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■オープニング本文 「退け退け〜〜ッ!」 市場に響き渡る元気な声。 紫の髪を二つに結った少女が小さな荷物を手に駆け抜けて行く。 「このガキッ! うちの商品を置いてけっ!!」 「干し柿返せっ!!」 次々に響く怒声を他所に、少女は路地に駆け込むと、身軽な動作で屋根の上に飛び乗った。 「ふふん、今日も大量大量っと♪」 そう零して路地を駆けて行く大人たちを見送る。そうして踵を返すと屋根を伝って森の中に消えて行った。 ●開拓者ギルド 開拓者ギルドを訪れた志摩 軍事(iz0129)は、ギルド職員の山本・善治郎から依頼の内容を確認していた。 「市場に現れた泥棒なぁ」 「被害の殆どが食べ物を扱う店だね。泥棒は7、8歳の女の子。すばしっこくっていつも逃げられて終わりなんだってさ」 確かに見せられた報告書を見る限り、盗品の殆どが食べ物関係。しかも食べ物の値段はどれも安く、店側に大きな被害がある様には見えない。 中には反物などもあるが、それらは全て安い中古品だ。 「随分と欲のない盗人なんだな」 まあ、相手が7、8歳の子供なら仕方ない。 「んで、市場側は何て言ってるんだ?」 「『捕まえて二度と盗みをしないようにとっちめてくれ』だってさ」 これはまた物騒な話だ。 「子供相手に大層なこって……けど、市場の人間の誰も捕まえられねぇって事は、そのガキはただ者じゃねぇな。もしかすると――」 「志体持ち」 山本の声に志摩が神妙に頷く。 もし盗人の少女が志体持ちなら、早目に捕まえて対処する必要があるだろう。 「山本。この件、俺が貰っても良いか?」 「良いよ」 元よりそのつもりである。 頷く山本に苦笑を向け、志摩の目が改めて依頼書に落ちる。 「情報収集には人手も必要だからな。助っ人の手配も頼むわ……アホな野郎が湧く前に捕まえねぇとな」 志摩はそう言うと依頼書を手にギルドを出て行った。 ●??? 薄暗い、崩れかけた小屋の前で、少女は後方を気にして振り返った。そして誰も居ない事を確認して中に入る。 「ただいまー。大人しくしてたか?」 僅かに隙間から入る光を頼りに中を見回す。すると小屋の隅で何かが動いた。 「紫(ゆかり)姉ちゃん……今日も市場に行ってたの?」 「まあね♪ 今日は干し柿があるんだ。直ぐに食べれるから、ちょっと待ってな」 そう言うと紫と呼ばれた少女がニッと笑んで干し柿を紐から外してゆく。そして差し出した干し柿を少女よりも更に幼い男児が受け取る。 その表情は虚ろで顔色も悪い。それに心なしか彼の周りの気温が高い気がする。 紫は男児に手を伸ばすと額にそっと手を当てた。 「うわっ! お前、大人しくしてなかったのか!?」 「……ごめん」 俯く男児に紫が呆れたように息を吐く。 「沢まで行って水を汲んでくる。お前は大人しくしてろよ。良いな?」 念押しして小屋を出る。 紫と男児は兄妹だ。 各地で今なお繰り広げられるアヤカシの脅威によって両親を亡くし、2人で何とか神楽の都に辿り着いたのがひと月ほど前。 元々体の弱かった男児が体調を崩したのを切っ掛けに、紫は市場で盗みを働いて男児を元気にしようと励んでいた。 けれど、 「……日に日に悪くなってる。このままじゃ……」 理由はわかっている。 本当なら医者に見せて適切な処置を受けるべきだ。けれど紫にそんな金はない。 「くそっ!」 沢に浸した桶を掬い上げながら、無力な自分に悪態を吐く。その上で表情を引き締めると、急いで小屋に戻った。 だがその表情が見る間に険しくなってゆく。 「ああ、お前が最近市場で盗みを働いてるって言うガキか」 ニヤリと笑って紫を出迎えた大男。その腕に在るのは体調を崩している紫の弟だ。 「誰だお前! 紫紺を離せ!」 噛み付かん勢いで桶を放り投げた紫に、大男の顔に更なる笑みが乗る。それを目にした瞬間、彼女の背に悪寒が駆け上がった。 「直ぐに離してやるさ。てめぇが俺の代わりに盗みをするってんならなァ?」 