禍の花
マスター名:有坂参八
シナリオ形態: イベント
危険
難易度: 難しい
参加人数: 25人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2011/03/25 02:00



■オープニング本文

●怪の花園
 東房のとある森の奥深く、ひっそりと建てられた山荘の前にて。
「や、これは‥‥あまりいい趣味とは、言えませんなァ‥‥」
 開拓者・三剣鳩座は、目の前に映る異様な光景に息を詰まらせ、思わず一人でそう呟いた。彼の視線の先には、あたり一面、異形の花のアヤカシが整然と並んで植えられ、風に揺られるでもなく自らの力で蠢いていた。
 事前に情報を得ていたとはいえ、実際に目にすると、狂気の沙汰を感じずにはいられない。いつもは温和な笑みを顔に張り付かせている鳩座も、流石に表情を硬くしていた。

 鳩座の目の前に並ぶそれは、『人喰花』と呼ばれるアヤカシだった。
 巨大な花型のアヤカシで、その名前の通り、中央に備えた補食用の口で人を食らう。蔓を伸ばして相手を捕獲する事も出来るが、自分の足で移動することすらできない、弱いアヤカシである。
 戦闘能力は低く、開拓者達からはそれほどの脅威としては見られていない存在だった‥‥今までは。
 問題は、このアヤカシがある一定の時期を境にして現れ始め、そして着々と目撃数を増やしていることだった。それも、ここ東房の地で、集中的に。東房に泰拳士の道場を構えながら、常にアヤカシとの戦いに身を投じてきた鳩座の前にも、人喰花は幾度も現れた。
 なぜ人喰花が急に現れ、急激に数を増やしたのか‥‥その理由を探るうち、鳩座はおぞましい事実にぶち当たった。
 『人喰花のアヤカシを蒐集し、飼育する者が居る』。結論から述べれば、そういう事だった。人喰花の姿に魅入ったその人物は、開拓者崩れに秘密裏に育てさせたアヤカシの花を、莫大な額で買い取り、森の奥深くの秘密の山荘に集めて植えたのだ。
 その育成に使われたのはまぎれもない、人間の肉‥‥それも、攫ってきた無実の人間のそれである。アヤカシとの戦いに追われ混乱する東房で、犯行は秘密裏に、しかし大規模に行われていた。

 開拓者たちの協力を経て、花を育てた実行犯――『夜叉衆』と呼ばれる開拓者崩れのシノビの集団――から、この一連の経緯を聞き出した鳩座は、アヤカシの花を買い集めている張本人の名前と、その居場所を突き止め、その確認の為の偵察に赴いていた。
 黒幕の名は空知右禅(そらち うぜん)‥‥今は隠居しているが、かつては東房でも指折りの豪商であった。年を取って耄碌したか、それとも根っからの下衆なのかは知らないが、アヤカシを飼育する等という行為が許される筈もない。
「さて、鬼が出るか、蛇が出るか‥‥見極めといきましょう」
 一連の事件の、黒幕の顔を拝むべく、鳩座はアヤカシの花園を回り込んで、いよいよ山荘へと近づいて行った。

●潜むモノ
 近づいて見てみれば、ますます不気味な光景だった。
 見渡す限り咲き乱れる極彩色。その花々が全て、人間の背丈よりも大きくて、人間を丸呑みできそうな巨大な口を携え、餌を探す蛇か何かのような動きで、ぐるぐると頭を動かしていた。
 そこに咲いた花がアヤカシであるということは、天儀に住む者であれば誰しも一目で判るだろう。
(「‥‥あれか?」)
 鳩座は身を低くしつつ、気取られないように慎重に花園に近づいていく。花園の入口には、目当ての人影が見えていた。
 肥え太った男の影、アヤカシの花園を見つめて、逃げだすでもなく立ち尽くしている。恐らくはあれが、空知右禅であろう。
「おぉォ‥‥おおォ」
 だが、様子がおかしかった。右禅らしき人影は虚空を見つめながら、ゆらゆらと頭を動かし、言葉にならない呻きを発している。明らかに、正気の人間の言動では、ない。
(「‥‥まさか」)
 鳩座は右禅の様子を見て、一つの推測が頭に浮かんだ。

