【空庭】新月の呪縛・地の一
マスター名:青空 希実
シナリオ形態: シリーズ
危険
難易度: 普通
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2014/08/29 18:20



■オープニング本文

●獣人
 古来より、獣人には月を崇める風習がある。天儀の神威人も、泰国の猫族も、アル=カマルのアヌビスも。
 白虎獣人の虎娘。司空 亜祈(しくう あき:iz0234)は、泰国育ちの猫族だった。
 猫族は八月になると、月敬いの儀式を行う。月に秋刀魚を三匹捧げて、祈りの言葉を贈るのだ。
 八月生まれの虎娘は、月敬いの儀式に因んで、名付けられたらしい。「祈」と言う文字を。


●古代人
「唐鍼(からはり)さんは、里を助けようとしてくれたわよ? 悪い人じゃないと思うわ」
「隊長は、人を信じすぎるんですよ」
「種族が違っても、きちんとお話すれば、お友達になれるわよ。獣人の私と、人間のあなた達のように」
「司空隊長は、甘いですね。まぁ、そこが隊長らしいですけど」
 おおらかな虎娘に、あきれ返る隊士たち。いつも、浪志組で繰り返される会話でもあるのだが。
「隊長、尋問記録が届きました。読みますか?」
「ええ、見せてちょうだい。…これは何かしら」
「古代人に伝わる、ある神に関する記述らしいです。全く、意味不明ですよね」
 白虎しっぽをゆらゆら揺らし、虎娘は考え込む。古代人と呼ばれる、若者のもたらしたものを。
 浪志組隊士の一人が握っている半紙は、尋問の間に古代人の若者が書いた落書きの写し。
 ミミズののたくったような線、数本の線。半紙に書かれた、不思議な落書。
「アイツも、詳しい意味は分からないようだな。代々伝わるとか、眉唾もんだぜ」
「古代人の神なんて、信用なるか!」
「呪いの呪文じゃないのか? ちっ、縁起の悪い」
 不満タラタラの隊士たち。唐鍼と名乗った古代人の尋問記録は、冥越に居る浪志組を大いに湧かせた。
 虎娘は、またたきした。水色に近い瞳が、半紙の一部分を興味深げに眺める。
「…之…? …変…? ねぇ、その紙、私に貸してくれないかしら?」
「いいですよ。どうぞ、隊長」
「どうもありがとう」
 隊士は九番隊の隊長、気軽に半紙を渡す。食い入るように見つめる、虎娘。
「這個文字…、『変動』?」
(この文字…、『変動』?)
「隊長?」
「是那様! 這邊、『之変動』!」
(そうよ! これ、『之変動』だわ!)
「隊長、どうしたんですか!? 分かる言葉で言って下さい」
 白虎しっぽが、ぶんぶん振られた。泰国の土着の言葉を発する虎娘。
 天儀出身の隊士たちは、奇異の目で虎娘を見やる。
「ほら、見て頂戴。この文字の部分はたぶん、『之変動正負面変得更強大』って書いてあるのよ♪」
 得意げに動く、白虎耳。ミミズののたくったような線の一部を指さす。
「それから推理すると、続く言葉は『之変動負正面変得更強大』かしらね」
「隊長、なんで読めるんですか!?」
「この線の動き方、崩した文字だと思うわ。本当に、一部分だけしか読めないけれど」
 虎娘の指差す所を見つめる、隊士たち。言われてみれば、文字のような、落書きのような。
 文字ならば、ものすごく達筆なのか、下手なのか分からない。長い間伝わるうちに、変化したとも考えられるが。
「どういう訳か、古泰国語に似てる部分があるのよ」
 去年の秋、泰国は国家転覆の危機に見舞われた。虎娘は、その過程で、古き泰国の言葉を学ぶ。
 春王朝の図書館で、神話時代の伝説を読むために。
「隊長、意味は何ですか?」
「だから、『之変動正負面変得更強大、之変動負正面変得更強大』よ」
「…天儀の言葉でお願いします」
 隊士の指摘に、黙りこむ虎娘。白虎耳を伏せ、口を結び、頭の中で翻訳する。
「えっと…『負の面が強く大きくなるならば正に変わる、正の面が強く大きくなれば負に変わる』かしら?」
「それ、精神論か、何かの教えですか?」
「…分からないわ、書いてる事をそのまま直しただけですもの」
「じゃあ、今の泰国語だと、どんな解釈ですか?」
「そうね。『陰が…』…えっ!? ウソ、偶然よね…」
「隊長?」
「なんでもないわ。泰国だと、『陰が極まれば陽に変じ、陽が極まれば陰に変ずる』じゃないかしら。
これ、しばらく借りるわね。ギルド員の兄上に解読できないか、相談してみるわ」
 表情のこわばった虎娘。半紙を借り、ぎこちない動きで隊士たちの前から去る。
 膨らんだ白虎しっぽ、泰国の動乱に思いをはせていた。首都の地下遺跡に潜ったときの事を。
 虎娘一行は、泰国の神話に出会ったのだ。春王朝を建てた黄帝を補佐した、軍師・羌大師と。
『陰が極まれば陽に変じ、陽が極まれば陰に変ず』
 それは、陰陽師の虎娘が聞いた言葉。羌大師の語った言葉であった。


