|
■オープニング本文 ●??? 薄暗い空間の中に、頭蓋骨を手に微笑む青年がいる。彼は目の前に控える人の良さそうな女性を見詰めると、クツリと笑って頭蓋骨に頬を寄せた。 「志摩は僕の存在に腹を立て、楠は正体を暴かれて人間に捕らえられた、か。首尾良く進んでいるね。偉いよ、幻黄(げんき)」 この青年は姿亡鬼(しぼうき)が人間に憑依して保っている姿。彼は楽しげに笑うと頬を寄せていた頭蓋骨と目を合わせた。 「雪華。君の旦那様は君の死が無駄だと思っているよ。まあ、その通りだけど」 ケラケラと笑いながら、姿亡鬼は手した頭蓋骨を大事そうに脇に置いた。その姿を幻黄が何とも言えない表情で見詰める。 「さて、僕もそろそろ動こうとしよう。勿論、君も動くんだよ、幻黄」 「はい。予定通り姿亡鬼様の無念を討ち取る所存でございます」 「うん、よろしくね」 姿亡鬼はそう言い置くと、楽しそうに背を向けて去って行った。 ●北面国・狭蘭の里 暗雲立ち込める空を見詰めながら、通弐は開拓者等の声を聞いていた。 「虹來寺の書庫で怪しい祠の記述を見付けたそうですね。確か大体の場所も特定されているのだとか」 冥越との国境付近で行っていた作戦。その最中に呼び戻された嘉栄は、そう言葉を紡ぎながら開拓者が集めてきた資料に目を通す。 その中の1つ、陽龍の地と南麓寺、それに狭蘭の里を線で繋いだ地図がある。その中央には黒々とした印がされており、それに目を落とした天元征四郎は思案気に目を細めると緩く息を吐いた。 「此処がその祠……陰の祠、だったか?」 開拓者が見付けた文献に書かれていた文字。 ――光スラ通サヌ陰ノ地在リ。是、浄化スル為、陽ノ気纏ウ祠祀ラン。 この言葉を借りるなら征四郎の言うように印の場所が陰の祠で間違いない。だが思わぬ所から「否」の声が響いた。 「その祠の名は『不通の祠』よ。何者をも通さず、光の欠片すら通る事の出来ない。全ての生命の侵入を防ぎ浄化を続ける……それが不通の祠」 通弐は皆の視線を受け止めながら、腕と足、体を拘束された状態で顔を巡らせる。 「実際、何処にあるのかは知らないわ。でも存在は知ってるのよ……姿亡鬼とは過去、闘った事があるから」 そうして彼女が語ったのは、姿亡鬼との死闘だ。 姿亡鬼は生きるもの全てに憑依する事が出来、無限に命を紡ぐ事が出来るらしい。 そんな姿亡鬼を封じる為に通弐は『無色の宝珠』と言うものを使用したと言う。けれど無色の宝珠はそれ単体では機能しない。 「無色の宝珠は普通の祠と一緒に使ってこそ本来の姿を現すの。現に志摩も失敗しているわ」 言って彼女が目を向けたのは、瞼を伏せたままの志摩だ。彼は通弐の声に息を吐き出すと、億劫そうに瞼を開いて彼女を睨み付けた。 「そんな目をしないでちょうだい。私は事実を言ったに過ぎないわ。貴方は過去、姿亡鬼と闘ってその存在を抹消している。けれど姿亡鬼は何らかの存在にその身を移して生き残った……私がアレと闘ったのは貴方に倒された後よ」 通弐の話によれば、志摩も姿亡鬼と死闘を繰り広げ、漸くの思いで無色の宝珠を使って姿亡鬼を倒したと言う。 「確か、開拓者の皆さんが霜蓮寺でその報告書を見付けていますよね。確か――」 「『霜蓮寺・紫苑雪華』」 小さな声で紡ぎ出された嘉栄の声に、はじめに言葉を切った恭一郎が手を打つ。 「そうそう、その方の報告書です。確か霜蓮寺の危機を救った人物だったかな?」 「ええ」 恭一郎の視線に頷きながら、嘉栄は逡巡するように志摩を見た。これに彼の口が開く。 「雪華は自分に姿亡鬼を憑依させ、俺に無色の宝珠を使わせたんだ。無色の宝珠を使っている間、姿亡鬼は憑依できない……そう、聞いていたからな」 「私も同じです」 ただ。と言葉を止めた通弐に、皆の目が向かう。それを受け、彼女は若干罰が悪そうに目を逸らした。 「……不通の祠の存在は知っていたわ。其処に行けば姿亡鬼を完全に倒せるとも、ね」 「なっ」 思わず声を上げたのは志摩だ。しかし彼が喰らい付くよりも早く、別の手が彼女の胸倉を掴んだ。 「何で! 何で使わなかったんだよ! 使えば姿亡鬼なんて奴、出て来なかっただろ! そうすればおっちゃんは苦しまずに――ッ」 自分だって若葉の面影を見る事は無かった。そう言葉を呑み込み睨み付けた義貞に、逸らされた瞳が戻ってくる。 「……私の方が強いに決まっている。そんな場所必要もない……そう、思っていたのよ」 自分より強い相手を求めながら、自分より強い相手はいないと思っていた過去。その過去が残した過ちに胸の奥が痛む。 通弐は自らを睨む視線を避ける様に顔を背けると、平静を装うように言葉を紡いだ。 「無色の宝珠は1度使えば3年は使えないわ。私が前に使ってから2年ほどだから、私の宝珠は使えないわね」 でも、志摩のは使える筈。通弐はそう言って瞼を伏せた。 「……おっちゃん。それって……」 「事実だな。無色の宝珠には力を蓄える為の期間が必要だ。故に数も少ない」 志摩はゆっくり立ち上がると、霜蓮寺付近にある魔の森を指差した。 「この森の何処かにある筈だ」 「筈、と言うのは?」 