タイトル:英雄の条件マスター:神宮寺 飛鳥

シナリオ形態: ショート
難易度: 難しい
参加人数: 8 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2010/12/20 13:35

●オープニング本文


●影は犇く
「‥‥そう。それじゃ、あたしの事はカシェルにバレちゃったのかしらね」
 雨が降っていた。どんよりと分厚い雲は街に影を落とし、彼女の存在さえ覆い隠してしまいそうだ。
 ビニール笠を差し、黒いコートで全身をすっぽりと覆い少女は受話器に耳を傾ける。聞こえてくる男の声に何度か相槌を打っては時折微笑んだ。
「あんたがそう仕向けたんでしょ? どちらにせよ、もう死んだフリをしていられる状況でもないけど」
 茶封筒から書類を取り出し、それを指先で弾く。『仕事』は完璧にこなして来た。十二分に『彼ら』の信頼も得ただろう。
「少し休暇を貰いたいんだけど‥‥ええ、たまにはいいでしょう? レイの許可は貰ってるわ。少し力も借りるつもり‥‥。別に、ちょっとした暇潰し。前々から興味があっただけ。個人的な――些細な拘りよ」
 少女は濡れた黒髪を指先で弄りながら薄っすらと笑みを浮かべた。その冷えた視線の先、書類には一人の少女のパーソナルデータが載っている。
「もしかしたら、あんたの役に立つかもしれないじゃない? この子だって――きっと素質はあるわ」
 雨が強くなると声は誰にも届かなくなる。足音さえも消えてしまえば彼女の痕跡は全てなくなってしまうだろう。
 傘を下ろし、死人は雨の中を踊る。口ずさむ懐かしい歌は、今はもう思い出す事も出来なかった――。

●光の記憶
「あの子が例の‥‥」
「ええ。酷い目に遭ったらしいわね‥‥可愛そうに」
「おかしくなってしまったんでしょう? だからあんな‥‥」
 どこからとも無く、声は嫌でも聞こえてきてしまう。
 それは決して特別ではない、世界に有り触れた不幸の一つ。誰もが抱える闇の一色。彼女もその例外ではなかった‥‥ただそれだけの話である。
 幼い頃、ヒイロ・オオガミの世界は壊れていた。自分を愛してくれる人は居なかったし、愛せる誰かも傍には居なかった。
 家族は戦争で生計を立てる人殺しで、気付けばバグアと戦っていた。知らない村で、知らない内に、知らない死を遂げたらしい。
 一人ぼっちになった彼女を引き取ったのは日本の旧家、大神家であった。
 大神家は既に枯れた一族であり、終わりを待つ老婆が一人で寂しく暮らしていた。広い家、誰も近づかない家、見慣れない家‥‥全てが嫌いだった。
「――ヒイロちゃん、どうして喧嘩なんてしたの?」
 誰にも懐かない、くすんだ目をした少女の前に腰を落として老婆は問いかけた。
 少女は近づく人全てに暴力を振るった。いつも怯えた目をしてどこかへ隠れてしまう。それは老婆に対しても同じだった。
「貴女と友達になりたいだけの子にまでどうして手を上げたの?」
 優しく、しかし嗜めるような強い言葉だった。少女は震える唇でそっと応える。
「‥‥誰も信じられないから」
「どうして?」
「皆ヒイロを苛めるから‥‥。戦場では、全てを疑わなければいけないから‥‥」
 それが傭兵である両親の教育だったのだろうか。或いは独りだった彼女が身につけた自衛法だったのか。
「こわいから、ひとりがいい‥‥。皆、いなくなっちゃうから」
 老婆は少女へ手を伸ばした。びくりと身体を震わせる彼女の髪を撫で、にっこりと微笑む。
「――それなら、ずっとここに居ていいのよ」
 彼女は少女を正さなかった。
「貴女が、出て行きたいと思うまで‥‥ずっとここにいていいわ」
 ただありのまま受け入れ、笑って見せた。
 それが二人が家族になった切欠。少女が笑顔を取り戻す為の戦いの幕開けだった。
 全てが綺麗な思い出だった等とは思わない。だがその日々の中で少女は生きる意味を確かに教えられたのだ。
 初めて家族の温もりに触れた。村の人間に受け入れられなくても良かった。二人の生活は満ち足りていた。
「ヒイロちゃんのお父さんとお母さんはね、この世界を守る為に戦ったのよ」
 ある日、いじめられて帰ってきたヒイロに祖母はそう語った。
 夕焼けの色が目に染みて涙がこぼれた事を少女は今でも覚えている。祖母の凛々しい横顔も、忘れはしない。
「善も悪も全ては人の心の中‥‥。貴女の両親の最期は、少なくとも誇りに満ちていたはずよ」
「人殺しでも‥‥?」
「例え過程がそうであっても、貴女の両親はこの世界を守ろうとした。立派な英雄よ」
 嘘や欺瞞だったとしても。都合の良い、理想を映しただけの空虚な言葉だとしても。
「貴女は愛されていたわ。私が貴女を愛しているように――きっと」
 少女の心にその言葉は重く、そして深く響いた。だからきっと、忘れない。
「なれるかな、ヒイロにも‥‥」
 涙の雫に映した夕焼けの色を。
「皆を守る‥‥正義の味方に」
 小さな頭を撫で、笑ってくれた彼女の言葉を。
「――それを決めるのは他の誰でもない。貴女自身だわ」

