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■オープニング本文 ●控えた美しさ 可憐という言葉がよく似合う、小さな花弁。けれど香りは馥郁としていて一輪で部屋を満たすほど。 匂い菫が好きだと控えめに笑ったあの人は。 その花のように控えめな美しさと、いい匂いがした。 月に一度の逢瀬のたび、わきあがってくる思いはきっと初めて実感する愛しさで。 次の逢瀬に想いを告げよう、交際を申し込もう。そう思って、いたのに。 いつもの場所に、それきり彼女はこなかった。 告げる前に絶たれた思い。残ったのは彼女との記憶の縁にと育てた匂い菫の香りだけ。 ●残り香 「アヤカシ討伐をお願いします」 宮守・瑠李(iz0293)が資料の束を捲る音が響く。 「月に一度の逢瀬を重ねていた男女がいたのですが……男性の方が想いを伝えようと決意したのを知ったかのように女性からの音沙汰が途絶え、男性が焦がれ死んでしまったようで。 そこにアヤカシが入り込んでいます。男性の家にいる夢魔が恐らく男性と逢瀬を重ねていた女性の本当の姿なのでしょうね。 人里から少し離れた場所に庵を結んで住んでいたため発見が遅れましたが被害は男性以外はないようです。 戦いになれば男性は夢魔を護るように行動します。夢魔は不利になれば逃走する可能性があります。調べてみたところ焦がれ死んだと思われる男性が何人か見付かっていますので。 庵の外はある程度開けた土地、少し行くと小川が南に、北と西は山に、東は崖になっています。 上手く囲んで二体を討伐してください」 芳香に気付いた開拓者の一人が瑠李に問うと青年は目を伏せた。 「この香りですか? ……夢魔が愛し、男性が縁にしていたという事で取り寄せてみたんですよ。匂い菫。花言葉は控えた美しさ、だそうです。 男性が見ていたそんな景色を、せめて死後の世界では取り戻してあげてください」 |
■参加者一覧
リィムナ・ピサレット(ib5201)
10歳・女・魔
雁久良 霧依(ib9706)
23歳・女・魔
草薙 早矢(ic0072)
21歳・女・弓
花霞(ic1400)
16歳・男・シ
サライ・バトゥール(ic1447)
12歳・男・シ |
■リプレイ本文 ●芳しき香りは醒めない夢へと誘い、夢が醒めれば全ては終わり 夢魔に焦がれて命を落とした男性と、彼を死に至らせた夢魔が拠点にしているという庵に向かったのは開拓者が五人。 「あたしは『妖しい夢魔』の称号も持ってる♪ 夢魔としてどちらが上か勝負だよっ! とっかえひっかえ死なせるようなアヤカシには負けないんだから!」 リィムナ・ピサレット(ib5201)が強気に言い放つと軽やかで涼しげな笑い声が続いた。 「そうね、夢魔リィムナちゃんになら憑りつかれてもイイわ♪ でも憑りつかれたら夜中にお布団に地図を描くようになっちゃうかも♪」 「……って雁久良さぁん!ばらすなんてひどいよ! そりゃ今朝もしたけど……」 雁久良 霧依(ib9706)にからかわれてごにょごにょと聞かれていない今朝のおねしょのことまで付け加えてしまい正しく自爆の態のリィムナに控えめな笑い声が追い討ちをかけた。 「リィムナさん、まだしてるんですね。……そういうところも、妹によく似ています。妹もなかなか直らなくて……」 懐かしそうに目を細めて微笑するのはサライ(ic1447)だ。 その傍らで花霞(ic1400)が誰に言うともなしに呟く。 「綺麗な花には棘がある……ってね。ま、本来菫に棘はないけれど」 「美人な女の姿の夢魔が男……いや男性を! 男性様をとりこにしては捨てたりしてるだって!?」 花霞の静けさとは対照的に絶叫しているのは篠崎早矢(ic0072)だ。動揺と怒りが露な口調で、取り繕うことも出来ていないのは男日照りが長かったせいだろうか。