要領を得ない言葉に恭一郎が問う。これに志摩もまた罰が悪そうに表情を歪めると、皆に向かって頭を下げる様に項垂れた。 「雪華の亡骸を運ぶだけで手一杯だった……すまねぇ」 ●覚悟の言 里長に借りた空き家に集まった開拓者等は、今後の作戦について最後の確認を行っていた。 「姿亡鬼が本格的に動き出す前に無色の宝珠と、不通の祠を見付ける必要がありますね」 嘉栄はそう言って行動班を分けて行く。その中で、宝珠班に配置された志摩が今更ながらのように通弐を見た。 「楠は、如何なる?」 「楠には戦闘へ参加をして貰いたい所ですが、流石に開拓者ギルド本部の方から許可が出ませんでした。よって彼女の身柄はギルド本部へ移送する事になります」 護衛は僕が務めます。と恭一郎は言い置くと、通弐はそれを容認するように頷いた。 「……お前さんは、それで良いのか?」 「お生憎だけど、私には姿亡鬼に固執する理由がないもの。今は失った過去を取り戻す事が大事なのよ」 失った過去を取り戻す。そう言えば彼女は「生きる為」に従うと言っていた。 それはつまり―― 「開拓者になるつもりなのか?」 そう零したのは、通弐に容赦ない視線を送る義貞だ。彼女はその視線を真っ向から受け止めると、少しだけ口角を上げた。 「……そう言うのも、良いかもしれないわね」 少し前。開拓者から打診された未来。 その未来を見たからこそ、彼等が不確かな危険に晒されるのを好まなかった。 だから姿亡鬼の姿を探し、彼の存在が生きている証拠が欲しかった。 「姿亡鬼の存在が明るみに出た今、私が出来るのは此処から離れる事よ……後の事は、皆がやってくれるわ」 そうでしょう? 通弐はそう言って目元を緩めると、皆の姿を眺め見る様にして首を傾げた。 |
■参加者一覧 / 羅喉丸(ia0347) / 柚乃(ia0638) / 佐上 久野都(ia0826) / キース・グレイン(ia1248) / 瀬崎 静乃(ia4468) / 紗々良(ia5542) / 千見寺 葎(ia5851) / リューリャ・ドラッケン(ia8037) / リエット・ネーヴ(ia8814) / 劫光(ia9510) / ユリア・ソル(ia9996) / フラウ・ノート(ib0009) / ヘスティア・V・D(ib0161) / リンカ・ティニーブルー(ib0345) / フィン・ファルスト(ib0979) / 无(ib1198) / 五十君 晴臣(ib1730) / 東鬼 護刃(ib3264) / アルマ・ムリフェイン(ib3629) / シータル・ラートリー(ib4533) / ウルグ・シュバルツ(ib5700) / 匂坂 尚哉(ib5766) / ユウキ=アルセイフ(ib6332) / 玖雀(ib6816) / レト(ib6904) / ケイウス=アルカーム(ib7387) / 刃兼(ib7876) / ミシェル・ヴァンハイム(ic0084) / 紅 竜姫(ic0261) / 鎌苅 冬馬(ic0729) / 樂 道花(ic1182) |
■リプレイ本文 ●東房国・餓鬼山 餓鬼山――それは東房国霜蓮寺に程近い山で瘴気の大変濃い場所。又、変異した餓鬼が存在する山としても知られ、霜蓮寺の僧兵等が修行の為に使用する事もある場所である。 「んー……だいぶ見通しが悪いんだじぇ」 そう言って暗闇に慣れた目で辺りを見回すのはリエット・ネーヴ(ia8814)だ。 彼女はこれから向かうべく獣道を見ているのだが、如何足掻いても悪路の予感しかしない。 「確か、義貞は此処に来た事があるんだよな? 義貞、今度は迷子になんなよ」 松明を手に悪路を見下ろす陶 義貞(iz0159)に匂坂 尚哉(ib5766)がジロリと視線を寄越す。 それに何とも言えない表情を浮かべると、義貞は頭を掻きながら頷いた。 「開拓者になる為の試練で……開拓者になる前に来たきりだな。だから記憶はあんまない」 でも迷子は無いから。そう答える彼を後方から眺め見ていた東鬼 護刃(ib3264)がポツリと呟く。 「義貞も成長したと思ったんじゃがなぁ。ま、この甘さも若さ故の可愛げというやつかの」 のう、リンカ。そう目を向ける彼女に、リンカ・ティニーブルー(ib0345)は苦笑して義貞を見詰めた。 今回の騒動は、義貞にとっても彼の保護者にとっても辛い物だ。それは深くを知っているリンカも同じ事。 「大切に思う亡き人達の姿を纏って、その尊厳を貶める敵を許すことなんて出来ないもの」 最愛の人の姿を真似て現れた敵を思い出し、リンカの表情が険しくなる。その手に義貞が触れると、彼は少しだけ笑んで坂の下を顎で示した。 「他の班は先に行っちゃったし、俺達も行こう」 餓鬼山の山頂に到着した後、彼等は二手に分かれて宝珠を捜索する事になった。 もう1つの班は山の反対側を任されているのだが、その範囲は分れた事を無意味に思わせるほど広い。 「お互いが見える範囲まで離れて下山しましょう。