黒の罠、散った心
マスター名:朝臣 あむ
シナリオ形態: シリーズ
EX :危険
難易度: 難しい
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2010/11/03 21:28



■オープニング本文

前回のリプレイを見る


●北面・楼港
 北面の飛び地、五行の東北部に存在する軍事都市――楼港。
 そこを覆面で顔を覆った人物が訪れたのは、半日ほど前の事。
 出迎えに訪れた同じく覆面の男を前に、彼は僅かな言葉で報告を告げる。
「龍のお陰で時間稼ぎが出来た。そちらの動向は如何だ」
「‥‥滞りなく。時期に決着はつくかと」
 聞こえる言葉に頷きを返し、男は城塞の様な都市の隣、楼閣街を見やる。
「では、そちらは任せる。私は例の場所へ先に――良いか、情けは無用。これは北條の意思だ」
 静かに告げられる声に、言葉を受けた人物が頷く。
 それを受け、男は楼港の街並みに向け姿を消した。
 残された人物は、男の消えた方角を見据え暫し何かを考え込む。そうして踵を返すと、森の中に姿を消して行った。

●北面・楼港郊外
 鬱蒼と茂る森の中、人目を忍んで楼港を目指す一行がいた。
 彼らは針の山を越えた後、龍と別れ再び徒歩で楼港を目指した。
 そしてあと少しで目的地に到着する。
 そんな場所まで来ている。
「今日中には楼港に着きそうだな。着けば、俺らはお役御免か」
 感慨深げに言葉を紡ぐ志摩に、黄は僅かに肩を竦めて腕を組む。
「まだ終わった訳じゃない。もう少し緊張感を持ったらどうなんだよ」
 ぶっきらぼうに放たれる言葉。
 それに志摩は苦笑するが反論はしない。
 ハグレ龍の一件以降、黄は微かに落ち込んだ様子を見せていた。
 しかし今は、普通に振舞うことが出来ている。
 その内心は知る由もないが、後を引かれてずっと落ち込まれているよりはマシだ。
 だからこそ、彼女らしい言葉が出てくるのは歓迎すれど、迷惑とは思わない。
 そうして足を勧める中で、ふと志摩の目が黄に向いた。
 気になることを思い出したのだ。
「そう言やぁ、お前さん‥‥以前は兄貴が楼港にいるって言ってなかったか」
 突然の問いに、黄の目が瞬かれる。
「いやな‥‥この前は友人が待ってる、って言ってただろ。だから気になってな」
 確かに、黄は初めの頃、楼港には兄がいると言っていた。
 だが先日、龍との一件以降、楼港には兄の友人がいると言う。
 どちらも兄が関係しているが、本人か本人でないのかは、重要な事項だ。
「ただの間違いなのか。それとも、何かを隠してやがるのか‥‥まあ、どちらにせよ任務は続行するが。実際にはどっちなんだろうな」
 伺うように向けられた視線に、彼女の目が落ちた。
 僅かに言い辛そうに口を噤んで目を逸らす。
「‥‥待ってるのは、紅兄さんの友人だ。上手くいけば、兄さんもいるかもしれない‥‥でも、いないかもしれない」
 正しい情報は後者――兄の友人が楼港にいる。
「ンじゃあ、何で兄貴がいるなんて言った。俺らを騙すためって訳じゃねえだろ?」
「それは‥‥」
 弾かれたように顔を上げて言い淀む姿に、志摩の口から長い息が漏れた。
 そして彼女の髪をクシャリと撫でる。
「友人が待ってる、ってんじゃ‥‥行ってくれないとでも思ったか。ンなことあるわけねえだろ。一度引き受けた依頼は何としてもこなす。コイツらだってそうだろうよ」
 そう言いながら、同行する開拓者たちを振り返る。
 その仕草に、黄は申し訳なさそうに皆に向けて頭を下げた。
「まあ、何にしてもその友人ってのと合流すりゃあ、話は解決に向かうんだな。だとしたらサッサと中に――」
 流暢に喋っていた志摩の口が、突然閉ざされた。
 そして足を止めると、黄の腕をとって後方に引き寄せる。
 その目は真剣そのものだ。
「‥‥志摩?」
 突然の行動に、黄の首が傾げられる。
「ヤバい状況だぜ、コイツは‥‥」
 苦笑しながら太刀に手を伸ばす彼に目を瞬きながら、黄の目が周囲に向いた。
 その瞬間、彼女の目が見開かれる。
「っ、これは‥‥」
 森の中に潜む黒い影。
 黒装束に身を包む無数の人が、一行を囲むように存在する。
 その数はザッと見ただけでも10は居るだろうか。
「綺麗に包囲されてるぜ。完全に油断したな」
 目的地を目前にして気を抜いたからだろうか。
 それとも、相手が用意周到だったと言うことなのか。
 どちらにせよ、今まで数名の追手が差向けられる事はあっても、これだけの数が大々的に訪れることはなかった。
