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■オープニング本文 神楽の都近く、武天の土地にある町『安神』。 賑やかなその町で二八蕎麦の屋台『かけ丸』を営む父と娘がいた。 「はい、おまちどおさま〜。お揚げ二枚入りですね♪」 娘の名は絹絵。烏の濡れ羽色の黒髪を持つ、十五歳になったばかりの器量よしである。 母を早くに亡くしたものの、絹絵は元気に育っていた。 「もう一杯できあがるぞ」 父の真次郎が湯がいたばかりの蕎麦を丼に入れて汁を注ぐ。 繁盛していたので屋台前の椅子ではとても足りなかった。周囲には卓と椅子が置かれ、そこまで運ぶのが絹絵の役目である。 「月見をもう一杯ってお客さんがい‥‥父さん?」 絹絵の目の前で真次郎が大きく身体をぐらつかせた。手にしていた丼が地面へと落ちて蕎麦と汁が散らばる。 足下から崩れかけた真次郎を絹絵は必死に支えた。 「父さんが! 父さん、しっかり!!」 「どうした絹絵ちゃん!」 叫ぶ父を抱える絹絵の回りに客が集まった。 一番体格のよい客の大工が真次郎を背負って町医のところまで運んでくれる。 町医の見立てに絹絵は胸を撫で下ろす。どうやら真次郎は働き過ぎのようであった。 住処の長屋へと戻った親子だが、ここで言い争いになる。 「だめよ〜寝てなきゃ!!」 「んなこといってられねえんだ!」 布団から起きあがろうとする真次郎を絹絵は被さって懸命に押さえ込んだ。しかし絹絵の目を盗んでは炊事場に立とうとする始末である。 「いいか、絹絵。蕎麦ってもんは屋台で麺を茹でて、汁と合わせりゃいいわけじゃねぇんだよ。蕎麦粉を打ち、だし汁を仕上げておくのが一番てぇへんなんだ。それを怠りゃおまんまの食い上げよ」 「屋台はわたしがやるから。だから父さんは安心して寝てて。いつも手伝ってきたじゃない。蕎麦の作り方は覚えているし、屋台の切り盛りもなんとかするし」 「絹絵‥‥お前は良い子だが一つだけ欠点があらぁ。それは極度の味オンチってことだ。いくら作業を見てきたからといって、お前に蕎麦が作れるとは到底思えねぇ」 「大丈夫だもん!」 真次郎と絹絵の言い合いは続き、ようやく妥協点が見つかる。しばらくの間、開拓者に手伝ってもらう事になった。 「ここがそうなんだ‥‥」 一日をかけて神楽の都まで歩いた絹絵は夕日に染まる開拓者ギルドを見上げる。そして意を決し、中へと入ってゆくのだった。 |
■参加者一覧
万木・朱璃(ia0029)
23歳・女・巫
井伊 貴政(ia0213)
22歳・男・サ
華御院 鬨(ia0351)
22歳・男・志
紗耶香・ソーヴィニオン(ia0454)
18歳・女・泰
樹邑 鴻(ia0483)
21歳・男・泰
北条氏祗(ia0573)
27歳・男・志
江崎・美鈴(ia0838)
17歳・女・泰
紫焔 遊羽(ia1017)
21歳・女・巫 |
■リプレイ本文 ●安神 烏が鳴く夕暮れ時、絹絵と共に神楽の都を出発した開拓者達は安神の町へ辿り着いた。 「わたしと父さんが住んでいるのがここよ」 絹絵の案内で開拓者達は長屋を訪れる。 「しんじろーはこわいひとじゃないよな?」 「大丈夫だと思うけどね」 戸を開ける絹絵の後ろ姿を、江崎美鈴(ia0838)は万木朱璃(ia0029)の背中に隠れながら覗き込んだ。 「父さん、帰ったよ。狭いけどみなさん入ってね」 絹絵の勧めで中に入ると、夕日が射す薄暗い部屋で布団に横たわる真次郎の姿があった。 「あんたらが開拓者かい。わざわざ来てもらってすまねぇな。少しよろけた程度なんだが絹絵がどうしても寝てろっていうもんでよ。ここは一つ、屋台のかけ丸を頼むわ」 寝ていた真次郎が起きあがり、畳の上で膝を揃えて座ると頭を下げる。 「し、しんじろー。だ、だめだ。病人は寝てないと!」 江崎美鈴は勇気を振り絞って仲間達より一歩前に踏みだす。 「お嬢ちゃん、すまねぇな。いう通りしてすぐ寝るから少し時間をくれや。大切な話が残っているんだ。絹絵、あれをみなさんに見せてやってくれ」 「‥‥はい」 真次郎に頷いた絹絵は戸を閉めて閂をかけて、行灯に火を点ける。