|
■オープニング本文 「†蝶†」 それを見つけたのは、偶然か必然か。 ジルベリア最北領のとある寺院で、鳩羽は飛来した蝶に目を凝らす。 赤く、美しい羽。 秋ならば紅葉と見紛う自然さで、ひらり、ひらりと舞ってゆく。 気がつけば、数匹の赤い蝶が寺院を飛来していた。 空を見上げれば、数十匹の赤い蝶が舞っていた。 「†森†」 蝶は二度、三度。 寺院を回ると空の蝶達と合流し、西へ―― 森の方角へと流れてゆく。 その森は、魔の森一歩寸前とまでいわれるほどに瘴気が濃く、中級アヤカシの噂も絶えない場所だった。 『いいこと? あの森だけは関わらないで。いま適任の開拓者を選別中だから』 以前鳩羽が、ギルド受付をしている姉に言われた言葉だった。 寺院から然程離れてはいない森。 何度か調査されており、中級アヤカシが最低でも三体、下級に至ってはそこら中にいるとされていた。 その森から飛来した、数匹の蝶。 ただの偶然かもしれないが、鳩羽の胸に不安が過ぎる。 また、家族を失ったら。 そんな思いに囚われる。 姉の深緋と妹の朽黄が、上級アヤカシの手により氷の街に閉じ込められた記憶は、鳩羽の中に深い傷となって残っている。 姉達と同じく街に閉じ込められていた開拓者達によって救われたものの、鳩羽は何一つ出来はしなかった。 街に入ることも、家族を助ける事も。 母を失った日と同じように、鳩羽は無力だった。 不安の芽は、出来る限り詰んでおきたい。 そんな思いを抱くのに、数分とかからなかった。 そしていまここにいたならば、一人では行くなと必ず止めたであろう寺の住職達も、いまこの時いなかった。 「†皆†」 「†調†」 「†森†」 寺院で共に過ごす沢山の猫又達に声をかける。 「森に行くのかにゃー。おいら達もいくにゃー」 「†留†」 「留守番なら一杯いるにゃー。おいら達も役に立つにゃー」 留守番よりも楽しそう。 そんな軽い気持ちで二匹の猫又達が鳩羽についてくる。 鳩羽も、大好きな猫又達と一緒に行く事に抵抗はなかった。 森の様子を調べるだけ。 間違っても一人で全てを解決しようとは思っていなかったし、そこまで自身の能力を過信してもいなかった。 不穏な気配の源を調べる、ただそれだけの事……。 炎竜の朱炎華に乗り、二匹の猫又と共に森を訪れた鳩羽を待っていたものは、想像を絶するものだった。 森の上空に差し掛かり、眼下に広がる光景に鳩羽は息を呑む。 「赤いにゃー」 「不気味にゃー」 鳩羽にくっついて、口々に騒ぐ猫又達。 森の中心部から、まるで紅葉が始まっているかのように森が赤く染まっていた。 緑の生い茂る中、赤いそれは沢山の蝶。 「†!†」 森から、何かが放たれた。 鳩羽は避けきれず、足を絡めとられた朱炎華は赤い森に墜ちる。 絡むそれは黒い触覚だ。 森から真っ直ぐに放たれ、もがく朱炎華を決して放さない。 背中に乗る鳩羽と猫又達を守ろうと、朱炎華はバランスを必至に取って森の木々にぶつかるのを避ける。 だが絡め捕られた足はそのままだ。 朱炎華は地面に強く叩きつけられた。 反動で背中から振り落ちる鳩羽と猫又達。 「†無†」 「無事にゃー」 「大丈夫にゃー。鳩羽のほうが酷いにゃっ」 猫又達と竜の無事を気にかける鳩羽に、猫又が泣きそうになる。 振り落とされた衝撃で、鳩羽は足を負傷していた。 恐らく捻挫だろう。 血は出ているものの、朱炎華に掴まり何とか立ち上がる。 「†丈†」 泣きそうな猫又達に微笑んで、鳩羽は朱炎華に絡まる触覚を解こうとする。 