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■オープニング本文 ●春を目指し ――尽忠報国の志と大義を第一とし、天下万民の安寧のために己が武を振るうべし―― 「浪志組」が動き始めた日、東堂・俊一(iz0236)は大判定家の前でこの言葉を誓った。 この言葉は浪志組の理念となり、この言葉の元に多くの同志が集った。けれど数か月後、東堂は自身が計画していた回天計画(後に『大神の変』と呼ばれる事件)――を試みる。 この計画は浪志組と開拓者の手によって阻まれ、東堂と彼に賛同した同志等は遠島処分として小さな島と共に儀もろとも隔絶された。 これが『大神の変』の概要である。 そして今、東堂が隔絶されている儀の解放を願う運動が起きているのだが―― 「反対意見も多数、か。まあ当然の流れだな」 そう零すのは、浪志組局長を務める真田悠(iz0262)だ。彼は寄せられる報告を耳に、渋面のまま腕を組むと長く重い息を吐いた。 「詳しい事情を知らねぇ民に幾ら説明した所で、あの人は重罪人だ。極刑を免れた事にも疑問の声が上がったってぇのに、儀を開放するなんざ反対意見があって当然だろうよ」 「でも東堂さんはっ」 思わず身を乗り出した司空 亜祈(iz0234)に柳生有希(iz0259)の視線が飛ぶ。 「彼が回天計画を実行するに至った経由は判明されたが、それとこれとは別だ。民が如何考えるかが第一である事は間違いない」 柳生の言葉に、亜祈の耳がしょぼくれたように下がる。そして素直に腰を据え直した姿を見て、真田が全員の顔を見回した。 東堂は幼い頃、父と想い、師と仰いだ楠木が数多の陰謀に呑み込まれ死を選んだ事が許せなかった。其処に追い遣った人物も、何もしなかった朝廷も、彼にとって復讐の対象でしかなかった。 「俺の考えは変わらねぇ。前に誰かが言ってたそうじゃねぇか。『東堂さんは天儀の昔を知る人だ。きっと、将来の天儀にとって、必要な人になる』ってな?」 ニッと笑った真田の目が亜祈で止まる。それを受けて再び耳を上げた彼女に言う。 「嘆願書の件はこのまま継続して行う。森や儀解放に反対の連中に関しても継続して説得を行え。良いか、労を惜しむな! 俺達はあの人に恩義がある。死ぬ前に返すくらいの気概は見せて見ろ!」 そう喝を入れた真田に、柳生は呆れたように目を伏せ、亜祈は嬉しそうに瞳を輝かせたのだった。 ●ひと枝の想い 「――で、何で貴方が行くんでしょうね?」 そう言って、氷の様に冷めた視線を注ぐ天元 恭一郎(iz0229)に真田の視線が外れる。その先には同じく不服の色を浮かべる柳生が在るのだが、彼は何も見なかったかのように再び視線を外すと、後方に控える面々に向かって言った。 「是より向かうのは『八丈島』だ。あの人に限って何かあるとは思えねぇが、万が一を考えて、お前さん等には俺の警護として付いて来て貰う。良いか、妙な真似はするなよ。此処で何か問題でも起きたもんなら、儀の解放は遠くなるからなぁ」 凄みを利かせる真田の言うように、彼はこれから『八丈島』へ向かう。目的は今回の騒動に関しての意見を当人より直接貰う為。 儀の解放を東堂自身がどの様に考え、どのように判断するのか。 「正直言って、僕は聞きに行く必要なんてないと思っています。民意こそが真意でしょ? 反対意見があるならやらなければ良い」 違います? そう問い掛ける彼に真田は「やれやれ」と言った様子で息を吐いた。 「お前さんの言う事は尤もだが、如何にもあの人の性格を考えると引っ掛かる事があってな……少しばかり聞いてみたい事がある」 東堂と言う人物の性格上、今回の活動は彼の意に添わないのではないか。真田にはそう思える部分があった。 意見が二分している事を踏まえ、彼の人は如何思うのか。 そして知らせたい。今の天儀の現状を。今の浪志組を。 「ああ、ちゃんと考えていたんですね。僕はてっきり貴方自身が東堂さんに会いたいのかと思ってました」 「お前なぁ……」 ニッコリ笑顔で語る恭一郎に、真田が疲れたように額へ手を添える。