【霜】命秘して求めるは
マスター名:朝臣 あむ
シナリオ形態: シリーズ
EX :危険
難易度: 普通
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2011/07/14 11:29



■オープニング本文

前回のリプレイを見る


 魔の森にほど近い山。
 そこに放置された赤子が空高く鳴き声を響かせている。
「‥‥霜徳、本当に良いのか?」
 深い森の中で身を潜めて息を殺す人影が2つ。
 静かに声を潜めて問いかけられた声に、霜徳は赤子を見詰めながら頷いた。
「構わん、民の安穏こそが優先すべき事項‥‥違うか?」
 紡ぎ出された声は抑揚もなく感情もない。
 それでも赤子に注がれる視線だけは変わらぬ強さを帯び、それを見た次期鷹紅寺の統括は視線を前に戻した。
 どれだけの時間が過ぎただろう。
 霜徳にとっては気の長くなるような時間だったに違いない。
 そしてその時は来た。
 志体を持ち、生命力に溢れた赤子の肉は、力を求めるアヤカシには最高の贄だったのだろう。
「ほうほう、判り易い罠を張ったものです」
 そう言いながらもアヤカシの声は弾んでいた。
 迷わず赤子に手を伸ばした手が、簡単に折れそうな首を掴む。そしてそれを持ちあげると、アヤカシは迷うことなく赤子を口に入れようとした。
 だが――
「――ッ!」
 赤子を掴んだアヤカシの腕が吹き飛んだ。
 次の瞬間、轟音と共に凄まじい勢いで鉾が迫り、アヤカシの手にあった赤子を抱いた僧が、敵の前に立ちはだかった。
「贄を贄ともせず、非情にも徹せぬ者がまだおりましたか‥‥面白い、赤子と貴方の命を私が狩って差し上げましょう」
 言って、後に卑骨鬼と呼ばれるアヤカシは扇を翻した。

●最終決戦へ
 卑骨鬼との戦闘の最中、嘉栄は負傷し倒れた仲間の情報を得てホッと息を吐いていた。
「そうですか‥‥無事ですか」
 良かった。そう言外に呟き、目の前の敵を討ち払う。
 卑骨鬼の刃に倒れた仲間は、駆け付けた巫女の治療もあり、戦闘可能まで体力は回復しているらしい。
 もう心配する必要はないとのこと。
「残す問題は卑骨鬼と、彼の率いてきた屍ですね」
 嘉栄の視界に入る僧衣を纏う兵。
 それは卑骨鬼が連れてきたモノだ。そしてその僧衣には見覚えがある。
 赤を基調とした僧衣は鷹紅寺の物だ。
「やはり鷹紅寺の僧は卑骨鬼の手にありましたか‥‥このような形で戻って来るとは」
 苦痛に視線を落とし、それでも振るう刃を止めない。
 嘉栄は一向に減らない敵の姿に気を引き締める思いで前を見据えた。
 状況は芳しくない。どちらかと言えば不利でしかない。
 それでも自然と負ける気がしないのは、先に得た『仲間』というものへの感情だろうか。
「‥‥悪くはないものですね」
 呟き刃に付着したアヤカシの瘴気を払う。
 そうして新たに構えを取ったところで、紅い瞳のシノビが駆け込んできた。
「嘉栄、朗報よ。卑骨鬼の背後に援軍が2部出現。これで卑骨鬼の部隊が3つに割れたみたい」
「援軍‥‥?」
 如何いうことだろう。
 援兵を頼んだのは北面の志士に対してで、彼らには霜蓮寺の守護を頼んだはず。
 しかし味方は卑骨鬼の後方に現れたという。それも2つもだ。
「出発前に開拓者ギルドに要請した開拓者が到着したのだろう。今は卑骨鬼討伐にのみ力を尽くせば良い」
「‥‥統括」
 先程まで部隊の指示に当たっていた統括が、嘉栄の前にやって来た。
 じっと無事を確認するよう向けられる視線に、嘉栄の目が落ちる。
「嘉栄は開拓者たちが討伐に当たる、アヤカシの方に向かいなさい。卑骨鬼は私が倒す」
「いえ、卑骨鬼は私の仲間が倒します。ですので統括は部隊の統率とアヤカシの掃討にご尽力ください」
 僅かに向けられた視線。
 それに眉を上げると統括は何か言おうと口を開いた。
 だがそれを遮る様に嘉栄は背を向けてしまう。
 出来た溝は深く、そう簡単に打ち解けるものではないのかもしれない。
 そもそも打ち解けられる状況でないことは初めからわかっていたのだ。
 統括は僅かに息を吐き、嘉栄の言うとおりに動こうとした。
 そこに幼い巫女の目が向かう。
「‥‥どちらも、意地を張ったままでは駄目だと思います」
