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■オープニング本文 ●節供を待って 暦の上ではすでに秋となっている。ここ、北面国の都、仁生に館を構える嵯峨宮家でも重陽の節句の準備が進められていた。 重陽の節句とは別名「菊の節供」とも呼ばれるとおり、菊をメインとした節供である。自分や家族の長寿と一家の繁栄を祈る行事であり、菊を眺めながら詩歌などを読み、また自慢の菊を持ち寄って菊合わせをしてその美しさを競い合ったり、菊の花を浸した菊酒を酌み交わしたりして長寿を祈る。 「‥‥菊の節供の、準備は順調‥‥?」 嵯峨宮家の一の姫、霞子(かやこ)――通称霞姫は、小さく首を傾げるようにして傍に控えていた女房の常盤に尋ねた。玲瓏なるその声は小さかったが、傍に居る常葉に伝える分には十分だ。 「今のところは滞っているという話は届いてございません。いつもの菊畑からも、そろそろ収穫に入ると数日前に文が届いておりました」 「なら‥‥安心」 常葉の報告にふわりと微笑んだ霞姫は、香を練る手を再び動かす。今作っているのは菊花の香――焚けるようになるまでは暫くかかるが、秋や冬の香りとされる香だ。霞姫は手先が器用で、こうした室内芸事には長けていた。 「なにやら、門の辺りが騒がしいですわね」 ぴくり、常盤が几帳の向こうを覗き込む。その場から直接門を見ることは叶わないが、そちらの方角からなにやら人の声と馬の声が聞こえてきたのだ。 「‥‥何事もないといいのだけれど‥‥。夕、念の為様子を見てきて頂戴‥‥?」 「はい、姫様」 軒先で囲碁をして遊んでいた女童の一人が呼ばれて立ち上がり、ぺこりと頭を下げて廊下を小走りにかけてゆく。 何事かあれば使いの者が知らせに来るだろうが、何となくそれを待つのももどかしい感じがしたのだ。 言うなれば嫌な予感、虫の知らせ。 それでもこの時までは皆、無事に菊の宴が開けると思っていた。 ●紅に染まった菊 「姫様、大変です!」 ぱたぱたと夕が廊下を駆けてくる足音がする。普段ならば常盤や他の女房が静かに歩くようにと注意をするのだが、今日ばかりは誰も注意をしない。先ほど使いに出した事が解っているからだ。 「‥‥何が、あったの‥‥?」 さっと表情を曇らせて手を止めた姫と同様に、常盤も夕が口を開くのを待った。 「さっきの馬は、大殿様にご報告に来た方の馬で、その方の話によると、菊畑にアヤカシが出て、菊畑を管理していた一家が被害にあったと‥‥」 「‥‥!?」 「姫様!?」 衝撃的な出来事に、姫の身体がぐらり傾いた。慌てて常盤がその華奢な身体を抱きとめる。 嵯峨宮家は主に毎年の菊の節供の為に、菊畑を持っている。その管理を任せている一家がとある村にいた。確か老婆とその息子夫婦、そしてその子供たちがいたはずだ。彼らは他に畑を持っているが、それと同時に菊畑の管理をしている。彼ら全てがアヤカシの犠牲になったというのか――? 「全員‥‥が?」 震える声で問う姫に、夕は悲しげな表情でこくんと頷いた。軒下から覗いている女童の蘭も、不安そうな目をしている。 「黄色と白、薄紫の菊畑が‥‥血で紅色に染まっていたそうです‥‥」 夕が搾り出すように聞いてきた事実を告げる。その話を聞いていた皆が唇を噛み締めた。菊が駄目になったことではなく、無辜の人々が無残にも殺されたことへの怒りに。 他の村人達が、菊畑へ出かけた一家が戻ってこないのをおかしいと思い、畑へ赴いたところその惨状を目にしたのだという。 「このままでは‥‥そのアヤカシは、人を求めて村を襲うかもしれません‥‥。早急に、退治を依頼して‥‥」 自らの力で身体を支え、それナも蒼白な顔で姫は立ち上がった。 菊の花と共に尊き人の命が散った――それが、悲しかった。 |
