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■オープニング本文 ●泰大学の鍛練学科 「国家武拳士」と言う者がいる。アヤカシに対抗する、泰国の兵士たち。 国家武拳士になる為には、国家武拳士試験を突破しなくてはならない。 試験突破を目指す者は、泰大学の「鍛練学科」に入学してくる。 ここは、泰拳士の技を極めるための学科。いわば、士官学校的な意味合いを持つ、兵士訓練所だった。 泰大学に入学すると、学部ごとに寮生活となる。鍛練学科の寮は「鍛練寮」と呼ばれた。 鍛練寮の一つを任された新任講師は、関 漢寿(せき かんじゅ)。半分、天儀の血が混じっているらしい。 泰拳士としては、脂の乗った三十五歳。口元に生やした、ハの字型のちょびひげが特徴の先生である。 今年の鍛練学科の入学者には、三人の開拓者が含まれていた。 地元の泰国出身の獣人、猫族双子の十三才の兄妹。 虎猫泰拳士の猫娘。伽羅(きゃら)は、将来の国家武拳士を、真剣に目指している。 白虎吟遊詩人の虎少年。勇喜(ゆうき)は、双子の妹の猫娘に懇願され、押し切られる形で。 そして、天儀から留学してきたのは、一本角の修羅少年。十四才のシノビの仁(じん)。 魔の森に閉ざされし故郷の冥越を、いつかアヤカシから取り返すための力を欲して。 ●猫族 泰国の獣人は、猫族(にゃん)と呼ばれる。夏は、猫族が騒ぎ出す季節。 八月五日から二十五日にかけて、月敬いの儀式を行うのだ。 お月さまへ、秋刀魚を三匹お供え。祈りの言葉を贈る。 祈りの言葉は、さまざま。地方によっては、歌う所もあるとか。 猫族が住む泰国の南部は、一年中温暖な気候。早くも、秋刀魚漁の時期を迎えていた。 ●海の梅干し 青い空と青い海。南国の砂浜で、水着姿の猫族の兄弟が開拓者を出迎えた。 「勇喜、あの梅干しやっつけるです。手伝って欲しいです!」 白虎しっぽを膨らませ、虎少年は開拓者に訴える。指差す先には、沖合の赤い物体が三つ。 「正確には、大蛸入道なんですけどね。たしかに天儀の梅干しに似ているとは、思いますが…」 虎猫の長兄、喜多(きた)は説明を重ねる。二年ほど前、双子は梅干し嫌いだったらしい。 当時、双子は大蛸入道を初めて見た。父の背中に隠れながら、泣き叫んだ過去があると。 「おやおや、勇喜君は梅干しとタコが嫌いなのですか?」 「がるる…ちょっとなら、梅干し食べられるです」 同席するちょびひげ先生の質問に、口を結ぶ虎少年。梅干し嫌いは克服したが、大好きでは無い。 「勇喜、食べられるタコは大好きです。でも、アヤカシのタコは大嫌いです」 猫族らしい答えに、ちょびひげ先生は苦笑い。 「すみませんが、雑談はそこまでにして下さい。本題に入っていいでしょうか?」 虎猫の長兄は、場を仕切ろうとする。神楽の都の開拓者ギルドで、ギルド員を務めているからだろう。 「単刀直入に言います。あの大蛸入道達を退治して下さい。沖合に居るせいで、漁に出られないんです。 僕の実家の料亭も、秋刀魚が獲れないせいで商売あがったりでして」 「勇喜、昨日、父上と兄上と藤(ふじ)しゃんと一緒に、初秋刀魚漁に行ったです。漁師の皆様の船、乗せて貰ったです」 「あ、藤は僕の猫又です。初物狙いで沖合に出たら、いきなり大蛸入道に襲われて、漁船が五艘潰されました」 「勇喜、父上や藤しゃんと一緒に戦ったです! 兄上、海に落ちた皆様助けて貰ったです!」 「弟は吟遊詩人ですし、父も泰拳士ですから。その場は、なんとか逃げられました」 「がるる…父上、無茶したです。勇喜かばって、骨メキメキです」 「…現在、父は意識不明の重体になっています」 猫族兄弟の声が暗くなる。