●呪縛
 数日後。開拓者ギルドの本部で、虎娘と受付係の長兄は口喧嘩をしていた。
「嫌よ! なんで私が遺跡に行かないといけないの!?」
「だって、遺跡にも、古代人の文字に近いものが書いてあるかもしれないんだから。
亜祈なら、読める可能性があるでしょ?」
「遺跡の場所や、封印の解き方を解読したのは、兄上でしょ!? 兄上が行けばいいのよ!」
「行けるものなら、僕が行くよ。でも僕には、仙人骨が無いんだからね。
一般人の兄上に、遺跡探索が務まると思うわけ? どう考えても無理だよね」
「無理でも行ってよ、兄上が行って頂戴!」
 白虎しっぽを膨らませ、拒絶する虎娘。踵を返し、逃走をはじめる。
「コラッ、亜祈! どこ行くつも…うわっ!」
 妹を捕まえようとした長兄は、でっかい秋刀魚に殴り倒される。虎娘は問答無用で、砕魚符を発動していた。
「真っ暗な夜にしか入口開かない遺跡なんて、絶対に嫌! 私、絶対に行かないから!」
 虎娘の大嫌いな物。月の無い夜、新月の日。それから、霧の立ち込める場所。
 嫌いな理由は、長兄も知らない。虎娘が家出していた間に、何かあったようだとしか。
「痛っ…。皆さん、妹を捕まえて港に行って下さい! 飛空船が待っています。
乗組員の人には、遺跡の場所を伝えていますから。離陸すれば、妹も諦めるはずです!」
 虎猫しっぽを膨らませ、開拓者に怒鳴る長兄。頭には、でっかいタンコブ。
「あ、遺跡の解除方法は、『奉献祈祷。動的東西、會靜起來、門開』です。
『祈りを捧げよ。動くものは静まり、扉は開く』ですからね!
遺跡は月の無い夜にしか開かないようなので、宜しくお願いします!」
 長兄の声に急きたてられ、開拓者は走り出した。面倒な依頼を受けたと、後悔しながら。


■参加者一覧
羅喉丸(ia0347
22歳・男・泰
柚乃(ia0638
17歳・女・巫
リスティア・サヴィン(ib0242
22歳・女・吟
海神 雪音(ib1498
23歳・女・弓
劉 星晶(ib3478
20歳・男・泰
神座早紀(ib6735
15歳・女・巫
戸隠 菫(ib9794
19歳・女・武
シマエサ(ic1616
11歳・女・シ


