暗雲のお見合い・終章
マスター名:朝臣 あむ
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: 普通
参加人数: 5人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2014/12/08 14:01



■オープニング本文

●東房国・霜蓮寺
 秋の葉が地面を埋め尽くす中、紅の絨毯を踏み締めて月宵 嘉栄(iz0097)が白刃を構える。その視線は容赦なく前へ注がれ、踏み込んだ足には自然と力が篭る。
「手加減は致しません」
 そう零して見据える先に居るのは志摩 軍事(iz0129)だ。
「俺は遠慮してぇんだが……本当にやるのか?」
 彼は苦笑いにも近い笑みを湛え、太刀を構える志摩の足もまた踏込みを深くする。
 ジリジリと間合いを確認するように動く2人。良く見ると志摩や嘉栄の他にも、刃を構えている者達が居る。
 彼等は刃の先を嘉栄に向けると、我先にと動き出した。此れに嘉栄も動き出す。
「嘉栄様、覚悟!」
 木の葉を舞い上げて迫る兵。その1人が嘉栄の間合いに入る――直後、兵の体が剣圧に負けて吹き飛んだ。
 凄まじい勢いで樹に激突する兵を横目に、別の兵もまた彼女の間合いに飛び込んで行く。
「また腕を上げましたかな」
 戦闘を、僅かに離れた位置から眺めていた久万が満足げに呟く。その隣には統括の姿もあるのだが、表情は思わしくない。
「やはり止めた方が良かったのではないか?」
「いやいや、あれくらい元気な方が次期統括としては頼もしいですぞ」
「……そうだろうか……あれでは嘉栄に勝てる者など居ないであろう」
 大きな溜息を零した統括に、久万は豪快に笑って肩を竦める。そもそもこの戦闘、実は嘉栄に勝てる者を探すのが目的なのだ。
「統括就任の儀を執り行うにあたって、嘉栄には生涯の伴侶を如何かと勧めた結果がこれだ……嘉栄には伴侶を得る気はないと見える」
 統括就任の儀とはその名の如く、嘉栄が統括を襲名する為の儀式の事だ。
 護大等との騒動が決着し、時期的にも良いだろうと云う事で決行を決めた。そしてそれ自体は嘉栄も快諾したのだが、その先が悪かった。
「統括、そろそろ年の話を絡めるのは止めにした方が良いですぞ。きっとそれが切っ掛けでしょうからな」
「久万もそう思うか……しかし、何故志摩が居るのだ?」
 未だに一歩も動かないが、兵の中には確かに志摩の姿が在る。そして統括等の声が聞こえたのだろう。志摩が不機嫌そうに声を上げた。
「理由なら嘉栄に聞け。言っておくが、俺は嘉栄と夫婦になる気はねぇからな!」
 幼い頃、嘉栄が母親と引き離されてから数年、雪華と言う嘉栄の師と共に彼女の成長を見守って来た。故に今更異性として見ろと言う方が無理だ。
「嘉栄、そろそろ理由を説明してはくれないか?」
 粗方の兵を倒し、嘉栄は息1つ乱れない状態で統括等を見遣った。
 やはり並の兵では嘉栄に勝てないと見える。
「……統括が以前仰っていました」
「私がか?」
 記憶を辿るが志摩を伴侶に等と言った覚えはない。そう目を瞬く統括に、嘉栄は僅かに視線を落として零す。
「志摩殿に霜蓮寺へ戻って来て欲しいと」
「!」
 もうかなり前の話だ。
 確かに統括は志摩に戻って来ては如何かと言う話をした。その時は明確な答えはなかった筈だが。
「志摩殿。私が勝った暁には、霜蓮寺へ戻って来て下さい」
「……それは霜徳の為か?」
 霜徳とは統括の名だ。
 嘉栄はその名に反応するように統括を見遣ると、緩く首を横に振って刀を構え直した。
「違います。これは霜蓮寺の為。志摩殿が戻られる事こそが、霜蓮寺安泰の道に繋がると考えたからです」
「そうか」
 志摩は緩く息を吐くと、太刀の切っ先を嘉栄に定めた。その上で再び声を上げる。
「此処に集まった奴の中には、お前さんと夫婦になりたい奴も、右腕になりたい奴もいるだろう。こいつ等が勝ったら、お前さんは言う事を聞くのか?」
 嘉栄が提案した戦闘は、表向きは嘉栄の生涯の伴侶を決めると言う物で、嘉栄に勝てば彼女と夫婦になれる。
 それはつまり、霜蓮寺統括の右腕になると言う事。もし同性であった場合は、伴侶ではなく純粋に右腕になれるのだ。
 例えそれがどんな者であろうとも。
「如何なんだ、嘉栄」
 問い掛ける志摩の声に嘉栄の口角が上がった。
「私が負ける事は有り得ません。何故なら私は――」