 それだけに驚きは大きい。
「黄、お前さんだけは護るが、万が一ってこともある。その時には街道に出て楼港に入れ。街の仲に入りゃあ、ちっとは安全だろうからな」
 そう言いながら、志摩は太刀を抜き取った。
 その姿に黄も苦無を抜くが、足が竦んで動く事が出来ない。
 ヒシヒシと感じる自身への殺気。
 今までとは比べ物にならない程の殺意を前に、黄は改めて恐怖心というものを感じていた。


■参加者一覧
高倉八十八彦(ia0927
13歳・男・志
秋桜(ia2482
17歳・女・シ
千見寺 葎(ia5851
20歳・女・シ
千羽夜(ia7831
17歳・女・シ
不破 颯(ib0495
25歳・男・弓
鹿角 結(ib3119
24歳・女・弓
言ノ葉 薺(ib3225
10歳・男・志
リリア・ローラント(ib3628
17歳・女・魔


■リプレイ本文

 木々の間から見え隠れする黒い存在。
 それらを前に、開拓者たちは護るべき存在――黄の周囲を固める。
 耳に届くのは風が揺らす葉の音。
 人の声は届かず、鳥や動物達の声も響かない。
 この場に渦巻く殺気に怯えて、生きる物は息を潜めているとしか思えないほど、ここは静かだった。
「油断がありましたか。ようやく宿場町で一杯飲めると思いましたのに‥‥」
 秋桜(ia2482)はそう口にして紫の瞳を周囲に向けた。
 彼女の手に握られるのは忍刀「蝮」、鞘に納められた美しい刀身は、今か今かと外に出る瞬間を待ちわびている。
 それを焦らすように息を詰めると、彼女の口からとある声が漏れた。
「遠路はるばる大所帯で、ご苦労な事ですなぁ。余程暇なのでしょう‥‥」
 声を上げて告げるのは皮肉だ。
 辺りに潜む者へ聞こえるように放った声に、誰1人乗ってくる者はいない。
「まあ、当然でしょうな」
 秋桜はそう呟くと、小さく肩を竦めた。
 そこに不破 颯(ib0495)の声が響く。
「うは〜、ウジャウジャいるねぇ。まあ予め行くとこが分かっていればこうなるかぁ」
 普段と変わらぬ飄々とした声は、彼独特の話方だ。
 口元に浮かべた笑みは、今の状況を理解していないのではないかと思えるほど、楽天的に見える。
 しかしよく見れば、目だけは笑みを浮かべていない。
 いつでも行動に移せるよう手にされた弓「緋凰」も、彼の表情と行動が、決して同じではないと語っている。
「目的地が知れている以上、そこが近づけば警戒が厳になるのは当たり前といえば当たり前のことですが‥‥」
「目的地の目前に罠を張るのは常套手段ですが‥‥見事に相手の術中に嵌ってしまいましたね」
 前方で様子を伺う鹿角 結(ib3119)に、言ノ葉 薺(ib3225)が苦笑して呟く。
 その声に結いの目が向かうと、薺は澄んだ緑の瞳を向けそこを緩めてみせた。
 それを目にして彼女の青の瞳も一時だが優しい色を浮かべる。
「裏を返せば、あちらももう後はないからこその動きだと思いましょう」
 結の涼やかな声に、褐色の毛に覆われた薺の耳が揺れる。
 そして彼の首が縦に動くと、発せられる言葉を逃さず聞こうと、狐の耳がピクリと揺れた。
「そうですね、今はここを切り抜けることから考えましょうか」
 穏やかだが意思の籠る声に、結の首も縦に動く。
 そうして自らの武器に手を掛けると、先ほどまで浮かべていた優しげな表情を伏せ、闘いに挑む者へと表情を変えた。
 そんな彼らの直ぐ傍では、黄の後ろに立ち警戒に当たる千羽夜(ia7831)がいた。
 この場に足を踏み入れてから発動した、超越聴覚。
 そのお陰で入ってくる音は、彼女にとって好ましくないモノばかりだ。
 しかも今は音だけではなく、肌にまで嫌な感覚が纏わりついている。
「‥‥すごい殺気ね」
 思わず呟いた声に、目の前の黄の肩が揺れた。
 それを見止めた千羽夜の目が一度自らの手に落ちる。
 そして直ぐにそれを上げると、彼女の肩を優しく叩いた。
「すごい殺気‥‥でも、負ける気はないわよ」
 励ますよう掛けられた声に、黄が振り返る。
 その顔は不安に駆られているが、完全に怯えているものでもない。
 そのことに少し微笑むと、千見寺 葎(ia5851)も声を掛けて来た。
「微力なれど、臆は無し‥‥黄さん。こうした時の為に、僕達がいます」
 静かに、けれど確かな口調で告げられる言葉に、黄の目が瞬かれる。
「黄さんを護るために僕達がいます。そして――」
 葎は一度言葉を切ると、視界端にシノビの姿を捉えた。
「――そしてこれは、掟と謀が成したこと。間違えては、いけませんよ」