 そう、確かに考えれば、普通の人間がアヤカシを育てる等と言うことは‥‥

 その思考にとらわれ、ほんの一瞬。ごく僅かに、鳩座の反応が遅れた。
「くすくす。くすくす‥‥」
「‥‥何」
 奇襲。側面から飛んできた鞭のようにしなる蔓は、鳩座の脇腹を深々と抉り、鮮血を滲ませた。
「ぐっ‥‥」
「ふ、ふ。くすくす」
 どこからか、咬み殺すような笑い声が聞こえる。鈴が鳴る様な、幼い少女の声色。その姿は見えないが‥‥変わりにあちこちから、鳩座を狙う蔓が伸びてきた。
(「見つかったか‥‥や、我ながら学習しませんな」)
 じくじくと痛む脇腹を抱え、鳩座は周囲を見渡した。何かが潜んでいるはずだが、それらしい気配は感じ取れない。
「ふふ、逃がしませんわよ‥‥開拓者様?」
 少女の声が、初めて意味のある言葉を紡いだ。同時に、再び無数の蔓が鳩座に襲いかかる。
「‥‥ッ」
 鳩座はふらつく足取りで蔓をかわすと、瞬脚で一気にその場を離れた。今はなんとしても、ここで見た情報を持ち帰らなくてはならない。
 その気がないのか、それともできない理由があるのか、声の主は追ってこなかった。鳩座は安全を確かめると呼吸を整え、アヤカシの花園を振り返る。
(「思った以上に、ことは深刻ですな‥‥」)
 それから赤く染まった自分の脇腹を見返す。彼にしては珍しい深手だった。
 ‥‥もとよりそのつもりはあまり無いが、もう自分一人で手に負える事態では無いだろう。
 そう考え、鳩座は痛みをこらえつつ、開拓者ギルドへの帰路を急いだ。

 帰路の途中、鳩座は思う。
 東房の混乱に乗じて、人間を糧にアヤカシの花を育てた夜叉衆。そして、急激に数を増やした人喰花。
 その黒幕が、人であれアヤカシであれ‥‥なんとしてでも、討たねばならない。
 いつも犠牲になってきたのは、力の無い、無実の弱者達なのだから。


■参加者一覧
/ 風雅 哲心(ia0135) / 井伊 貴政(ia0213) / 羅喉丸(ia0347) / 桔梗(ia0439) / 深山 千草(ia0889) / 酒々井 統真(ia0893) / キース・グレイン(ia1248) / 皇 りょう(ia1673) / からす(ia6525) / 只木 岑(ia6834) / 和奏(ia8807) / 村雨 紫狼(ia9073) / 霧咲 水奏(ia9145) / オラース・カノーヴァ(ib0141) / 琥龍 蒼羅(ib0214) / 薔薇冠(ib0828) / 琉宇(ib1119) / 无(ib1198) / モハメド・アルハムディ(ib1210) / 羊飼い(ib1762) / 蓮 神音(ib2662) / 十 宗軒(ib3472) / 長谷部 円秀 (ib4529) / 蓮 蒼馬(ib5707) / 翠荀(ib6164


■リプレイ本文

●調査
 人喰花退治を前にして、討伐隊の開拓者の内の数人は、ギルドの医務室にて、彼と面会していた。
「木の精の中には、食人するものも伝承にはありますが‥‥さて、正体はっと」
 図書館にて司書を務める无(ib1198)は、書架から集めてきた資料――人型で植物に関わり有るアヤカシについて――を開きつつ、鳩座に話を聞いていた。
 鳩座は床に伏せたまま、无と、彼の肩の上で首を傾げる尾無狐に向けて口を開く。
「今は見えませんな。人喰花自体が、突然に現れ増えたアヤカシですので‥‥」
「何も、手がかりとなるような事は無いのでしょうか。特に、鳩座さまを襲ったというアヤカシは‥‥」
 花園周辺の地図を見ていた和奏(ia8807)が、顔を上げて鳩座に問うた。鳩座はしばらく考えこむと、やや自信のなさげな言葉を紡いで返す。
「‥‥気配のようなものは、確かにありました。訓練を受けた者が相応の注意を払えば、或いは、捉えることができるやも」
 そう言って鳩座は、傍らで自分の身体を治療している桔梗(ia0439)に目をやる。桔梗は手を止めると、鳩座の目を見つめ、こくりと頷いた。巫女の瘴索結界を始めとする哨戒用の技法が、要になると‥‥彼には言わずもがな、伝わったようだ。