■参加者一覧
万木・朱璃(ia0029)
23歳・女・巫
青嵐(ia0508)
20歳・男・陰
志藤 久遠(ia0597)
26歳・女・志
篠田 紅雪(ia0704)
21歳・女・サ
深山 千草(ia0889)
28歳・女・志
皇 りょう(ia1673)
24歳・女・志
不動・梓(ia2367)
16歳・男・志
佐竹 利実(ia4177)
23歳・男・志 |
■リプレイ本文 ● 「悲しみは切なく、寂しさにも近い。零れ落ちた過去にかけられる言葉はなくて」 ――嘆くかのような息が漏れる。 荒らされた菊畑、紅色に染まった菊を見て、不動・梓(ia2367)が切なげに呟いた。そして具体的な被害場所の調査へと歩き出す。いつ敵が襲って来るかは解らないが、出来るだけ無事な菊を傷つけたくないという気持ちがある以上、畑の情報を把握する事は欠かせなかった。 「犠牲が出てからしか駆け付けられぬ‥‥未来は見通せぬとは言え、口惜しいものだ」 アヤカシがまだいるために遺体の回収も出来ないのだろう、野ざらしにされた紅色に染まる遺体を見て、皇りょう(ia1673)がぎりっと奥歯を噛み締めた。彼女と同じ想いの者は、他にも多いだろう。 「ご自分の命、ご家族の命、そうして、美の盛りの菊‥‥。ご一家のご無念を、少しでも、晴らせますよう」 遺体の傍に跪き、深山千草(ia0889)は小さく祈る。犠牲者の遺体を踏んでの戦闘はさすがに抵抗がある。やはり畑から少し離れたところで戦うべきか。 「大事な節供と、何よりも懇意にしていた人々の命をアヤカシによって‥‥心中お察しします、などと軽々しく口にするのも憚られますね」 志藤久遠(ia0597)は北面で開拓者達の帰りを待つ霞姫の事を思った。ならは、アヤカシを倒し、働きをもって応えるのみ、と。 「‥‥長寿を願う菊を血が汚してしまうなど皮肉すぎます。早く止めましょう‥‥全て駄目になってしまう前に」 そう、万木・朱璃(ia0029)の言う通りまだ全てが駄目になったわけではない。失われた命は還らねども、彼らの残した菊は全滅していない。 『右手の一角が、まだ無事のようですね。あちらには入らないようにしましょう』 くるりと見回して畑の被害状況を確認した青嵐(ia0508)は、左右の腕と左足に符を仕込みながら腹話術で状況を知らせる。こちらの陣地におびき寄せるのが大変かもしれないが相手は知能の低いアヤカシ。食料である人が動かないとなれば、業を煮やしてあちらから近寄って来る可能性も高い。 「顔を集中的に鋭くついばまれた跡のある遺体と、足を噛み千切られた遺体とありますね。集中攻撃は鳥の、噛み千切ったのは猫でしょうか」 遺体をしっかり確認する事で敵が狙ってくる手順を把握しようとした佐竹利実(ia4177)は一人、冷静に遺体と向き合っていた。 「‥‥」 戦場となる菊畑周辺をぐるりと見回す篠田紅雪(ia0704)は無言だ。何も感じていないというわけではないが、多くを語らぬのが彼女の性格。 チチチ‥‥チチチ‥‥ さわさわと風に草が揺れる音に混じって、鳥の鳴き声がした。一同は警戒して陣を組む。右手の一角に踏み入らぬように、そしてまだ残っている喰い散らかされた遺体を踏んでしまわぬように、最適と思われたのはすでに荒らされてしまった畑の中でも遺体のない区画。背の高い菊が踏み倒されている事もあり、猫からの不意打ちも避けやすいと思われた。 「‥‥雀がいるのは明らかですが、猫らしき気配は、まだ無事な菊畑の方にあるようです」 心眼を使った利実の報告に頷き、一同は雀対応と猫対応に分かれる。その間も瘴気を纏った明らかに普通とは違う雀が、我先にと争うようにして群れながら飛んでいる。 