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■オープニング本文 ●狭蘭の里(北面国) 穏やかな風が吹く午後。 義貞は里長である祖父に呼び戻され、里唯一の集会場を訪れていた。 「何の用だろう?」 呟きながら集会場と呼ばれる民家の戸を開く。その瞬間、義貞の目が僅かに見開かれた。 「よお、坊主。元気だったかい?」 集会場の中央に里長と腰を据えるのは、東房国で何度か顔を合せた事のあるシノビだ。 「……何で東房国の人が居るんだ?」 「その疑問は尤もだ」 明志(あかし)は口角を上げると、義貞を傍に招くよう手招きをする。そうして彼が近付くと、明志は此処に呼ばれた理由を話し始めた。 「坊主が知っての通り、俺は東房国の人間だ。普段は東房国に在る楼港で商いをしてるんだが、今日は特別に副業で来ててな」 「此方の明志さんは霜蓮寺統括お抱えのシノビじゃ。今日は陽龍の地で起きておる異変について教えに来てくれたんじゃ……明志さん。もう一度説明をお願い出来ますじゃろうか」 「ええ。問題ないですよ」 明志は煙管を取り出して咥えると、特に火を付けるでもなくそのままの様子で口を開いた。 陽龍の地とは東房国と北面国付近にある魔の森で、かつては龍の保養所として栄えていた場所だ。 彼が語ったのは陽龍の地に在る魔の森での出来事。何でも土地の調査中に向かった者が戻らないと言うのだ。 それは1人、2人では無く、既に10人を越えているとか……。 「消息を絶った者達は志体を持つ僧兵及びそれを捜索に向かった開拓者です。つまり、魔の森に行ける程の腕を持った者達が消息を絶ってる訳です」 「それってさ、今後も調査に向かえば人が消えるかも知れないって事だよな?」 義貞の声に明志は頷く。 「こんな状況なもんで、霜蓮寺の統括は貴方たちを心配して、暫くの間陽龍の地には近付かないで欲しいと言っています」 この言葉を宗貞が断る理由はない。 陽龍の地復活は、里の民が安全に暮らせてこそのもの。それが確約できない以上、無理に動く訳にもいかない。 「坊主も対策が進むまでは下手に動かないでくれや?」 「なっ……何で俺に言うんだよ」 「坊主は志摩の小さい頃に似てるからねぇ」 ニヤリと笑った明志に、義貞の頬が赤くなる。それを見届けると、彼は据えていた腰を上げて煙管を懐に仕舞った。 ●霜蓮寺(東房国) 報告書に目を通していた霜蓮寺統括は、唸る思いで顔を上げると目の前に立つ久万(くま)を見た。 「嘉栄に魔の森の焼き払いを頼んだが……此方も相当厄介そうだな」 「そうですな。ですが現状は調査しか出来ますまい。嘉栄に活字仕事を頼むよりは良いかと」 久万がそう笑うと、統括は苦笑して彼の隣を見た。 其処に立つのは近隣の寺社――虹來寺の定野・幸允(さだの・ゆきまさ)だ。 「状況は極めて不鮮明。それでも虹來寺はこの件に手を貸してくれると?」 統括がこう問うのも無理はない。 虹來寺は一年程前に上級アヤカシに襲撃されて甚大な被害を被った。今でもその傷跡は残っており、復興に専念するしか出来ない状況なのだ。 けれどこの問いに幸允は頷く。 「積極的人員を派遣して支援を行うのは無理でしょうが、資料の提供と調査に僧兵を数名派遣するだけなら問題ありません。以前の恩を返すには今しかないでしょうし」 彼はそう言うと現在虹來寺が提示出来る支援の状況を説明し始めた。 「陽龍の地と呼ばれる魔の森での失踪は、その付近にのみ留まっていると言えるでしょう。この状況を顧みるに、陽龍の地近辺での過去のアヤカシの活動を調査すべきと思います」 虹來寺には広大な書庫があり、その書庫を自由に閲覧出来るよう手筈を整えてくれると言う。 「虹來寺の資料は調査の役に立つだろう。久万、霜蓮寺の書庫も開放しなさい。その上で開拓者ギルドに連絡して調査協力の依頼を。あそこの書庫を我々だけで調べるには骨が折れる」 「確かに」 久万はそう返すと、小さな会釈を残して部屋を後にした。 ●神楽の都・開拓者下宿所 全ての者が眠りを貪る深夜。 志摩は部屋の隅に置かれた蝋燭の灯りだけを頼りに、1枚の文に目を落としていた。 ―――恨み必ずや たったこれだけが綴られた文が届いたのは数日前。 今と同じ深夜に物音もなく部屋に差し込まれ、差出人を辿ろうとしたが見付ける事が出来なかった。 「差出人を探そうにも筆跡がな……」 この文は文字こそ綴られているが大きさがバラバラな上に、形も様々。これでは正確な筆跡など分かる筈もない。 「……参ったな」 そう、志摩が大きく溜息を零した時だ。 唐突に彼の部屋の窓が開かれた。そして物音無く何かが滑り込んで来ると、彼は透かさず太刀を抜き取って入り込んだ何かにそれを突き付けた。 「何者だ」 低く威圧しながら掛けた声。 けれどその声や動きに動じる事なく、刃を向けられたものは静かな口調で語り出した。 「随分と警戒しているのね。原因はその文かしら」 「っ! その声……てめぇ、都を出たんじゃなかったのか」 驚きと戸惑いを混ぜながら発せられた声に、頭巾を被っていた人物は着けていた仮面を外すとの自らの顔を晒した。 「――楠通弐」 「出たと欺く必要があったのよ。