志摩さんの話によれば宝珠は掌に乗るくらいの大きさで、透明だと言います」 事前に志摩から得ていた情報を思い返しながら紡ぐシータル・ラートリー(ib4533)の言葉に、護刃が「やれやれ」と息を吐く。 「形は想像し易いがのう……三年以上前に魔の森に放った物があるものかのぅ……」 ましてや宝珠は玉だと言うではないか。 転がって崖下にでも落ちているのではないか。そうぼやく彼女の腕を尚哉が引いた。 「譲刃のねぇちゃん行くぞ!」 「……はぁ、しんどいのぅ」 護刃はもう一度溜息を吐くと、痛くもない腰を軽く叩いて山を降り始めた。 その頃、もう1つの班もまた事前に仕入れた情報を元に山を情報の整理を行っていた。 「宝珠を放った場所は定かじゃない、か」 「通弐も宝珠を持っていなかったし、困った人達ね……」 小隊【幼馴染】の竜哉(ia8037)の声に苦笑しながら言葉を紡ぐ同隊のユリア・ヴァル(ia9996)は、ヘスティア・ヴォルフ(ib0161)と共に狭蘭の里を離れる際に楠通弐(iz0195)の元を訪れていた。 その時に彼女の宝珠を見せて貰おうとしたのだが、その時の反応はこうだ。 『不要な物をいつまでも持つ義理は無いわ』 「倒し終われば不要の物……確かにそうだけど、潔くはないか?」 志摩もそうだが通弐さえも宝珠を使った後で捨てた。その行動の短絡さが今は恨めしい。 「過ぎた事をいつまで言っていても仕方ありません。今は逸早く宝珠を探す事に専念すべきかと」 中々動き出さない一向に痺れを切らしたのか、月宵 嘉栄(iz0097)が山の下を示して言い放つ。 これに鎌苅 冬馬(ic0729)が同意するように頷くと、フラウ・ノート(ib0009)は口中で呪文を紡ぎ光源を出現させた。 「さあ、行きましょう」 月明かりが僅かに足元を照らす今、彼女が招いた光は願ってもない代物だ。 一行はその光を頼りに下山を開始したのだが、その道中、ヘスティアが何かに気付いて足を止めた。 これに竜哉が気付いて声を掛ける。 「何かあったのか?」 空を見上げ、一点を見詰める彼女の元に1人、また1人人が集まってくる。そうして嘉栄が彼女等の元に到着すると「ああ」と言う声が漏れた。 「嘉栄、アレが何だか知ってるの?」 ヘスティアが示すのは木々を固めて作った巣のような物だ。此処は瘴気も濃いし小動物が入り込むような場所でもない。 しかし如何見ても巣なそれに単純な疑問と好奇心を抱いた。故に足を止めたのだが、その様子に嘉栄が苦笑を零す。 「あれは霜蓮寺の僧兵が修行中に使用する道標です。良く見ると他の木の上にも在るのがわかると思いますよ」 彼女の話によると、霜蓮寺の僧兵が道に迷った際、この導を発見する事で正規の道に戻る事が出来るようになっているらしい。 「つまり、下山する際の目安にもなるって事か」 ならば志摩もこの導を頼りに下山した可能性もある。そう竜哉は推理したのだが、これを嘉栄がバッサリと切り捨てた。 「残念ながら導は最近導入された物です。志摩殿が過去に使用した可能性は万に一つもないでしょう」 本当にそうだろうか。 「ねえ。その道と言うのは如何やって決めたのかしら。何も無く適当に作ったの?」 これには「否」の答えが返る。 「道は僧兵が従来使う道を目安に作られましたので、何の意味もなく導を置いた訳ではありません」 と言う事は、導がある場所は僧兵ならば通る可能性のある場所と言う事になる。それはつまり―― 「下山の際に志摩が使った可能性が在る、と言う訳か」 過ぎ去った事に無駄な事なんて何ひとつ無い。そう考えている竜哉は導の作られた経由を耳にして「成程」と顎を摩った。 その上で提案する。 「あの導の下を重点的に歩いては如何だろう」 勿論他の場所も注視するが、意味の無い場所を探すよりは余程良い。 「そうね。構わないと思うわ」 フラウはそう言うと、導に寄せていた光源を引き寄せ、再び下山すべく体勢を整え始めた。 ●無色の宝珠 「尚哉、ちと調べてくれな」 山の中腹まで辿り着いただろうか。腰を屈めて大地を探っていた尚哉の耳に、護刃の穏やかな声が響く。 これに一瞬米神をヒク付かせて尚哉が起き上がった。 「譲刃のねぇちゃんはちったぁ自分で動けよ。デブになってもしんねぇかんな」 「ほほう?」 口は災いの元とは良く言った物である。 尚哉が口を閉じるのを待つ事なく飛んで来た符に慌てて飛び退く。そうして冷や汗を垂らすと、彼は慌てて口を開いた。 「じょ、冗談に決まってんだろ? ねぇちゃんらは索敵の要だから護衛は任せろ!」 な? な? そう必死に言い聞かせる尚哉に「やれやれ」と息を吐き、彼女は少し離れた場所で宝珠を探すリンカを見た。 「アヤカシの気配は如何じゃ?」 「今のところは大丈夫そうだよ。それよりも、宝珠の方が問題だね」 幾ら探せど宝珠らしき物は見当たらない。あるとすれば朽ち果てた武器や何かの骨など、普通の山には落ちていない物ばかりだ。 「うー……こっちにも無いんだじぇ」 皆が登る事の出来ない崖の上でしゃがみ込み、リエットが辺りを見回す。 見渡す限り森が広がり正直視界も良くない。幸いなのは此処まで大きな戦闘になっていない事だけだろうか。 