【桜蘭】激浪、その先に
マスター名:朝臣 あむ
シナリオ形態: ショート
EX :危険
難易度: やや難
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2012/05/25 11:55



■オープニング本文

●回天
 俵の中央に、矢が突き刺さった。
 残心に小さく息を吐く。
 日に焼けたがっしりとした体躯の男は、満足そうに頷いた。
「お見事」
 その背に声が掛けられ、男が振り向く。その視線の先には、丸眼鏡を掛けた細身の男性が立っていた。東堂俊一。浪志隊の発起人である。邸宅の家人が小さく頭を垂れ、退いた。
「おう、東堂殿か」
 彼の姿を認めて、男は白い歯を見せた。
 頬骨がぐいと持ち上がる。男は、名を近衛兼孝という。名門貴族の出ながら、詩歌を詠むよりも私兵を囲って調練に勤しみ、山野を駆け巡るのを好むという、珍しいタイプの貴族である。
 東堂は辺りをちらりと見やった。
 彼を案内してきた使いは既に姿を消し、その場には東堂と近衛、それから極限られた家人だけが残された。
「……お知らせにあがりました」
「いよいよか」
 頷き、近衛は弓を下げた。
 庭先では拙かろうと、連れたって家へとあがり、部屋に通される東堂。ややして、着替えを済ませた近衛が戻ってきた。
「では。拝見させてもらおう」
 差し出された書を開く近衛。
 お互いに言葉を発さず、じっとそれに眼を通した。
「うむ……よろしかろう。俺に異存ない」
 近衛が顔を上げた。彼が指を鳴らすと、小柄な男が隣より進み出、書を受け取った。そのまま書を手に退席する彼を見送りながらも怪訝な表情を見せる東堂に、近衛は安心しろと笑う。
「彼奴はからくりよ。貴殿も聞いたことがあろう。主の命には絶対に背かぬ。二十体ほど買い入れてな……この間突然停止したときは、どうしたものかと頭を抱えたわ」
 と、彼は扇をぱちりと畳んだ。
「それより……貴殿、あの浪人どもは大丈夫であろうな」
「無論です。信頼のおける者を選んで直接の指揮下に置いております。博徒や無頼の輩はよく統制を利かせ――」
「そうではない。あの、森藍可とかいう女に……何と申したかな。田舎者の」
「真田殿ですか」
 東堂の問いに、近衛が頷いた。
「おう、その真田何某とか申す田舎者よ」
「どちらも手抜かりはなく。しかし、如何様にもならぬようであれば……」
 彼はやや逡巡するような様子で、ゆっくりと眼を伏せた。近衛が眉を持ち上げる。
「俺が念を押すまでもなかろうが、これは乾坤一擲の回天だ。情けは無用ぞ、多少の犠牲はやむを得ぬ」
「覚悟を決めております」
「……ならばよいのだ」
 近衛は腕を組み、忌々しげに呟いた。
「今の天儀はバラバラだ。幾つもの国に別れ、もはや、氏族制も分国制も機能不全だ」
 彼は己の門閥を中心に、若手の急進派を組織している。
「今こそ氏族と王国を解体し、天儀をひとつの統一国家にせねばならぬのだ」
 王国を、天儀を、朝廷の下に再統一し、氏族の垣根を取り払う――その主義は過激であるだけに明確だあり、また、それ故に反発も大きく、これまでも有力者からの理解は中々得られていない。
「御所は秘密主義に過ぎる、が……俺とて何も知らぬ訳ではない」
 御所の中央から遠ざけられているのは己の主張もあろうが。と、彼は続けて、
「陛下には帝たる正統性がない。貴殿も知っての通り、そもそもが欺瞞であったのだ。精霊を礎とする我が国にあってはならぬ欺瞞だ。この欺瞞を正さずして我らの回天は成就せぬ」
 立ち上がり、障子を開いて庭先を眺める近衛。
「無論、事が成った暁には、貴殿には相応の地位を用意しよう。回天の立役者なのであるからな」
「……」
 東堂の目元に険しさが滲む。
「さて。そろそろ酒も来る頃合……まずは前祝と参ろう」
「さようでございますね」
 近衛が振り向く。東堂は先ほどと変わらぬ様子で、穏やかな笑みを浮かべた。

