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■オープニング本文 「もし楠に情状酌量を許可すれば、開拓者が彼女の姉を楠と偽装して引き渡した事が露見する。これはあってはならない事であり、伏せなければならない事象と判断する」 開拓者ギルドの奥で、志摩 軍事(iz0129)は真剣な表情で上が下した判断に耳を傾けていた。 「では、当初の予定と決定は変わらないと?」 「勿論。賞金首の捕縛、もしくは討伐と言う点において譲歩はない」 わかってはいたがキツイ判断だ。とは言え、ギルド側を責めることも、開拓者を責めることも間違っている。 「楠通弐に関し、沙汰を下す」 シンッと静まり返った室内に木霊する声。志摩は静かに聞き止め、そして瞼を伏せた。 ●開拓者ギルド牢 通弐の沙汰を聞き終えた志摩は、その足で楠通弐(iz0195)がいる牢屋へ足を運んでいた。 部屋の隅に敷かれた布団の中で横たわる姿を見ながら牢番に声を掛ける。 「入っても大丈夫か?」 「はい。上層部より話は聞いております。錠は掛かっておりませんのでご自由にどうぞ」 錠は掛かっていない。 この言葉に苦い物が浮かぶ。それでも表情には何も乗せず、志摩は牢の中に入った。 「よお、具合は如何だ?」 「……悪くないわ」 ポツリ。小さな声で零し、通弐の口元に笑みが浮かぶ。それを見止めながら彼女の脇に腰を据えると、志摩は緩く息を吐いて口を開いた。 「ギルドからの沙汰が下った……極刑、だそうだ」 どれだけ恩赦を求める声があろうと、賞金首にまでなった人間を恩赦する事は出来ない。開拓者ギルドはそう沙汰を下した。 その決定に通弐は「そう」と呟いて志摩を見上げる。 「何時かしら……?」 静かに見上げる瞳に覇気はない。 それもその筈、彼女は一命を取り留めた以降、何度となく死の淵を彷徨っている。 今夜が峠だと告げられたのは1度ではない。それでも何度か峠を越えたのは、彼女の強さ故か、それとも何か理由があるのか……。 「3日後の昼だ」 静かに告げながら、志摩は此処に来る前に聞いた医師の話を思い出していた。 『今夜が山でしょうな。もう次はないでしょう……本当に、よく生きました』 通弐の命の火は今消えようとしている。 無理矢理繋ぎ止めた命は仮初でしかなかった。 姿亡鬼に乗っ取られた段階で、彼女の中には瘴気が充満し、普通の人間なら即死んでしまう程重度な瘴気感染に陥った。 其処に戻った魂が素直に生きてくれる筈はなかったのだ。 それでも彼女は言う。 「……あの子たちのお蔭で、私は罪が償える……生きて、話が出来る。感謝、しないと……」 そうでしょう? そう微笑んだ通弐に志摩は苦笑を滲ませる。 「ねえ……あの子たちと、話、出来ないかしら……最後に、もう1度……」 自分を生かしてくれ、助けてくれ、自分の為に傷付いてくれた人達。 それらに会って話がしたい。 そう願う彼女に志摩が目を伏せる。 重罪人で極刑が決まっている存在。本来であれば叶う事の無い願いかもしれない。 だが彼女には成した功績と、彼女に寄せられた数通の恩赦を求めた文がある。そして何より、とある貴族からも恩赦を求める懇願の文が届いているのだ。 もしかすれば面会くらいは叶うかもしれない。 「……上に掛け合ってみよう。夜の内には人を集めるようにする。それまで待てるか?」 其処まで生きていて欲しい。 そう願いを込めて問い掛けると、通弐は少しおかしそうに笑って目を伏せた。 「急ね……処刑の日は、3日後でしょう……でも、大丈夫よ」 か細い息が牢の中に放たれ、何かを想うように彼女の目が薄ら開かれる。 「……叶うなら……最後に、あの時見た景色を、見たいわね……花鳥がいて、皆がいて……綺麗な桜が、咲いていて……」 初めて美しいと感じた世界。 夜の闇に薄く咲き誇る白の桜は、今でも鮮明に思い出せる。 