タイトル:因果応報マスター:神宮寺 飛鳥

シナリオ形態: ショート
難易度: 難しい
参加人数: 8 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2011/11/27 07:02

●オープニング本文


「くそっ! マクシムの野郎‥‥!」
 廃墟の中に作ったアジトの一つ、そこで灰原は苛立たしげにドラム缶を蹴り飛ばした。
「失態だな、灰原。これで何箇所補給ルートを断たれた事か」
「‥‥ジジイか」
 男が睨みを効かせる先、暗闇から足音が響く。現れたのは燕尾服を着た白髪の老人であった。
「こちらはカイナという手札を失い状況は劣勢。ただでさえ厳しい状況である事はお前も承知の筈だが」
「こちとら真面目にやってるがな、どう考えたって戦力不足だ! 親バグア派つっても素人に毛が生えたような戦力で何が出来んだよ、あぁっ!?」
「ふん。備品にケチをつけはじめるとは、いよいよお前もやきが回ったのだな」
 舌打ちする灰原。言われずともそんな事は分かっている。
 傭兵とは、与えられた手札で最善の効果を叩き出して漸く仕事が成立する。武器も弾薬も増援もない、そんな状況慣れっこの筈なのに。
「昔の仲間に妙な情を移すからそうなる。お前は大人しく言われた事だけしていればよかった物を」
 言い返す言葉も無く背を向ける。そうだ、結局こうなったのは自分の甘さの所為。
 マクシムとは知らぬ間柄ではなかった。戦場の渦中で生き別れになりその後連絡がつかなくなったが、それまでは戦友だったのだ。
 謀反裏切り上等。そんなものはこれまで幾らでも見てきた。けえれど彼ならば――地獄を共に渡った戦士なら、手を組めると思ったのに。
「確かにジジイの言う通りだ。今の俺は、給料分働けているとは言えねぇわな」
「そう思うのなら、最低限お前を追ってきている犬とケリをつけてこい。話はそれからだ」
「ああ」
 老人が去っていく。灰原はサングラスを外し、窓の向こうに浮かぶ月を見る。
 月の光はあの頃と変わらない。子供の頃も、思い出したくない地獄でも、人を裏切ったこの夜でも。
 どれくらい戦い続けても、人は人。何度決着を迎えても、やられた分だけやり返して。
 下らない事に囚われて延々と争い続けるのが人間の性ならば、そこにどんな意味があるのだろう。
「バグアのほうがまだマシだ。少なくとも連中は、同族殺しはやらねぇ」
 別に人が穢れていようが愚かだろうが関係ない。だからこそ、それは二束三文の金と等価だと思う。命は金に替えられる。
「恨むなよ。俺たちは結局、こういう風にしか生きられねぇんだ」
 自分に言い聞かせているかのような呟きは、闇の中にぽつりと響いた。

「リップス、次の仕事よ。今度は灰原と一緒」
 薄暗い闇の中、ネルの声が響く。しかし返事は無く、リップスは壊れたブラウン管の前で膝を抱えている。
「リップス」
「あたし、ネルの事許してないから」
 二人の間には距離があった。これまでも仲間ではあれ、友でも家族でもなかった。それでも今は、もっと遠い距離を感じる。
「どうしてさ‥‥。どうしてあの時止めた! カイナが目の前で死にそうになってたのに!」
 背を向けたままの叫び。二人の間に立ち、仲を取り持っていた女はもう居ない。
「足手纏いだったから」
 振り返るリップス。その頬は涙に濡れている。
「私達があそこに行かなければ、カイナは逃げる事だって出来た。それにカイナは私達が現れてから明らかに動きが鈍ってた。それは私達の身の安全を心配したから」
 真っ直ぐに突きつける言葉。リップスも分かっていた事だ。要するにそう言う事。カイナを殺したのは――。
「うるさいっ! だからあたしは止めようって言ったんだ! だから嫌だって言ったんだ! なのにっ!!」
「自分の力不足を、私の所為にしないで」
 悲痛な表情で息を呑むリップス。握り拳から力が抜け、俯く。
「カイナは‥‥カイナは、あたしに優しくしてくれたんだ」
 何もない自分に、当たり前に笑いかけてくれた。傍にいて、名前を呼んでくれた。
「意地悪で、バカで、すぐ暴力に訴えるけど‥‥抱き締めてくれた。手を握ってくれた。頭を撫でてくれた」
 別に、生きる意味がほしいわけじゃない。
 強化人間であるという、その立場の意味もわかっている。
 何も分からないから言われる通りに動くしかないって、そう思っていたけど。
「ここにいてもいいんだって、言ってくれたんだ。だから‥‥だから、カイナはあたしの家族だったんだ」
 所詮ごっこ遊びに過ぎなかったとしても。自分達が醜悪な存在だとしても。
「なのになんで、ネルはそんな風に言えるんだよ! どうしてカイナの為に泣けないんだよ!」
「そんな資格、私にはないわ」
「――っ! ネルのバカ! ネルなんか大っ嫌いだ!! バーカ!!」
 泣きながら走り去るリップス。突き飛ばされたネルはその背中を見送る。
 嫌いだとかバカだとか、正直どうでも良い。興味のない事柄だ。
 カイナが死んだ事も、別に仕方ない。あれは彼女が愚かだったからだけだ。けれど――。
「‥‥頼まれた事だから」
 肩を叩き、力強く笑ったカイナ。お前達なら大丈夫だと。そして、リップスを頼む――と。
 正直どうでも良い。興味のない事柄だ。でも今はそれだけじゃない事も理解している。
 熱い気持ちを表す言葉も表情も、彼女には作れない。だから黙して役割を成そう。
「リップスは、私がきっと守るから」
 優しく笑いかける彼女の姿を覚えている。その美しい記憶だけは穢してはならないと、震える拳が叫んでいた。