「姉、ちゃん……」 男の腕の中でぐったりとしている弟に、ゆかりの奥歯がギリギリと鳴った。直後、彼女の足が華麗に地面を蹴る。 「紫紺を離せぇぇぇぇええ!!!」 並の人間ではありえない脚力で、少女の足が男の顔面を蹴り上げる――筈だった。 「!」 「いってぇなァ?」 片腕で蹴りを抑えた男の、ギョロリとした大きな目が紫を捉える。そしてすぐさま彼女の足を掴むと、まるで荷物を引き上げるように頭上に上げて地面に叩き付けた。 「がハッ!?」 呼吸が消えるのと同時に目の前が白く染まる。けれど衝撃はそれだけでは無く、少女の腹、顔、全身に降ってくる。 「ガキの癖に生意気な野郎だ! てめぇは逆らわずに俺の言う事を聞きゃァ良いんだよ!」 何度も与えられる打撃に息が詰まりそうになる。 紫は大きな緑の瞳を必死に開くと、泣きながら此方を見詰める弟の顔を捉えた。 (……紫紺だけでも、助けないと……) そう心に誓って石を握り締める。そして最後の力を振り絞って男の腕目掛けてそれを放った。 「なっ――」 完全に油断していたのだろう。 強固なはずの男の腕が弟から離れた。それを見て取った由借りが腕にしがみ付く。 「紫紺、行け……っ」 「こンのガキッ!!!」 振り上げられた腕が強烈な拳を見舞う。額から零れ落ちた赤の雫に片目を伏せ、それでも紫は男の腕を離さなかった。 「姉――」 「行けっ……行けよっ!」 最後の叫び。 まるで獣のように吼えた彼女の声に弟の足が動いた。熱で浮かされる頭も、重い体も関係ない。 今は自分を逃がす為に動いてくれた姉のために動かなければ。とにかく逃げなければ。 どれだけ走っただろう。 もう足が動かない。 「……、……誰か……」 パサリッ。 弟――紫紺(しこん)の幼い体が草に沈んだ。そして彼の意識も沈んでゆく。 その耳に、聞き慣れない男の声を聞きながら――。 |
■参加者一覧
千見寺 葎(ia5851)
20歳・女・シ
玄間 北斗(ib0342)
25歳・男・シ
フィン・ファルスト(ib0979)
19歳・女・騎
レティシア(ib4475)
13歳・女・吟
笹倉 靖(ib6125)
23歳・男・巫
天月 神影(ic0936)
17歳・男・志 |
■リプレイ本文 森のざわめきを耳に、山本の声で集められた開拓者は、ちょうどギルドへ戻ろうとしていた志摩 軍事(iz0129)と合流する事が出来た。 「そうか。お前さん等が来てくれたか」 集まった面々を見て笑みを浮かべ、腕の中で眠る紫紺の体を抱き直す。それと見止めてレティシア(ib4475)が沈痛な面持ちで前に進み出た。 「こんな幼い子が……」 きゅっと握り締めた手が小さく震えている。それは驚きからか、それとも悲しみからか、その辺は良くわからない。それでも思うのはこの一言。 「必ず、助けますから」 祈る様に囁いて胸の前で手を組む。そんな彼女の肩にフィン・ファルスト(ib0979)の手が触れる。 「大丈夫だよ。これだけ強い人が揃ってるんだもん。大丈夫」 そう零してギリッと奥歯を噛み締める。 紫紺が意識を失う前、志摩に告げたらしい詳細を思い出したフィンは、腹の底から湧き上がるような怒りに眉を潜めた。 「それにしても、盗みを働いてるとは言え、子供を何度も殴って盗みを強要……?」 顔面百叩きですね。そう口中で呟く彼女の声にレティシアの肩がピクリと揺れる。其処に別の声が響いてきた。 「落ち着くのだ」 声を発したのは玄間 北斗(ib0342)だ。 彼とて話に聞いただけでも腹に据えかねる事は多い。それでも冷静さを欠いていては上手くいくものもいかなくなってしまうと言う事を承知しているから敢えて言う。 「おいらたちが冷静でないと、助けられるものも助けられないのだ」 だから落ち着こう。そう言葉を添え、北斗はなんとも言えない表情で紫紺を見る。 「行き倒れる位に体調の悪い子一人を逃がす事しか出来ない状況ともなれば、相当性質の悪い連中に絡まれているのだ。落ち着いて、一刻も早く助けてあげるのだ」 この声にレティシアとフィンが頷く。