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■オープニング本文 優しい嘘つきが居た。 誰も嘘と気付かず、誰も真実と知らず。 ●浪志組 神楽の都における、治安維持を担う組織である。 『尽忠報国の志と大義を第一とし、天下万民の安寧のために己が武を振るうべし。 同志は互いを信頼し、私事による闘争と裏切りを厳に禁ずる』 そんな義を掲げていた。 静まり返る、深夜の浪志組の屯所。とある一室で、声を低くしたやり取りがあった。 浪志組局長の真田悠(さなだ ゆう:iz0262)を前に、九番隊隊長は白虎しっぽを膨らませる。 「武帝さんの誘拐事件の真相、真田さんは知っていたのね?」 「そうだ」 天儀の様式に従い、正座する虎娘。泰国出身の司空 亜祈(しくう あき:iz0234)は、真剣に話を聞く。 淡々と言葉を紡ぐ、局長。浪志組の長としての顔で、答えるばかり。 今年の初めのこと。天儀の朝廷の中心人物足る武帝は、とある目的のため、神楽の都に滞在していた。 浪志組の数人が、警備に当たる。その最中、武帝は病に伏せ、しばらく公務を遂行することができなかった。 だが、本当の原因は、武帝が開拓者と共に過ごしていたから。…誘拐されて。 「天儀の武帝さんって、天儀の人にとって、大切な御方なんでしょう? どうして、警備にあたる隊士だけにでも、『誘拐は狂言だ』って教えなかったの!? 彼、また割腹自殺しようとしたのよ!」 「…九番隊と隊医の世話になるのは、三度目だったな」 虎娘の率いる九番隊は、医学の勉強をしている者が多い。隊医に弟子入りし、医者を目指す隊長の影響で。 浪志組内部でも、自然と救護部隊としての役目を担いつつあった。 「真田さんは庭先の流血を、知っているの!? あの真っ赤な地面を!」 「知っている。腹の傷についても、隊医から報告は受けた」 視線を伏せぎみに、局長は告げる。声音は淡々としたまま。 「じゃあ、この話も聞いているわよね? 『武帝さまを守れなかったなんて、浪志組の恥さらしだ。生きている意味は無い、死なせてくれって』 私達が止血する間、ずっとそんなこと言ったのよ!」 おおらかな虎娘は、珍しく声を荒げる。白虎しっぽを最大限に膨らませて。 「最初の時も、二度目も、同じことを言った。亜祈が居なかった時の話だ」 やはり、淡々と局長は答える。虎娘が泰国で、国家転覆騒ぎに巻き込まれていた間の事を。 「真田さん、なんでそんなに簡単に言うの!」 「亜祈、声が高いぞ。落ち着いて話を聞いて欲しい」 吼えたてる暴れ虎に、ため息をつく局長。視線をあげると、淡々と語り始める。 ●朝廷三羽烏 藤原保家(ふじわらのやすいえ)と言う、七十一才の老人。朝廷の外大臣を勤める公卿である。 代々高位に昇ってきた家系の出身。切れ者で、朝廷内部に大きな派閥を持っている。 開拓者ギルド長の大伴や、女だてらに朝廷で渡りあう豊臣と共に、「朝廷三羽烏」と呼ばれた。 外大臣として朝廷と各国の外交、交渉を一手に引き受ける存在。朝廷を第一に考えていた。 その裏で、冷酷な策謀家でもあった。朝廷を巡る様々な駆け引きの裏には、必ずや彼の影があるとの噂が絶えない。 また、開拓者とギルドに対しても、その実力を認めつつも「胡乱で信用ならない」という態度を崩さない。 人々は影でささやく。藤原は、往年の権威を取り戻すことを目的としていると。 浪志組のとある部屋を訪れる虎娘。朝食に作った、にんじんと卵の入ったお粥を手にしていた。 障子を開けた先には、腹に包帯を巻いた隊士が横たわる。