「今、どんな気持ちですの?」
 闇の中を歩きながら問いかける斬子。マクシムは煙草を咥えたまま眉を潜めた。
「どういう意味だ?」
「灰原というあの男、昔は仲間だったんでしょう?」
「そんな事か」
 一度は生死を共にした仲間を簡単に見限り、裏切る事が出来る。それは本当に人間のやる事なのだろうか?
「お前は傭兵という物を勘違いしている」
 首を傾げる斬子。マクシムは歩きながら夜空を見上げる。
「傭兵はクライアント次第で何とでも戦う。正義か悪かは関係ない」
 その口調は本当に気にしていないという様子だ。斬子は思わず睨みを効かせる。
「お前は傭兵には向いてない。戦争に人間性を持ち込む時点でナンセンスだ。人殺しに上等も下等もあるものかよ」
「自分が正しい事をしているとは思っていませんわ。けれど下劣にはなりたくないと思う事は、尊いのではなくて」
 足を止め、振り返るマクシム。その目は虚ろで、何の感情も読み取れない。
「俺は下劣だ。女子供も老人も見境なく殺してきた。戦争と見れば飛びついて、喜んで銃を担いで走り回って。でも仕方ないんだ。そういう風にしか生きられない。生きられないんだよ」
 そうして歩き出すマクシムの背中を斬子は暫く見つめていた。
 正しさとは程遠い場所で、程遠い事をする。そんな日常に慣れていく自分が本当はどうしようもなく嫌だ。
 でも仕方ないから歩いていく。彼の言う通りだ。だってそういう風にしか生きられない。生きられないのだから。

●参加者一覧

終夜・無月(ga3084
20歳・♂・AA
六堂源治(ga8154
30歳・♂・AA
米本 剛(gb0843
29歳・♂・GD
奏歌 アルブレヒト(gb9003
17歳・♀・ER
張 天莉(gc3344
20歳・♂・GD
犬彦・ハルトゼーカー(gc3817
18歳・♀・GD
ティナ・アブソリュート(gc4189
20歳・♀・PN
茅ヶ崎 ニア(gc6296
17歳・♀・ER

●リプレイ本文

●因果
「親バグア組織か‥‥。強化人間以外の奴は、別に進んで協力してるって訳でもないんだろうが‥‥」
 目的地であるゴーストタウンへと歩みを進める傭兵達。六堂源治(ga8154)の呟きに犬彦・ハルトゼーカー(gc3817)は眉を潜める。
「灰原なら、一般人を道具のように使うだろう。恐らく情けはかけられないだろうな」
 そう、この戦いはそういう戦いなのだ。灰原は以前にも一般人を残酷な方法で使い潰した事がある。
 敵にしてみれば万が一の確率で傭兵が躊躇し、隙が出来れば僥倖なのだ。
「敵も味方も分け隔てなく救うなんて無理な話だ。うちは守れるもんだけ守る」
「そうだな‥‥ここでケリをつけないとな」
 犬彦の言葉に頷く源治。その話を聞きながら、斬子は複雑な表情で歩いている。
「斬子さん‥‥また一人であれこれ背負い込んでなければ良いのですが」
 そんな彼女を心配そうに見つめる張 天莉(gc3344)。米本 剛(gb0843)は口元に手をやり、咳払いをして斬子に近づく。
「考え込んではいませんか‥‥『先輩』殿?」
「へっ? な、何ですの急に」
「何やら思い詰めた様子に見えたもので‥‥自分の思い違いでしたら失礼」
 首を横に振る斬子。確かに、胸にストンと落ちない思いがあるのは事実。
「敵の下種な行いに怒る心があるのに、わたくしも同じ事をしなければ意志を通せない。そんな自分が腹立たしい‥‥」
「人其々‥‥主義や主張は違うもの。今は自分の中にあるルールを守りましょう‥‥『先輩』殿?」
 冷や汗を流し、ジト目で見る斬子。
「その『先輩』っていうの何ですの? 貴方の方が先輩じゃなくて?」
「いえ、ネストリング所属的な意味で。まあ、冗談ですよ、冗談」
 苦笑を浮かべる斬子。そこに笑顔が戻った事を確認し、天莉もほっと胸を撫で下ろした。
 そうしている内にどうしても目的地についてしまう。寂しげに佇むこの地が、因縁を果たすべき場所となるだろう。
「――つけなければいけませんね‥‥決着を」
 灰色の空を見上げるティナ・アブソリュート(gc4189)。その銀色の髪を、乾いた風が寂しげに吹き抜けていった。