料亭の若旦那は、生死の境をさまよっていた。 「いやいや、先生は間が悪かったですね。昨日来ていれば、力添えが出来たのですが」 ちょびひげ先生も肩を落とす。秋刀魚料理をご馳走すると、虎少年に招待されたのは今日だった。 「勇喜、どうしても秋刀魚獲りたいです。ちょっと早いけど、お月さまにお供えしてお願いするです。 父上助けて、姉上と伽羅しゃん助けて、仁しゃん達も助けて欲しいです。いっぱい、いっぱい、お願いするです!」 「あ…、冥越の合戦はご存知ですよね? 僕の妹二人と、僕の先輩の一家も参加しているんですよ」 上の妹、司空 亜祈(しくう あき:iz0234)は浪志組として。下の妹、伽羅は開拓者の一人として。 虎少年の鍛練学科の同級生、仁は故郷の冥府を取り戻すために、ギルド員の養父と共に乗り込んだ。 「勇喜、吟遊詩人です。陰陽師の姉上や、泰拳士の伽羅しゃんみたいに、戦場行くの向いてないです。 だから、泰国で待ってるです。皆様の帰る所を守るのも泰国の兵士の仕事って、先生に習ったです」 内気な虎少年、言っている内に涙ぐんだ。さっきまでの威勢はどこへやら。 「はいはい、勇喜君、泣くのはそこまでですよ。笑って仁君と伽羅君を待つと、先生と約束しましたよね?」 「がるる…はいです、約束したです」 ちょびひげ先生の言葉に、涙をぬぐう虎少年。しゃっくりあげながらも、懸命に頷く。 「…先生。弟は学校でも、まだ泣き虫なのですか?」 長兄は、大人しい弟の性格を熟知している。厳しい口調で問うた。 無言のまま、弟を睨む、熱血漢の長兄。びくびくしながら、長兄の顔色を伺う弟。 「まあまあ、そう怖い顔をしないでください。吟遊詩人だからでしょうね、少々感受性が強いとは思いますよ」 やんわりと長兄をなだめる、ちょびひげ先生。長い目で、虎少年を見守るつもりらしい。 「そうそう、先生、保護者の方へ大切な用事があって、今日はここへ来たのです」 「保護者? でも、父は重体で…」 「いえいえ、お兄さんでも構いませんよ。勇喜君の鍛練学科の成績についての相談でしたから」 虎少年、筆記試験は優秀なのだが、実技試験に全て落第していた。このままでは、留年決定の瀬戸際。 「はいはい、先生、決めましたよ。今回は、あの大タコ退治を、勇喜君の実技の追試とします。 勇喜君は春の温泉合宿で、猫又君と水辺の戦いを学んだはずですからね」 「がう? 藤しゃんと追試です!?」 虎少年のしっぽが膨らむ。見開いた青い瞳には、南国の空と海の青が映っていた。 |
■参加者一覧
天河 ふしぎ(ia1037)
17歳・男・シ
礼野 真夢紀(ia1144)
10歳・女・巫
海神 雪音(ib1498)
23歳・女・弓
リィムナ・ピサレット(ib5201)
10歳・女・魔
ルゥミ・ケイユカイネン(ib5905)
10歳・女・砲
アムルタート(ib6632)
16歳・女・ジ
神座亜紀(ib6736)
12歳・女・魔
戸隠 菫(ib9794)
19歳・女・武 |
■リプレイ本文 ●泣き虫子虎 しょんぼりする白虎しっぽ。追試と聞いてから、勇喜の表情はこわばっていた。 背中までの黒髪を揺らし、天河 ふしぎ(ia1037)が肩をたたく。 「僕も星海竜騎兵に乗って退治を手伝うから、大船に乗った気で居てね…あの温泉での訓練生かして、がんばろ」 戸隠 菫(ib9794)は、しゃがみこみ勇喜と視線を合わせる。相棒の羽妖精、乗鞍 葵が二人を見守っていた。 「そうなの、お父さんが重体……心配だよね、うん。 で、勇喜くんは、追試? 落第すると留年?」 あまり言葉を発さない勇喜。伏せた虎耳が、感情を物語る。 「ん…ここは、お父さんに胸を張れるよう、追試に合格しなきゃね。 