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■開拓者活動絵巻
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■オープニング本文 年明け前に響き渡る鐘の音。 全ての煩悩を討ち払い、新たな年を清い志で迎え入れ、勇ましき心で未来を開拓する。 新春――今年も神楽の都に……天儀に、新たな年がやって来た。 ●天元流道場 神楽の都に天元流新道場を開拓して初めての年。 過去、朱藩国にあった時、父と母は新たな年を迎えるに当たり、道場の庭で弓を射っていた。 一矢一矢に想いを篭め、邪念を払い一年の計を願う。 天元 征四郎(iz0001)もまた、道場の再興を記念し、兄妹と共に父母の想いを受け継ぐべく、道場の庭で弓を射っていた。 『――スパン……ッ!』 心地良い音共に一矢が的の中央に落ちる。それを見止めた妹の五十鈴が声を上げた。 「セイ。残り八矢で終わりだ。恭兄と交換するか?」 天元家に伝わるこの行事は家族の者で百八の矢を射れば良い。残り八矢を家族の者ならば誰に変わっても良いのだ。 けれど征四郎は言う。 「残り八矢も俺が射る……あの程度の事で……っ」 噛み締めた唇が僅かに白みを帯びる。 そうして新たな矢を番えると、彼は的の中央目掛けてそれを放った。 「セイ……万屋の手伝いに行ってから、何か可笑しくないか? やっぱ一緒に行った方が良かったかな」 「いや、行かなくて正解ですよ」 そう口角を上げて囁くと、恭一郎は残る矢の行方を見守る事もなく立ち上がった。 「恭兄?」 「午後の準備を始めます。五十鈴は最後まで征四郎に付き合ってから手伝いに来て下さい」 天元 恭一郎(iz0229)は言い置くとその場を去って行った。 「午後の準備ったって、半紙と墨を用意するだけじゃないか……あ、ギルドに行くのか」 天元流道場ではこの百八の矢以外にも行う行事がある。それは去年までは行っていなかった新たな試み。 今はなき前道場主が考案していたと言う新たな行事だ。それは少しでも剣を志す者なら、誰もが挑戦したくなるような、そんな催しだった。 ●開拓者ギルド 「えっと、つまり腕に覚えのある開拓者を呼べば良いんですね?」 そう頷きながら筆を走らせるのはギルド職員の山本だ。彼は恭一郎の説明を聞きながら、慣れた様子で依頼書を作成してゆく。 其処に聞き慣れた声が響いた。 「お? 其処に居るのは天元流の兄ちゃんじゃねえか! 明けまして……っと、今年は挨拶無しだったか」 悪い。そう言い置いて足を止めたのは志摩 軍事(iz0129)だ。 彼の隣には紫の髪の少女もいる。噂で聞いた新たな開拓者候補だろう。 「随分と面倒見の良いことで。それと、挨拶はしても問題ありません。征四郎も父の死を嘆くよりは父の志を継続させる方が大事だと、例年通りの年を迎えていますし」 「そうか……ほら、紫。挨拶しろ」 トンッと背を押された少女が前に出る。そうして恭一郎を見上げると、彼女は小さく頭を下げて呟いた。 「紫だ、です。……明けまして、おめでとう……です」 ぎこちなく口にする言葉に若干の疑問は感じたが、まあ良いだろう。 それよりも此処で会ったのも何かの縁。 「折角ですし、志摩殿も参加してみては如何ですか?」 「あん?」 何の事だ。そう山本の手元を覗き込む志摩に続き、紫も不思議そうに目を瞬く。 「『格闘書初め』?」 「紅白に分れて行う組み対抗の書初め大会です。まあ格闘と付いている事からも想像できる通り、普通の書初めではありませんがね」 恭一郎が言うにはまず、紅白に組み分けを行い、各組に白と赤の半紙を1枚ずつ渡すのだと言う。 組の者はそれぞれの半紙に墨を落とさせないように攻防を繰り広げるのだが、半紙の位置を動かすのはご法度だ。 