 黄には葎が何を言いたいのか、何を伝えたいのか、その詳しい心までは掴めなかった。
 しかし、彼女が黄の心を軽くしようとしている事はわかる。
 葎も出身は違えど同じシノビ、彼女なりにも思う事、そして伝えたい事があるのだろう。
 その心が伝わるからこそ、黄は手にした苦無を握り締めて頷いた。
 だが、迷いが完全に消えたわけではない。
 何せ彼女がこれから相手にするのは、今まで共に過ごしてきた者達なのだ。
「自分のせいで、皆が傷つく。北條の仲間も傷つく‥‥なんて、ぐるぐる考えるのは‥‥後、ですよ」
 まるで心を見透かしたかのような声に、黄の目が向かう。
 そこにいたのはリリア・ローラント(ib3628)だ。
 先の龍との一戦の時、彼女の強さを見た気がした。
 そして今も、迷うことなく砂流無の杖を手に戦おうとする彼女の強さを目にしている。
「‥‥あれが、開拓者なんだろうか」
 ポツリと呟き、黄の目が苦無に落ちた。
「まあ、なんにしてもここを抜けなきゃなんねえんだ。考えるのは二の次でも良いだろ」
 黄の頭を撫で、志摩はそう言うと皆を見た。
「さて、あちらさんもいつまでも待っちゃくれねえだろ」
 森の中に潜むシノビは、徐々に距離を詰めて来ている。
 それは誰の目に明らかであり、時間がないのは確かだ。
「忍びの包囲陣から、脱出ゆうて大変じゃのう。お侍の包囲なら、囲み破れば逃げれるけど」
 呟き、高倉八十八彦(ia0927)は、霊杖「白」を振るった。
 今までは同行者全員に掛けていた加護結界。
 それを今回は黄と自分だけに絞る。
 これからの闘いを見据えれば、練力の消費は少ないに越した事はない。
「そうですな。兎にも角にも、包囲を突破せぬ事にはお話になりません」
 言って、秋桜はここを抜ける為の陣形を口にした。
「なるほど、一気に突破できるような形を取るか」
 志摩は僅かに思案気に口にすると、チラリと黄を捉えた。
 開拓者たちの提示したのは、突破型陣形で黄を守りながら進軍する方法。万が一、戦況が厳しくなった場合は防御型陣形で耐えると言うものだ。
「着いてこれるか?」
 そう、問題は黄が彼らの動きに着いてこれるかということだ。
 彼女もシノビになるべく修行を積んだ身。
 故に簡単に置いて行かれる事はないだろう。
 しかし、この殺気の中で臆さず進めるのかと問われると、すんなり頷く事は出来なかった。
 そんな彼女にリリアが声を掛けた。
「攻撃を、彼岸さんに近づけないように動くつもりです‥‥それでも、全ての攻撃から守れるかどうかは、わからない、から‥‥」
 本来なら「必ず護る」、そう言うべきなのだろう。
 しかしリリアは、敢えて違う言葉を口にした。
「‥‥急所だけは、御自分で、守れますね?」
 問うように見つめる瞳は、黄の「はい」という返事を待っている。
 その瞳に伺えるのは意思の強さだ。
 きっと彼女は、いざとなれば自分の身を盾にしてでも黄を護るだろう。
 それでもそう口にしたのは、黄に護られるだけの負担を強いらない為。
「‥‥彼岸さん」
 リリアの声に、黄は苦無を握り締めると、コクリと力強く頷いた。
 それを見届け、志摩が千羽夜に問う。
「んで、俺はどうすりゃいい?」
「軍事さんには黄ちゃんの護衛後方をお願いしたいけど」
「ああ、構わねえ。やるべき事は変わらねえからな」
 ニッと笑って頷く志摩に、千羽夜が僅かに微笑む――と、そこに秋桜が声を掛けて来た。
「志摩殿には負担をかけてしまいそうですね。まぁ、男の甲斐性という事で‥‥」
「あん?」
 意味深に言葉を切る秋桜に、志摩の眉が上がる。
「身を投げ出して庇う。流石、漢の鏡ですな。名誉の傷となりましょうぞ」
 ニコニコと発せられる言葉に、志摩の口元が引き攣った。
 前にも似たようなやり取りをした事がある。
「てめぇは、相変わらずだな。だがまあ、そのつもりだ。女は守ってなんぼだからなあ」
「それを聞き安心しましたぞ」
 秋桜はそう零すと、クスリと笑って前を向いた。
 こうして皆がこれからの激戦を思い、言葉を紡ぐ。
 意識は既に戦場の中。
 万が一の事も想定できるだけに、楽観視はできない。
「油断は一切なしじゃ。移動しても追い付いてくるじゃろうし、先に罠があったりとかありそうじゃけえね」
 八十八彦はそう言うと杖を構える。
 近くでは颯が矢を弓に番え、一戦の時を見極めるように目を眇めた。
「さあて、頑張ってこの場を抜けようかあ」
 準備は出来ている、心も体も問題ない。
 皆が目配せをして頷いた時、結が口を切った。
「突破します‥‥!」

●包囲網を突破せよ!