●山荘にて
 それから数時間後、件の山荘の前に広がるアヤカシの花園を前にして、開拓者達は最後の準備を進めていた。

「これだけの数の人喰花‥‥どれだけの犠牲がはらわれたか‥‥っ」
 遠目にも鮮やかに映る花々の彩りは、しかし命を食らった魔物のそれである。只木 岑(ia6834)は拳を握りしめて、半ば叫ぶように唸った。そして、自らの意思を固く決める‥‥アヤカシの為に人が人を犠牲にする、その負の連鎖を、なんとしてもこの手で断ち切らねばならぬ、と。
「ここが全ての根源だと言うのなら、断ってしまうしかありませんね」
 岑と同じく、今まで何度も人喰花と対峙した十 宗軒(ib3472)は、険しくも冷静な表情で、じっと花園を観察していた。以前の依頼で遭遇した少女の声が、今回のそれと関係あるのかも、彼の気にかかっている。
「人喰花に正体不明のアヤカシ‥‥先の依頼を思い起こさせますな」
 霧咲 水奏(ia9145)も、人喰花を罠にして子供が襲われた事件を思い返していた。あの時と同じように、この花園にも、何かが潜むのか。
「黒幕の目的はどうあれ、殲滅させて頂く。道場の件では逃がしたが、次はやらせぬ」
 水奏と共にアヤカシを追った弓術師からす(ia6525)も、愛用の弓や符水を携え、万全の準備を整えていた。
「黒幕、ねえ‥‥鳩座さん、ご静養なさっていると良いけれど」
 一方で深山 千草(ia0889)は困ったように頬に手を添え、未知のアヤカシとそれに襲われた鳩座のことを憂いていた。
「命に別状は、なかったけど。多分、しばらくは動けないと思う」
 すぐ側に付いて廻っていた桔梗が、先ほど見たままの事を話すと、千草は、はう、と溜息を着いてしまった。

「ふむ。なんとも珍妙な趣味を持った御仁じゃの。迷惑にさえならなければ、どんな趣味でも構わぬのじゃがなあ」
「だが‥‥話を聞く限り、ただの酔狂とも思えぬ」
 遠目から物珍しげに人喰花を見ている薔薇冠(ib0828)の呟きに、重々しく言葉を反したのは皇 りょう(ia1673)だ。アヤカシを育てる、その真意は奈辺にあるか‥‥
「何を考えてこのような事をしたか、知る必要も無いでしょう。私達はあれを殲滅して、二度と犠牲を出さないようにするだけです」
 考え込むりょうに、長谷部 円秀(ib4529)が笑顔を絶やさぬまま、しかし決意の読み取れる声色で言い放った。彼の言葉にりょうも苦笑し、頷く。今はただ、目の前の悪行を誅すのみと‥‥りょうは気を引き締めた。
「アーニー、私も植物のアヤカシにはマスィール、因縁があります。今日はそのアスル、根を絶つ日としましょう」
 吟遊詩人モハメド・アルハムディ(ib1210)も、かつて植物のアヤカシによって滅ぶ村を目の当たりにした光景を脳裏に思い返しながら、自分に言い聞かせるような語調で言った。正しく禍いの根を立つ、その為に彼は、今日此処へ来た。

「こんなに沢山の人喰花、早くなんとかしないと!」
 花園を見るや、そう叫んだのは泰拳士の少女・石動 神音(ib2662)。その横には彼女の養父にして師である、蓮 蒼馬(ib5707)がたたずむ。
「そうだな。この花に喰われた者達の供養の為にも、今此処で全滅させるぞ!」
 記憶を失っている蒼馬には、神音が娘という実感は薄い。それでも自分の事を父よと師よと慕う者が共に戦うのならば、命を懸ける理由としては十分だ。力強く頷く蒼馬の表情を見て、神音は太陽のような微笑みを返した。

 一方、羊飼い(ib1762)は和奏から屋敷の地理を聞きつつ、人魂を用いて花園を偵察していた。
「生体研究なんてロマンねぇ」
 創りだされた鶯が蠢く花々の間を抜けて飛ぶと、人魂の届くぎりぎりの距離‥‥山荘の手前に、右禅らしき男の人影が映る。
 だが次の瞬間、鶯は何者かの手で、くしゃりと握り潰された。
「‥‥‥‥これは、もーバレてると思っていいのかしらぁ」
 叩き潰したのは、件の謎のアヤカシか。羊飼いは微かに息を呑んだが、やがて偵察を諦め、のんびりと自分の戦闘準備を始めた。