そしてすべての窓戸を閉めてから真次郎が寝ていた布団をずらして畳を退かし、さらに床板を外した。 真次郎と絹絵に呼ばれた開拓者達は床下を見下ろす。 「たくさんの壷‥‥。あれはもしかして『かえし』の入った壺ですかね〜?」 行灯の輝きを頼りに紗耶香・ソーヴィニオン(ia0454)が言い当てた。 「蕎麦汁用のかえしは土に埋めた壷に入れてしばらく寝かしてから使うのよぉ。他人にとってはただの蕎麦の材料だが‥‥このかえしは俺と絹絵の命だ。つまりだ。あんたらを信用したからこそ、その在処を教えたってわけだ。勝手ながら期待させてもらうぜ」 語る真次郎の頬は痩けていた。元気な話し方とは裏腹に疲れている様子がありありと窺える。 「大丈夫、私たちに任せてください!」 万木朱璃は右腕をまくって鈎型に曲げる。 「蕎麦作りは体力がいると聞いてる。拙者にとっても体力作りの一環となるだろう」 北条氏祗(ia0573)は真次郎と絹絵に向かってニヤリと笑う。 「落語の世界では蕎麦の演技は多くに用いられへん。演技の勉強になりますわ」 顎に右の手を甲をあてた華御院鬨(ia0351)は涼やかな瞳で絹絵に頷く。 「大丈夫ですよ。僕に任せて下さいね。料理は得意ですし」 「あ、ありがとう‥‥」 井伊貴政(ia0213)は絹絵の手を握りながら瞳を見つめた。その様子に真次郎がコホンと咳払い。 「買い出しは任せてくれ! いろいろと雑用もあるだろう」 樹邑鴻(ia0483)は父親の為に頑張ろうとしている絹絵に感心していた。ここは一肌脱いでやろうと気合いを入れる。 「商いと笑うを入れ換えて、『笑売繁盛』や‥‥♪」 紫焔遊羽(ia1017)は華御院鬨のすぐ隣りで持っていた扇子をピシャリと鳴らした。 「長屋の大家さんから部屋を二つ借りています。今夜はそこでお休みを」 絹絵は案内しようとするが開拓者達はすでに手伝う気に満ちていた。 早速、明日の屋台に備えての蕎麦作りが始まるのだった。 ●蕎麦打ち 汁とはかえしとダシが合わさったものである。 かえしは見せてもらったように、すでに出来上がったものを使うので急ぐ必要はなかった。後でゆっくりと補充分のかえしを作れば充分だ。 合わせるダシは香りを強く残す意味でも当日の午前中に用意すればよかった。昼の少し前から屋台を始めるので朝から始めれば間に合うからだ。 蕎麦の麺も打ち立てが特に香り高いのだが、こればかりは屋台という形式なので作り置きしておくしかない。かけ蕎麦なので影響が少ないともいえる。 (「そういう理由ならしょうがないですね。つけ蕎麦がないのは」) 万木朱璃は石臼を回しながら思いだす。先程、つけ蕎麦はどうかと真次郎に訊ねてみたが、唸られたまま終わってしまったのだ。 絹絵から聞いた話によれば、屋台でつけ蕎麦は難しいというのが真次郎の考えらしい。新たな容器を用意しなければならず、狭い屋台では致命的だ。 やるとなれば、つけ蕎麦専門になるしかないのだが、真次郎は一杯の丼の中だけで完結するかけ蕎麦が好きなようだ。 「蕎麦粉がこのぐらいなら‥‥」 「繋ぎの小麦粉は、この分量ですね」 万木朱璃が挽かれたばかりの蕎麦粉を大きな器へと移し、続いて井伊貴政が小麦粉を混ぜる。その比率は小麦粉二に蕎麦が八。二八蕎麦といわれる所以である。 微妙な配分は真次郎が指示を出す。後で入れられる水の量も同様だ。 混ぜられた粉はふるいにかけられて大きな木鉢の中に収まる。 「俺にもやらせてくれ」 力仕事になると聞いて北条氏祗が作業を代わった。最初は指先のみで木鉢の中の粉と水とを馴染ませて、徐々にまとめる作業へと移行してゆく。 「これは‥‥力がいるものだな」 「俺は剣術を知らんが、腰が肝心だと聞いたことがある。蕎麦打ちも同じだと思うぞ」 額に汗を浮かべながら北条氏祗は蕎麦を練った。真次郎によれば、コツがわかってくれば余分な力はいらないようだ。もちろん力があるに越した事はない。最後の辺りは北条氏祗の動きも様になってきた。 次は麺棒を使う作業となる。 「あたしがやりますね」 紗耶香は打ち粉を板の上にかけ、菊練りされた蕎麦をのせて麺棒で伸ばし始めた。 