【武炎】総員、退避せよ
マスター名:青空 希実
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: やや易
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2011/08/08 20:39



■オープニング本文

●武州の戦い
 伝令と注進が行き交う、伊織の里、立花館。
 前々よりの懸念は、遂に現実のものとなった。活発化しつつあると報告のあった魔の森より、突如としてアヤカシの軍勢が出現し、ここ、伊織の里へ向けて進軍を開始したのである。
 筆頭家老の高橋甲斐以下、立花家の重臣らは、此隅の巨勢王へ援軍を要請した。
 無論、巨勢王はこれを快諾したが、立花家とて援軍を当てにして、ただ手をこまねいている訳には行かない。伊織の里から魔の森の間にも、人里や集落はあろうし、数々の城郭を無為に放棄せねばならぬ謂れも無い。
「急ぎ陣容を整えよ、敵の機先を制する」
 立花家合議の場において、立花伊織は小さな身体を強張らせながらも、力強く宣した。


●道場主と虎娘
 神楽の都の郊外。真田悠(さなだ ゆう)の道場の入口で、白い虎しっぽが揺れる。道場からは、打ち合う竹刀の音が聞こえた。
「もう帰られるのですか?」
「ええ、十日ほど、ご厄介になっているもの。お土産を頂いたから、久しぶりに家族と食べようと思って」
 外で顔を洗っていた道場の門下生が、虎娘に声をかける。門下生は入門したばかりで、生傷が絶えなかった。
「亜祈(あき)さんが居ると、先輩たちと思いっきり稽古しても、怪我の心配がないのですが‥‥」
「あら。男の子には、少しぐらい傷も必要よ♪」
 灰色に近い黒髪をなびかせ、虎娘は笑う。陰陽師の治癒符は、門下生たちにも、受け入れられていたらしい。
「あ、真田さんに、よろしく伝えてくれる?」
 放浪癖のある虎娘は、たまにやってくる居候。さまざまな人々が集まる道場では、珍しいことではない。
「もし私に用事があったら、開拓者ギルドの兄に声をかけてね」
「開拓者ギルド‥‥ですか」
「そうよ。私は勉強中だから、あまり開拓者活動をしていないけれど‥‥」
「確か、真田先生も、所属していましたよね?」
「ええ。ギルドの知り合いも多いの、真田さんを含めてね」
「兄上は、どんな人ですか?」
「受付に、折れ耳の虎猫がいたら、たぶん兄上よ」
 虎の娘に、猫の兄が居る。獣人には、よくあること。
「えっ‥‥猫!?」
 驚く人間の若者には、考え付かないのかもしれない。不思議そうな門下生を残し、虎娘は家へ向かう。
「かば焼きは、兄上に任せましょう♪」
 天儀には、夏にウナギを食べる習慣があるらしい。泰生まれの猫族は、嬉しそうに白虎しっぽを振った。


●迫りくる者
「へっくしゅん!」
「どうした、風邪か?」
「いえ、急にくしゃみが出たんです」
「誰かに、噂されているのか?」
「‥‥なんの噂でしょうか」
 開拓者ギルドの受付で、鼻をすする新人ギルド員。垂れた猫耳が動き、虎猫しっぽの先を揺らす。ベテランギルド員の言葉を、真に受けていた。
「まあ、いい。しかし蝮党(まむしとう)さわぎの後は、アヤカシの軍勢か」
「厄介な事が続きますね」
「とにかく、アヤカシの群れが、やってくる。急いで、伊織の里へ向かって貰うんだ!」
「はい!」
 一刻を争う事態。依頼書を差し出すベテランギルド員に、新人ギルド員は返事をした。