 西日が射し、森の中が暗くなる。
 そんな中、殺気を露わにする者たちを前に、開拓者は動いた。
 中央に身を置く黄は、手にした苦無を握りしめる。
 そして前衛で先陣を切り走りだした結は、戦弓「夏侯妙才」に矢を番え前方を見据えた。
「前回の龍の一件、わざわざあんなことまでして時間稼ぎと情報収集をした以上、今更腰を据えて戦って退けられるような戦力をここには置いていないでしょう、ね!」
 言葉と共に射った矢が、草木に潜むシノビを撃つ。
 それに合わせて他の者たちも動いた。
 地を蹴り、包囲する者を突破しようと駆ける。
 それに合わせ敵方も、抜けようとする者たちを容易に通すまいと動きだす。
 その距離はほぼ一定。
 まるで測っているのではないかと思うほどに正確に、着かず離れずの距離を保つ。
「陽が落ちますね。視界を強化しておきましょう」
 葎はそう口にし、刀「夜宵姫」を構えたまま瞳を眇める。
 そうすることで闇に辺りが変じても良いように対策を取った。
 そこに幾つかの苦無が飛んでくる。
 遠巻きに、決して近付くことなく、武器だけを飛ばす攻撃に、結の矢と、葎の刃がそれを叩き落とす。
「このままでは、いつまでも包囲を抜けだせません」
 幾ら矢を射ろうと近付いてこない相手に結の焦りを覗かせた声が響く。
 それは同じ前衛を務める葎も覚える感情だった。
 このまま平行線に走り続けるだけでは、確実にこちらの体力が消耗してしまう。
 かと言って、陣を離れ1人斬り込んで行くにはあまりにも危険だ。
「ここは焦らず、じっくりと――」
 そう葎が口にした時だ。
「千羽夜、八十八彦、秋桜、リリア、てめぇらは黄に着け。颯は可能な限り援護だ!」
 陣の後ろから響く声に、結と葎の目が向かう。
 そこにいたのは志摩だ。
 剥き出しの太刀を手に黄の頭をひと撫でして、その場を離れて行く。
「軍事さん、何処へ!?」
「このままじゃキリがねえからな。ちと奴らの連携を乱れさせて貰う」
 千羽夜の問いに答え、志摩は素早く前衛の前に駆け出た。
 その突然の行動に、葎や結はおろか、シノビ達も驚きを見せ警戒を浮かべる。
 そして彼らが迎撃のために武器を構えた瞬間、陣形より前に出た志摩の太刀が重い空を放った。
 メキメキと草木を割りシノビに襲いかかる真空。それらがシノビを薙ぎ払うがこれだけでは足りない。
 すぐさま体制を整え迎撃に移ろうとするそこに、彼は斬り込んで行った。
「――なんて無茶!」
 後方から志摩の動きを追っていた颯は、そう口にして弓を構えると、彼に迫るシノビを射った。
 不意を突かれた形のシノビは、急ぎ間合いを測ろうとするが、風を放つ太刀からは逃れられない。
 ほんの僅かの時間だった。
 それだけで仲間が膝を折った。
 その事に、殺気だけを覗かせていた敵の中に動揺が走る。
 そしてその動揺は、すぐさま行動として現れた。
「‥‥来る」
 リリアの静かな声に合わせ、黒尽くめの男が飛び出してきたのだ。
「‥‥北條の、‥‥あなた達のルールなんて、知らない。どうでもいい」
 リリアはそう口にすると、美しい杖の先端を敵に向けた。
 その直後、氷の渦が敵の視界を襲う。
「今です!」
 出来た隙にリリアが叫ぶ。
 その声に苦無を叩き落とした結が頷いた。
「葎さん!」
「今度こそ、抜けます!」
 頷き、葎の足が結と共に地を蹴った。
 出来た隙を生めるように動くシノビに、炎を纏う矢が迫る。
「道は塞がせませんよ!」
 結はそう言い、新たな矢を番える。
 そこに矢を遮ろうと別のシノビが迫るのだが、そこに葎が入った。
「‥‥逃がしません」
 敵の間合いに入り、相手の足の間に自らの足を差し込み引っかけると、密着する形で刀を持ち替えた。
 そうして太腿の筋に刃を突き立てると、迷いなくそれを沈める。
――‥‥ッ。
 呻くように上がった悲鳴。
 それを耳にしても彼女の表情は変わらなかった。
 それどころか油断なく相手を見据え、次の行動が取れないよう武器を持つ肩を裂く。
 そこまでして離れると、敵は地に足を着いて崩れ落ちた。
「これで1人‥‥ッ!」
