姿亡・憂い抱く森
マスター名:朝臣 あむ
シナリオ形態: イベント
相棒
難易度: 難しい
参加人数: 34人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2014/07/07 11:58



■オープニング本文

――祠へ。私も行くから。

 楠通弐(iz0195)が残した言葉。この言葉を受けた志摩 軍事(iz0129)は、重苦しい息を吐き出しながら呟く。
「……憑依された人間は、大抵その瞬間に死ぬ。だが稀に自我を生かし、魂を肉体に残す奴が居る」
 雪華がそうだった。
 志摩はそう言葉を切って、開拓者が持ち込んだ宝珠を見詰めた。
 透明の、まるで水晶の様に澄んだ珠は、数年前に雪華ごと姿亡鬼を滅した時と同じ光を放っている。
「雪華は姿亡鬼を自身に憑依させた後餓鬼山に逃げ込み、俺はそれを追って餓鬼山に入って……奴を殺した」
 志摩の説明によると雪華への憑依は彼女の賭けでもあったそうだ。
 憑依されれば死ぬまで姿亡鬼の憑代にされるのは明確。だが憑依されている間、完全に自身を失うかまではわからなかった。
 だから……。
『……姿亡鬼を私に憑依させた後、もし私の意思でまだ動く事が出来たなら、私は霜蓮寺から離れた場所に向かうわ。其処で私を倒してちょうだい』
 穏やかに微笑みながら告げられた言葉がどれだけ残酷だったか。今思い返しても苛立ちや悲しみ、抑えきれない無力感が襲い掛かってくる。
 それでも成すべき事がある以上は堪えなければいけない。過去、開拓者に迷惑を掛けた自分に戻る訳にはいかないのだ。
「雪華は自分の意思で餓鬼山に向かった。それは間違いねぇ……なら楠も可能なはずだ」
 賞金首にまでなる実力者だ。それに彼女は少し前までアヤカシと共に行動していた。
 その結果を顧みるに、瘴気に対する耐性が大きい可能性がある。
「信用出来るのでしょうか?」
 問い掛けたのは月宵 嘉栄(iz0097)だ。
 通弐が上級アヤカシと共に攻めて来たのはそう遠くない過去の出来事。それから更生したとして何処まで信用できるかわかったものではない。
 そう語る彼女の気持ちは良くわかる。
「俺も……信用出来ない」
 ポツリ。零した陶 義貞(iz0159)は、複雑そうな面持ちで視線を落とす。口では「信用出来ない」と言っているが、彼の顔は迷っているように見える。と、その頭に触れ、天元 恭一郎(iz0229)が口を開いた。
「僕は信用して良いと思いますよ。彼女は開拓者に憑依しようとした姿亡鬼を我が身に移した。姿亡鬼の狙いが元々楠だったとしても、彼女が身を挺して守ったのは人間です。自分を犠牲にしても人間を守ろうとした気持ちは汲んであげるべきじゃないでしょうか」
「お前さんがそんなこと言うとはな……」
 元々辛口で批判思考の恭一郎がこう言うことを言うのは珍しい。それに苦笑を零しながら志摩は呟く。
「アイツは元々開拓者を巻き込むつもりはなかった。その証拠に生きる居場所を捨てて、1人で姿亡鬼の事を調べてたんだからな」
 通弐は当初、開拓者の助けを得て生き延び、そのまま姿を晦ます筈だった。けれどそれをしなかったのは、彼女に関わった者を危険から遠ざける為だ。
 それは此処までの行動を辿れば想像できる。とは言え、本人から聞いた話ではないので定かではないが、それでも誰かを欺こうとしていたとは思えない。
「俺も……アイツの言葉を信じようと思う」
「おっちゃん!」
 思わず声を上げた義貞に、志摩は真っ直ぐな視線を向け語りかけた。
「憑依された奴は死ぬ。少なくとも今まではそうだった……死ぬ覚悟を持った奴が言った言葉をお前は疑うのか?」
「それは……」
「無理に信じる必要はねぇ。だが姿亡鬼を倒す為には力が必要だ。手くらいは貸してくれ」
「姿亡鬼の他に幻黄の存在もあります。不安であれば幻黄の対応をすると言うのもありかと」
 嘉栄の言葉にハッとした。
 そう言えば先の騒動で幻黄を取り逃がしているのだ。つまり今回の闘いには姿亡鬼と幻黄の双方が揃うという事になる。
「戦力を二分されるのは痛いですが致し方ないでしょう。そう言えば……」
 ふと言葉を留めた嘉栄に皆の視線が向かう。
 それを受け、彼女は志摩に目を向けた。
「僧兵の技の中に幻黄に対抗し得る技があった筈……志摩殿、覚えはありませんか?」
 雪華と共に霜蓮寺に居た頃、志摩は僧兵として闘っていた。その彼ならば何か思い当たるかと思ったのだが――
「あったとは思う。けど……悪ぃ」
 忘れた。そう苦笑した彼に「そうですか」と呟く。ともあれ幻黄に関しては変化の術を如何にかするのが最善の策だろう。
 姿亡鬼に至っては通弐の技を封じるのが一番だろうが、たぶん難航する恐れがある。
「私は幻黄討伐に当りましょう。義貞殿もこちらで宜しいですか?」
「……うん。若葉の姿を取ったアイツを、俺は許せない」
 それに。そう言い掛けて言葉を止めた。
 たぶん此処で口にすべきではない言葉だから。だから今は何も言わずに言葉を噤む。
「では僕は姿亡鬼の方へまわりましょう。不覚を取った借りは返さないと、ですし」
 クスリと笑った恭一郎に志摩は一抹の不安を覚えたが、それ以上に確認しなければいけない事がある。
「幻黄と姿亡鬼は離して倒す。姿亡鬼に関しては、楠に止めを刺す瞬間を狙って宝珠を祠の窪みに嵌める……もしこれに失敗すれば楠は無駄死にし、姿亡鬼は別のモノに憑依するだろう」
 機会はたった一度。
 それを逃せば全てが無駄になる。そう告げた彼に誰もが息を呑む。
「楠の寄越した絶好の機会だ。此処で寄生虫みてぇに生き続けたアヤカシの息の根を止めるぞ!」