「伊織の里から朱藩方面にある魔の森から、アヤカシの大量発生が認められました。こともあろうに、群れと化して、伊織の里に近づきつつあります」
 依頼書を握る、新人ギルド員。声は、緊張していた。
「アヤカシの進行経路から、人々を避難させてください。具体的には、魔の森近くの平野に散逸する、集落の方々になります」
 張り詰めた空気に、開拓者の背筋が伸びる。
「安全かつ、迅速な移動が求められます。元気な方は、街道近くの伊織の里まで。お年寄りや子供、病気や身重などの方には、途中の岩屋城まで避難して貰ってください」
 伊織の里(いおりのさと)。武天から、神楽の都へ至る、街道筋近くに広がる町。朱藩方面に魔の森が存在する為、多くの城や砦が配置されている。
 岩屋城(いわやじょう)。なだらかな丘に建設された、小規模な城。山城と平城の中間型になる。豊富な水脈の井戸もあり、周囲の地形を巧みに利用した堅城。
 ただし建設から年月が経っている。近年は、小規模な土砂崩れの発生や、アヤカシの攻撃を数回受け、破損状況が酷い状態。修繕が、急がれている。
「できれば、様々な職業の方に、ご協力を頂きたいです。アヤカシから身体を守るだけでなく、心を守る人も必要ですから」
 身体を守る。避難する人々の護衛はもちろん、荷物の運搬、体調管理などに、協力をして欲しいと言うことだろう。
「心を守るの意味ですか? 精神的な支えに、なってくれる事です。笑顔は、人々を元気にしてくれます!」
 避難する人々は、アヤカシに対する恐怖心や怒りなど、負の感情をかかえている事も多い。負の感情を和らげる手伝いが、欲しいとらしい。
 子守りや料理などの、日常的な世話。音楽や舞いなどの娯楽まで、幅広い内容が考えられた。
「避難される皆さんのためにも、宜しくお願いします」
 新人ギルド員は、深々と頭を下げる。開拓者の力が必要とされていた。
 小さくとも、大きな力が!


■参加者一覧
秋霜夜(ia0979
14歳・女・泰
鈴木 透子(ia5664
13歳・女・陰
ラヴィ・ダリエ(ia9738
15歳・女・巫
エルディン・バウアー(ib0066
28歳・男・魔
燕 一華(ib0718
16歳・男・志
蓮 神音(ib2662
14歳・女・泰
杉野 九寿重(ib3226
16歳・女・志
蒼井 御子(ib4444
11歳・女・吟


■リプレイ本文

●温もり
 ギルドの入口で、「もふぁ」と欠伸する、もふら。汗を流した後の睡眠は、最高。
「木陽、入口で寝ちゃダメですよっ」
 燕 一華(ib0718)は、眠そうな表情の相棒を、ギルドの中に押し込む。三度笠に吊るされたてるてる坊主が、困ったように揺れていた。
「そうですか。もふらさまたちも、運搬を頑張ってくれたのですね」
 新人ギルド員は、入口を見やりながら、エルディン・バウアー(ib0066)と会話を続ける。
「避難民とは宗教は違えど、心を救うのは聖職者の務めです。パウロ、一緒に無事を祈りましょう」
 南十字星をイメージしたサザンクロスを手に、天儀神教会の神父は、お手伝いの助祭もふらに促した。首の十字架を揺らし、相棒は祈りの言葉を捧げる。
「エルディンせんせ、霞がお出迎えしてくれてますよ♪」
 神父の愛弟子、秋霜夜(ia0979)が嬉しそうに、入口を指差した。相棒の忍犬が、しっぽを振っている。霜夜は愛弟子といっても信者ではなく、教会の手伝いをしてくれる存在らしいが。
「私は先に失礼しますね。港に青龍を置いてきていますから」
 相棒に会いたいのは、杉野 九寿重(ib3226)も同じ。ギルドでの報告も済んだ。鬼頭の外套をひるがえし、急ぎ足であだ名と同じ名前の駿龍の元へ向かう。


 役目を終えた開拓者たちは、相棒との一時にひたる。
「シリウス、旦那さまと一緒に来てくれたのですのね」
 忍犬修行中のバーニーズマウンテンの子供は、ギルドの外でラヴィ(ia9738)に飛びつく。激しく遊んでくれる、大好きなラヴィの旦那さまとお迎えにきた。
「遮那王、勝手な勝鬨どきをあげずに待っていましたか?」
 鈴木 透子(ia5664)は、外で待っていた相棒を見るなり、心配ごとを口にする。きちんとお留守番をしていた忍犬は、しっぽを垂れ、不満そうに吠えた。
「くれおぱとら、くすぐったいよ♪」
 石動 神音(ib2662)は、相棒の耳の後ろをなでた。肩に飛び乗り、顔を擦り付ける猫又。食べ物にうるさく、気位が高くても、たまには可愛らしい仕草を見せる。
「んー‥‥ツキ、『禍福は糾える縄の如し』だっけ? 辛い事があった分、皆に良いことがある事を祈るよ」
 金の懐中時計で時間を確かめつつ、蒼井 御子(ib4444)は相棒に尋ねる。肩に止まる迅鷹は、爪で器用に頭をかき、首をかしげた。