長方形に取られた敷地を赤と白の半分に分け、半紙は長方形の中央再端にそれぞれ置く。 また攻防に際して技の使用制限はされていないが、使う武器は指定されている。 「それがこの天元家特製の筆です」 「普通の筆じゃん、です?」 「残念ですが普通の筆ではありません。この格闘書初めの為だけに用意された特注品。これを使えば呪術装備が必要な技や、楽器が必要な技など、制限のある技も使えてしまうんです」 「……随分と都合が良いじゃねえか」 どんなカラクリだ。 そう突っ込む志摩を他所に恭一郎は続ける。 「確かに都合は良いですが、この筆に殺傷能力はありません。墨を塗ると言う筆本来の機能だけです」 「つまり、どんなに技を使おうと、それは墨で塗りたくるのと変わらねえって事か……それなら紫にも参加させてやれそうだな」 ニッと笑んだ志摩に紫の目が微かに輝く。 「志摩。どうせなら義貞を呼ぼう。嘉栄も……!」 下宿所で寝食を共にする内に、少しだけ紫にも知り合いが出来たようだ。上がる名前に笑んで見せ、志摩は改めて恭一郎を見る。 「つー訳だ、俺らも参加で良いか?」 「ええ、勿論です」 恭一郎はそう告げると、残る依頼書の文章作成に戻って行った。 後、開拓者ギルドには以下のような依頼書が張り出される。 『格闘書初め参加者募集』 【場所】天元流道場庭 【参加資格】開拓者であること 【大会規約】紅白に分れ、各組の半紙を狙い攻防を繰り広げる。 長方形に取られた敷地を赤と白の半分に分け、半紙は長方形の中央再端にそれぞれ置く。 また、半紙の位置を動かすのはご法度。 【戦闘不能判定】 筆の墨が乾く攻撃2度を行った時点で戦闘不能と判定され、攻防に加われなくなる。 また、攻撃を2度受けた場合も同様の判定となり攻防に加われなくなるので要注意。 【武器】「格闘筆」(天元家特注品に付支給は無し)を使用。技の制限は無し。 一年の計は元旦に在り! 各人力の限り闘うべし!! |
■参加者一覧 / 志藤 久遠(ia0597) / 千見寺 葎(ia5851) / リンカ・ティニーブルー(ib0345) / ケロリーナ(ib2037) / 東鬼 護刃(ib3264) / アルマ・ムリフェイン(ib3629) / 匂坂 尚哉(ib5766) / ケイウス=アルカーム(ib7387) / エルレーン(ib7455) / ラグナ・グラウシード(ib8459) / 音野寄 朔(ib9892) / 鎌苅 冬馬(ic0729) / シエン(ic1001) |
■リプレイ本文 ●和気藹々 神楽の都に設立された天元流道場。 その庭に広々と取られた長方形の枠の中で、数名の開拓者等が顔を見合わせている。 その中の1人、ケロリーナ(ib2037)がスカートの裾を摘まみ上げて丁寧なお辞儀をする。 「明けましておめでとうございますですの〜♪」 ジルベリアの風情を覗かせる彼女は、今回天元 征四郎(iz0001)と同じ組を希望した。しかし賽子の神さまとは無情な物で、今回の組は征四郎と反対の白。 「てんてんおにいさまと一緒にいたいですの〜」 残念そうに零す声に、ふと筆を真剣に眺めていた鎌苅 冬馬(ic0729)が目を向ける。 「終われば共に遊べるだろう。それまでの辛抱だと思うが……」 零し、彼が見遣ったのは背後に置かれた白い半紙だ。其処に墨を落とされた時点で負け。 つまりこの半紙を守りきれば勝てる訳だ。 「とは言え、一筋縄ではいかないでしょう。何せ相手は同じ開拓者。気を引き締めて参らねばならないでしょう」 神妙な面持ちでそう零すのは同じ白組の月宵 嘉栄(iz0097)だ。 今日は普段持っている刀を筆に変えて参戦。若干意気込み過ぎている気もするが、その辺は他の面子も同じ。 「志摩さん、紫さん、明けましておめでとうございます」 千見寺 葎(ia5851)はそう言って、袴姿で闘う気満々の紫を見遣る。その彼女は微かに興奮した様子で言う。 