●突撃
 各々の準備が整うと、いよいよ開拓者達は花園へ向けて動き始めた。

 先頭に立つ羅喉丸(ia0347)に、キース・グレイン(ia1248)、からす、オラース・カノーヴァ(ib0141)、羊飼い、円秀が続く。彼らの手には一様に、大型の炸裂弾・焙烙玉が握られていた。
「さあ、派手に開戦の狼煙を上げるとするか」
 羅喉丸が振りかぶったのに合わせて、全員が焙烙玉をアヤカシの花園へ向けて投げ放った。

 七つの焙烙玉は花々の間に潜り込むと、轟音と共に爆煙を噴き上げた。散った人喰花、数十体分の花びらが、一気に宙を舞う。
 襲撃者に気づいた人喰花の群は、一斉に開拓者に向け蔓を伸ばしてきたが、予め前に出ていた岑が弓を乱射し、人喰花の反撃を阻んだ。
「んじゃあちゃっちゃと草むしりに行こうかあ、みんな!!」
 村雨 紫狼(ia9073)が両手に刀を振りあげて叫び、それに呼応するかのように開拓者達はそれぞれの目標へと走りだす。
 目指すは人喰花の殲滅と、空知右禅の捕縛。
 右禅を狙うものは一塊となって花園の中心部へ切り込み、一直線に山荘を目指す。
「わんさか多いけど‥‥ま、なんとかなるっしょ♪」
 この敵の数を前にしても全く怖気づく様子のない翠荀(ib6164)が先頭に立ち、人喰花を蹴倒しながら進んでいく。その後ろに周囲からの奇襲を警戒しながら、風雅 哲心(ia0135)と琥龍 蒼羅(ib0214)が続き、翠荀をフォローしつつ山荘への道を開いた。

 そして彼らを援護するかの様に、人喰花に当たる開拓者達は散開し、花園の駆逐作戦を開始した。
「数が数だしちまちま一体ずつって訳にもいかねぇ。纏めてぶっとばすぜ!」
 先陣を切った酒々井 統真(ia0893)は、一息にアヤカシの中へ飛び込み、崩震脚を放った。
 広がる衝撃波と共に、数体の人喰花が纏めて吹き飛ばされた。残った他の人喰花が伸ばす蔓を背拳で捌きつつ、統真は次の一撃を入れる機を見計らう。
 後衛に立つ薔薇冠は鼻をならして弓を引くと、統真を狙った人喰花の内の一体を即射で射ぬいた。
「やんちゃじゃのぅ? 背後は気にするでない、存分につっこまれよ!」
「ああ言っていることですし。では、頑張って剪定しますか」
 赤備えの具足を見に纏って戦場に臨む井伊 貴政(ia0213)は、冗談めかして笑うと、腰の清光を抜いて統真の側面に立った。乱戦で孤立するものが現れない様に注意を払いながら、人喰花の各個撃破を試みる。

 開拓者達の視界に広がる人喰花の群は、明らかに示し合わせたタイミングで蔓を伸ばし、手近の対象へ同時攻撃をしてきた。
 前衛が集中攻撃されるのを防ぐ為、後ろに立つ者達は必死の援護攻撃を仕掛ていた。
「雨に撃たれるがいい」
 敵と味方の距離を見極め、からすが乱射を行う。岑や水奏も、それぞれの弓技を用いて人喰花の花壇に矢の雨を降り注がせ、前衛の進撃を支援した。
 その前衛に立っているキースは、普段の拳布から持ち替えた長柄斧で人喰花を薙ぎ倒し、味方の進路を切り開いていた。手に絡められる蔓は強力で引き千切り、不動の姿勢で敵の攻撃を受け止める。
「よし。手はず通り、分かれて挟撃するぞ」
 彼女の合図に続き、数名の開拓者が花園の左翼へと回りこんでいく。
 常に神音の側で戦っていた蒼馬は、娘に先行して前に出ると、複数の人喰花の攻撃を自ら引きつけた。蔓の一本が身体に巻きつくが、気にせず背後の娘に叫ぶ。
「神音!」
 蒼馬に呼応した神音が、百虎箭疾歩を繰り出しながらその背を追い抜いた。蒼馬を襲う人喰花の懐に入り、一撃のもとに打ち倒す。
「もーこれ以上、誰かを傷つけたりさせないんだから!」
 神音の放つ技を見ながら、蒼馬はおぼろげに、その技を示した過去の記憶を思い返す。今、鮮やかに決まった娘の技は、記憶を失った自分がかつて教えたものであると‥‥共に戦って初めて、確信できた気がした。
「‥‥よくやった神音、この調子でいくぞ!」