●希望の導き手
 小さな子供たちは、大人たちが荷物をまとめる理由が分からない。笑顔でまとわりつくのは、アヤカシの恐怖を知らないから。
 避難する人々の荷物をまとめる合間に、開拓者は交代で子供たちを預かる。
「よいこの皆さん、こんにちは」
「エルディンせんせと一緒に村を回りましょう」
 エルディンの得意技は、輝く聖職者スマイル。女性にはスマイル倍増だが、今日は出番なし。
 お目付けの霜夜と共に、村を練り歩く。神父様が羽目を外さないように、愛弟子は見張っているらしい。
「大丈夫ですよ、いくらなんでも避難民をナンパしませんから」
 こっそりと告げる神父様。助祭もふらは子供がはぐれないか、後ろで見張り番。聞こえなくて良かった。
「顔ぶれ見ると、エルディンせんせが最年長かー。くすす。なんだか『エルディン教室の課外授業』みたいです♪」
 開拓者と子供たちを見渡し、霜夜は笑う。神父様は引率の先生の気分、輝く聖職者スマイルで応える。
 信者に笑顔を振りまいている「ナンパスマイル」は、あまねく人に優しい裏返し。
「はい、幸せの黄色い手ぬぐいじゃないですけど。『また必ず戻る』との意味を込めて」
「こうやって、自分の家の戸口に結んで下さいね」
 霜夜は黄色い染め布を切り分け、手渡す。エルディンに教えてもらった子供たちが、戸口に布を結ぶ間に、二人は家屋の中を確認。
 積み残しの荷物は、家畜の牛や馬の引く大八車に移動。ご老人やご病気の方も、一緒に大八車に乗ってもらった。
 荷物が崩れないように、見張りをお願いする。役割を得たご隠居は、意気揚々と村の外へ。家畜の扱いは、若者よりも達者。


「お花は、ここに植えましょうね♪」
 ラヴィが三色菫(パンジー)を集落の入口に植えると、子供たちの歓声が響いた。花言葉の一つは、心の平和。
「はい、幸運のもふらさまの毛入り、てるてる坊主ですっ。村のお守りになってくれるように、残して出発しましょうかっ♪」
 一華は、子供たちの目の前で作り上げたてるてる坊主を、棒に結わえる。入口に植えた花の種のそばに、棒を突き立てた。当のもふらさまは、大あくび。
 花咲く「天晴れの日」を、呼び寄せてくれるはず。そして村人の心が晴れやかに、笑顔で戻ってこられるように。
「慌てなくっても、大丈夫ですわ。どうぞ大切なものを、お忘れになりませんように」
「男手が足りない所は、荷物を纏めるのお手伝いしますよっ!」
 ご隠居たちがやってきた。声をかけるラヴィと一華の目の前を、馬にひかれた大八車が通りすぎて行く。積荷が崩れそうになった。
「ラヴィにお任せ下さい♪ こう見えて力持ちさんですのよ♪」
 精霊の羽衣をひるがえし、ラヴィは積荷を押さえこむ。お人好しさんは、ニコニコ笑って引き受けようとした。
「荷車を押すお手伝いは、任せてくださいっ」
 手を貸す一華の視線の先では、猫を抱えた子供が母親に怒られていた。二人の足元で、鶏がのんきに羽ばたいている。
「集落の方々の、避難誘導をお願いしますねっ」
 雑技衆『燕』の拾われ子は、子供の心の内を読んだようだった。大事な家族、大切な命に変わりない。
「わんこさんやにゃんこさん、ヤギさんや鶏さんや豚さんも‥‥可能な限り、ご一緒に避難して頂きたいですね」
 ラヴィは駆けより、子供と目線を合わせると頭をなでる。説得された母親は、子供と鶏を追い立てながら、避難し始めた。