 静かに告げて離れて行く少女に、統括は苦笑を浮かべて道を振り返った。
 その道は霜蓮寺へ続いている。
「意地を張る、か‥‥出来る事ならば再び此の道を歩きたいが‥‥」
 呟き、統括は頭を振ると自らの足を動かした。

 これより卑骨鬼討伐の為の最終決戦が開始される。
 敵に総力は分断されたとはいえ多い。
 防衛線を敷いて敵を迎え入れたが、扇状に外から囲うよう迫る敵に、形勢は思わしくない。
 戦闘は卑骨鬼を後方に添え、先ずは前方に壁として立ち塞がる餓鬼モドキと僧兵を相手に始まる事となった。


■参加者一覧
鈴梅雛(ia0116
12歳・女・巫
高遠・竣嶽(ia0295
26歳・女・志
氷(ia1083
29歳・男・陰
痕離(ia6954
26歳・女・シ
珠樹(ia8689
18歳・女・シ
百地 佐大夫(ib0796
23歳・男・シ
将門(ib1770
25歳・男・サ
鹿角 結(ib3119
24歳・女・弓


■リプレイ本文

 大地を叩き揺れる進軍の音。
 それを白銀の狐耳で捉えた鹿角 結(ib3119)は、小さく耳を揺らして藍染めの弓を見た。
「話し合うにも、卑骨鬼がいる状況では落ち着いて話もできませんね」
 脳裏に過るのはこれまでの経由。
 卑骨鬼が関わった事で変わってしまった親子の縁と、それにより失われた命の多さに彼女の青い瞳が細められる。
 そしてその目が前を捉えると、白骨に僧衣を纏うアヤカシと、それを守る様に陣を敷く兵が目に入った。
「もう企みは潰れたのですから、おとなしく下がってくだされば助かるのですが」
 呟きながらも、それを敵が成さない事はわかっている。
 卑骨鬼の目的、そして彼が為そうとする事を考えれば、此処で大人しく退く事が出来ないのは明白だった。
「敵が退く事を臨まないのであれば、僕達がすべきことは1つ――」
 結は白銀の尾を柔らかく揺らすと、心静かに弓を構え、一矢を番えた。
「無念もろとも黄泉にお帰り頂きましょう」
 言葉と共に射た矢が眼前を阻む敵を討つ。
 敵の数は味方の数を凌駕している。
 それもその筈、敵は餓鬼に酷似した餓鬼モドキに加え、鷹紅寺で消えた僧兵全てを屍に変え連れてきているのだ。
「兵力差倍の敵を倒すのには古来より、頭を潰すに限る」
 結の矢に撃ち抜かれる僧兵。
 それに止めの一撃を見舞い、将門(ib1770)は美しい両刃の刃を改めて構える。
 敵戦力は初めのモノよりも割かれたとは言えまだ差がある。
 けれど焦る気持ちはない。
 彼は僅かに降り注ぐ光を刃に下すと、静かに踏み込む足に重心を移す。そうして鳴った砂利の音を耳にしながら、鉾を振り上げる僧兵を捉えた。
「まあ、言うは易しだが、何とかするさ」
 言って、口角を吐いた笑み。
 共に突き上げられた刃が僧兵の喉を切り裂くと、彼は間髪入れずに身を反し側面から襲い掛かる敵を討つ。
 その目に飛び込んできたのは、共に刃を振るう仲間の姿だ。
「将門殿、準備が整いました!」
 矢を構え、ギリギリのところまで弦を引きながら叫ぶ結の声に、将門の目が頷いた。
「そうさ、何とかするさ‥‥」
 彼は付着した露を、振り上げる刃に託して刀を自らの元に引き戻す。そうして吸い込んだ息に心を沈めると、意志の強い瞳が僧兵を捉えた。
 その上で思うのはこれまでの戦いのこと。
 将門は勿論のこと、他の皆もそうだったはず。
 闘う時、励ます時、全ての時に仲間がいた筈。そしてそれはこれからも同じ筈だ。
 彼は間合いギリギリまで敵を惹き付けると、心を静かに抑えたまま息を詰めた。
 そして――
「――全員で何とかするさッ!」
 砂を巻き上げるように振り上げられた刃。それと共に上がった咆哮に敵の目が向かう。
 しかしその目は彼だけに向かうことはなかった。
「嘉栄、あんま無理すんなよ」
 将門の上げた咆哮に合せ、咆哮を放った月宵 嘉栄(iz0097)に百地 佐大夫(ib0796)はそう言葉を掛けると神威製の短刀を構えた。
 今の咆哮の音で敵の注意が将門と結、そして嘉栄と佐大夫の元に向いている。
 ここで気を緩める訳にはいかない。
「同じ失敗は二度出来ねえ」
 口中で呟く声。それと共に湧き上がってきた屈辱感に、刃を掴む手に力が籠る。
 卑骨鬼に与えられた傷は癒えている。だが敵が彼に与えた敗北感はそう簡単に消えるものではない。