●???
 ドサリと草の上に転がった肢体は通弐の物だ。
 彼女は苦しげに息を吐きながら空を見上げる。その胸中に在るのは「行かなければ」と言う思い。その為には如何しても接触しなければいけない相手がいる。
「姿亡鬼様!」
(……来た、わね……)
 虚ろな瞳を動かして、急いで駆け寄る黄金の鎧を見詰める。そうして口角を上げると、彼女はゆっくりとした動作で起き上がった。
「幻黄、無事だったんだね……」
「勿論で御座います。それよりも楠の体を手に入れた後、御様子がおかしかったと……」
「……問題ないよ。少し、楠が暴れていただけだから」
 ドクンッ。と心臓が跳ね上がる。
 それに苦痛の色を示すと、幻黄は心配した面持ちで彼女の顔を覗き込んだ。
「雪華の時と同じで御座いますね。無駄な抵抗など止めれば良い物を……如何なさいますか」
(雪華……そう言えば、彼女……生きて、いたのよね……)
 内に浮かぶ思考。それに緩く首を振って立ち上がる。その上で空を見上げると、眩しいくらいに輝く月を見詰めた。
(……綺麗……)
「……行くよ」
「は? どちらへ……」
「祠だよ。あれがあっては面倒だから……壊す」
 幻黄は成程。と頷いて姿亡鬼の前を移動し始めた。それを見詰めながら通弐の足も動く。
「……もつ、かしら」
 祠までの距離はわからない。それでも其処までは自分の足で歩かなければ。
(……約束は、守らないと……必ず……)
 祠に行けば開拓者が居る。彼等ならば姿亡鬼を倒してくれるだろう。だから――


■参加者一覧
/ 羅喉丸(ia0347) / 柚乃(ia0638) / 佐上 久野都(ia0826) / 玲璃(ia1114) / キース・グレイン(ia1248) / 瀬崎 静乃(ia4468) / フェルル=グライフ(ia4572) / 紗々良(ia5542) / 千見寺 葎(ia5851) / リューリャ・ドラッケン(ia8037) / 劫光(ia9510) / ユリア・ソル(ia9996) / フラウ・ノート(ib0009) / ヘスティア・V・D(ib0161) / リンカ・ティニーブルー(ib0345) / フィン・ファルスト(ib0979) / 无(ib1198) / 五十君 晴臣(ib1730) / ケロリーナ(ib2037) / 東鬼 護刃(ib3264) / アルマ・ムリフェイン(ib3629) / ウルグ・シュバルツ(ib5700) / 匂坂 尚哉(ib5766) / ユウキ=アルセイフ(ib6332) / 玖雀(ib6816) / サミラ=マクトゥーム(ib6837) / レト(ib6904) / ケイウス=アルカーム(ib7387) / 刃兼(ib7876) / 戸隠 菫(ib9794) / ミシェル・ヴァンハイム(ic0084) / 紅 竜姫(ic0261) / 鎌苅 冬馬(ic0729) / 樂 道花(ic1182


■リプレイ本文


 魔の森に漂う瘴気が濃くなる中、祠の周辺に術を施していた玲璃(ia1114)は耳に届く音に顔を上げた。
「……何かが近付いて――っ!?」
 頬を通り過ぎた風に思わず目を閉じる。だが直ぐにそれを開けると彼は驚いた様に息を呑んだ。
「貴女は……」
 楠さん。そう言い終える前に、楠通弐(iz0195)の姿をしたモノが祠の入口に向かう。そうして瘴気で造り出した矢を構えると、彼女は迷う事無く前方の森に向け放った。

 ゴォォオオオッ!

 騒音を響かせ、爆風を放ちながら森が割れる。
「……居た」
 フッと安堵の笑みを零した彼女に、刃兼(ib7876)が目を見開く。
「楠、まさか……まだ自我が……」
「伏せろ!」
 割れた森の向こうに見えた祠。その中に在る開拓者を見て笑んだ彼女に零した声。しかしその真偽を確かめる間もなく、刃兼の体は地面に転げた。
「っ、……よそ見してる暇はねぇぞ」
 覆い被さる様にして共に地面に倒れた匂坂 尚哉(ib5766)に目を向ける。そうして目を彼の後ろに向けると、黄金に光る斧が此方目掛けて降って来るのが見えた。
「その様だッ! 尚哉退け!」
「わかってるっつーの!」
 左右別々の方向に転げて攻撃をやり過ごす。そうして己の武器を構えると、黄金の鎧を着たアヤカシが楠の消えた森を護る様に立ち塞がった。
「幻黄、奴等を足止めするんだ」
「畏まりました、姿亡鬼様」
 長く伸びた黄金の腕を引き寄せながら幻黄が頷く。どうやら彼女は楠を姿亡鬼と思っているらしい。
「あいつ……」
「なあ、義貞。義貞は信用出来ねぇっていってたけど、俺は通弐を信じていいんじゃねぇかなって思ってる」
 不意の攻撃に巻き込まれた尚哉を心配して駆け付けた陶 義貞(iz0159)に彼は言う。
「信じる事が、あいつが姿亡鬼を抑え込む力になると思うんだよ。だからさ、通弐が無事戻ってこれるように俺達も頑張らねぇと」
 な? そう笑んで相棒を見上げる。その視線に唇を噛み締めると、彼の肩に柔らかな手が触れた。
「義貞さん。今あたいたちがする事は彼女を疑う事じゃないよ。若葉が託してくれた想いを玩んだ幻黄……それと同じ様に誰かの姿を語り、また別の誰かの思いを踏みにじるかも知れない。その可能性を潰さないと」
 その為に元気を見破る事に専念したい。
 そう語り、リンカ・ティニーブルー(ib0345)は朱塗の色羽の矢を取り出した。
「義貞さんが守ってくれるなら、幻黄を見破る事に専念出来るのだけど……」
「義貞、思うものは多々あれど声姿に惑うでないぞ? 其れは偽り。ならば真実映す一太刀となれ」
 未だ戸惑う彼に声を掛け、東鬼 護刃(ib3264)は怠そうに幻黄を見やる。
「ほれ、姿を変え始めたぞ」
 目を向けた先で幻黄の姿が変化してゆく。それを目にした直後、【疾紅】の佐上 久野都(ia0826)が声を上げた。
「まさか、ブルーム?」
「ブルーム?」
 誰? そう問い掛けた同隊の紗々良(ia5542)に久野都は眉を潜める。
「……過去、この付近で暴れていた上級アヤカシです。見目の麗しいアヤカシでしたが……」
「わたくしの耳を傷付けた罰、まだ完成していませんでしたわよね? さあ、嘆きの宴を再開いたしましょう♪」
 そう言うと、金髪碧眼の見た目にも美しい少女の姿をした幻黄は、全身に茨を巻き付けながら飛び出してきた。