●葉桜
 葉桜を見上げ、近衛との会話を思い出す。
「漸く、此処まで……」
 多くを纏め、此処まで辿り着く事が出来た事実。それは彼にとって大きな成果だ。
 このまま順調に事が進めば大願成就も夢ではない。夢ではないのに、何かが引っ掛かる。
「青い葉は、何故こんなにも眩しいのでしょうか。葉が落ちぬ方法があれば――」
 口にして眇めた目。口元に苦笑が覗き、東堂は無意識に己が眼鏡の縁を押し上げた。
「……私らしくもない」
 呟きつつも思わずにはいられない。
 かつて己が持っていた青臭いと感じる程の真っ直ぐな心。それを闘い続けながらも持ち続ける彼等。そんな彼等が抱く若葉を絶やしたくはない、と。
「先生。先日先生が仰っていた情報を纏めて参りました。目を通されますか?」
 そう言って駆けて来たのは、東堂を慕う浪志組の隊士、偉蔵だ。
 東堂は彼の手から書を受け取ると、静かに目を通し始めた。
「――埃が出ましたか」
 東堂が命じたのは、先日彼を襲った賊の情報だ。
 如何やら賊には拠点となる屋敷が別に存在していたらしい。都の郊外に存在する古い屋敷。
 其処には未だ賊の家族や支援者が住まい、何食わぬ顔で生活をしていると言う。
「偉蔵。至急開拓者ギルドへ向かって下さい」
「討ち入りをするのですね!」
 興奮気味に声を上げた彼へ、東堂は穏やかに頷く。
「大事の前の小事。余分な埃は叩き落としておくに越した事はないでしょう」
「分かりました。直ぐに開拓者ギルドで人を集め、自分も先生と――」
「来る必要はありません」
「え……」
 討ち入りに参加する気満々だった偉蔵の目が点になる。
「今回の討ち入りは何時もと違います。貴方では荷が重いでしょう」
「そんな事はありません! 自分はとっくに覚悟を決めています!」
 東堂の足を引っ張らない。そう言い放つ偉蔵に東堂は言う。
「貴方は優し過ぎます。今ならその優しい若葉を散らさずに済む……夜までに考えておきなさい」
 そう零した東堂は、僅かに自嘲を含んだ笑みを浮かべていた。

●激浪、その先に
 闇の中で連なる古ぼけた屋敷。
 其処彼処で響く喧噪を耳に、東堂は集まった開拓者達を見た。
「貴方がたはこの屋敷に討ち入って下さい」
 討ち入りは既に開始れており、残るはこの屋敷のみとなっている。他の屋敷に比べ、此処は静かで暗い。
「先生、此処に人が?」
 結局、東堂に付いて来てしまった偉蔵。彼の声に東堂は屋敷を振り返った。
「賊に関わった者は全て処罰の対象とし、見つけ次第、子供であろうと捕縛して下さい。もし逆らうようであれば、その場での制裁も許可します」
「え?」
「小さな芽でも、後の大樹と成り得る存在は絶つ必要があります。刃向かう者は全て処分しなさい」
「ですが……――ッ!?」
 反論した瞬間、偉蔵の喉に冷たい感触が触れた。
「だから貴方は優しいと言うのです」
 東堂は偉蔵の喉に刃の先を突き付け、今まで見せた事もない程に冷たい目を彼に向けた。
「私の同志に迷いを持つ者は必要ありません。必要ない者は斬捨てても構いませんよね?」
 あまりにも冷たい物言いに偉蔵は固まった。だが直ぐに唇を引き結んで刀に手を掛ける。
「先生の仰る通りにします」
「付いて来なさい」
 そう零すと、東堂は暗く静かな屋敷に足を踏み入れて行った。


■参加者一覧
霧崎 灯華(ia1054
18歳・女・陰
リューリャ・ドラッケン(ia8037
22歳・男・騎
ウィンストン・エリニー(ib0024
45歳・男・騎
狐火(ib0233
22歳・男・シ
アルマ・ムリフェイン(ib3629
17歳・男・吟
華魄 熾火(ib7959
28歳・女・サ
藤田 千歳(ib8121
18歳・男・志
高尾(ib8693
24歳・女・シ