「汚名返上は俺の今の実力じゃ無理だろう。だが、このままじゃ終わらせねえ‥‥」
 それに――と、彼の目が迫る敵を片っ端から撃ち払う嘉栄に向かった。
 護ると意気込み護りきれなかった相手。それ故に彼の胸中にある感情は複雑なようだ。
「‥‥やるっきゃねえんだ。ここまできて、ここで負ける訳にはいかねえ!」
 視線を敵に流し込み上げる感情を振り払うように手裏剣を放つと、彼の足が大地をしっかりと踏み締める。
 そうする事で突き入れる刃に力を込めると、彼は新たな敵を求めその身を反した。

 一方、将門や結、佐大夫たちが僧兵やモドキの気を惹いている最中、高遠・竣嶽(ia0295)は後方に控えアヤカシの壁に護られ形見の見物をしている卑骨鬼を視界に捉えていた。
「なんとしても討ち果たす」
 目標までの距離はまだある。それでも道が開けてきたのは先程上がった咆哮と、自らが敵を討つ刃のお陰だろう。
 彼女は精霊を宿す宝珠を指の腹でひと撫ですると、改めて眼前に刃を構えた。
「それなりに長き因縁ではありましたが‥‥」
 振り返れば多くの事があった。
 そしてそれは決して短い期間ではない。それを思えばこの時に全てを掛けるのは普通の事だと思える。
 竣嶽は昂る気持ちを抑える様に息を吸い込むと、刀の鍔を鳴らして一歩を踏む。
「――ここで幕引きと致しましょう」
 僅かに綻びを見せる敵の壁。
 その中に我が身を滑り込ませると、腕を振り上げるのと同時に手首を返した。
 それにより発生した風の刃が、敵の壁を更に崩し卑骨鬼に近付く術を導く。
 だが敵もただ斬られるだけではない。
 数に物を言わせて崩れた壁を補いに掛かる。その上で竣嶽の死角から打撃を見舞うと、彼女の身が大きく揺れた。
「焦るんじゃないわよ」
「っ‥‥珠樹殿」
 突如腕を引いた手に竣嶽の足が一歩下がる。
 その事で、敵の攻撃を交わした彼女の刃が、自らを襲った敵を討つ。
 そうして態勢を整えると、竣嶽は自身を助けてくれた珠樹(ia8689)に目礼を向けた。
「別にお礼なんていいわ‥‥それにようやく決着の機会が来たんだもの。気を抜かずに行きたいじゃない」
 珠樹の中にも竣嶽と同じ長く短くもないここまでの道のりが巡っている様だ。
 焦る気持ちは誰でも同じ。けれどその気持ちに負け、焦りだけで突き進めば勝利は遠のくばかりか、下手をすればこの機会すら逃しかねない。
「ここで決めないとシノビ商売あがったりだわ」
 珠樹はそう呟くと、襟巻を瘴気対策の為に口元まで引き上げた。
 そうして見据えるのはやはり卑骨鬼だ。
 だがこの敵を討つ前にするべき事がある。
「痕離」
「わかってるよ」
 同じシノビである痕離(ia6954)。
 彼女と視線を交わし、2人の足が同時に地を蹴った。
 踏み込む先は先程竣嶽が踏み込み崩せなかったアヤカシと屍の壁。
「漸く、これで引導を渡せる」
 痕離は赤く輝く瞳で卑骨鬼を捉え、珠樹の動きに合わせて針の様な刃を引き抜く。そうする事でモドキの首元を掻き切ると、もう一歩、彼女たちの足が壁に向こうに落ちた。
 踏み締める足は力強く、まるで両翼のように息を合わせて踏み込んでゆく2人。
 痕離は技の速度もピッタリ合せながらふとこの騒動に関わった親子の事を思い出す。
 意地を張り、歩み寄る事が出来なかった親子。
「――‥‥あの2人も、きっと1つ前に進める筈‥‥だよね」
 卑骨鬼討伐――それを切っ掛けに歩み寄る事が出来たなら。
 痕離はそう口中で呟き、目の前を塞ぐ鷹紅寺の僧兵に目を細めた。
「痕離、躊躇っている暇は――鈴梅?」
 元人間であり、屍と化した今でも闘うことを強いられる鷹紅寺の僧兵。それを前に僅かに躊躇いを覗かせた痕離に珠樹が叫んだ時だ。
 2人の目に小さな存在が飛び込んでくる。
「術で操っているだけなら、何とかできると思うのです」
 自身の身長よりも遥かに高い白い杖を翳し、鈴梅雛(ia0116)はキッと前を見据えた。
 屍人になろうとも元は人。そしてそれを操ると言うことは何か術で操っていると考えるのは普通だ。
 雛は杖の先で印を結ぶと、痕離と珠樹、双方が対峙する僧兵に向け解呪の法を放った。
 しかし――
「っ‥‥無理か。僧の方々には、あまり刃を向けたくはないのだけど‥‥出来れば、一撃で」
 淡い光に包まれた僧兵。