 いかに数が多いとはいえ、移動できる者とできない者の差は大きく、人喰花は全体としてみれば劣勢となって、その数を減らし始めていた。
 その最たる原動力となったのは、やはり範囲攻撃を仕掛ける者達。
「ひとつひとつが弱いなら、まず間違いなく効くはずだよね」
 吟遊詩人の琉宇が奏でたのは、夜の子守唄。サンクトペトロの旋律を聞いた人喰花が眠り込み、その動きを止めた。その旋律はやがて重力の爆音へ、激しく変調していく。
 そして戦場のもう一方ではオラースが魔杖を振るい、大氷嵐を呼び出していた。
「味方を巻き込みはしないが‥‥なるべく射線からは下がってくれよ」
 強烈な吹雪は、人喰花には一際の効果があった。冷気に撫ぜられた花々はオラースの意図通りに萎れ、朽ち果てていく。
 琉宇やオラースが脅威となっているのが判るのか、人喰花も彼らへ狙いを定めたが、りょうや和奏がそれを許さずに、蔓の攻撃を切り払って防いだ。彼女達が中衛での護衛に専念していたことで、後衛の者達が攻撃を受ける事は殆ど無いままに戦闘は進んでいった。

●襲撃者
 戦いが進むなか、一部の開拓者達は人喰花でも右禅でもない、別の存在に対して注意を払っていた。彼らの気にかかるのは、鳩座を襲った、少女の声。
 宗軒は近くの木に登って、高所から戦場全体に忍眼を光らせ、不審な存在が居ないかを警戒していた。
 水奏とからすの二人も鏡弦の反響に耳を澄ませ、奇襲に備えている。
(あれは恐らく姿を見せる愚は冒さず、我らがアヤカシどもと戦い血を流す様を楽しみ、横槍を入れてくるはず‥‥)
 先日の戦闘と照らし合わせながら、辺りを探る水奏。
 何度目かの鏡弦で返ってきた、不自然な反響。花の隙間から、潜んで狙う蔓――
(「くすくす‥‥」)
「‥‥させませぬっ!」
 水奏が射た一箭が、人喰花に紛れた、異質な気配を射抜いた。気配は花々の向こう側に引込み、軽い足音と共に逃げていく。
「逃がさない」
 からすが無表情で響鳴弓を居ると、相手の動きが止まった。だが、すぐに誂うような声が返ってくる。鈴のなるような、少女の声。
「鋭い、鋭い」
「その声‥‥以前に人喰花を餌に、道場の子供達を狙ったのは、貴方ですか」
 宗軒の問を、声の主は鼻で笑い、言葉を返した。
「くす。そうであろうとなかろうと、瑣末なことです。それよりも今は、この戦に集中なさって?」
 瞬間。
 残った全ての人喰花が、大量の黄ばんだ粉を空中に吐き上げた。
 粉が濃霧のように視界を封じるのと同時に、人喰花は蔓を伸ばし、開拓者達を襲う。
「なんだ、くそ、視界が‥‥!」
「慌てるな、円陣を崩さず、奇襲に備えろ!」
 誰かの叫びが聞こえる。琉宇が呼子笛を吹き鳴らし、戦場にいる全ての仲間へ緊急の報せを送った。
「うお、例の謎モンスターか!? よぉし、来るなら俺の所に来いッ!」
 紫狼が咆哮し、少女の声を引きつけることを試みるが、反応はない。『このロリボイスなら大歓迎ッ‥‥』と言葉を続けようとして、すぐ隣に居た羊飼いに鉄拳を貰ったりもしつつ。
「此処は私の庭。易くは抜けられませんことよ。さ、私はおとう様の所へ行かなくちゃ」
 満足げな声の主とその気配は、濃霧の様な花粉の中で、山荘の方へと遠ざかっていった。