「やはり、来たか……」
 照準を木々の合間に合わせながらウルグ・シュバルツ(ib5700)が呟く。そんな彼の視線の先に現れたのは、糸を覗かせながら這い寄る餓鬼蜘蛛だ。
「悪いが、この前のような邪魔はさせない……大人しく瘴気に還るんだな」
 息を潜め、瞳を眇めて銃口のブレを抑える。その上で引き金を引くと、蜘蛛の頭が弾け飛んだ。が、直後、瘴気と共に無数の糸が飛んできた。
「なっ!」
 腕に絡み付いた糸が放れない。
 もがけばもがく程に締まる糸に焦りが募る。だが焦る理由はそれだけではない。
「後ろにも……、……」
 いつの間に這い寄ったのか、彼の背後に新たな餓鬼蜘蛛が見える。その距離は腕を伸ばせば触れそうな程に近い。
「……まだ奴の姿を暴いていない……人も、生物も……その姿を生きるのは、彼ら自身だ。それを蔑ろにする奴を倒す前に、倒れる訳にはいかない……!」
 ウルグは拘束されている手を可能な限り動かすと、手の中に在る銃を構えた。
 身の丈の半分以上もの大きさのそれは、大地に銃口を向けた状態で放った所で効果はない。だが一瞬だけなら腕を上げる事が出来るかもしれない。
「無茶は、いけないよ」
「?」
 何処かで聞いたことのある声に顔を上げる。と、その刹那、彼の前で糸が弾けた。
「意外といける、みたいだね」
 良かった。そう微かに笑んで魔槍砲を構えたサミラ=マクトゥーム(ib6837)はウルグの後方にもそれを向ける。そして顎を引く様にして照準合わすと、一気にそれを放った。
 凄まじい勢いで瘴気と糸を撒き散らしながら崩れ落ちる存在を視界に、サミラはウルグに手を伸ばす。
「大丈夫……?」
「ああ……助かった……」
 軽く手を握り返して無事を伝える彼に頷き、サミラは再び周囲に目を向ける。
「まだ、いるみたいだ、ね」
 本来であれば友人のケイウス=アルカーム(ib7387)の傍にいたい所だがそうはいかないようだ。
「私は暫く、天儀から離れていたのだけど……楠通弐……彼女の志、皆の想いを聞いて……」
 彼女の邪魔をしたらいけない。皆の邪魔をさせたらいけない。そう思った。
 だから此処でこうして闘う事も、それを守る手段になる筈。
「……此処に居るのは、私の意思、私のやるべき、事」
 幻黄と闘う仲間が居るのなら、それを邪魔させない事が最優先だ。自分はその為に此処に来た。
 サミラは表情を引き締めると、全ての出来事を目に焼き付けるように瞳を凝らし、引き金に手を添えた。

●憂い、そして
 祠が作り出した空間。其処に身を投じた通弐を見て、フィン・ファルスト(ib0979)は思わず叫んでいた。
「通弐ィ!」
 目の前で成す術も無く姿亡鬼に乗っ取られた好敵手にして友人。その彼女が言葉の通り姿を現した。
 その事に感極まって叫んだのだが、近付こうとする動きを天元 恭一郎(iz0229)が遮った。
「様子が変です」
 言われて注視する。
 祠に足を踏み入れ、何処か感慨深げに皆の顔を見回した直後、彼女はミシェル・ヴァンハイム(ic0084)を見詰めてある言葉を囁いた。
 超越聴覚を使っている彼だから聞こえた声。これに彼の手が握り締められる。