 一時は動きを止めた存在に解呪は成功――そう思えたのだが、実際には動きを一時止めただけに過ぎない。
「そんな‥‥」
 驚く雛にカタカタと嫌な音が鳴り響く。
 その音に幼い目が飛んだ。
「いやはや、発想は良かったです。良かったですが、彼らは屍ではなくアヤカシなのです。つまり、解呪の法を施した所で効果はない‥‥いやはや、残念でしたね」
 楽しげに紡がれる声は不愉快以外の何者でもない。
 雛はギュッと杖を握り締めると、卑骨鬼に向けた目を戻した。
「策は、これだけではありません」
 小さく零された声に卑骨鬼の動きが止まる。
 やはり術を扱う雛に対して――否、巫女に対して何かしらの想いがあるのだろうか。
 雛の様子を見定めるように動きを止めた卑骨鬼。そこに射程を利用した攻撃が降り注ぐ。
 だがそれはまるで赤子の手を捻るかの様に、彼の持つ扇によって叩き落とされた。
 それを見ながら、攻撃を放った氷(ia1083)が雛を自身の背に庇う。
「雛ちゃん、大丈夫かい?」
 巫女であり、開拓者であっても雛は幼い女の子だ。それがあんな訳の分からない者に威圧されれば怖いに決まっている。
 しかし雛はその声にコクリと頷くと、前方を塞ぐ僧兵とモドキを見た。
「嘉栄さんと統括さんの為にも、ここで卑骨鬼を倒さないと‥‥ですから」
 大丈夫です。
 そう言葉を返した彼女に、氷は「そうか」と頷きを向け符で口元を覆った。
 彼の眼前にも卑骨鬼が用意した僧兵がいる。
 卑骨鬼は彼らをアヤカシと呼んだ。それは雛が解呪の法を試し失敗した事で事実だとわかる。
「鷹紅寺の僧は救えなかったか‥‥」
 出来ることなら救いたかった存在。けれど、現実には救うことは出来なかった。
「せめて、弔いはしてやるからな」
 言って彼は魂を喰らう術を放った。
 それは先程卑骨鬼に放った物と同じだ。そしてそれは瘴気の塊となった僧兵に容赦なく襲い掛かる。
――‥‥ッ。
 声にならない悲鳴が上がり、僧兵が崩れ落ちてゆくと、彼は新たな術を刻むために符を構えた。
 次に彼が術を放つのは、痕離と珠樹が挑む敵で出来た壁だ。
「あと数打!」
「珠樹殿!」
「わかってるわよ!」
 竣嶽の声に、シノビの2人が、体勢を崩して強打を放つ。
 これに前衛を塞いでいた壁が崩れた。
「今です!」
 竣嶽は風の刃を放ち、壁を確かな物にするべくアヤカシの進軍を抑える。そこに卑骨鬼討伐を任された面々が滑り込むと、彼らは漸く卑骨鬼と対面することが出来た。
「――さ、こんな所‥‥かな?」
 壁を抜ける際に負った傷。それを指の腹で拭い痕離の目が卑骨鬼を捉える。
 その視線に卑骨鬼が彼らの後方を捉えた。
「私とて元は僧兵だったのです。無念の内に苦しみ悲しみ、そして生まれた存在を無下に扱って良いのか如何か‥‥考えたことはありますか?」
 この期に及んで何を言うのか。
 まるで開拓者たちの動揺を誘うかのような言葉に、氷の眉が僅かにあがる。
「アンタは僧兵の想いなんかじゃない、その無念を糧にしたタダのアヤカシだろう?」
「‥‥ほう?」
 カタリ。
 卑骨鬼の首が左右に揺れ、カクカクと顎が鳴る。
「きっと贄になった僧達も、嘉栄ちゃんや統括と同じ想いだった筈。それを都合の良いように捻じ曲げて――」
 珍しく腹を立てている様子の氷だが、腹を立てているのは彼だけではなかった。
 この場にいる開拓者全てが同じ想いを抱いている。
「いい加減、その口を閉じさせたいところね」
「そうですね、僧としての因縁も無念もある――そう言うのであれば‥‥」
 竣嶽の刃が鞘に納まった。
 そうして鳴り響いた鍔の音。その音を耳に、彼女の足が大地を踏み締める。
「それら全ての想い、ここで断ち切って差し上げますっ!」
 言葉と共に砂を蹴った竣嶽に続き、他の面々も地を蹴る。
 こうして卑骨鬼との最終決戦が幕を上げた。

●希望の導き手
 卑骨鬼の元に辿り着いた仲間。その姿を目に止め、将門は声を張り上げた。
「嘉栄!」
 咆哮を促す声。
 それに嘉栄が頷くと、2人はほぼ同時に覇気を放った。
 此れに敵の目が向く。
「そうだ、お前らの相手は俺達だ」
 左右に散り敵の気を惹くこと。それが将門と結、そして佐大夫に課せられた役割だ。
 これが巧くいってこそ、卑骨鬼を相手にしている仲間が集中して闘える。