これの所為で」 言って彼女が差し出したのは1枚の文。其処に書かれた文字を目にして志摩の目が見開かれる。 「何でてめぇが……」 「貴方と私の共通点を探すのに時間が掛かってしまったけれど、お蔭で差出人がわかったわ」 通弐は淡々と呟きながら頭巾を被り直す。そうして仮面を装着すると静かに語り出した。 「貴方……憑依型のアヤカシを倒した事があるわね? そのアヤカシ、まだ生きているわ」 言われてゾワリと背が泡立った。 憑依型のアヤカシ――それで思い出されるのは1体だけ。過去、志摩の婚約者に憑依したアヤカシだけだ。 「アイツが、生きてる……だと?」 「興味があるなら私と一緒に来ると良いわ。貴方は狙われているもの……同行するには問題ない――」 通弐が言葉を切るのとほぼ同時。 凄まじい足音と共に部屋の扉が開け放たれた。 「志摩!」 駆け込んで来たギルド職員の山本は、部屋にいた志摩と仮面を付けた通弐を見て言葉を呑み込む。 だが彼の様子からして尋常ではないのはわかる。 「……如何した」 志摩は自らの動揺を押し殺すと静かにそう問い掛けた。これに山本が口を開く。 「義貞が、消えた」 ●数時間前 里の入り口で魔の森のある方角を見詰めていた義貞の前を何かが過った。 「兎、か?」 森の中なら良くある事だ。 義貞は微笑ましい気持ちで何かが消えた茂みを見詰めた。だが次の瞬間、彼の顔が驚きに変わって行く。 にゃあ。 茂みから顔を覗かせた緑色の毛をした猫。 猫は義貞に向かって数度鳴くと、彼が呼び止める間もなく森の中に消えた。 「……まさか……」 そんな筈ない。そうは思うがあんな毛色の猫が他にいる筈がない。 義貞は気付いた時には駆け出していた。 行くなと言われた陽龍の地へと……。 |
■参加者一覧 / 羅喉丸(ia0347) / 柚乃(ia0638) / 佐上 久野都(ia0826) / 鳳・陽媛(ia0920) / 瀬崎 静乃(ia4468) / 紗々良(ia5542) / 千見寺 葎(ia5851) / リューリャ・ドラッケン(ia8037) / リエット・ネーヴ(ia8814) / 劫光(ia9510) / 尾花 紫乃(ia9951) / ユリア・ソル(ia9996) / フラウ・ノート(ib0009) / リンカ・ティニーブルー(ib0345) / ニクス・ソル(ib0444) / フィン・ファルスト(ib0979) / 无(ib1198) / 尾花 朔(ib1268) / 五十君 晴臣(ib1730) / アルマ・ムリフェイン(ib3629) / シータル・ラートリー(ib4533) / ウルグ・シュバルツ(ib5700) / 匂坂 尚哉(ib5766) / ユウキ=アルセイフ(ib6332) / 玖雀(ib6816) / レト(ib6904) / ケイウス=アルカーム(ib7387) / 刃兼(ib7876) / ミシェル・ヴァンハイム(ic0084) / 紅 竜姫(ic0261) / 鎌苅 冬馬(ic0729) / 樂 道花(ic1182) |
■リプレイ本文 ●霜蓮寺 カビの匂いが充満した書庫。その中を歩きながら本棚を流し見るアルマ・ムリフェイン(ib3629)は、目に付いた書物に手を伸ばすと、表紙を軽く捲って腕に抱いた。 「……聞いた通り、人の出入りはなさそうかな」 そう呟くアルマは書庫に入る前、アルマは統括にある質問をしている。それは「最近書庫に出入りをした者がいるかどうか」そして「整理をしたかどうか」だ。 「何処の棚も埃が積もってるし、本が置かれてる場所もバラバラ……これは探すのが大変かも」 言って新たな本を手に取る。 彼が集めているのは陽龍の地、龍の保養地、東房国と北面国の国境と国交。それに南麓寺と狭蘭の里に関する地図だ。 勿論、神隠しに関する伝承も調べているのだが、如何にも近い資料は無い。 「ムリフェインさん。私の方はあらかたの死霊が揃いましたが、其方の方は如何ですか?」 腕に大量の書物を抱えて歩いてきた【幼馴染】の尾花朔(ib1268)が首を傾げる。 彼はアルマとは離れた場所で、彼と似たような資料を集めていた。その成果が腕の中に在る本なのだが、少しばかり積み過ぎな気がする。 「僕の方もそろそろ……って、朔ちゃん凄い量だね! 少し持つのを手伝って――」 「これくらい大丈夫です。って――」 バサバサッ。 「「ああ!!」」 雪崩れる様に床に落ちた本へ慌てて手を伸ばす。そうしてある本を持ち上げようとした所で朔の手が止まった。 「あれ? この本……」 表題を見て殆ど集めたので中身は見てなかったが、こんな本を持って来ていただろうか。 「『霜蓮寺・紫苑雪華』。あ、これ僕だよ」 本を取り上げた柵の手元を覗き込んだアルマが言う。 「他のより埃が少なかったから気になったんだ。それにこれだけ人の名前が書いてあったし……報告書なんだと思うけど」 詳細は統括に許しを得てから見ようと思ってたんだ。そう語る彼に成程と頷く。 「統括の書庫なら報告書があっても不思議ではありませんね。早速戻って聞いてみましょう」 2人はこうして統括の部屋に戻ったのだが、戻った2人から話を聞いた統括は、苦笑を滲ませながら報告書を開いた。 