――私を殺して。

 いつかの夜、懐にしまってある人魂の飾りを彼女がくれた時、通弐は確かにそう言っていた。
 そう言えばあの時の彼女は何かがおかしかった。あの時は自分が弱いから着いていけないと、そう思っていた。
 でももしかしたら、彼女は此処まで見越して動いていたのだろうか。だからあんな事を……。
「ミシェル! 呆けてる場合じゃねえだろ!」
 しっかりしろ! そう彼の腕を引いた樂 道花(ic1182)に困惑した視線を向けた、その時だ。
「うああああああああッ!」
「マズイ、皆伏せろ!」
 羅喉丸(ia0347)の声に一斉にその場に伏せる。そうして眼だけを頭上に向けると、彼等の頭上を瘴気の矢が通り過ぎて行った。
 祠を囲う木々に突き刺さった瘴気は、禍々しい雰囲気を放ったまま其処にある。それを見ながら顔を上げると、フェルル=グライフ(ia4572)はヒヤリとした感覚が背を流れるのを感じた。
「『ふ……ふふふふふ……』」
「楠さん?」
 立ち上がりながら呟くユウキ=アルセイフ(ib6332)は、突如笑い出した彼女に訝し気の目を向けた。
「『あは、あはははは! 面白い、面白いよ、通弐! 雪華以上に面白い!』」
 ピクリ。志摩 軍事(iz0129)の眉が揺れる。しかしその腕を五十君 晴臣(ib1730)と千見寺 葎(ia5851)が掴むと、彼は苦痛を堪えるように視線を落とした。
「軍事さん。大丈夫、ですね?」
 葎の伺う声に正気が戻ってくる。
 志摩は「ああ」と言葉を返すと、腕を抑えてくれた2人の手に触れた。
「僕は無茶を止めません。ただ、お願いを一つ……貴方の目で、見届けて下さい」
「わかった。有難うな」
 志摩は葎の頭を撫でると、晴臣にニッと笑んで姿亡鬼と化した通弐を見た。
「『志摩は知ってるかな? 雪華の骨は僕が持ってるんだよ。幻黄に掘らせて持ってこさせたんだ。雪華は強い人間だったからね。僕の憑代の中では2番目、と言った所かな』」
 あ、1番は通弐ね。そう笑う彼に嫌悪を抱く表情を向け【幼馴染同盟】の竜哉(ia8037)は思案する。
(不思議なものだな。姿亡鬼は此処が自身を封印する祠だとわかっているのに逃げもしない。しかも道具もやり方も判っていて、今現在も封印されてないのは何故だ?)
 其処まで考えて彼は頭を振った。
「違う……そもそも宝珠だけでも姿亡鬼が手に入れる事は可能だったはず。なのに何故――」
「『ああ、それね。それはね、宝珠が使った直後姿を消すからだよ。無い物は探せないしね』」
「姿を消す?」
 ヘスティア・ヴォルフ(ib0161)は眉根を潜めて祠を見た。
 祠を姿亡鬼が壊せなかったのは封印が施されていたからだと言うのは先の行動でわかった。とは言え、祠に関しては気になる点が多すぎる。
「『こうしている間にも、通弐の体に馴染んで来たみたいだ……抵抗も、もう殆どないかな』」
 スウッと満たされた表情で瞼を閉じた姿亡鬼の頬を鋭い刃物が過った。
「『あっぶないなぁ……何するのさ』」
 言って姿亡鬼が見た先にいたのは无(ib1198)だ。彼は不機嫌そうに眉を寄せると、先程投擲したのと同じ魔刀を構えた。
「色々返して貰いますよ」
「ですの! 楠おねえさまは返してもらうですの!」
 絶対に! 絶対にですの! ケロリーナ(ib2037)はそう言って姿亡鬼を睨み付ける。そうして淡く透き通った杖を構えると、キース・グレイン(ia1248)も前に出た。
「ああ。その身体で暴れさせる訳にはいかないな」
 人の心を取り戻したのなら尚更渡す訳にはいかない。キースは両の拳を握り締めると一気に駆け出した。
 これに合わせて【幼馴染同盟】の小隊長であるユリア・ヴァル(ia9996)も黄金の杖を構える。そうして周囲に注意を払いながら、祠で何事かを調べていたアルマ・ムリフェイン(ib3629)に声を掛けた。
「何かわかったかしら?」
「……瘴気はない、みたい。この前の糸もないし……」
 アルマが確認するのは祠の破壊を何故幻黄が優先しなかったか、と言う事。瘴気を計れる懐中時計を翳してわかったのは、祠の周辺には瘴気がないと言う事。それに加えて、先日の蜘蛛の糸も綺麗になくなっている。
「糸も瘴気だろうから、時間と共に、消えたのかな……?」
「……祠に近付く事で瘴気が薄れる事を感じ取ったのかしら」
 それにしてはおかしいけど。そう零してフラウ・ノート(ib0009)は所属する小隊の皆に補助の術を施してゆく。そうして全てに自信の力を分け与えると、彼女は姿亡鬼の後ろに立つ猫又に視線を向けた。
「あの術、凄いわよね」
 人間だけでなくありとあらゆる存在に化ける事の出来るラ・オブリ・アビス。それを使用した柚乃(ia0638)が姿亡鬼逃走防止の策を取ろうとしている。
 それを視界に、キースは瘴気の矢を構えた通弐に向かい、自身の拳を叩き込んだ。