 将門は自身の防御を引き上げると、迫り来る攻撃に怯むこと無く踏み込んだ。
「っ‥‥相変わらず硬い!」
 敵の爪を刃で受け止めながら呟く。
 その上で腹部に蹴りを入れ引き離すと、一瞬だがモドキの体が揺れた。
 しかし痛覚を持たない相手は直ぐに態勢を整え、巨体に似合わない素早さで突っ込んでくる。
「弱点は喉」
 彼は一気に喉を掻き切りに掛かった。
 だがそんな彼の後方にも敵の手が伸びる。
 チラリと見やった先に居るのは屍人となった僧兵だ。
「多少の怪我は致し方なし、か」
 深く地を踏んだ足が動く時を見極める。
 そして――
「将門殿!」
 嘉栄の悲鳴に近い声に、結と佐大夫の目が飛んだ。
 その目に入ってきたのは、自らの腕を盾にモドキの爪を受ける姿。そして手にした刃は後方から襲い来る僧兵の胸を突き刺していた。
 その絶妙な間合いは、モドキへの攻撃も可能にしていた。
「僧兵の鉾がモドキの喉を‥‥――危ない!」
 僧兵が振るった鉾は、将門ではなくモドキの喉を切り裂いていた。
 それは敵の動きを止めるには十分な力で、双方が崩れ落ちる。しかし彼の刃は未だ僧兵の胸の中。
 身動き取れない彼の元に新たな攻撃の手が伸びれば逃れる術はない。
 だが、そんな彼を護るモノはあった。
「大丈夫ですか!」
 結が放った矢が敵の攻撃を遮り、同時に放たれた咆哮が注意を惹く。
 それを遠方から目にした卑骨鬼は、緩やかに扇を返し操る兵に指示を出した。
「敵が嘉栄さんに‥‥」
 これは考えられる事だった。
 鍵である嘉栄を手に入れられない卑骨鬼が、統括から奪い去るには彼女の命を断つしかない。
 そして今がその機会。
「想定内です――百地さん、嘉栄さんと共に引いて下さい」
 結はそう言い放ち、新たな矢を番えた。
「数が減りさえすれば、あとは大技を交えなくとも手は足りるでしょう‥‥」
 矢に纏う桜色の燐光が花弁のように彼女の視界を掠める。そうして捉えるのは、集まりつつある敵と、射程から退こうとする佐大夫と嘉栄の姿だ。
「――この一手に、賭けます!」
 2人の姿が射程から消えた。
 直後、桜の枝が急成長するように、桜色の燐光が颯爽と駆け抜ける。
 その光景は、老木の枝垂桜が満開に咲き誇るかのようで目にする者の目を圧巻する。
 夏の時期に咲き誇る桜は、枝を四方に伸ばして僧兵やモドキの弱点を次々突いてゆく。そしてそれらを目に、結は新たな矢を手にした。
 敵の数はこれでかなり減った。
 あとは確実に仕留めるのみ。
 佐大夫は再び地を蹴ると敵の間合いに踏み込んだ。
 その上で加える打撃は、弱点を的確に突くもので、その勢いのまま身を反転させると、迫る別の敵も討った。
「このまま行けば、後は――」
 卑骨鬼に向けた目。
 だがその目に飛び込んできたのは卑骨鬼の姿ではなく、別の敵の姿だった。
 佐大夫は咄嗟に後方に引き攻撃を避けたが、僅かに服が裂ける。
「チッ‥‥」
 ヒラリと舞う布、それを見た彼の足が後方の土を蹴った。
 そして一気に敵の喉を突くのだが、それが届く前に彼の前に風が吹いた。
「‥‥また、助けられたな」
「いえ、先程は私も助けて頂きましたので」
 彼女は敵に刺さる刃を抜き取ると、未だ卑骨鬼への行く手を阻む敵の壁に目を向ける。
「出来る事なら一矢報いたいところだがそう簡単に通しちゃくれねえみたいだな」
「卑骨鬼相手も辛いが左翼右翼も楽じゃない。それだけ此方も重要って事だ」
 将門は切れた腕の露を払い、改めて柄を握り締めると佐大夫たちと合流した。
 ここに来るまでに多少手古摺ったが、動けなくなる程の負傷ではない。それにこの程度の怪我は予想の範囲内だ。
「今は、卑骨鬼討伐に集中出来るよう、様子を見ながら敵を惹き止める」
「‥‥だな」
 見回せば、周囲に敵が集まってきている。
 それは咆哮の為した成果なのか、それとも卑骨鬼の為した事なのか。
 どちらにせよ、彼らにとってこの状況は危機的な物であると同時に好機な物でもあった。
「では、第2手――参りましょう!」
 結はそう言葉を放つと、自分たちを囲う壁に一矢を放ったのだった。

●卑骨鬼
 穂骨鬼までの距離は残り僅か。
 痕離と珠樹は早駆を使い一気に距離を詰めに掛かった。
 これに卑骨鬼の扇が掲げられる。
「――させない」