■リプレイ本文

 暗く沈んだ空気と色。
 辺りを包む喧騒を耳に、開拓者達は討ち入る屋敷を視界に納め、足を止めた。
「偉蔵、だっけ? この屋敷に元々誰が住んでいたとか、そう言うのは判る?」
 討ち入り前に抱える緊張。
 それに押し潰されそうになっていた偉蔵は、水方に向けられた問いに目を瞬き、そして問いを向けた人物――竜哉(ia8037)を見た。
「あ、はい。確か、開拓者の屋敷だったと思います」
 何処かの武家屋敷らしき佇まい。
 てっきり武家か貴族の持ち家と思っていた竜哉は、不思議そうに目を瞬く。
 偉蔵が集めた情報は全て、此処に来る前――東堂に報告をする前に集めたものだ。
「これだけ大きな屋敷を持つ開拓者か。一族で志体持ちだったとか、貴族が志体持ちで開拓者業をしながら、とかかな」
 思案気に呟く竜哉。
 この声を耳に記憶を繋ぎ合わせると、偉蔵は大きく頷きを返した。
「間違いありません。元々の住人は開拓者で、任務の途中に力付き、亡くなったそうです。最近までは空き家だったそうですよ」
 そう、彼の言うように、此処はつい最近まで空き家だった。
 しかし討ち入りの数か月前、突然買い手が付き今の住人が越してきたのだと言う。
「随分と目立つ所業であるな」
 確かにウィンストン・エリニー(ib0024)の言う通りだ。
 これだけ大きな屋敷を買い付け引っ越してくるからには、人目も付いただろう。
「屋敷を買うだけの財力がある。一般の家系よりも財力があるって所を見せたかったのかもね」
「それにしては早計であるな」
 ウィンストンはそう零し、自らの顎を摩る。
 その目は周囲の屋敷に向かっており、彼は其等で繰り広げられる戦闘を耳に、顎髭を指で払って眉を潜めた。
「思うに過剰戦力と見受ける。確実に逃さぬのであれば必勝を期してのものであろうが……」
 それにしても投下した人数はこの屋敷に住まう者達の戦闘能力に比例していない。
「――浪志組、か」
 浪志組の名文を踏まえ、此度の対処に当たるのだろう。とは言え、それでも戦力差は歴然。
 浪志組の元々の役割を考えれば、過剰と言えなくもない。
 それに加え気になるのは、先に東堂・俊一(iz0236)が襲撃された事件以降、然程時間が空いていないと言う事だ。
「素早き反撃の儀は、さぞかし『耳』が良いものであろうかな」
 ウィンストンは頭を垂れると、緩くそれを振った。と、その目に落ち着かない様子の偉蔵が映る。
 討ち入りに緊張しているのであろう。
 年の頃を見れば当然とも取れるが、此れから同じ戦地に入る以上、このままでは困る。
「あまり気負わぬ方が良いであろうな」
 ウィンストンはそう声を掛けると、偉蔵の肩を叩こうとした。
 しかしそれよりも先に、別の手が偉蔵の肩を叩く。
「そうよ。こんな風に暴れられる機会は滅多にないんだし、肩に力が入り過ぎて思う存分動けなかった、なんて勿体ないわ」
 ウィンストンの言葉を捕捉するように降ってきた言葉。その声に振り返ると、若干瞳を輝かせて待機する霧崎 灯華(ia1054)の姿が飛び込んできた。
「えっと……勿体ない、ですか?」
 暴れられる機会なのは承知しているが、勿体ないと感じた事は無い。
 開拓者とは変わった感性をしているのだな。そう思った時、別の声が降ってきた。
「霧崎殿、準備は終わりましたか?」
「勿論、仕込みはバッチリよ」
 そう言って口角を上げた彼女。
 その彼女の答えに、藤田 千歳(ib8121)は頷きを返すと屋敷の方を見遣った。
「逃げられては元も子もありませんからね。お疲れさまです」
 灯華が行った仕込とは、屋敷の逃走可能な経路に罠を仕掛ける作業だ。
 罠は陰陽師特有の、地縛霊。
 発動までの時間制限はあるが、これから討ち入る事を考えれば問題ない範囲の時間だろう。
「礼なんて良いわよ。地の利は敵にあるし、仕込みが重要ってことはわかってるんだから」
 灯華はそう言い、腰に帯びた刀に手を添えた。
 その仕草はまるで、これから討ち入るその瞬間を待ち侘びているようにも見える。
 決して間違いではないのだろうが、その仕草に千歳の目が外された。
「――理想の為、大義の為」
 口中で小さく呟き、息を吐く。
 まるで己に聞かせるような言葉は彼が忘れてはいけない物。
 彼の理想は、戦う力を持たぬ誰もが、安心して暮らせる世の中。そして彼の両親を襲った様な不幸が起こらない世の中を作ること。
「その為ならば、この手が血で汚れようとも、俺は立ち止まらない」
――とは言え、無暗に血に濡らす事はしたくない。そうも思っている。
 矛盾、と人は言うかもしれないが、彼には信念があるのだ。
 その信念の為ならば、多少の矛盾も致し方ない。それでも芯だけは違えたくない。
 これが彼の考えだ。
 そしてこれら全ての者達を視界に納め、華魄 熾火(ib7959)は小さく肩を回して首を傾げていた。
「さてのう……難儀な、少しばかり骨が折れそうじゃが、久しく暴れる場の提供じゃ、精々手伝わせてもらうかのう」
 そう零して若干だが唇を歪ませる。
 其処へ銀の光が飛び込み、熾火の目が動いた。
「ここに……入るんだね」
 そう呟くのは、アルマ・ムリフェイン(ib3629)だ。
 彼は神妙な面持ちで視線を落とすと、手にしている香蝋燭を見た。
 夜である為に灯りが必要だろう。そんな思いから持参した蝋燭。
 勿論、討ち入り後に使用するのだが、上手く使えるか不安だ。
「大丈夫かのう?」
「……僕は、平気」
 顔色を見ても、表情を見ても、決して手放しに大丈夫とは言えない状態のアルマ。
 しかし熾火は頷きを返した彼に対し「そうか」と言葉を添えるに留まった。
 彼は彼なりに考えがあって来た事を知っている。故に、それを止める事は言えない――否、言えたとして止める気が無いことを知っているから言わない、と言うのもある。
「さて、先にシノビの人らに屋根裏入って貰ったらどうだろね?」
 徐々に激しくなる戦闘音。
 もうそろそろ屋敷に突入するべきだろう。でなければ中の住人が全て消えてしまう可能性が出てしまう。
 竜哉はそう言葉を紡ぎ、シノビの2人、狐火(ib0233)と高尾(ib8693)を見た。
「問題ありません。お任せ下さい」
「あたしも問題ないよ」
 狐火と高尾はそう答え、何時でも潜入可能な旨を伝える。
「ところで依頼主はもう中なのかい?」
 先程から見えない東堂の姿。
 これに高尾が問いかけると、偉蔵が首を横に振る。と、其処に足音が響いた。
 目を向けた先には東堂が立っているではないか。
「貴方がたはこの屋敷に討ち入って下さい」
 そう言って東堂が示したのは、目の前の屋敷1つだけ。
「先生、此処に人が?」
 どう見ても静かで人のいなさそうな屋敷。其処へ討ち入れと言う東堂に対し、偉蔵が問う。
「賊に関わった者は全て処罰の対象とし、見つけ次第、子供であろうと捕縛して下さい。もし逆らうようであれば、その場での制裁も許可します」
「え?」
「小さな芽でも、後の大樹と成り得る存在は絶つ必要があります。刃向かう者は全て処分しなさい」
「ですが……――ッ!?」
 反論した瞬間、東堂は偉蔵の喉に刀の切っ先を添えた。その上で厳しい口調で言い放つ。
「だから貴方は優しいと言うのです。私の同志に迷いを持つ者は必要ありません。必要ない者は斬捨てても構いませんよね?」
 あまりにも冷たい物言いに偉蔵は固まった。だが直ぐに唇を引き結んで刀に手を掛ける。
「先生の仰る通りにします」
「付いて来なさい」
 そう零すと、東堂は暗く静かな屋敷に足を踏み入れて、開拓者達もそれに続いた。