薄眼を開けた隊士の側に、虎娘は座り込んだ。 「泰国の薬膳から、貧血に効く食材を選んだわよ。天儀の味付けを真似したから、お口に会うと良いのだけれど」 白虎しっぽをピコピコ動かしながら、虎娘は告げる。湯気の上がるお粥を、隊士の枕元に置いた。 「…心して聞いてちょうだい。あなたは、浪志組の誇りなのよ。恥じゃないわ。 天儀の大事な人を悪人から護ったのよ。武帝さんを、暗殺から救ったの」 唐突な言い草に、不思議そうな視線を送る隊士。虎娘は、ほほ笑みを浮かべる。 「あの誘拐騒ぎは、どうしても必要だったんですって。真田さんは全てを知っていて、その上であなたに知らせなかったの。 あなたが真実を知れば、あなたの家族…いいえあなたの故郷の村すら、皆、消されてしまうかもしれないから。 真田さんはあなたを信頼していたから、危険で大切な役目を任せたのよ。それだけは分かってね」 虎娘は、目を軽く閉じる。驚く隊士の瞳を、直視できなかったから。 「悪人が誰だか、今は言えないけれど…私が証明してみせるわ。あなたは安心して、傷を治してちょうだい」 再び目を開けると、虎娘はとびきりの笑顔を浮かべる。隊士が何か言うが、無視して部屋から出て行った。 「司空隊長、今から巡邏ですか?」 「いいえ、個人的なお出かけよ」 九番隊の隊士が、玄関へ出て行きかけた虎娘を見つけた。少し考え、虎娘は隊士に尋ねる。 「ねぇ、彼のお腹の傷の具合はどうなの?」 「傷痕は残りそうですが、かならず自分たちが治します。あとは、気力の問題ですかね」 「…たぶん、気力の方は大丈夫よ。もう一つ、聞きたいの。私の居なかった間、九番隊はどうだったかしら?」 「隊長の留守中も、今と変わりないです」 「そう、安心したわ。じゃあ、また私が旅に行っても大丈夫ね。…九番隊をお願いしたわよ♪」 隊士の返答を聞いた、虎娘。ご機嫌麗しく、開拓者ギルドの受付係の兄の元に出かける。 「…私の身の上は、どうなるか分からないから」 小さく呟く言葉。局長との昨夜の会話を胸に秘めて。 『実は、藤原氏による武帝暗殺疑惑もあった。あのときは誘拐の形で、危険を回避したが』 『まぁ、そうだったの! だったら、大丈夫なのかしら? 巡邏の時に噂をきいたの。近々、藤原さんのお屋敷へ、武帝さんの行幸が予定されているって』 『…今回、俺たちは手が出せない。浪志組は神楽の都で働く組織だ。藤原氏は朝廷のお偉方というのも、一つの理由だが』 『じゃあ、私が裏で動くわ。私は泰国出身だもの、天儀の偉い人なんて怖くないわよ。暗殺の証拠、つかんでやるわ!』 『藤原氏は外大臣なんだ。泰国と天儀の外交問題になったら、どうする?』 『…もしも私が失敗したら、真田さんは「朝廷のやり方に反感を持つ異国の隊士が、勝手に動いたことだ」って、言い張ってちょうだい。 今、天儀に居る私の家族は、兄上夫婦だけだもの。急いで泰国に帰って貰うわ。 そうすれば、藤原さんは私の家族に手が出せないし、朝廷の下の浪志組にも、無茶できないはずよ。 もちろん、泰国の天帝さまにも、迷惑をかけないわ。私が「浪志組の隊長として、部下を護るためにやった」って主張を通せばいいもの』 |
■参加者一覧
柚乃(ia0638)
17歳・女・巫
秋桜(ia2482)
17歳・女・シ
劉 星晶(ib3478)
20歳・男・泰
アルマ・ムリフェイン(ib3629)
17歳・男・吟 |