それを見止めて柳生が口を開いた。 「そろそろ出発だが、如何する?」 「ああ、僕も行きます」 「何!? お前は此処に残って森の説得を――」 「嫌です」 「嫌って、お前なぁ!」 米神に青筋を浮かべる真田に、柳生が咳払いを零す。そして次の瞬間、彼は思わぬ言葉を耳にした。 「局長だけでは心配なので私が行くように言いました。いざと言う時に引っ張って連れ帰ってくる役目です」 「なっ」 思わず言葉を失った真田に、恭一郎の満面の笑みが飛び込んで来る。 「さあ、行きましょうか。あ、皆さんもよろしくお願いしますね。それと妙な真似は起こさないようにお願いします。僕、仲間は斬りたくないですからね」 恭一郎はそう言い置くと、驚いた表情のまま固まった真田を引っ張って船に乗り込んだ。 |
■参加者一覧
柚乃(ia0638)
17歳・女・巫
郁磨(ia9365)
24歳・男・魔
アルマ・ムリフェイン(ib3629)
17歳・男・吟
叢雲 怜(ib5488)
10歳・男・砲
サミラ=マクトゥーム(ib6837)
20歳・女・砂
ケイウス=アルカーム(ib7387)
23歳・男・吟
華魄 熾火(ib7959)
28歳・女・サ
藤田 千歳(ib8121)
18歳・男・志 |
■リプレイ本文 自らを「師」と仰ぎ慕った子等に命を救われ生かされたのは、確か春が過ぎ、夏が姿を見せるか否かの頃だっただろうか……。 「夏で3年ですか……」 早いですね。そう言葉を呑み込んだ東堂・俊一(iz0236)は、一枝の桜が納まる竹筒の水を変えた。 どれだけの時が過ぎようと枯れる事の無い桜は、罪を背負う前に開拓者がくれた物。本来であれば水を変える必要も無いのだが、何となく日課になっている。 「今日も暑いですね」 そう言って見遣った外には、眩しいばかりの太陽が照っていた。 此処、八丈島は天儀と違って明確な四季はなく、冬と春の境目に在る今も、暖かな日差しが降り注いでいる。 「先生、今日は船の発着場の掃除に行くんですよね? 早くしないと日が暮れますよ」 言って母屋に顔を覗かせたのは、共に儀に流された少年・偉蔵だ。彼は日焼けした顔に笑みを浮かべると「早く」と急かすように東堂の手を取った。 「そう慌てなくても大丈夫ですよ。あの場に船が着く事は無いですし、のんびりやれば――」 「――船だっ! 船が来たぞーッ!!!」 「船?」 遠く響いて来た声は同胞の物。けれど、この儀に船が着く筈など無い。 否、船が着く理由がひとつだけ思い当たる。 「先生……これって……」 「……憶測で物を言うのは止めておきましょう。今は事の真偽を確かめるべきです」 東堂はそう言葉を添えると腰を上げた。 儀に封印されて3年。天儀で何も起きない筈が無い。 船が来た事が事実なら、何かしらの事件が起きたと言う事だろう。場合によっては自身等に新たな沙汰が下ったと言う可能性もある。 (……嫌な予感がしますね……) 東堂は照らす陽に目を細め、僅かに複雑な表情を覗かせて歩き出した。 ●八丈島・発着場 「へぇ、ここが八丈島……自然がいっぱいで良い場所だな。な、サミラ!」 停泊して直ぐ、船から降りたケイウス=アルカーム(ib7387)の言葉にサミラ=マクトゥーム(ib6837)の呆れた視線が飛ぶ。それを受けて一瞬眉を上げた彼だったが、直ぐに笑顔を取り戻すと、楽しげに笑って彼女の顔を覗き込んだ。 「大丈夫! 東堂さんなら俺達のこと覚えてくれてるって!」 「……そういう事じゃ、ない」 そう零した彼女の目は島全体に向けられている。 ここ八丈島は鬱蒼とした樹木が大地を覆う、湿度の大変高い場所だ。 サミラやケイウスの出身地であるアルカ=マルも高温の地だったが、此処は湿度がある分だけ暑さが纏わり付く印象がある。 「おい、てめぇは何時まで不貞腐れてんだ」 「……別に、不貞腐れてはいませんよ」 船を降りる一行の最後方から降りた天元 恭一郎(iz0229)の態度に郁磨(ia9365)の首が傾げられる。