■リプレイ本文

●秋刀魚
「にゃー! 秋刀魚が逃げましたにゃー!」
 反射的に飛び出したのは、猫の獣人のシマエサ(ic1616)。茶色い瞳をギラギラさせながら。
「秋刀魚、秋刀魚ー!」
 右手で顎の周囲を拭う。でっかい獲物に、よだれが垂れていた。
 一緒に追いかけようとした柚乃(ia0638)は、何もない所で転ぶ。先日の依頼の傷が、尾を引いていた。
「大丈夫ですか!?」
「こんな時に負傷してしまうなんて…不覚です」
 神座早紀(ib6735)の助けを借り、起き上がる柚乃。すりむいた膝が痛い、
「無理しないでくださいね」
「…ともかく、足をひっぱらないよう尽力、うん」
 早紀の閃癒を受けながら、柚乃は小さく気合を入れた。
「亜祈さん、どうして新月や霧が嫌いなんでしょう? 出来れば一緒に来て欲しかったですが。
私も過去の事があって男の人が苦手ですし、無理に克服させようとするのは逆効果でしょうか」
 早紀も、とある事件がきっかけで、今でも父親以外の男性にはあまり近づけない。
「…あれ程嫌がっているのであれば、無理強いさせてまで連れて行かなくても良いかと…。
…古代文字を読解してもらうにしても、きっと落ち着かず読解に集中出来ないでしょうし…」
 淡々と告げる、海神 雪音(ib1498)。古代文字があれば、記録してくれば良い。
 後で読解してもらう方が、亜祈も落ちついてできるばず。
「危険が伴う調査に嫌がる者を連れていくのは、かえって危険だからな」
 龍袍「江湖」をまとった羅喉丸(ia0347)は、人差指で頬を掻く。義侠心に厚い者としては、心も進まない。
「まあ来たくないって言ってる人を無理やりは、ねえ…。白い虎さんとは面識ないけれど、事情もあるんだろうしね」
 リスティア・サヴィン(ib0242)は眉根を寄せる。でっかい秋刀魚がなんとも印象的な虎さんだった。
「亜祈さんは…無理に捕まえるには危険すぎる相手だよね。しかも普段の何割増しかの強さだよね」
 薙刀「来光」を握る戸隠 菫(ib9794)の頬を、一筋の汗が伝った。ぶっ飛ばされた喜多に、覚戒をかけている。
「無理強いしても、現場で嫌がって怖がっていたら役に立たないと思うし、無理してまで連れて行かなくて良いよ。
 タンコブを治して貰い、喜多は立ち上がる。菫の説得に、納得したようだ。
「あ、白の吟遊詩人、リスティア・サヴィンよ。よろしくね」
 スノウ・ハットを弾く、リスティア。雪の結晶を模した銅製の飾りが揺れ動く。
 ゆっくりと広がる、セイントローブの裾。リスティアがアレンジした白の法衣。
 天儀生まれのリスティアだが、ジルベリア人の両親は、真教会縁者だった。
「戸隠 菫だよ、よろしくね」
 天輪宗の袈裟「清白」をまとう菫も、天儀生まれ。ジルベリアから移住した両親を持つ。
 神教会の司祭位相当の資格を有する、リスティア。天輪宗の僧侶から名前を授かり、長じて武僧となった菫。
「亜祈さんは同行せずという方向、異論なし。うん。
…嫌がるのを無理に連れていくわけにもいかないですよね」
 柚乃の勘が告げている。いれば心強かったけれど…、なんか面倒な事態になりそうだ。
「出発まで時間があるようなので、亜祈を探します」
 劉 星晶(ib3478)は黒猫耳を伏せた。仲間の問いかけに、振り返る。
「え? いえ、別に捕まえに行く訳ではありません」
 暴れ虎と化した想い人を止めるのは、自分の役目だろうと。



「瓢箪から駒と行かないかな」
 羅喉丸の呟き。安請け合いをしない性格は、一度約束した事は何としても果たそうと。
「…封印の解除方法は分かっていますが…一応、調べておきましょう」
「新月にしか開かない遺跡、なんて…なんとなくロマンチックね。
遺跡の伝承とか、言い伝えとか、歌とか、何か伝わってないの?」
「そうですね…『遺跡には陰が多い』という記述が何度も見られました」
 雪音とリスティアは、詳しい解読結果を求める。喜多の返事に、顔を見合わせた。
「喜多さん、古代人の文字が古泰国語と似ているらしいが。あとは猫族の古い時代の祈りの言葉はどうだったか知らないかな?」
「千五百年前の初代春王朝では、古泰国語が使われています。昔の祈りは『三日月は秋刀魚に似てるにゃ』ですね」
 しかめられる、羅喉丸の眉。微妙な喜多の答えだが、勘が無視するなと告げる。
「出発まで、文献に当たりたいんだが。あるすてら関連の月の精霊という線で…その時の一柱かもな」
 羅喉丸は、ある一節を思い出す。月の国から来たと言う、神威人の伝承を。