「無理、かしらね……」 通弐はそう囁くと、スウッと眠りに落ちた。 その顔を見ながら思う。 「本当だったら、俺がそうなってたかもしれねえ。お前は俺の代わりに憑代になったようなもんだ」 姿亡鬼が狙っていたのは通弐と志摩の2人。どちらが憑代になるかは確率では半々だった。 「雪華の遺骨の件もある……此処で一肌脱がねえ訳にはいかねえか」 志摩はポンッと自分の膝を叩くと、勢いよく立ち上がった。 ●開拓者ギルド受付 「志摩、聞いたよ。楠の釈放が認められたんだって?」 受付に顔を出した志摩に、山本・善治郎が驚いた様に話しかけてくる。それに耳を傾けながら、彼は事前に認めて来た依頼書を彼に差し出した。 「医師に診断書を書いてもらってな。最期を看取るのを条件に許可して貰った」 意思が書いた診断書には『余命1日』と断言された文字が記されていた。 これは通弐を逃がす嘘では無く、本当のこと。そしてそれを受けたギルドは、討伐や刑を執行する必要が無くなったと判断し、志摩に彼女の身柄を預けたのだ。 「けどさ、今の楠は自分の足で歩く事も出来ないだろ。釈放されても何も出来ないんじゃないか?」 「さて、それは如何だろうな……何をするもしないも俺が決める事じゃねえ」 コイツらが決める事だ。 志摩はそう言うと自身が持って来た依頼書に目を落とした。 |
■参加者一覧
羅喉丸(ia0347)
22歳・男・泰
柚乃(ia0638)
17歳・女・巫
玲璃(ia1114)
17歳・男・吟
フィン・ファルスト(ib0979)
19歳・女・騎
アルマ・ムリフェイン(ib3629)
17歳・男・吟
ハーヴェイ・ルナシオン(ib5440)
20歳・男・砲
ミシェル・ヴァンハイム(ic0084)
18歳・男・吟
樂 道花(ic1182)
14歳・女・砂 |
■リプレイ本文 神楽の都から離れた土地に在る一軒の屋敷。其処はとある貴族が建てた物で、優しい雰囲気の母と娘、そして年の離れた息子が僅かな使用人と共に暮らしている。 「道中、気を付けるのですよ」 貴族は雪日向と言い、声を零したのはこの屋敷の主・紅貴(こうき)と言う女性だ。 彼女は旅支度を整えた盲目の娘に声を掛けると、傍に立つ開拓者に目を向けた。 「どうか、花鳥をよろしくお願い致します。この子も文で通弐の話を聞いて以降、居ても立っても居られない様子で……」 「文で?」 如何いう事だ。そう目を見張ったのは、志摩 軍事(iz0129)と共に花鳥を迎えにきた羅喉丸(ia0347)だ。 「『紅林』らしき人が見付かったので人物照会を頼みたい、と」 姿亡鬼との決戦前、1人の開拓者が花鳥宛てに文を送ったらしい。その内容は紅貴が述べた通り。 「結局は通弐が自らを認め、花鳥は情状酌量を願い出るに留めました」 「成程。貴族からの嘆願書は貴方がただったと言う訳か」 志摩の声に頷き、紅貴は羅喉丸を見た。 「嘆願は開拓者の側からもあったと聞いております。けれど――」 「お母様、そろそろ」 羅喉丸が花鳥を迎えに来たのは、今夜が峠であろう楠通弐(iz0195)に会わせる為だ。話をしていて遅れては元も子もない。 「改めて、花鳥をよろしくお願い致します」 紅貴はそう言うと、緩やかに首を垂れて彼等を見送った。そうしてある程度進んだ所で羅喉丸が呟く。 「俺は、あまり力になれなかった」 ポツリ、零された声に花鳥の顔が上がる。 「すまなかった」 此処に到るまでの経由は、花鳥の屋敷に到着後に全て話した。 彼女がどう云った経由で素性を明かし、如何云った経由で瀕死になったのか。 それらを聞いているにも関わらず、花鳥は静かに首を横に振った。 「そんな事はありません」 ハッキリと、確かな声音で言い切った彼女に彼の足が止まる。 「だが楠は……」 「貴方の話を聞いていて思いました。あのお方が生きているのは貴方がたのお蔭です。