そうして隣を歩くアルマ・ムリフェイン(ib3629)に顔を寄せるとそっと囁いた。 「アルくん。恭さんはなんで東堂さんが嫌いなんだろう? 真田さんが心酔してるからってだけで嫌う人でも無いと思うんだけど……同属嫌悪かな?」 噂で聞いた限りだと似ている気がしないでもない。そう零す郁磨にアルマの視線が動く――と、その瞬間、彼の耳がピンッと立って足が固まった。 「聞こえてますよ」 「ご、めん、なさい……」 へらっと笑うアルマに、普通に笑顔を見せる郁磨。その双方を見比べて、恭一郎の口から溜息が出た。 「……僕が東堂さんを嫌いなのは、あの人がキナ臭いからですよ。善人の顔の裏で悪い事をしている臭いがプンプンしてましたからね。で、案の定、あの人は真田を裏切った」 だから嫌いなんです、とキッパリ答えた恭一郎にアルマの耳が下がった時、発着場に在る獣道から飛び出す者が在った。 「貴方がたは……」 「俊一、か?」 思わず足を踏み出した華魄 熾火(ib7959)に、東堂と共に獣道を飛び出した偉蔵が前に出た。 「お前達、何をしに来た!」 東堂を背に庇うようにして掲げられた腕。それと同時に向けられた目には殺気が篭っている。それを目にした藤田 千歳(ib8121)が熾火を下がらせた。 「東堂殿、お久しぶりです。息災でありましたか」 穏やかに語りかける彼の声に裏はない。 それを感じ取ったのだろう。偉蔵は戸惑いを覗かせて東堂を振り返った。 「今の貴方なら、わかりますね?」 彼等に悪意がない事は明確だった。 皆、懐かしそうに東堂の姿を見詰め、再会を喜ぶ瞳を見せている。これは何か沙汰を告げに来た人間の見せる物ではない。 「遠路良く来てくれました。まだ開拓の途中なので足場も悪いですが、どうぞ此方へ」 東堂はそう言って皆を見回し、ふと目の前に現れた自身そっくりの人物に笑みを零した。 「ようこそ……」 「あまり、驚かないのですね」 不貞腐れと仕方なさを含む声を零し、柚乃(ia0638)は東堂に変じた術を解く。それを見止めて微笑みを深くした彼に一礼を向ける。 「東堂先生、お会い出来て嬉しいです」 「そう言えば、俺も挨拶がまだでした……こうしてお話するのは初めてですね」 柚乃の礼が終わるのを待って進み出た郁磨。そんな彼に気付いて神仙猫翁に変じた彼女を叢雲 怜(ib5488)が抱き上げる。 「改めまして、三番隊隊士の郁磨です……」 へらりと笑った彼に東堂の柔らかな声で挨拶が紡がれる。そうして彼は皆を母屋に案内しようと歩き出したのだが、獣道を進んで僅か、怜が何かに気付いた様に声を上げた。 「あれ? こっからは道が広いのだぜ?」 獣道を進んで僅か。 樹林を切り拓いて作ったらしい道が出来ている。舗装はまだ途中の様だが、確実に先へと進む道はほぼ完成していると言っても良い。 「念の為に整備は続けていましたが、私自身は発着場を使うつもりはありませんでしたので……」 東堂曰く、道は生活の為に築いたのだと言う。 言われてみれば、道の左右には生活に必要な樹や、畑らしき物も見える。少し目を凝らせば、木々に隠れた家屋らしき物も臨めた。 「さあ、此処が私の母屋です。狭いですがどうぞ」 言って勧められた室内は、確かに狭い。 訪問者全員が入ればいっぱいになってしまい程。それでも文句を言わずに上がった彼等に東堂の目元が緩められる。 そして自らも母屋に上がって腰を下ろすと、僅かに表情を引き締めて声を張った。 「では、お伺いしましょう。貴方がたが此処に来た理由は何でしょう?」 ●久方の再開も…… 開け放たれた窓から吹き込む風が温い。それを頬に受けた真田が口を閉じると、東堂は思案気な様子で伏せていた目を開けた。 「成程……大体の事情はわかりました」 真田が話したのは来訪の理由――浪志組の内部から八丈島の解放の話が昇り、賛成派と反対派の意見が入り混じっている、と言う物だ。 「先生……」 不安げに自身を見上げる偉蔵に笑みを向け、東堂は全員の顔を改めて見る。其処に見える表情に笑みを深めると、彼は僅かに首を傾げてアルマを見た。 