 廃墟の街を歩く敵兵。その足が路地に差し掛かった瞬間、物陰へと引き込まれる。
「予想通り‥‥火力よりは足止め優先した装備のようですね‥‥」
 抱えるようにして首を掻き切り、その装備を確認する奏歌 アルブレヒト(gb9003)。敵の装備を奪いつつ、ゆっくりと立ち上がる。
「要するに、罠とか嫌がらせだらけって事? 今回も手強そう‥‥いや、めんどくさい敵だなぁ」
 後頭部を掻きながら愚痴る茅ヶ崎 ニア(gc6296)。犬彦は溜息を一つ。
「これだけ警戒してるんだ、不意打ちでどうこうされるって事はないだろう」
「所詮対人兵器の範疇ですからな。我々能力者が覚悟し、冷静に挑めば足元を掬われる事もないでしょう」
 犬彦に同意する剛。実際彼らの罠に対する警戒は万全だ。
 通常の銃弾よりは搦め手の方が能力者には効果的だが、能力者が一般人を圧倒する戦闘単位である事実が変わる訳ではない。
 面子も面子、覚悟と警戒を万全に望めばそう足並みを乱す事もないだろう。
「リップスとネル‥‥ここに居るのかな。あの娘達にとって、私らは姉の仇なのよね」
 気の重い様子で呟くニア。今目の前で死んだ敵を見つめ、目を細める。
「敵も味方も、下っ端は使い潰される運命‥‥か」
「怖気づいたのか、それとも情でも移ったか?」
 背後からの犬彦の声に首を横に振るニア。
「惨い事をしたとは思ってる‥‥けと、殺されてあげる事は出来ないよ」
 それが戦士であり、戦場であるという事。殺しはしても、殺されてやる事は出来ない。
 どちらかが死ねば終わるとか、そう単純な問題でもない。例え苦しくとも、勝ち続けるしかない。
「辞められないよ。今更他の生き方なんか出来ない。仕方ないからとかじゃない。単純に、戦争ってそんなものねって話よ」
 ニアの話を黙って聞くティナ。その胸中はとても複雑で、どう言葉にしたら良いのか‥‥たらやるせなさが募る。
「気休めに過ぎんが、その子の言う通りだ。情けだの正義だの、お上品な言葉は戦争が終わるまで取っておけ」
 ティナと斬子に目配せし歩いていくマクシム。斬子は舌打ちし、地団駄踏む。
「くーっ、あの物言い! ただのお嬢様だと思ってナメるんじゃなくってよ!」
「確かに見違えましたね‥‥斬子。まぁ、俺も以前とは違いますが‥‥」
 斬子の様子を見つめ微笑む終夜・無月(ga3084)。斬子は軽く得物を掲げる。
「今回はパートナーですわね。頼りにしてますわ」
 互いの得物を重ねる二人。奏歌は一歩前に進み、二人に告げる。
「そろそろ行きましょう‥‥。敵がどこに潜んでいるのか‥‥見つけ出さねばなりませんから」
 こうして傭兵達は奏歌の指揮で敵の警戒をすり抜けつつ、拠点を探し始めるのであった。