「葎さん、危ない!」
 結の声に顔をあげた瞬間目に入った刃。
 それを己の腕を上げて遮ると、鮮血が散った。
 しかし、怯む必要などない。
「っ、邪魔です」
 葎は静かに口にすると、腕を汚す血を払うように腕を動かした。
 それに合わせて飛んだ飛沫が相手の目に入る。
「――」
 目を押さえ呻く相手に、柄頭に掌を添えて刃を落とすと、また1人地に崩れ落ちた。

 一方、黄の傍では、志摩が抜けた事で薄くなった護りを固める秋桜が、呆れたように息を吐いた。
「志摩殿には後ほどたっぷり灸を据えねばなりませんな」
 距離を保ち攻撃を続けるだけでは駄目だと判断したのだろう。
 今まで遠くから武器を放つだけだった者たちが襲いかかってくる。
 秋桜はそれを、手裏剣「鶴」を放ち迎え撃った。
 鶴のような鳴き声をあげて風を斬る刃が、向かい来る敵の腕を貫く。
 その事で小刀が地面に落ちるが、武器を落としてもシノビは引かなかった。
 駆ける足をそのままに一気に黄を目指す。
「見上げた忠誠心です」
 シノビは新たな武器を取る為に懐に手を忍ばせた。
 それが僅かな隙を生んだ。
――ヒュッ。
 一閃が走り、目の前を鮮血が塞ぐ。
 これに黄が息を呑むが、秋桜は気にしない。
「手を掴まれるリスクを避けるためです」
 そう言葉を残し、喉を裂かれ、倒れる敵を置き捨てた。
 そうしなければ前には進めない、そしてそうしなければ黄を護ることは出来ないのだ。
「師曰く、どのような状況下でも弓でもって敵を打ち倒すからこそ弓術らしいよぉ?」
 颯はそう口にして、近付く敵の足を射ぬく。
 その大半は上手くいかないまでも、向かい来る足をゆるめる効果はある。
「さあて、どんどん行こうか」
 相手に矢を射ぬく時を見せずに矢を放つと、そこに影が飛び込んできた。
「だめじゃ!」
 八十八彦の声に、颯の足が動いた。
 それと同時に、近くにいたリリアも動く。
――‥‥ッ!
 同時に響いた呻く声に、黄の目が見開かれた。
 自身に覆い被さるよう抱きつくリリアと、背を護るように立ち塞がる颯。
 その前にいるのは黒尽くめの男で、彼らの手には、それぞれ小太刀が握られている。
「‥‥颯‥‥リリア‥‥ッ!」
 悲痛な叫びに皆の足が止まった。
 その目に飛び込んできたのは、黄を背に庇い腕に小太刀を受け止める颯と、黄を抱き締め背で小太刀を受け止めるリリアの姿だ。
「リリアちゃん! 颯さん!!」
 自らの前を塞いだシノビの喉を掻き切り、千羽夜が急ぎリリアを襲うシノビに接近する。
 そうして刀「乞食清光」で攻撃を加えると、相手はすんなりその場を引いた。
 だがただ避けるだけではない。
 リリアから小太刀を抜き、後方に飛んだ勢いでそれを投げて寄こそうとする。
 だが、千羽夜も負けていなかった。
「殿は‥‥背中は任せて――そう、言ったのに」
 ギュッと唇を噛みしめ、飛苦無を連続して放つ。
 それが小太刀を投げようとした相手の手を撃った。
――カランッ。
 地に落ちた刃に、シノビの目が眇められる。
 そして新たに懐から投擲用の武器を取ろうとした所を、彼女の刀が薙いだ。
「‥‥戸惑って失うなんて絶対に嫌」
 悔しげに口にして、急所を突く。
 人を殺めることに迷いがない訳ではない。だが護るために振るう刃ならば、迷っている暇はないのだ。
 千羽夜は崩れ落ちるシノビを見つめ、そっと目を離した。
 そこに志摩が戻ってくる。
「すまねえ、もう少し早く戻って来れりゃあ良かったんだが」
 そう言いながらリリアに駆け寄る。
 その傍らでは、颯が自らを刺す刃をそのまま、シノビの手を掴んでいた。
「血迷ったか」
 低い声が耳を打つ。
 その声には若干の焦りが浮かんでおり、攻撃を受けた颯より、攻撃を仕掛けた本人が動揺している事が伺える。
「ただ受けるだけっては性に合わなくてねえ」
 痛みがない訳ではないが、ここでそれを出す訳にはいかない。
 颯はニッと口角を上げて見せると、掴んだ手に力を籠めた。
 これには相手も驚いたように身を引こうとするが、逃げる事ができない。
 そしてそれを証明するように、敵の口から声なき悲鳴が上がった。