言葉を交わす時間をくださったのも、彼女と会うだけの時間をくださったのも、全て貴方がたです」 ありがとうございます。 花鳥はそう言葉を区切ると、柔らかに微笑んで羅喉丸の手を握り返した。 その頃青葉を茂らす桜並木で、提灯を用意していたアルマ・ムリフェイン(ib3629)は、一緒に作業をしていたユウキ=アルセイフ(ib6332)に声を掛けていた。 「この辺りで、大丈夫かな?」 「うん、そこなら大丈夫だと思う」 提灯は木々の間に紐を通し、其処に等間隔で括りつけられている。これは彼女が見たいと言った景色を再現する為の準備で、ユウキは通弐を助けられなかった謝罪から彼女の願いを叶えるべく手伝いに名乗り出た。 「あとは茣蓙を敷いて……あ、厚めの座布団も敷かないとだね!」 アルマはそう言うと、用意出来た提灯を見回し、次なる準備に駆け出した。 その姿を視界に、玲璃(ia1114)は掲げていた錫杖を下ろす。そうして空を見上げると、彼の目が緩やかに細められた。 「……雨の心配はなさそうですね。となると、彼女の望む景色が見れるのは以前と同じ時刻、という事になるでしょうか」 少しでも望む景色に近付けるよう、出来る努力はしておきたいもの。 その為に用意した100本の桜の枝もあるのだが、それは事前に市場で調達した花瓶に活ける事にする。 本来は桜の枝に結び付けて満開の桜を演出するつもりだった。けれど本物の桜を見せる事が出来るのであれば話は別だ。 「近くでも桜の花を感じられますよう……」 願いは幾つ重ねても足りない。 それはきっと、彼だけでなく他の皆もそうだろう。 桜の木の下で想いを紡ぐ準備をしている彼――ミシェル・ヴァンハイム(ic0084)もその1人の筈だ。 「……もう一度、あの景色を……か」 吸い込んだ風は夏の匂いを孕んでいる。 ミシェルは微かに震える手に目を落とすと、それを握り締めて目を閉じた。 (最期に会えるのを、幸運と思うべきか否か……――いや、答えは1つだな) 握り締めた手が白みを帯びると、彼は静かにそれを解いて瞼を上げた。 「『これは私の魂よ』、か」 あの時もらった人魂の飾りは、ずっと懐に仕舞ったままだ。 ミシェルは胸元に手を添えると、持参した竪琴を持ち上げた。そしていつか見た桜に想いを馳せるように再び瞼を閉じる。 もう直ぐ、仲間が彼女を連れて此処に来るだろう。その時はきっと……。 「……気合を入れないとだな」 込み上げる悲しみを抑えると、ミシェルは夏に染まる風を胸いっぱいに吸い込んだ。 「……助かると……あの時は安堵しました。でも、それは仮初でしか……なかったのですね。力が及ばなかったこと、とても悔しいです」 通弐を迎える前、柚乃(ia0638)はそう言って己が手を握り締めた。そんな彼女に志摩が言った言葉がある。 「お前さんは良くやったよ。雪華は姿亡鬼から解放されてすぐに死んだ。だが楠は生きてる」 お前さんが生かしたんだ。 志摩はそう言って彼女の頭を撫でた。 その言葉を聞いて喜んで良いのか、悲しんで良いのか、今の柚乃にはわからない。それでも1つ、わかっている事がある。 (残す時間は限られてしまったけど、でも一時とも無駄にはできない) 最期の時まで、彼女の望みを叶えたい。その為の力になりたい。 だから此処に居る。 「大丈夫か?」 入口前で足を止めた柚乃に樂 道花(ic1182)が声を掛ける。これにハッとなって顔を上げると、彼女以上に神妙な面持ちで入り口を見詰めるフィン・ファルスト(ib0979)が見えた。 「フィンさん……あの……」 「んっ……大丈夫……大丈夫だから」 目を僅かに擦って扉に手を伸ばす。そしてそれを開け放つと、布団の上に腰を下ろした通弐と目が合った。 「随分と、遅かったのね」 クスリと笑って此方を見る姿に、フィンの唇が噛み締められる。それでも道花に背を押されると、彼女はゆっくり通弐に歩み寄った。 