そして志摩が歩き出そうとしたところで、彼は此方を見る天月 神影(ic0936)に気付いた。 「どうした?」 思案気に顔を見詰める彼に首を傾げる。すると神影は思わぬ言葉を発した。 「志摩には隠し子がいたのか?」 この状況で何を。そう思ったが、今の言葉で僅かに力が抜けたのだろう。志摩の顔に余裕の表情が浮かぶ。 「いねぇよ。まあ、場合によっては養い子が増えるかも知れねえが」 そう言ってカラリと笑った彼に、神影は「成程」と頷く。そしてそれを見届けると、彼の耳に聞き慣れた声が届いた。 「――では、お願いします。僕らは保護を急ぎましょう」 静かな声音で告げて瞳を森に向けた千見寺 葎(ia5851)は北斗と視線を合わせて頷き合う。彼女はこれから先行して紫の場所へと向かう。 「葎、気を付けるんだぞ」 背中に掛ける声。その声に一瞬だけ振り向いた瞳に頷きを向ける。そうして駆け出した背を見送ると、今度こそ歩き出そうとした。 しかしそれを笹倉 靖(ib6125)が遮る。 「軍事の旦那。ちっと俺に看せてくれよ」 志摩の前に立ち、紫紺の額に手を添えた靖は、彼の身に目立った傷が無いかを確認する。そうして片手で広げた扇を翻すと、其処から柔らかな風が吹いた。 「神風恩寵か」 風は紫紺の身に浮かぶ傷を癒してゆく。それでも瞼が上がらないところを見ると、彼の病状は思わしくないのだろう。 「軍事の旦那。医師に当てはあるか?」 「ああ。これでも顔は広い方だぜ」 「なら話は早い」 満足げに頷いた彼が、扇を勢い良く閉じて紫紺の頭を撫でる。その上で顔を覗き込むと柔らかな笑みを浮かべる。 「坊主がんばったな。お前の姉ちゃんは俺の仲間が連れて帰ってくるから安心して待ってろよ」 そう囁く声に、瞼を閉じたままの紫紺の唇が微かに笑んだ。 ●颯爽と 森を抜け、風を切って走る葎の横を北斗も同じ速度で駆けて行く。何度となく早駆を使用し先行する彼等の後には、進んだ道を示す白墨の矢印が木々に残されていた。 「もうそろそろ目的の場所ですね」 事前に耳にしていた小屋の位置。それと周囲の状況と合せて呟く。それに北斗が頷くと彼は葎とは別の方角へ足を向けた。 「ではおいらはこっちに行くのだ」 目的は同じ。けれど同じ場所から敵の隙を伺うよりは僅かに離れた方が良いだろう。勿論、離れ過ぎるつもりはない。 葎は微かに頷きを返すと、進んでいた足を止め周囲に耳を澄ました。其処に響く音色に彼女の瞳が向かう。 ガサ……ッ、ガッ……! 「今の音は……」 葎と同じく超越聴覚を使用していた北斗も彼女と同じ方角へ視線を向ける。と、飛び込んできた光景に息を呑んだ。 「強情なガキだな。良いからさっさと働くって言えよ! オラァッ!!」 縄に縛られて逆さ吊りの状態で殴られる少女に、目が釘付けになる。既に右頬が大きくはれ上がり、見えないが全身にも多くの打撲痕がある筈だ。 「……、…酷いのだ」 紫に意識があるのかはわからない。それでも一刻も早く彼女を救出しなければいけない事はわかった。 「まだ皆が到着してないけど、始めるのだ」 極々小さな声で呟いた北斗の声を葎が拾い上げる。そして彼女は意を決したように服の胸元を寛げると、普段は隠している性別を露呈した。その上で茂みから前に進み出る。 「その辺にして頂けませんか?」 「……何だてめぇは」 突然の来訪者に男の眉が上がる。 「私は開拓者。依頼でその子が必要なので……貴方は何故、その子を?」 葎とて怒りがない訳ではない。だがその怒りを今は隠して交渉に徹する。 最優先すべきは紫の無事なのだから……。 「てめぇには関係ねぇだろ。それとも何か? てめぇが俺の相手をしてくれるのか?」 まるで新しい玩具を見付けたかの様に注がれる言葉と視線。それを受けて葎の顔に困ったような笑みが浮かぶ。 「ええ。その子を開放して下されば、私が貴方に尽くしますよ」 交換、如何です? そう囁く彼女に男の唇に嫌な笑みが浮かんだ。そして次の瞬間、男の足が紫から離れた。 「今なのだ!」 「!」 北斗の声が上がると同時に、茂みの中から鍋の蓋を手にしたフィンが飛び出してきた。 