「――逃がしません」
 鼓膜を打つ声に、見開かれたシノビの目が向かう。
 そこにいたのは薺だ。
 薙刀「巴御前」の宝珠が妖しく光る。
 その先端はシノビの胴を貫き、鮮血を地面に滴らせていた。
「申し訳ありません、私が抜けさせさえしなければ」
 そう言いながら刃を抜き取る。
 そのことで敵が崩れ落ちると、颯は自ら小太刀を抜きそれを地面に放った。
「これだけの数がいるんだし、怪我をしない方が不思議でしょう」
 飄々と言ってのける相手に薺は目を伏せその言葉に応える。
 確かに、ここまでの攻防で皆が多かれ少なかれ攻撃を受けて来た。
 颯の傷もその内の一つと言っても良い。
 だが、今の傷は明らかに軽傷とは言い難いだろう。
 しかし薺は、その事に触れずに目を伏せると、1つ息を吐き周囲に目を向けた。
 心眼で探ればわかる。
 敵の数は未だ半分以上残り、不利な状況なのは変わらない。
 それでも包囲が薄くなっているのは確かだ。
「とにかく、走りましょう。今はそれしか方法がありません‥‥リリアさんは大丈夫ですか?」
 颯は大丈夫そうだが、背に刃を受けたリリアは如何だろう。
「傷は塞いだから問題ないじゃろうが、毒が心配じゃのう」
 全体に閃癒を使い、続いて解毒を施す八十八彦に、薺の眉が潜められる。
「毒、ですか‥‥?」
「手を出さずに、最後に油断した処を毒刃で狙う専門が1、2名いてもおかしくないじゃろう?」
 然して驚く事ではない。
 そんな風に言葉を発する八十八彦は更に言う。
「一切の手出しを禁じられて、逃走先・援助者などの監視・報告役が1人おると思う。それを考えると、やっかいじゃね」
 それでもここを抜けなければいけないのは確実だ。
 薺はその言葉に頷きを返すと、前を見た。
 前方では道を塞がれない様に、結と葎が敵を退けている。
「彼女たちもいつまでもつかわかりません。行けますか?」
 静かな問いにリリアはコクリと頷いた。
 その目に映るのは、足元に倒れたシノビの姿。
「‥‥なんで、彼岸さんや‥‥あのコ達を、巻き込むの。決まりだから‥‥? いのちって‥‥そんな単語で括って良いほど‥‥安いものじゃない」
 泣いている場合ではない。
 それはわかっているが、僅かに体を侵した毒のせいだろうか。弱音が口を吐く。
「無理すんじゃねぇ。少しだけ休んでろ」
 志摩は今にも泣きそうなリリアの髪をクシャリと撫でると、太刀を片手に彼女を背負った。
 その姿に黄が何かを口にしようとするが、それも彼の手が遮る。
「俺が単独で動いた結果だ。気にするな」
 黄の頭を撫で太刀を握り直した彼が前方を捉えるのとほぼ同時だった。
「この先、街道があります!」
 結の声に皆が顔を見合わせる。
「街道に出れば楼港の警備の者に事態を知らせられますな」
 秋桜の言葉に、黄が弾かれたように口を開いた。
「でもそれで関係のない人を巻き込む訳には‥‥!」
「楼港の警備の者、全てを相手にするほど北條のシノビも馬鹿ではありますまい」
 一時でもここを抜ける算段があるのなら、それに縋るのは間違いじゃない。
 そしてそれが他人を巻き込むことになっても‥‥。
 秋桜の言葉は間違っていない。
 それに他に方法がないのだ。
 黄は眉間に皺を刻むとその目を外した。
「わかったよ‥‥行こう。街道に出よう‥‥」
 その言葉に、一行は再び武器を手に駆けだした。
 その途中でも、シノビ達は黄を如何にかしようと攻撃を加えてくる。
 それを防ぎながら、そして襲い来るシノビを内払いながら彼らは森を駆けた。
 そして――。
「抜けた!」
 葎の声に全員が街道に出た。
 そして一気に後ろを振り返る。
 もし追ってくるようなら、声を上げれば良い。
 そう思い覚悟を決めたのだが、その目に飛び込んできたのは、静まり返った森だった。
「‥‥誰も、いません」
 再び心眼を使用した薺が呟き、目を瞬く。
 何が起きたのだろうか。
 ただ確実にわかっていることは、彼らを追う者が誰もいなくなっている――その事だけだった。

●散った心
 楼港に足を踏み入れた一行は、不夜城内にある古い楼に来ていた。