●激浪
 屋敷の天井裏。
 耳を澄まして身を潜める高尾は、突入前に東堂が口にした言葉を思い出し緩やかに口角を上げ微笑んでいた。
「女子供でも刃向かう者は処分……ねぇ。ふふん、いいじゃないか。見せしめのための、血と恐怖による弾圧ってとこかい」
 嬉々として込み上げる感情。
 それらを抑え込むように瞳を眇め、天井板の隙間から見える景色に目を凝らす。
 3室ある内の1室は居間だろうか。微かに蠢く気配はするものの、何処に潜んでいるか掴み辛い。
 それでも生き物が居るのは分かる。
「何処に潜んでるんだい……この感じ、1人じゃなさそうなんだけどね」
 そう零して再度耳を澄ます。
 零れ落ちる息遣いと微かな話し声。声は聞き覚えの無い物であるから、この屋敷の住人と考えて良いだろう。
 高尾は一度姿勢を但し、そして同じく天井裏で探る狐火を見た。
「今日も世界の片隅で飢えて死に、アヤカシに襲われ死んでいく人がいる。一方で命と富を吸い上げて浪費する人々がいる歪な世界……」
 其処まで呟き、此方を見ている気配に気付く。
 憂いこの世。
 其処に置いて東堂は世界の改革者足り得るのか。それとも――
 そう思案した所で向けられた視線に、狐火の肩が竦められる。
 この仕草に高尾も肩を竦める。
 しかし身振り手振りで自身の下に人が居る旨を伝えると、彼女の目が再び板の先へと伸びた。
 それに習い、狐火の目も落ちる。
 普段は白銀の髪に整った顔立ちと目立つ彼だが、今は髪を黒く染め黒い衣装を身に纏い目立たないよう注意を払っている。
 そんな瞳が捉えるのは炊事場だろうか。
 水気と竈らしき存在がある様子から間違いない。此処にも、高尾が感じたのと同じ、人の気配がある。
「……ざっと見ても3……部屋数は少ないと言うのに、数は多い……」
 妙な違和感を覚える。
 周囲は喧騒に包まれ戦闘が繰り広げられている。しかし今討ち入るこの屋敷は、静まりかえり息を潜めている。
「……元々、東堂って男自体が胡散臭かったんだよ。桜紋事件に関係しているらしいのに、天儀再統一を目論む近衛兼孝と連むとか……」
 その胡散臭さが此処に繋がってもおかしくない。
 高尾はそう零して狐火に目配せをする。
 これに狐火も目で頷き、2人は屋根裏から下の部屋を注視した。
 もし何か起きた時でも、直ぐに行動に移せるように。