●数日前
 薄らと雪の覗く山の頂に嘉栄は居た。
「雪華さん、只今戻りました」
 両手を合わせて亡き師に帰郷の報告をする。そうして顔を上げると嘉栄は後ろで同じように手を合わせる志摩を振り返った。
「同行されると仰った時は如何したのかと思いましたが……」
 霜蓮寺への帰郷が決まった際、一時だが志摩も同行すると言い出した。その時は如何したのかと思ったが、こうして共に墓を参ってわかった事がある。
「何か迷いがあるのですね?」
 問い掛けに、手を合わせていた志摩の目が上がる。その上で視線が重なると、嘉栄は緩やかに首を傾げた。
「迷い、か……そうだな。ちっとばかし今後の事を考えて、詰まっちまった」
「今後の事? 志摩殿は今まで通り開拓者ギルドで働くのではないのですか?」
「まあ、そう言う選択もあるが……旅に出るって選択もある」
「旅?」
 思ってもみなかった言葉に目を瞬く。
「おう。ギルドへの恩は十分に返したし、今後は自由に天儀を巡るのも有りかと思ってな」
「自由に、天儀を……」
 零し、視線が雪華の墓に落ちた。
「……旅に出られたら、次はいつ此方へ?」
「さて、実際出るかもわからねぇしな。けど出たら当分は戻らねぇかな」
 墓参りをしたのは迷いがあるからだと、其処までは理解出来た。けれどまさか旅に出るか否かの判断で迷っていたとは。
「けどまだ判断の途中だ。如何するかはもう少し悩んで――って、嘉栄?」
 思わず上げた手。目は喉元に突き付けられた刃に釘付けになっている。
「……何の冗談だ?」
 冗談にしては笑えない。そう目を動かした彼に静かな声が届く。
「私と闘って下さい」
「あ?」
 あまりにも突然な言葉に志摩の眉が訝し気に寄る。けれど嘉栄は言葉を変えなかった。
「志摩殿、私と闘って下さい」
 そう言葉を紡いだ脳裏に在るのは先程の言葉だ。
『実際出るかもわからねぇしな。けど出たら当分は戻らねぇかな』
(もし志摩殿が居なくなれば寂しいと思う人がいる……陶殿も、紫殿も、統括も……それに、雪華さんも……)
「拒否は認めません」
 嘉栄はそう言うと、意思の篭る瞳で志摩の事を見詰めた。


■参加者一覧
アルティア・L・ナイン(ia1273
28歳・男・ジ
千見寺 葎(ia5851
20歳・女・シ
五十君 晴臣(ib1730
21歳・男・陰
乾 炉火(ib9579
44歳・男・シ
鎌苅 冬馬(ic0729
20歳・男・志