「葎は、書初めの経験はあるのか、です?」 「あるにはありますが……僕は座敷で書いたことしか」 クスリと笑う葎に「だよな」と志摩 軍事(iz0129)の頷く声がする。葎はそれを耳にしながら紫の前に膝を折って微笑んだ。 「紫さん。色々な技や工夫が見られると思います。どうぞ楽しんで……勝ちましょうね」 「おう!」 この様子を見止めて、謀らずも陶 義貞(iz0159)と別の組になってしまったリンカ・ティニーブルー(ib0345)が声を掛ける。 「紫ちゃん、一緒にがんばろうね」 そう言って微笑みながらチラリと隣の組を見る。其処に義貞の姿を見付けると、リンカは誰に知られることもなく、そっと自分の胸に手を添えた。 そんな彼女の服装は振袖。 実は義貞に新年の挨拶へ向かった所でこの書初めに誘われた。当初は振袖が汚れるからと思って参加を躊躇ったが、其処は心焦がす乙女。 気持ちを切り替え参戦したのだ。その気持ちと言うのが「勇姿を見れるなら良いかな」と言ったもの。 「服、汚れないか……です」 「大丈夫。策はあるから」 リンカはそう告げると、袖を邪魔にならないようたすき掛けして筆を握り締めた。 その頃、同じ白の陣地の中で楽しげに微笑む男が居た。そんな彼の隣でケイウス=アルカーム(ib7387)が楽しげに声を上げる。 「アルマは赤組か……よーし、負けないよっ! って、恭一郎機嫌が良い?」 はて? と首を傾げたケイウスに、天元 恭一郎(iz0229)の口角が上がる。そうして赤の陣地を見ると更に楽しそうに笑みを深めた。 「ああ、アルマか」 恭一郎につられて陣地を見たケイウスがポツリと零す。その視線の先には、耳を下げて心配そうに此方を伺うアルマ・ムリフェイン(ib3629)がいる。 「大丈夫! ほら、無礼講ってヤツだよ!」 大丈夫、大丈夫。そう無責任に笑う彼の耳に響く声。これに彼の目が上がる。 「無礼講? そんな言の葉で何かしたら……如何なるかわかってますよね?」 にっこり。物凄い笑顔で微笑んだ恭一郎にアルマの尻尾がぶわっと広がって下がる。それに加えてケイウスが足を下げると、彼は「思わず」と言った様子で呟いた。 「……同じ組で良かった」 そしてこの様子を僅かに離れた白の陣地から眺める者がいた。 「ふむ。恭一郎殿は男前じゃが、征四郎殿も可愛らしいの」 鋭い眼光で白と赤の陣地を眺めるのはシエン(ic1001)だ。 現在婿探し中の彼女にとってこうした場はかなり重要だ。 今日も誰かいないかと探しているのだが、そんな彼女の耳にとある人物の声が届く。 「……カキゾメ、というのは、たしか……もっと厳かなものだったように思うが」 白の鉢巻を頭に巻き、筆を手に思案気に思考を巡らすラグナ・グラウシード(ib8459)は、今回の規定を思い返して首を捻る。 元来、書初めとは彼の言うように厳かな儀式だ。床の上に半紙を広げ、其処に墨を落とす。 けれどこの書初めはそうした厳かな行事とは正反対。しかも「格闘」と付いているのだからその正反対さは歴然だろう。 「まあいい……どんな勝負でも、勝負! 私がねじ伏せてやるッ!」 そう意気込んで筆を握り締めると声が掛かった。 「その気概、なかなか見込みがあるの。ヌシの言うように勝負は勝負じゃ。要はあの半紙を狙うか、狙わせんようにしたらエエんじゃろ?」 それならばワシにも出来る。そう笑んだシエンにラグナは「うむ」と神妙な頷きを返した。 ●高まる闘志 「むむ。あそこにいるのは、なまいきむすめ!」 片手を額に添えて遠くを見据えるエルレーン(ib7455)の目に飛び込んでくる天元五十鈴の姿。彼女は羽織に袴姿の正月武装だ。 「ねらいは決めた」 けど。と、エルレーンの目が半紙を振り返る。其処に在るのは赤の半紙。エルレーンが属する紅組の守るべき物だ。 そして彼女の手にあるのは今回の書初めの為に用意されたと言う筆である。 