 広い地を開拓者は行く。集落や村は散逸していた。
「段々、伊織の里を中心とした状況は差し迫ってきて、アヤカシ勢が見受けられる様になりましたね」
「轟砲の話をきいているのなら『なるべく、逃げるべき』と考えていると思います」
 九寿重の言葉に、市女笠を持ちあげつつ透子は頷く。しかし避難する人々と出会っていない。向かう方面からは、誰も道を歩いて来ないのだ。
「只でさえ危険な魔の森付近です。住民に避難勧告が出されたことは、伝わっているでしょか?」
 懸念を口にする九寿重。道場宗主の縁戚のある北面にも、魔の森は迫っている。他人事ではない。
「集落を把握していることが住民に伝われば、見捨てられていないことも伝わるかもしれません」
 借りてきた戸籍帳の写しを見つつ、透子は避難民の把握に努めていた。すると決めた事、決められた事には、真面目で積極性を見せる。
「これを。一目で分かってもらえたほうが、良いと思います。説明の手間が省けるし、あたしたちは若年が多いですから」
 戸籍帳の写しと一緒に受け取った官符を、透子は差し出す。国の依頼を受けて動いている、開拓者の証。
「明らかに手が足りないのですし。護るべく事象に駆けつけるのが、開拓者ですね」
 腰までの漆黒の髪が、風になびく。九寿重は犬耳をピンと立てらせ、官符を受け取った。


 普通の家庭料理なら美味しく作れる。神音は移動中の食材にする、キュウリとナスを受け取った。笑顔を見せる後ろから、切羽詰まった声がする。
「誰だって逃げたくない、誰だって自分だけが良いかもしれない。だけど、お願いするよ。協力して。今だけ、我慢して。ボクらに、守らせて」
 避難をしたくない集落の人を、説得しようとする御子。生まれる前の命を抱えた母親は、首を縦に振らない。住み慣れた土地を捨てたくない気持ちも、不安な気持ちも分かる。
「神音は、とーさまとかーさまをアヤカシに殺されたから‥‥もー誰も神音と同じ思いをして欲しくない。きっと皆を無事に守りきって見せるんだよ!」
 泰拳士の父と裕福な商家の娘だった母は、駆け落ち婚だったという。そんな両親の一人娘として育った神音の日常は、七歳の時に突然消えた。
「不安もあるだろーし、とらや、もふらのぬいぐるみを渡しておくね。この子も、少しは気が紛れるかな?」
 ふっと見せた厳しい表情は、すぐに和らぐ。神音は、若い母親にぬいぐるみを押しつけた。
「すぐに、なんて約束は出来ないケド。ぜったいにみんなを戻れるようにする。神威人の神様、月の神様に誓ってね」
 御子は、帽子をとった。いつも帽子の中に隠している、目立つ狐耳が心配そうに動いている。
「さって、楽しい事が一番!」
 尻尾の無い狐系の神威人は、自分の帽子をかぶせて笑った。落ち着くようにと、歌を聴かせながら。
 若き母親が歩みだす様子に安心し、野菜を運びだす神音。着る厚司織「満月」の背には、大きな満月が描かれていた。
 守ってくれる神様は、案外近くにいるのかもしれない。


●故郷は遠く
「移動で疲れてるだろーから、体力が回復出来るよーに、栄養があって美味しー料理を作ってあげてね」
「任せてくださいませ♪ さっそくご病気の方には、お粥を作りましたわ」
「子供には南瓜を炊き込んだ甘いご飯で、お握りでしょ」
 神音は伊織の里へ旅立つ前に、ラヴィと料理を確認しあう。
「あ、あと蓮根と牛脛肉があれば、煮込み料理にね。どちらも体力回復にいーらしーし♪」
「様々な方に対応して、温かいもの、冷たいもの。味の薄いものや柔らかいもの。たーくさん作りますから♪」
 少しでも快適な避難生活を、過ごして欲しい。
「‥‥お住まいの場所を奪われてしまう方々のお気持ち、ラヴィが分かるとは思いません」
 漬物を切っていた、ラヴィの手が止まる。開拓者も、アヤカシ同様、歓迎されない存在かもしれないと。
「神音達が、きっと無事に送り届けるからね!」
 神音は明るい笑顔で、自信たっぷりにラヴィの肩を叩く。護衛役に自信がないと、皆を不安にさてしまうから。
 神音の心の声は、ラヴィに届く。桃と琥珀の色違いの瞳が細められ、大きく頷いた。