■リプレイ本文

 見合い会場となった霜蓮寺の一角。其処に響き渡る刃の音を耳に、アルティア・L・ナイン(ia1273)は隻眼の目を細めていた。
「山奥まで話が聞こえて来たから来て見たけど……強いね、嘉栄くん」
 クスリと笑う彼の目の前では、志摩 軍事(iz0129)と月宵 嘉栄(iz0097)が戦闘を繰り広げている。
 戦闘は既に2人の独壇場。ハッキリ言って刃を向いた者達の殆どは彼等の相手にもなっていない。けれど刃をまだ向いていない者は如何だろうか。
 未だ様子を窺う者の1人、鎌苅 冬馬(ic0729)は戦闘に参加すべき時を計って刃に手を伸ばしたままでいる。
「やはり、強いな……」
 見合い話を目にして足を運んで来たものの、冬馬は見合いに興味はない。あるのは嘉栄との手合せが出来ると言う事実のみ。
(一度だけ手合せしてみたいと思っていたんだ……)
 隙の無い彼女の太刀に我流の太刀が敵うとは思っていない。それでも闘って見たいと思うのが本心。
「……今のままでは駄目だ。何か切っ掛けがあれば」
 今のままでは志摩と嘉栄の間に入る事は出来ない。些細な切っ掛けでもあれば踏み込めるのだが。
 そう思案する彼の耳にある声が響いてきた。
「嘉栄の嬢ちゃん大人気だな。確かに美人だけどよ」
 振り返った先に居たのは、目深くローブのフードを被って面を着けたアルティアだ。そしてその傍には乾 炉火(ib9579)の姿もある。
「しっかし、志摩は何かあったのか? ギルドで見かけた時と違って動きにキレがねぇっつーか……なぁ?」
 同意を求める炉火に、志摩や嘉栄とは別の方角を見詰めていたアルティアが振り返った。
「何だ? あの兄ちゃんも知り合いか?」
 問うように顎を動かした先には五十君 晴臣(ib1730)の姿が在る。他の面々と立違う、気楽な雰囲気を漂わせる青年もまた、戦闘への参加機会を伺っている様だった。
「……いや」
 苦笑しながら面の位置を確認する。
(まあ、「こう」なってからは会ってないしバレない筈だ……大丈夫……)
 晴臣とアルティアは面識がある。けれど今は故あって会っていない。
 誤魔化すように首を振った彼に炉火は深く突っ込まなかった。その代りに、と別の話題を振る。
「青少年は何かお悩みか?」
「……あのおデコを撫でたくてね。ここ数年剣を握っていない僕で太刀打ち出来るだろうかと悩んでいた所なんだ」
「へぇ」
 声を変えている様子や見た目だけだと不審者に見える彼だが、殺気がまるでない事から嘉栄の知り合いか何かなのだろう。
「なら俺と組まないか? と言っても、2人同時にかかって志摩と嘉栄を分断するっつーだけだがな」
 今の状況では誰1人としてあの場に接近出来ない。ならば誰かが踏み込まなければいけない。
「幸い、俺は志摩に。お前さんは嘉栄に用がある。悪い話じゃねぇと思うが?」
 如何だ? そう問い掛ける彼にアルティアの目が一瞬だけ嘉栄を捉える。そうして頷きを返すのだが、この時、もう1人戦闘を複雑な思いで見ている者が居た。
「……僕も嘉栄さんと、近いんですよね……」
 思わず零した小さな声。それを拾って苦笑する千見寺 葎(ia5851)は、志摩の旅の話を聞いた時、「ああ」と言う声を漏らした。
 きっとあの時は納得したのだろう。けれど今は如何だろう。
 此処に居る理由を問うて出た言葉が今の言葉。ならば此処に来た自分が成す事は――
「――僕は」
 そう口にした時だ。

 ゴォォオオッ!

 突如響いた爆音に目が飛ぶ。其処に在ったのは志摩と嘉栄の所へ駆け出す炉火とアルティアの姿だ。
「焙烙玉……っ、軍事さん」
 広く落ちた爆炎に葎の足が動く。
 それに合わせるように晴臣、冬馬も動き出すと、戦場は別の姿を見せて動き出した。


