裏のない話
マスター名:朝臣 あむ
シナリオ形態: ショート
危険
難易度: やや易
参加人数: 6人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2011/03/22 01:11



■オープニング本文

●北面・楼港
 北面の飛び地、五行の東部に位置する楼港。
 軍事都市として名高いこの地の城塞外に作られた歓楽街「不夜城」。
 その中にある店の1つで、明志はのんびり外を眺めていた。
「表向きは静か、か」
 開け放たれた窓から漂う冷たい空気に目を細め、緩やかに煙管を口に運ぶ。
 そうして息を吸った後に支援を吐き出すと、彼の目が雪景色から部屋の戸に向かった。
「いつまで立ってる気だ」
 フッと笑んでかけた声に、襖が開かれる。
 そこに立つのは金髪に碧眼の男――志摩・軍事だ。
 彼は僅かに眉間に皺を刻んで中に入ると、部屋の中央で足を止めた。
「また呼び出しとは如何いう了見だ。内容に寄っちゃぁ、てめぇでも容赦しねえぞ」
 先日、明志の頼みでアヤカシ退治に行き思わぬ誤算を生んだ。
 しまっておいた過去の傷を抉り、満身創痍にまで追い込まれた身としては面白くない。
 ただ、呼ばれて出向いたのは、その誤算のお蔭で得た物もあったからだ。
 それは過去に負った傷を覆い隠す程に大きく、今の彼を支えるには十分すぎる「絆」でもある。
「もうあんなことはしないさ。それよりも、傷は如何だい?」
 問いかけに大袈裟に息を吐くと、軽く腕を回して見せた。
 その動きに僅かなぎこちなさがみえる。
「完治はもう少し先か」
 明志はそう呟くと、煙管の火を落として窓を閉じた。
 その上で足を組んで彼を見る。
「如何だ。温泉にでも入って傷を癒す気はないか?」
「あん?」
「実はな。近々温泉宿を開こうと思うのだよ」
 意味深に笑って見せる明志に志摩の眉が上がった。
 明志の持つ店と言えば、遊郭や博打場、とうてい他人様に顔向けできないような店が殆どだ。
 その店を試せとは、流石の志摩でも良い顔はしない。
「そんな顔をするな。使って欲しいのは普通の温泉宿だ。楼港内だが比較的安全な場所にある。一般客向けの健全な店さ」
「健全な店だと? 何を企んでやがる」
 明志が普通の宿を提供する。
 それには絶対に何か裏があるはずだ。
 そう思い問いかけたのだが、その声に彼はカラリと笑って見せた。
「漸く天護隊の目が引いてきたんでな。ここらで健全な店を建てて安全さを強調しておこうと思ったんだよ。それ以上でも以下でもない理由さ」
「ああ、もう1年以上経つのか‥‥」
 一時は追われる身だったが、ここ数か月の間で開拓者ギルドに幾らか手を貸したこともあり、明志に対する警戒が引いてきたようだ。
 それでも明るい場所の者からすれば、明志は煙たい存在である。またなにかしでかすのではないか。
 そんな思いが各方面に見え隠れしているのは事実だった。
「まあ、他の店を格安で使わせてやってる手前、今でも効果はあるのだろう。だが、もう一押し欲しくてね。如何だい、使ってみないか?」
 普通の温泉宿。
 しかも明志が作ったというのだから、質は良い筈だ。
 彼は自分の商売に手を抜くことはしない。
 それ故に、普通と称してはいるが、今回の宿、何処かに拘りがあるとみて間違いないだろう。
「わかった。遠慮なく使わせてもらうぜ。んで、呼べる人数は決まってるのか?」
 まさか一人で泊まれと言う事ではないだろう。
 そう言外に問いかけると、明志は僅かに口角を上げて新たな草を煙管に詰めた。
「部屋数は大部屋が2つに離れが5つ。部屋をすべて使う必要はない。寧ろ少数で泊まってくれると有り難い」
「待て、その部屋数‥‥まさかとは思うが‥‥」
「ああ、高級感溢れる『普通』の温泉宿だ」
 ニヤリと笑って火を灯した彼に、志摩は口元を引き攣らせた。
「食事も接客も一流を目指す。上客が毎日訪れれば、顔も名も知れる。良い商売だろう?」
 そう言って支援を吐き出した明志に、志摩は「やられた」と頭を抱えて座り込んだのだった。