その、瞬間。 「†?!†」 鳩羽の胸を、背中から何かが貫いた。 心臓の鼓動に合わせて、鳩羽の身体の中で、何かが蠢く。 「†逃!†」 二匹の猫又を朱炎華の背に乗せ、逃げてと鳩羽は叫ぶ。 だが間に合わなかった。 『美しい、蝶』 その声に、鳩羽の全身の毛穴が開く。 冷や汗が背を伝い、自分がどこへ、何の元へ来てしまったのかを悟った。 振り向きざま、声の主に精霊砲を放つ。 迷いはなかった。 放った瞬間、鳩羽の中に埋め込まれた何かが暴れ、鳩羽を激痛が襲う。 精霊砲は避けられた。 だが鳩羽は、痛みに屈する事無く白霊弾を追撃で放つ。 『気の強い』 声の主は鳩羽の攻撃を片手で受け止め嗤うと、猫又に狙いを定めた。 鳩羽が気づき、両手を広げて猫又を庇う。 その身体に、敵―― 蝶の羽を生やすアヤカシの放つ触覚が絡まる。 「鳩羽を離すにゃ!」 「許さないのにゃっ」 二匹の猫又が鳩羽の前に立ち、足に絡まる触覚を噛み切った朱炎華が吼える。 「†逃†」 逆らわないで。 叫ぶ鳩羽の声に、猫又達は応じない。 その小さな身体は良くみれば震えている。 生意気で向こう見ずな猫又達は、ただの猫ではないからこそ、相手が何かわかってしまっているのだ。 鳩羽がなぜ逃げろと必至に叫ぶかも。 「鳩羽を置いて、逃げたりしないにゃ!」 「守るにゃ!」 一匹が鳩羽の体に絡まる触覚を取り、もう一匹がアヤカシに向かっていく。 「黒炎破、食らうにゃっ!」 猫又の口から、真っ黒い炎が吐き出される。 『無謀だね。そうゆう勇敢さは嫌いじゃないよ―― 邪魔だけれどね』 敵はスッと手を払う。 それだけで、猫又は地面に叩きつけられ息絶えた。 鳩羽の絶叫が響き渡る。 痛む足を引きずり、鳩羽は猫又を抱きしめる。 即座に唱えたのは生死流転。 息絶えたはずの猫又が薄っすらとその瞳に光りを取り戻す。 術を使い続ける鳩羽の身体を激しい痛みが襲い来るが、鳩羽は耐え切った。 『痛みには屈しないんだね。でも』 ―― 心は、弱そうだよね。 「†止!†」 敵の意図に気づき叫ぶが、無駄だった。 猫又と、朱炎華。 二匹が敵の放った触覚に貫かれた。 『君の手は、二本しかないね。その手の中の子と、竜と猫又と。君の手は足りないようだよ?』 触覚に貫かれて苦しむ二体に、鳩羽はなすすべもない。 『見逃してあげようか』 敵の言葉に、鳩羽は猫又を抱きしめる手に力を込める。 『君がここに残るなら、その子達は見逃してあげてもいいよ』 ―― 僕が好きなのは、蝶だけだから。 アヤカシの気まぐれか、絶望を増す為の嘘か。 腕の中の猫又が、駄目だと、鳩羽に手をのばす。 その弱々しい手を、鳩羽は握り返す。 早く本格的に治療をしなければ、この猫又の命はないだろう。 自分が連れてきてしまったが為に。 触覚に貫かれている猫又と朱炎華が叫ぶ。 『早く決めて欲しいな』 「†……従†」 鳩羽に抗う道は残されてはいなかった。 従うしか、なかった。 『逃げなよ。僕の気が変わらないうちにね』 鳩羽が腕の中の猫又を、朱炎華の背に乗せる。 「鳩羽っ!」 触覚から開放されたもう一匹の猫又が、鳩羽に泣きすがる。 「†守†」 この子を、守って。 瀕死の猫又をもう一匹に預ける。 朱炎華が二匹を乗せて森を飛び立った。 |
■参加者一覧
リューリャ・ドラッケン(ia8037)
22歳・男・騎
ラシュディア(ib0112)
23歳・男・騎
浅葱 恋華(ib3116)