■リプレイ本文 ●起 「藤原様が帝の暗殺、でございますか…」 服部影組組長、秋桜(ia2482)は何度も、反芻する。ついで、明朗に飛び出す言葉。 「話を聞いた時、まさか…と耳を疑いました。本当に、企てがあるのでしょうか」 憂いを秘めた、紫の瞳。柚乃(ia0638)は少しうつむいたまま、言葉を続ける。 「まだ藤原様が実行しようとした証拠はございませんし、藤原様ほどのお方が、証拠を手元に残しておく理由が見当たりませぬ」 秋桜の率直な感想だった。義を自らの命よりも重んじ、尽くす事を本懐とする者ゆえ。 「朝廷の秘密が開示となった事を良しとしない、朝廷内の誰かの策謀…とか? もしくは朝廷内を混乱に貶めんと…穏やかではないですね。事の真相を知る為にも尽力しますっ」 すっと結ばれる口元、柚乃は顔を上げる。凛々しき口調の中にも、わずかな憂いを感じさせながら。 アルマ・ムリフェイン(ib3629)の狐耳は、伏せられていた。 (真田さんに嘘をつけるとは思わないけれど…) 藤原氏による、武帝暗殺疑惑。どうしても信じられなくて、浪志組局長に噂元を確認してみた。 「嘘は、傷を生んで歪める…傷つけたくないね」 とある部屋の前に立つと、遠慮がちに障子を開けた。在室する隊医のご隠居先生に許可を貰い、隣室に入り込む。 腹に包帯を巻いた隊士の枕元に、そっと正座をした。 「邪魔してごめんね」 人の気配に、横たわる隊士が薄眼を開ける。アルマは、そっと言葉を続けた。 「でも君は責に死ぬより、生き抜いた方が人を生かすよ」 竪琴「神音奏歌」を取り出し、爪弾く。全ての心を癒すような澄み渡った音色が、医務室に響いていた。 同じころ、劉 星晶(ib3478)は虎耳の隣に腰かけていた。改めて事情を聞く。 「そうですか…あの騒ぎの裏にそんな背景が。それで、真相を確かめに潜入すると…分かりました」 頬を膨らませ語る亜祈に、相槌を打つ。黒猫の獣人は、ぴこぴこと耳を動かした。 「じゃあ、ついていきます。あ、止めても無駄ですよ。俺も止めはしません。 ただ貴女が行きたい場所へ、貴女が無事に辿り着けるよう助けるだけです」 あっさりしたもの言いに、驚く白虎。巻きこめないと、眉を寄せる。 「人伝に聞く程度の知識しか無い身では、真実は分かりかねますが。それでも手伝い位は出来るでしょう。 奈落の底へだって、ついていきますよ。よもや、この黒猫を相手に撒けるとは思いませんよね?」 黒猫耳を動かし、いつもの調子で飄々と笑った。 ●承 「藤原屋敷へは何度か足を運んだことがあるので、多少は」 柚乃は筆を握ると、半紙に見取り図を描きだす。アルマは行商に扮装し、内部視察を。 どういうわけか、運送業者の丁稚奉公に来た新人として、すんなりと屋敷に入れることになった。 「ここの廊下、鶯張りだったよ。それから、こっちが警備の配置と数、交代の時間はわからなかったけど。 通るなら、この辺りとこの辺りかな。僕の行ける範囲が狭かったから、これ以上はわからないけれどね」 アルマは指差し確認。根回しは任してと笑った、亜祈の人脈が気になる。神威人のアルマの疑問に、猫族の星晶が答えた。 「旅泰経由ですかね。泰国の商人は、ものすごい情報網を持つとは、聞いたことがあります」 星晶自身、アヤカシの襲撃で故郷を失ってからは、流れ着いた暗黒街で育った。世間には様々な世界がある。 地図を確認し、柚乃は頭に獣耳カチューシャを着けた。わざわざ猫耳を準備して。 ふわりとミラージュヴェールをかぶる。纏った者を、幻のように霞ませるといわれている薄布を。 隣では、星晶と亜祈が準備した泰国の衣装を広げている。深夜を思わす、暗い色の衣服が並んでいた。 天儀の者達は、騒ぎが大きくなったときを思い、亜祈に便乗。