■参加者一覧
高倉八十八彦(ia0927
13歳・男・志
銀雨(ia2691
20歳・女・泰
千見寺 葎(ia5851
20歳・女・シ
無道 ラカン(ib0633
50歳・男・サ
杉野 九寿重(ib3226
16歳・女・志
リリア・ローラント(ib3628
17歳・女・魔


■リプレイ本文

 楼港の外れ。人目に付き辛く、かといって治安の悪くないその場所に、ひっそりと建てられた竹林に囲まれた宿――万月庵。
 志摩軍事はそこに開拓者数名を連れて訪れていた。
「‥‥凄い、ですね」
 そう呟いたのは、少し後ろから宿の中を眺め見る千見寺 葎(ia5851)だ。
 彼女は遠慮がちに中を見回すと、恐縮そうに視線を落とした。
 そんな彼女とは対照的に、元気に中を見回すのはリリア・ローラント(ib3628)だ。
「お・ん・せ・ん・や・ど‥‥!」
 目をキラキラさせて興味津々の様子。
「こんな立派なお宿に泊まらせて頂けるなんて。明志さんって、思ったより‥‥いいひと。なんですね」
 ほわほわ微笑むリリアに、葎が苦笑しつつ頷く。
 そんな葎の内心は、明志に疑念を抱いた手前、恐縮でいっぱいだ。
「‥‥次に顔を合わせた折には、謝ろう」
 そう呟き一歩を踏み出す――と、彼女の足が止まった。
「り、葎さん!」
 ぶんぶんと手を振って招くリリアは、目の前の壺や、絵に大興奮だ。
「この壺とか、絵とか、すごく高級そうですよ‥‥!」
 見慣れない物や珍しい物、慣れない雰囲気に気分が高揚しているのだろう。
 いつも以上に落ち着かない様子の彼女に、志摩も落ち着かない様子でオロついている。
「つ、壺とか、触ったら、怒られちゃいそうですね‥‥」
 ドキドキと壺に顔を寄せる。
 志摩からすれば、そこから離れて欲しいのだが、リリアは顔を寄せたまま離れない。
 そこに手が伸びた。
「ほお、コイツは凄ぇ」
 ひょいっと持ち上げられた壺に、リリアと志摩の目が向かう。
「ラカンさん、この壺、わかるんですか?」
 リリアは首を傾げると、壺に顔を寄せて吟味する無道 ラカン(ib0633)を見上げた。
 その視線に、彼の口角がニッと上がる。
「芸術なんてもんは微塵も分からねぇが、金目のもんだってのは分かるぜ。コイツは良いもんだ」
 そう彼が答える間、志摩は口をパクパクさせている。だが、彼の心労はこれで終わりではなかった。
「おさーん、傷だいじょーび?」
 バンッと背中に飛びついてきた衝撃に悲鳴が上がった。
「のおおお!!!」
 触れたくない置物に手が触れたのだ。
 しかもそれがぐらりと揺らいで、慌てて抑え込む。
 掴んで間近で見た置物は、陶で出来た仏像だ。かなり高価な代物に、心臓がバクバク言う。
「あや、大丈夫かいのぉ?」
 言うのは、高倉八十八彦(ia0927)だ。
 彼は背から降りて志摩の顔を覗き込むと、可愛らしく小首を傾げて見せた。
「‥‥なんとか、な」
 そう言いながら仏像を戻す。
 そうして深呼吸すると、ラカンを見た。
「無道の旦那、程々に頼むぜ」
「おっと悪ぃな。昔の商売柄か、つい目が行っちまう。最近は老眼も入ってきちまってなぁ‥‥まあ、悪気はねぇ許してくれや」
 ゲラリと笑って壺を戻したラカンに志摩は苦笑気味に頷いた。
 ラカンが昔何をしていたのか、軽くだが聞いている。故にこうした調度品が気になるのは仕方がないだろう。
「しっかし、高級な場所なんてなぁ何十年ぶりだ? 金持ちの床屋に押し込んで以来かもしれねぇが、あん時は薄暗かったからな」
「ちょ‥‥旦那、声がデケぇ」
 あまりに大きな声で昔のことを話し出すラカンに、志摩が耳打ちする。
 それに気付いて笑うと、彼は志摩の背を大きく叩いて見せた。
「いやぁ、悪ぃ悪ぃ。にしても、ただただ『凄ぇ』の二文字だぜ」
 確かに、宿は調度品が高級なのは勿論、建物の作りから女将の質、仲居の質も悪くない。
「明志の奴、相当金掛けたな」
「んー、わしはまずまずじゃ、思うが」
 聞こえた声に目を向ければ、八十八彦が中に上がるのが見えた。
「こおゆう処はねえ、こだわりがあって、統一されてるほどええんよ。お金がなんぼ使ってあるかじゃのうてね」
 人差し指を立てて説明される言葉に、志摩は改めて中を見回した。
 金は感心するほどによく掛けられている。
 だが統一感を問われてしまうと、若干首を傾げてしまう。
「客を呼ぶだけの演出があってこそなんじゃと」
「演出はどうかわかりませんが、北面出身者としたらここは憧れの場所。本当なら私のように年若いのが立ち入れない場所ですし」
 今まで話を聞いていた杉野 九寿重(ib3226)は、ニコリと笑って呟いた。
 そう語る彼女は北面の出身だ。
「温泉宿の宿泊体験‥‥楼港の雰囲気を味わいつつ安心な内容だと聞き、とても楽しみにしてきましたなので、よろしくお願いします」
「おう、こちらこそよろしくな。まあ、気負わずのんびりとしようや」
「はい。斬ったはったばかりでは人生ではないので、ここはメリハリをつけての湯治を楽しませてもらいます」
 そう言って微笑んだ彼女に頷きを向け、志摩は中に入るよう促した。
 その姿を見止めて女将が口を開く。
「お客様は以上で――」
「アヤカシは何処だぁ!」
 息荒く駆け込んできた一人の女性。
 そんな彼女を見て志摩が苦笑する。
「あー、あれも混ぜて全員だな」
 言って、銀雨(ia2691)を示した彼に、女将は頷きを返した。
 その一方で、宿の玄関先で戦闘態勢を整えつつある銀雨は、アヤカシを探して目を輝かせている。
「銀雨さん、今回はアヤカシ退治ではなく温泉宿に宿泊体験ですよ」
「え゛?」
 葎の指摘に残念そうな、意外そうな声が漏れた。
 だがその数秒後――
「ま、いっか!」
 早々に気分を切り替えたらしい。
 彼女は仲居の案内で宿の中に足を踏み入れると、続いて志摩も中に入ろうとした。
 その上で、ふと足を止める。
「どうした?」
 皆はもう中に入った。
 だが葎だけが動こうとしない。
 その様子に声を掛けると、彼女は戸惑いがちに目を向けてきた。
「あの‥‥先日の品は僕も頂いて、良いのですか?」
 前回の依頼で皆に送った雪の結晶。それを宛てた先を思い出し、葎の目が落ちる。
「僕はそうした人に数えられて良いのでしょうか。僕は開拓者でも名張の者でもある。ですから――」
「あれは俺が大切だと思う奴らに贈ったもんだ。その中には葎、お前さんも含まれてる」
 クシャリと髪を撫でる手に、おずおずと目が上がる。
「もし重いってんなら、売っぱらえば多少の金になる。だが、もし持っててくれるってんなら、大事にしてくれ」
 な? そう笑んで見せると、志摩はいま一度彼女の頭を撫でて、宿の中に消えて行った。
 その姿を見送り葎の視線が落ちる。
「まったく‥‥臆病ですね、僕は」
 そう言って口には出せない覚悟を、胸の内に刻み、彼女もまた宿の中に消えて行った。