「……濡れたのがかわいたらまけ、かぁ」 何とも厄介な規律だが致し方ない。 後は如何にして与えられた攻撃機会を自分の物にするか、だ。 「うーん……」 「こう云った物は頭で考えていても致し方ないのですぞ!」 「うわっ」 ぬっと顔を覗かせた巨体の男に退く。そんな彼女の目に映ったのは、真冬だと言うのに真っ赤な褌一枚で立ち塞がる男――白馬王司だ。 彼は言う。 「攻撃回数が限られている以上、力で押し切るが吉でしょうな!」 ふんぬっ! と筋肉を強調させて発する声にエルレーンは目をパチクリ。その様子を見ていた志摩も若干呆れ気味だ。 しかし―― 「うーん。単純に力で押し切るのはどうだろう」 「だな。この場合、力で押し切るにも多少の連携は必要だと思うぜ」 アルマの声に匂坂 尚哉(ib5766)が同意の頷きを返す。そんな冷静な声に義貞がふと零す。 「例えばどんなんだ?」 「どんなんって……」 そりゃ……アレだ。そう言葉を濁した尚哉に「やれやれ」と声が届く。 「少しは成長したかと思えば情けないのぅ」 脳筋では無く頭を使って作戦を立てるのかと思えば、実際には何も浮かんでこない様子の尚哉に東鬼 護刃(ib3264)は呆れながらもホッとする。 けれど彼の言うように全くの策なしでは勝算は五分五分と言った所だろう。 「あちらで注意すべきは葎じゃろう。葎の俊敏さを越える術――」 「あ、そうだ」 不意に上がった声に護刃だけでなく、赤組全員の目が向かう。 「ねぇちゃん、踏み台はするからさ、いっちょぽーんと飛んでみねぇ?」 「飛ぶ、とな?」 白組の面々には見えないようにコッソリ手を使って説明する尚哉に彼女の口角が上がる。 「それは面白そうじゃな。度肝を抜いてやろうか」 「そうと決まれば義貞、お前も作戦に加われ!」 言うや否や、赤組は円陣を組むようにして作戦を立て始めた。 この様子を見ていた音野寄 朔(ib9892)がポツリ。 「新年から騒々しいわね……」 書初めと言うのはもっと静かに……。そう言い掛けた所で、ふと会場内に張り出されている今回の趣旨に目が行く。 「格、闘……?」 目を瞬きながら改めて目にした依頼書。その文面に驚きながらも微かに闘志が灯る。 「私の知っている書初めと違う……でも、やるからには勝ちましょう」 そう零すと彼女の綺麗な手が墨に染まった筆を拾い上げた。 これらの遣り取りを主催者側として眺めていた征四郎が安堵の息を零す。それに気付いた志藤 久遠(ia0597)が囁く。 「良かったですね。この分で行けば催しは成功に終わるかと」 「ああ……終わるまでは安心しきれないが」 まだ始まっても居ない書初め大会。その結果次第で成功か否か決まると言っても過言ではない。 改めて表情を引き締める彼に言う。 「征四郎殿」 「ん?」 「先日の答えはまた会ったとき、でしたね……」 先日の答え。で想像できる話は1つだ。 頷く征四郎に久遠は言い辛そうに視線を落とす。 「どのような答でも受け入れます。ただ、場も場ですし、もしまだ迷うなら無理は言いません」 この声に頷きを返すと、征四郎は書初めの会場に目を落とした。 「返事は、この催しが終わった時に……必ず」 全て催しが終わったら。 そう告げた彼に頷き、久遠は自らにも支給された筆を握り締めた。 ●格闘書初め 舞い上がる着物の裾。大きく振り上げた腕から放たれる黒の雫に久遠が虚を突かれたように目を見開く。 「っ、これは……!」 急ぎ回避の為に後方に飛びながら彼女が捉えたのは、再び攻撃に転じようとするリンカだ。 彼女は足を開いて着物の裾から素肌を覗かせつつ再び腕を振り上げる。 「あの動き、今はなった攻撃と同じ――させませんっ!」 闘うからには全力で行く。 持ち慣れない筆を握り締め駆け出す。目指すのは勿論リンカだ。 「少し遅いかもしれないね」 第一手目で動いたリンカの筆。