 亜祈に追いついた、シマエサ。嬉々として、でっかい秋刀魚に噛みつく。
 シマエサの八重歯が砕魚符を霧散させた、後に残るのは陰陽符だけ。
「食べられなくてがっかりですにゃ…」
 紙きれをくわえ、呆然とするシマエサ。猫耳が、思いっきりペタンコになる。
「亜祈」
 泰拳袍「九紋竜」の裾をなびかせ、屋根から飛び降りる星晶。亜祈の目の前に着地する。
「私を連れ戻すの!?」
「遺跡は皆と頑張ってきますよ」
「…本当? 行かなくていいの?」
 星晶を見て、亜祈は少し落ち着きを取り戻す。
「亜祈にゃんを連れ戻す気はないですにゃ。でも理由は聞かせて欲しいですにゃ」
 猫耳を動かしながら、シマエサは元気に尋ねる。こわばる亜祈の表情。
 嫌な思い出。家出した直後、誘拐されて、見知らぬ地へ連れて行かれた。
 霧のアヤカシ、煙羅煙羅の生贄は、月の無い夜に遺跡で捧げる決まりごと。村人が生き残るために。
 瀕死の家出娘を助けてくれたのは、アヤカシ退治に来た陰陽師。後のお師匠さま。
「言いたくない事は聞きませんし、行きたくない場所へなんて行かせませんよ」
 視線を和らげると、笑みを浮かべる星晶。なだめるように、話しかける。
「…ただ『いってきます』を言いたかっただけです」
「…いってらっしゃい」
 小さく口にする亜祈。星晶は軽く頷くと、何か言いかけたシマエサを促し、ギルドに戻っていった。


●霧
 遺跡の入口は岩山の頂上にあった。四方が断崖絶壁。霧が濃いのも、うなずける。
 松明で足場を確かめながら、雪音は入口回りの岩壁を調べた。岩壁の表面は、網目のように盛り上がった部分がある。
 まるで、根っこが這いずり回り、そのまま硬化したような。奇妙な盛り上がり方。
「『祈りを捧げよ』ですか…一体何に対して何を祈れば良いのでしょうか?」
 霧が濃く、少し離れた場所の仲間は、顔も見えづらい。気配を探りながら、雪音は声をかける。
「新月に霧…真っ暗ね」
 リスティアは、ハープ「グレイス」を取り出し、弦を爪弾いてみた。反響する音は、岩特有の物。
 ふわふわと浮かぶ明り。マシャエライトは、柚乃の後を追ってくる。
 懐中時計「ド・マリニー」を覗きこむ、柚乃。時計には、精霊の力と瘴気の流れを計測する力がある。
「…ずいぶん、瘴気が強い所ですね」
 一般人の喜多が来れば、遠からず瘴気感染を起こしそうだ。
「…言葉通りであれば祈りを捧げる事で、扉が開くと思いますが…」
 雪音の茶色の瞳が、少し伏せられる。動くものが何を指しているのか、確証が得られない。
 シマエサは、無言になった雪音を覗き混む。そわそわと猫耳を動かし、雪音の戦袍「王覇」を引っ張ってみた。
「大丈夫にゃ? シマにゃん、心配ですにゃ」
「…? 大丈夫です…」
 視線を動かす雪音の瞳は、不思議そうな光をたたえる。
「安心したにゃ♪」
 雪音の返事に機嫌を良くしたのか、ピコピコ猫耳を動かし離れるシマエサ。
 普段から表情の変化が乏しい雪音。黙りこんだ様子を見て、シマエサは調子が悪いのかと、心配になったらしい。