「大きくなりましたね」 背丈もそうだが纏う雰囲気も変わった。きっとこの数年で数多の変化があり、確りとした意思を持ち此処に居るのだろう事が伺える。 「先生。お変わりありませんか?」 下げた頭を上げた直後、緩んではいけないと言うのに頬が緩む。そうして零れた笑みに頷きを向け、彼は言う。 「天儀で全てを見て来た貴方がたの言葉を聞かせて下さい」 浪志組を設立した当時、誰よりも自身に懐いて来ていた少年・アルマ。その彼が見せた表情の変化に東堂の目が細められる。 「その様子では何かあったのでしょうか。そうですね……では天儀の現状――これまでの事をまずは教えて頂けますか?」 気を楽にして下さい。そう添える彼に怜が「あ」と声を上げて挙手をした。 「貴方は確か森君の……彼女は元気ですか?」 「元気なんだぜ!」 頷いて笑顔を見せながら包みを差出す。その中身は天儀で買える飴で、出発前に真田から何文までなら土産が可能か聞いた結果、これになったらしい。 「天儀の話は俺もするんだぜ! んとんと……新しい儀が見付かったり、冥越八禍衆を殆どやっつけたり、護大を巡ってだったり、いっぱいっ!!」 「護大……」 「神代現れた、よ……武帝さんには、なかった」 僅かに目を見開く東堂にサミラが自らの手記と共に言葉を添える。それに手を伸ばして目を落とした彼は、少しだけ複雑そうな表情を覗かせた。 「……もう少し早く……いえ、言った所で詮無い事。それで何か混乱は?」 「……騒乱は起きてない、かな。今は、まだ」 東堂は八丈島に送られる際、大伴の翁から真実を記した文を受け取っていた。其処には武帝に神代がない事、当時楠木が死に追い遣られた経緯も書かれていた。 「今は、朝廷の隠していたものが顕になり、武帝は政に着手、大伴公、豊臣公は変わらず、藤原氏と保守派は朝廷から離れました」 「これが変化……」 アルマの言葉に耳を傾ける東堂自身、複雑な想いは当然ある。もしもっと早く事実が露見されていれば、楠木が死ぬ必要は無かったかも知れない。 先にも零したが言っても詮無い事。それでも考えてしまうのは人故だろうか……。 「他には、何か変わった事はありましたか?」 東堂は浮かぶ想いの全てを押し込む様に微笑むと、未だ言葉を紡がないケイウスに目を向けた。 「うん……雲海の下に人が住んでたんだ。彼等には俺達とは違う考えと正義があって一時は戦ったりもしたけど、今は彼等、古代人と共存していく道を皆で模索しているんだよ」 天儀に居る頃は想像もしていなかった事実に微かにだが目が見開かれる。当然、隣で耳を傾けていた偉蔵も同じ様子でケイウスの事を見ている。 「先生」 不意に聞こえた声に皆の目が向かう。 其処に在るのは愛用の座布団に腰を据える神仙猫に変じた柚乃だ。 「先生の元に居た子たち……ゼロさんの元に引き取られたんです。みんな元気で、今でも先生に会いたがっています……」 東堂も想像出来なかった未来。まさかあの開拓者が子供等引き取り、自らの子供と同じように育てて居るなどと。 「そうですか……いつかお礼をしなければいけませんね」 何時になるかはわからないが、心からそう思う。そしてその言葉に寄り添うように偉蔵が顔を上げると、皆の話に耳を傾けていた郁磨が腰を上げた。 「何処に行くんですか?」 「一通り天儀の話が終わったと思うので、俺は少し席を外そうかな、って」 東堂とはきちんとした面識がない自分だからこそ、主観的に、偏見的にならない中立な立場であるべき。郁磨はそう考えている。 「此処からは本題に入るでしょうし、東堂さんの意見が出るまで島をぶらついてきます」 「そう言うことなら、私も……」 郁磨に続いて腰を上げた柚乃に、恭一郎も立ち上がった。その様子に千歳が問うた。 「天元殿も席を外されるのか?」 てっきり真田の傍に居ると思った。そう言外に問う声に、恭一郎の肩が竦められる。 「まあ、彼等に万一の事があったら大変ですからね、付添いです……後は頼みましたよ」 言って郁磨と柚乃を連れて出て行く恭一郎にアルマの耳が下がった。 