「今、結界を」 朱璃がまず、咆哮を使用する予定の紅雪加護結界を施す。紅雪は朱璃に目礼を送り、そして雀達を見据えた。 「来い‥‥命貪り、地を穢すモノども‥‥!」 紅雪の咆哮が血に染まった菊畑に響く。その声にひきつけられるようにして、六羽ほどの雀が狙いを紅雪に定めた。猛スピードで飛んで来る。 「篠田殿!」 最初の雀が紅雪をつついた。彼女自身は防御に徹し、その後も襲い来る嘴攻撃に耐えている。久遠が名を呼び、紅雪をつついては飛び上がる雀を槍で突く。 「捕まえました」 二羽の雀を投網にかけた利実はそのまま網の中の雀に刀を振り下ろして。 「残りも紅雪ちゃんを狙って来るみたいね!」 千草は炎魂縛武の炎を纏った弓矢で後発の雀を射抜く。咆哮にかかった雀とは数拍遅れてだが、残りの雀も紅雪を狙って飛んで来ていた。一羽一羽の攻撃力が低いが、その分集団で群れてつつくという習性なのだ。すでに紅雪は利実が投網で捕獲した二羽以外の雀に群がられつつある。 「あなたたちが奪っていったものは掛替えのないものです‥‥この場から消えなさい!」 朱璃の力の歪みが、久遠が狙ったのと同じ雀を巻き込む。相手の数が多い以上、一匹ずつ確実に数を減らしていく必要があった。 「不浄を焼く矢‥‥受けよ」 梓が炎魂縛武の炎を纏った矢を放つ。後方の雀が射られてギャギャっと可愛らしくない声を上げた。 「十分近づいたわね。今助力するから!」 弓から業物に持ち替えた千草は、群がられている紅雪に傷をつけないように注意をしながら雀を斬りつける。斬りつけられたことに腹を立てたのか、その雀はそのまま千草に向かおうとした。そこをすかさず梓が借りてきた投網で捕獲する。ばたばたと編の下で悔しそうに羽ばたく雀に容赦なく短刀を突き刺して。 「これでっ!」 久遠が突き刺した槍の一撃で、雀が一羽息絶えた。それに安心することなく、彼女は次の雀に狙いを定める。 「大丈夫ですか!?」 多数の雀についばまれながらも防御を続ける紅雪に朱璃が問う。何とか雀と雀の合間から光る手を伸ばした朱璃は、紅雪の背中に触れた。彼女の傷が見る間に回復していく。 「感謝する」 「あと少しですから」 利実の投網に二羽、梓の投網に二羽、久遠が滅したのが一羽。他に弓や術の攻撃を受けていた数羽は、千草や久遠の追い討ちで次々と落ちて行く――。 「――」 猫アヤカシの襲撃に備えて神経を研ぎ澄ませていたりょうだったが、前方では雀達の羽ばたきと鳴き声が、そして仲間達が草を踏みしめる音が、彼らの発する殺気が邪魔になり、なかなか察知する事は難しい。それでも、四方を見渡し、小さな異変でもあれば見逃さず感じ取る所存である。 『陣形が少しずつ右へ移動しているようです。右の無事な菊畑へ入らないように注意してください』 後方から冷静に戦局を眺めていた青嵐が指示を飛ばす。その時、その右側の菊が不自然に揺れた事にりょうが気づいた。すかさず心眼を使用する。 「右の菊畑から反応がある! 利実殿!」 一番近くにいたのは、投網にかかった雀を斬っていた利実だ。全速力で走ってきた猫はりょうの注意の声と共に菊畑から姿を現し、利実の足首に牙を立てる。 「くっ‥‥」 「私が相手をしよう!」 すばやく駆け寄ったりょうが、利実の足首に噛み付いている猫の背中に短刀を突き刺す。猫がシギャァァァ、と泣き声を上げた事で利実の足首は解放される。猫は背中を丸めるようにして振り返り、短刀を抜き放ったりょうに飛び掛る。 『後二匹いるはずです』 青嵐は警戒を解かない。前方では仲間が雀と戦っている、猫と戦っている。その戦いに助力をする事も出来たが、彼の役目はそれではない。未だ姿を見せていない猫二匹に対する警戒だ。もし彼がここで警戒より攻撃を優先していたら、仲間内の被害は大きくなっていたかもしれない。 ――! 