 想い出の世界が遠ざかっていく――。
 ヒイロの目の前に広がる故郷は今、炎に包まれていた。
 楽しい記憶が一握り。辛い記憶が満ち満ちた世界‥‥それが炎に包まれている。
 ついこの間まで当たり前のように続いていた明日が、あっけなく奪われて足元に転がっている。
「――ゲームをしましょう、大神緋色」
 炎を宿した大剣を片手に黒いコートの女は笑った。
「貴女の本当に大切なものは――どちらかしら?」
 女の足元には一人の少女が転がっている。血を流し傷ついた彼女を踏みつけ、黒衣の女は繰り返す。
「選ばせてあげる。だから捨てなさい。大切な友達か――大切な家族か」
 助けられるのは、どちらか一人だとしたら‥‥?
 熱い風が頬を撫でる。喉が渇いて頭がくらくらする。涙はきっと枯れて、直に思い知るだろう。
 自分が目指す存在の重さを。目の前に広がる現実の残酷さを。

 避けられない選択が今、少女の喉元に突きつけられた――。

●参加者一覧

崔 南斗(ga4407
36歳・♂・JG
上杉・浩一(ga8766
40歳・♂・AA
沖田 護(gc0208
18歳・♂・HD
巳沢 涼(gc3648
23歳・♂・HD
海原環(gc3865
25歳・♀・JG
南 星華(gc4044
29歳・♀・FC
福山 珠洲(gc4526
21歳・♀・FT
イスネグ・サエレ(gc4810
20歳・♂・ER

●リプレイ本文

●選択
「答えを聞かせて貰おうかしら? お嬢さん」
 焔の世界を背に黒衣の女は問う。その足元には身動きの取れない二人の人質の姿があった。
 焼け落ち始めた屋敷の中、少女は無言で目を瞑り、女の前に両膝を着く。
「どういうつもり?」
「ヒイロにはどちらか一人だけなんて選べません。だから、代わりにヒイロが人質になるです」
 少女の答えは炎の中静かに響き渡った。女は剣を突きつけ、溜息を漏らす。
「それがあんたの出した答え? 期待外れにも程があるわね」
「くず子もおばあちゃんも大事な人です。どちらか見捨てるなんて出来ない」
「そう。なら二人とも死ぬ事になるわよ?」
 刃を返し、女はその切っ先を斬子の首筋に押し当てる。ヒイロはゆっくりと顔を上げ、小さく言葉を紡いだ――。