●部屋割り?
 宿の中を案内されている途中で、リリアはふと呟いた。
「‥‥私、大部屋のが、嬉しいかも‥‥です」
 そう言って、遠慮がちに皆を見回す。
「だって、ひとりって、寂しいんですもの。折角皆で泊まれる機会ですし‥‥どなたか、一緒、しませんか?」
 静かな問いかけに、九寿重が進み出た。
「なら、私も大部屋で。深い知り合いは居ないですが、打ち解けるのにはどうとでもなりますから」
「本当に‥‥? えへへ、一緒のお部屋、だね♪」
 ニコニコと手を握るリリアに、九寿重は犬耳を揺らして笑い返す。
 そこに葎と銀雨も加わると、志摩が思案気に呟いた。
「なら、大部屋を2つ用意してもらうか」
「わしは1つでも良いと思うんじゃが‥‥」
「流石に俺と無道の旦那がお嬢さん方と一緒じゃ拙いだろ。まあ、八十八彦は紛れても問題ないだろうが」
「んー、わしはおっさんと同じ部屋じゃ」
 声を弾ませて主張した八十八彦に、志摩が頷きを返した時だ。
 銀雨が真面目な顔で口を挟んできた。
「それは如何かと思うぞ。八十八が、おっさん連中に襲われないか心配だ」
「あ?」
 真面目な顔をして何を言うか。
 面食らって目を瞬く志摩を他所に、銀雨は更に言葉を続ける。
「特にあれを見ろ。ラカンさんだ。顔が悪い。相手を選ばなそうだ」
 うんうん頷いてるが、相手が相手なら洒落にならない。
 取り敢えず、当のラカンは笑っているのが、せめてもの救いか。
「えっと‥‥つまり、高倉さんと、志摩さんは、‥‥らぶらぶ?」
「ッ、げほげほげほ――」
「ふわぁ‥‥志摩さん、大丈夫、ですか‥‥?」
 何処をどうしたらそうなるのか。
 咽る背を撫でるリリアに、片手を上げ、志摩は顔を青くして彼女を見た。
「っ、だ、大丈夫だ‥‥つーか、どっから出てきた、それは‥‥」
「志摩さんが、高倉さんを襲うって‥‥だから、らぶらぶ‥‥?」
 素直で何でも吸収してしまう柔軟性も、こう言う時は如何なのだろう。
 クラリと視界は揺れたが、ここはハッキリ言わねばなるまい。
「それだけは、絶対に無ぇ‥‥その誤解、早々に解いてくれ、頼む」
 そう言って大きく項垂れた志摩に、リリアはきょとんと目を瞬いて、頷きを返したのだった。