「太陽が陽で、月が陰、月の満ち欠けを陰陽に当てはめれば、満月が陽で、新月が陰か。
ならば、月に関する陰を司る神なのか、月の精霊に関する儀式が転じたものなのか?」
「月は、最も美しい夜に先祖の姿を映し出すと言われていますね」
 岩壁の丸い光を、人差指で突く羅喉丸。黒猫耳を動かしながら、猫族の星晶は答える。
「『動的東西』が月なら、東西に動かない、月が中天に来る時間に祈るのかもしれない」
 懐中時計「ナイトウォー」を取りだし、時刻を確かめる羅喉丸。淡い光を放つ針は、日付変更が近いと告げる。
「新月で開くなら…満月で閉じる…?」
 考え込む柚乃。幸紡ぎの聖鈴が、澄んだ音を響かせる。近くで、シマエサのお腹も鳴った。
 くすりと笑い、荷物を探る柚乃。北面で作られた、玄米の旅むすびを取りだす。
「腹が減ってはなんとやら…といことで」
「秋刀魚にゃ!」
 シマエサが飛び付いたのは、司空家の糠秋刀だった。何かのツボにハマったのか、柚乃は笑いだした。
 柚乃が大大大好きなもふら様も、大食いの精霊だったはず。
 手近な岩に座るシマエサ。上が平らで、長方形型だ。座るのにちょうどいい。
 ぴこぴこ動く、猫耳。超越聴覚発動し、耳で探っているが決定的な物音は聞こえない。
 シマエサ、思い付いて話しかける。霧に隔てられた菫の返事がした。
「月のない夜に、とは、月明りもない、完全な暗闇を指しているのかもにゃ」
「一旦消して、しばらく待ってみようか?」
「試してみますにゃ!」
 シマエサは自分の松明の先っぽを地面にこすりつけ、土をかける。一本目が消えた。
 暗視を発動する。茶色の瞳は、少し暗くなった周囲をなんなく見渡した。
「アレ何にゃ?」
 小首を傾げる、シマエサ。驚いたように、天下無双羽織が大きく揺れる。
 岩壁が、少し光っている。菫にも、はっきりと見えた。
「ちょっと、灯り消すよ」
「月の光も弱い暗闇こそが鍵なのかも?」
 菫とリスティアも松明を消す。更に光が増した気配だ。
 閉ざされた岩壁の一部が、不思議な光を放つ。丸く丸く、白い白い光を。
「瘴索結界を用いてアヤカシの警戒をします」
 提灯の灯りを吹き消しながら、早紀は黒い瞳に、精霊力を集中させる。術視「参」で見た。
 三日月の刺繍が施された、月のヴェールが何度も揺れる。不思議そうな早紀を代弁するように。
「…何かの仕掛けでしょうか?」
 かけられているのは、古い術なのだろうか。まったく見破れない。瘴索結界には、瘴気の反応がある。
「…霧が…」
 雪音の声。羅喉丸と星晶は、反射的に振り返る。
 霧が二つの塊に分かれていた。岸壁の白い光は二手に分かれ、霧を照らす。
 塊は二人の人物になった。刀を持った武人と、扇を持つ姫君に。
「これも、陰陽でしょうか」
 ほうけたように、柚乃は呟く。光が際立つ武人と、影の多い姫君。
 武人は、刀を振りあげたようだった。太刀筋の先には、早紀が居る。
「…門番…?」
 乾坤弓を左手にとる、雪音。右手に二本の矢を握り、素早く矢を番えた
 牽制の先即封を放つ。武人の刀を狙った。矢は狙い通り飛び、そのまま突き抜けた。
「…すり抜けた…?」
 雪音の目の前で、鏃は岩壁に当たり、乾いた音を立て落下する。
 仕込日傘「翠香」を広げ盾にした、シマエサ。早紀と刀の間に割り込む。
「服斬られたにゃ!」
 刀は日傘をすり抜け、侵入してきた。手を離して逃げるシマエサ、羽織の裾が斬られる。
 陰陽師の亜祈がいれば、気付いただろう。式が盾をすり抜けて相手にダメージを与える技、砕魂符に近いと。
 懐中時計を手にし、横の方へ走る柚乃。精霊武器にもなる時計を落とさないように、必死だ。
 力ある言葉を放つ。神の祝福を受けた聖なる矢が、姫君を貫き、そのまま岩壁へ到達する。
「ホーリーアローが効いてない…アヤカシじゃない?」
 戸惑う、柚乃の声。ちらりと眺めた時計の針は、瘴気が多いことを示している。
 この場所は、瘴気が多い。それは間違いないのに。
 さっきから、仲間たちは攻撃を仕掛けている。でも、武人と姫君は、傷を負った様子が無い。