「よぅ、なーに迷ってんだ?」
 目の前で立ち昇る煙に冷や汗を流す志摩。その背に接近した炉火に、太刀を薙ぎながら叫んだ。
「なーに迷ってんだ? じゃねえ、殺す気かッ!」
 一歩間違えば重傷確定だった攻撃に怒るのは当然。けれど炉火はケロリとした様子で肩を竦めた。
「あ? 無事だったから良いじゃねぇか。それに俺は嘉栄の嬢ちゃんよりもお前さんの方が好みだからよ。俺が勝ったら一晩付き合え」
「阿保かッ! つーか、ンな阿保な台詞言う為に夜春を使うんじゃねえ!」
 片目を瞑って吐かれる台詞に志摩の米神が動く。それに対して炉火は「冗談だと思うか?」と笑って宝珠銃を向けた。
 その動作に苦笑するも一瞬。次の瞬間には、無数の小さな白隼が2人の足を拘束した。
「この式……まさか、晴臣か!」
 白の尾長の隼を使役する陰陽師は1人しか知らない。目を向けた先に居たのはやはり晴臣だ。
「やれやれ、だね」
「まさかてめぇも――ぶっ!?」
 最後まで言わせないよ。そんな勢いで降って来た呪本の角に志摩が蹲った。
「私が冷やかし半分なのはわかっているよね? 軍事」
 ちっとも目が笑っていない状態で笑う彼に「はい」と頷く。その様子に声を上げて笑いながら炉火は大きく手を広げた。
「1人増えるも2人増えるもおじさんは大歓迎だぜ。さあ、2人纏めてかわい――あがッ!?」
「私が冷やかし半分なのはわかっているよね?」
 ニッコリ、と。今度は底冷えしそうな程に冷たい笑みを向けられ、炉火が尻を付いた状態で頷いた。
「本当にやれやれだね。あ、本が汚れた」
 呪本の隅を手で撫でる晴臣に、志摩と炉火が何か言いたげに視線を送る。
 それに気付いているのかいないのか、晴臣は志摩を見ると静かな口調で話し始めた。
「私が此処に来たのは、志摩に報告しなきゃいけない事があってね?」
 まさかこんな形で報告する事になるとは思わなかったけど。そう言葉を零して炉火を見る。
 その視線に肩を竦める彼を見る限り、話を続けて良さそうだ。その事に目礼を向け、晴臣は改めて志摩を見た。
「私は五行の家族の元に帰るよ。開拓者はいつでも辞められるから籍はそのままにするけれど、ほとぼりもそろそろ冷める頃合いだろうし」
 護大を倒した今なら時期としても悪くない。
 各所の復興や未だ残るアヤカシとの闘い。開拓者のやるべき事は護大を倒した今も多々ある。
 それでも彼の存在を倒したと言う事実は、開拓者に転機を与えた。
「帰って母親孝行しようと思ってる。だから、下宿……近いうちに引き払わせてもらうよ」
 今までありがとう。そう零す彼に、正座して話を聞いていた志摩が立ち上がった。
「俺の方こそ有難うな。頑張って親孝行しろよ」
 言って頭を撫でる仕草に、晴臣の目が細められる。
「こうして頭を撫でられるのも最後なのかな? そう思うと少し寂しい気もするけど」
「何言ってやがる。次に会ったらまた撫でてやるさ」
「ふふ、それは楽しみだな」
 晴臣はそう零すと、頭を撫でる手に擽ったそうに首を竦めた。
「――で、そろそろ再開しても良いか?」
 志摩と同じく正座していた炉火が伺うように問う。これに晴臣が小さく笑って本を開いた。
「ああ、そうだったね。私の事はもう気にしないで、どんどん闘ってよ」
「おう、有難うな青少年――っと、隙あり!」
「ぬお!?」
 背後を取る形で尻を撫でた炉火に志摩が飛び上がると、彼は得意気に言い放った。
「俺にすらそんなんじゃ、あの嬢ちゃんにゃ勝てねぇぞ」
 ニッと笑ったこの瞬間、志摩の目が据わった。