 その頃、シノビ2人を屋敷内部へ見送った開拓者達も動き始めていた。
「御用改めである!」
 先陣を切って入って行く偉蔵。それに続き中へと突入する開拓者は、全3室に最低でも2人ずつと言う組み合わせで分かれて行く。
 次々と屋敷内部へ駆け込んでくる開拓者。その中の熾火と竜哉は屋敷の通路を一気に駆け抜け奥の間へと向かう。
「さて、頼りにしておるよ」
 そう言って目的の部屋の前へ来る。
 シノビ2人の合図が無い事から、強襲の心配はないと思われる。とは言え、あまりに静かだ。
「嫌な静けさだね」
「……行くしかあるまい」
 熾火の声に頷き、竜哉は自らの腕を摩る。
 そうして部屋に飛び込んだ2人は、中の様子を見て思わず足を止めた。
 部屋は屋敷の寝所となる場所なのだろう。夜らしく布団が2対敷かれているが、人の姿が見当たらない。
「これは……」
「ッ、油断するでない!」
 人の姿が見当たらないことに出来た隙。其処へ差し込んだ光に熾火が咄嗟に刃を引く。
 それに伴い竜哉も後方に飛び退くと、2人の目に思わぬものが飛び込んできた。
「子供が3人……何故、子供が武器なんて持ってるんだ」
 そう、彼等の目の前に現れたのは武器を手にした子供。彼等は怯えた表情で開拓者を見、そして斬り掛かってきた。
「――止まれ!」
 竜哉は懐から棒状の手裏剣を取り出すと、それを子供立ち向かって放った。
 まるで斬り掛かる腕を縫い留めるように放たれた手裏剣は、子供の袖を縫って壁に打ち付けられる。
 そうして身動きが取れなくなった子供との間合いを詰めると、竜哉は透かさず行動できる術を奪おうとした。
 しかし、子供と言うのは時に大人の予測を越えた動きをする。
 衣服を脱ぎ棄てて自分から詰め寄ってきた子供に竜哉は咄嗟に腕を引いた。
 直後、彼の嵌める篭手から刃が伸び、目の前の皮膚を裂く。そうして傷に怯んだ所で刃を反すと、彼の刃物が子供の足を裂いた。
「――」
 声にならない悲鳴を上げ、子供はその場に蹲ってしまう。
「抵抗しなければ、命までは取らないから」
 大丈夫。
 そう言葉を発し、熾火を見る。
 彼女もまた、子供と対峙している最中だったが、彼女は竜哉と違った。
「刃を向けるという事は、覚悟あっての事じゃろうな」
 武士が刃を抜きそれを敵に向ける時、自らも傷付けられる事を厭わない事を指す。
「殺らなきゃ……殺されるだけだ!」
 叫び声を上げて斬り掛かる子供。
 彼等に何を教えたのか。そして如何してこのような行動に出たのか、今の言葉で大体の想像が付いた。
「大人しく拘束されればそれ以上のことはせぬと約束しよう」
「信じられるかぁ!!」
 凄まじい勢いで刃を振るうが、所詮は子供。
 しかも志体持ちでもなければ彼女の敵ではない。だが彼女の脳裏には東堂の言葉がある。
「――致し方あるまい」
 呟き、手の中で薙刀の柄を振り上げる。
 そうして目のも留まらぬ速さでそれを薙ぐと、子供の体が大きく後方に飛んだ。
 その瞬間に舞い上がる鮮血に竜哉は目を見張る。しかし――
「……、ぅ……」
 畳を赤く塗らし倒れる子供。その地は脚から流れていた。
 動く事が出来ずに倒れたままのその子へ目を向け、そして熾火はもう1人の子供へと目を向ける。
「さて、如何するかのう?」
 そう問いかけた彼女の目に、足元へ落ちて行く刃物が見えた。

 時を同じくして、灯華とウィンストン、そして偉蔵は狐火が見守る炊事場に足を踏み入れていた。
 やはり此処も突入当初は無人に見える。
「誰も、居ない?」
「油断してはダメですよ」
「え……!」
 戦闘態勢を解き、呆然と呟いた偉蔵の耳に狐火の警告が入る。その直後、偉蔵の頬を冷たい感触が撫でた。
「ぼさぼさしない!」
 灯華は偉蔵の前に入り、透かさず曲線を描く刃を抜き取る。その上で周囲を伺うように見遣ると、ニイッと瞳を笑ませた。
「見つけた」
 灯華の視線の先に立つのは、大柄の男と小柄な女性。そしてその後ろには2人の子供が居る。
「既に包囲はされたし、神妙に縄に付けば悪い様にせぬな」
 ウィンストンの声に大柄の男の足が下がる。
 向けられた複数の刃と殺気立つ人々。これらを前に臆しているのか、それとも反撃の機会を伺っているのか。
「抵抗しないで、大人しくお縄につきなさい。さもなくば……」
 ツッと上がった口角に、男の目が見開かれる。
 そして次の瞬間、一番無防備で弱そうな偉蔵に斬り掛かってきた。
「馬鹿ね」
「――――」
 突如、男の動きが止まった。
 目を見開き、口をパクつかせて耳を抑える仕草にウィンストンは灯華を見る。
「呪声を使ったでありますか」
「それが命令だもの。当然で、しょっと!」
 苦しみもがく男の体から血飛沫が上がる。それが頬を染めると、灯華は震える女性と子供達を見た。
「やっぱこれくらい血が噴き出さないと、面白くないわ」
 目の前で無残にも殺された男性。
 それがあまりに衝撃的だったのだろう。子供の中には泣き出す者も出ており、偉蔵は戸惑うように刃を構えたまま動けずにいた。
 其処へ狐火が下りてきて彼の腕を取る。
「下がっていた方が良いでしょう」
 自分が言葉巧みに誘わなくとも崩れてしまった偉蔵の意志。しかし此処で立ち竦んでいられては仕事の邪魔だ。
「抵抗を止めて頂けますかな」
 ウィンストンは偉蔵が下がるのを見届け、その上で前に出ると手を差し伸べた。
 だが――
「近付かないでっ!」
 子供達を守る様に立ち塞がった女性の手にも刃物が。だがその刃は小刻みに震え、斬り掛かって来れるほど強くはない。
「抵抗しないで頂きたい」
 一歩、近付く足に、下がる足。
 焦れたように灯華が進み出ようとした所で、女性は崩れ落ちた。
 その背に居たのは狐火だ。
 姿を消し、彼女の背後に入って首を打ったのだ。今は気を失っているだけだろう。
 こうなると残りは子供達だけ。
 灯華やウィンストン、そして狐火は彼等に視線を向けると、再度投降を呼びかけた。