泰国の獣人と偽ることに。 用心に用心を重ねる。けれど、万が一と言う事もあるから。衣服を眺めながら、秋桜は不思議そうに尋ねる。 「泰拳袍ですか?」 「ええ、動きやすさを考慮すれば、これが一番だと思います」 黒猫耳を動かし、答える星晶。アサシンマスクの下から発せられる声は、穏やかさすら感じた。 大切な人を守れるのなら、奈落の底にだって飛び込んでみせる。そんな決意を持つから。 「僕はどこかでお爺ちゃんを信じてて、彼は嘘で傷つかないように……」 藤原邸の図面を起こす途中で、不意に零れるアルマの呟き。秋桜が、軽く頷いた。 「司空様が部下を思う気持ちはご最も。しかし、少し怒りで周りが見えなくなっている気がします」 「彼に調査の気配を示した以上、隊長は無事戻る必要があるから。そして浪志組の為なら、命懸けの使い時」 「私達が慎重に事を成さねば…」 「感情と行動力は美点の反面、危ういよ。隊長の言動と心臓に離れず、隊士の命がある」 アルマの言う『彼』、切腹しようとした浪志組隊士。亜祈に何かあれば、責任感の強い隊士は何を思うだろう。 覚悟だけでは切り離せない、責の一つ。 でも、情だけでは、不意に喪う(うしなう)こともある。アルマのように。 アルマは、面「白狼」のをかぶった。竪琴を手にすると、弦を緩やかに弾く。 薄闇の中に、微かな夜の子守唄が。裏口の門番が居眠りを始める。 続いて、対滅の共鳴を。人が通るたびに軋む、鶯張りの廊下を無音にする。 藤原が書状をしたためる部屋に集まる。柚乃は、トネリコの杖を構えた。小さく力ある言葉を唱える。 「接近する存在がいたら、知らせますね」 部屋の周囲に、ムスタシュイルを仕掛けた。アル=カマルの魔術師たちが、侵入者への警戒のために作り出した精霊魔法を。 「あちらの記録は、わたくしが調べて参りましょうぞ」 光源から離れる秋桜。紫の瞳に気を集中する。暗視による視界は、暗闇でも明りを必要としなくなる技法。 黒い奏生の足袋で、外の大地を踏みしめる。巻物が収められた蔵に近づいた。 そっと、懐の心眼の巻物を握ってみる。集中力を高め、鋭い洞察を促すと言われていたから。 超越聴覚で、つぶさに周囲への確認を行う。ゆっくりと移動しながら、蔵の扉を見つけた。 紫の瞳は、扉にかけられた頑丈な錠を認める。確かめるように、色白の指先を伸ばした。 指先で錠に触れる。同時に肩までの黒髪を揺らし、何者かへ語りかける。 小さな金属片が弾けるような音が、暗闇に響いた。破錠術で解錠された合図。 秋桜は、漆黒の闇の中に入り込む。それは、何年も保管されている外交記録。 言いかえれば、藤原の行動のすべて。新しい記録から、探っていく。 そのうち、私的な記録にぶちあたった。今年に入ってからの記録だ。 (この使者は?) 瀕会に訪れる、不思議な使者の事が残されていた。でも身元不明。 『賓客』と記した、藤原の直筆が引っ掛かる。秋桜の中で、謎は膨らむばかり。 ●転 微かに響く、音色。アルマの時の蜃気楼で、ある夜の幻影が写しだされた。 藤原は、ある書状を書いている。柚乃が目を凝らし内容を読む、少しだけ眉毛を動かした。 書きあがった書状は、丁寧にたたまれる。藤原は、少しためらうような表情を見せた。 秋桜は違和感を覚える。何にと聞かれれば、うまく答えられないが。とにかく、藤原に違和感を覚えた。 星晶の目の前で、仕切り小箱に書状が仕舞われる。念入りに鍵まで閉めた。鍵は藤原の懐へ。 小箱は無造作に、文箱の片隅へ。同じような仕切り小箱が並んでいる。 そこまで写して、幻影は立ち消えた。