20歳・女・泰
綺咲・桜狐(ib3118)
16歳・女・陰
マルカ・アルフォレスタ(ib4596)
15歳・女・騎
ファムニス・ピサレット(ib5896)
10歳・女・巫 |
■リプレイ本文 ●敵を消しながら 「ひどいっ……こんな場所に囚われているなんて」 口元を布で覆ったファムニス・ピサレット(ib5896)は、大きな赤い布をフードのように被り、木々にリボンを結ぶ。 森に入る前に双子の姉であるリィムナと共に作っておいたそれは、道に迷わない為の道標。 「早く助けに行きましょうっ」 粉蝶を扇子で払いながら、ファムニスは先行したラシュディア(ib0112)の跡を追う。 (「花は愛でるものだ、お前が摘むものじゃない」) 竜哉(ia8037)は木の枝に荒縄を結びつける。 それはこの森に入った時から等間隔で行っていた。 「鳩羽様もしょうがない方ですわ。何故お一人で行かれたのでしょう」 お説教をしなくてはと微笑むマルカ・アルフォレスタ(ib4596)は、けれどその赤い瞳は欠片も笑っていなかった。 土蜘蛛に突き立てる槍に情け容赦はない。 浅い呼吸を心がけ、瘴気の影響を出来るだけ抑える竜哉も、怒りは収まらないようだ。 指先から放たれる鋼糸は風を切り、木々を切り裂き、そして土蜘蛛を斬る。 「鳩羽様を救う為、貴方などに構っている暇はありませんわ!」 漆黒のグラーシーザを掲げ、マルカが叫ぶ。 鳩羽への誓いはそのまま彼女の力となり、全身に力が迸る。 「暴れるといい」 竜哉がマルカの意思を感じ取り、鋼糸を操り次々と溢れる土蜘蛛を一箇所へと集めだす。 そしてマルカ自身も土蜘蛛の糸を払いながら避け、それでいて敵を竜哉の集める場所へと誘導する。 「貴方達は、土に還るといいわ!」 土蜘蛛の集団へハーフムーンスマッシュが放たれた。 白銀の穂先が眩く輝き、溢れる土蜘蛛が巻き込まれ跳ね飛ばされ突き刺さり、即座に瘴気に還って逝く。 「……守りきるさ、誰であろうとね」 スィエーヴィル・シルト。 竜哉がマルカを背に庇い、掲げた腕輪「キニェル」から障壁を張り巡らす。 大技を発動したマルカの隙を狙った土蜘蛛が、障壁にブチ当たり跳ね飛んだ。 「ありがとうございます」 竜哉に礼を言いながら、マルカは地面に槍を突き立てる。 今まさに飛び出そうとしていた土蜘蛛が、脳天から串刺しにされていた。 「鳩羽……! 如何して、如何して私達に一声かけていかないのよ!」 浅葱 恋華(ib3116)は怒っていた。 これ以上ない程に。 けれどその青い瞳は潤んでいる。 傍にいさえすれば、鳩羽が一言、皆に声をかけてくれていたならこの事態を防げたのにと、悔し涙が零れるのだ。 「今は、道を切り開きましょう……。私達に出来る範囲で全力で……」 綺咲・桜狐(ib3118)が符を放つ。 符は恋華の腕に張り付くと、そのまま彼女の皮膚に溶け込んで傷を消し去った。 恋華にまとわりつく似餓蜂は、大した攻撃力を持ちはしない。 その気になれば一般人ですら追い払えるのではないだろうか。 だが数が多い。 「数の多さが目障りよね」 呪文がびっしりと書き込まれた神布「武林」を拳に巻き、恋華は似餓蜂に拳を叩き込む。 蚊を払う手軽さで、ぱらぱらと似餓蜂は地に落ちてゆくのだが、拳からそれて生き残る数匹は必ず恋華を刺した。 何度も刺され続ける拳は、鈍い痛みを恋華にもたらす。 そして森の木々の間から、軍隊蟻が顔をのぞかせた。 一匹、二匹。 