勿論、亜祈さんにも胸を張れるように。あたしも一肌脱いであげる。一緒に頑張ろうね」 菫の声に、勇喜のこわばりが解けてきた。続くふしぎの言葉に、虎しっぽがぴこぴこ動き出す。 「あのタコは食べれなくても、後で美味しい魚も食べれるよ。 勇喜が落第しないよう力になってあげたいし、何より漁師さんたちの為にも放っては置けないんだからなっ!」 「ありがとうです、がんばるです」 小さいながらも、はっきりした言葉。勇喜の青い瞳にやどる輝きに、ふしぎは大きく頷く。 「おやおや、勇喜君は友人が多いようですね」 「戸隠 菫だよ、よろしくね」 感心する先生の言葉に、菫は振り返る。ジルベリア出身の両親譲りだろう金の髪をなびかせ、挨拶した。 「追試かー! 勇喜も大変だね」 鍛練学科の同級生、アムルタート(ib6632)は、虎耳を伏せたままの勇喜に声をかける。 「…あれ? そういえば、わたし、試験ってうけたっけ?」 首を傾げて、考え込むアルムタート。学校生活を思い出す。 「お勉強とかしてないけど、あれ? …まあいっかー♪」 基本物事をよく考えない、お気楽ジプシー。バラージドレス「アハマル」を広げながら、くるくる踊りだす。 「はいはい、アムルタート君は、踊りを見せてくれましたよね。だから合格ですよ」 「あれ、試験だったんだ! 勇喜、突然指名されて、歌えなかったもんね」 先日の授業。アルムタートは吟遊詩人の雪那の妹と一緒に、踊りを披露した。 「あたいは?」 雪色の白銀の髪をゆらし、ルゥミ・ケイユカイネン(ib5905)が尋ねる。 「はいはい、借り物競走の方で合格ですね」 「勇喜ちゃんが、最後まで何も借りてこれなかったやつ?」 「そうです、そうです」 職業の違う者が集まる、鍛練学科。新任の先生は、試験と思わない試験を実施していたらしい。 「藤ちゃ〜ん! 久しぶり! 会いたかったよ♪」 「うちもや♪」 神座亜紀(ib6736)は、砂を物ともせず駆け寄った。子猫又を抱き上げ、頬ずりする。 「妹がいつもお世話になっております」 「いえいえ、こちらこそ。なかなか、やる気のある妹さんですね」 後ろの方で、亜紀の相棒のからくり、雪那は先生と挨拶を交わす。雪那の末の妹が、鍛練学科に入学していた。 「秋刀魚漁は大事です」 礼野 真夢紀(ia1144)は、うんうんと頷く。隣の空龍、鈴麗も同じ動作を。 「大蛸入道は前に何回も倒した事があるんだ♪」 勇喜に胸を張る、リィムナ・ピサレット(ib5201)。二つ名はタコ大爆発! 「あたいとリィムナちゃんはね、前に一緒に大蛸入道をやっつけた事があるんだ!」 ルゥミも同じく、胸を張る。二つ名は、タコ撃退娘! 真夢紀は小首をかしげて、素朴な疑問を。過去の勇喜の大タコ退治を知っている。 「二年前と戦法一緒かな?」 「がう。今回、勇喜歌うです、藤しゃん引っかくです」 「まゆは、鈴麗に乗って精霊砲ガンガン打ちまくりですね」 二人の答えは、単純明快。真夢紀は、くすりと笑う。 「大蛸入道はしぶといよ。力も強いから、触手に注意! それから墨弾や、飛行もできるんだから!」 危惧したリィムナ先生は、タコ講義開始。生徒は勇喜と藤だ。 「高火力で一匹ずつ確実に、速攻で倒すのに限る! 勇喜君、皆の攻撃支援をお願いね。藤ちゃんもね♪」 「…特に目と目の間は蛸の急所なので、そこを狙って攻撃を仕掛けるのも有効かもしれません」 「うちが噛みついたるわ」 リィムナは、呪本「外道祈祷書」を閉じた。海神 雪音(ib1498)は、補足する。藤の元気な返事が返ってきた。 「勇喜ちゃん! 藤ちゃん! 戦う時は触手に絡め取られない様に、立ち位置に注意してね!」 