●右禅
 花園に琉宇の呼子笛が響いた時、右禅を追っていた開拓者達は花園を抜け、ちょうど空知右前と対峙する場面にあった。右禅は山荘の前でゆらゆらと身体を動かしながら虚空を見つめ、ブツブツと何かをつぶやいている。
 背後の出来事は心配だが、右禅の言動にも目が離せない、そんな状況だった。
「さっきからずっと見ていましたが。全く逃げる気配がありませんね」
 人魂を先行させて仲間を先導していた无が、周囲を警戒しながら言った。
「災いの源もまた被害者とはワリスカリーヤティルカダリ、皮肉なことです‥‥」
 モハメドが右禅を拘束する為に重力の爆音を奏でようとするが、桔梗があわててそれを制した。
「待って。右禅は、アヤカシじゃない」
「ヤッラー、それは本当ですか? ‥‥ではアッサイード・右禅は操られているだけなのでしょうか」
 桔梗の瘴索結界に、右禅からの反応は無い。いや、むしろ反応は、後ろ。
「わふっ、そこかー!?」
 何かが歩く物音に気づいた翠荀が、背後の繁みの中に手裏剣を投げつけようとするが、しかしその瞬間、繁みの奥から蔓が飛び出し、逆に翠荀を襲った。
「危ない!」
 手に盾を構えた千草が飛び出し、蔓を辛うじて防いだ。人喰花のそれとは明らかに違う重い衝撃を受けて、千草は眉を顰める。
「やはり繁みの中か。何者だ」
 蒼羅は普段と変わらぬ落ち着き払った声色で、繁みの奥に問いかけた。手にしていた夜宵姫を斬竜刀へ持ち変え、強敵に備える。
「おお‥‥かりん、か。どこじゃ、かりん、かりんんん‥‥」
「かりん‥‥?」
 突如、それまでうわ言ばかり垂れていた右禅が喚き出し、それに呼応するかのように、繁みの奥に潜む蔓の主がゆっくりと姿を見せた。
「何度も同じ手は通じませんわね。流石ですわ、開拓者様」
 現れたのは少女の外見を持った、しかしまごうことなくアヤカシであった。青白い肌に真っ赤な瞳を輝かせ、身体からいくつもの妖花と蠢く蔓を生やした姿は、人間の姿から明らかにかけ離れた異形のそれである。
 かりん、と右禅に呼ばれたアヤカシは、柔らかな物腰で開拓者達に語りかけた。
「お陰で、『おとう様』に作って頂いた花園もこの有様。まあ、あの子達は役割を全うして散るのだから、それは宜しいのですけど‥‥でも、そう。そこの御仁だけは、お渡ししたくありませんの。離れて下さる?」
 かりんは言うだけ言うと、身体から伸びる無数の蔓を鞭のようにふりまわし、開拓者達に襲いかかった。
「遅い」
 自分を狙った蔓を紙一重でかわし、蒼羅は抜刀術・深雪で迫る蔓に返しの刃を見舞う。斬竜刀の長い刀身が蔓の根本を斬り落としたが、かりんは痛がる様子も見せずに、新たな蔓を身体から伸ばした。
「ほう、あれは再生できるのでしょうか。これは珍しい、いや、厄介な」
 无が嘆息しつつ魂喰を放ち、相手を牽制する。呪縛符で束縛したいところだが、相手の抵抗力が高いのか、効きが悪い。
「うー、イライラするー‥‥!」
 翠荀は必死に蔓を交わしながら間合いを測り、かりんに骨法起承拳を打ち込むが、芳しい効果は現れない。
 その場にいる全員が、この相手が中級か、あるいは上級アヤカシ以上にさえ分類される強敵であることを薄々と予感し、焦りを感じていた。
「‥‥とにかく、右禅さんの確保が先決だわ。彼を安全な所へ移しましょう」
「よし、任せろ。一度右禅を連れて離脱するぞ」
 千草の言葉に頷いた哲心は、未だにフラフラと蹌踉めくだけの右禅に峰打ちを入れて気絶させると、右禅を抱えてその場を離れようと走りだした。
 追おうとするかりんの前には千草が立ちふさがり、その進路を塞ぐ。
「きぃっ‥‥」
 かりんは苛立った様子で千草を押しのけようとするが、千草は防盾術で自身の身体を壁にし、一歩も譲らなかった。
 そして横合いから追い打ちの如く手裏剣が飛来し、とうとう、かりんの足を止める。
「‥‥!」
「失礼。これ以上、貴方の好きにさせる訳にも行きませんので」
 自分を追ってきた宗軒の顔と、手元にささる手裏剣とを見比べ、かりんはぎろりと、彼らを睨みつけた。
 人喰花の花粉で視界が塞がれる中、一部の開拓者達は、からすの鏡弦による索敵に誘導されながら、かりんを追ってきていた。もとより『謎のアヤカシ』が現れたとき、開拓者達はそれを追う者達を決めていたのだ。目眩まし程度では、そうそう撹乱されはしない。
「貴公が黒幕か。この悪行、ここで終わりにさせて貰うぞ。いざ、我らに武神の加護やあらん!」
 りょうが刀を正眼に構えて、かりんの懐に入る。その突撃に、宗軒、紫狼、水奏、からす、岑と続くと、右禅組の開拓者達も反攻に転じ、アヤカシを囲んでの乱戦となった。
 囲まれたかりんは、開拓者達の顔を一つ一つ見比べ、小さな声で何かを呟いていた。
「思うより、お強いのですこと。開拓者‥‥ふ、ふふ。ふふふ」