「紫苑雪華とは霜蓮寺で働いていたサムライの名でな。彼女は霜蓮寺の危機を救った人物でもある」 「霜蓮寺の危機、ですか?」 そう。と頷きながら、統括はある頁を開いて彼等に見せてくれた。 其処に記述されているのは、当時の霜蓮寺が見舞われた悲劇の図。僧兵の被害は勿論の事、寺社に住まう一般人も相当数亡くなっているのがわかる。 「何故これだけの被害が……」 「被害を大きくさせたのはアヤカシの特徴が大きい」 「アヤカシの特徴?」 思わず問いかけたアルマに統括は頷く。 「アヤカシの名は『姿亡鬼(しぼうき)』。その身を生きる物へと転移させ、無限の如く生き続けるアヤカシだ」 ――姿亡鬼。 この名を目にして朔はハッとした。 急いで伝記が記された本を開いて目的の記述を探す。そして―― 「あった!」 大きく開いて見せた本に書かれていたのは生き物に転移するアヤカシの記述。その経歴は陽龍の地が魔の森に沈んだ僅か後より始まっている。 「あの……そのアヤカシ……姿亡鬼が生きている可能性は、あるのでしょうか」 アルマの問い掛けに統括は久万と顔を見合わせると、言い辛そうに口を開いた。 「可能性はあるかも知れない。だがもし生きているのだとすれば、志摩は何の為に彼女を犠牲にしたのか……」 ●捜索 渾沌とした瘴気が立ち込める森の中を一丸となって歩くのは、行方不明者の捜索に駆り出された開拓者だ。 「だいぶ奥に進んで来たが、本当に此方で問題ないのだろうか?」 魔の森の中では方向感覚が鈍る事も多い。それは敵の行動範囲内だからと言うのもあるが、単純に周辺の地図がないからとも言う。 「鎌苅さん、其方から不穏な音がします。進むのは此方の方が良いかと」 そう鎌苅 冬馬(ic0729)の足を引き留めた千見寺 葎(ia5851)は、周辺を伺うように目を細める。 その上で鋭くした聴覚を駆使して辺りを探るのだが、如何にも先程から嫌な音しかしない。 それは同じく超越聴覚を使用している柚乃(ia0638)も同じなのか、彼女もまた眉間に皺を寄せて周囲を伺っていた。 「足音……とは少し違う、けど……何の音だろう」 ガサガサと響く物音は1つではない気がする。複数が寄り集まって探っているようなそんな音色だ。 「道花。何か見える?」 皆と同じく足を止めた五十君 晴臣(ib1730)が革張りの本を開く。その姿を見止め、道花は瞳を眇めて辺りを見回した。 其処彼処に木々が立つ森。それに加えて濃い瘴気が霧を掛けた様に視界を遮ってくる。 樂 道花(ic1182)は何とも言えない面持ちで顔を上げると、緩く首を振って眉を寄せた。 「駄目だ。障害物が多過ぎて遠くが見えねぇ」 「となると、心眼か鏡弦に頼るしかなさそうだね……そっちは如何?」 振り返った晴臣が、弦を弾いたばかりのリンカ・ティニーブルー(ib0345)を見る。 彼女は周囲に響き渡る弦の音を聞きながら、音色が届ける情報に表情を蒼くした。 「…、…何でこんなに……っ」 思わず零した声にウルグ・シュバルツ(ib5700)が反射的に振り返る。と、その時だ。 「危ない!」 火炎を纏う刃がウルグの頬を掠め、迫る危険を討ち払った。 「……蜘蛛?」 刃兼(ib7876)が払った敵を見ると、それは蜘蛛に良く似たアヤカシだった。大きさから察するに化蜘蛛も一種だろうか。 「リンカさん、鏡弦の結果を教えて下さい」 焦ったように柚乃が問うと、リンカは今得た情報の全てを開示した。それはこの場の開拓者を凍り付かせるには充分な情報で、晴臣は冷や汗を垂らしながら渋い表情で黙ったままの志摩を見た。 「軍事、私の護衛をお願いしても良いかな?」 「あ?」 行き成り何を言い出すのか。そう問う視線に苦笑して、晴臣は本の一説を指で辿る。 「強行して抜けるべきだと思うんだ」 リンカが示した敵の数は十数体。それは開拓者の居る場所を囲むように展開しており、ハッキリ言って戦闘を避けて進むには無理な状態だ。 「義貞が行方不明だからって手伝いに来たんだけど、少しばかり状況が悪いかな」 呟きながらさり気なく志摩 軍事(iz0129)の視力が失われた側に立つ晴臣に、彼は何も言う事無く周囲を見回した。 「まあ、突破するしかないだろうな。とは言え、敵の数はわかったが正体がイマイチ、な」 1つは化蜘蛛と分かったが、それだけである保証はない。志摩の懸念を耳にした刃兼は、ふとある事を思う。 (化蜘蛛は強力ではない……だが罠を張る可能性はある。ならば行方不明者は罠に嵌ったのか……?) 出発前、行方不明者が出たと聞いた彼は強力な敵の可能性と、人間を誘う罠の可能性を考えた。 異変が起きているのは確かな上、知り合いの義貞も居なくなったと考えるなら、油断せずに今依頼に挑もうと考えていたのだが。 「罠の線が濃いのなら、この辺りに行方不明者がいるのかもしれない」 ポツリ、零した声にウルグが黒の銃身を構える。そうして目を眇めると改めて道花に問う。 「もう一度視てくれ。刃兼の言うようにこの周辺に行方不明者がいるなら、何かある筈だ」 その間、時間は稼ごう。 彼はそう言うと皆に目を瞑る様に指示。全ての眼が閉じられると、彼は眩いばかりの光を瘴気の森に放った。 『――ォォォオオッ!』 突如響き渡った奇声に全員が警戒を示す。