巻き取ったりなどいろいろとするが、その手順は真次郎のいう通りにした。些細な作業手順の中にも長年の知識と経験が含まれているものだと紗耶香は心の中で呟く。 「麺切りは僕が」 畳まれた蕎麦を前に井伊貴政が専用の包丁を手に取る。細かく均等に切られ、麺へと変貌してゆく。 打ち上がったたくさんの蕎麦麺は明日に備えて木箱に収まる。乾燥を防ぐ為にちゃんと蓋が閉められた。 「まず、かけ丸の味を知らないとね♪」 麺打ち作業に平行して、この場の人数分だけ万木朱璃によってダシが用意される。かえしと合わされて汁となった。 麺も茹でられて、かけ蕎麦の出来上がりである。 「あいにくと具はねぇが‥‥。一味唐辛子はあるぞ」 真次郎が丼に口をつけると、全員がかけ蕎麦を頂く。 (「おそば‥‥おいしい!」) 蕎麦を食べた江崎美鈴は驚いた時の猫のように瞳を大きく見開いた。 「どうでした? うちのお蕎麦」 絹絵に声をかけられた江崎美鈴は美味しいと伝えたかった。しかし恥ずかしくて顔を真っ赤にしただけで終わる。 「これはなかなかのものだ」 蕎麦を頂きながら樹邑鴻は真次郎に精がつく食べ物をと考える。 「こら、明日からがんばらんといきまへんえ」 華御院鬨の丼の中はいつの間にか空っぽである。 「そやな。明日からぎょうさん美味しいお蕎麦、売りまひょか。呼び込みは任せてぇな」 紫焔遊羽は華御院鬨にうんうんと何度も頷くのだった。 ●かけ丸 「真次郎の旦那によろしくいっといてくれな。絹絵ちゃんには後で屋台に顔を出すわ」 「わかった、伝えておこう。‥‥結構重いな」 翌朝、樹邑鴻は真次郎から教えてもらった馴染みの店で蕎麦と小麦の袋を受け取って荷車を引っ張る。 (「これを二日に一度、真次郎はこなしていたのか。そりゃ疲労も溜まるな」) 力一杯で引っ張らないと荷車は動かない。樹邑鴻は時々休みながら長屋までの道を歩んだ。 「これはちょうどいい。蕎麦ばかりじゃいくらなんでも」 途中で新鮮な野鳥肉が売ってたので樹邑鴻は買い求めた。真次郎に食べさせる為である。 樹邑鴻とは別に紗耶香と紫焔遊羽も町中へ出かけていた。 購入したのは鶏卵や、お揚げなど主に具として必要なものだ。 「沙耶香さんの作るお蕎麦‥‥楽しみでしゃぁないね♪」 「昨日食べたお蕎麦に負けないようにしないといけませんね。お揚げの味付けも教えてもらわないと」 お喋りしながら二人は必要なすべてを手に入れる。 長屋では井伊貴政と万木朱璃がダシ作りをしていた。 「こんな感じですかね」 「いや、鰹節はもっと厚く削らなくちゃならねぇ。これはだな――」 井伊貴政が試しに削った鰹節を見て真次郎が立ち上がろうとする。 「だ、だめだー。病人は寝てないとー!」 「わ、わぁーたから、退いてくれ。俺が悪かった。出すのは口だけにしとかぁ」 真次郎は江崎美鈴に羽交い締めにされた。 「こんなに厚く削るんですね」 「私は鯖節をやりますか」 井伊貴政と万木朱璃は鰹節と鯖節を厚削りにし、熱湯の中に入れた。グツグツと煮られ、浮かぶアクをすくう。水は足さずに濃縮してゆく。やがてダシが出来上がった。 出かけていた者は全員戻り、下準備も終わる。 「それでは行くか。これも体力作りだ」 北条氏祗が主導して屋台が長屋から出発した。 卓と椅子が載せられた荷車も繋がっているので、実質的には二つ分の屋台を引っ張っているのと同じだ。普段は真次郎と絹絵だけで運んでいるとはとても信じられなかった。 「ここがいつもの定位置よ」 絹絵の指示で道の隅に屋台が停められた。 周囲のゴミを竹箒で集めて綺麗にした。屋台の火が入れられて湯がくためのお湯と、汁が用意される。 卓とテーブルも並べられて準備は整った。壊れていたものもあり、後で北条氏祗と樹邑鴻が修理か新たに作り直す事となる。 「何になさいますか?」 「月見、一杯もらえるかい?」 最初に来た客から華御院鬨は注文を聞いた。いつもの喋りではなく、わかりやすいなまりのない言葉遣いで。 ちなみに午前の間、参考にする為に他のそば屋を回って味や具の種類、店の切り盛りの仕方などを調べてきた華御院鬨であった。 「茹で時間はこのぐらいで‥‥」 最初に屋台の調理場に立ったのは紗耶香だ。