●反撃
 最初の一瞬こそ混乱はあったが、人喰花の花粉に煙幕以上の効果がないことがわかると、開拓者達も徐々に冷静さを取り戻し、呼子笛を鳴らす琉宇の元に集結して体勢を立てなおそうとしていた。
「こんな時こそ、混乱して収拾がつかなくなるのは絶対に避けなくちゃね」
 琉宇はそう言いながら、再生されし平穏をキースに向けて奏でた。かりんを追わずにこの場に残ったのは、琉宇とキースの他に羅喉丸、貴政、統真、和奏、オラース、羊飼い、円秀、神音、蒼馬、薔薇冠、全員合わせて十二名。人喰花はまだ半分ほど残っているが、決してやれない数ではない。
「危険ってのに、回復さん少ないのねぇ。あんまり当てにならないけど、無いよりマシかしらぁ」
 羊飼いがぼやきながら、深手を受けた円秀を治癒符で治療する。効果は巫女の治療には及ばないとはいえ、この状況ならば心強く感じるというもの。
「ありがとうございます、羊飼いさん。さあ、まずはこの人喰花を、確実に殲滅させてしまいましょうか」
 前の依頼の消耗も重なり、最も傷が深い筈の円秀は、なおいつもの笑みを絶やさずに、再び人喰花に挑んでいく。彼に取っては、アヤカシの目的よりも、まず此の花園を根絶やしにすることが先決。二度と再び、この花の犠牲者が出ないように。そして、一人でも多くの人間の笑顔を、守れるように。傷だらけになって尚、道化は笑いながら踊る。
「よし、弱ったのからとどめを刺していこう。さっさと片して、向こうの連中と合流するぞ」
 円秀に負けじと統真が花の群に飛び込むと、それぞれ背拳と心眼で互いの死角を補いながら、人喰花を切り落としていく。
「成程な。やはり人喰花を束ねる、上位のアヤカシが噛んでいたという訳か‥‥」
 夜叉討ちから始まって人食い花を追ってきたキースは、とうとう黒幕に手が届いたことを感じ取り、手にした長柄斧を握りしめた。
「だが今は、こいつらの相手をするのが俺達の役目か」
 気を取り直し、目の前の人喰花を睨みつける。黒幕が離れたせいか、人喰花の動きは散漫になっている。討つのならば今が好機と、キースは最後の練力を絞りだして不動の姿勢を取った。
 人喰花も必死に身体を震わせながら、蔓と噛み付きで反撃をしてくるが、羅喉丸はそれを許さず、手にする旋棍を正しく竜巻の如く振るって人喰花を打ち据えた。
「外道にかける情けだけは、持ち合わせていなくてな」
 前衛が囲まれれば瞬脚で飛び込み、崩震脚で纏めて吹き飛ばす。徹底して味方の被害を抑えながら、羅喉丸は戦場を駈けずり回った。
 これまで即射での援護に徹していた薔薇冠も、弓を全力で引き絞った強射「朔月」で攻勢に出た。人喰花は、悲鳴のような音を立てながら散花し、自分の矢が相手のど真ん中を射抜いたのを見た薔薇冠は、満足気にその紅色の目を細めた。
「これこれ、そのような叫び聞いたことがないぞぇ」
「だいぶ数も減ってきましたね‥‥もう少しです!」
 仲間を鼓舞しつつ、貴政は回転斬りで人喰花を薙ぎ払う。
「手の出せるところから、確実に参りましょう。お手伝いします」
 貴政に合わせて和奏も前に出て、白梅香で彼を援護する。散りゆく人喰花の香りに、かすかに梅の香が混じった。
 そうして前衛となる者は足並みを揃え、次第に数を減らす人食い花を包囲し、封殺していった。