 シノビの術で昇る水柱と、放たれる銃撃。それを追う志摩の姿を視界に納めながら、嘉栄は自分のおデコを撫でた存在と向き合っていた。
「何者です」
 問い掛けながら刃を黒猫の面に向ける。
 爆発が起きたほんの一瞬で接近した相手。おデコを撫でようとする行動自体に思い当たる節は在る。けれど目の前で剣を構える姿に覚えはない。
「僕の事は如何でも良いよ。それよりも、彼の相手をしてあげなくて良いのかい?」
 顎で示された先に居たのは冬馬だ。
「貴方も見合いに?」
「……見合いと言うよりは、純粋に手合せして見たかった。勝てると言う自信はないが、簡単に負けられるつもりもない」
 己が刃に手を伸ばして語るその声に、嘉栄の目が細められる。そして次の瞬間、彼女は一歩を踏み出し、冬馬の間合いに飛び込んでいた。
「っ!?」
 急ぎ抜刀して薙ぎ裂かれる刃を受け止める。
 流れるような動きで火花を散らす刃に息を呑み――覚悟を決めた。
「勝負」
 刀同士が放れ、ほんの少しだけ隙が生じる。其処を突いて踏み込む冬馬の動きは大きい。
「見た事の無い流派ですね」
 全身を使って、離れた刃の反動を得て斬り込んでくる動きは明らかに自己流。けれど筋は悪くない。

 キンッ!

 先程は表面を滑った刃が、鋭い音を立てて弾かれる。それに眉を寄せるも一瞬、弾いた刃が戻りきるよりも早く、嘉栄の刃が胴に迫った。
「ッ、まだ……!」
 地面を蹴って後方に飛躍する。そして地面に着地するのと同時に、追いかける相手の懐目掛けて飛び込んで行く。
 そして――
「勝負あり、かな」
 紅葉を散らせて空を切った刃。それとは対照的に静かに喉元に突き付けられた刃に、冬馬の喉仏が静かに上下する。
「……強い」
 小さく瞬き零した声に、嘉栄の目が細められる。そうして刃を退くと正面より声がした。
「嘉栄さん」
 敢えて名を呼んで接近して来たのは葎だ。
 志摩の無事を確認し、折角だからと嘉栄に挑んで来たのだ。
「速い……ッ!」
 早駆を抜きにしてもかなりの速さだ。
 冬馬から素早く刃を下げ、改めて刃を構え直す。だが全てを整えるより早く、葎が先手を取った。
「――失礼」
 空気を裂く様に喉元を掻いた匕首に顔を背ける。そうして右肩を下げると、持ち直す間もなく一気に刃を振り上げた。
 此れに葎の足が地面を蹴る。
 宙返りするように身を反して飛び退いた姿に、今度は嘉栄が踏み込んでゆく。そして着地を待つ事無く刃を突き入れると、葎は七首の刃を返してそれを流した。
「これは凄い」
 嘉栄が押され気味になっている姿に、アルティアが零す。その上で自身の失った腕に目を落とすと、僅かな思案の後、彼もまた踏み出した。
「!」
 軽やかな金属音を響かせて弾かれた刃に、葎の目が見開かれる。けれど直ぐに表情を引き締めると、彼女は軽やかな動きで黒猫に踏み込んだ。
「何を……」
 一瞬で相手を奪われた嘉栄は、呆然として2人を見ている。その姿を視界端に納め、アルティアは別人の声を使って話し始めた。
「君に言っておきたい事がある。良いかい? 話をして想いを伝えあう事はとても大切な事なんだ」
 何を突然。そう目を瞬く嘉栄に、アルティアはローブで葎の視界を遮ると、脚向きを変えて嘉栄に接近した。
「ッ!」
 一瞬にして眼前に迫った黒猫の面に息を呑む。
「何故こうしたかを志摩くんに伝える事も。君が理由にしている人達の話をちゃんと聞く事も……統括になるならね」
 そう紡ぎ終えると同時に、目の前で彼の姿が薄らいでゆく。その事に気付いて手を伸ばすが、少し遅かったようだ。
 ミラージュの効果を借りて姿を消したアルティアの代わりに残ったのは、彼が纏っていたローブだけ。
 それをじっと見詰めながら、嘉栄は自身のおデコに手を伸ばした。
「……やはり、あの方でしたか」
 後にも先にも嘉栄のおデコを撫でたのは彼だけだ。思わず苦笑を零した彼女に葎が近付いた。
「考えは少し、すっきりしましたか? 先程の方も言っていましたが、素直にぶつけるのが吉ですよ、きっと」
 そう言って少し笑った彼女に苦笑を深め、嘉栄は同じように闘いを終えた志摩に目を向けた。