●慟哭
「て、敵襲ー! 能力者だ! 能力者が来たぞ!」
 街で最も大きなオフィスビル、そこが敵のアジトだ。エントランスに渦巻く白煙は、先ほど奏歌が敵から奪い放り込んだ物である。
 銃を連射しながら下がる敵兵。しかし催涙ガスが効いていて狙いはまともではない。
「あのー! なるべく殺したくないんで、皆さんちょっとの間だけ頭引っ込めてもらえませんかー!」
 入り口付近から中に叫ぶニア。しかし敵は話を聞いていない。
「止むを得ませんな」
「そうッスね‥‥」
 首を横に振る剛。源治は刃を握り締め、深呼吸。傭兵達はビルへと雪崩れ込んだ。
「く、来るな! 来るなー!」
 簡易で準備してあったバリケードの向こうから銃撃する敵兵達。更に手榴弾を連続で投擲するが、その爆炎を突き抜け源治が刃を振り上げる。
 繰り出される衝撃波がバリケートを粉砕、吹っ飛ぶ敵兵達‥‥。それでも敵は血を流し逃げ惑いながら反撃する。
「畜生! お前達は何なんだ! 誰の味方で、何で戦ってる!?」
 腕があらぬ方向に曲がった敵兵の男が叫ぶ。
「お前達が俺達に何をしてくれた! お前達は俺達を救ってなんかくれない‥‥! 誰もが正しく生きられるわけじゃないんだよぉ!」
「力量の差は解かりますかな? もうお止めなさい。寄らば潰しますぞ」
「そういう訳には行かねぇんだ! 俺達にだって家族がいる! 守りたい物があんだよ!」
 剛の言葉に耳を貸さない敵兵。止むを得ず剛も二丁拳銃で応戦する。
 決着はあっさりついた。一方的に蹂躙された敵は呻きながら彼方此方に転がっている。
「うぅ、死にたくねぇ‥‥帰りたかったなぁ‥‥帰り‥‥」
 静まり返る戦場。斬子は唇を噛み締め、血を流して叫んだ。
「灰原ぁあああっ! 隠れてないで出て来い!!」
「‥‥斬子っ」
 走り出そうとした斬子の腕を掴む奏歌。
「全員下がってください‥‥敵は死体に仕掛けを施している可能性があります‥‥」
 転がる死体の山を爆弾だと思えばそれは地雷原。傭兵達は一歩身を引く。と、その時。
「あーあ、バレてんじゃん。灰原かっこ悪ぅー」
 螺旋階段を飛び降りてくるリップス。その隣にはネルの姿もある。
「やっぱり出て来ちゃったか‥‥」
 溜息を漏らすニア。天莉は身構え、二人を見つめる。リップスは無表情に真上を指差し告げた。
「灰原は上だよ。途中罠とかあるけど、あんたらなら余裕でしょ」
「‥‥どういう風の吹き回しですか?」
「罠あるってバレてるし、こっちみんなザコだし。教えなくても解かるでしょ?」
 奏歌の声に肩を竦めるリップス。マクシムは頷き、源治と剛に目配せする。
 階段を駆け上がっていく三人。ニアは少し心配そうに見送る。
「大丈夫かな、三人だけで」
「問題ない。あっちは走攻守の揃った安牌だ。それに、こっちをすぐ片付ければ済む」
 血溜まりを踏みながら前に出るネル。その視線は犬彦に向いている。
「いい加減、お前達の顔も見飽きたわ」
 鼻を鳴らし応じる犬彦。リップスは俯いたまま二刀を握り締める。
「何度もやり合ったのに、仕留められなかった‥‥あたしの弱さが、カイナを殺した」
 泣き出しそうな顔で傭兵達を見るリップス。そうして刃を向ける。
「ここで死んでもいい‥‥でも、あんた達だけは殺す。あんた達だけは生かしておかない。この命に代えても――ここでっ!!」
「待って下さい! リップスさん、あなたに聞きたい事があるんです! カイナさんについて‥‥!」
「お前が――お前がその名前を口にするのかよぉおおーっ!!」
 絶叫と共に突っ込んで来るリップス。鬼気迫る一撃は天莉が間に入り、傘を広げて受け止める。
 輝く紋章に減り込む切っ先。刃は火花を散らし、天莉の身を押し戻す。
「もうあたしは迷わない! 冷静に、力と技を出し切る! カイナの教えを――守る!」
 再びの攻防。リップスと何度も刃を交えた天莉だが、今回は何かが違うと感じていた。
 彼女が戦士として決めた覚悟は、如実に刃を重くする。生半可にやり合えば、容易く殺し返されるだろう。
 故に無言。故に渾身。自負する己の役割を忠実に成す。彼が今果たすべき事は、この暴力の嵐に耐え切る事のみ。
「これしか‥‥道はないんですね」
 二対の刃を握り締め、顔を上げる。ティナもまた、覚悟を胸に刻み込んできた。
 これは因果応報。奪い合ってきた者達が募らせた怨嗟の帰結。
 あの日、彼女はリップスを見逃した。家族の名前を呼びながら逃げていったその悲痛な顔を覚えている。
 ティナもまた、それを知っている。例え本意でなくとも、見殺しにした事実は呵責となって胸に残る。
 やりきれない思いはある。きっと同じ痛みを共にした二人なら、出会いが違えば別の帰結もあったのに。
 刃を手に走る。これしかないのだと互いに理解している。後はもう、殺しあうしかない。それしかないのだから――。
「リップス!」
「‥‥貴女の相手は、俺と斬子です」
 聖剣を振り下ろし道を塞ぐ無月。同時に斬子も斧を構え立ち塞がる。
「行きますよ、斬子‥‥ついてこられますね?」
「ええ。ご覧あそばせ」
 舌打ちするリップス。ネイルガンを構え、こちらでも戦闘が開始されるのであった。