 襟巻の下に隠した唇を動かした後、珠樹は足を加速させた。
 しかし同時に卑骨鬼の扇が開かれる。
「遅い、遅いですよ!」
 途端に溢れてきた瘴気に珠樹の目が細められる。
 しかし彼女の足は止まらない。
 早駆を屈指して回避に掛かる。だが、霞のように宙に舞う瘴気を避けることは出来なかった。
 瘴気は勢いを衰えさせる事無く彼女に襲い掛かる。しかし、それが届ききる前に白塗りの杖が次なる策を講じた。
「効くかどうか、わかりませんが」
 杖を振るい雛が紡ぐのは解呪の法だ。
 瘴気を無効化できないかと試みる姿に、卑骨鬼が更なる瘴気を放つ。
 これに雛の顔に苦痛が浮かんだ。
「雛ちゃん、下がるんだ」
 氷は雛の腕を引いて下がらせると、紫色に発光する符を構えた。
 そうして紡ぎ出されたのは白い壁だ。
 完全に防げなくとも、直接当たる事は防げるかもしれない。そう思い紡いだ壁の向こうでは、仲間の闘う音が聞こえる。
「雛ちゃん頼むよ」
 氷は背に庇う彼女にそう声を掛けると、改めて符を構えた。
 それに合わせて雛も杖を握り締める。
 この間、珠樹は気力を振り絞って瘴気に耐えていた。
 そして――
「何!?」
 間合いに飛び込んで来た珠樹に、卑骨鬼が慌てたように扇を反す。
 しかし攻撃に転じる前に珠樹が動いた。
「いつもケタケタ笑っていたその口、閉じさせてあげる」
 突き入れた刃が卑骨鬼の顎を掠める。
 だが望む攻撃はそこではなかった。
 卑骨鬼の扇によって軌道を逸らされた腕に、強烈な打撃が見舞う。
「瘴気に耐えたことは称賛しましょう。ですが、まだまだですね」
 クツリ。
 嫌な笑いが耳を打つ。それに急ぎ身を引くが、そうするよりも早く彼女の体が飛んだ。
「――ッ」
 腹部に打ち付けられた扇に息が奪われる。
 そして同時に放たれた瘴気を彼女は気力で抑え込んだのだが、その代わりに受け身が取れなかった。
「珠樹殿!」
 強かに大地に叩き付けられる体に痕離が叫ぶ。だが攻撃の手を止めるのは駄目だ。
「ッ‥‥次は僕だ」
 珠樹のお陰で生じた僅かな隙を狙う。
 漆黒の八刃の手裏剣を打ち込み敵の扇を狙う。しかし、これも簡単に落とされてしまう。
 この程度の攻撃は意味がない。そう言われているようで焦るが、それこそ敵の思うつぼ。
「まだだよ」
 再び見舞った手裏剣、その間に蹴った足が卑骨鬼の間合いを取ろうとする。
 その時だ、不意に卑骨鬼の頭が動いた。
 後方を捉えるように動いた彼が見るのはモドキや僧兵を相手に動く嘉栄たちだ。
 その動きは、彼女たちに何かあったと知らせるものでもある。だが同時に卑骨鬼に接近する機会でもあるのだ。
「――行ける」
 痕離は再び大地を蹴ると、再度接近を試みた。
 それに卑骨鬼の顔が戻る。
「君の相手は僕らだろう?」
「!」
 完全に間合いに入り込まれた卑骨鬼の腕が動く。だが、痕離の動きの方が早かった。
「――‥‥目を逸らしてる暇はないよね」
 キラリと光った円錐状の短剣。それが卑骨鬼の手を貫く。
 これに、今まで彼の手にあった扇が落ちた。
 これで瘴気は放てない、そう思っていたのだが――
「がっ、ぁ‥‥ッ!」
 今まで扇でのみ応戦していた相手の足が彼女の鳩尾を突いた。
 息を奪われるように目を剥いた彼女。それに更なる打撃を加えようと迫る拳に、彼女の手が伸びる。
 だがそれが届く前に、卑骨鬼の動きが止まった。
 ヒラリと舞った僧衣に卑骨鬼の顔が動く。
「武闘派だったのでしょうか、それともそれが貴方の本来の力ですか?」
 想像以上の反射神経と力、例え扇がなくても闘う術を持つ敵に竣嶽が問う。
 だがそれに対する答えを彼女は望んでいない。
 冷静に状況を見据え、彼女の刃が鞘に納められる。
 それに合わせて卑骨鬼も我が身を反す。そして腕を振り上げると、卑骨鬼の腕が、竣嶽の刃が、同時に空を切った。
――ガッ。
 竣嶽の瞳が僅かに眇められる。
 白骨の手が鋭い刃となって彼女の頬を擦れ、黒く美しい髪を微かに裂く。
 だが与えられた攻撃はそれだけだった。
「私の方が、僅かに早かったようですね」
 囁き抜き去った刀。それが卑骨鬼の腹部を裂き、離れて行く。
 しかし卑骨鬼は倒れなかった。
 カラリと落ちた数本の骨。それが何処の物であるのかは分からないが、傷を負わせたのは確かだ。