 残るひと間。
 居間へ突入したアルマは、部屋にある行燈に蝋燭を置いて火を灯した。
 その瞬間に香って来た花の香りに、足を踏み入れた千歳や東堂の目が細められる。
 緊張を解す為にとこの蝋燭を選んだらしいが、果たして戦場で効果があるのか。とは言え、灯りは正直有り難い。
 だが灯りが点いてみて如何だろう。
 雑然とした居間の中は塵が広がり、壁や床も傷付き、本当に此処に人が住んでいたのかと思う程。
「住む為の場所じゃ、ない……っ、千歳ちゃん、何か居るよ!」
「わかっている!」
 心眼を使用して探った気配。
 部屋の上に居るのは仲間のシノビとして、壁らしき場所に潜む気配は殺気を含んでいる。
「――……先生!?」
「千歳君、此処ですか?」
 東堂が刃を抜き取った瞬間、目の前の壁が崩れた。と、直後、2名の賊が飛び出してくる。
「東堂殿!」
「先生!」
 同時に飛び出した2人の若者は、東堂に斬り掛かる賊の前に立った。
 素早く鞘に納めた刃が透かさず鞘を抜けて放たれ、賊の脛を掻き切ると、千歳はその奥へと瞳を飛ばした。
 しかし其処に在る物を捉える前に、彼の体が後方に薙ぎ飛ばされる。
「何ぼさっとしてるんだい」
「!」
 千歳を庇いに入った高尾が、手向かう賊を一掃する。その姿に目を見開くも、戸惑っている場合ではない。
 彼はすぐさま体制を整えると、アルマの加勢に入った。
「浪志組は抜身の刀じゃいけない……怖がられたら、傍から守れなくなる」
 呟くアルマは必死に生存への道を探す。しかし賊は斬り掛かってくる気満々だ。
「……僕らは暴力でも、アヤカシでもない。先生の下、理性ある鞘に納まる刀。そう示すために生存者は要る。数もある方がいい」
 でも――
 本当なら生きて捕縛したい。しかし此れは自分の我が侭である事を十分に承知している。
「……迷わない。ううん……迷えないよ」
 顔を上げた瞬間、アルマは霧掛かる刃を抜き取り、一歩を踏み出した。そして刃を賊の腹部へと突き立てる。
 そして衝撃に崩れ落ちる賊を視界に、アルマは物憂げに目を伏せた。
「……おやすみ」

●その先に
「……暴れ足りないわね」
 そう零した灯華は、屋敷を見詰め、息を吐いた。
 先程まで彼方此方で罵声や怒声、悲鳴が響いていたが、今はそれも納まっている。
 どの屋敷も討ち入りを終了させたと言う事だろう。
 その証拠に、視界に見える範囲で複数の隊士が後片付けやら捕縛の続きやらで動いている。
「で、依頼主は何処に行ったのかしら」
 先程まで共に闘って居た筈だが気付いた時には見えなくなっていた。
 周囲の状況や、隊士の動きを見る限り、彼に何かあったとは思えないが用心に越した事は無い。
「依頼人だし、東堂暗殺って事態は防がないとね。色々怪しい動きしてる分、敵味方問わず注目されてるし」
 そう零した所で、ふと口を噤む。
 思案気に視線を落として考えるのは東堂の事だ。噂では色々と食えない人物という話を耳にしている。
「どんな裏があるのか知らないけど、あたしは自分の感じるままに動くだけよ」
 とは言え、口封じやらなんやらで消される。なんて事は勘弁して欲しい。
「姿が見えないから安心って訳じゃないけど、この様子なら大丈夫かしらね」
「結局、重要な部分は見えなかったから、大丈夫じゃないかな」
「あら、お疲れさま」
 突如聞こえた声に灯華の目が向かう。
 それを受け止め、彼女と同じく周囲の様子を伺う竜哉は軽く片手を上げる事で返事をして首を捻る。
「何も知らなければ自分を守る事も出来る。何かあっても東堂氏だけで責を負うつもりって線も考えてたけど、少し外れたかな」
「さあ、全部が外れとも、当たりとも誰も言ってないわよ」
 確かにね。
 そう頷きを返し、竜哉は屋敷の入り口を見た。
 屋敷の中に亡骸は無く、ただ闘いの痕跡のみが残るその場所を見、目を瞬く。
「無事に依頼を成せたのなら、それで良し……かな」
「少なくとも、あたしはそうね。暴れ足りないとは言っても、久々に暴れられて楽しかったし、来て良かったと思ってるわ」
 僅かに嬉々とした雰囲気を覗かせる灯華に、竜哉は微苦笑を唇に刻み、頷きを返した。