「ごめんっ……あそこの桜、だよね? 行こっか」 言って笑顔を浮かべて身を屈めると、道花も同じように身を屈めて彼女の顔を覗き込んだ。 「あの時と同じだ。皆で祭りを楽しもうぜ」 ミシェルも居るぜ? そう言った彼女に通弐の目元が笑みを刻む。 それを見届け、柚乃は用意しておいた物を差し出した。 「それ、は?」 「お祭りといえば、浴衣が思い浮かんだんです。楠さんに着てもらいたくて……用意しました。どの絵柄がよいかな?」 朝顔と瑠璃の浴衣。どちらも通弐に似合いそうだが、当の本人は僅かに戸惑ったように視線を動かしている。 「お祭りには浴衣を着るって言うのが、天儀では常識らしいよ」 唐突に聞こえた声に目を向けると、だいぶ懐かしい顔が見えた。 「……ハーヴェイ、だったかしら」 「正解だね。それにしても前に見た桜が見たいって……そんなに綺麗なら勿体ない事したもんだぜ」 ハーヴェイ・ルナシオン(ib5440)は別の仕事で一緒出来なかった依頼を思い出して苦笑した。その他にも色々と脳裏を過ることもあるが、今考えるべきは其処ではないだろう。 「着替えるなら外に出るが……如何する?」 浴衣は差し出されたままだ。 柚乃は伺うように通弐を見ると、彼女は少しだけ躊躇いを覗かせた後、美しい青色の瑠璃が描かれた浴衣に手を伸ばした。 ● チリン……チリンッ……。 「……来たな」 近付く鈴の音に、志摩が静かに口を開く。 その声にミシェルが顔を動かすと、道花の背に負ぶさって近付いてくる通弐の姿が見えた。 綺麗な浴衣に袖を通し、頭に白猫の面を付けた彼女に一瞬見惚れるも、彼は直ぐに自分の役割を思い出して歩き出す。 「ようこそ、姫君」 少し照れくさそうに笑って手を差し伸べた彼に、通弐の目が瞬かれる。そして「?」と首を傾げられると、彼の顔が赤く染まった。 「くくっ、恥ずかし……っと、花鳥じゃねえか。久しぶりだな!」 通弐に振動を与えないように声を上げ、道花がゆっくり花鳥に歩み寄る。そして茣蓙の傍で立っていた彼女と視線を合わせるように膝を着くと、すぐさま傍に控えていたハーヴェイとフィンが手を差し伸べて来た。 「まずは座ろう」 「アルマさん、この座布団で良いのかな?」 用意された座布団は、通弐が使う事を遠慮しないように、全員に行き渡る数をアルマが用意した物だ。 「うん。全員分あるから皆も座って」 言って志摩を含めた全員を茣蓙に招く。そうして全員が腰を据えると、通弐は感慨深げに全員を見回した。 「……こういうのを、夢みたい……と、言うのかしら」 少し笑って呟く彼女に、玲璃が微笑みながら冷やし甘酒を差出す。その姿に通弐の目が瞬かれた。 「貴方は……」 「改めまして。玲璃と申します」 目礼しながら囁き、彼女の傍に桜の枝を挿した花瓶を添える。そうして身を引くと、フィンが慌てた様に手を差し伸べて来た。 「通弐、大丈夫? 疲れてない? なんなら符水もあるから」 言って符水を用意し始めた彼女に、通弐の口角が上がる。 「貴女、そればかりね」 「っ、だ、だって」 自分に出来るのは通弐の体にかかる負担を最小限にしてあげることだけ。だから出来ることは全てしたいのだ。 「……困った子……でも、ありがとう」 「通弐……」 瞳が潤みそうになって思わず視線を逸らす。と、其処に2つの白花の髪飾りが差し出された。 差し出したのは道花だ。彼女は言う。 「1つは花鳥に、もう1つは通弐にだ」 どちらも自力では付けられない。 道花は2人の髪に髪飾りを添えると、満足そうにその姿を見比べてニシシッと笑った。 「とっても可愛らしいぜ? 2人とも」 な? そう思うだろ? そう同意を求めて皆を振り返る。と、これに羅喉丸が頷いた。 「そうだな。良く似合っている」 まるで姉妹の様に見えると呟く彼に、花鳥は何処か嬉しそうだ。 