それに反応して避けたのは久遠だけではない。 弓術士の乱射と言う術を、まさか筆の……しかも墨を使って使用して来るとは誰も思っていなかったのだ。 「遅いかどうかは最後までわかりません、いざっ!」 ザッと踏み込んだ足が僅かに砂埃を上げる。それを見止めた朔が軽やかな足取りで舞い始める。 「勇敢なる自軍の友にこの舞を」 柔らかな動きと共に放たれた精霊の力。それが久遠の動きを強化し、一気にリンカへと接近させる。 「っ、この振袖だけは!」 「この一撃に全てを!」 突き上げられた久遠の筆。それと同時に放たれた墨の雨。 その双方が辺りに飛び散り、誰もが息を呑んだ様に固まる。そうして2つの筆が大地を捉えると、リンカと久遠はお互いの顔を見合わせて苦笑を零した。 「引き分け、ね」 思わず零された朔の声に紫が唾を呑み込む。 「これが開拓者……遊びだってのに容赦ねえ」 久遠とリンカの顔には墨が落とされている。つまり2人の攻撃は同時に互いの顔へあたったと言う事になる。 故に朔の言うようにこれは引き分けだ。但し、攻撃回数がリンカにも残っていれば―― 「私の負けね。筆が乾いてしまった以上、私は攻撃できないし」 元々振袖が汚れることを嫌ってそうなるよう仕向けた節はある。本来なら顔も汚すつもりはなかったが仕方がない。 「紫ちゃん。後は任せたよ。頑張って」 ポンッと幼い頭を撫でて場外へと移動する。その仕草に紫が奮い立ったのは言うまでもない。 「リンカの仇だぁ!」 ズダダダダッと勢いよく飛び出した少女に久遠が顔を上げる。その瞬間、彼女の顔に新たな墨が付いた。 「あの子、早い」 想像以上の速さで加速して一気に久遠の間合いを取った彼女にアルマが警戒の色を見せる。その上で駆け出すと急ぎ紫の間合いに入った。 「大人げない、っていわれるかもだけど……ごめんねっ」 自分よりも明らかに年下で、しかもまだ開拓者でもない少女に手を上げるのは気が引ける。けれどこれも勝負。手を抜く訳にはいかない。 しかし彼が攻撃に転じる直前、軽快な曲が響いた。これにアルマの足が下がる。 「!」 目の前に振り上げられた筆が、ギリギリの距離で鼻先を通り抜ける。 「ケイちゃん……、…ケイちゃん、後ろに、おばけ……!」 「後ろ!?」 筆を楽器の代わりにして紫煙の曲を奏でたケイウスは、アルマの声に想いっきり後ろを振り返る。 その目に飛び込んで来たのはお化けでは無く、呆れた表情の恭一郎の顔だ。 「あ」 「呆れてものも言えませんよ」 やれやれと肩を竦めた彼だったが、迫っていたアルマの攻撃から守ってくれる気はないらしい。 「ちょっ、わ! わああああっ!」 べっちょり顔に引かれた一本線。これに驚いているケイウスの脇を通り過ぎ、アルマは後方に在る半紙に向かう。が、その足が勢いよく払われた。 「!」 まるで足元を掬い上げるように降ってきた墨に尻餅を付いた直後、黒く嫌な気配が彼の背を駆け上がった。 「いつの間にああいった小細工が出来るようになったんでしょうね。その辺の話、じっくり聞かせて頂けますか?」 極上の笑顔で詰め寄る恭一郎に、尻餅を付いたまま退くアルマ。その彼の顔が青ざめている気がしなくもないが、まあ、仕方がない。 「あの辺りは戦線離脱、と考えて良いでしょうか……取り敢えず、再開して問題ないと思います」 冷静に状況を分析した朔の声に、既に退場したリンカと久遠も頷く。 その判断を受けてから、だろうか。ケロリーナがパタパタと駆け出した。向かうのは敵陣の半紙。けれど彼女の前に巨大な筋肉だるまが立ち塞がる。 「ここから先へは行かせませんぞ!」 突如立ち塞がった赤フンの筋肉に、ケロリーナの顔に恐怖の色が浮かぶ。其処へ冬馬が駆け込んでくると、彼は一瞬赤褌に目を落とし、そっと目を放した。 「……狙うのは半紙。とにかく只管に頑張るのみ」 自らに言い聞かせて筆を振り上げる。が、直後、ケロリーナと冬馬の目が見開かれた。 