 ビルの階段を駆け上がる源治、剛、マクシムの三人。彼らは罠も敵兵も物ともせず突き進んでいく。
「ダメだ、強すぎる‥‥ぐあっ!」
 次々に倒れる敵兵。源治はその亡骸を一瞥し、走り続ける。
 先の敵の言葉は彼の胸にも響いた。その問いにもしも答える事が出来たのなら、きっとこう言っただろう。
 人類の為では無く。正義の味方ではなく。賭けられた命に命を賭して、自らのエゴでそれを斬ると。
「全員、俺を恨んで死んでいけ――!」
 吹き抜ける刃。死屍累々の果て、傭兵達が辿り着いたのはビルの屋上。強い風に吹かれ、灰原が待つ。
 恐らく戦況を見ていたのだろう。小型の端末を放り投げ、傭兵達へと振り返る灰原。
「来たか‥‥。ま、あんな子供騙しのトラップ、能力者相手じゃ不十分だしな」
「ここまでだ、灰原。潔く投降したらどうだ」
「黙れマクシム。俺達の戦争に平和的解決なんかねぇんだよ。どっちかが根絶やしになるまで続けるもんだ」
 二対の異形刀を抜く灰原。源治は刃を向け、問う。
「『刀狩り』を知っているか?」
「あ? イスルギの旦那か? 何故その名前が出てくる?」
「知っている事を話して貰う。その為に俺はここに来た」
 きょとんとする灰原。それから突然笑い出し、肩を竦める。
「話すかよ、バーッカ! 俺達雇われは信頼が命綱だ。俺は死んでもクライアントは売らねぇよ。それがプロってもんだ」
 二つの刃を交差させるように構える灰原。ゆっくりと音も無く、静かに歩みを進める。
「悪党には悪党の美学ってもんがある。来いよ、教えてやる。傭兵としての年季の違いって奴をな――!」
「援護する。奴を叩きのめすのはお前達に任せるぞ」
 銃を構えるマクシム。源治と剛は頷き、灰原へと走り出した。