●幻黄
 通弐の作り出した道に手を伸ばしながら、玲璃は祈りを込めて瞼を伏せる。そうして印を刻むと彼女が手を触れさせた辺りから微かな光が漏れ出した。
「それで最後かな?」
 光が収束し、玲璃が瞼を上げると、戸隠 菫(ib9794)が伺うように首を傾げているのが見えた。
「はい。これで下級のアヤカシは通る事が出来ないでしょう」
 彼が施したのは護衆空滅輪だ。
 幻黄や姿亡鬼と言ったアヤカシならまだしも、此処に出現した餓鬼蜘蛛や死人憑相手ならば侵入する事は出来ないだろう。
「戸隠さんの方は如何ですか?」
「うん……見た感じ、変身までの時間は短いみたいだけど、やるしかないよね」
 言って深紅の刃を握り締める。そんな彼女の肩を優しく叩く者があった。
「此処は任せてくれていい……この先へは、何であろうと通さない」
 鎌苅 冬馬(ic0729)はそう言うと、周囲を警戒するように肉厚の刃を構えた。それを見届け玲璃が頷く。
「私も、出来る限りのお手伝いはします」
 安心して下さい。そう告げて彼女の背を押す。
 彼女はこれから幻黄と対峙する為に必要なある策を施す。実際のところ初めて使う術故に、上手く起動するかわからない。
 それでもやらなければいけない事はわかる。
(……楠さんの想いは無にさせたくない……だから)
 意を決して踏み出した彼女の足に反応して茨の鞭が飛んで来た。これに氷の龍が飛び込み振り払う。
「邪魔はさせねえぞ!」
 新たな符を前に出し【疾紅】の劫光(ia9510)が漆黒の刃を構えて陰を刻むと、彼は真っ直ぐ此方に向かってくる幻黄に新たな龍を放った。
「何度も同じ技を使うのね。ならわたくしも方法を改めますわ♪」
 クスリと笑って反した身体。宙を舞って地面に着地した直後に変じたのは、片腕の無い大きな狐だ。
「――羅碧孤」
 一度は瘴気に還した存在に変じた彼女に劫光の足が下がる。だがその背に居る存在を思い出し、彼は踏み止まった。
「そうだったな……退いてる場合じゃねえか」
 クッと口角を上げ、菫を視界に置いて息を吸う。すると、それを見止めた玖雀(ib6816)が他の面々に合図をした。
 ジリジリと幻黄を囲むように動く小隊の面々。それを見据えながら幻黄の喉がグルグルと鳴る。
 そして次の瞬間、彼女は地面を蹴った。
 実際の羅碧孤同様に素早い身のこなしで、仲間に守られる菫目掛けて飛んでくる。しかし彼等が許す筈もない。
「くッ!」
「玖雀!」
 玖雀の上げた苦痛の声と紅 竜姫(ic0261)の悲鳴が重なった。彼はその声に片目を瞑って見せると、自身の腕に喰らい付いたままの幻黄を見据える。
「……へっ、その程度かぁ? それじゃあ次は、こっちの番だ!」
 振り上げた拳が牙を剥く龍の様に吼えあがる。そうして幻黄の頭上に振り降ろされると、彼女は正面から喰らう前に顔を背けた。
「竜姫ッ!」
「はあああああッ!」
 背けた顔、顎を目掛けて足を振り上げる。
 ガンッと鈍い感覚が脚に響き、彼女は一瞬眉を潜めて足を下げた。だが、彼の――恋人の受けた傷はこの程度で納まる筈もない。
「もう一撃!」
 トンッと大地を蹴って側面に飛んだ彼女の姿を幻黄の瞳が捉える。ギョロリとした目に背筋が泡立つ。それでも何とか踏み止まって更なる撃を見舞うのだが、
「あ」
 腕を擦り抜けるようにして離れた幻黄の牙が竜姫の胸を裂く。これに玖雀が駆け込むと、幻黄の動きを封じるように無数の矢が降って来た。
「……、まだ……」
 逃げる方向に向かって紗々良が次々と矢を打ち込む。そうして逃げる先に待っていたのは瀬崎 静乃(ia4468)だ。
 彼女は自身の用意した松明の明かりを頼りに、走ってくる幻黄の姿を注視する。その上で印を刻むと小さな式を召喚し、放った。
「効かないわ!」
 式の呪縛を抜け真っ直ぐに迫る幻黄。まるで獣の雄叫びのような声を上げて静乃に迫り来る存在に、彼女は再び呪縛の術を紡ぐ。
「静乃さん、逃げて……」
 彼女の陰を結ぶ速度と幻黄の速度。如何考えても間に合わない。
 紗々良は執拗に矢を射ながら幻黄の足を止めようとする。と、其処に黒い壁が出現した。
「なッ!」
 勢い良く激突した幻黄を見、久野都は竜姫の出血を止める。そうして玖雀に「もう大丈夫です」と言葉を添えると立ち上がった。
「次から次へ……ならば――」
 久野都の紡いだ黒壁を破り、幻黄が咆哮を上げる。そして彼女はその勢いのまま次の姿に変じようとするのだが、この時を待っていた者達が居た。
「これ以上はさせないよ!」
 気配を消して潜んでいたレト(ib6904)が幻黄の背後に急接近する。そうして変じようとする身を蹴り上げると、幻黄の目が見開かれた。
「邪魔をするなぁ!」
 風を切り、幻黄の腕がレトの身を薙ぎ払う。そして彼女が樹にぶつかり崩れるのを見届けると、改めて別の姿を取ろうとした。が、其処に思わぬ声が届く。
「また逃げるの?」
「!」
 挑発する声に幻黄の目が動き、ケイウスの姿を捉えた。彼は盾ごとに手を添えたまま続ける。
「前はそれで祠を壊せなかったのに懲りないね」
「誰が逃げると言ったのかしら!」
 幻黄は覗いていた牙を最大限に剥き出しにすると、唯一動く腕を伸ばして彼の喉を掻こうと動いた。が、ケイウスは逃げない。
 彼は竪琴に添えた指を動かすと、軽快な音楽を奏で出した。軽やかでいて力強い音色を耳に菫は胸の前で手を組んで歩き出す。
 それに合わせて怜璃も印を刻み出すと、時は一気に動き出した。
「義貞さん、尚哉さん」
 動き出す幻黄を目に、リンカが朱塗の色羽の矢を番える。そうして静かに弦を引くと、尚哉と義貞、そして刃兼も動き出した。
「……アイツの想いを踏みにじって化けて、堪ったもんじゃねぇよな。志摩のおっちゃんが釣られやすい以前に、俺等の神経も逆なでしてるんだよ!」
 大地を駆けて迫る存在。それは今、通弐の姿を取ろうとしている。だがそれを成す前に痛烈な一打が幻黄の身を貫いた。
「ッ!」
 遠方から、変化の瞬間を突いて襲い掛かったのはサミラの魔槍砲だ。彼女は重そうなそれを構え直すと、よろける幻黄に向けて更なる牽制を放つ。
「戸隠さん!」
「うん、わかってるよ!」
 奇襲に驚き狼狽えている今が絶好の機会だ。
 ケイウスの声に頷くと、菫は深紅の刀身を握り締め飛び出した。向かうのは勿論幻黄の元。
「仮の姿を剥いであげる!」
 踏み込んだ足が大地を鳴らし、菫の腕が空気を裂く。それに合わせて幻黄の肌が削がれると、彼女の体が変化した。
「こ、これは……」
 咄嗟に別の姿に変じようとするが、それを怜璃が菫と同じ方法の言霊を放って遮る。そうして息を呑む存在を見据えると、彼女の足が大地に縛り付けられた。
「しまっ――」
「さあ、一息に祠へ追い込むんじゃ! 尚哉! 義貞!」
 幻黄を追い込むように放たれたリンカの矢。それが深く突き刺さるのを見、護刃が叫ぶ。
 だが幻黄とて単純にやられる訳にはいかない。黄金の鎧を纏った状態で狼狽えていたアヤカシも、自身の置かれた状況を今では理解しているようだ。
「――ッ」
 彼女は自身の前にいる菫に手を伸ばすと、彼女の喉を掻き掴んだ。そしてその身を掲げ見せながら叫ぶ。
「近付かない事です。近付けばこの者の喉を折りますよ? そこの貴方も妙な術は使わないように」
 玲璃に警告をして周囲を見回す。だがその目に予想外のものが飛び込む。
「その人を放せ!」
 先程駆け出していた尚哉と義貞が敵の間合いに入ったのだ。
「尚哉、頼んだぞ!」
「おう!」
 幻黄の腕を斬り付け、義貞が後方に声を掛ける。するとそれに合うように尚哉が飛び込んできて彼の敵の腕を斬り落とした。
「うああああああああッ!」
「!」
 腕を失った反動で放り出される菫を刃兼が受け止め、そっと地面に降ろす。そうして幻黄に向き直ると、彼女は変幻自在な腕を失った状態で立っていた。
「若葉の姿を使って惑わしたツケもこれで払い終わりそうだな……覚悟!」
 刃兼同様にこの戦いに終止符を打つつもりで皆が武器を構える。そして最後の足掻きにと、やはり菫に向かって走り出した存在に、【疾紅】の劫光が立ち塞がる。
 其処に援護する矢が降り注ぐと、彼は拳を握り締め、一気にそれを駆け込んでくる幻黄に向かって放った。
「おおおおおおおお!」
 防御の敷けない体に無数の拳が叩き込まれる。それによって舞い上がった体に玖雀が奥歯を噛み締める。
 そしてチラリと竜姫を見ると、彼は大きく拳を振り上げ、噛み付く龍の如く一撃を叩き込んだ。