ルゥミは二人に発破をかける、天下無双羽織の裾を揺らしながら。 「勇喜、敵がこちらに向かって飛び掛って来る事も、警戒してください…」 淡々とした口調で告げる、雪音。喜怒哀楽といった感情は、僅かにしか顔と言葉に出ない。 「…行きましょう」 雪音の声に、勇喜は口元を引き締める。タコ専門家たちは、滑空艇へ移動を。 紅の改弐式、マッキSIがリィムナの愛機。機首に描かれた猫の顔は、タコの丸焼きを狙っているのかもしれない。 「…見ててね、じいちゃん」 真っ白な滑空艇改、白い風切の羽根飾に手を伸ばしたのはルゥミだ。青い瞳が懐かしさを帯びる。 「じいちゃんがくれたもの全部で、困ってる人助けるんだから!」 愛機の名前は、白き死神。ルゥミを育ててくれた、亡き老砲術士の現役時代の綽名だった。 ●海の戦い 船に乗らず、砂浜を駆けだすアルムタート。軽やかに、上級鷲獅鳥の背中へ。 「ダイジョーブ、空飛ぶから!」 獣戦衣「激闘」をはためかせながら、イウサールはゆっくり飛び上がる。 空龍の疾風に乗り、雪音も空へ。鏡弦で、大タコを探し始める。 海上を低空飛行で捜索中。疾風の駿風翼が、海中からの奇襲に備えていた。 海辺で喜多の漕ぐ船に乗り込む、菫と相棒。喜多の足元で、飼い子猫又が見上げていた。 「の…く…?」 子猫又の藤は、乗鞍 葵の名前が上手く発音できない。短く『葵』と呼ばれる事に。 「葵はん、どこ行くん?」 「あたしは空を飛ぶからね」 三毛猫しっぽを揺らす藤に見送られ、葵は大空へ。風の妖精は、碧の髪をたなびかせる。 「勇喜君を留年させたりなんかしないよ。しっかりお手伝いするから、一緒に頑張ろうね!」 先生の漕ぐ船の中でしょんぼりする勇喜を、隣の亜紀は励ます。 「お嬢、近いですよ」 同乗する雪那が、注意を促す。藤も、船のヘリに飛び乗り、戦闘態勢。 亜紀は錫杖「ゴールデングローリー」を握った。力ある言葉を放つ。 周囲にいる者の体が、聖なる光に包まれた。防御力を上げる、光。 「勇喜君のスプラッタノイズは、もしも大蛸が撤退を始めた時に動きを止める為に使ってもらおうかな? 場所が海の上だけに、下手に使って暴れられて波をおこされると危ないし」 「分かったです」 白虎しっぽを揺らす勇喜。確認した亜紀は、再び、力ある言葉を唱える。アムルリープを放つために。 天翔ける、滑空艇。改弐式の星海竜騎兵はふしぎの愛機。 風読のゴーグルの中で、瞳孔が大きく開かれる。緑の目は、海中に居る大タコの位置をしっかり掴んだ。 「さぁみんな、この旗を目印に」 上空で旋回し始める、星海竜騎兵。大紋旗が風を受ける姿は圧巻だった。 仲間たちが近づいて来たのを確認すると、ふしぎは高度を下げる。 星海竜騎兵は、水面ギリギリへ。水しぶきを上げるか否かの所を飛行する。 一つの赤い物体が浮上してきた。背負っていた魔槍砲「赤刃」を降ろし、深紅の宝珠に練力が込める。 星海竜騎兵と大タコの足が接触しそうになった。タイミングを計り、魔槍砲の一撃をくらわす。 「行くよ!」 飛び出したのは、マッキSI。機体にくくりつけた竜門の御守りが、激しく揺れる。 宝珠の出力を一気に上げた。弐式加速の速度は、筆舌に尽くしがたい。 船と交戦中の大タコ背後を取った。斜め後方から急接近する。 まとう神衣「黄泉」が、大きくはためく。リィムナは何かを呟いた。 一瞬、タコの動きが止まる。タコ足の数本が、海水から飛び出した。 「中級アヤカシ如きが耐えられる訳がない♪」 青い瞳が細められた。冷たいリィムナの声と共に。 「…呪いなら何処に当ろうと、蛸そのものを死に至らしめる!」 見えない、ナニカ。呪いを与える存在。黄泉より這い出る者。一息で 「リィムナちゃん、後ろ!」 ルゥミの警告。