 ネイルガンを連射するネル。無月はそれを意に介さず突き進んでいく。
 振り上げた聖剣の一撃。その軌跡を目にした瞬間、ネルの背筋に強烈な悪寒が走る。
 結果、通常よりもかなりの間合いを取って回避。無月の剣は空振りと同時に大気を震わせ、地を容易く抉る。
「な――ッ!?」
 兎に角、拙い事だけはわかる。あれに当たってはいけない。恐らく掠っただけでも致命傷足り得る。絶対に当たってはいけない――!
 次々に繰り出される斬撃を回避するネル。反撃はしない。回避に全力を傾け続けなければ、死に追いつかれてしまう。
 背後から迫る斬子の斧。ネルは大きく跳躍し、無月を飛び越えながらネイルガンを連射する。
 飛来する鋼鉄の杭。無月はそれを回避出来ないが、特に意に介さず銃に持ち替え引き金を引く。
 壁を蹴って落ちるながら応戦するネル。高速で駆け回るその影に犬彦は銃を向ける。
「奏歌、ニア!」
「早すぎますが‥‥」
「数撃ちゃ当たる!」
 三人は同時に得物を突き出し、逃げ回るネルを撃ちまくる。流石にこの同時射撃を避けきる事は困難で、被弾してしまう。
「斬子、行きますよ‥‥!」
「この状況なら――!」
 下段に構えた斧を身体を捻り横一戦に繰り出す斬子。斬撃を回避するネルの背後で壁を貫通し爆ぜる衝撃、そこに無月が素早く回り込む。
 どんなに回避能力に優れていようと、多勢に無勢。絶対に避けきれない体勢にネルは目を見開く。
 斬撃を片腕で防ぐネル。しかし無月の刃は無慈悲にその防御を貫き、ネルの身体を深々と切り裂いた。
 衝撃は大地を揺らす。夥しい量の血を吐き出しながら吹き飛ぶネル、その腕もまた空を舞っていた。
「あ‥‥あぁああ‥‥っ」
 膝を着き、体中から血を絞り出す。その姿にリップスが声を上げた。
「ネルッ!!」
 リップスの注意が逸れた瞬間、ティナが斬りかかる。しかしリップスも素早くそれに対応し、二人は互いに二つの刃を交える。
「あんたは殺さなきゃいけなかったんだ‥‥初めて会った、あの時に!」
 舞い散る火花。剣戟の狭間、二人は視線を交えながら互いの位置を変え、何度も何度も得物をぶつけ合う。
「あんた達と戦うの、本当は少し楽しかったんだ。ずっとこんな時間が続けばいいって、そう思ってた」
「リップスさん‥‥」
「でも、甘かった。敵同士は殺しあわなきゃいけなかった。あんたはそれを分かってた。あたしは‥‥分かってなかった!」
 回転しながらティナを弾くリップス。素早い追撃、それを天莉が受け止めに入る。
「躊躇うな、情けをかけるな、楽しむな‥‥カイナは教えてくれた。なのにあたしはっ!!」
 眉を潜め、踏ん張りを利かせる天莉。傘を持つ腕を思い切り前に突き出し、リップスを弾き飛ばす。
「ティナさん、今です!」
 天莉と入れ替わり、刃を振るうティナ。放たれた衝撃波はリップスを切り裂き、ティナは追撃を加える。
 刃に輝きの軌跡を纏わせ、連続でリップスを斬りつける。更に反撃を回転舞で回避、入れ替わりで飛び込んで来た天莉がリップスを蹴り飛ばす。
 二人の戦略は攻防の分担。天莉が攻撃を防ぎ、ティナが攻める。互いの能力と役割を十分に生かした戦法はリップスを苦しめる。
 それだけではない。二人にとってこの敵は何度も何度も戦った相手。十分に蓄積された戦闘経験は、よりスムーズに意思を肉体に反映させる。
「それでもあたしは‥‥勝ちたい! 勝って、カイナが強かったんだって、証明したい! あたしはーっ!」
 響き渡る慟哭。ネルは目を開き、足元に出来た自分の水溜りを踏む。
「‥‥致命傷の筈です。まだ‥‥やりますか」
「お生憎様‥‥まだ、腕は一本‥‥足は二本も残ってるわ」
 出血は止まる気配もなく、表情は青ざめている。それでも立ち上がり、拳を構える。無月はそれに応じ刃を構え直した。と、背後から声が響く。
「何故、そこまで‥‥。あなたも、カイナの仇討ちですか‥‥?」
 問いかける奏歌。彼女はあの日、あの場所に居合わせた一人だ。リップスやネルにとっては仇と言えるだろう。しかし、ネルは微かに笑みを浮かべる。
「違うわ‥‥死者は、何をしても蘇らない‥‥。でも、生きているものは‥‥違う」
「‥‥リップスの為、ですか」
 小さく呟く奏歌。彼女の目に、今のネルが戦う理由がはっきりと見えた気がした。
「仲間に執着する‥‥あなた方も、結局人間ですね。どうしようもなく‥‥」
「違う‥‥私達は、貴女達とは」
 目を瞑るネル。そうして深い憎しみと悲しみを湛えた瞳で奏歌を見つめる。
「人間は‥‥罪深い。己の罪すら自覚せず、のうのうと生き続ける‥‥。殺し合い、憎み合い、因縁を絡ませる」
「違うというのですか‥‥あなたは。この惨状の最中で‥‥」
「私は罪を自覚している。人間を裏切り‥‥他人を食い潰して生きる。決して幸福になってはいけない。私も、貴女達も――!」
 ネイルガンを放つネル。その攻撃を前に出た犬彦が防いだ。
 連続して放たれる強力な鉄杭は、犬彦に吸い寄せられるようにして弾かれていく。そのまま犬彦はニアと奏歌を担ぎ上げ、後ろに飛び退いた。
「ぼさっとしてたら無月に巻き込まれるぞ」
「結局、私達があの娘らの家族を殺したって事実は変わらないんだよね」
 ぽつりと呟くニア。奏歌の言葉には同意するしかない。彼女らもまた、どうしようもなく人間なのだ。
「やりきれないね。どうにもならない事は、分かってるのに」
 ニアの言葉を目も向けず無言で聞く奏歌。犬彦は二人を下ろし、銃を手に取る。
「二人とも余裕だな。追い詰められた奴らは手強いぞ、気を引き締める事だ」
「‥‥言われなくても分かっています」
 とはいえ、傭兵側が圧倒的に優勢である事は変わりない。そしてそれは恐らくもう動じる事はないだろう。
 奏歌、ニアは前衛が傷を負えば即座に回復し、二人を狙ってくれば犬彦が守る。この構えがもう動かない限り、勝負は決まっている。
 仮に何らかの手段で分断を図ったとしても、犬彦は二人を抱えて逃げれば良い。後は機動力の高いネルに前衛が渾身の一撃を当てられるよう、弾幕でも張っておけば良いのだ。
「リップス、逃げなさい! 私がまだ生きている内に!」
 いつに無く感情的に叫ぶネル。リップスは驚き目を向ける。
「私達は勝てないわ。ここで殺される。だからリップス、貴女だけでも逃げて!」
「ふざけんな、嫌だ断る! もう、家族を置いて逃げるなんて絶対に嫌だからね!」
「お願いだから言う事を聞いて‥‥!」
「嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だっ!!」
 首を横に振り叫ぶリップス。ネルは悲しげな目を向け、微笑む。
「最後くらい‥‥お姉ちゃんらしくいさせてよ‥‥」
 固まるリップス。ネルがもう助からない事は誰の目から見ても明らかだ。最後の最後になって、そんな事を言うから。
 悲鳴にも似た雄叫び。リップスは立ち塞がる天莉へ、その敵意の全てを叩き付ける。
「退ぉけぇええええっ!」
 防ぎ切れず崩される天莉。更に襲い掛かるティナも押し退け、ニアと奏歌へ向かう。
 状況を逆転させるには二人を倒すしかない。だがその間には犬彦が立ち塞がる。
「勝たなきゃいけないんだよ! 勝たなきゃ意味なくなっちゃうんだよ! カイナとネルと生きてきた時間がっ! お願いだから‥‥死んでよーーーーっ!!」
 犬彦は眉を潜め、攻撃を防いでいた槍でリップスを突き飛ばす。同時に奏歌はエネルギーガンに収束した光を解放、リップスを撃ち抜くのであった。