 この先、どんな運命が待ち受けているか分からない。ひと時でも、心から休息できる時間が必要だ。
「合戦で避難される方々の心に、華を咲かせられるように頑張りましょうかっ」
「さ、好きな歌とかあるかな? 一緒に歌わない?」
 御子は岩屋城に一度集まった人々の間を、歌を歌ってまわる。十歳以下に見える外見は、にわかに開拓者と信じがたい。
 子供たちが一緒に歌えるように、一華はお手伝い。笛が音楽を奏でる。
「さあさあ! 次は元・雑技衆『燕』が一の華の演舞、お見せしましょうっ!」
 口上とともに揺らぐ薙刀の先は、ほのかな梅の香りを宿す。一華の薙刀の腕前は子供たちだけでなく、伊織の里へ向かう前の大人たちに披露された。
 そして勇敢な開拓者を讃える、御子の歌に交代。最後の鞠やぬいぐるみを使っての一華の傘芸は、大きな拍手で幕を閉じた。
 大きな戦いを経験したことの無い人々は、依頼以外での開拓者を垣間見ることになる。


「行ってきます」
「いってらっしゃい」
 岩屋城に残る子供たちは、神音から渡されたブレスレット・ベルを鳴らして喜ぶ。出立の声かけに、一斉に旅立ちの鈴の音が響いた。
 岩屋城から、伊織の里へ向かう一行。皆、踏み出す足は重い。
 振り返ると、入口からずっと見送る者たちが見えた。
 無邪気な子供たちは、鈴を持つ手を振り続けている。その周りを、犬や猫が駆け回った。鶏は羽ばたくばかり。
 身重の母親は、子の父親が遠ざかる姿に、着物のたもとを濡らす。ご隠居は静かに、娘の肩を抱き寄せた。
 九寿重は連れ添う人々の心中を慮り(おもんぱかり)、しばらく見守った。立ち尽くしたまま、岩屋城を睨む男に声をかける。
「どんな事が起ころうとも、必ずや、私たち開拓者が全員護ってみせるですね」
 まだ見ぬ我が子を案じる、若き父親。犬耳は心の不安を沈め、元気付けようとする。男は黙って頭を下げると、伊織の里へ向かう行列に加わった。
 岩屋城と伊織の里。しばしの別れが、今生の別れにならぬよう。
 護る。青龍・九寿重は心に誓った。


●帰る日まで
 岩屋城の修繕を手伝いながら、透子は斜め上を見上げる。視線の先には、聖書を片手に、呪文を唱えるエルディンがいた。
「大地の精霊よ、岩屋城をアヤカシの脅威から守りたまえ」
 片手が、前にかざされる。呼応するように、大地から石の壁が現れた。城壁を覆い隠す。
「壁を直すのも大切だと思います。だけど逃げる準備も、するべきだと思います」
 早い時期での移動を計画するように、透子は進言するつもりだった。岩屋城に弱き者を置いてゆく。拒否し、嫌がる家族はたくさん居た。離れ離れになった者たちもいる。
「それが一番でしょうね」
 エルディンは振り返り、透子が作っていたものを確かめる。
 逆茂木(さかもぎ)。枝を全部切り取り、残った樹幹の先を削って尖らした部分を上向きに揃えて、立てたもの。
 急ごしらえのため壁とも呼べぬが、無いよりマシ。
「‥‥この障害物が、どれだけ持つでしょうか。岩屋城に残る人数や、その家族の避難先は把握できましたけど」
 居残った避難民が、不安げに開拓者の様子を見に来た。少し声を低くし、透子はささやくようにエルディンに告げる。
「私やここにいる開拓者は強いのです。アヤカシが来たら、すぱっと倒しますから」
 神父様は、避難民をさりげなく中に誘導。いつアヤカシがくるか分からない。
 主聖職者スマイルきらり☆


 夕暮れ時。アヤカシの姿は見えない。
 霜夜の手招きでこっそり物見やぐらに登る、無邪気な子供たち。別れたくない両親は、何組か、伊織の里に旅立つのを拒んだ。
「皆の住んでた所、見えますか? また、皆であそこに帰りましょうね☆」
 霜夜の指差す先に、茜色に染まる大地が広がる。自分の家を、口々に教えてくれる子供たち。
 霜夜は、修理した物見やぐらに、祈りの紐輪をくくりつけた。避難した人々の身を守るよう願う。
 心安らげる日は、まだ遠い。それでも、皆、前を向いている。
 明日を作るために。