「義貞さん、この穴を照らして貰えますか?」 シータルの声に松明を持っていた義貞が灯りを彼女の方に傾ける。其処に在ったのは亀裂のような穴。草の生え形からして少し前の物だろうか。 「? 何か光る物が……」 零し、彼女の手が穴の中へ向かう――と、次の瞬間、シータルは眉を顰めて穴から手を引っ込めた。 「大丈夫か!」 異変に気付き駆け付けて来た尚哉が彼女の手を見る。 「大丈夫です……少し、驚いてしまって」 「尚哉」 「おう、任せろ」 護刃の合図で穴に手を突っ込んだ尚哉は、探るような仕草で手を動かすと、其処に触れた何かを引っ張り上げた。 「なん、だ…これ……」 尚哉が取り出したのは薄汚れた筒のような物で、先端には折れた刃のような物が付いている。 「武器、なんだじぇ?」 カクリ。首を傾げてリエットが言う。 その言葉通りこれは武器のようだった。但し刃が折れて使い物にならなくなった、だ。 「宝珠じゃなかったわね」 如何する? そう問い掛けたリンカに、義貞が思案したように唸る。 「……うん、持って帰ろう」 此処で拾ったのも何かの縁だろう。 彼はそう零すと武器らしき物を受け取って宝珠の捜索に戻って行った。 一方、もう1班はと言うと。 「大丈夫か?」 谷に這いつくばる様にして降りて行く冬馬へ、竜哉が声を掛ける。 何故こんな事になっているのか。それは彼等の頭上に在る導が原因だった。 『昔はこの先を下れば山を降りれたのですが、2年ほど前に崩れてしまいまして……』 2年前にあり、今は崩れてしまった道。しかも其処を降りれば山を降りれたと言うのであれば、此処ほど怪しい場所は無い。 「冬馬、もう少しだ! 頑張れ!」 ヘスティアの声に冬馬の足が探る様に最後の一歩を踏み出す。そして完全に谷を降りると、彼の元にフラウの召喚した光源が下りてきた。 「此処が……ん?」 フラウの翳した光の影響か、草の茂る一角が光った気がした。 谷に下りる前、竜哉が注意するようにと言った「変な光」だ。もしやその光が宝珠の放つ物だろうか。 「1人で大丈夫かしら。やっぱり私達も降りた方が……」 そうユリアが口にした時だ。 「あった!」 谷底から聞こえた声に皆が顔を見合わせる。そうして「戻って来るように」と声を掛けようとした所で、何かが谷を滑り下りた。 「月宵さん!?」 「俺達も降りるぞ」 土を巻き上げながら谷底に到着した嘉栄の一閃が冬馬の後方で炸裂する。それに次いでヘスティアの太刀が風を切ると、冬馬も遅れて武器を構え、間近まで迫っていた餓鬼の骨を砕いた。 「間一髪、か」 寸前の所で攻撃を免れた冬馬に竜哉が安堵の息を零し、彼の手の中に在る宝珠に目を向ける。 「それが、無色の宝珠」 何の色も映さない無色透明の玉。それは色合いに良く似た静かな、とても冷たい雰囲気を纏う玉だった。 ●光スラ通サヌ 魔の森を歩く【疾紅】の佐上 久野都(ia0826)は、手にした地図と現在位置を確認して眉を潜める。 「この辺り……だとは思いますが」 見回した周囲には、瘴気が漂う意外に何もない。あるとすれば魔の森独特の瘴気に侵された木々だが、此れと言って目的の物があるとは思えない景色だ。 そんな彼の疑問を感じ取った瀬崎 静乃(ia4468)が、片目に嵌めた眼鏡に手を添えて周囲を見回す。 「視て、みるの」 精霊と瘴気の流れを感じる事が出来る真なる水晶の瞳。これで目的の場所に動く瘴気があるか視ようと言うのだ。 「わかり、ます、か?」 口元を布で覆った紗々良(ia5542)が問い掛ける。これに片目を細めていた静乃が頷いた。 そして一点を示す。 「あそこ……あの辺りに、瘴気が吸い込まれてるよ」 瘴気の流れを辿ると、魔の森の一角に向けて瘴気が集まっているのがわかる。その動きは明らかに不自然で違和感以外の何物でもない。 「でも待ってくれ。其処はさっき通り過ぎなかったか?」 劫光(ia9510)の疑問は尤もだ。 彼の言うように先程静乃が示した地点を通り過ぎた。その時は異変を感じなかったし、祠もなかった筈だ。 けれどこれに千見寺 葎(ia5851)が呟いた。 「封印が、成されているのかもしれません」 結界や封印と言った何かが行く手を阻んでいるのかもしれない。そう発言する彼女に、【疾紅】の面々が頷く。 そうして元来た道を戻り始めるのだが、その中央付近を歩いていた五十君 晴臣(ib1730)が息を吐く。 そんな彼の目が向かう先に居るのは志摩 軍事(iz0129)だ。 彼はこの道中、殆どと言って良い程口を開いていない。喋る事と言ったら聞かれた事に答えるか、最低限の事ばかり。 普段の彼なら有り得ない状況だ。 (思ってる以上に冷静じゃないだろうね、軍事) 冷静に見えるように努めているのはわかるが、それが逆に冷静を欠いているように見えるとは皮肉な物である。 「……義貞をああ称していたということは……若葉と義貞の因縁、それに軍事が駆け付けることまで把握した上でのことか」 ウルグ・シュバルツ(ib5700)も同じ事を考えていたのだろう。