アルマは、ぽそっと感想を漏らす。 「厳重管理と言うより、わざと置いたような気もするよね?」 「まるで取って下さいと言う感じです」 こくんと頷く、柚乃。聞いていた星晶は、少しだけ違う意見。 「文箱は常に開けるはずです。日常的に目にするため、逆に目立たない部分と申しましょうか」 「木を隠すには、森の中。書状を隠すには、文箱の中…と言うことですかね」 秋桜も、困惑中。相手は朝廷三羽烏の一人、何のために書状を書いたのか。 「僕は文卓を探すよ、書損じや帳簿もあるかも。文箱の二重底なんかも調べる?」 相手を信じているから探す。徹底的に探す。 「この状況で証拠が上がったとしても、政敵が仕組んだ罠や、古代人が仕組んだ可能性も考慮し、先ずは疑ってかかるべきかと」 秋桜は、主張する。紫の瞳は、幻影の消えた空間を見つめ続けた。 アヤカシの中には、人に化けるものもいる。古代人が絡むとすれば、可能性は少なくない。 「何かしらの理由があっても、リスクが高すぎます」 愚直なまでに、主張できる。ふと思い起こされる、亡くした主に誓った忠義。 それから、胸の奥底で未だに護っている淡い心。藤原の屋敷が、名家に仕えた頃を思い出させたのか。 文箱を探しだした星晶、仕切り小箱を手に取る。そのうちの二つに、鍵がかかっていた。 迷わず、鍵開け道具を手にする。目を細めると、忍眼を発動した。 鍵穴の中へ、長い棒を差し込む。慎重に棒の先を回した。軽く音が聞え、鍵が外れる。 仕切り小箱から取り出した書状に、ざっと目を走らせる星晶。幻影の書いたものと、同じ物に見える。 「筆跡を比べる為に、その辺の適当な文も、一緒に拝借しておきましょう」 冷静な星晶の言葉。文卓を探していたアルマは、書き損じを束ねた紙を手にしていた。 浮かない顔で、紙の束から数枚を選ぶ。疑念を晴らすためと、自分に言い聞かせた。 「この品が既に捏造されている可能性もあるかもしれないとの事ですし」 星晶は無造作に、ジン・ストールに手をやり引き揚げた。口元を隠す黒布を、さらに覆い隠す。 青い瞳は、ずっとアルマに向けられていた。普段の強い好奇心の光は、消えうせたままで。 「浪志組に持ち帰り、機密理に相談を…」 「この上に乗せて下さい」 秋桜の促しに、柚乃は持ってきたマントを広げた。文箱をはじめ、怪しげな物証を預かる。 手早く包むと、荷物をかかえ込んだ。少し恥ずかしげに、星晶とアルマに背を向ける。 微かに光る、柚乃のお腹。物珍しげな亜祈の声が聞える。 「まるごと『プレスティディヒターノ』で隠しました」 「まぁ、持ち運びに便利ね」 所持品を体内に隠す魔法。衣服の下に隠さないとならないので、乙女の事情は察して欲しい。 退散しようとした時、鶯張りの廊下が大きな軋みを上げる。一気に膨らむ虎しっぽ 「…はぅ、司空殿は精進が足りません!」 秋桜の口調が、いつもと違う。部屋から出ようとした亜祈が、目の前で転んだ。 「先に撤収して下さい。後々騒ぎになると厄介ですから」 柚乃は冷静に、夢紡ぎの聖鈴を取り出す。紅い宝珠に練力を込めた。宝珠が煌めき、淡い光を宿す。 廊下に幻想的な光が浮かび上がった。柚乃の額で、赤い宝玉をはめ込んだ額飾りが宝珠の光を返す。 額飾りは、大切な宝物。薬草術を教えてくれた祖母からの、贈り物なのかもしれない。 星晶は、転んだままの亜祈を担ぎあげた。抗議する恋人の口元を、手で押さえる。 「正体が割れる前にさっさと帰ります。嫌だと言っても帰ります」 泰然と構えている声だが、雰囲気が殺伐としていた。大切な者の危機にはどこまでも懸命で、どこまでも物騒。 