離れた所から、墨弾が飛んできた。他の大タコからの援護射撃。急反転し上昇する、リィムナ。 大タコは、空に飛び上がる。真上から接近する、ルゥミの愛機。 「集中攻撃で速攻で倒すよ!」 タコ頭に向け、練力を込めた弾丸を放った。瘴気に還りながら、落下していく大タコ。 ルゥミに向かってタコ足を伸ばす、白き死神の機首を握った。バランスを崩したルゥミは、投げ出されそうになる。 偶然、砲身が機首に当たった。ルゥミの指が、偶然、引き金を引く。偶然、タコ足にあたり、消滅させた。 最後の砲撃の瞬間、銃口から衝撃波が生ずる。反動で、後ろに機体が大きく傾いた。ルゥミは転がり、元の位置へ。 真っ白な滑空艇改は、水平飛行を取り戻す。白き死神は、消えゆく大タコを見下ろしていた。 「あそこに居るよ!」 アメトリンの望遠鏡を覗いていたアルムタート。一点を指差した。 「目って狙われるの皆嫌うもんね! 嫌うことしちゃうもんね! へへーん♪」 大タコの顔面にむかって、急降下するイウサール。アルムタートの震う鞭は、突風のように左目を打つ。 大タコの後頭部に回った葵。タコの足に気をつけながら、間合いを測る。 相棒弓「白樺」を引き絞った。白樺で出来た弦は、しなりが良い。勢いよく矢が放たれる。 丸い頭のど真ん中に突き刺さった。何度もやられると、さすがに大タコも葵に気付く。 「大蛸の足が届かない間合いから射るのは基本だよ、ね」 伸ばされたタコ足から、距離を取る葵。碧い瞳は、からかうようにタコ足を見下ろした。 飛んでくるタコ足に、疾風はクロウで応戦。オクノスの手綱を握る雪音は、海上に向けて声を落とす。 「…藤、敵が頭を出すまでは回避を重視してください…」 月涙を放とうと、空で構える雪音。眼下では、藤が奮闘中。大揺れの船、開拓者達はしがみつくのに必死だ。 「雪音はん、任しといて!」 身軽な子猫又は、所狭しと船内を駆け巡る。タコ足を見ては、発火を繰り返していた。 タコ頭が見え、子猫又は大きく跳躍した。雪音に教えて貰ったタコの急所。目と目との間に噛みつくつもりで。 「…藤、無茶はいけません!」 眼鏡をかけていた雪音の眉が、少し上がった。先即封を放つが、僅かに間に合わない。 苦し紛れの墨弾が、藤に直撃する。真っ黒になった三毛猫は、そのまま海へ落下した。 タコの近づいた影響で、揺れ続ける船。喜多と先生は船を保つだけで、手一杯だ。 櫓を漕ぐ喜多を背中に護りつつ、船底に片膝をつく菫。思ったより、船が揺れる。 大タコとの距離が近づいて来た。船を沈めんと、足を伸ばしているようだ。 左手で、船のヘリをしっかりつかんだ。右手の天輪棍を頭上に掲げる。 菫が目を閉じた刹那、背後に炎の幻影が生じた。精霊力の塊は、海上のタコ足を一本、丸焼きに。 「どんどん行くよ」 目を閉じたまま、何度も護法鬼童を発動させた。 「藤しゃん!?」 「藤ちゃん!」 菫を中断させたのは、隣の船の勇喜と亜紀の悲鳴。目を開け、周囲を確認する。 亜紀が杖を投げ捨て、迷いもなく、海に飛び込んだ直後だった。 ●危険 泡を吐きながら、もがき沈んでいく小さな影。それを追う、少女の姿。 水を含み、重くなる服。海中で広がる黒い髪。それでも、亜紀は藤を捕まえる。 なんとか水面に顔を出したが、船が遠い。亜紀は片手を伸ばすが、届かない。 大タコが暴れ、大荒れの海面。二人は何度も波に飲まれ、海に沈みかけた。 刹那、水上で、大きな水しぶきが。小柄な空龍が、足から着水する。 波に飲まれまいと羽ばたきながら、後ろ足を伸ばした。沈む二人を捕まえようと。 「鈴麗、がんばって!」 波が龍を飲み込む、真夢紀の叫び。鈴麗の首元で、赤色の宝珠「水蛇」が強く光る。 勇喜君を護って戦っていた雪那。