客観的にみるとどうも男女観に歪みが見える口ぶりだ。 「次から次へと男をとっかえひっかえ、しかも惚れさせて……『ああ篠崎様! 思いこがれておりました!』とか言わせるだけ言わせて捨てるとかしてるのか!?」 庵に向かっているとはいえまだ十二分に距離はあるので今のうちに吐き出させたいことを吐き出させておこう、と即座に早矢以外の四人は目配せで取り決めたようだ。 早矢の独演……と呼ぶには些か声高すぎる独演は続く。 「しかも男性は死ぬだって!? なんてもったいな……じゃなかった、非道な!」 ……声高すぎるだけではなく主張する場所が若干ずれているのはご愛嬌、といっていいものか否か。 「その羨まし……いやあさましい女のアヤカシを退治しよう。男性に私が見直され……いや男性を救うのだ、見返りなど考えずにな」 「そろそろ鬱憤は晴れたかしら? 庵が近付いてきたから音量は少し落としてちょうだいね」 「鬱憤が晴れるどころか夢魔に対する恨みを再確認してしまってさっさと戦闘で憂さ晴らししないとところ構わず誰が相手かも構わず暴れだしたい気分だ!」 霧依がころあいを見計らってなだめにかかるが早矢の怒りのゲージは今が最高潮らしい。 「あたしが様子見てくるよ。みんなは合図をしたら包囲をお願い」 庵の中は空間的に狭くて戦いにくいだろうから、とおびき出す役をリィムナが買って出る。 「一人で大丈夫? 実力的には一番だけれど……」 気遣う花霞に大丈夫、と応えるリィムナ。 「夢魔は精神系の状態異常を複数使えるから抵抗とかが高いあたしが適任だと思う。逃したら失敗らしいしまた同じこと繰り返されても困るから人数少なくてちょっと大変かもしれないけどしっかり包囲することに専念して?」 「わかった。気をつけて」 遊びに夢中になって人里離れたこの庵まで紛れ込んでしまった子供の振りをして夢魔と男性だったアヤカシをおびき出すという計画だ。 (志体持ちだと気づかれると警戒されるから、一般人と同じ身のこなしで……夢魔の性質上人間の精神、特に負の感情には敏感だろうから演技だけじゃなく本当に怖がらないと怪しまれる……) そろりそろりと庵に近付きながら最近の恐怖の記憶を呼び起こす。 真っ先に思い浮かんだのは、今朝おねしょの隠蔽工作の現場を姉に抑えられ捕まって膝の上でお尻を……そこまで思い出したところで恐怖のあまり本気で泣き出す。 「あらまぁ、どうしたの?」 たおやかな声が庵の中から聞こえてきた。ついで姿を現す……夢魔にしては質素で露出の低い服を着た女性。 恐怖の記憶を引っ張り出すのが少し早すぎたか、とまだ恐れのあまり混乱する頭の片隅に残った開拓者としての視線を幾度も潜り抜けてきた冷静な部分が自分を叱責するがこのままおびき出すしかない。 瞬時に判断を下して人見知りする子供のように夢魔との距離を測りながらぐずる。 「遊んで、て。道に、ひっく、迷っちゃ、って。お姉さんのお家が見えたから……安心したんだけど……ちゃんと帰れなかったらどうしようって……」 しゃくりあげる声が合間合間に入るのは本当に泣いているからで間合い的に不自然な感じはしないだろう。 「あらまぁ、お家はどのあたり?」 「わかんなっ……」 どうやって男性をおびき出すか。夢魔もまだ庵の中だ。できれば屋外まで引っ張り出したい。 「お姉さん、これ、何の匂い……?」 匂い菫の芳香に混じって微かに漂ってくる腐臭に気付いて一歩後ずさる。 「ねぇ、貴方、うちの子にならない? 夫も喜んでくれると思うの」 にこり、と微笑む夢魔にもう一歩足を引く。 「お姉さん……人じゃ、ないの……?」 「……えぇ」 ぱっと身を翻すリィムナを夢魔が追う。 「うちの子になってくれれば貴方は殺さずに済むわ。あの人のように死なずに済むわ……」 風が動く。腐臭が強まる。庵の中から現れた男性の腐乱死体。 「人間って呆気なく死んでしまうのね。