 捕らえた者達に縄を締めながら、ウィンストンは仰ぎ見るように東堂を見た。
「確実に成す為故、ここまでの戦力投入は必要で有ったのか?」
 礼儀正しく問う言葉。これに東堂の目がゆるりと瞬かれる。
「必要です」
 短く返された声は確かな色を持って彼の耳に届く。それに対し、縄を確実に締めると彼は次の捕縛者を見て眉を潜めた。
「何故そう言うのであろうな」
 彼の者が何を考えこのような行動に出たのか。其処に疑問を感じずにはいられない。
「浪志組の為。如いては我等の信念の為。見極めねばならないのですよ。今貴方がしている様に、信を置ける者かどうか見極める為には必要な事です」
「……左様か」
 ウィンストンは視線を外し次の捕縛者に向かう。
――今貴方がしている様に、信を置ける者かどうか見極める為。
 この言葉に思い当たる節がある。
 東堂の本音を聞く為、彼に士道を用いた。
 彼はそれを見越して言葉を向けたのだろう。間違いなく、今の言葉はウィンストン自身に向けられたものだ。
「……食えない御仁であるな」
 ポツリと零し、彼は再び捕縛に向く。
 そしてそれを見止めた後、東堂は捕縛の合間を見て何かを確認している狐火の様子に気付き、足を其方に向けた。
「何か気になる事でもありますか?」
「――大勢神宮と屋敷の位置関係の確認をしていました」
 僅かな間を置いて答えた彼に、東堂の目も彼と同じ方角へ向かう。
「此処は潜伏には向かないでしょう。向くとすれば都の真ん中。或いは人のいる場所でしょうか」
 静かに紡ぐ出された声。
 此れに狐火の目が向かう。如何云う事なのか。そう言外に問い掛け僅かに首を傾げる。
「木を隠すならば森の中……良く言いませんか?」
「確かに、そうした言葉もありますね。では、武帝陛下が万が一にも襲撃されるとして、それを為そうとする者は都の内部にいると?」
「そうした可能性もあると言うだけの事です」
 東堂はそう零し、捕縛された者に目を向けた。
「……子供、ですか」
 怯えた表情で震え、涙を流す子供。
 土に膝を着き、汚れた衣服で顔を青くするその子を見て、東堂は緩やかに膝を着き、子の目を覗き込んだ。
「言いたい事がありそうですね」
 瞳の奥に見える意志の光。
 東堂を、浪志組を憎む色を覗かせる子に、彼の瞳が穏やかに緩められる。
「先生」
 東堂の手が刀に伸びた時、彼の手を止める者があった。
 振り返った先にあるのは銀の髪を持つ緑の瞳。真っ直ぐに目を見るその瞳に、東堂は眼鏡の奥の瞳を眇める。
「先生はこの道の先で、笑ってくれる?」
「……何故、そのような事を問うのですか?」
「先生が笑えないと、貴方を慕う人達も笑えないよ」
 真摯に向けられる言葉と視線。
 それを受け、東堂の手が刀から離れた。
「笑う必要などありません」
 これでよろしいですか? そう微笑んで返され、アルマの目が見開かれる。
「……良いとか、悪いとか……そういう事は、ないよ」
 唇を引き締めて、小さく頭を振る。
 決して長い時ではない。長い時ではないが、アルマは東堂を見て来た。
 彼を慕う者達に慕われる姿や、幼い自分の頭を撫でてくれた手。そして命を繋ぎ止めようと必死にもがいていた自分を止めてくれた姿。
 それらに惹かれて思う事がある。
「僕は……僕らは先生の、その手の優しさを知ってる。だから――……僕は、先生に、ついて行きます」
 答えがどのようなものであっても構わない。寧ろ、答えを聞けた事を良しとする。
 その上でどんな道を進もうとついて行く。
 そう示したアルマに、東堂の瞳が少しだけ揺れた。
「君はこの期に及んでまだそのような事を……」
 幼い若葉は散る事も恐れずについて来ると言う。
 其処へ浪志組の1人が駆け込んできた。
 彼は何事かを東堂に告げる。
「そうですか……仕方がありませんね」
 そう零し、改めてアルマを見る。
「君に、こうした業を負う覚悟がありますか?」
「え……!」
 先程止めた手。それが振り解くように動き方なの柄を握る。そうして抜き取られた刃が子供の息を奪うと、アルマは呆然とその場に立ち尽くした。
「私について来ると云う事は、こう言う事です。君にまだその覚悟があるのなら……ついて来ると良いでしょう」
 東堂はそう言い添え、傍にいた隊士に亡骸の処理を頼む。そしてアルマを一瞥すると彼の脇を通り過ぎ他の者達の様子を見に動いた。
 其処へ静かに近付く者を感じ、東堂の足が止まる。
「何を急いておる」
 目を向けた先に居たのは熾火だ。
 彼女は立ち竦むアルマを視界に止め、そして片付けられる亡骸、東堂へと目を移す。
 その上でゆるりと首を傾げると、窺うように東堂を見た。
「銀狐の君に、今の所業は酷であろう。それとも、そうせねばならぬ事でもあるのかのう?」
「今の子供は何れ、私や浪志組へ牙を剥くでしょう。自身の親が何をしていたか、そのような事は関係ないのです。彼にとっての事実は、浪志組が全てを台無しにした……これだけなのですから」
 その声を聞き、熾火は「ふむ」と顎を動かした。
 その姿に東堂の口角が上がる。
「貴女は第三者の視点から物事を見ている。だからお教えしましょう」
「?」
「私の理想……為し得たい夢は、此処で潰えました。後は僅かばかりの希望に縋るだけです」
 先程の隊士は重要な事を告げてきた。
 その内容は、東堂の為し得たい事を諦めさせるには充分過ぎる物だった。
「聡明な貴女であれば、私の行動を顧みて何を言いたいかお分かりでしょう。後はお任せします」
 東堂はそう言い添えると、熾火に目礼を向け再び足を動かした。
 それを見遣り、熾火は改めてアルマを見る。
 そしてゆっくり近付くと、彼の瞳が此方を向いた。
「熾火ちゃん……」
 急いで目元を拭ったアルマに熾火の瞳が眇められる。
「傷……大丈夫かな?」
「このような女に何を心配する、傷はもう癒えておる」
 アルマは先の闘いの傷を未だに心配していたのだろう。その言葉に、熾火の口から僅かな息が漏れた。
 それは溜息ではなく、もっと別の何か。
「……そなたが傷つくことの方が、よほどに心が痛いでな」
 そう告げて、先の東堂の言葉を思い出す。
 目の前の少年はあまりに優し過ぎる。
 自らを省みて、自身が冷血なのかはわからない。
 目的と興味の為であれば手段を択ばない故、彼等の葛藤もわからない。
 それでも、彼等を見ていると応援したい気持ちになってくる。とは言え、東堂の為そうとしている事は――
「……幼き惑う銀狐の君しかり、皆優し過ぎるのじゃろうな……」
 ポツリと零し、熾火は東堂が去った方角を見詰めた。