船をつかむ大タコの足を機闘術で退けた。 「某がお嬢を助けに行きます。こちらは、頼みました」 雪那は、勇喜に鳥の羽の御守りを放り投げた。男の約束として。そのまま、海の中に飛び込む。 「がるる…」 お守りを視線で追う、勇喜。試験を振り返って分かった、自分の弱点。 突発的状況に対処できないのだ。思考が、行動が、停止してしまう。 「勇喜! いい加減にしないと、兄上怒るよ!」 隣の船から、喜多の怒鳴り声。なぜか、大タコを一気に葬ろうとしたリィムナが、反応した。 びくりと肩を震わせ、愛機を急上昇させる。大タコを眼下に収める位置へ逃げた。 …喜多の声は、歳の離れた姉を彷彿させたらしい。事あるごとにお尻を叩く姉を。 次女のリィムナが悪いわけではない。おねしょの隠蔽工作を見破る、長女が悪いのだ。きっと。 「勇喜ちゃん、先にタコをやっつけるよ」 空から降るルゥミの声は、落ち着いていた。大タコの一体に、狙いを。 マスケット「魔弾」の基部に手のひらをかざした。一瞬で弾丸を装填する。 「勇喜、音楽続けるの! 近いの皆が倒し終わるまで、私は搖動と囮するよー」 遠くのタコに向かう、アムルタートの強い声。 「大丈夫だよ! あたいたちと毎日練習したんだから! それ、おっかけてこーい!」 放たれるルゥミの威嚇の弾丸。勇喜は泣きじゃくりながらも、剣の舞を奏で始める。 「誘惑の唇で魅了しちゃえ」 悪戯っぽく笑う、葵。鈴麗を狙う大タコの目の前に移動する。 右手を唇にあてる。片目を閉じながら、投げキッスで魅了した。 「一気に行くよ!」 タコダンスを踊りながら、大タコの頭が船の方へ少し近づいた。再び起こる大浪に負けず、菫は声を張り上げる。 背後に炎の幻影が生まれた、大タコが正気に戻る前に、なんども護法鬼童をお見舞いする。 「…疾風、龍旋嵐刃を…一気に仕留めます!」 雪音は、今度こそ乾坤弓から月涙を放った。破壊の神が手にしていたと伝えられる泰国の弓で。 空龍の放つ、風と炎の嵐。荒波を受けても、突き進む矢。同時攻撃の前に、大タコは沈む。 鈴麗の鳴き声が響く。ついに亜紀を抱えた雪那が、足をつかんでくれた。 「引き揚げて、早く」 何度も覆い被さる荒波。ずぶぬれになった真夢紀は、鈴麗の背中から命じた。 今は、非常時。鈴麗は空龍らしい素早さを発揮し、二人を陸に運ぶ。 「囮は慣れてるからね! いっつも小隊で囮やってるから!!」 アルムタートはイウサールに命じる。鷲獅鳥は大きく翼を動かした。瞬速で一気に距離を詰める。 飛んでくる炭弾に、鞭をふるう。フロルエクスドで、片っ端から叩き落とした。 銛「とったど」を右に握りしめた。背後に回った隙に、頭にぶっ刺す。 「イウサール、フルスピード! きっと引きずり回せるよ♪ 私、頑張ってふんばる!」 船から遠ざけようと、羽ばたく鷲獅鳥。でも、アルムタートを乗せたままの力比べは、分が悪かった。 タコの足が、八方から襲ってくる。アルムタートはやむなく銛を手放し、イウサールは急上昇に転じた。 大タコの頭が追い掛け、海上へ飛び出してきた。飛行するつもりらしい。 風読のゴーグルの下から、ふしぎは狙いを定める。ゴーグルは、ある空賊船長との約束の証。 アヤカシなどに、空を穢されるわけにはいかなかった。 「いっけー、星海竜騎兵! 今、全てを切り裂く風になれ」 空戦・烈風。風を裂くかのような変翼の動きから名づけられた、滑空艇の技法。 ふしぎの瞳は、バラバラに動くタコ足の隙間を捕らえた。速度をあげ、突撃を仕掛ける。 まず進路上にある、三本の足。片手に握った剣は、雷の如く動き、タコ足を斬り払った。 更に反転する機体。風宝珠からの輝きが、機体を包みこむ。 「星海竜騎兵、空戦・流星発動だ…今、蒼き流星になる!」 