唐突に零された声に刃兼(ib7876)の表情に若干の曇りが浮かぶ。 「若葉の姿を取ったり、義貞を狙うあたり、弱点を熟知しているというか……」 性質が悪い。そう口中で零して志摩を見る。 やはり彼の目から見ても今の志摩は冷静には見えない。それが心配でもあり不安でもあるのだが、敢えてそれを口にする事は無かった。 それはケイウス=アルカーム(ib7387)も同じ。温厚な性格の彼でさえ、今回の敵のやり口には腹を立てていた。 それでも態度にそれを出さないのは、一番堪えているであろう志摩の為だ。 「此処だね」 先行していた【疾紅】のレト(ib6904)は足を止めると、注意深く瘴気の行き付く先を見詰めた。 そうして気付いたのは小さな穴だ。それこそ気にしなければ見付けられない穴が、瘴気の木に空いているのだ。 「これが、入り口? 随分と小さいのね」 「って、ちょっと待て!」 穴を確認していた紅 竜姫(ic0261)が取った構えを、玖雀(ib6816)が慌てて制する。 その上で彼女の腕を取ると、若干口元を引き攣らせて顔を覗き込んだ。 「何をしようとした?」 「何って、通れるように穴を大きくしようと思って」 いけないの? そう首を傾げた彼女に玖雀の頭が項垂れる。 「お前なぁ……いけないじゃないだろ。如何考えても駄目だろ!」 「いや、それしか方法は無いだろうな」 「あ?」 青褪めた顔の玖雀が見たのは、符を構える劫光だ。彼は何か術を口の中で紡ぐと、唐突にそれを放った。 「ば――」 『ゴォォオオオッ!』 目の前で崩れ落ちた木に、玖雀も一緒になって崩れ落ちる。その肩を天元 征四郎(iz0001)が無言で叩いたのは此処だけの秘密にしておこう。 無理矢理開けた穴へ人魂を差し込んだ晴臣は、危険がない事を確認して音で中を探っていたケイウスと目を合せる。 「入って問題なさそうだよ」 答えながら足を踏み出した晴臣に次いで、他の面々も足を踏み入れて行く。 静乃の話によれば、穴が大きくなった事で瘴気の流れは更に明確化したらしい。結果、此処に何かがあるのは間違いないだろう。 警戒しながら踏み入れた其処は、誰もが想像もしていない光景が広がっていた。 「……瘴気の、洞窟?」 紗々良の読みは、あながち間違いではない。 開拓者が足を踏み入れた其処は、瘴気の木をくり抜いて作った洞窟のような場所だった。 正確にはこの空間を避けるように瘴気の木が生い茂っているのだが、それにしても不自然な場所だ。 「あ! あれが祠かな?」 遠目で辺りを確認していたレトが声を上げると、彼女は誰よりも速く其処に向かった。 その姿を追うように久野都も歩いてゆくと、これまた奇妙な事に気付く。 「これが、不通の祠……?」 想像していたのとはだいぶ違う作りだ。 石を組み合わせて作り出された祠は、どちらかと言うと祭壇と言う名称がしっくりくる。それにこの祠、あまりに禍々しく陽の気を纏っているようには到底見えなかった。 「この祠、真ん中に窪みがあるね。ここに宝珠を嵌めるのかな?」 横から覗き込んだケイウスは、唯一姿亡鬼と闘った事のある志摩を振り返る。これに志摩の表情が変化するが、やはり一瞬だけだったようだ。 「さあな。楠なら詳細を調べ上げてるかも知れねぇが、俺にはサッパリだ」 億劫そうに返された声に、ケイウスが項垂れた時だ。今まで傍に控えるだけだった葎が、志摩の前に立って彼の目を見上げた。 「軍事さん。僕は、貴方を守ります。鬼の執着こそ……貴方とあの方が繋いだ機と望み。不意にはさせません」 突如紡ぎ出された言葉に志摩の眉が寄る。 何を言い出すのかと怪訝そうな表情だが、葎は構わず続けた。 「決着の時、貴方が命を擲つ以外の無茶なら、全て支えます。だから……考えがあれば、教えて下さい」 無言のままでいた彼が何も考えていない筈がない。そう思っていたのは晴臣も同じようだった。 「今の軍事はどんな無茶もしそうだからね。最悪、暴走する時は呪本で殴る事も覚悟しといてね」 脅しじゃないよ。そう言葉を添える彼。他にもこの場に居る多くの者が志摩を心配している様だった。 それを受け、彼の口から再び息が漏れる。 「……雪華は自分の意思で姿亡鬼を憑依させた。その上で宝珠の力を使って奴の憑依する力を抑えようとしたんだ」 「宝珠の力で憑依を制御しようとしたの?」 「ああ。姿亡鬼は憑依している対象に致命傷を負わせると別の獲物に憑依する。その瞬間に宝珠を使って憑依出来ないように仕向け、止めを刺したんだ」 けれど姿亡鬼は死ななかった。 宝珠の力を潜り抜け、結果的に別のモノに憑依して生き延びたのだ。 「……祠があれば奴の憑依を完全に止めれるってんなら、もう一度同じ事をして倒せば良い。此処で奴を――」 「軍事、早まった真似をしたら駄目だよ。軍事程ではないけど、腹を立ててるのは俺だって同じだから」 密かに湧きあがる怒りを抑えるように楽器を握り締め、ケイウスが険しい表情を覗かせる。 良く見れば刃兼やウルグも同じように表情を歪ませていた。彼等も志摩と同じ気持ち。 その事に志摩が気付き始めた、その時。 