 そして時を同じくし、東堂の所業を目にしてしまった千歳は、アルマと同じく足を止めた状態で前を見詰めていた。
 次々と片付けられる亡骸と、つい先程まで動いていた子供の亡骸。それらを見詰め、緩やかに視線を落とす。
「……動けた筈」
 零した声と共に自らの手を見る。
 刀に手は伸びた。
 柄も掴んだ。
 しかし、唐突に刀を抜いた東堂へ駆け寄る事が出来なかった。
「浪志組は、血に飢えた人斬り集団では無い……血に飢えた、人斬り集団では……」
 では、先に見えた東堂の行動は何なのか。
 ただの人斬りではなく、東堂が浪志組の信念「尽忠報国の志と大義を第一とし、天下万民の安寧のために己が武を振るうべし」という言葉を決めたのではないのか。
 何故、彼が今、無抵抗の、しかも捕縛された子供を斬ったのか。
「理想を失ってしまえば、俺達はただの人殺しでしかない……そこに義は無い」
 呟き、己が手を握り締める。
 一般人を斬る事に躊躇いが無かった訳ではない。ただ抵抗され、捕縛出来ない以上、そして命令であるから故に刃を振るった。
 しかし――
「この手が血で汚れようとも……そう、誓ったばかりだと言うのに……東堂殿。貴方の理想は何処にあるのかっ!」
 込み上げる苦々しい感情。
 それを握り潰すように拳を握ると、千歳の目は完全に伏せられた。

●夢、その欠片
 見張りの隊士が残る屋敷。
 開拓者達も引き上げ、静まり返った其処に東堂の姿はあった。
「……此処まで、ですか」
 ぼんやり零した声が静かに闇へと消える。と、其処へ何者かの足音が響いてきた。
「やっぱり戻って来たね」
 隊士に指示を出しに一度退いたが、如何しても此方の様子が――否、この先が気になって足を運んでしまった。
 それを見越していたと言う高尾に、東堂の瞳が細められる。
 若干の警戒を見せ、此方を見る東堂に、高尾はクスリと笑って彼に忍び寄った。
「あんた、楠木の復讐を考えているんじゃないのかい?」
 妖艶に笑う彼女に、東堂は息を吐いて目を伏せる。その上で瞼を開くと、高尾から目を外した。
「大丈夫だよ、誰にも話したりするもんか。あたしは……朝廷が憎いんだ。あたしなら、あんたの力になれるわ……」
 興味もある。探りを入れるという意味もある。
 けれど本音も混じる声。
 それを耳にし、東堂は口を開く。
「誰に聞いたのでしょうね」
 溜息交じりに発せられる声には、僅かな呆れが見える。けれど彼は教えてくれた。
「楠木氏は素晴らしい御仁でした。私は彼の御仁に師事を受けた事、今でも誇りに思っています。そして、彼の理想に触れられた事も、私にとって大きな誇りであり自慢でもあります」
「それじゃあ」
 朝廷への復讐を考えているのか。
 そう問いかけようとした高尾の口を、東堂の刃が遮った。
「真実の言葉が知りたいのであれば、己の力で聞き出しなさい。幾ら言動に魅力があろうとも、真実が厚い壁に隠されてしまっては元も子もありません」
 突き付けられた白刃が薄明かりの下で輝く。その上で東堂は刀を鞘に戻し高尾を見た。
「御自分を大事になさい」
 そう告げた彼の表情は、酷く穏やかだった。