●祈り
 星晶の夜叉の脚甲を履いた足は、刀を避け、武人を蹴り飛ばす。峻裏武玄江で反撃したが、足が引っ掛からない。
 武人の後ろに着地する。忍眼を使って見上げる岩壁には、丸い光が輝いていた。
「…これ、壊しても良いものでしょうか?」
 星晶は黒猫耳を伏せながら、満月を思わせる光を指差す。
「…祈りを捧げる?」
 まとった羽衣「天女」が揺れ動く。早紀の視線は、武人と姫君を順に見る。
「特定の場所で祈らないといけないとか、その姿勢に何かあるのかもしれません」
 近くに居た菫に、声をかける。考え込む返事が聞えた。
「月や太陽に見立てられるものがあれば、それに対して祈りを捧げるのに相応しい場所…祭壇の様なものがあるのかな?」
 手分けして辺りを探す。霧が晴れたのと岩壁の光のおかげで、見通しが効いた。
 菫の琴線に触れたのは、シマエサの座っていた岩。不思議な長方形の岩。
 良く見ると、東西の同じ位置にある。菫は岩の上に、清めた極辛純米酒を捧げてみた。
 シマエサは、もう一つの祭壇らしき岩にお供え物を置く。偶然、柚乃から貰った糠秋刀魚を。
 思いつくままに祈りを捧げる、開拓者達。ある者は目を閉じ、ある者は手を組み。
「二人が月を指してるよ」
 祈りを捧げていた菫の目の前で、動く武人と姫君。刀と扇は、岩壁の光を指し示していた。
「動くものが遺跡の守護者だったか」
 羅喉丸は、大地を踏みしめた。金剛覇王拳をはめた手は、強く拳を握る。
 深い呼吸、全身に練力を行き渡らせる。目指すは、練拳一致の心の境地。
 突き出した右手。羅喉丸の拳は、黄金の光を放った。心技体を練りあげし練力は、全てを破壊していく。
 羅喉丸の一撃で、丸い宝石にヒビが入った。砕け散る。まき散らされる瘴気。
 宝石のあった部分を中心に、岩壁が縦半分に割れた。左右に動き、開かれる入口。
 武人と姫君は瘴気をまとい、遺跡の中へ移動する。見る間に姿を無くし、遺跡の中で霧に戻った。
 開拓者の間に、静寂が漂う。辺りに満ちて行くのは、不気味な気配。
「…魔の森みたい。神様ってどんな神様なのかしらね…紋章でも碑文でも、持ち帰れるなら持ち帰りたいわね」
 一番早く、遺跡内部の感想を口にしたのは、リスティアだった。
 秘密にしているとはいえ、ジルベリアでは神に仕える家系だ。祀られているのがなんなのかは、興味深い。
「未踏の遺跡に入るのって、危険だけど、何かわくわくしない?」
「この遺跡の奥に何が待っているんでしょう」
 菫は物おじせず、問い掛けた。興味深そうに答える早紀、妹が知ったら羨ましがるだろう。
「この形、魚にゃ♪」
 無邪気なシマエサの声。岩壁に走る、根っこの這いずった根っこのような場所を指差す。
「もしかして、文字列でしょうか?」
 柚乃が良く見れば、古代人の落書と同じ線が描かれているようで。
「…古泰語、断片位なら分かる気がするんですよね」
 泰国出身の星晶、亜祈が地下遺跡に潜ったときに同行した一人だ。
 それでも苦戦する。夜明けまでかかり、一部だけ解読できた。

――三柱は墓所を護る塔に眠る。ここは地なる神を奉る場所――