「……やっぱり駄目、なのかな……」 東堂と会って以降、言葉を発さない彼に落胆が浮かぶ。だが聞こえて来た声に彼の気持ちが浮上する。 「昔なら顔を合わせただけで消えてたぜ」 「!」 ニッと口角を上げた真田の言葉に、下がりかけた尻尾が頭を上げる。それを見届けた熾火が軽く咳払いをして東堂を見た。 「少し普通の話をしても良いかのう?」 「ええ、構いませんよ」 穏やかに微笑む表情は昔と変わらない――否、数年経って昔以上に穏やかな印象になっただろうか。 「随分と健康的になったではないか……」 クツリ。そう笑いを零す熾火に、サミラも頷く。 「うん、逞しくなった……でも、少し痩せたような……雰囲気も、優しい……?」 最後は少し首を傾げたものの、彼女の言葉も熾火と同じで東堂の変化を指摘している。 それに対して「貴方がたも」と返すのは東堂だ。けれどそれに対して千歳は驕ることなく言葉を返す。 「貴方に会えた事、こうして成長を褒めて貰える事、その全てが本当に嬉しい。だが俺達は……俺はまだまだ未熟で、悩む事も多い。今回も悩むが故に結論を出せずにいる……」 どれだけ修練を積もうと、政への理解を深めようとしても、己の感情や周囲の感情に思い悩む事は多い。 そう語る彼に東堂は言う。 「貴方は今も変わらず真っ直ぐですね。貴方は今でも、あの時の約束を果たそうとしてくれている」 千歳は東堂と最後に会った際『天儀の政を変えるという東堂の想いを継ごうと思う』と告げた。 自身の生の間で間に合わなければ、次の世代ででも構わない。邁進し続け東堂の果たせなかった理想を形にするのだと、彼はそう誓ったのだ。 「天儀の政は変わりつつあります。それは貴方や貴方の周りが影響しての事でしょう。貴方は貴方の思う道を進めば良い……貴方は間違っていませんよ」 「東堂殿、それはつまり……」 無意識に吸い込んだ息が思考を巡らす。そうして何かを紡ごうとした所で東堂は柏手を打った。 「この島で採れた茶葉がありますから、お茶にしましょう。飲み終える頃には彼等も戻って来るでしょう」 彼はそう言い置くと腰を上げ、静かな動作でお茶を淹れに動いた。 ●遅咲きの桜 樹林を割って点在する家屋は新しい。中には建設途中の物もあるが、どれも八丈島に流された後、刑に処された者達の手で建てられたのだろう。 「……此の島の現状には、東堂さんの人柄が表れてますよね」 郁磨はそう言って足を止めると、耕し途中の畑に目を向けた。 「何処までも真っ直ぐで、強くて、でも何処か不器用で……」 そう思いません? そう振り返った先には恭一郎がいる。そして腕の中には神仙猫の姿で納まる柚乃が在る。 「不器用か如何かは知りませんが、悪くない場所ですよ。流刑地でなければ尚の事」 「何でそう言う言い方しか出来ないのかな……素直に良い場所って言えば良いのに」 「恭一郎さんだから……」 郁磨の声に見も蓋もない声を返し、柚乃は地面に降り立った。 此処までの道程を恭一郎に頼って遣って来たが、途中何人か住人らしき人達に会った。 彼等は突然の来訪者である柚乃等にも気さくに挨拶をしてくれ、明るい様子で田畑を耕している。その姿を見る限り、此処が流刑地だとは忘れてしまいそうだ。 「本当なら恨んでも良いのに……」 朝廷内での陰謀が元で起きた事件。それを恨んで起こしたのが大神の変だ。そしてそれは頓挫し、彼等は罪を背負いこの地に流された。 経由を知れば恨んでも当然、そう思うかもしれない。けれど呟きを耳にした恭一郎は、柚乃に「否」を唱えた。 「あまりあの人の肩を持つような事は言いたくないですけど、同じ過ちは侵しませんよ、あの人は……きっと禍根を生まない様に教育を徹底しているのでしょうね。僕たち天儀の人間を恨むべからず。恨むべきは自らで他者ではない。あの人ならその位造作もないでしょうし」 若干棘がある言い方だが、これには郁磨も納得したように頷いてしまう。 「……そろそろ戻りましょうか」 時間を計る術がない為にどれだけの時が過ぎたかわからない。