●姿亡鬼
(消耗戦となれば長引かせたくない……ならば一気に叩くまで!)
 キースは自身の拳に気を送り込むと、一気にそれを振り降ろした。凄まじい勢いで迫る拳に姿亡鬼の口角が上がる。そして次の瞬間、彼女の拳に何かが突き刺さった。
「『正面からくるなんて無謀だね』」
 ニイッと笑んだ姿亡鬼。その彼が放ったのは瘴気の矢だ。しかも射ったのではなく出現させた矢で刺したのだ。
「『僕は手加減しないよ』」
「ッ、あ――」
 ぶわっと拡大した矢がキースの拳を突き破る。声にならない悲鳴を上げる彼女に笑んだまま、姿亡鬼は新たな矢を出現させて構えた。そうして矢に番えると、彼は遠慮する事無くその矢をキース目掛けて放った。
「キーちゃん!」
 アルマの叫びに反応する余裕などない。
 撃ち込まれた瘴気の渦に彼女の体が吹き飛ぶ。それどころか体の殆どを瘴気に呑まれると、彼女は大地を巻き込んで転がり込んだ。
「っ、ぅ……」
 起きる事など敵わない。それでも近付く姿亡鬼に気付くと彼女はその足にしがみ付いた。少しでも時間を稼げるように、と。
 しかし其処に姿亡鬼の足が落ちてくる。
「誰か援護して下さい!」
 ユウキは落ちる姿亡鬼に片手を翳すと、氷の刃を彼の足目掛けて放った。
「『ふふ……残念だな。止めはさせないか』」
 何の事は無いように宙返りをして避けた姿亡鬼にユウキは追い打ちをかけるように銃弾を放つ。次々と撃ち込まれる銃撃を寸前の所で避けながら、姿亡鬼は周囲の敵、開拓者を視界に納めた。
「『僕が祠を壊すのが先か、君達が僕を倒すのが先か……ああ、この場合は通弐を、かな?』」
 クスクス笑う其処に深紅の槍が飛んでくる。それを片手で受け止めると、姿亡鬼はそれが飛んできた方向を見遣った。
「『当る訳ないでしょ?』」
 真っ二つに折られた矢は恭一郎の物だ。彼は倒れたキースを抱き上げると、姿亡鬼を睨み据えた。が、打ち込んで来る気配はない。
 それを姿亡鬼も承知しているのだろう。ユウキが再び攻撃に転じると、然して興味もないと言う風に視線を外した。
「楠さん……、助けなくちゃ」
 眉を寄せ、必死に撃ち込む弾丸。
 何故此処まで彼女に拘るのか。そんな事よりも彼には通弐を憎む理由がない。
 賞金首であろうと彼の知っている楠通弐とは、彼女を想う人が多くいる普通の人なのだ。その普通の人を助けたいと思う事の何処に憎む理由があるだろう。
「っ、……当たらな――いッ!?」
 いつの間に来たのか。目の前に迫った通弐の顔に彼の目が見開かれる。そしてすぐさま反応しようと銃を構えるのだが、そうするよりも早く、白い壁が立ち塞がった。
「今の内に退きなさい」
 符を片手に緊迫した声で告げる无にユウキは頷きながら後じさる。しかし彼の足が完全に下がる前に眼前の壁が壊れた。
「『かくれんぼ? それならみぃつけた♪』」
 完全に遊んでいる。それ程までに通弐との融合は済んでしまったのだろうか。だが諦める訳にはいかない。
「接近しすぎじゃねえか? 鬼さんよぉ!」
 声と共に降って来た太刀に姿亡鬼が立ち退く。それにニイッと笑みを浮かべるとヘスティアは姿亡鬼の後ろに控えていたケロリーナに声を上げた。
「やっちまいな!」
「悪い鬼さんはここから出て行ってくださいなの!」
 わざと姿亡鬼が視界に置かないような樹の壁を使って接近したケロリーナは、手にしていた杖に力を込めると一気に振り薙いだ。
「『っ!?』」
 弾けるような衝撃が辺りに散り、ケロリーナの真剣な表情と姿亡鬼の驚きに見開かれた目がぶつかる。そうして彼の足がよろけると、ケロリーナは「もっと力を!」と言わんばかりに、姿亡鬼にぶつかっている杖に力を込めた。
「このまま追い出すですの!」
 心悸喝破を使って通弐の中に在る姿亡鬼を追い出す。これが開拓者の立てた作戦だ。
 そしてこれに姿亡鬼の足がガクッと揺れ――ない!?
「『ばぁか! 演技だよ!』」
「はぅ、きゃあああっ!」
 舌を出して笑い、姿亡鬼の脚がケロリーナの体を蹴り上げた。
 あまりにもあっさり舞い上がった彼女の体に姿亡鬼の作り出した矢が合わせられる。そして羅喉丸が駆け出すのに合わせ、彼女の体が瘴気の矢に貫かれた。
「――ぅ!」
 黒い矢を腹に受けたまま転がる少女。それを見るでもなく視線を外すと、姿亡鬼は自身に向かい来る鬼神に向き直った。
「『君、確か強いよね? ていうか、誰か記憶の共有について考えた? 憑依って力を借りるだけじゃないよ?』」
「!」
 まさか。そう意識した時には姿亡鬼は地面を蹴っていた。それに合わせて羅喉丸の拳も握り締められる。
(彼女には生きて貰わねば……だが、生半可な攻撃は通じない。ならば!)
 手の内は読まれているかもしれない。それでも与えられる力全てをもって彼女に立ち向かう。
「喰らえ、我が奥義――真武両儀拳!」
「『!』」
 内に滑り込んだ身をそのままに、低くした体勢から撃ち込んだ連撃に姿亡鬼の眉が上がる。
「今度は俺が期待に応える番!」
 自身の体を限界に追い込み撃ち込む攻撃。そのどれもに手応えを感じる。しかし、全ての攻撃を撃ち終えた後、彼は絶望に崩れた。
「『あれ、もうお終い?』」
 所々に撃ち込まれた跡がある。姿亡鬼の手も、腕も、足も、体も――なのに何故倒れない。
 そう頭の隅で考えながら、羅喉丸は体を駆け巡る激痛に膝を折った。これに姿亡鬼の手が掲げられる。
「『正解は、これ』」
 姿亡鬼の握り締めた瘴気の矢は、彼が存在する限り生まれるのだろうか。その矢で攻撃を受けていたのなら彼に残る打撃痕は衝撃波と言う訳か。
「『まともに喰らってたら危なかったね』」
 通弐のニコッと笑って矢を番える。そして瘴気の渦を其処に巻くと、彼は迷う事無く羅喉丸の体にそれを――いや、彼の矢が振り払われた。
「ここからは私がお相手します」
 姿亡鬼と一対一など無謀すぎる。しかしフェルルは果敢にも姿亡鬼に刃を向けると、もう片方の手に持つ盾を構えた。
「『次は君? 僕、少し飽きて来たんだけど』」
「その方の体は楠さんのものです。そして貴方の中にはまだ楠さんがいらっしゃる。そこに踏み入らせて貰います!」
 振り翳した刃で斬り付けながら、倒れた仲間と祠の様子を確認していた者達に目を向ける。
「大切に思う気持ちは、必ず届きます! だから、諦めないで下さい! そうですよね? 皆さんと貴女との絆は、既にアヤカシの悪意に砕かれるようなものではないんですよね?」
 楠さん! そう声を掛けながら盾で姿亡鬼の矢を受け止める。それでも受け止めきれない攻撃が彼女の頬を裂き、腕を裂き、足を裂いて行く。
 それでも叫ぶ事を止めない彼女に姿亡鬼が鼻で笑った。
「『君、馬鹿? そんなもの届く訳ないでしょう?』」
 心底可笑しい。そう笑い声を上げる彼の目が鋭く光った。直後、フェルルの目の前で瘴気の渦が生まれる。これに彼女が構えを深くするのだが、それが届く前に姿亡鬼の動きが拘束された。