●敗者
 天空の決闘。尋常ならざる速力で刃を繰り出す灰原に源治は剛と協力して応じる。
「二刀使いか。ペリドットの方が、もっと早くて鋭かったッスよ?」
「ハッ! 強がってんじゃねえよ、さっきからテメェの攻撃は掠りもしてねーぞ、オラァッ!!」
 風が吹き抜けるが如く、防御をすり抜け源治の身体を斬りつける灰原。迎撃は一息遅く、空を斬る。
「ちっ、毒か‥‥」
 体の異常に気付き顔を顰める源治。しかし直ぐに剛が解毒を行なう。
「厳つい『癒し』で申し訳ないですね」
「いやいや、頼りにしてるッスよ」
 赤い光が消えると源治は万全に回復している。その間もマクシムは灰原を追い、囲い込むように銃を連射する。
「とにかく速いですな。ここは牽制に回りましょうか」
 斧から二丁拳銃に持ち替え、マクシムと共に灰原を狙う剛。二人の銃撃をかわす灰原へ、源治が刀を手に走る。
「惜しいな。お前達は立派だよ。ちゃんと傭兵として、仕事に殉じている。お前達は、俺と同じだ」
 横薙ぎに繰り出す斬撃。飛来するそれを背後に倒れるようにかわし、逆立ちから横に跳び、銃弾を回避する灰原。
「人間の歴史は闘争の歴史だ。俺達の遺伝子には戦いの本能が刻み込まれている。なら仕方ねぇよなぁ。何度も過ちを繰り返し、互いを憎みあう!」
 二刀の刃を逆手に持ち、猛然と襲い来る灰原。その一撃一撃が源治のガードをすり抜け、身体を斬りつけてくる。
「俺達は悪党だ。だがな、俺には矜持がある。人間という存在が闘争本能という運命を消せないのなら、俺はその運命に抗いたい」
「何が言いたい‥‥!」
「バグアの出現でこの世界は変わった。今人類は互いに向けていた刃をバグアに揃える事で、愚かしい争いを減らしつつある。だがそれも一時的な事だ。バグアが消え去れば、人間はまた殺し合いを始めるぜ? 今度は能力者っつー爆弾を抱えてな」
 背後に飛び退く灰原。剛の解毒を受けつつ、源治は肩で息をする。
「何故テメェらは敷かれたレールの上を生きる? それで満足か? 何故疑問に思わない! 何故バグアの存在を、人類の進化に利用しようと考えない!」
「下らん‥‥今更正義の革命家気取りか、灰原」
 鼻で笑うマクシム。灰原は首を横に振る。
「俺は逆らいたいだけだ。正義に興味はねえが、堕落した人類は気に入らねぇ。テメェらの存在もな」
 銃撃を回避し、時に刃で弾く。そうして駆け回りながら叫び続ける。
「お前らには世界を変える力がある。なのに何故人類への奉仕者‥‥いや、奴隷で居続ける!」
 襲い掛かる灰原。剛はマクシムと同時に銃口を向ける。
「当たるか‥‥な!」
 銃弾を連射する剛。その弾丸が灰原に命中。足の動きが止まり転倒する灰原へ源治は低い位置からの蹴りを放つ。
 衝撃を伴う一撃は灰原の足を砕く。そうして完全に倒れた所へ駆け寄り、源治は刃を振り上げた。
 強烈な袈裟斬り。直撃を受けた灰原の体から血が噴出し倒れる。何とか立ち上がろうとするが、足が折れていて体勢も整えられない。
「勝負あり、ですな」
 歩み寄り銃を突きつける剛。灰原は口元から血を垂らしつつ歯軋りする。
「年貢の納め時って訳だ。ククク‥‥」
「もう一度訊く。刀狩りについて知っている事を言え」
 刃を向ける源治。灰原は肩を竦め、呟く。
「‥‥旦那は気持ちの良い人さ。そういうクライアントは‥‥売れねぇな」
 そうして灰原が笑った直後、銃声が鳴り響いた。
 様子を見ていたマクシムが放った弾丸が躊躇なく灰原の頭を撃ち抜く。そのまま倒れた灰原にマクシムは近づき引き金を引き続けた。
「もう良いだろう。こいつは喋らない。そういう男だった」
「マクシムさん‥‥」
 マクシムの銃に手を置き、首を横に振る剛。狼男は銃をホルスターに納めた。
「履き違えたな、灰原。俺達は何も変えられない。戦争は終わらない。お前も兵士という戦闘単位のままでいれば、こうはならなかったろうに」
 呟く背中を二人は見つめる。灰原が何を伝えたかったのか、その意味はまだ分からない。ただ、一人の敵を倒し、一つ決着がついた。ただそれだけの事だろう。
「‥‥戻りましょう。下ではまだ戦闘が続いているやもしれません」
 剛の一声でその場を立ち去る三人。灰原は額から血を流し、動かぬ眼で空を仰ぎ続けていた。