●温泉
「軍事さんはしっかり湯治を。皆さん、暖まってくださいね」
「おう、葎も後でゆっくり入るんだぞ?」
「はい」
 温泉を楽しむ皆の為に、水を用意し、湯あたりへの対策を整えると、葎は温泉に向かう皆を送り出した。
 そして送り出された女湯では――
「露天風呂‥‥あ、大浴場も良いです‥‥うーん、どこから、行きましょう」
 言って、大浴場と露天風呂を見比べるのはリリアだ。
 露天風呂では、銀雨が既に湯に浸かってのんびりしている。
 髪が濡れてぺたんこなって別人と化しているが、銀雨で間違いない。
 そして彼女の傍では、九寿重が彼女と自分を見比べて若干落ち込んでいた。
「ま、まだ‥‥私には未来があります‥‥っ!」
 ぐっと拳を握り締めて耳を立てる。
 そこにリリアも合流してきた。
「高倉さん、大丈夫でしょうか‥‥?」
「あー‥‥確かに心配だな。よし、心配だから覗いてみ――る、わけねーだろ!」
 バシャッと掛けられたお湯。
 それに楽しげな悲鳴が上がる。
 その声を男湯で聞いていたラカンは、頭に手拭いを乗せた状態で鼻歌を歌っていた。
「風呂で汗をかいた後の一杯は美味ぇぞ♪」
「だな。しっかし、明志の野郎は何を考えてんだか」
 ラカンの声に頷きながら傷跡を湯に浸す。
 そうしていると、八十八彦が泳いできた。
「気にしなさんなや、禿げるけえ。男がちまいこと言わんほうがええよ」
「ハゲ‥‥あー‥‥まあ、な」
 この時、志摩が隣を見たかは定かではない。
 とりあえず彼は、八十八彦の頭を撫でると、大きく息を吐いて空を見上げた。
「アヤカシ出る訳でもないし、楽しんだ者が勝ちじゃと思うのう」
 確かに八十八彦の言うとおりだ。
 気にしたところで如何にかなるわけではない。ならば、楽しむべきだろう。
「あ、背中流したぎょーか?」
「お、良いのか?」
「うん! ラカンのおさーんも、一緒に流したるけえ♪」
 そう言って笑った彼に、2人は顔を見合わせると、遠慮なく背中を流してもらった。