それでも向こうでの話は進んでいる筈だ。 「歩けます?」 「大丈夫です……あ、そう言えば」 ふと思い至って歩き始めた足を止めた柚乃に恭一郎の目が向かう。 「恭一郎さん、錦絵はどれ程集まったんです?」 「あ……」 郁磨が声を上げた直後、恭一郎の米神に青筋が浮かんだのを柚乃は見逃さなかった。 そして同時刻。東堂の淹れた茶を飲みながら、少し砕けた雰囲気で話は再開されていた。 「この島の門を開けて欲しいとの嘆願に、是非に意見が分かれています……勿論、浪志組も」 「そうなんだぜ……藍可姉が怒ってる」 アルマの言葉を捕捉するように怜が零すと、真田の表情が何とも言えない様子に歪んだ。 この一連の流れを見れば、現状は一目瞭然。そもそも森が怒るのは当然の流れとも思える。 「森君らしいですね。彼女の事ですから、今頃港辺りで座り込みでもしてそうですが……貴方はもう少ししっかりしなさい」 まるで幼子を叱る様に言って真田を見る。それに面目無さそうに鼻頭を掻くと、真田は重い荷を下ろすように息を吐いた。 「俺は儀の解放に賛成の意思を示している。だがな、民はそう言う訳にはいかねぇ……」 「局長の言う様に、今回の件に関しては、民の反対がある。東堂殿が解放される事で、民の不安は増すだろうし、そうする事で浪志組への風当たりも強くなるかも知れない」 あの時の出来事は民の間で風化する程、昔の事ではない。 「この案件は藍可姉の意見にも真田の兄ちゃんの意見にも、どちらに転んでも火種が残ると思うから、東堂の兄ちゃんの意見として、儀の解放は受け入れないと言う意思表示をして欲しいのが俺の思いなの。今ならまだ、司空の姉ちゃんの天儀の人心を理解しないが故の暴走で話が丸く収まると思うから」 幼いながらも確りとした意見を述べる怜に、東堂は穏やかな眼差しを向ける。そうして僅かな間を置くと、ケイウスが抑えていた物を開放するように言葉を紡ぎ出した。 「正直なところ、賛否両論だよ。俺もこの件についての意見集めがあって参加したんだ……確かに反対意見は少なくないよ。反対する人の不安や言い分もわかるし、今はまだ東堂さん達に危険がないとも限らない」 でも、と言葉を止めた彼の強い意思の瞳が向かう。 「それでも、東堂さん達を必要としている人達が天儀に居るって事も紛れもない事実なんだ。どっちも俺がこの耳で聞いた、天儀の人達の声だよ!」 「皆が言う事は事実。反対するは多き声のじゃろう、されど……受け入れる者が皆無ではないということも……俊一は知っておろう?」 自身としては儀の解放を願っている。 初めて東堂と出会った時、彼は修羅である自分を受け入れて子供等に会わせてくれた。そんな優しい彼だからこそ伝えたい。この場に居る皆も、本当は同じ気持ちなのだと。 「のう、俊一はどう思う。そしてどうしたい」 熾火の静かな問いかけに室内が静まり返る。と、其処に柚乃と郁磨、そして恭一郎が戻って来た。 「随分と白熱してるね〜」 緩い笑いを落として座る場所を見繕う郁磨に、全員がバツの悪そうにして視線を落とす。そして落ち着く様に茶に手を伸ばすと、千歳の静かな声が届いた。 「貴方は、罪を償うと決めた。その償いの意志は、罪は、嘆願書ひとつで覆えせるものなのか。法は、贖罪は、流れた血は、そんな簡単にひっくり返せるものなのか?」 個人的な心情が挟めない事は重々承知している。例え共に闘いたいと願っても、それは個人の感傷に過ぎない。 彼との約束を、彼の意思を継ぐと決めたあの時から、浪志組の――否、民の為に生きると決めた。 「俺の夢となった貴方の夢を現実のものにする為に。俺の信念は、行動は、生き方はぶれない。だからこそ、貴方の意見を聞きたい。貴方はこの状況で、どう動くのか」 皆が答えを待っている。 再び静まり返る室内で、東堂は流れるような動作で湯呑を置くと、全体を見回して口を開いた。 「私達は今後もこの儀を出るつもりはありません」 ザワッと揺れた空気に触れず、東堂は続ける。 