そんな中、道花はウルグの声を忠実に再現して辺りを見回していた。 (くそっ、木々が邪魔して視えない……近くだって視えねぇしッ) 焦る中で響く戦闘音。こうしている間にも仲間は必死で闘っていると言うのに。 道花は落ち着かない様子で辺りを見回す。そんな中、落ち着いた静かな声が彼女の耳に降って来た。 「落ち着け。遠くを見て何もなきゃ近くに在る。逆に遠くに在れば、儲けモノだ。失敗しても誰も怒りゃしねぇ……仲間を信じろ」 トンッと叩かれた肩に反射的に目を向ける。 其処に在ったのは「お人好し」と自分が形容する男だ。先の依頼で世話になった礼を言ったばかりだと言うのに、またこれか。 「締まらねぇな」 苦笑して呟きながら、彼女はゆっくりと息を吸い込んだ。そうして改めて遠くを見詰める。 ――失敗しても誰も怒らない。仲間を信じろ。 (誰が失敗するかよ!) キッと眇めた瞳が木々を縫って先の森を見据える。そして今まで視えなかった景色が見えると、彼女は「あ」と声を上げた。 「居た!」 「上出来だ」 再び肩を叩かれて目を見開く。だが視線を向けた時には志摩は既にこの場を離れていた。 「晴臣、そっちは任せた。リンカとウルグは後ろだ! 刃兼と葎、冬馬は前に出て道花が視た場所へ向かえ!」 急げ! 上がった志摩の声に皆が動き出す。そうして化蜘蛛の包囲を抜けきると、柚乃は先程の志摩の行動を思い返して首を傾げた。 「志摩さん……焦ってる……?」 そう言えば初めに挨拶した時もおかしかった。 普段なら余裕を持って事に挑む彼が、一瞬笑っただけで後は難しい顔をしたのだ。それは柚乃が見て来た志摩と少し違う。 そしてこの違和感に覚えがあったのが葎だ。 「この感じ、雪女の時と……」 似てる。そう思った時、彼女の視界に何かが飛び込んで来た。 「!」 ガスッと鈍い音を立てて地面に突き刺さったのは槍だ。しかも槍は1本や2本では無く、それこそ複数降ってくる。 「連戦、か……流石は魔の森だな」 道花が視た場所は目と鼻の先。つまり目の前に現れた人間に似た敵が、行方不明者へ到達する為の最後の砦と言う訳だ。 「この人達……霜蓮寺の僧兵さん?」 柚乃が息を呑んで放った声に、志摩も緩やかに頷く。彼は何かを確かめるように僧兵だったモノを見据える。 「生きてるのか? それとも、死んで……」 「軍事?」 こうして僧兵が襲ってくると言う事は死人憑になっている可能性が強い。にも拘らず、生きている状況を考えるとは如何いう事か。 晴臣が疑問を持った直後、聞き覚えのある声が彼等の耳に届いた。 「おっちゃん! それに皆!」 死人憑の兵士の向こう。生きた状態で捉えられた義貞と兵士の姿がある。そして彼等の足元には骨となった人の姿も―― 「義貞! コイツらは死んでるのか!」 怒声の混じる叫びに義貞が驚いたように頷く。それを見て志摩は太刀を抜いた。 「コイツらは違うか……アイツじゃねぇなら斬るだけだ!」 あまりにらしくなかった。 先陣を切って飛び出した彼にリンカが慌てて弓を構える。そして僅か先に居る義貞をチラリと見て、志摩を援護する矢を放った。 「後で大福丸を褒めてあげないとだね」 魔の森に姿を消した義貞の場所を始めに予想したのは彼のもふらだ。出発前にリンカが聞いたのだが、本当にあっているとは驚きだった。 とは言え、勿論それだけの情報を元に捜索した訳ではない。 ウルグが示した元々調査に行く予定場所と大福丸の示した場所が近かったから向かっただけで、どちらの情報が欠けていても行方不明者発見には繋がらなかっただろう。 「志摩は如何したんだ?」 死角から飛び込んでくる敵に練力の玉を放ちがならウルグが呟く。そんな彼の声にリンカも緩く首を横に振る。 そう、誰にも彼の行動意味が分からない。 たぶんこの人物以外は―― (あの時に似ている……『アイツじゃない』……こんな言葉が出るのは……っ) そう葎が眉を潜めた瞬間、彼女は自分の意に反して前に出ていた。 「――ッ」 「葎!」 肩や腕、足を貫く槍に息を奪われるが、それ以上に気になる事があった。 葎は目の前の敵の喉を掻き切ると、自身に突き刺さった槍を次々と引き抜き、後ろで驚いた様に立ち竦む志摩を見た。 そして眩む意識の中で問う。 「……あの人、ですか?」 息を呑む音、驚いて見開かれる目。それを見ただけで答えはわかる。 「……そう、なんですね……」 葎はそう言葉を残すとその場に倒れ込んだ。 全ての死人憑を倒し終えると、開拓者等は捕らえられていた義貞を始めとした僧兵を解放した。 「義貞、無事のようだな」 掠り傷が見えるが健勝の様子な彼に言葉を向け、刃兼が安堵したように息を吐く。 「ごめん……若葉の姿が見えた気がして、追い駆けてから……」 「若葉? 義貞さん、若葉って……」 如何いうこと。そう言葉を放ったリンカに、義貞が気まずそうに視線を落とす。 「……姿を変えるアヤカシだったんだ」 義貞の話によると、若葉に似た猫を追い駆けて森に入った所、突然何者かに襲われて意識を失ったのだと言う。 気付いた時には森の中に居て、彼の傍には若葉そっくりの猫が座っていたんだとか。 「姿は若葉だったけど、あれは若葉じゃない。だって、アイツは言ったんだ。