「『なっ!?』」
「通弐……その寄生虫に負けたら承知しないよ!」
 背後から抱き締めるように拘束してきたフィンに姿亡鬼が身を捩る。しかし彼女は渾身の力を込めてそれを遮ると、姿亡鬼が出現させた瘴気の弓に目を向けた。
「あたしは通弐の言葉を信じる! 生きたいって言った通弐の言葉を! だから絶対に生きて!」
 生み出された矢にフィンの刃が触れる。直後、塩の様に崩れ去ったそれに姿亡鬼が吼えた。
「『うるさあああああああいッ!』」
 全身から放たれる瘴気に振り払われたフィンが激しく地面に叩き付けられる。そうして息を失った彼女の元に近付くと、彼は遠慮なく彼女の体を踏みにじった。
 何度も、何度も、渾身の力を込めて踏みにじりながら叫ぶ。
「『通弐はもういないんだよ! お前らなんかの言葉に反応する筈がないだろ! 馬鹿なの? 馬鹿なんだろッ!』」
「ッ、ぁ……そ、んな……事、なぃ……」
 口から吐き出された血に咽ながら、それでも姿亡鬼の脚に手を伸ばす。と、そんな彼女の頬に何か温かい物が触れた。
「……通弐?」
 霞み始める視界に薄らと見えた涙らしき物、それを見付けて微かな笑みを浮かべると、フィンは伸ばした手を落とした。
「『何だよコレ! こんなの雪華の時だってなかったぞ! くそっ、こうなったら祠を先に壊す!』」
 姿亡鬼はフィンから目を外すと、頬を伝う涙を拭って走り出した。其処へ氷の刃が降り注ぐ。
「行かせないわよ!」
 フラウは駆ける姿亡鬼の脚を狙って次々と刃を撃ち込む。しかし姿亡鬼とて単純にそれを受けている訳ではない。
 寸前の所で瘴気の矢を当てるなど対策を取っている。それでも先程の様に遊んでいる素振りは見えなかった。
 寧ろ祠の破壊に躍起になっている、そうとも見える。
「どう云う風の吹きまわしかしら。それとも今でないと壊せない理由でもあるのかしら?」
 フラウとは反対方向から吹雪を放つユリアに、姿亡鬼は上空に飛び上がると、大きく身を反転させて地上に向けて矢を構えた。
「弓がないのに如何――っ!?」
 無数に出現した矢を両の指の間に挟んで一気に放つ。そうする事で地上に幾本もの矢を振らせ、姿亡鬼は再び地上に降りた。
 その頃、祠の防衛にあたるべく様子を見守っていた竜哉は、ある仮説に辿り着いていた。
「ユリアの言っていた今でないと壊せない理由。宝珠を壊せなかった理由……そうか、アヤカシだからか」
 今の姿亡鬼はアヤカシである事に変わりはない。だがその憑代は人間だ。
 つまり『人間である今なら』壊す事が出来る。
 そして幻黄は自身で壊せない事を承知で蜘蛛に破壊させようとした。
「宝珠も然り、かね」
 言い終えると、竜哉は円形の盾を構えて大地を踏み締めた。そして凄まじい勢いで突っ込んでくる姿亡鬼の腕を受け止める。
「っ、く……」
 片腕で殴り掛かっているだけの攻撃だと言うのに何と言う力か。押されて下がって行く足に苛立ちが募る。だが今此処を退く訳にはいかない。
「加勢するぜ!」
 姿亡鬼の注意を逸らすべくヘスティアが横から攻撃に加わる。そんな彼女に舌打ちをし、姿亡鬼は盾を大きく蹴り上げると、宙返りをして後方に退いた。
「『援軍はないのか!?』」
 幻黄は未だ祠の外で闘っているだろう。けれど彼女の率いる他のアヤカシがいる筈だ。その援軍が訪れないのは何故だ。
 そう姿亡鬼は疑問を抱く。
 だが援軍が現れないのは明確な理由があった。それは入口と外で敷かれたアヤカシが通る事の出来ない結界の所為。もし姿亡鬼がこの時結界に気付いて壊していれば状況は変わっていたかも知れない。
 だが気付くのが遅すぎた。
「姿亡鬼を、滅する為に……」
 祈りを捧げる柚乃は内側から護衆空滅輪を使用する者だ。これで外の結界を破ったアヤカシが居ても安心、と言う訳だ。
「『くそ! くそ!』」
 最高の憑代を手に入れ、漸く祠を見付けたと言うのに。こうなれば宝珠だけでも壊すべきだ。
 そう思考を巡らせた彼の体が固まった。
「姿亡鬼。通弐を返して貰うぞ」
 低く、威圧する声で語りかけたのはミシェルだ。彼は背後から通弐を抱き締めるようにして拘束している。その事に気付いた彼が新たな矢を生むのだが、これを道花が遮った。
「これ以上好きにさせるのは我慢ならねえ! 通弐! 聞こえてんなら返事しろ!」
 矢を握り締め、その状態で姿亡鬼の腕を取った道花に彼の眉が上がる。そして更なる矢を出現させると、その勢いのまま彼女の胸に突き刺した。
「『!?』」
「はっ! こんな攻撃が如何した!」
 胸に瘴気の矢を刺し、それでも力を弱める事の無い道花に姿亡鬼がはじめて本物の表情を見せた。
「通弐……。俺の声、聞こえるか……?」
 腕を掴んだ手をそのままに、彼女に身を寄せる事で囁き掛ける。けれど返事はない。
 そうしている間にも道花の胸からは血が溢れている。1つ、また1つと赤い染みを作り出す彼女にミシェルの顔が心配げに揺れた。
 しかしこの顔を見て道花が告げる。
「お前も何か言え」
 言いたい事があるんだろ。そう睨み付けて促す。それに息を呑むと、ミシェルは回した腕で通弐であった体を抱き締めた。
「……ごめんな。俺、今のあんたを守るって約束の為に来たんだ。殺すためじゃない」
 先に通弐が告げた言葉。その言葉がどれほどの重みを背負っているか、わからない訳じゃない。
 それでも生きて欲しいと願う。だから――
「意地でも、戻って来て貰うからな、――通弐」
 ギュッと抱き締め、道花が笑んだその時、
「『ぐあああぁぁぁああッ!』」
 突如姿亡鬼の口から声が上がった。
 見ると道花の曲刀が通弐の胸を貫いている。しかもその深さは後ろに居るミシェルへも届く程。
「『はなせぇ! はなせぇえええ!!!』」
 口から血を吐き出しながら身を捩る姿亡鬼。自身の体から瘴気を立ち昇らせ、それでミシェルと道花の双方を包み込むが、それでも彼等は離れない。
 グッと差し込まれた刃が更に姿亡鬼の身を抉り、そして贖い難い苦痛が彼を襲うと姿亡鬼はいよいよその目を祠に向けた。直後、彼の手が落ちる。
「来た」
 冷静に状況を見定めていた晴臣が宝珠を握り締める。そして祠の窪みにそれを宛がうと、思わぬ声が上がった。
『志摩、次はお前だ!』
「葎!」
 瘴気の霧が志摩目掛けて迫る。そして彼に触れる瞬間、別の体が霧に包まれた。
「馬鹿ッ! 何してやがるっ!!」
 霧を払いながら抱き寄せる志摩に、葎の手が伸ばされる。
「あの方の、為にも……」
 守らなければ。そう囁き、彼女の言葉が切れた。
「晴臣!」
「わかっているよ!」
 時期的にギリギリの線だ。それでも此処で姿亡鬼を封じなければ今度は葎が彼の憑代になってしまう。
「――頼む」
 志摩が祈る様に彼女の体を抱き締めるのと、晴臣が宝珠を嵌めるのはほぼ同時だった。