こうして2人が並んでいると、少し前に戻ったようにさえ思える。 通弐が紅林として花鳥の傍に居た、あの僅かな時に――けれど現実は過去に戻れない。 「……皮肉なものだな」 羅喉丸はそう呟くと、眩しそうに言葉を交わす花鳥と通弐を見詰めた。 そうして時を置かず、アルマが事前に話し合っていた事を決行すべく声を上げる。 「ミシェルちゃん」 「ああ、わかってる」 ミシェルは立ち上がって通弐を見ると、彼女に微笑み掛けて竪琴を構えた。 (……頼む、咲いてくれ……) 細く繊細な指が弦に触れ、夜の風に流されて柔らかな音色が響く。それに通弐が顔を上げると、彼女は驚いた様に目を見開いた。 「これ、は……」 通弐の目を奪ったのは満開の桜だ。 「……これが、想いの力」 玲璃は、提灯の明かりに照らされて闇に浮かぶ、白の桜を見て呟いた。 通弐が見たいと願い、その願いに応える形で咲かされた花。 話には聞いていたが此処まで見事に咲き誇るとは思っていも居なかった。 その姿はまるで時を戻したかのように美しい。 「綺麗、ね」 か細く、それでも皆に聞こえるように紡がれた通弐の声に、演奏を終えたミシェルが気付いて微笑む。 「だな。もう1回、一緒に見られるとは思わなかったけど……やっぱ、綺麗だ」 同意するように放たれた声。それに笑みを深めると、通弐は今の景色を瞳に刻むよう、じっと桜を見詰めた。 ● 『貴方たちの思っている事を話して』 ミシェルの奏でた桜が終わり、アルマが続いて楽を奏で終えた直後、通弐はそう言って皆との会話の機会を望んだ。 これに道花が1つの提案をする。 「もしできれば花鳥の屋敷に行きたいな」 花鳥の屋敷は神楽の都に在る。 今は空き家で誰も使っていないが、花鳥が住んでいた頃と変わらない佇まいで其処に在るのは志摩から聞いていた。 「ほらさ、静かにのんびり桜の花湯でも飲んでまったりできりゃなって思ってさ」 それに。と言葉を切った彼女が、小さな声で付け足す。 「それで、皆最後に言いたいこと言いやすいかと、思って」 ――最後。 この言葉に誰もが言葉を失った。 月は既に頭上にあり、通弐の残り時間が僅かであることを知らせている。 「楠さん、動けそうなら移動するかい?」 ミシェルとアルマが交互に咲かせてくれた桜もそろそろ見頃を終える。 通弐はその姿を見詰め、静かに頷きを返した。 そして現在、開拓者等は通弐を連れて花鳥の屋敷を訪れていた。 場所は外が見える縁側に。 普段着に着替えた通弐の背にはハーヴェイが持って来たもふらの抱き枕が差し込まれ、彼女が少しでも苦しくないようにと工夫が凝られている。 通弐はそんな心遣いを受け取りながら、開拓者が口にする言葉に耳を傾けていた。 「楠さん。あの時は、助けてくれてありがとう」 そう口にするのは柚乃だ。 姿亡鬼が攻めて来た時、通弐は柚乃を護った。あの時の感覚を思い出して彼女は柔らかな笑みを浮かべる。 「なんだか、お姉さんができたみたいで嬉しかったです」 「……私が、姉……?」 はい。そう微笑んで頷きを返す。 これが柚乃の出来る精いっぱいの表情だ。 暗い顔はしたくない。せめて明るく見送りたい。 そんな想いから引き出した表情。そしてその表情と一緒に彼女に贈りたい物がある。 柚乃は大きめの杖を構えると、六角形の人を作り出して通弐の周囲にそれを置いた。 「これで、少しでも楽になると良いですけど」 彼女が形成したのは精霊力で作った強固な結界だ。瘴気を寄せ付けず、正常な空間を作り出すこの技が少しでも彼女の役に立てば良い。 そんな思いで紡ぎ出した空間に次いで、小鳥の囀りを紡ぐと、今まで様子を伺っていたアルマが顔を覗かせた。 「……あら、狐の坊やね」 「うん。狐の坊やはね、アルマって言うんだよ。通弐ちゃん」 自己紹介がまだだったね。そう笑う彼に目で頷くと、彼は居住いを正すように正座して、通弐に向かって頭を下げた。 