「これは千歳君も言っていましたが、私達が犯した罪への償いの証であり、情状酌量の余地を下さった大伴の翁への誠意でもあります」 ただ……そう言葉を止めた東堂が、皆を見、真田で視線を止めた。 「もし叶うならば百年の後、私達の子孫がまだこの儀に留まり罪を償い続けるのであれば、その時には新たな儀への来訪を許可して頂きたい。その約束さえあれば、子孫等も禍根を残さず罪に真摯に向き直れると信じています」 「……やっぱり、そうなるんだ、ね……」 擦れるような声を零したのは、俯き気味に足元を見詰めるサミラだ。 「……天儀は今、早咲きの桜が咲いた頃で、さ……綺麗で、でも……少し、寂しくて……」 「サミラ……」 普段は気丈な様子の彼女が見せた弱さにケイウスが戸惑い気味に声を掛ける。それを遮って熾火が彼女の肩を抱き寄せると、優しく背を撫でるようにして東堂を見た。 「気付いておるのだな?」 「ええ。皆さんの想いには気付いています。ですが、その想いに応える事は出来ません。これは流刑地に在る仲間の身を守る手段でもあり、皆さんの生活を守る為でもあります」 「そうか……時に俊一。贈ったものは……まだもっておるかのう……?」 問う声に東堂の表情が緩まる。そうして僅かに懐に触れた仕草を見て、熾火は納得いったように目を伏せた。 ●希望を残し 「素敵な歌声ですね」 「――あの頃は戦士として、歌を避けていたから、ね」 異国の戦士達の歌、第一章【桜蘭】。それを発着場で紡ぎ終えたサミラは、伴奏をしてくれたケイウスやアルマに笑みを向け、感想をくれた東堂に向き直った。 「……いつか、戻って来て、欲しい……その想いは、変わらないから」 先程の様に悲しみにくれる表情はない。彼女は微かに赤味を帯びた瞳を笑ませる。そして彼の姿を目に焼き付けるようと見詰めるのだが、旧友がそれを許してはくれなかった。 「うん、やっぱりサミラの歌、上手いよね!」 何故か自分の事の様に喜んで抱き付く彼に、サミラの米神が揺れる。そして彼も東堂に目を向けると、何かを言いたげに唇を動かした。 「東堂さん……」 名前を呼んで何を言って良いか迷う。 彼が出した結論を曲げるつもりはない。けれどまた会いたいとも思う。 色々と募る想い、それを言葉で言い表すとしたら…… 「……またね、東堂さん」 言って、自分に出来る最大限の笑顔を彼に向けた。 「俊一、最後に会えて良かったぞ」 出立の準備を整えた熾火が、東堂に歩み寄る。隣には何かを考え込み口を噤むアルマの姿も在る。 「直に私は旅に出る。また帰るその時は、もう一度俊一に会いに来よう……さすれば互いに、死なぬであろう?」 少しだけ悪戯っぽく囁かれた声。それに「ええ」と静かな声を返し、彼は幼く聡明な子へ目を向ける 「アルマ君。何か言いたい事があるのなら、きちんと言葉にすべきです。如何しましたか?」 「……僕は、ある男と友人になりました。父に刃を向けられ家族を喪っても死ねず、その禍根を種に命も狙われた」 傷にも頓着しない人形のような男。そう語る彼とは温かい食事を共にし、人を気遣えるようになり、筆を持つようになる姿を見て来た。 そう語るアルマの目を東堂はじっと見詰める。そして彼の目が真っ直ぐに東堂を捉えた時、彼はアルマの言う『友人』が誰であるかを悟った。 「先生。僕のその友達にも会ってもらえたら、嬉しいです」 縋る様に見詰める眼差しは昔と変わらない。そしてこうした目で問い掛ける時、彼は何か真実を隠しているのだ。 「貴重な経験を積んでいるのですね」 わかりました。東堂はそう囁くと、久しく触れていなかった柔らかな銀糸に触れた。そうして何度か撫でて手を放す。 「これからも多くを見、多くを知り、多くを感じて下さい。貴方なら新しい世界を見る事が出来るかもしれません」 アルマが望むのは世界の『未来』の可能性。 世界を吸収していく友と、世界に理想を持つ師。その双方と民が交わり、全てが笑顔に成れるのなら……。 「……僕、諦めが悪いんです」 東堂の言葉に笑顔で添えた言葉。これだけで充分だったようだ。 