その数はどんどん増えていく。 「うー、恋華には手出しさせません! 離れてください……!」 何度もは連発できない。 けれど恋華を狙う敵を見過ごす事などありえない。 「援護します! がぅ、氷竜のブレスを食らってください……!」 桜狐の符から出現する氷龍は、凍てつく吹雪を吐き散らす。 「あの子の元に行くのに貴方達が邪魔ならば……蹴散らさせてもらうわ」 似餓蜂が身体を刺す痛みに耐えながら、恋華は崩震脚を放つ。 ●予感 (「あれが、ここのボスかな」) 木々の隙間を縫い、ラシュディアは周辺アヤカシを統べている中級アヤカシに目星をつける。 死蝶はまだ、ラシュディアの存在に気づいていはいない。 (「……みえない、か?」) 死蝶は、特に何かを守っているようには見えなかった。 そして、その周辺に何かがあるようにもみえず、ラシュディアはきりっと奥歯を噛んだ。 森の奥に進めない理由。 それは、結界ではないかとラシュディアは当たりをつけていた。 (「……あるいは、アヤカシの数で結界を維持しているか」) 結界を維持する何か。 それを死蝶が守っているのでなければ、長居は無用だ。 飛来する粉蝶を手裏剣で音もなく消し去る。 ラシュディアはファムニスを待たせている場所へ、急ぎ引き返す。 「甘い蜜じゃなくて残念ね!」 恋華の拳が軍隊蟻の顔面に決まった。 「ん、私だって少しくらいなら白兵戦出来るのですよ……」 残練力を考えながら、桜狐は銭剣を振るう。 慣れない剣は符に比べて遥かに扱い辛く、物理的な威力もあまり期待できない。 それでも、似蛾蜂を叩き潰す事ぐらいは出来た。 「桜狐、周辺はいかがかしら」 あらかた下級アヤカシを消し去った恋華は、乱れた髪を結わき直しながら尋ねる。 恋華の赤い髪は、今は囚われの鳩羽と同じにしていた。 そして身体の所々に結んだ赤いリボンは、猫又達の言葉に引っ掛かりを覚えたからだ。 『蝶』と『赤』これが何かあるのではないか。 「ん、恋華、周辺に敵はいないようです……」 桜狐が人魂を飛ばし、周囲を確認する。 「そう。なら次の場所へ向かいましょう」 「中級アヤカシは、いいのですか」 「寝た子を起こす事はないわ。むしろ傍にいない今がチャンスよ。次の場所へ向かいましょう」 下級殲滅の合図に、恋華は狼煙銃を天に撃ち放つ。 遠く、反対の空に青い狼煙が上がるのが見えた。 (「南は殲滅出来たんだな」) ブラインドアタックで鋼糸を操りながら、竜哉は土蜘蛛を斬りつける。 粗方土蜘蛛を倒した時だった。 竜哉が、スローインダガーを地面に放った。 ぼこり……。 ボコボコボコボコッ……! 短剣の突き刺さった地面が大きく盛り上がり、怒りに震える大土蜘蛛が現れた。 「引き込まれはしませんわ」 大土蜘蛛から吐かれた糸に絡め捕られ、マルカは引き込まれまいと槍を地面に突き立てた。 マルカを捕らえる糸は即座に竜哉の鋼糸が切断する。 「俺の糸は、お前の糸よりも有害だぜ?」 ぶつんと小気味良い音を立てて、竜哉の鋼糸が大土蜘蛛の糸を切ってゆく。 「わたくしの望みはただ一つ。大切な友人を取り戻すことですわ!」 マルカは宣言し、漆黒のオーラを纏いながら大土蜘蛛に突進を繰り出す。 巨大な分動きの鈍い大土蜘蛛の腹に、槍が深々と突き刺さる。 「デカブツには、土の中がお似合いだぜ?」 痛みに暴れ、吐き散らす糸を難なく切り刻み、竜哉の鋼糸は大土蜘蛛を縛り上げる。 ただ縛るのではない。 きつく、きつく。 