 ならば幾分かは損害を与えた筈。
 だが卑骨鬼はカラリと笑って見せた。
「おやおや、この程度で勝ったおつもりですか? 闘いはこれからですよ」
「いえ、これで仕舞いです」
「何?」
 冷静に囁いた竣嶽に、卑骨鬼の顎が閉じられる。
 彼は何も映さない空洞の瞳を動かすと、その目に見えた存在に一歩退いた。
「今日こそは、逃がしません」
 穏やかな舞を舞う雛。
 彼女は杖を反し着々と術の詠唱を続ける。
 その前にいるのは同じく術を操る氷だ。
「扇‥‥扇は何処――‥‥!」
 発見した自らの武器。それに手を伸ばした瞬間、彼の目の前で扇が砕かれた。
 これに卑骨鬼の顔が上がる。
「あ、貴方たちは、何て事を‥‥許しません、許しませんよ!」
 カタカタと顎を揺らす彼。
 だが彼に対する時間はそう残されていなかった。
 雛はトンッと軽やかに地を蹴って着地すると、杖の先を氷に向けた。
「貴方の思い通りにはさせません」
「!」
「巫女さんじゃないけどな、ちゃんと黄泉に送ってやるぜ」
 氷はそう囁くと、符に宿した光と共に術を放った。
 ザワリとした感覚が周囲を包み、卑骨鬼が辺りを見回す。
 何が起きるのか、何が起きているのか、それを見定めようとするのだが、彼の目にそれは映らない。
「黄泉より這い出る者――一緒にあの世へ逝け」
 氷は訪れる術の存在に瞼を伏せた、そして――
「ヒッ‥‥ヒィィィイイ!!!」
 硝子を裂くような音が卑骨鬼の口から零れた。
 喉を掻き、もがき、その場に崩れ落ちる姿に誰もが目を奪われる。
 ガクガクと笑いを刻んでいた顎が外れ、手を象っていた骨が崩れる。
 もう卑骨鬼に闘う術はない。誰もがそう思っていたのだが、彼自身は違ったようだ。
「‥‥コノママデハ、コノママデハ、オワレナイ‥‥オワレナイ‥‥」
 声と呼ぶにはあまりに不明瞭な音が耳を打つ。
 卑骨鬼は崩壊を始める足で立つと、モドキと僧兵を地に還した嘉栄を捉えた。
「‥‥スベテノ、モノニ‥‥死、ヲ‥‥」
 もう殆どの形が残っていない。
 それでも伸ばした手が宙を虚しく掻き、塵のように崩れ落ちようとする卑骨鬼は、残る力を振り絞って全身から瘴気を溢れさせる――と、直後、彼の頭蓋骨が飛んだ。
 ゴロリと重い音をさせて転がったそれを、竣嶽は静かに見下ろした。
「これで終わりです」
 彼女はそう口にして刀を鞘に戻すと、塵のように瘴気に還る存在を静かに見つめた。

●結末、そして‥‥
「‥‥やっと、仕舞い‥‥かねぇ」
 痕離はそう呟き、煙管を咥えた口から支援を吐き出した。
 緩やかに天に昇る煙は実に穏やかな光景だ。
「卑骨鬼の敗因は統括や嘉栄に執着し過ぎたことだな‥‥まあ、奴の生まれを考えれば仕方ないが」
「やあ、将門殿。満身創痍の様子だけど、無事だったようだね」
 腕に刻まれた傷は深そうだが、致命傷に到る傷はなさそうな相手に、痕離はふと笑みを零す。
 将門はそんな言葉に口角を上げると、彼女が見上げていた空を見上げた。
「暫くあの手の硬い相手は御免だな」
 餓鬼モドキの硬さは鋼のようだった――と彼は言う。
 その声にカラリと笑うと、痕離はその目を将門に向けた。
「おやおや、此処までを戦い抜いたサムライが情けないことを言いなさる。あの程度のアヤカシならもう2、3戦いけるんじゃないかい?」
「連戦でなければもう少しはいけるだろうな」
「確かに、それは僕も同意だ」
 そう言って笑うと、2人は共に澄んだ空を見上げた。
 その上でふと思う。
「お2人はこれからどのような道を進むのか‥‥」
 口にして痕離の唇に笑みが乗る。
「――なんて、僕には見守る事しか出来ないけど、ね」
「そんなのは俺だって同じだ」
 嘉栄と統括がどうなるか。それは当人同士の問題だ。
 そう言葉を交わした所で、2人の耳にいっそ心地良いとさえ思える乾いた音が響いてきた。
「正義と信じ格好をつけるなら誤魔化し投げ出さず貫くべきですし、そうでないなら素直に謝るべきでしょう?」
 そう統括に向け言葉を放つのは結だ。
 彼女は右手を抑えながら叫ぶと、頬を抑えている統括を見据えた。
「1人で納得して嘉栄さんに後を任せるつもりだったようですが、勝手は困ります‥‥僕達も十分振り回されたのですから」
 そう言って眉を寄せた彼女の肩を、珠樹の手が触れるように叩く。