 カチッ。

 僅かな音を立てて宝珠が祠に嵌る。すると、葎に集まっていた瘴気の霧が一気に舞い上がった。
 そうして吸い込まれるように集められた瘴気が宝珠に触れると、祠は眩い光を上げ、全てをその身に封じたのだった。

●祈りの果て
「楠さん、生きて下さいっ」
 柚乃は祈りを込めて通弐の体に手を添える。止血は施した。ただ、彼女の鼓動が止まっている事からこの世に居ない可能性は高い。
 それでも彼女の生存を願う者が居る。それだけで、柚乃が力を振るうには十分な理由だった。
「もし生き返ったとしても……」
 通弐は賞金首。処断される可能性は極めて高い。
 その事を言外に告げる声に、アルマは癒しの楽を奏でながら瞼を伏せる。
「負うものがあっても……大切に想う人がいる。彼女は生きる意志がある、人……だったら僕は、応える」
 これだけ多くの人が彼女を助けた。
 ならば生き返った彼女の身を癒すのは自分の役目。

――還ってきて。

 幾つもの願いが降り注ぎ、そして奇跡が起きる。
「……、……」
「通弐……っ!」
 咄嗟に起き上がろうとしたフィンの体を、无が優しく窘める。そうして瞼を揺らす彼女を見て、すぐさま別方向から助けの手が伸びた。
「お待たせしました」
「お手伝いします」
 久野都や玲璃、他にも回復の使い手が幻黄討伐から戻って来た。
 これで通弐を助ける事が出来る。
 そうミシェルが安堵の元に道花と目を合わせた時だ。葎が落ち着いたのを見計らって志摩が近付いて来た。
「お前等に、言う事がある。通弐の身柄はギルドへ移す……理由なら、わかるな?」
 固い口調で告げられた言葉。これはある種の宣告とも取れる。
 勿論彼女に情状酌量を求める声もある。だがそれを決めるのはこの場にいるものではない。それこそ彼女を賞金首と定めたギルドが決める事なのだ。
「……俺も、最善を尽くす」
 志摩は瞼を伏せた道花とミシェル、そしてフィンに告げると、来た時と同じ重い足取りで彼女等の元を去って行った。