。
「此処までならば、ある程度は聞き入れられる話なのですが、問題はこの話が1年以上も前の事だと言う事です。1年以上も前から、女性のお腹は一目でわかる程に膨れていた。そして今も尚」
 単純に肥満体型なのかと言うとそうでもない。
 しかも女性が姿を現すのは主に夜。それも能庵寺統括が居る場でしか姿を見せないと言う。
 初めの頃は、女性に対する疑問の声が上がった。しかし今では全くその声は出なくなったらしい。
 その理由は、「能庵寺統括が処罰してきたから」。
 能庵寺統括は女性に対して疑問を上げた者を全て処罰してきた。その中には、魔の森へ向かわせた鳳冠の兄も含まれている。
「確かに胡散臭い話です。その女性が人間で無い可能性も高いでしょう。だからと言ってそれらは根拠になりません」
「……名目が必要なのです」
「?」
 首を傾げたリディエールに、嘉栄は苦笑気味に目を上げる。
「能庵寺統括の暗殺。この名目があれば、少なくとも統括の下までは確実に行けるでしょう。そうなるほどに、現能庵寺統括は民にも家臣にも恨まれているのです」
 鳳冠を次期統括へ。その動きは確実に広まってきている。
 但し、現状で統括の下にいて甘い汁を吸っている者はその類にはない。彼等は今も尚、オカシクなった統括の命を聞いている。
「鳳冠殿は優しいが故に、周囲の期待に逆らえずにいます。もし彼を疑っているのであれば、その考えはお捨て下さい」
 この言葉を受け、円秀が唸る様に呟きを漏らした。
「根拠を示せず、それでも総括を排除しなければならないとなれば私が暗殺を……そう思っていましたが、一先ずは大丈夫のようですね」
 統括の下までは確実に行ける。
 この言葉で嘉栄の意図が何となくわかった。となればやるべき事は1つ。
「統括の屋敷に忍び込み、情報を集めましょう」
 リディエールの声に、円秀は頷き、嘉栄が声を上げた。
「待って下さい。そのような危険な事に貴方方を巻き込む訳には――」
「嘉栄さんには戻って来て貰わないと駄目なんです。その為の危険なら問題ありません。それに、能庵寺の総括が怪しいのは確かですし、調べてみましょう」
 円秀はそう告げると、嘉栄には庵にいる様に告げ、リディエールと共にこの場を後にした。


 髪を黒く染め、衣服も変えたリディエールは、緋那岐(ib5664)が用意した地図を手に、鳳門を潜っていた。
「人魂で見えた範囲だから、あんまり自信はないけど、こんな感じだと思う」
「ありがとうございます。あとは、屋敷内部にムスタシュィルを設置できれば良いのですが」
 そう言いながら息を吸い込む。
「俺も手伝うよ。にしても、ゴンちゃん元気かねー」
 長いこと顔を合わせていない管狐を思って声を零す緋那岐に笑んで、リディエールは統括の屋敷の前までやって来た。
 そうして門前の僧兵に話しかける。
「薬を売りに来ました。御入用の薬はありませんか?」
 この声に僧兵は快く彼女を受け入れた。
 話によると多くの物資が足りないらしく、薬もその1つなのだと言う。
「緋那岐さん、よろしくお願いします」
 リディエールは薬の販売を彼に託すと、席を外して人気のない場所へと移動した。
 それは屋敷の通路。
 周囲を見回し、コッソリと術を施す。もし1日以内で瘴気を纏う者の反応があれば、女性がアヤカシである事への確実性が深まる。
 もしそれが女性でなくとも、屋敷に入り込むだけの理由が出来るのだ。
「……どうか、上手く行きますように」
 リディエールはそう囁き、席へと戻って行った。

――程なくして術の結果が出る。
 この日の晩。リディエールは通路を通過した者の中に、瘴気を纏う者の反応を感じ取った。
 それを受け、嘉栄は能庵寺統括屋敷への潜入を確実に決め、その報は魔の森で闘う鳳冠へも包み隠さず伝えられたとか……。