愛しても……夢魔だというだけで、アヤカシというだけで、誰もが私を恐れる。だから愛を告げられる前に姿を消した。……そしたらね、死んでしまったの」 「みんな、今だよ!」 生垣などに身を潜めていた四人が夢魔と男性を取り囲む。 「そう……貴方たち、私たちの邪魔をしに来たの。私たちが人じゃないから。アヤカシだから。生きていてはいけないと貴方たちも一まとめに切り捨てるの……」 「心情がどうであれ人に害をなさなければ生きていけないアヤカシと開拓者はきっと永遠に分かり合えないわ。私たちはアヤカシから一般人を守るためにいるんですもの」 「そう……仕方ないわね。でも譲らないわ。彼が漸く私の手の届くところに来てくれたのよ。引き裂かれてたまるものですか」 「……貴方も、彼を愛していたんですか? 彼だけでなく今までに亡くなった方も……?」 「そうよ。笑いたければ笑えばいいわ。アヤカシが人に恋をして、正体が悟られる前に綺麗な形で終わらせようとして相手に置いていかれるなんて喜劇なんでしょう?」 きっと開拓者たちを見据える夢魔の目に僅かに涙が滲んでいる。 「まっとうに生きて、真っ当に愛せる貴方たちにアヤカシの痛みなんて分からない。だったら私は此処を守るだけよ」 「それでも次々乗り換えられて死んでいった男性の無念が消えてなくなるわけではない! フラれにフラれた女開拓者という点では私だって不幸だぞ!」 早矢が堂々と切って捨てれば夢魔が不意を突かれたように目を丸くする。 「終わらせてあげるよ。貴方たちの、アヤカシとしての命を。生まれ変わってまた出会えたら、その時は幸せになれるように、祈るだけは祈ってあげる」 花霞が手裏剣を投擲する。 「来世でお幸せにね」 天使の影絵踏みで見方の抵抗力を底上げしていたリィムナが怨霊系の高位式神を召喚し、死に至る呪いを送り込ませる。事前情報どおり男性が夢魔を庇い、死人と化していた身体は消滅した。 「お休みなさい。いい夢が見られるといいわね、風変わりな夢魔さん。貴方の言葉が何処まで真実か、なんて問う野暮なことはやめておきましょう。愛した人たちの元へいくといいわ。種族なんて関係ない、ただ愛だけがある場所へ」 霧依が詠唱を終えると何もなかった空間に突如として灰色の光球が生じる。かわしきれなかった夢魔は触れた瞬間灰と化して朽ち果てた。 「僕が知っている夢魔……というかアヤカシのイメージと随分違った価値観の持ち主だったみたいですね。彼女がアヤカシでなく人間だったならこんな不幸な出来事は起きなかったんでしょうか……」 二人が身に纏っていた質素な着物だけが残った庵の庭でサライが呟く。 「……一人を一途に愛せなかったら修羅場にはなっていただろうが……ふん、二人の着物を一緒に埋葬してやるくらいの計らいはあってもいいか」 対峙する前は一方的に夢魔に敵愾心を燃やしていた早矢が苦虫をかんだような顔で着物を拾い上げる。 普段の礼儀正しさがまだ繕えないのは夢魔の悲鳴のような訴えに揺さぶられる何かがあったからだろうか。 「甘い匂いに誘われて……なすがまま、奪われて。間抜けな男と思っていたけれど甘い匂いの持ち主も好んで奪ったわけではなかったのかな。 少しだけ共感するわ。……縋りたくなっちゃうのよね、一人寂しいと」 花霞の言った言葉が今回の事件の全てだったのかもしれない。 温もりを求めた夢魔と、夢魔に温もりを与えた男性。けれど正体を知られることを恐れて姿を消す頃には男性にとっても夢魔は温もりを与えてくれる存在になっていたのだ。 「匂い菫の花を供えて、弔ってあげましょう。二人が心置きなく眠れるように、ね」 墓は二人が逢瀬を重ねたと事前情報で受け取っていた場所に。 供える花は匂い菫。 着物を埋葬し、黙祷した後、開拓者たちは事の顛末をギルドへ報告するために道を引き返し始めた。 その後を追うように、匂い菫の香りが仄かに香っていた。いつまでも、いつまでも。 |