俺は『誘き寄せる為の贄』だって」 ザワッと背筋が泡立った。 苛立ちにも似た想いが胸に浮かび、リンカは必死にそれを抑えるよう努める。何故ならリンカ以上に怒りを覚えている人物が居る様だったから。 「軍事、大丈夫かい?」 負傷して意識の無い葎を背負ったままの志摩に晴臣が問う。 普段の彼ならどんなに感情を乱されようと返事はする。けれどこの時の彼は、怖い表情を浮かべたまま言葉を閉ざしてしまった。 ●虹來寺 虹來寺の真下に存在する地下書庫。其処に足を踏み入れたシータル・ラートリー(ib4533)は、鼻孔を擽る本の香りに愛おしそうに目を細めた。 「……良い、香りですわ♪」 カビ臭さも当然あるのだが、大量の書物に囲まれた古紙の香りが何とも言えない。 シータルは胸いっぱいに愛おしい香りを吸い込むと、近くの書棚に目を向けて書かれている表題を眺め始めた。 「この棚にあるのは、最近の記述でしょうか。埃も少ないですし……あら?」 ふと目に付いたのは薄黒い表紙の本。至る所が擦り切れていて見辛いが『虹來寺伝・四』と書かれているだろうか。 「四、と言う事は、他にもあるのかしら?」 「まあ、四とありますし、一と二、三があるのは確実でしょうね」 シータルの手元を覗き込みながらユウキ=アルセイフ(ib6332)が言う。彼は本を読み易いように光源を辿り寄せると、自らも彼女の持つ本の中へ目を寄せた。 「随分と古そうですが、良く見ると最近の記述もありますね」 ほら此処。そう言ってユウキは本の一説を示す。 「羅碧孤とは――」 「シータルねー! 何見てるんだじぇ!」 「うわぁ!?」 本とシータルの間から顔を覗かせたリエット・ネーヴ(ia8814)にユウキが思わず声を上げる。その姿に「ごめんなんだじぇ」と頭を下げてから、リエットは改めて本に目を落とした。 「ふむふむ? 羅碧孤だったら、あっちにも同じ本があったんだじぇ?」 カクリ。首を傾げた彼女が示したのは、既に整理整頓を終えられた本棚だ。 其処には【幼馴染同盟】のユリア・ヴァル(ia9996)とニクス(ib0444)の姿もある。 「狭蘭の里と南麓寺が陽龍の地を作った切っ掛けは、あの地にある温泉なのね」 パラパラと捲る本の中には、この地域周辺の情報がビッシリと書かれている。勿論、今ユリアが読み上げた様に、狭蘭の里や南麓寺の記述も。 「でも不思議ね」 ふと零した声にニクスの目が向かう。それに微笑み掛けてから、ユリアは持っていた本を彼に預けると、新たな本を探す為に書棚に向き直った。 「東房国と北面国は今や対立する関係でしょ? その二国が陽龍の地を作って名前を付けたのって、まるでそうしなければいけない理由があったみたいに見えない?」 確かに、彼女の言うように何かしらの意図が見える。けれどこれに否を唱える人物がいた。 「残念だけど、二国が協力したのは争うよりもその地を分け合った方が合理的だと判断したからだ」 そう言って奥の書棚から姿を現したのは竜哉(ia8037)だ。彼は抱え持つ本の1つをユリアに差し出すと、陽龍の地創生の記述を拾って見せた。 「陽龍の地は双方の国にとって、交易を行う上でもちょうど良い土地だったみたいだ。それに加えて龍に効能のある温泉があれば使わない訳にはいかない」 つまり、昔は双方の国は交流があり、それなりに人の行き来があったと言う事だ。 「どれだけ昔の事かまでは書いてないが、この話に裏はなさそうだ」 とは言え、きな臭い事がない訳ではない。他の書物を見て気付いたのだが、この陽龍の地、周辺で頻繁にアヤカシが姿を見せている。 「魔の森の所為、と言うだけでは無さそうだ」 竜哉がそう言って別の書棚を見ようとした時だ。 「――とと、持ってき過ぎちゃった」 緩やかな重い音共に、フラウ・ノート(ib0009)が抱えてきた本を机の上に並べる。そうして小さく息を吐くと、此方を見ている皆に向き直った。 「えっと……フィフロスで、目ぼしい本を持って来たのよ。良かったら、その……」 見てちょうだい。そう口中で呟き、視線を彷徨わせる。そんな彼女に笑みを浮かべ、近くで夜光虫を使って本を探していた泉宮 紫乃(ia9951)が振り返る。 「フィフロスで探したのですか? 助かります。ちょうど人妖は書庫に入れないと言われた所でしたので」 苦笑を浮かべた彼女は、書庫の外に置いてきた人妖を思い浮かる。そうしてフラウに歩み寄ると、彼女が持って来た書物を手に取った。 「これは……陽龍の地、周辺の地図でしょうか?」 パラリと捲った先に在ったのは、狭蘭の里と南麓寺、そして陽龍の地が記された地図だ。 「そうなのよ! それ、すっごく詳しく書いてあるでしょ!」 思わず身を乗り出したフラウに、紫乃は感心したように頷きながら地図を見詰める。と、直後、自分に向けられた数多の視線に気付き、彼女は机の上にそれを広げた。 「確かに、随分と詳しいな」 地図には各地の位置関係が確りと書かれている。勿論、周辺に展開している魔の森についても書かれているのだが、これは少しばかり現在と違うようだ。 「何かありましたか?」 皆が集まっている事に気付いたのだろう。 隠し本等が無いか書庫を回っていた佐上 久野都(ia0826)が鳳・陽媛(ia0920)と共に歩み寄ってくる。 