落下しかかったタコ頭。輝きを増した滑空艇は、そのまま突撃を。 タコは耐えていた。が、突如はじけ飛び、瘴気に。ふしぎが勝利した瞬間だった。 ●子虎の祈り 葵が水を汲んで来てくれた。受け取った菫は、布を濡らし、亜紀の額に当てる。 覚戒を使ってから、藤の荒い呼吸も、少し静まったように思う。砂浜で気を失ったままの二人。 「がるる…兄上、兄上、薬膳教えてです! 皆様治る薬膳、教えてです!」 勇喜は泣きながら、兄の虎猫しっぽを引っ張った。喜多は弟の頭を撫で、材料を言いつける。 「…皆、早く回復すると良いね」 菫は駆け寄ると、勇喜の手に握らせた。何物にも負けない力が宿るといわれる、不動明王のお守りを。 「漁でて、一杯魚が取れるといいね。…さぁ、碇をあげろ、僕達の船出だっ!」 「がう!」 ふしぎは船の底板を打ちつけながら、勇喜に声をかけた。ヤル気の虎しっぽが見える。 「あ、船の修理とかだったら手伝えるかも? 頑張るよー♪」 「あたいは彫金学部掛け持ちだから、手先は器用だよ♪」 板を手にしたアルムタートとルゥミが、漁船に駈け寄る。色々終わったら秋刀魚が待っている! 料亭から、声が聞えていた。特製の薬膳粥を作ったらしい。亜紀と藤は意識を取り戻し、食べているようだ。 意識の戻らない父を前に、たれさがったままの白虎しっぽ。真夢紀は安心させるように声をかける。 「勇喜君のお父さんの治療は、まゆに任せて下さい」 「がう。お願いするです。勇喜、また父上とかき氷食べたいです」 料理得意な真夢紀。二年前、勇喜達の梅干し嫌いを克服するために、紫蘇のかき氷を作ってくれた。 「天火明命…でいいかしら」 水姫の髪飾りが光った気がした。軽やかに降りてくるナニカ、姿の見えぬ精霊。 精霊力が、真夢紀の身体を満たす。力ある言葉を唱えると、若旦那の傷はゆっくりと消えて行った。 亜紀は遅れて若旦那の所へ。盃に汲んだ、ふしぎな薬を飲ませた。耳元で囁く。 (これね、先の天帝様が調合した物なんだよ) 驚いた表情の若旦那。盃見やり、目を閉じる。ついで、安らかな寝息が聞こえてきた。 先の天帝が調合した解熱剤は、湯に煎じて呑む事により、心持ち体温を下げる効果もあるのだ。 月明かりの海で輝く、秋刀魚漁のかがり火。砂浜では、初秋刀魚を祝う、猫族たちの宴が。 「先生、あたし、鍛錬学部編入希望♪」 「はいはい、リィムナ君の編入を認めましょう。新学期は九月からですよ」 「やったー!」 「これから、リィムナちゃんも一緒だね!」 宴に参加していた、リィムナとルゥミ。二人は、焼き秋刀魚を手に喜ぶ。 「それから、それから、勇喜君も追試合格です。楽しい夏休みを過ごして下さいね」 「がう♪」 「おめでとー♪」 勇喜を巻きこみ、アルムタートはくるくる踊りを開始。刺身を食べていた先生は、にこやかに生徒達を見守った。 「秋刀魚、美味いで♪」 「藤ちゃん、ボクのわけてあげるよ」 「まゆのも、食べますか?」 「本当に、大好きなんだね」 元気になった藤の周りは、亜紀の秋刀魚の塩焼きと、真夢紀の刺身のおすそわけが。 菫は青い瞳をまんまるにして、藤の食べっぷりに驚く。 「脂がのってて美味しかったよ」 砂浜の宴から、ふしぎは早々に退席する。星海竜騎兵に乗り込み、月夜の空に。 新鮮な初秋刀魚のお土産は、大切な子の所へ。猫耳を持った、魚好きのあの子に早く届けたい。 「勇喜、そろそろお祈りするよ」 「がう」 秋刀魚を手に、喜多が呼んだ。虎しっぽをふりふり、返事する弟。 「…私にも、教えてください」 雪音が猫族兄弟に並び、正座をした。真似して、月に秋刀魚を三匹捧げる。勇喜の祈る声が聞えた。 ―――月様、月様、守給、幸給。 |