攻撃もせずに立っている青嵐を無防備に感じたのだろうか、両脇から猫が飛び出してきた。一匹は姿勢を低く、足を狙って。一匹は顔を狙うように飛び掛って。 『っ‥‥』 青嵐は足元を狙ってきた猫を蹴り上げ、顔を狙ってきた猫の牙は咄嗟に出した腕で受ける。そして空いている手で符を掴み、斬撃符を打ち込む。カマイタチが猫を切り裂き、ニギャァァと叫びながら猫は彼の腕を放した。 『猫と鳥‥‥にしては毛並みがよくありません、可愛げが足りません、何より漂う瘴気が愛らしくありません。よって不合格です』 「傷は平気ですか!?」 気づいた朱璃が青嵐に駆け寄り、恋慈手で回復を図る。 『大したことありません』 蹴り飛ばされた猫が再び青嵐を狙う。彼は今度は雷閃を放った。雷の直撃を受けた猫がびくんっと大きく反応する。 「もう一匹きます!」 先ほど腕に噛み付いた猫だ。朱璃の言葉に再び腕で受ける事を覚悟すると、さっと視界を遮る者があった。投網にかかった雀を倒した利実と共に一匹目の猫を倒し終わったりょうが、猫と青嵐の間に滑り込んできたのだ。飛び掛ろうとして無防備にさらされた猫の腹に、短刀を突き刺す。その横から利実が横薙ぎに猫の胴を切り裂く。それが致命傷となったのだろう、猫は落下しながら霧散して行った。 「九っ‥‥!」 突き刺した槍の穂先で消え去った雀を数えて久遠が残りの一羽に向き直る。千草が残った一羽に鋭い傷を与え、紅雪は傷を負いながらも防御体勢を解いて刀を握り締めた。 「滅せよ‥‥」 静かな呟きと共に閃いた一閃が雀の片翼を切り落とし、返した刃がその胴を切り裂いた。 雀が片付いた事を確認した梓は、残った猫へと向かう。巧みにフェイントを織り交ぜながら斬りつけられ、そして青嵐の斬撃符によって更に猫は傷を増やしていく。 「これで最後です‥‥!」 久遠が槍の長さを利用して、駆けつけざまに槍を突き刺す。 それで、終わりだった。 ● 「ご苦労様でした」 「感謝する」 話に聞いていた数のアヤカシは無事に退治し終えた。怪我をした者は朱璃の治療を順に受ける。そんな中、梓は雀の集中攻撃を受けていた紅雪にそっと薬草を差し出していた。受け取った紅雪は、小さく頷いて礼を述べて。 「このような状況で菊の節供、は、少なくとも常通りとはいかないでしょう」 踏み倒されて紅色に染まった菊畑を見やり、久遠が呟く。それはどの開拓者も思っている事だった。ただ、犠牲になった人々を弔うのに何かしらの事が出来るのではないかとも思っている。 「この後、本職の方が畑を調整しにいらっしゃるのですよね。その前に少しでも‥‥」 千草はしゃがみこみ、血に染まった菊を刈り取りつつ残った犠牲者の遺体を移動させる。 (「‥‥すまぬな。あるいは、散らさずに済んだかもしれぬものを‥‥」) 亡くなった村人と菊の花を想い、紅雪はきゅっと唇を引き結んだ。利実も静かに手を合わせて冥福を祈る。 「この菊をどうするか、問題ですね。姫様の心情を考えると辛いでしょう‥‥。とはいえ、亡くなった方々が節句のために願いを込めて育てた菊ですしね‥‥このままでは可哀想。せめてこの方々の供養にこの菊を‥‥」 朱璃がゆっくりと足を滑らせ、舞う。それは――鎮魂の舞。 「否応も無く月日は流れ、来年もこの畑は菊の花で鮮やかに彩られるのであろうな‥‥たとえ今この時は立ち止まっていたとしても、進まぬわけにはいかぬな。明日へ向かう為に」 りょうの呟きが、舞に乗って菊畑へと染み渡った。 ● 「お取次ぎを願えますか。まずは出来ればお付きの、常盤さんに」 「あ、はい。あの、えと‥‥」 嵯峨宮邸を訪れた開拓者達。それに応じたのは一人の女童だった。利実から渡された包みの意味が解らず、首を傾げる。 「それはお土産です。