「通弐ちゃん、僕からもありがとう。守ってくれた事もだけど、還ってきてくれた事も」 ニコッと笑ってもう1度勢いよく顔を上げる。 そしてこちらを見ている仲間を振り返ると、ふわふわの耳を動かして言った。 「あと……通弐ちゃんと彼女を動かした皆にも感謝……僕にとって、1つの希望なんだ」 彼には願いが……想いがある。 その想いが実るかどうか、それはまだ見えない先のこと。 だからこそ不安になる事もあるが、それでも今回見せてもらった通弐と開拓者の関係は、彼の想いに1つの希望を見せてくれた気がした。 (罪は変わらない、でも人は変われて、守ることができる) まるで決意を固めるかのように引き締めた唇に、通弐が緩く目を瞬く。そして唇を微かに動かすと、静かな声を零した。 「……希望、実ると良いわね」 そう言って目を向けた彼女に、アルマは「うん」と頷いて笑みを浮かべた。 「あ、そうだ。通弐ちゃんに桜を見て貰うのに、彼にも協力して貰ったんだよ!」 突如表情を明るくして身を乗り出した彼は、入り口付近で様子を見守っていたユウキを手招きした。 「あ、あの……」 目の前に立って、バツが悪そうに逸らされた視線。それでも通弐が不思議がるだろうと、ユウキは意を決して彼女の目を見た。 そして勢いよく頭を下げる。 「楠さん……、助けれなくてゴメンなさい……」 言って差し出された桜の枝を見詰めながら、通弐はフッと口角を上げた。 「気にして、ないわ」 桜は見詰めるだけで手を伸ばせない。 それに気付いたのだろう。 ハーヴェイが手を伸ばすと、ユウキの手から通弐の手へと枝を渡してくれた。その上でユウキに聞こえるように問い掛ける。 「楠さんは今幸せかい?」 「え」 思いも掛けない質問に、ユウキが戸惑うようにハーヴェイを見た。それに片目を瞑って見せながら、彼は通弐の返事を待つ。 「どうだい? 幸せかい?」 言葉に皆を見回す通弐は、最後にユウキを見止めると、穏やかな表情で囁いた。 「ええ……幸せよ」 「そうか。出来ればそれを楠さんがしわしわのお婆ちゃんになってから聞きたかったなぁ」 言って少し笑うと、ハーヴェイは込み上げる涙を呑み込むように天井を仰いだ。 幸せだという事は、彼女は後悔していないという事だ。 誰が何と言おうが、助けられなかったと言おうが、彼女はそれで満足しているという事になる。 とは言え、実際には穏やかに暮らして欲しかったし元気で生きていて欲しかった。それにもっとたくさん色んな物を見て欲しかった。 勿論そう思うのはハーヴェイだけではない。フィンもまた、彼と同じ思いを抱いている者の1人だ。 だからこそ聞いてみたい。 「通弐……あたし達や紅林さんたちと初めて会ってから、どうだった?」 絞り出すように紡ぎ出した声に通弐の目が向かう。 「もっとさ、いろんな所、連れていきたかった。もっといろんな物、見せたかった。これが、今の貴方に見える世界なんだよって……!」 真正面からぶつかるフィンの視線は真剣で、通弐はその目を見詰めると、微かに笑んだ状態で呟いた。 「フィン。私、幸せよ。今見えている世界は……とても、素敵……色が沢山で、綺麗で……こんな世界が、あったって……それが見れただけで、幸せよ」 人間の敵として、ただの賞金首として生きていたら見れなかった世界。それを見せてくれたのは開拓者だ。 感謝こそすれ、怒ったり恨んだりする事などある筈もない。 それを聞いて安心したのだろう。 フィンは少し落ち着いた様子で「そっか」と零すと、笑みを唇に刻んで小首を傾げた。 「……通弐。あたしはたぶん、もっと後でアンタの所に行くと思う。その時は今までどうしてたか、花鳥さんたちがどうなってたか伝えるからさ……手合わせ、して貰っていい?」 好敵手として後を追い、今では友達になれたと信じている。だからこそいつか来るであろう再会の時を信じて、確かでなくても約束が欲しい。 