 結の気持ちはよくわかる。
 だがあとは嘉栄と統括の2人で解決する問題だ。
「平手打ち、スッとしたわ」
 珠樹はそう言って彼女の肩をもう一度叩く。
 その上で彼女は紅の瞳を変えに向けた。
「まぁ、これが悪いことのきっかけにならないことを祈るわ」
 願うことなら良い方向へ進んで欲しい。
 そう言外に告げる彼女の言葉に、嘉栄の唇に苦笑が滲む――と、そこに小さな手が伸びた。
 優しく包み込むように嘉栄の手を取り、そして統括の手を取った存在に2人の目が向かう。
「嘉栄さんと統括さんに仲直りして欲しいです」
「‥‥雛殿」
「統括さんが本人の言う様に、本当に冷徹な人なら、嘉栄さんは今ここには居ない筈です」
 本当に冷徹な人間ならば、嘉栄を贄にした時点で彼女の命は無かっただろう。だが嘉栄は生きている。
「赤ん坊を誰かが助けなければ、無事な筈ありません。そしてそれが出来たのは、統括さんしか居ません」
 小さな声で、それでもしっかりとした口調で紡がれた言葉に、嘉栄の目元が穏やかに細められた。
「‥‥そうですね。ありがとうございます、雛さん」
 そう言って柔らかな髪を撫でると、雛は小さく首を横に振って、彼女の手を握り返した。
「そうだぜ。想いを伝えるチャンスは何度も無いだろうし、後悔だけは無いようにとだけ」
 雛の声を聞き、佐大夫はそう言葉を添えて嘉栄と統括を見比べる。
「まあ、どっちも意地っ張りだからな‥‥時間は必要そうか」
 思わず口を吐いた苦笑。
 それを隠すように顔を逸らすと、氷の呟きが耳に入った。
「しかし、あんな朴念仁ぽい統括に奥さんが居たとは、そっちのが驚きだぜ‥‥」
「何?」
 これに逸早く反応したのは統括だ。
「いや、嘉栄ちゃんの母親ってどんな人だったんだろうな‥‥とかな?」
 冗談めかして言って見せる氷に、嘉栄の目が瞬かれた。
「確かに、私の母上とはどの様な方だったのでしょう‥‥統括の奥方にはお会いした事がないような‥‥」
「あ‥‥あー‥‥それは、だな‥‥」
 困ったように言葉を切った統括に嘉栄の首が傾げられる。
 ハッキリ言って怪しい。
 追及されたら困ることがあるのだろうか。そう思っていると、統括にとっての助け舟が入った。
「‥‥そういえば」
 不意に呟いたのは珠樹だ。
 その声に嘉栄の目が向く。
「嘉栄が嫁入りする時は『父上お世話になりました』な、涙のお約束が実現できるわけね」
「!」
「これは見物だわ」
 珍しく目元を笑ませて囁く彼女に、嘉栄は驚いて声も出ない。
 統括はと言えば、その時の場面を想像したのか、僅かに眉を寄せたのだが、突如その顔が驚愕に変わった。
「な、な‥‥何をしているんだ!」
 ほぼ怒鳴り声に近い声を上げた統括に、嘉栄の背に腕を回して労いを向けていた佐大夫の目が向かう。
 彼は嘉栄の手に何かを握らせると、スッとその場を離れた。
「いや、嘉栄は1人じゃないってことを言ってただけだって。ほら、何時も俺たちがいるって――え、おい!?」
「問答無用!」
 目の前に突き付けられた刃に、佐大夫の足が下がる。そうして態勢を整えると、彼は統括から完全に距離をとった。
「何を貰ったの?」
 珠樹の問いに嘉栄は素直に手を開いて見せる。そこにあるのは深紅のお守りだ。
 彼女はそれを見詰め、静かにその手を閉じた。
「ん、そうだ。すぐには難しいかも知んないけどさ、慰霊碑みたいなのって、立ててやれないかね?」
 統括は取込み中。
 ならば嘉栄に言っておけば大丈夫だろう。
 氷は嘉栄に声を掛けると、卑骨鬼が崩れ去った場所に目を向けた。
「いつか、『餓鬼』山が、そう呼ばれなくなった時にでもさ」
 頼むよ。そう言葉を残し、彼は眠そうに欠伸を零した。

 その頃、皆の元を逸早く離れた竣嶽は、一輪の花を手に餓鬼山の麓に来ていた。
「月宵様にはもうお声かけする必要もないでしょう」
 卑骨鬼と闘う前に目にした、迷いを断ち切ったらしい姿。それを思い返せば言うことは何もない。
 竣嶽は手の中の花に目を落すと、参道入り口にその花を添え――そして静かに瞼を伏せた。
「時を隔て過ぎているかもしれませんけど‥‥」
 無念の内に亡くなった僧兵。
 彼らが安らかに眠れる日が今この時より訪れる様願いを込め、彼女は静かに手を合わせると、この場を立ち去った。