「対滅の効果が及んでいる内に、速やかに…」 星晶の声が、途中で消えた。アルマが、対滅の共鳴を発動しながら、走り出す。 鶯張り廊下の音が、走るそばから消えた。アルマを追って、星晶も駆ける。 担がれたままの亜祈の顔を見ながら、秋桜も。殿を務めながらの撤退だ。 「こちらは任せて」 光る宝珠を持ったまま、柚乃は走りだす。遠くに見えた追手の左方向へ。 足元に何かが飛んできた。苦無と気付くのに数瞬、ヴァ・ル・ラ・ヴァを発動するのは一瞬。 苦無は刺さる対象を、見失った。刺さるはずの柚乃は、もう苦無から離れた場所を走っている。 追手を翻弄しながら、仲間との距離をとる。別の脱出口を目指し、単独の逃避行。 ●結 天儀は、藤原氏失脚の話題で大騒ぎだった。武帝暗殺を企てた、動かぬ証拠が出てきたのだから。 「全て意味があります。事象も、巡り合わせも……。だから向き合ってよかったです…知る為に」 ギルドを後にする柚乃の声は、落ち着いていた。 (私の直属の上司である浪志組副長にも、経緯と顛末を報告しておきましょうぞ) 隣を歩く秋桜は、胸の中で呟く。先程の大伴とのやり取りを思い出しながら。 ―――筆跡が一致した書状の数々を前に、秋桜は肩をすくめるばかり。不思議な使者の正体だけが分からない。 「あの藤原様が神代代理もなく今更、武帝様を狙う意味がわかりません。貴族の策謀貶合いか、古代人の関与が……」 口を開きかけたアルマを、大伴が制す。不思議な使者本人が。 「あの藤原様本人から持ち出された提案?」 秋桜を始め、開拓者達は我が耳を疑った。大伴は更に言葉を重ねる。 「この書状が本物のはずですよね。本人が準備した、自筆なんですから」 伏せられる黒猫耳、星晶は書状を指差す。 「えっ…古代人が朝廷内部にも、接触しようとしたんですか?」 柚乃は、問い返す。保守派の一部に不穏な影があることを、藤原は突き止めていたと――― 真実と嘘の狭間で掴んだ光明。優しい嘘つきは、巧妙な策士。 古代人の件も含め、保守派の藤原一派の更迭は、『これからの朝廷が変わるために必要』だったのは分かる。 ただ、藤原最後の腹芸は、大伴を巻き込み、開拓者ギルドを巻き込み。神代や武帝も巻き込んだ。 次いで浪志組局長と、隊長や隊士たちを巻きこみ。亜祈経由で、再び開拓者ギルドが巻き込まれる事は、大伴の想定外だったが。 そのことを大伴が藤原に話すと、笑い飛ばされたという。なんとも朝廷三羽烏らしい顛末。 朝廷三羽烏の一人との面談を終えた、数日後。アルマは、浪志組局長から呼び出された。 手元に押し付けられたのは、脱隊書と浪志組の監察方にあることを示す鑑札。 アルマが有事に供え、除隊者として処理可能できるように準備したもの。 「これは返しておくぞ。自室に置いとくもんじゃねぇだろう」 局長の言葉に、一礼をするアルマ。部屋から出たところで、亜祈と出くわす。 話好きな娘に捕まったのが、運の尽き。切腹した隊士が隊に復帰したことを聞かされる。 「そうそう、真田さんとお話したの。あの封印、解かれる日が来るかもしれないって。いつになるか分からないけれど」 唐突に変わる話題。アルマは意味が分からず、瞬きする。 「また、会いたいわね。私は、今でも、あっちの皆さんとお友だちだと思っているのよ」 沈む亜祈の声に、アルマの狐耳が反応した。理解し、組紐「若葉桜」を握りしめる。 「…もしも朝廷の秘密が必要無くなれば…八丈島に封印される理由も必要無くなる?」 アルマからこぼれ落ちた台詞、希望のかけら。組紐の若緑色の宝珠が、やけに色鮮やかに感じられた。 |