縛る力は強まり、鋼糸は大土蜘蛛の身体にめり込んだ。 ずぶずぶと切れていく大土蜘蛛の身体。 毒はその牙にさえ触れなければ受ける事はなかった。 「終わりですわ」 マルカの槍が、再び大土蜘蛛に突き刺さる。 絶叫を上げて大土蜘蛛は瘴気へと還って逝く。 そして真なる水晶の瞳で、竜哉は精霊力を辿る。 瞳の様に見える水晶の片眼鏡を覗き込むと、森の奥で幽かに精霊力が視えた。 鳩羽に違いない。 だが中央への侵入が出来ない今、竜哉は狼煙銃を撃ち上げ、マルカと共に残る北へ向かいだす。 ●赤い蝶 ラシュディアがそれをしたのは、ふとした思い付きだった。 あの蝶の群れに攻撃をしたら、どんな反応が返ってくるのか。 ラシュディアに追いついたファムニスが駆け寄ってくる。 ただの蝶ではないのは見るからに明らかで、中心部に繋がっているであろう赤い蝶へ、ラシュディアは手裏剣を放つ。 花が舞い散るように風を泳ぎ、飛んでいく手裏剣。 それが赤い蝶の群れに届いたその瞬間。 ぶわりっ……―― 「ファムニス逃げろっ!」 ラシュディアは咄嗟にファムニスを突き飛ばす。 手加減をしている余裕はなかった。 次の瞬間、ラシュディアは大量の赤い蝶の群れに包まれた。 「ラシュディアさん、いやぁっ!」 地面に叩きつけられ、それでも即座に立ち上がったファムニスは、惨状に放心しそうになる。 ファムニスの目に映ったもの。 それは多量の蝶に集られて血のように赤く倒れ伏す塊だ。 その中にラシュディアがいる事は明らかで、彼が突き飛ばしてくれていなかったら、ファムニスも間違いなく同じ状態だったろう。 「いや、いやよっ、はなれてっ……っ」 大きな青い瞳に涙を浮かべ、ラシュディアに群がる蝶を恐怖に怯えながらも必死にファムニスは引き剥がす。 だが一匹二匹ではない。 何十何百という塊なのだ。 ファムニスの小さな手で一匹二匹引き離せても、すぐまた別の蝶が群がった。 そして蝶に素手で触れたファムニスの手は、真っ赤に爛れ始める。 まるで火傷をしたかのように。 扇「精霊」を振ると素手よりはましだったが、蝶達には大したダメージを与えれない。 日の光を浴びて七色に輝く扇の軌跡が、空しく煌めく。 (「ファムニス、だめだっ」) ファムニスまで攻撃対象にされまいと、ラシュディアは必死に声を上げようとするが無駄だった。 開いた口の中には一瞬で蝶が入り込み塞ぎ、視界は赤しかない。 口の中の蝶をグジュリと噛み殺すと、苦味と広がる瘴気に口内も爛れ、吐き気がこみ上げる。 体中を覆う蝶達の起こす熱で、ラシュディアの体温上昇は止まらない。 舞い散る燐分は幻覚症状を引き起こし、吸い込めば強い毒がラシュディアの自由を奪っていく。 (「息が……っ」) 鼻と口と。 全ての毛穴が蝶で塞がれ、ラシュディアの意識は薄れていく。 「お願い、だれかっ……っ」 ファムニスが泣きながら蝶をむしりとる。 爛れ、腫れ上がった彼女の指先も、もう感覚がなかった。 自身の傷を癒すより、ラシュディアを助けたい一心で、ファムニスは渾身の力で蝶を剥ぎ取る。 一気に毟り取れた蝶は、丁度、ラシュディアの目を塞いでいた蝶だ。 (「あれ、は……」) 朦朧とする意識の中、一瞬開けた視界からラシュディアが見たもの。 それは、赤い蝶がいた森の中に打ち込まれた楔。 地面から突き出た多角錐のそれは赤く、禍々しい。 普段はそれを覆い隠すように赤い蝶が密集していたのだ。 蝶がラシュディアを襲わない限り、見る事は出来なかっただろう。 