他の女童達と一緒に食べてください」 「! ありがとうございます!」 それを聞けば、夕という名の女童は目を輝かせて頭を下げて、小走りに奥へと進んで行った。 (「自分は、子供の頃大人に親切にされると嬉しかったから」) その姿に昔を思い出した利実である。 暫くして一同は、几帳の並んだ広間へと通された。そこでは女房装束に身を包んだ一人の女性が待っていて。「常盤と申します」と名乗って頭を下げた。 「これを、姫に」 「こちらも‥‥」 梓が差し出したのは黄色く染めた真綿を箱に収めた物。千草が差し出したのは、無事だった畑から切り取ってきた菊。霞姫の心情を考え、直接ではなくまずは常盤を通す事にしたのだ。 「このような事故があった後に、長寿を祈る節句を行うかは分からぬが‥‥ただ気落ちしていても誰も報われぬ。ジルベリア等では菊を墓前に添えると聞くし、二度と同じような事を起こさぬよう、誓いと祈りを込めた鎮魂祭にするのも一つの方法かもしれぬと思う」 今年の菊の節供をどうするか、それは今嵯峨宮家でも議論が交わされているという。そのりょうの提案を、紅雪や久遠も推す。すでに菊畑で一輪ずつ、供えて来てはあるのだが改めて、ということだ。 「この菊は嵯峨宮家の方の為に、丹精込めたお花でしょう? ‥‥だから」 千草は言葉を選ぶようにして一瞬、口ごもる。 「花は、人の心も映して咲くものだと思うの。霞姫さまには、私達には感じ取れない、ご一家のお心がお見えになるかも知れないわ」 「節句に関しては、姫様の思うようにされていいと思います。ただ‥‥悲しい事件でしたが、それでもその想いはこの菊に込められていますから。私から言えることはこれだけです」 朱璃も常盤の前に置かれた菊の束を見て。常盤もつられるようにその菊を眺めた。 『姫様と直接お話する事はできませんか?』 青嵐がふと、言葉を挟んだ。彼には直接伝えたい言葉がある。常盤は一瞬考えるようにして、そして「お待ちくださいませ」と言って立ち上がった。 待たされている間に夕と蘭、二人の女童がお茶と干菓子を一同に配った。各自それを頂きつつ、時が過ぎるのを待つ。 暫くして常盤に先導されるようにして現れたのは――美しいが何処か不安を孕んだ表情をした少女だった。開拓者達の正面に座り、置かれた菊を見つけた彼女の瞳に涙が溜まる。 『菊の花言葉の中には「元気」というのも在るそうです。彼らも貴女が悲しみにくれたままで居て欲しくないはずです』 青嵐の言葉に、霞姫ははっと顔を上げて扇越しに彼を見やる。重ねるように梓が口を開いた。 「菊の節句は長寿を祈る日‥‥悼む気持ちを止めなどしません、でも、今年の菊は無駄になっていないと叶えて欲しくもあるから。全て抱えて欲しいと願うのは、姫にとって酷でしょうか?」 『彼らはこの節句に自らの菊が用いられる事を誇っていたと私は思います。貴女が悲しむのは分からなくは在りません、でもその為に彼らの最後の仕事を無駄にして良いとは‥‥私は思わないのです』 彼らが誰よりも自らの育てた菊に誇りを持っていたことは、姫自身が一番良く知っているのではないか――青嵐はじっと姫を見つめる。姫は目を伏せて長い睫毛から涙の雫を落として、そして扇を置いた。その細い腕で大輪の菊を抱いて。 「彼らと皆さんの想い‥‥受け止めたいと、思います‥‥」 硬く目を閉じた姫を見て、青嵐が語りかける。 『‥‥今は泣いても良いと思います。でも、泣き終わったら貴女は笑顔で居てください』 その言葉に驚いたように目を見開いた姫は開拓者達を見回し、彼らが頷くのを見ると柔らかく目を細めた。 庭から差し込む夕日が、彼らと菊を照らす。 「‥‥菊がとても綺麗ですね。まるで全ての願いを包んで輝いているかのよう‥‥」 朱璃の呟きが、輝く菊の花を更に美しいものに見せていた。 |