「此処が祠の森……成程」 「誰!?」 唐突に響いた声に振り返った面々。その前に現れたのは穏やかな雰囲気を纏う女性だった。 彼女は空を、森を、祠を目にして微笑む。 「何故、見付けられなかったのでしょう。不穏な祠、不穏な森……壊さなくてはなりません」 ふわっと舞い上がった直後、祠の前に黄金の筋が通った。 『ゴオォオッ!』 「天元! 志摩!」 劫光の叫びに玖雀が飛び出す。そうして刃を抜いて黄金の刃を受け止めた征四郎と志摩の間に入ると、すぐさま印を刻んで大地を縫い上げた。 「少しばかり動きを止めて貰おうか」 「援護、します」 玖雀の動きに合わせるように紗々良の一矢が女性の頬を掠める。しかし彼女狙いは変わらない。 「もう、一矢……!」 間髪入れずに放たれる矢。それと同時に大地から伸びる黒の影が女性の足を掴もうと伸びる。しかしそれが届くよりも早く、女の体が変化した。 「あの能力、幻黄か!」 黄金の鎧を纏い後方に飛んだそれが、迫り来る影を一刀両断する。それに続いて鞭の様に伸びた腕が玖雀に迫ると、白い壁がそれを遮った。 『ゴボッ、ォオオオッ!』 抉るように弾け散った壁に、玖雀と壁を作った劫光が吹き飛ばされる。それを目にした竜姫が飛び出した。 「誰一人死なせないし、私自身、死ぬ気は毛頭ないわ!!」 弧を描いて舞い降りる黄金の斧。それが凄まじい連撃で弾き飛ばされる。しかし腕は1つではない。 「!」 目の前を掠めて行った一閃に息を呑む。その上で自身の首根っこを掴んで引き戻したウルグを見ると、彼女の頭が小さくだが縦に動いた。 「下がってろ」 皆の前に立ったウルグが魔槍砲の先端を幻黄に向ける。そして練力を其処に集中させると、次なる攻撃に転じようとするそれに照準を合わせた。 「玖雀!」 相手の動き故に狙いが定まらないのだろう。声を上げた劫光に頷き、玖雀が新たな印を刻む。 それに合わせて松明を地に刺した静乃が火輪を放つと、辺りは仄かな灯りに包まれた。 「今だ!」 先には外した攻撃。それを再び紡ぎ出し幻黄の動きを封じようと玖雀が動く。それに葎も加わると無数の影が幻黄の足に纏わり付き――掴んだ! 「凍てつく龍の息吹に、もっと鈍くなっちまいな!」 動きを制限された幻黄に氷の龍が迫る。そうしてもがく黄金の鎧に喰らい付くと、ウルグは狙いを定めていた魔槍砲の引き金を引いた。 グゥオオオオッ! 激しい光が、爆発が、幻黄を包み込む。 「っ……やった、のか……?」 眩しい光に瞼を伏せていた晴臣が薄目を開けて周囲を伺う。直後、彼は信じられない物を目にした。 「……腕が、落ちましたね」 ゴロリと落ちた片腕を見て零す声。 今の攻撃を受けて腕が落ちるだけ? 誰もがそう思った瞬間、幻黄の顔がキョロリと動いた。それは明らかに何かを探す仕草。 「何だ?」 ケイウスも異変に気付いたのか、確かめるように足を―― 「それ以上、進んでは駄目」 静乃の声に踏み止まったケイウスの目が足元に落ちる。其処に在ったのは無数の糸だ。 「いつの間、に……」 このまま進んでいれば糸に捕食されて居ただろう。そして顔を上げた先には、糸を辿って幻黄の元に辿り着く餓鬼蜘蛛の姿がある。 「なっ……それは本当ですか!?」 突如幻黄の上げた声に不穏な空気が流れる。しかし詳しい状況を確認する間もなく、幻黄は踵を返した。 「逃げるのか!」 怒声が響く中、幻黄はチラリと赤い目を向け、そして控えていた餓鬼蜘蛛に命じる。 「祠は貴方に任せます――壊しなさい」 そう告げると、幻黄は素早い身のこなしで魔の森に消えて行った。残された開拓者はと言うと。 「っ、毒針……ッ?!」 ガサガサと動く蜘蛛は真っ直ぐに祠を目指す。その動きに静乃が炎を放つが、糸を焼き切るには至っていない。 「無茶……しないで、守れるものなんて!」 「ケイウス!」 無理矢理飛び出した彼の体が餓鬼蜘蛛と祠の間に入る。そして迫り来る蜘蛛の腕を受け止めると、強烈な爆音を響かせた。 ビリビリと糸さえも震わせる音に、刃兼が眉間に皺を刻んで踏み込む。 風に混じって舞い上がった糸が髪に付着するが今はそれどころではない。 「晴臣」 「わかってるよ。でも大丈夫なのかい?」 無理に飛び出してゆく仲間達。それを見て志摩も動かずにはいられないと判断したのだろう。 「俺より無茶する奴らがいるからな……仕方ねぇだろ。それよか右側は頼むぜ」 視えない目の補佐を晴臣に託し、自身も刃を構え直す。そうして心配そうな眼差しを向ける葎に苦笑を浮かべると、彼もまた蜘蛛に向かって足を踏み出した。 ●罠 空に輝く無数の星。それを視界に据えながら、天元 恭一郎(iz0229)は周囲の警戒にと辺りを見回す。 此処は狭蘭の里から仁生を目指して南下した森の中。辺りに人の気配は無く、獣を避ける為に焚いた火の粉が舞い散るだけの穏やかな空間だ。 「……フィン。貴女、何してるの」 焚火を囲むようにして腰を据えた一団の一角。開拓者に扮しながらも手を拘束された通弐が不満そうな声を上げる。 これに、声を掛けられたフィン・ファルスト(ib0979)は「むぐっ」と喉を詰まらせると、慌てて口に在る物を嚥下して息を吐いた。 