一つだけなのか、それともまだ多数あるのか。 身動きの取れないラシュディアにそれを確認する術はない。 けれどその楔が、森の奥へ入れない秘密を握っているような気がした。 「ラシュディアさん、どうか、しっかり……っ」 ファムニスが悲痛な気持ちで叫ぶ。 そしてそんなファムニスにも、ついに赤い蝶が牙を向けた。 ラシュディアほどではない。 ファムニスに向かう赤い蝶は、なぜかそれほど攻撃的ともいい難かった。 けれど纏わり始めた蝶は、ファムニスの行動を阻害する。 ラシュディアから引き離すように。 絶望的な状況。 それを打破したのは、仲間の声だ。 「ファムニス、避けなさいっ!」 「恋華さん……っ?!」 赤い髪をなびかせ、恋華は駿脚で一気にラシュディアに駆け寄ると、そのまま一気に地面に踏み込んだ。 ダンッ……ッ! 凄まじい衝撃波が恋華を中心に迸しる。 敵味方を選ばない崩震脚はラシュディアにも当然ダメージを与えるが、群がる蝶が一気にはがれた。 「げふぉっ!」 一気に吸い込んだ空気に、ラシュディアは激しくむせ返る。 爛れた全身はまるでまだ赤い蝶に集られているかのよう。 蝶が離れても毒は彼を蝕み自由を奪ったまま。 荒い息を吐き続けるのが精一杯で、声を出すことも出来ない。 もし、恋華がラシュディアを巻き込むことに躊躇していたら、間に合わなかったかもしれない。 「ん、させません。がおーブレスです!」 再びラシュディアに向かおうとする蝶達に、桜狐の放つ符が白銀の龍を召喚し、吐き出すブレスは一直線に蝶を凍らせる。 空中で凍る蝶はパキリと砕け、瘴気に還って逝く。 ファムニスの身体が輝き、癒しの光がラシュディアを、そして皆を包み込む。 「……あれ……を……っ」 自身で立ち上がることすら出来きず、ラシュディアは、それでも、皆に森の中を指し示す。 ざらついた枯れた声は、傷の深さを思わせる。 「ラシュディアさん、無理しちゃだめです……っ」 ファムニスが跪いて抱きしめる。 そのまま手をかざし、解毒を試みる。 竜哉とマルカが全力で駆け寄ってくる。 全員でラシュディアを守り、蝶を迎撃する。 蝶達は仲間達に強固に守られるラシュディアを諦めたのか、それともある程度ダメージを与えた事に満足したのか。 ひらひらと森の中央へ戻っていった。 ●鳩羽への道標 「目障りだ」 竜哉は苛立ちを隠しもせず、粉蝶へ鋼糸を放つ。 粉蝶はぱらりと二つに裂けて華のように散って逝く。 その彼の背にはラシュディア。 ファムニスの必死の治癒で、いまは何とか意識を保っている。 だが完治するには数日を要するだろう。 仲間を傷つけられた怒りは深く、竜哉の前に飛来するアヤカシは全て、瞬時に消されていった。 (「赤い服は、有効なのですね」) マルカは冷静に先ほどの状況を思い返す。 ファムニスと恋華、そしてマルカ。 赤い衣裳や布をまとった三人には、蝶達の攻撃の手が明らかに弱まっていた。 戸惑っていた、といってもいいかもしれない。 ファムニスが結んでいたリボンのおかげで、迷うことなく最短距離で森の外に出ることが出来た。 森の外に出ると、早紀とリィムナが駆け寄ってくる。 すぐさま皆の手当てに当たる二人。 竜哉と桜狐が打ち上げた狼煙銃は、外で待機していた二人にも確認出来たから、森の北へ移動していたのだ。 恋華がくるりと振り返る。 「鳩羽ーっ! 私達が行くまで、大人しく待っていなさいよー!」 友に叫ぶ声は、森の奥深くまで響き渡った。 |