「青少年、何も言わずに帰るのか?」
 闘いの最中に姿を消したアルティア。その流れのままに帰ろうとしていた彼の足を炉火が止めた。
「うん、そうさせてもらうよ。僕はもう人と関わるつもりはないからね」
 そう言って笑った彼を、志摩にボロボロにされた炉火が木に寄り掛かりながら見詰める。
「その若さで勿体ねぇな」
「若さは関係ないよ」
 肩を竦め「じゃあね」と言葉を残して去って行く彼を見送り、炉火もこの場を去ろうと身を起こした。
 其処に新たな足音がする。
「おや? お前さんも帰るのか?」
 目を向けた先に居たのは冬馬だ。
「いや、俺は霜蓮寺を散策してみようかと思う」
 今の季節は紅葉が綺麗そうだ。
 そう語った彼に「ふむ」と目を細める。
「よぉし、俺も一緒に行くかな! 志摩に振られて寂しい心を癒す出会いが――って、ケチくせぇ」
 ドサクサに紛れて肩に触れようとした炉火を避け、冬馬は足早に霜蓮寺の町中へと歩いて行く。
 そして残る者達は、最後の心残りを昇華すべくこの場に残っていた。
「志摩殿。私は志摩殿に旅に出て欲しくありません。義貞殿や統括、それに雪華さんも寂しがるでしょうし、それに……私も」
 先程アルティアに言われた言葉を思い返す。
 思う事を自らの言葉で伝えなければ意味がない。誰かを隠れ蓑にして本音を言わないのは卑怯だ。
 だから紡いだ言葉なのだが、志摩から言葉は返って来ない。その代りに、傍で聞いていた晴臣が口を開いた。
「私は志摩の好きにしたら良いと思う。けど、自由気ままするにしたってまだ保護責任あるんじゃないかな?」
 義貞はそろそろ独り立ち出来るだろう。けれど彼には他にも面倒を見ている子供が居る筈だ。
「紫、だっけ? あの元気な子もそうだけど、全員が巣立つまでには、そうだな……還暦くらいまで神楽の都に居たほうがいいんじゃないかな」
「還暦!?」
 流石に声を上げた志摩に、ふふっと目を細める。そうして彼の顔を覗き込むように身を屈めると、彼は側に立っている葎を引き寄せた。
「ま、神楽の都にせよ霜蓮寺にせよ、居所がはっきりしていてくれるとたまに訪ねて行きやすいんだけどね? 最終的に決めるのは軍事だけど、あんまり知合いを悲しませない様にね」
 言い終えて、引き寄せた葎を志摩の方に押しやる。
 この仕草に志摩は勿論、葎も驚いた様に目を瞬いた。けれど志摩の前に来た事で言うべき事を決めたのだろう。
 伺うように向けた視線の後、彼女は微かに笑んで見せた。
「軍事さん、貴方は貴方の為に生きて下さい」
「葎……」
「あの方と同じ気持ちを持った今も、彼女ならどうしていたか……さすがに分かりませんが、僕は貴方の選択と決定を押しますから」
 最後に笑顔を乗せて放たれた言葉に眉が上がる。
「あ? 葎、今――」
「ただ旅に出るなら、嘉栄さんにひと月に一通は手紙を出す約束をぜひ。僕は此方で紫さんや……貴方の気掛かりを補います」
 誰かの為に生きる彼に、いつであっても自分にとって幸せだと思う選択をして欲しい。
 そんな願いを込めて放った言葉に、志摩の視線が落ちた。そして微かに息を吐くと、彼は自分の頭を困ったように掻いた。
「ったく、背中押してんだか引き留めてるんだかわかんねぇな……けどまあ旅に出るのは考え直しにするかな……つーか、もし出るなら一緒に来るか?」
 そう言って向けられた視線に、葎は戸惑うように瞳を揺らして言葉に詰まった。