「んぐ……何って、毒見だよ?」 「毒見?」 それにしては……。 食事に目線を落した通弐にアルマ・ムリフェイン(ib3629)の目もつられて落ちる。 「……殆ど、残ってない、ね?」 「そうね」 アルマの声に同意した通弐の食事は半分以上がフィンのお腹の中だ。残っているのは干し飯位だろうか。 通弐はやれやれと首を横に振ると、隣に座るミシェル・ヴァンハイム(ic0084)を見て口を開いた。これに当のミシェルが慌てた様に目を見開く。 「え、あ……」 今の流れでこの仕草の意味は分かる。分るがちょっと待て。 心の準備が必要だったのか、真っ赤になって動きを止めた彼を、通弐を挟んで反対に腰を据えていた樂 道花(ic1182)がニヤニヤしながら見詰めて声を零した。 「通弐、俺のをやるよ」 ほら。そう言って差し出された道花の干し飯に通弐の顔が動く。そして彼女の手から食事を貰うと「ああ! 道花っ!!」と非難の声が響き渡った。 「……やれやれ捕まえたと思ったら移送ですか」 懐にひとり零しながら、囚人を移送中とは思えない和やかな雰囲気の場を、无(ib1198)は何とも言えない面持ちで眺め見た。 「少し前までは完全に敵、だったんですけどね」 東房国で起きた上級アヤカシ同士の争い。其処に久しく姿を見せた通弐は確かに敵だった。 だが今の彼女は如何だろう。 「俺達が紅林さんと花鳥さんの願いを聞いて彼女を生かしてから少し経つが、その頃よりも角が取れている……道を、選んだのだな」 生きる為に償う事を決めた彼女の選択。それを思い羅喉丸(ia0347)は密かに口角を上げる。 そんな中、焚火を見詰めながら道中で聞いた通弐生存の経由を思い出し、キース・グレイン(ia1248)は息を吐く。 「不思議な感じはするが、誠意が続く間は、俺は何も」 此処までの道程、通弐は抵抗する素振りは一切見せない。それどころかラ・オブリ・アビスを使って通弐に扮すると申し出た柚乃(ia0638)を心配する素振りまで見せたのだ。 これには彼女を知る他の面々も驚いたのだが、当の本人は何処吹く風。 「ねえ、貴女は食べないの?」 対面に腰を据える柚乃に問い掛けた通弐は、ミシェルを使って彼女に食事を勧める。 ちなみにミシェルはと言うと彼女の指示に従いっぱなしだ。それを見て再び道花がニヤニヤしているのだが、ここら辺はもう放っておこう。 「なんだか、話に聞いていたよりも近寄り辛くないかも……?」 一連の行動を目にしていたユウキ=アルセイフ(ib6332)がポツリと零す。 「見た感じでは凄く強そうで、危ない雰囲気を感じるけど……、綺麗な人だよね」 彼は戦闘での通弐を知らない。故にこう称せるのだが、この言葉に素直に頷ける者は少ないだろう。 「知らない、と言うのは怖いものですね」 恭一郎はそう呟いて、ふと自分の隣に立った人物へ目を向けた。その上で「何か?」と眉を動かす。 「……恭一郎さん、護衛を買って出たんだよね」 「そうですけど何か?」 「あ、いや……」 威圧するように見下ろされてアルマの耳が下がる。それを見て恭一郎の口端に笑みが浮かんだ時だ。 「――頭を下げなさい!」 外套を羽ばたかせて焚火を消した通弐が、素早い動きで柚乃に飛び込む。その上で彼女の頭を抱き込むと、物凄い勢いで地面に転がり込んだ。 「通弐!」 「……大丈夫?」 慌てて戦闘態勢を整える仲間の姿を目の端に置き、通弐は自身に扮している柚乃の顔を覗き込む。これに頷きを返して、彼女は今居た場所を見詰めた。 「短剣……しかも、こんなに……」 「嘘っ! 急に瘴気の濃度がッ」 懐中時計をチラリと見たフィンの驚きの声に羅喉丸が注視の目を周囲に飛ばす。そうして光る何かを発見すると彼は後方へ飛び退こうとするのだが…… 「!?」 足に纏わりつく無数の糸に身動きが取れない。 「ッ、…ぅ……」 動きが取れない場所に撃ち込まれた短剣。それが彼の足を貫くと、周囲からも痛みを堪える声が上がり始めた。 見えない敵、足を拘束する糸。次々と撃ち込まれる短剣の位置は場所を変え、的確な動きで開拓者の動きを封じて行く。 「くそ、っ……動けッ! 動けッ!!」 今度こそ守るって決めたんだ。そう叫びながら糸を振り解こうとするミシェルの足が不意に軽くなった。 それは彼だけではない、フィンや道花、キース等も同じだ。その理由は―― 「うっかり壊れてしまいまして」 飄々と言って退ける无は、手元に戻って来た魔刀を手に肩を竦める。そんな彼の傍では、柚乃の枷を外した通弐の姿が在った。 其処に思わぬ物が飛んでくる。 「貸すだけだからな! あとでちゃんと返せよ!」 携帯していた弓を道花が投げたのだ。それを受け取って通弐の眉が一瞬だけ下がる。けれどそれは誰にも見えない変化だった。 「……狐の坊やは回復を」 静かにそう告げて駆け出そうとした彼女の腕をミシェルが掴む。と、其処に無数の刃が降って来た。 「コソコソと邪魔なのよ!」 飛躍した宙で身を反しながら無数の矢を撃ち込む。