「女の子にここまでやってこれで済むと思ってんのアンタ、ええコラァッ!」 凄まじい勢いで突進する彼女に、男は身構える。だが若干彼女の動きの方が早かった。 「ごふっ!?」 胴に喰い込む鍋の蓋に息を奪われる。それでも男は何とか反撃しようとフィンの背に手を回した。 次の瞬間、強烈な力で体が締め上げられる。 「ッ、なん……怪力……!」 奪った筈の呼吸が今度は奪われる。 涙を目尻に浮かべながら必死に腕を伸ばす。そうして掴んだ腕に力を込めると、出来うる限りの力を込めて男を睨んだ。 「ケッ……驚かせやがって。せいぜい骨を軋ませて逝くんだなッ!」 更に篭る力に叫び声が漏れる。その声を僅かに離れた位置で耳にしていたレティシアが両の腕で鳴らしていた鈴を納めて振り返る。 「いけませんっ、フィンさんが!」 小屋の直ぐ傍に潜んでいた悪漢を発見した彼女は、神影の助けを借りて何とか彼等を寝かせた所だった。 足元に転がる面々を見遣って思案気に視線を動かす。このまま放置すればいずれ目を覚ますだろう。 かと言って縄を巻いて行く時間もない。 「此処にはもう隠れている者の姿もない。行くと良い」 静かに告げる神影の声にレティシアの瞳が微かに揺れる。だが迷いは一瞬だった。 彼女は勢い良く頭を下げると皆の元へ駆けて行く。そしてそれを見送った神影は足元に転がる悪漢に目を向けると、静かに縄を巻き始めた。 「こいつは凄いな」 驚く声音に顔を上げると、紫紺に付いてギルドへ向かった靖が居るではないか。彼は眠る悪漢を避けながら近付くと、神影の傍に在る縄を拾い上げた。 その姿へ静かな問いが掛けられる。 「……紫紺は如何なった?」 「無事、医師の治療を受けてるさ。元々の病の影響も大きいらしいが、栄養失調と疲労が意識を失った最大の原因らしい」 紫紺は無事。それを聞き止めた神影の中に何とも言えない安堵感が浮かぶ。 「早く、伝えてやりたいものだな」 そう零し、逸る気持ちを抑えながら縄を巻き続けた。 ●怒り 紫と紫紺が身を潜めていたと言う小屋。其処に辿り着いたレティシアは、目に飛び込んできた光景に固まった。 「これ、は……」 影縫いだろうか。腕を振り上げた状態で固まっている男の足元に、フィンが蹲る様に倒れている。その脇には紫らしき人物を抱えて庇おうとしている葎の姿もある。 だが何より彼女を硬直させたのは紫の姿だ。 頬を腫らして泣く事さえ出来ずに意識を失った彼女に、言葉に出来ない怒りが込み上げてくる。 「幼い子に……ううん、女の子になんてこと……」 レティシアは無言で男を見据えると、「すぅ」と息を吸い込んだ。そして気持ちとは別の穏やかな歌を紡ぎ出す。それはどんな悪漢であろうと、優しく眠りへといざなう魔の歌でもある。 「……く、…ふざけん…な……!」 襲い来る睡魔に何とか打ち勝とうと男が身じろぐ。だが今見た感じ、そう長くは持たないだろう。 こうなって来ると流れは開拓者に向いて来る。 「それは、こっちの…台詞……っ」 フィンは軋む体を起こして鍋の蓋を振り上げた。それが呪縛を解かれた男の頬を掠める。 眠気と突然の自由を与えられた事で男の足が大きく揺らぐ。だが、揺らいだ事で下げた足に痛烈な痛みが走った。 「ぐああああっ!」 何事かと視線を向けた先に見えたのは、誰かが放った手裏剣。けれどこの場にいた誰がそれを放つ事が出来たのか。 「っ、……なん、なんだ…コイツら……」 此処に来て漸く自分の立場に気付いたのだろう。 考えれば自身の仲間が誰も助けに来ない。それだけでも異常だと言うのに、此処にいる開拓者の実力が半端ない。 男は足に刺さった手裏剣を抜き取ると、顔を青褪めたまま駆け出した。だが、其処へ北斗に紫を託した葎が飛び掛かる。 「なっ! 離しやがれッ!!」 強烈な一打が葎の後頭部を襲う。それに眩暈を覚えるが、男の足に自らの足を絡める事で体勢を崩させると、一気に自身の下へと組み敷く。 「……泰拳士……、ですか……」 嫌に身軽な装備だとは思ったが成程。葎は片目を伏せたまま穏やかに笑むと、自らを殴った腕を掴んだ。