「うあああああ!」 「いやですのーー!!!」 悲痛な叫びと共に筋肉上腕に抱きすくめられた2人。完全に戦意喪失と言った所だろうか。 だが駄目なのは彼らだけではない。 「おい。誰かあの阿保を退場させろ」 大仰に溜息を吐きながら、志摩が誰にともなく命令する。 「規約に攻撃は筆でって書いてあっただろうが……っ!?」 再度大きなため息を吐こうとした志摩が大きく仰け反った。その視界に移ったのは墨をふんだんに吸った筆だ。 「……葎、いつの間に」 「驚きましたか? 志摩さん」 くすり。穏やかに、小さく笑った彼女に志摩の口角が上がる。 「やるじゃねえか。だが、不意の攻撃はこれで終いだよな?」 「さあ、それはどうでしょう」 葎の攻撃回数は残り1回。接近し、姿が発見された以上シノビの術に怖いものはない――否、あった。 「やはり葎が厄介じゃな」 志摩に接近して攻撃を仕掛ける姿を視界に留め、護刃が小さく零す。そんな彼女の隣には尚哉の姿もあるが、とりあえず彼女等が居るこの位置はまだ安全なようだ。 とは言え、油断は禁物。 「なきむし、なまいき、いしかわたくぼ……じゃない、わがままむすめ!」 五十鈴を挑発しながら対峙するエルレーンの声に彼女等の目が向く。 彼女等が居るのは互いの守るべき半紙から距離を取った場所。どうも先ほどからこの位置で何やら遣り取りをしているのだが、果たしてこの2人の勝負はどうなるか。 「誰が泣き虫だ! そう言った方が泣き虫なんだからな!」 ムキーッと挑発に乗って頬を膨らます彼女に、エルレーンがふふんっと鼻で笑う。 直後、五十鈴が踏み出した。どうやら我慢の限界に達したらしい。 「その減らず口、閉じさせてやる!」 「やれるものならやってみろ! かくごおッ!」 ガツッ。 ぶつかり合う筆の柄に、双方がギリリと奥歯を噛む。そうして睨み合うこと僅か。 墨を散らせながら飛び退いた2人の足が一気に間合いを取るべく動き出す。 「必殺、ももいろの墨!」 「墨は黒って決まって――ッ!」 そう、墨は黒と相場が決まっている。けれどエルレーンが放った墨は、燐光を纏ってキラキラと桃色に輝いていたのだ。 これに五十鈴の目が見開かれ反応が遅れる。 「しまったッ!」 桜の燐光が消え去るその瞬間、凄まじい風となって墨が全身を直撃する。これに崩れ落ちると、五十鈴は悔しそうにエルレーンを見た。 しかし其処に新たなる影が差す。 「ふふふ……密着していれば、貴様のふるった筆……貴様にも猛威を振るうぞ!」 オーラを纏って五十鈴の前に立ったラグナ。その彼が得意気に超接近した相手を見る。 直後、ラグナの動きが止まった。 「なっ、な……何……?!」 予想外の相手の顔が飛び込んできて思考が真っ白になる。しかしエルレーンの方は違った。 「変態は退場だぁ!」 突き上げた彼女の拳がラグナの顎を直撃する。 「っ、な……ん、で……」 ドサリ。 弧を描きながら綺麗に崩れ落ちた彼の虚しき野望。それは、 願うならば体の線が綺麗なお姉さんに接近したかった。だから頑張って動いたのに! 「……現実なんて、こんな…もの……ガクッ」 一瞬にして奪われた野望と意識。しかも彼の悲劇はこれで終わらなかった。 「これはおまけ……えいえいっ」 べちょべちょと顔に墨を塗りたくるエルレーンに、傍で様子を見ていた五十鈴が僅かに引き攣る。 「お、おい。何もそこまで……」 「いいんだよー。あとは、これにもー」 嬉々としてラグナが背負っていたうさぎのぬいぐるみが引き抜かれる。そうしてその顔にも落とされた墨に、突如としてラグナが覚醒した。 「うああああ! 俺のうさみたんがあああああッ!!!!」 驚愕の声で崩れ落ちたラグナ。その目の前で無残にも汚れて行くうさぎのぬいぐるみ(うさみたん)。もしこの子を置いて参加したなら、こうはならなかったかも知れない……。 「ふむ。