 黄の目的の場所であり、彼女の兄の友人がいる場所。
 開拓者たちはこの場に来ても、周囲の警戒を怠らなかった。
 その為、部屋に入る時にも黄を背に控えさせ、襖を開いたのだが‥‥。
「これは‥‥」
 結の息を呑む声に、全員が同じように息を呑む。
 畳開きの広い部屋。
 その中央に佇む黒装束の男、その足元には畳に赤の染みを広げ続ける人物が横たわっている。
「‥‥、輝さん‥‥」
 黄の口から洩れたその声で、倒れている人物が――輝――という名前だとわかる。
「読みが甘かったようじゃね」
 八十八彦の声に秋桜が頷きながら黄を背に庇う。
「貴方が差向けられた刺客ですかな?」
 見るからに今までの人物とは違う雰囲気を纏う相手に警戒が強まる。
 じっと見据え、相手の風貌や背丈を目に焼き付ける。
「大丈夫。‥‥私達が、傍に、いますから」
 ピクリとも動かない兄の友人を見つめる黄の肩を、リリアがそっと抱き締めた。
 その事で勇気を取り戻したのだろう。
 黄はリリアの手に自らの手を重ねると、口を開いた。
「アンタは北條のシノビなのか? ならその人とだって面識があっただろ! 何で――」
「掟だから」
 葎の小さな呟きに、黄の目が動いた。
――掟だから。
 その言葉が縛りつける物は多い。
 そしてその言葉の重さを、彼女自身も良く知っている。
「でも‥‥だからって‥‥」
 道中で失って来たモノを思うと居た堪れなくなる。
 ハグレの龍、同じ北條出身のシノビ――確かにどちらにも命の危険に晒された。
 だからこそ開拓者たちは闘い、黄を守ってくれた。
 その事には感謝している。だが、あまりに多くが亡くなりすぎた。
 そして今、目の前で兄の友人も亡くなろうとしている。
「‥‥ボクが死ねば‥‥全て、解決するのか?」
「黄さん!」
「だってそうじゃないか! ボクが逃げるから、その為にいろんな人が――ッ!」
 室内に乾いた音が響いた。
「‥‥八十八彦?」
 黄の乾いた声に、音の一端を担った八十八彦が、痺れる手を押さえて彼女を睨みつけた。
「生きるんじゃろ。その為にわしらを雇ったんじゃろ!」
 怒鳴る声に黄の身が竦む。
「私の任は黄殿をお守する事。このような場所で放棄するわけにはいきませぬ」
 言外に、死ぬ事は許さない。
 そう言葉に告げて、秋桜は目の前の男を見た。
「龍の件の御礼もありますからね‥‥」
 底冷えしそうな目で見据える秋桜に、黒い瞳が細められる。
「――随分と弱くなったものだ。北條でも屈指のシノビであった兄とは違い、妹は腑抜けと見える。だがまあ、逃げても無駄だ。お前が逃げれば、兄にも危険が近付く。そう、この男の様にな」
 小太刀に付いた血を払い告げられる声に、黄の眉が上がった。
「その声‥‥いや、でも‥‥」
 先ほどの恐怖からの声ではない。
 戸惑うような、伺う声に皆の目が瞬かれる。
「どうしたんだい?」
 颯はそう問いかけると、彼女の顔を覗き込んだ。
「今の声‥‥輝さん? でも‥‥輝さんは‥‥そこに」
 倒れる人物と覆面の人物。
 双方を見比べる黄に、喉を引く笑いが響く。
「ほう、声を変えてもわかるのか。耳は縁に似て鋭いか」
 先ほどまでは掠れていた声が、不意に若い精錬とした声に変わる。
 それを耳にして黄は息を呑んだ。
「何で、輝さんが‥‥輝さんと兄さんは、同期で、仲だって! それに、その人は――」
「北條の掟は絶対だ。ここでその命、散らさせて貰うぞ」
 言うが早いか、輝は畳を蹴ると黄の前に出た。
 そして迷うことなく小太刀を振るう。
――ガンッ。
「‥‥開拓者か」
 傷だらけの体で前に出た千羽夜が、苦無で小太刀を受け止めている。
「掟って‥‥大切な人の心や命より重いの?」
 ギリギリと詰められる間合い。
 押す力に千羽夜の眉が寄せられる。
「心があるからこそ、此度の事があるのだよッ!」
「きゃぁ!」
 弾かれた苦無が後方に飛び、彼女の体が飛んだ。
 しかしそれを薺が受け止めると、結の弓が輝を捉えた。
 しかし――
「ぅ、っ‥‥」
 間髪入れずに放たれた苦無が、彼女の肩を刺す。