だが男は尚も負けじと空いた手を振り上げる。が、その動きは鈴を擦り合わせたような音に遮られる。 「させませんっ!」 腕を包む様な爆音に腕が止まる。そしてそれを見透かしたようにフィンが男の腕を掴んだ。 「こんなんじゃ足りないけどッ!」 ゴキッ。 鈍い音が響き、振り上げられたままだった男の腕が妙な方向へ折れる。 これで男の抵抗は終わった。 地面に這うように転げる男から身を放し、フィンが捕縛の準備に取り掛かる。 そうして何とか事なきを得ただが、北斗の焦る声に、男以上に重要な案件がある事を思い出した。 「紫ちゃん、大丈夫なのだ? おいらの声が聞こえるのだ?」 縄から解放し、持って来た小隊常備の医薬品でなんとか治療に励む。けれど紫が目を覚ます気配はない。 「俺に看せてみろ」 森の奥から他の捕縛した悪漢を連れてやってきた靖が、北斗の前で膝を折る。そうして紫の顔を覗き込むと、悲痛そうに表情を歪めた。 「女の子相手に酷い事を……」 囁き、扇を開いた瞬間、紫紺にも与えた癒しと同じ風を吹かせる。これによって僅かに傷は癒えたが、彼女が目を覚ます気配はない。 「此処まで来たと言うのに……」 神影は紫紺から預かった彼の衣を握り締めると、姉の為に必死に助けを求めに来た少年を想いかべる。 「……目を覚ませ。でなければ、弟が1人になってしまう」 そう零した彼の足は、いつの間にか紫の傍に向かい、彼女の傷付いた頬に弟の衣を擦り寄らせたのだった。 ●紫色の原石 下宿所の空き部屋に寝かされた紫と紫紺。その病状と様子の説明を別室で医師から聞かされた面々は、神妙な面持ちで腰を据える志摩へと視線を注いでいた。 「盗難の理由は恐らく弟。謝罪は必要でしょうが……幸い志体持ちです、開拓者の道も……」 治癒能力からみた医師の診断。そして今までの窃盗の方法などを顧みても紫が志体持ちである事は間違いない。 彼女には葎の言う様に開拓者としての道もあるだろう。この声に神影が頷く。 「……そうだな。弟の為に、日銭を稼ぐなら盗人よりはいいだろう」 とは言え、彼等に在るのがそれだけの道でない。 紫と紫紺はまだ若い。その若さゆえに多くの道が用意されているのだ。 「各地の戦乱の影響等で生まれた孤児達が、生きる為に悪事に手を染めて行くのを見るのは何とも忍びないのだ。罪は罪として償う必要があるかもしれないけど……願わくば、新たな家族に巡り合い、幸せになれるよう力になってあげたいのだ」 北斗の言う様に、辛いだろうが新しい家族を見付けると言う方法もある。それは2人が失った温もりを、再び与えてあげる行為でもある。 「それなら、信用のおける孤児院に入る手続きをするってのはどうですか?」 そう声を上げたのはフィンだ。 彼女は身を守るなら力のある公共機関の庇護は効果的と語る。その1つとして開拓者ギルドが上げられるのだが、なんにせよ重要なのは―― 「最終的にはお2人の意見を尊重したいです。必要であれば知り合いの食事処や演奏させて貰っている酒場に口を利く事も出来ますし」 レティシアはそう口にして祈る様に胸の前で手を組んだ。叶うなら幼い2人に幸せの手が訪れる様に、そう願いながら。 そしてこれらの声を、布団で横たわりながら紫は聞いていた。 浅く繰り返される息の下で、思案するように瞳を眇めている。その隣には、巫女として彼女に付きそう靖の姿がある。 「聞こえたかい?」 囁く様に問う声へ紫の瞼が肯定を示すように閉ざされる。それを見詰めながら靖は言う。 「お前は弟を守ろうと必死だったみたいだが、弟のほうがお前さんよりしっかりしてるやね。お前と弟の一番の違いがわかるかい?」 問いかけに幼い瞳が思案気に開かれ、それに対して靖がやんわりと続ける。 「人を頼ることができたかどうかだ。姉だから気を張ってたんだろうが、弟に相談でもしていたらちっとは違う結果だったかもしれないやね。今後のこと弟と相談してみたらどうだい?」 お前さん等は決して1人じゃない。そう言葉を添えた彼に理解を示したのか、紫は瞼を伏せ頬に一筋の涙を流したのだった。 |