東堂は穏やかに浮かべた笑みを深め、激励するように彼の背に腕を回す。そうして優しく其処を叩くと、ゆっくり彼の体を放した。 「東堂殿、有難う御座いました」 アルマから腕を放す頃を見計らい、千歳が話し掛ける。その声に眼差しを動かした彼に、千歳は規則正しい礼を向ける。 「貴方の考えは確かに聞き届けました」 昔と変わらない理想に真っ直ぐだった東堂。その事が誇らしくも嬉しい。そしてそう思うと同時に真田が出発前に言っていた言葉を思い出す。 「もしかしたら、局長は東堂さんがこう言う事を見越していたのか……だから此処まで」 あのまま議論を続けていたら確実に隊内で諍いが起きていただろう。だからと言って自身の考えを押し付ける事も、反対派の意見を押し通す事も後の諍いを生む種になる。 ならば一番禍根を残さないのは何なのか。それは当事者に「否」と言って貰う事だ。 千歳はハッとなって怜を見た。確か彼は話し合いの最中にその様な事を口にしていた。 「真田の兄ちゃん、あのね……俺、もうひとつ案があるのだぜ?」 千歳の視線を知ってか知らずか、怜は東堂へ挨拶をと動き出した真田を引き留めた。これに彼の首が傾げられる。 「八丈島と天儀を年に1回くらい繋いで物資の遣り取りをして行く中で、段々と回数を増やしつつ東堂の兄ちゃん達のことを皆に分かって貰い最終的に……ってのは、ありかもなのです?」 「何?」 唐突な思いもしない提案に真田や周囲の動きが止まる。そして全員の視線が怜に向かった所で柚乃が呟いた。 「今日のように限られた人だけ……なら、難しくないかも?」 「儀は解放せずに、年に1度だけ一方的な来訪を許可する……これなら多少の落とし処はあるか。つっても物資は難しいかもな」 流石に今すぐ実行は難しいだろうが、民に理解を求めた上で天儀から一方的に来訪する事は可能かもしれない。だが真田の言う様に物資の輸送は厳しい可能性がある。 「流刑地の監視、とかは?」 それだ! そう一斉に上がった声に、何気なく言葉を上げたケイウスの目が瞬かれる。そんな皆の姿に、事の提案をした怜は慌てたように声を上げる。 「で、でも、藍可姉が良いって言ったらだよ?」 勿論。そう頷きを向け、郁磨は少しだけ困った表情を浮かべる東堂に向き直った。 「東堂さん……浪志組を設立してくれて、有難う御座います」 ふっと浮かべられた笑みに東堂が見開く。 「……浪志組があったから。共に歩み、時に背を押してくれる仲間達が居たから。今の俺が居て、今の俺の決意に至れたんです」 発足の理由や掲げた大義に隠された真実など如何でも良い。 郁磨にとって、浪志組が在った。唯其れだけが真実で、大事な事だった。 だから―― 「有難う御座いました。俺達を導いてくれた事、心から感謝しています……」 真摯に胸に響く言葉。それを噛み締めるように瞼を伏せ、東堂もまた皆に向けて頭を下げる。 「私は皆さんに酷い事をしました。にも拘わらず貴方がたは私に会いに来て下さった……私は今日の日の事は生涯忘れる事は無いでしょう」 顔を上げれば、もう二度と会う事は無いと思っていた者達の顔が在る。 何度こうして言葉を交わす日を夢見た事か。 何度そう願う事が罪であると思ったか。 願いが聞き遂げられただけで充分であると自身に言い聞かせて唇を動かす。 「……お元気で」 何時の日か今日の様に歴史を刻んだ話を聞く事が出来るだろうか。否、自身は無理でも、子が、子孫が聞けると願おう。 東堂は船に乗り込む皆の姿を見詰め、眩しそうに目を細めた。そんな彼の耳に希望にも似た声が響いてくる。 「またねー!!」 発着場を離れる船の中で、大きく手を振る怜の姿が見えた。その姿を目にした瞬間、東堂の胸に熱い物が迫った。 「先生?」 唐突に天を仰いだ東堂に偉蔵が不思議そうに声を掛ける。それに彼の胸が大きく上下に揺れると、東堂は何事も無かったかのように顔を戻した。 「戻りましょう。私達の場所へ……」 東堂と彼の仲間が償うべき罪はまだ終わっていない。けれどもしその罪を償い切る事が出来たなら―― 「――また、会いましょう」 |