「結さん!」
 急ぎ結と輝の間に入った薺は、薙刀で相手の懐を薙ごうとした。
 だが輝は、それを容易に飛び退けてしまう。
 そこに新たな矢が迫る。
「ちょこまかと鼠みたいだねぇ」
 口では笑い、目には冷たい色を浮かべた颯が次の矢を番える。
「開拓者、実に邪魔だ。だがこの茶番もここまで」
「如何いうことです!」
 黄を守るように立ち塞がり、葎が問う。
 その声に輝の瞳が笑った。
「生きてこの不夜城から出れると良いな。まあ、出れた所で運命は違わん。だがもし、生きて出られる事があれば東房に来い。もしかすると兄に会えるかもしれないぞ」
 そう口にすると、敵は地を蹴り窓の外に飛び出した。
 その姿に逸早く薺が反応する。
 しかし――
「あれは‥‥っ」
 窓の外に見えた無数の陰に息を呑む。
 楼を取り囲むのは、先ほど包囲を抜け出て来た時にいたシノビだ。
「どれだけの数を潜ませてやがる。下手すると、楼港の至る所にいる可能性があるな」
 薺の脇から外を見た志摩が呟いた。
 数の計算は残念ながら出来そうもない。
 それだけの数が、ここひ潜んでいるのだ。
「さて、今の俺らじゃここを抜けるだけの体力は残ってねぇ。如何する?」
 窓から室内を仰ぎ見た志摩に、皆が俯いた。
「‥‥息尽くまでは、膝をつかず足を止めず」
 葎の静かな声に黄の目が上がった。
 つまり、彼女はこの軍勢を抜けようと言うのだ。
「そんなのッ」
「最後まで気を抜かんと、生き残ろうね」
 黄の顔を覗き込み、八十八彦が言う。
 その声に言葉を詰まらせた黄を、千羽夜がぎゅっと強く抱き締めた。
「あなたは独りじゃない‥‥独りじゃないからね。‥‥私達がいるわ」
 囁きながら彼女の背を撫でる。
 微かに震える黄は、シノビとしても開拓者としても未熟だ。
 これだけの状況に耐えられるだけの精神力を持っているはずもない。
 その彼女を支えてあげられるのは、今は自分達しかいない。
「とにかく、ここを抜ける算段が必要ですね」
 肩の苦無を抜き、応急処置を受けた結が口にすれば、颯もその言葉に頷く。
「さてさて、どうやって抜けだすか。抜け出たら、東房を目指せばいいんだろう?」
 先ほど輝が言っていた言葉――生きて出られる事があれば東房に来い。
 罠である可能性が高いが、そこを目指す他に行く宛てがない。
「黄、コイツ等は行く気だぜ。あとはお前さん次第だ」
 志摩の問いに黄の目が見開かれた。
 その目に映る開拓者たちの顔に、彼女は息を呑んだ。
 これだけ不利な状況にも拘らず、誰も諦めた様子を見せていない。
 その事に、黄の心が動いた。
「‥‥、ぃ」
「ん?」
「――‥‥たい、‥‥生きたい!」
 絞り出すように繰り返される声に、全員の心が決まった。
「なら、さっさとここを抜けますかぁ」
 颯はそう言って弦の張り具合を確認するように弓を弾く。
 そして、それに合わせて動き出そうとしたところで、襖が開かれた。
「話はまとまったか? なら少し俺の話に耳を傾けちゃくれないかい?」
「誰だ!」
 誰ともなく飛んだ声に、赤の着物に身を包んだ男がクツリと喉を鳴らす。
 勿論、この場の殆どがこの突然現れた人物に警戒を抱いたが、志摩だけは違った。
「てめぇ‥‥どうやってここに来た」
「愚問だな。此処は俺の庭だぞ。連絡受けて待ってたんだろうがよ」
 ヒラリと手を振り、優雅に煙管を口に咥える。
 緊迫した状況下で悠長な振りを見せる相手に、胡散臭さしか漂わない。
 それでも聞いておく必要があるだろう。
「志摩殿、こちらの方は」
「あー‥‥俺の知り合いで、明志っつーんだが、ここらに幾つか店持っててな」
「裏賭博とか、遊郭とかね‥‥まあ、軍事の悪友だよ」
 明志はフッと笑うと、その身を返した。
「店を抜けるんなら案内をしてやろう。行き着く先は、地獄かもしれんがね」
「地獄って‥‥信用、できるのでしょうか」
 薺の疑問は尤もだ。
 だが他にここを抜ける手段はない。
「今は信用するしかねえ。悪いが着いて来てくれるか?」
 志摩はそう言うと皆を振り返った。
 その声に皆は神妙に頷きを返したのだった。