●宴会
「ん‥‥この前菜、美味しいです」
 春野菜を使った繊細な造りの前菜。
 それを口にして九寿重が思わず声を零した。
「料理技能持ちの私ですが、これはなかなか‥‥」
 前菜だけでこの出来。これは後が期待できる。
 そう呟き、次々と箸を動かす。
 料理は懐石の他に、八十八彦の要望で、鍋やつまみも用意された。
「九寿重さん、袖がつきそうですよ」
「あ、すみませ――って、葎さん、何してるんですか?」
 半纏の袖が料理に付きそうなのを捲ってくれた葎に、九寿重の目が瞬かれる。
「お手伝いを‥‥と、思って紛れてみたのですが、度が過ぎましたかね?」
 クスリと笑って首を傾げる彼女は仲居の姿をしている。
 その様子に志摩が声を掛けた。
「目の保養には良いが、程々にして食っとけよ」
「あ、はい」
 そう頷きを返しながらも、なかなか席に着こうとしない葎に、九寿重の首が傾げられる。
「お腹、空いてないんですか?」
「裏のない宴席に不慣れで‥‥けっして、芸逃れではありません、よ?」
 クスリと笑って誤魔化す率に、九寿重は再び目を瞬いた。
 そこにのびのびとした声が響く。
「はー、喰った喰ったー」
 酒を飲んで桃色に全身を染め上げた銀雨が、大の字で寝ころんだ。
 満足そうに投げ出された手足。それが、傍に置かれた壺に触れ――え?
 ガッシャンッ☆
「おおおおおお!!!」
「あーっ、あーっ、あー‥‥」
 転がり落ちた壺の無残な姿に志摩は声を上げて立ち尽くし、銀雨は暫くそれを眺めた後、白くなっている志摩を仰ぎ見た。
「あとは任せた、がんばれぼくらの志摩軍事」
 ポンッと叩かれた肩に、がっくりと項垂れる。
 そこに三味線の音と共に明志の声が届いた。
「後で請求書を回す。払えよ」
 クツクツと笑って新たに三味線の弦を叩く。
 その音に遠くなっていると、不意にリリアが声を上げた。
「‥‥あ。志摩さん、志摩さん」
 その声に志摩の目が向かう。
「無事に帰ったら、ごはん、奢って下さるんでしたよね?」
「あ? ああ‥‥」
 確かにそういう約束はした。
 頷く志摩を見て、リリアは笑顔で頷くと明志を振り返った。
「明志さん。私、追加で何か、たべたいです。
志摩さんの奢りで♪」
 そう言った彼女に、明志はにんまり笑って料理を用意させた。
 大皿に盛られた彩り鮮やかな料理、明らかに高そうなそれに、志摩の喉が鳴る。
「明志‥‥この料理‥‥」
「店で一番高い料理だ。値段、聞くか?」
 問いかけに大きく首を横に振った志摩。それを見ながら、リリアはニコリと笑った。
「‥‥これくらいのイジワル、許して下さいな」
「許してって、俺の懐具合も――」
「いっぱい、心配、したんです」
 ぽつりと零された声に志摩の眉が上がる。
「志摩さん、先に行っちゃうし。怪我もいっぱいで‥‥私も、皆も。沢山…心配したんです」
 箸を握り締めて視線を落としたリリアに、志摩は自らの頭を掻いてその場に腰を据えた。
「‥‥心配、したん、です‥‥だから、仕返しです!」
「わーったよ。今回は、俺が悪かった。だから好きなだけ食え」
 苦笑気味に言って食べるように促す。
 それを受けて勢いよく食べ始める彼女を見て、志摩は苦笑を笑みに変えた。
 そして他に目を向けようとした瞬間――
「――おかわりっ!」
「何ぃぃぃッ!!」
 小さな体の何処にそんなに入るのか。
 呆然としている志摩の目の前に、1つの盃が差し出された。
「ぱぁっと飲んで、忘れちまえ」
「‥‥無道の旦那」
「畏まった席の礼節は心得ちゃいねぇが、『駆け付け三杯、御返杯、酒があるなら飲まねばならぬ』ってなぁ」
 ニッと笑った彼に、志摩はフッと笑みを零すと盃を受け取って酒を口に運んだ。
「おっさん、ここの料理は美味しいのぅ?」
「ああ、酒も美味い。その上、温泉も上質だ。評価は変わらずか?」
 問いかける声に、八十八彦は無邪気に笑って煮物を口に放り込んだ。
「そうじゃね。もうちっと上げても良いかもしれんのぅ」
「もうちっと、か・。コイツは手厳しい」
 志摩は盛大に笑うと、新たな酒を口に運んだ。

――余談だが、後日。
 志摩の元には、壺と料理に対する高額の請求書が届いたらしい‥‥。