 人喰花も残るは最後の一群となると、その群の向こうには、アヤカシ・かりんと戦う仲間の開拓者の姿が見えていた。
「仕上げだ」
 最後の一群をオラースのブリザーストームがなぎ倒す。
 その吹雪が山荘の前まで届くと、巻き込まれたかりんは微かに身を震わせ、唐突にその動きを止めた。
「‥‥う」
「隙あり!」
 その一瞬を見逃さず、りょうが渾身の刃をかりんに突き立てる。
 其れを境にかりんの動きがあからさまに鈍り、開拓者達は怒涛の波状攻撃に出た。
 さらにりょうの後ろに続いていた哲心が、間髪入れずに追撃する。
「こいつで決めてやる。閃光煌く星竜の牙、その身に刻め!」
「‥‥ッ!」
 繰り出すは、白梅香と秋水を組み合わせた奥義『星竜光牙斬』。しかし、哲心の刃が禍輪の肩口を切り裂かんとするその直前、かりんは身体に咲かせた妖花から黄色い粉を吹き出して、哲心、そして開拓者達の目をくらませた。
 また同じ手か――と、探知を行えるものは、すかさずアヤカシの逃げる先を探る。反応があったのは、開拓者達の頭上‥‥気づいたときにはかりんは既に、遙か高みへ登っていた。
「分が悪くなってしまいましたわね。おとう様は名残惜しいけれど‥‥退きましょう、今は」
 微かに震えながらそう語ると、かりんはあっという間に飛び去ってしまった。遠目では良く見えないが、大きな甲虫のような飛翔体が、彼女を掴んでいたように見える。

 取り残された開拓者達は呆然としつつも、やがて自分達が一先ずの勝利を得たことに気づくと、安堵に胸をなで下ろした。
 彼らの目の前には、人の命を喰らい続けた花の残骸が、一面の大地に広がっていた。

●帰還の後
 その後のギルドの診断によって、右禅は中毒性のある薬物で精神を壊されていることが判明した。彼はしきりに『かりん』という名を呟き、その人物を求めた。
「右禅には、ある日突然どこからか迎えた養子が居たそうですな。篭りがちで、一日中花壇の手入れをしているような娘だったそうで、名を『かりん』と。そのかりんがアヤカシにとりつかれたか、もとよりアヤカシだったかは知り得ませんが‥‥彼女が右禅を傀儡にし、実質的な買い手となって人喰花を集めた、というところが真相でしょうか」
 鳩座が、職員の報告にそう付け加えた。
「でも‥‥何のために、わざわざこんな、むごい手口を」
 岑が、今も燻る怒りを抑えながら言った。いずれが目的と考えても、かりんのやり方は必要以上に回りくどく、そして残酷だった。
「アヤカシの思考などは中々読めぬことですが‥‥まァしかし、今日この日、貴方がたは勝利したのです。今は皆が無事であることを、喜びましょう。それで、明日へと繋がるのなら」
 鳩座は一瞬考え込みつつも直ぐに気を取り直し、開拓者達の顔を見渡すと、その労をねぎらった。一応これでも、開拓者達のことを心配していたらしい。
 開拓者達もとりあえずの勝利を受け止め、やがて、各々の帰路へとついていくのだった。

●怪の花姫
 ギルドは逃走した少女のアヤカシを暫定的に『禍輪公主』と呼称し、開拓者達の報告とそれまでの経緯から、これを上級アヤカシとして定めた。
 アヤカシの花園は殲滅され、人攫いから人喰花、そしてそれを集める老豪商と続いた今回の事件はここに一応の終結を見たが、それは人々に振りかかるアヤカシの厄災の、新たな予兆ともなったのだった。

「花が運ぶは、明日の香り。たとえ枯れても、次の世代へ命をつなぐ。すてき。すてきだわ。おとう様は私の手を離れたけれど、何れまた‥‥ううん、今度は食べてもいい」
 東房の空を飛ぶ巨大な甲虫のアヤカシの上で、少女‥‥禍輪公主はうっすらとした笑みを浮かべていた。
 一人呟き、にや付いていると、くう、とおもむろに腹が鳴る。
「次は私が、食事する番。またあの方々にお目にかかれる‥‥開拓者、ふふ」
 禍輪はこれからのことに胸を踊らせながらそう呟くと、北の空‥‥魔の森の方角へと、飛び去って行った。