長屋での準備と屋台での調理は、万木朱璃、井伊貴政、紗耶香、北条氏祗の持ち回りで行われる。 接客は華御院鬨と紫焔遊羽の役目。 手が足りない時には接客も行うが、樹邑鴻は主に用心棒を買って出た。 江崎美鈴も用心棒をやりたがっていたが無理なようである。江崎美鈴の目がないと真次郎はすぐに炊事場へと立ってしまうからだ。体調が上向いているので、もう大丈夫だと勘違いしているのてあろう。 「おいしいお蕎麦、いかがやろか〜! 兄さん、姉さん♪ どうぞ寄っていってぇな♪」 紫焔遊羽は声をあげて呼び込みを始める。が、それとは別に絹絵の動きにも注意を払った。 開拓者達は絹絵が味オンチなのを真次郎から聞かされていた。長屋に仲間がいないときに蕎麦作りでもされたら大事件だからだ。 夕方からが屋台の本番となる。夕食として食べる客も多いが、銭湯帰りに引っかけてゆく客も多かった。それ故に深夜までの営業となる。 「おい! なんだこりゃ。この小せえのがお揚げだって? 汁は薄しぃし、蕎麦はぼそぼそと崩れやがる。客をなんだと思ってやがる!!」 「あらお客さん。どないしやしたぁ」 すごむ目つきの悪い客の言葉を華御院鬨はおっとりとした態度で聞いた。しかし目つきの悪い客は卓に足をのせて店の悪口を叫び始め、埒があかない状況に突入してゆく。 「すいません。ちょっとこちらまで」 樹邑鴻は懐からお金の入った袋をわざと露出させながら、目つきの悪い客を細い路地まで誘う。 「素直にあやまりゃ許してやらんこともない‥‥お、おい!」 樹邑鴻の懐にある袋を目つきの悪い客は奪い取ろうとする。しかし避けられてしまい、空振りに終わる。 何度も繰り返すうちに二人は屋台とは反対の道へ出た。そして目つきの悪い客はよろけたついでに自ら水路へと落ちてしまう。 「助け‥‥およげねぇんだ‥‥」 「おや、そちらにお帰りで?」 流されてゆく目つきの悪い客に樹邑鴻は手を振る。本人は気がついていないようだが、背伸びすれば足が底につくはずである。 「大変でしたなぁ。これ食べてぇな」 「月見、二つ入りだ。拙者が相手をしていたら、きっと奴の命はなかっただろうな」 戻ってきた樹邑鴻に紫焔遊羽と北条氏祗が声をかける。そして蕎麦の丼が渡された。開拓者達は順番で食事をとる。 夜遅くまで屋台は続けられるのだった。 ●順調な日々 最初は忙しく感じられた蕎麦屋台の仕事だが、徐々に慣れてくると余裕が出てくる。 そこでかえしを作る事になった。今は以前から寝かしていたものがあるが、このままだとなくなってしまうからだ。 材料そのものは至って簡単なものである。大豆醤油と黒糖、味醂の三種類。しかしどんな物でもよい訳ではなく、真次郎が気に入っている産地の物が選ばれた。 「絹絵さんは、真次郎さんを見ていて下さいね」 「じゃ、そうさせてもらいますね。ちょっと作ってみたかったけど‥‥」 井伊貴政にいわれて絹絵が真次郎の元に行く。そして万木朱璃と一緒にかえし作りが始まった。 最初に味醂を煮て、酔いを誘う成分を飛ばす。さらに黒糖を入れて弱火でゆっくりとかき回した。静かに醤油を入れて、火加減を強めにしてからやめて一段階が終わる。途中で椎茸入りの袋を一緒に入れて煮るのが、かけ丸の隠し味のようだ。 冷えたら焦げた醤油を綺麗に取り除く。 「ゆっくり、ゆっくりと‥‥。よし!」 万木朱璃が土の中に埋まる空の壷にかえしを移した。最後に布と紐で蓋をする。どうやら完全に密封させてしまうといけないようだ。 かえしはかなり減っていたので、たくさんの量を作り置きする。朝から始めて最後には夕方になっていた。 開拓者達の手伝いは続き、そしてお別れの時が訪れる。 真次郎の身体を思って買ってきてくれた食べ物の代金や他店の調査費用などは、すべて報酬とは別に補てんされた。 開拓者のおかげで、かけ丸は味を維持したまま早くに再開へこぎ着け、そして真次郎は元気を取り戻せた。 真次郎が元気になれば、絹絵はよりはつらつとなる。 「開拓者さん達、ありがとう〜」 「ありがとうな〜」 絹絵と真次郎に見送られて開拓者達は神楽の都への帰路につくのだった。 |