そんな彼の視線が広げられた地図に落ちると、彼は手元に在った資料の1つを広げた。 「その地図は……これと似ているようですが、少し違いますね」 重ねる様に置かれた資料には、本に描かれた地図と同じ物が描かれている。 但し違うのは魔の森の大きさだ。 「たぶんですが……兄さんの探して来た資料は、現在に近い物なのかもしれません」 魔の森の大きさは久野都の持って来た資料の方が大きい。その大きさは本の中に在る魔の森と比べると倍程の大きさになっているだろうか。 「探せばこの間に嵌る地図もあるかもしれないな。とは言え、この地図……ん?」 魔の森の浸食具合を目で感じ取っていた竜哉は、地図の中に決定的な違和感を発見した。 それは気付いてしまえば、明らかに不自然な点。 「陽龍の地と南麓寺、それに狭蘭の里を線で結んだ中央……此処を中心に魔の森が広がってる、か?」 じわじわと拡大してゆく魔の森。その中心となりそうな場所に深い森が描かれている。 「言われてみれば確かにそうですね」 シータルが思案気に視線を落とし、ふと先程発見した本を開く。 『虹來寺伝・四』と書かれた書物には、現在机に広げられた地図と同じ地図が描かれていた。但し、その出来は明らかに悪いのだが……。 「重なりましたね」 紫乃の声に誰もが頷く。 やはり他の2枚の地図と比べると魔の森の大きさが違う。そして森は3つの地点の中心地を元に広がっている。 「んと、んと、ここに何かあるんだじぇ?」 皆の言葉を代弁するようにリエットが呟く。するとそれにフラウが答えた。 「1つ、気になる記述があったのよね」 言いながら彼女が拾い上げた本は、此処に在るどの本よりも古い。それこそ開く力加減を間違えたら壊してしまいそうな程に。 彼女はその本を、壊れ物を扱うように丁寧な手つきで捲ると、古い文字で記された記述の一説を示した。 ――光スラ通サヌ陰ノ地在リ。是、浄化スル為、陽ノ気纏ウ祠祀ラン。 「陰の地? それに祠?」 記述は陽龍の地が龍の保養地になる前に書かれた物と思われる。それこそ狭蘭の里や南麓寺が創設した頃、もしかしたらそれよりも前かも知れない。 詳しい年号がある訳ではないので確定は出来ないが、この記述はそれ程に古い物だった。 「陰の地が魔の森だとしたら、それを浄化する為に祠を建てたのでしょうか。ですがそれだと、魔の森が広がる理由には……」 思案気に呟く久野都に皆が黙り込む。だがそれを裂く様に竜哉が問う。 「祠の場所は書かれているのかな?」 そう。重要なのは祠の場所だ。 もし祠の場所が記されており、それが3点の中心だとしたら―― 「ごめん……それは、わからないんだ」 フルリと首を横に振ったフラウに、竜哉の目が落ちる。 「もう少し探ってみる必要がありそうだな。それこそ、陽の通らない奥の方まで」 彼はそう零すと、置かれている書物を一瞥して歩き出した。これに習って他の皆も書庫の奥へと歩いてゆく。 「……陽龍と言う名前。そして陰の祠。無関係では無さそうよね」 ユリアは皆が消えて行く書庫の奥を見詰めて呟くと、自身もニクスと共に書庫の奥へと消えて行った。 ●陽龍の地 濃い瘴気を孕んだ森の奥。生い茂る木々を抜けた先に開拓者の目的地は在る。 「……一気に瘴気が薄くなったよ」 そう言って森を抜けた先で足を止めたのは、小隊【疾紅】に所属する瀬崎 静乃(ia4468)だ。彼女は片眼鏡から見える景色を眺めながら辺りを伺う。 「此処が、陽龍の地かな?」 瘴気で充満していた世界が僅かに開けた。 それは墨の中に一滴の水を落とした程度の反応だが、真なる水晶の瞳を使って景色を見る彼女には明白な差だった。 「ああ。此処が陽龍の地だな。見た感じ、特に変わった所はなさそうだけどなぁ……」 過去、調査でこの地を訪れていた匂坂 尚哉(ib5766)はそう言って周囲を見回す。 所々に転がる岩と、朽ちかけた木。昔は人が住んでいたのであろう形跡が伺える状態は、前に依頼で来た時と同じだ。 「報告書、見た、けど……温泉地、だったのよ、ね?」 「らしいな。確かこの先に温泉の跡もあったと思うぞ」 静乃と同隊の紗々良(ia5542)は、記憶の紐を辿る様に言葉を紡ぐと、尚哉の言葉に頷いて其方へと足を進めた。 これに続きながら同じく【疾紅】の紅 竜姫(ic0261)が眉を潜める。 「……昔っから変わってないわね。嫌な空気」 脳裏を掠める魔の森での記憶。足元に転がる岩や住居の痕跡を視界に、彼女の胸が微かにざわめく。 「そう気張んな、俺も仲間もいる。大丈夫だ」 髪を撫でる様に優しく触れる玖雀(ib6816)に顔を上げるが、心のざわめきは消えない。 「――」 竜姫は己が脇腹を抱く様に腕を組むと、言葉を呑み込むように背筋を伸ばした。 そうして進んでいく中で、劫光(ia9510)がある事に気付く。 「敵があまりにも居なくないか?」 此処に来るまでの間、紗々良の鏡弦のおかげで極力戦闘を避ける事は出来た。けれどそれは敵が居たから避けたのであって、いない訳ではない。 けれど陽龍の地に来てからは如何だろう。 「確かに、敵、居ません、ね」 コクリ。頷く紗々良に劫光が戦闘を歩く玖雀を見る。