 倒れたリップスは震えながらまた立ち上がる。しかし劣勢は覆らない。最後の蛮勇も、虚しい結果だけを示した。
「リップス‥‥逃げなさいっ!」
 叫びながら走るネル。その向かう先、繰り出した拳が届くより早く無月の大剣がネルの身体に深く食い込んだ。
 肩口から腹の辺りまで一撃で引き裂かれたネルは辛うじて動く片手で剣を掴み、苦痛に顔を歪ませながら前進する。
「貴方、だけでも‥‥っ!」
 目を見開く無月。次の瞬間光と音が爆ぜ、激しい衝撃がビルを揺らした。
 爆風で吹き飛ばされる傭兵達。黒煙が視界を全て覆い尽くし、目も耳も正常に機能しない。そんな恐ろしい爆発の中心、無月は煙を剣で払ってそこに立ち続けていた。
「‥‥自爆‥‥ですか」
 確かに傷は負ったが、彼の体力を削りきるような物ではない。火傷を負いながら振り返り、無月は倒れている斬子を助け起こす。
「な、何が‥‥?」
 他の傭兵達も吹っ飛びはしたが、幸い距離もあり軽症。斬子だけが負傷したが、それも命に関わる程ではない。
 彼らが見たのは爆心地から飛び散る肉片と夥しい量の血液。リップスも呆然とそれを見つめていた。
「あ‥‥あっ、ああっ! あぁあぁぁぁ‥‥っ」
 悲痛な表情で這い蹲り、死体を掻き集めようとする。しかしそれが無理である事を悟り、動きを止めた。
「リップスさん‥‥」
 立ち上がり、振り返る。涙を流し駆け出した。ティナと天莉を目指し、絶叫と共に刃を繰り出す。
「‥‥ケリを、つけましょう」
 天莉の言葉に頷くティナ。閃光手榴弾を取り出し、声を上げる。
「天莉さん、五秒後に!」
 そうして放り投げる手榴弾。リップスは足を止め、得物で顔を覆う。しかし予想に反し閃光手榴弾は起動せず、変わりに斬撃が飛んで来る。
 腹を裂かれてよろけるリップス。ティナは剣を握り締め、リップスへ襲い掛かる。
「それ、偽者です」
 足元に転がる手榴弾。視線をリップスが上げるより早く、ティナの刃がリップスの身体を刻む。
 反撃に出ようと振り下ろす剣。しかしリップスの剣は天莉にとめられ、同時に弾き飛ばされてしまう。片方の刃を失い、少女は血染めの両手で一振りの剣を握る。
「勝つ‥‥あんた達だけには‥‥勝たなきゃ‥‥」
 しかし既に満身創痍。走ってきたリップスの刃をティナは片手で弾き、代わりにリップスの身体に剣を突き刺した。
 刃を引き抜くと血が零れ、リップスは倒れる。それでも床を這い、近づいてくる。
「ぢぐじょう‥‥ぢぐじょう‥‥一回も勝てないなんて‥‥いやだぁ‥‥」
 泣きながら立ち上がり、腕を振り上げるリップス。しかし限界を迎え崩れ落ちる。ティナは刃を零し、その身体を抱き留めていた。
「なんにもない‥‥もうなんにもなくなっちゃった‥‥。ごめん、カイナ‥‥ネル‥‥」
「――リップス。あなたみたいな人をこれ以上増やさないように、知ってる事‥‥少し‥‥でも‥‥」
 言葉を切らす天莉。リップスの目は虚ろで、文字通り虫の息。もうまともに話が出来る状態ではなかった。
 体が死に瀕している事より、もう心が持たなかったのだろう。ティナに支えられながらうわ言のように何かを呟いている。
 震える手でティナの頬に触れた。そうして安心したように微笑み、目を瞑る。
「はあ‥‥おねえちゃんの、においだ‥‥あったかい‥‥あったか‥‥い‥‥」
 深く息を吐き、もう二度とリップスが息を吸う事はなかった。
「いつまで‥‥いつまで、こんな事をし続ければ終わるの‥‥?」
 無月に支えられながら涙を流す斬子。奏歌は頬の煤を落としながら応える。
「戦いを終わらせる為に‥‥戦う。この不条理な世の中でも‥‥信念を忘れなければ‥‥人間で居られる気がします」
「本当に‥‥? 本当に私達は人間なの? 人間で、居られるの‥‥?」
 俯く斬子。ニアは駆け寄り、その傷を癒す。しかし斬子は泣き続けたまま、顔を上げる事は無かった。
 斬子の肩をそっと抱く無月。血染めの刃を収め、戦いの終わりを告げた。
 屋上へ向かっていた三人が階段を駆け下りてくる。先の爆発も聞きつけ、仲間の身を案じているようだ。
 そんな騒ぎの中、天莉は目を伏せる。動かなくなった少女が、随分安心しているように見えて、それが辛かった。
「あなたの本当の名前を知っていたら‥‥呼んであげる事が出来たのに」
 眠るように息絶えた亡骸を抱き、膝を着くティナ。熱を失った頬に、血と涙の混じった雫が伝った。
「おやすみなさい、リップス」

 傭兵達の活躍で親バグア組織の拠点が一つ、今日もまた消滅した。
 灰原、リップス、ネル、三名の強化人間もこの地で最後を迎え、敵戦力の大幅な低下が見込めるだろう。
 戦士たちは戦場を去っていく。それぞれの胸の内に、消せない想いを抱いたまま。
 誰も居ない街に吹く寂しい風は、乾いた音をいつまでも奏で続けていた。