森の中に無造作に消えて行く矢だがそれが着弾すると同時に、黒い影が葉を巻き込みながら落ちてきた。 「蜘蛛?」 外見は餓鬼蜘蛛そのもの。けれど無数の手に携えた短剣は明らかにそれが扱うものではない。 「……綺麗好きの貴方にしては、随分と醜い姿になったものね。驚いたわ」 「まさか……」 姿亡鬼。誰もがそう思った時、蜘蛛は地を這うような動きで近付いて来た。その動きは思った以上に早い。 「近付けさせない……!」 ユウキが作り出した水球が這い寄る蜘蛛に放たれる。けれど、 「避け――ッ、あ!」 腕を貫いた強烈な一打。其処からじわじわと広がる異様な感覚に汗が頬を伝う。 (この、感覚……毒……?) じわじわと体力を奪うそれに眉が寄る。が、危機はそれだけではなかった。 「ぼさっとするな!」 彼の体を掬い上げるように攫ったキースが叱責する。だがその直後、彼女の顔色がサッと変わった。 「毒を受けたのか!」 そうだ。餓鬼蜘蛛と言えば毒針を使う。ならば誰かそれを制する術を。 バッと辺りを見回したキースの目が僅かに見開かれる。 (いない……?) サアッと血の気が引いてゆく。しかし絶望している暇は無かった。 「!」 ユウキを抱えて飛び退いた場所に撃ち込まれる短剣。それに次いで迫ってくる毒針。 正直に言ってこれらを完全に防ぐ方法は無い。防げるとしたら无が幾度となく作り出しているコレだけだ。 「通弍の道、紅林さんの願い……絶対、守る。だから、通弐は此処に居て」 无の作り出した白壁の向こうでフィンは通弐に言い聞かす。そんな彼女の周囲をミシェルや道花が囲っているので不用意には動けないが、通弐はその言葉に頷く様子はなかった。 「……時間を稼ごう」 「支援、します」 進み出た羅喉丸に柚乃が言葉を添えて進み出る。これに羅喉丸が頷くと、彼は大きく息を吸い込み、動き回る餓鬼蜘蛛を見据えた。 それを目に留めながら通弐がフィンの手を取った。そしてそれを握り締めながら呟く。 「宝珠を見付けたら、祠の元へ持って行きなさい。姿亡鬼が憑依する瞬間を狙って祠に宝珠を嵌めれば、姿亡鬼は宝珠に封印されるわ」 姿亡鬼が憑依をするのは自身の身に危険が迫った時だけ。つまり憑依対象が死ぬ時だけ。 「通弐?」 「……私は生きるわ。何があっても、必ず」 意思を瞳の奥に浮かべて囁く彼女の言葉が嘘とは思えない。思えないのだが嫌な予感がする。 そうこの場に居る誰もが思った時だった。 「なっ!?」 羅喉丸の驚愕の声が響いた。 目を向ければ餓鬼蜘蛛の胴を貫いた彼の腕が、蜘蛛の無数の腕に捕まれている。そして人の口が大きく開かれると、无とアルマは術を、フィンとキースは駆け出した。 「羅喉丸さん!」 攻撃は確かに当っていたし、敵を貫いていた。本来であればそれで戦闘は終わる。にも拘らず倒れないのは、これが「姿亡鬼」の憑依した物だからだ。 開けた口から放たれた糸が羅喉丸の身を包み始める。それを阻止しようと放たれる攻撃も意味を成さない。 「! 通弐、駄目だ!」 叫んで掴もうとしたミシェルの手が空を掻く。そしてそれを振り切るように駆け出した通弐の矢が、羅喉丸と蜘蛛を繋ぐ糸を掻き切った。 「やっぱり、生きているのね……」 極々小さな声が羅喉丸の耳を突くと、次の瞬間、断ち切られた糸が通弐の腕を絡め取った。 「通弐ィィィイイイッ!」 羅喉丸を包もうとした糸の比ではない勢いで糸が通弐を包み込む。そして憑き物が落ちた様に餓鬼蜘蛛が崩れ落ちると、フィンの手にあった懐中時計の針が最大値へと跳ね上がった。 「!」 ――ォォォオオオオッ! 唸るような大地の音に次いで、通弐を包んでいた糸が弾け飛ぶ。そして黒い渦を巻いた瘴気が辺りに飛び散ると、呆然と成り行きを見守っていた開拓者等の体を貫き始めた。 「ぁ……、っ……こ、これ……」 ドサリと倒れ込んだフィンが手を伸ばす。その先に居たのは黒の瘴気を身に纏う通弐だ。 手には瘴気で出来た矢を握り、禍々しい気を放つ姿はいつか目にした彼女の姿に似ている。 「……通弐、ちゃん……」 瘴気の矢に討たれ、木に縫い付けられる形になったアルマは何とか其処から抜け出そうともがく。もがきながら、注意深く通弐の姿を見ていた。 そうして気付く事があった。 「……、…め……ッ…オトナ、シク……」 葛藤するように体を抱え込んだ通弐は、己の額に手を添えると何かを抑えるように深呼吸を繰り返している。 そして苦しげに咳き込んだかと思うと、一瞬だけ瘴気を緩めて皆を見回した。 「っ…祠……へ……、…わたし、も……いく…から…、ぅ……ぁぁァァ、黙レェェエエエッ!」 「……な、に?」 一瞬聞こえた言葉は誰のもの? 判断する間もなく反された体に、道花とミシェルが手を伸ばす。しかし動ける筈はなかった。 通弐が放った瘴気の矢は1本や2本ではない。それこそ無数の矢が彼等を貫いていた。 「……これが、姿亡鬼の狙い……?」 開拓者を囮にして通弐を誘き寄せ、そして彼女に憑依する。これを阻止するには通弐の自由を奪った上で囲うしかなかった。 今は只、彼女が最後に残した言葉が気になる。 ――祠へ。私も行くから。 |