そして互いに頷き合うと難しい表情で辺りを伺っていた无(ib1198)を見た。 これに无の視線が上がる。 彼は上空に飛ばしていた人魂を回収すると、懐に忍ばせていた紙面を取り出して皆に示した。 「事前情報と現地での情報。双方を比べると、今居るのはこの辺りじゃないかと」 呟く様にして示されたのは、簡易的に記された陽龍の地の地図だ。 周囲を魔の森に囲まれた状態で円形に象るのが陽龍の地。そして彼等が今居るのは、陽龍の地の『入口』と言った所だろうか。 「パッと見た感じでは敵の姿もないですし、歩いても問題ないと思いますよ」 无はそう零すと、仮面で顔を覆った開拓者を見た。合流した後も今も一言も発していない彼女は、声を失っていると言うが……。 「声の出ない美人さんねぇ。さてさて」 ひとりごちながら皆の視線が外れるのを待って地図をしまう。と、その耳に元気な声が響いてきた。 「敵が居ないなら好都合だな。ひとっ走りして状況を見て来るよ!」 【疾紅】のレト(ib6904)は言うや否や、素早い身の熟しで陽龍の地の奥へ消えて行く。それを見ていた静乃が慌てて陰を刻む。 「連れてって」 ふわりと舞い上がったのは蝶の形をした人魂がレトの肩に止まる。 「……効果範囲の外に出ないと良いけど」 レトが其処まで考えて動いてくれれば問題ないが、果たして如何だろう。不安はあるがその時はその時で対処するしかない。 「きっと大丈夫だよ。仲間は信じてあげないと」 ね? そう言って笑うと、ケイウス=アルカーム(ib7387)は静乃の顔を覗き込んだ。これに彼女の顎が引かれる。 「あれ?」 「ケイ、近い」 グイッとケイウスの服を引っ張って引き剥がした尚哉の表情が優れない。その様子に目を瞬くと、彼の首が傾げられた。 「如何かした?」 「あ、いや……陽龍の地とも随分縁長いな、と思ってさ」 彼がはじめて陽龍の地を訪れたのは、義貞が魔の森に行ったきり帰ってこないから探して来て欲しいと言うものだった。 「ってけ、よくよく考えると、あいつ全然成長してねぇんじゃねぇか!?」 「え、何? 俺?」 行き成り叫んだ尚哉にケイウスが慌てた様に自分を指差す。その仕草に頬を染めると、尚哉は咳払いをして「いや」と言葉を濁した。 (まあ、それ以降は変態兄妹と闘って、若葉と会って……色々あったな……) 思わずしんみりした気持ちになるが、それを振り払うように静乃の声が響いた。 「緑の猫がいる」 「!」 反応したのは尚哉やケイウス、それに劫光と玖雀に无だ。確か以前羅碧孤とか言うアヤカシと対峙した際、今回も行方不明になっている少年が背負っていた。 「まさか、生きてるのか?」 玖雀がそう零すのも無理はない。何故なら羅碧孤への止めは自分と劫光が刺したのだから。 「とにかく行ってみよう! ここに猫がいるのは妙だよ!」 ケイウスの声に皆が頷く。 それを視界に、声の出ない開拓者――楠通弐(iz0195)は仮面の向こうに隠れた瞳を鋭く光らせた。 ●夢、幻 「離れるなよ。何かあったら呼んでくれ……って、声が出ないんだっけか」 皆で陽龍の地の奥へ向かう途中、ミシェル・ヴァンハイム(ic0084)は声が出ないと言う開拓者の隣でそう言葉を掛けていた。 「それじゃあ、何かあったら俺の袖を引いてくれ。それなら出来るだろ?」 通弐が旅立って以降、自分に何が出来るのか問い掛けていた。そうして得たのは「自分に出来る事はやる」だ。 その第一歩が今回の依頼な訳だが、如何にも違和感が付き纏う。そしてそれを感じているのは彼だけではなかった。 「羅喉丸さん。彼女、似てませんか?」 思わず問いかけたフィン・ファルスト(ib0979)の言葉に、羅喉丸(ia0347)が「何がだ?」と目を瞬く。 「……私だけ、なのかな? なんか体格に見覚えが……」 「骨格?」 それこそ何の話だ? そう首を捻る羅喉丸は今回の依頼を達成させる事を第一に考えている。故に余計な事は考えていないのだが、フィンは「うーん」と腑に落ちない様子だ。 そんな中、先に様子を見に行っていたレトが手を振りながら皆を招くのが見える。 「皆、こっちだ!」 何事もなかったらしく、元気に手を振る彼女に【疾紅】の面々が安堵の表情を浮かべる。 「レト、無事で良かったわ」 ふわりと笑んで竜姫が彼女の体を抱き締める。その温もりに笑みを返し、レトは自身が発見した猫を皆に見せようと振り返った。が、その表情がすぐさま凍る。 「どういう……こと、だ?」 そう思ったのはレトだけではない。 彼女と同じく緑の猫を人魂を通して見ていた静乃も驚いた様子で目の前の光景を見詰めている。 「何て顔してるのかしら。もしかして、私の顔を忘れてしまったの? 薄情な人間達ね」 クスクスと笑いながら其処に立つのは、賞金首の楠通弐だ。 彼女は唇に淡い笑みを浮かべて、ゆっくり近付いてくる。その姿に真っ先に声を上げた者がいた。 「紅林!」 ミシェルだ。 彼は急く気持ちを抑えながら『通弐』である筈の存在に近付いてゆく。だが、その動きを彼の傍に居た開拓者が止めた。 そして一歩、彼の前に進み出る。 「君……」 「彼女の言う通り、今は近付かない方が良い」 无が容赦なく『通弐』であるものを見据え、静乃もまた、容赦なく硝子の向こうに在る存在を見据える。 