あっという間じゃったな……自軍で残っておるのはワシとヌシらだけじゃな」 シエンの言葉に頷くのはケイウスと嘉栄の2人だ。 現在白組に残っているのはこの3人。 対する赤組は護刃、尚哉、朔、義貞、征四郎の5人だ。 「防御を敷いて守りきれるか否か……此処は突撃すべきかの」 一か八かの賭けに出るか。それともこのまま守りに入り、奥の手で一網打尽にするか。 どちらにせよ、赤の方が残った人数は多い。 「相手の動きを見てみるか、の」 そう零したシエンの声が聞こえたのだろうか。朔が筆を振り上げるようにして舞い始める。 「これが最後の舞いです。如何か、勝って下さい」 筆から注がれる精霊力。それを身に受けながら護刃と尚哉が頷き合う。そして―― 「ねぇちゃん、頼むぜ!」 「うむ。しかし、いざとなれば尚哉や義貞を盾にと思っておったが……大丈夫じゃったのぅ」 「ねぇちゃん、早く!」 「冗談じゃて……さて、では!」 そう声を上げ、助走を微かに付けた護刃の足が、組んで踏み台となった尚哉の手を捉える。 「いっけぇー!」 腕の力と護刃の脚力。その双方で舞い上がった彼女に、シエンが「ほう」っと目を細める。そして自らも構えを取ると、筆に霊騎を集中させ始めた。 「空中からの攻撃とは考えたの。じゃが、それでは攻撃も避けれまい?」 確かに。空に在る以上、落下するまでは思う行動はとれないだろう。けれどそんな時の第二段! 「こいつもおまけだっ!」 こう云ったお祭りごとや企みは大好き。 しかも親友と普段お世話になっている人物の願いとあれば乗らない訳にはいかないだろう。 「おっ。義貞も飛んで来た」 悠然と構えながら呟くケイウスの目に、大きく飛躍した護刃と義貞の姿が入る。彼はシエン同様に筆を構えると、それ全体に精霊力を注いで息を吸う。 「巧く行くかわからないけど……いくよっ!」 そう言った直後、護刃に墨が凍りながら迫り、義貞の前に巨大な墨の玉が現れた。 これに双方の目が見開かれる。 「うああああああっ!」 「ぐぬぅッ」 巨大な墨に押し潰された義貞と、墨が付着した場所を凍らせて膝を着いた護刃。彼らを襲ったのは特注の筆で放たれた重力の爆音とフローズだ。 普段は音が重みとなって攻撃に転じる爆音だが、筆の場合は墨がその役割を果たしたらしい。 見るも無残に全身墨まみれになった義貞は、これで戦闘不能だろう。対する護刃も足を凍らされていて身動きが取れない。 「もしや私達の勝ち、でしょうか……?」 思わず零された嘉栄の声に、シエンとケイウスが顔を見合わせた時だ。 「まだ終わっちゃいねえッ!」 志摩を土台にして飛び上がった尚哉が、気を抜いた敵軍の半紙に飛び掛かる。 そして―― 「……勝負あった、かな」 陣の外で義貞の勇姿を見ていたリンカが呟く。それと当時に征四郎の「勝負あり!」の声が響き、勝負は潔い結末を迎えたのだった。 戦闘後の後片付けを終え、五十鈴と恭一郎は参加者全員に天元家の雑煮を振る舞っていた。 そんな皆から僅かに離れた場所で久遠と征四郎は顔を合せていた。 「返事だが……」 そう言った征四郎の声に、久遠が固唾を飲んで頷きを返す。それを見止めて、僅かに間を置いてから彼の口が動く。 「……よろしく頼む。その……道場再興に力を貸して欲しい」 言い終えるのと同時に差し出された手。それに促されるように手を差出すと、掌に銀色の指輪が落とされた。 「これは……?」 「……以前、友……悪友が婚姻を結んだ時に、渡しているのを見た」 「態々用意を……?」 微かに頬を染めて頷く征四郎に自然と笑みが零れる。そうして指輪を受け取ると、久遠は静かに頭を下げた。 本来であれば畳の上で三つ指をついて挨拶するべきもの。 けれど今は外故に出来ない。それでも気持ちだけでは伝えたい。 「不束者ですが、宜しくお願い致します」 そう言って頭を下げた彼女に、征四郎は目元を緩めて頷きを返したのだった。 |