「……まだ、来なくて良いわよ」 通弐はそう告げると「でも」と零して息を吐いた。 「……いつか、したいわね……友達とする手合せは、どう、違うのかしら……」 フッと息で笑ってフィンを見る。 それに泣きそうになって顔を歪めると、フィンは顔を俯けて拳を握り締めた。 「……、…しなきゃ、わかんない…よ……」 堪えるつもりだった涙が今にも溢れてきそうだ。それでも何とか我慢すると、最後に聞きたかった事を口にした。 「ねえ……アンタの弓、どうしたい?」 彼女が闘いに使用していた弓。彼女が強くなる為に使い続けてきたそれは如何したら良いだろう。 誰かに託すのか、壊すのか、それとも―― 「……一緒が、良いかしら……」 通弐はそう告げると「頼むわね」と言葉を添えて彼女を見詰めた。 其処に新たな声が届く。 「今の話に添う話なのですが……よろしいでしょうか」 場の空気を壊さないよう、静かに問い掛けた玲璃に、フィンが目頭を擦って頷く。 「楠さん。今後貴方及び貴方の体を、アヤカシに弄ばれぬ為の許可をお願いします」 具体的には葬送儀礼を行いたい。そう願い出た彼に断る術もない。 「……賞金首の私には……良過ぎる、申し出ね……是非お願い、したいわ」 本来であれば手厚い埋葬などある筈もなかった。故に願っても無い申し出で、通弐は頭を下げる代わりに瞼を伏せて彼に後の事を託した。 「良かったな。これで紅林と離れずに済むな」 通弐の手を取って笑顔を向ける道花に唇が綻ぶ。 「なんか、ごめんな。きちんと守ってやれなくて。手荒な方法しかできなくて」 でも、良かった。 そう言った道花の気持ちに心が温かくなる。 既に力の入らなくなった手を動かして彼女の掌を摩ると、道花の顔がクシャッと歪んだ。 「また祭りに行けたのは嬉しかった。紅林によろしくな……今度は、ちゃんと二人一緒だ。いつまでも」 ギュッと手を握り締めて精いっぱい笑って見せる。そしてそれに応えるように楠が目を細めると、皆の言葉を今まで聞いていた羅喉丸が進み出た。 「此処にいる皆は楠に感謝している」 全員を視界に納められるように立ち、その上で自分が助けられた時の事を思い返す。 姿亡鬼に憑依されたあの時、もっと別の選択をしていれば違う未来があったのではないか。そう思う事もある。 だが結果を変える事はもう出来ない。 ならば彼女を困らせる言葉では無く、本当に伝えるべきは別の言葉の筈。 「楠が不利を承知の上で開拓者を助けてくれた、そして俺も助けてもらった。俺がまず姿亡鬼に憑依され、瘴気に侵されて死んでいたかもしれない」 自分目掛けて飛び込んで来た姿亡鬼は今でも覚えている。そしてそれから守られた瞬間のことも。 「楠の選択によって俺は助かった。その事を伝えたいと思った。そして感謝していると言うことも伝えたかった……ありがとう」 羅喉丸はそう言うと、深く頭を下げた。その耳に静かな声が響く。 「……私の方こそ……ありがとう」 ハッとして顔を上げた時、通弐は瞼を閉じていた。 「楠!」 思わず駆け寄った彼に続いて他の面々も彼女に駆け寄る。そして微かに息が続いている事を確認すると、皆の視線がミシェルに向かった。 「ミシェル、話したいんだろ?」 志摩から今回の依頼について聞いた時、ミシェルは集まった皆に通弐と2人で話をしたいと言う希望を申し出ていた。 「俺達は席を外しておくぜ」 後悔するなよ。 ハーヴェイはそう告げると、皆を伴って部屋を出て行った。 それを見送り、ミシェルは通弐に向き直る。 既に瞼を上げる力もないのか、目を閉じたままの彼女に胸が締め付けられそうになる。 (……泣くなよ、俺。ちゃんと、言えるまで) ギュッと唇を噛み締め、通弐の傍に膝を折る。そして彼女の手を取ると、道花が迷子防止にと彼女に付けたブレスレット・ベルが鳴った。 その音に息を吸い込んで口を開く。 