「彼女の周辺に瘴気が集まってる」 普通じゃない。そう発せられる声に、玖雀と劫光も前に出る。 仲間に危険が及ぶのなら、それを塞ぐのが仲間だろう。けれど、その姿を見た『通弐』は面白そうに目を細めて笑うと、スッと右手を差出し、仮面を掛けた開拓者を指差した。 「ねえ。血塗られた存在が人間に混じって何をしているのかしら。貴方の手、真っ赤に染まっているじゃない。どれだけの人間を殺したのかしら。それなのに後戻りしたい訳?」 聞こえた声、言葉に、ミシェルとフィン、羅喉丸がハッとした。 やはりフィンの予想は外れていなかったのだ。そして今の言葉から察するに、『通弐』の姿をした者は彼女を憎んでいる。 (守らなきゃ!) そう判断した彼等が動くよりも早く、『通弐』が動いた。 「早い、――ッ!」 敵は一直線に通弐を目指すが、それよりも早く羅喉丸が前に出た。しかし突如伸びた腕に振り払われると、彼は近くの木に激突してゆく。 「なん、だ……今、腕が……」 自分を飛ばしたモノの正体を確認する間もなく、今度はフィンが立ち塞がる。だが彼女もまた吹き飛ばされると、『通弐』の姿をした何かは腕を斧に変じて斬り掛かった。 「っ!」 通弐は咄嗟に飛び退く事で攻撃を避けると、手にしていた弓を刀の様に振るってそれを払った。しかし僅かに攻撃が避けれてなかった。 敵の振るった斧が通弐の仮面を割り、地面に吹き飛ばしたのだ。 「なっ……楠、通弐が……もう1人、だと?!」 「何が如何なってる!」 混乱する劫光は符を構えて双方の間に氷龍を放つ。そうする事で間合いを取らせると、仮面が割れた通弐は態勢を整える様に矢を構え直した。 そして言の葉を放つ。 「『幻黄(げんおう)』。貴女が居ると言う事は、やはりそうなのね」 「私の存在を知ったからと言ってお前の未来は変わらないわ! 通弐、お前は無残な死に方をするの。そう、今更人間なんかにしてあげない! アハハハハハッ!」 高笑う『幻黄』へ、覇気を纏った矢が伸びる。だが、今まで人の形をしていたソレは己に変じた腕を反すと突如として姿を変えた。 「!」 「精々苦しむのね!」 緑の猫に変じた幻黄は、開拓者を――否、通弐を嘲る様に笑って森の中に消えて行く。そしてその姿を呆然と見送っていたケイウスが、ポツリと呟いた。 「今の猫……」 「若葉……いや、違う……」 苦い思いを噛み殺しながら尚哉が首を振る。 目の前で姿を変じて消えたのだ。アレが亡くなったアヤカシである筈がない。 「でもこれで義貞が消えた原因がわかったな。アイツはたぶん……」 短い付き合いではない。ましてや親友の考える事だ。 彼が姿を消したのは彼が未熟だからではない。彼の心を揺さぶる何か――つまりあのアヤカシが現れたからだ。 「くそっ!」 ガンッと木を殴りつけた尚哉の肩をケイウスの手が優しく叩く。そしてそんな彼等の耳に、もう1つの問題が響いてきた。 「『紅林』こっち、来てたの?」 痛む体を抑えながら近付くフィンの言葉に通弐の目が細められる。それと同時に視線を向けてくる羅喉丸、ミシェルの姿にも目が細められる。 そして彼女が何か言うよりも早く、无が皆の言葉を代弁するように紡がれた。 「楠通弐かな?」 「違うっ、彼女は――」 「そうよ」 「通弐!」 无の言葉を否定しようとしたミシェル。そして肯定した通弐に叫ぶフィン。それらを耳に留めながら、通弐は真っ直ぐに開拓者等に向き直った。 「騙してごめんなさいね。少しばかり都合が悪かったのよ。でもお蔭で確信が得られたわ」 「確信?」 何の。そう問う玖雀は、フィンや羅喉丸、そしてミシェルの様子を見て今まで口を噤んでいた。 だが通弐が全てを認めたのなら話は別だ。 「何か知りたい事があって開拓者のフリをしていたのか? それは何だ?」 噂では楠通弐は討伐され、その遺体は開拓者ギルドに預けられたと聞く。しかし当の本人は生きており、こうして自分等の前に現れた。 「……昔、憑依型のアヤカシを相手にした事があるのだけれど、殺し損ねたみたいなの。さっきのアヤカシはそのアヤカシ……姿亡鬼の配下なのよ」 其処まで伝えて、通弐はこれまでの経緯を開拓者に聞かせた。 姿亡鬼から脅迫の文が届いた事。けれど本当に姿亡鬼か確かめる為に、この地に向かう開拓者に同行した事。 「1つ、腑に、落ちない」 紗々良は道中の通弐をずっと見てきた。 それは通弐の闘い方が、弓術士である自分にとって興味のあるものだったから。そんな彼女が見てきた通弐は、普通の開拓者だったのだ。 だからこそ思わずにはいられない。 「何故、今、正体を? 騙そうと、思えば、騙せた、筈」 様子から察するに、数名は彼女の事を知っていただろう。そして彼女が通弐である事を隠そうとした。 それはつまり隠せる材料があったと言う事だ。けれど通弐は言う。 「……生きる為よ」 小さく紡ぎ出された声に誰もが目を見開いた。 「今までの償いはするわ。まずは今回の件に全面的に協力する。信用できないのなら動きを封じてもらっても構わないわ」 言って武器を捨てて手を差出した彼女に誰もが顔を見合わせる。 「本気なんですね?」 无はもう一度確認するように彼女の目を見ると、差し出された手を取って拘束した。 |