脳裏に浮かぶのは、通弐が何も言わずに、姿亡鬼と向き合う為に、1人で全てを背負って旅立ったあの日の事。 「通弐、あの時アンタが俺たちを思ってくれたのも分かる……けど同時に、どうして頼ってくれなかった、とも思った」 もし頼ってくれていたら、もっと何か出来たんじゃないか―― (――いや、頼って欲しかったのは俺だ。俺がアンタに頼って欲しかった……何故なら俺は……) 「俺は、アンタが好きだ。通弐」 ピクリ。 通弐の睫毛が揺れた。 「今も、この先もずっと……これだけは、絶対に変わらないから」 冷たい手を握り締めて彼女の顔を見詰める。 彼女がどう思うかはわからない。 もしかしたらこの目はもう開くことはないのかもしれない。それでも伝えたかった。 「通弐の魂は、俺が守る」 あの時交わした約束を今度こそ護るために。その為の誓いを口にしたかった。 そう告げる彼に、息のような小さな声が届く。 「……前……本で、読んだ……」 「……本?」 紅林の死後、怪我で動けなくなった通弐は沢山の本を読んだ。その中にこんな本があった。 「……人間は、来世…と言う、もの…を……信じて、る……のよ、ね」 人は死んだら生まれ変わる。 通弐には到底想像もできない事項で、今の今まですっかり忘れ去っていた。 だから詳しい事は知らないし、思い出す気もない。それでも思い出したのはミシェルの言葉を聞いたから。 「逢える、かしら……もう…1度……貴方と……皆と……来世で……」 「っ……、…逢える……いや、探す。俺がアンタを見付ける。だから逢おう!」 祈る様に引き寄せた手に、閉じられたままだった瞼が上がる。そうして僅かに笑みを浮かべると、通弐は「ええ」と言葉を残して再び瞼を閉じた。 ● 長く続く詠唱の後、玲璃は星の瞬く錫杖を大地に添え、静かに後方を振り返った。 「これで、ひと月の間はアヤカシの干渉を受ける事は無いでしょう」 彼女が錫杖を振り降ろした先には通弐が眠っている。 「志摩さん、ありがとうございます」 フィンはそう言うと、深く頭を下げた後に小さく盛られた2つの墓を見た。 1つは通弐の眠る墓。そしてもう1つは彼女の代わりにギルドへ差し出された紅林の墓だ。 「通弐ちゃん、ちゃんと眠れてるかな?」 「紅林が見張ってるんだ、大丈夫だろ。だよな?」 アルマの声に応えた道花は、そう言って手を合わせていたミシェルを見た。その視線に彼の口元に苦笑のような笑みが浮かぶ。 「……どっちも頑固そうだから、どうだろうな」 初の姉妹喧嘩をしてなければ良いが……そう危惧する彼に、ハーヴェイが「はは」と乾いた笑いを零す。 「そう言や、お前さんらに渡してくれって楠から頼まれてた物があったんだ」 ほれ。志摩はそう言って皆に、1つずつ小さな袋を手渡した。 「これって香り袋……ですか?」 柚乃の問いに志摩は頷く。 「思い出を形にしたいって言われてな。探すのに苦労したんだぜ」 通弐の要望は「皆が安らげる物」「桜の思い出になる物」だった。 志摩は短期間で彼女の要望に応えるべく奔走したらしいが、最終的にこの香り袋で納得して貰ったらしい。 「『皆と見た桜の香りがする』って言ってな。俺は消耗品だから残らねぇぞって言ったんだが、何でか譲らなくてな」 「皆で見た桜と同じ香り、か」 羅喉丸は香り袋を見下ろして呟く。 袋越しで確かな匂いは確認できないが、それでも仄かに漏れてくる香りはあの時の香りに似ている気がする。 「思い出の品を贈るのは、忘れて欲しくないからだって聞いた事があります」 柚乃の言葉に皆の視線が香り袋に落ちる。 皆で見た桜を、自分の事を忘れないで欲しい。 不器用で立場を知っているからこそ紡げなかった言葉。それが贈られた品に籠められているかと思うと何とも言えない気持ちになる。 「忘れるわけないだろうが……馬鹿だな」 ミシェルは口の中で小さく零すと、微かに笑んで受け取った香り袋を懐に仕舞った。 |