●救出
 少女の選択より僅かに時を巻き戻した景色――。
 村は火の海と化し、嘗てそこにあった長閑な風景は今や見る影もない。
 あちこちを岩の巨人が闊歩する地獄のような景色の中、崔 南斗(ga4407)は声をあげながら走り続けていた。
「誰か、逃げ遅れた者は居ないか!? 声が聞こえたら返事をしてくれ!」
 呼び掛けに応じる声は燃え上がる民家の中から聞こえてきた。盾を構え扉を蹴破ると炎が彼を出迎え、高熱に思わず息が詰まる。
 濡らした重い服を気にも留めず彼は民家へ押し入った。部屋の隅で動けなくなっている老婆を見つけるとその身体を濡らした霧露乾坤網で包む。
「もう大丈夫だ、直ぐに助ける!」
 南斗が炎の中老婆を担いで走っていた頃、イスネグ・サエレ(gc4810)はバイクに跨りながら通信機を手に叫んでいた。
 既に避難した人々が集まる村はずれの畑でまだ救出されていない人の情報を得たイスネグはそれを仲間に伝えながら村へと舞い戻る。
 道中何体かのキメラと遭遇するが、イスネグはバイクでその合間を縫うようにして駆け抜けていく。
「失礼しますよ。時間が惜しいのでね!」
 村をうろつくキメラ隠れるように民家の陰にジーザリオを停め、上杉・浩一(ga8766)は燃える街を見ていた。
 彼が嘗て足を踏み入れたあの田舎の景色はあっけなく朱に染められてしまった。ハンドルをぎゅっと握り締め男は冷静さを繕う。
「上杉さん!」
 老婆を担いでやってきた南斗は車に老婆を乗せて頷く。浩一は数人の救出した村人を乗せ畑へと走り出した。
「ああ、わしらの村が‥‥」
 遠ざかる炎に包まれた村を見やり老人の一人が呟く。浩一は運転を続けながらバックミラーでそれを確認した。
「連れて行かんでおくれ。わしらにはあの村しかないんじゃ‥‥」
「村に戻るのは、無理だ。わかってくれ‥‥」
 老人を説得しながら浩一は彼らのすすり泣く声に耳を傾け、悪路の中ただ黙々と運転を続けた。
 入れ違いに村に入ったイスネグは南斗の傍でバイクを停車させ、彼に簡易の地図を手渡した。
「逃げ遅れている人が居そうな家を訊いて来ました! 手分けして探しましょう!」
「わかった、俺はこっちを!」
 二人が別々の方向へと走り出す。救出作業は順調だが、まだ全ての救出が済んだ訳ではない――。

 村で救出活動が続けられていた頃、火の手が上がり始めた大神家の屋敷へと到着した傭兵の別働隊の姿があった。
 落ち着かない様子で門の前に立つヒイロ。その肩を叩き海原環(gc3865)が言う。
「大丈夫ですよ、日曜日は私のラッキーデイですから」
「弟にヒイロちゃんたちのこと頼まれちゃったからね、なんとしても助けないと」
 続いて南 星華(gc4044)がその隣に立つ。ヒイロは頷き、涙を拭って門へと手をかけた。
「ヒイロちゃん、さっきの話を忘れないで」
 沖田 護(gc0208)は背後からヒイロに囁く。開かれた扉を超え、四人は大神邸へと駆け込んで行った。

●対峙
「どうして、こんな事をするですか」
 搾り出すような問い掛けに黒衣の女は斬子の首筋から刃を逸らした。
「あんたの絶望する顔が見たいから。ちょっとしたお遊びよ、意味なんてないわ」
 土下座していたヒイロが僅かに顔を上げる。
「あんたは今己の無力さに負けて這い蹲ってる。それはあんたが弱いから。あたしと一緒に来れば、強くしてあげるわよ?」
 顔を上げ立ち上がった少女は涙を拭い、拳を握り締めた。
「お断りです」
「大切な人が死ぬわよ?」
「死なせません! 犠牲を選ぶ権利なんてヒイロには無いけど、黙ってみているつもりもない!」
 ヒイロが動く気配を見せた時、黒衣の女は刃を振り上げた。
 永遠に等しい刹那の中、駆け出した少女は脳裏に仲間の言葉を思い浮かべていた。

「あなたがヒイロちゃんね。弟から話は聞いてるわ」
 自分は無力だ。村の入り口でへたり込んでいた時、星華の言葉で酷く安心した。
 差し伸べられた手は暖かく、一人ではないのだと思い自然と涙が零れた。
「敵が色々と言うかもしれんが、そんなもん糞食らえだ。自分をしっかり持てよ」
 村人の救助の為、燃え盛る村に残ってくれた南斗達三人が居たからこそ、安心して前に進めた。
「人は城、人は石垣、人は堀。情けは味方、仇は敵なり‥‥。生命を選ぶのだけが道じゃないですよ、ヒイロさん」
 悪路の中、ジーザリオを運転してここまで自分を導いてくれた環。許すような言葉が嬉しかった――。

 黒衣の女へと走るヒイロ。その隣を追い越し、星華が盾を構え、女へと体当たりを行う。
 女が怯んだのは一瞬だ。星華を蹴り飛ばし、剣を振り上げる。祈るような気持ちでヒイロは――斬子へと手を伸ばした。
「あんたが選んだのは、そっちって訳ね!」
 声は聞こえなかった。倒れた斬子を抱き、転がるように逃げる。その背中を女の大剣が撫で痛みが走っても足は止めなかった。
 斬子を抱いたまま走るヒイロの背後、女はヒイロの祖母へと刃を向ける。少女は振り返らず目を瞑り、友を胸に強く抱いた。

「三つだけ、あの訓練を思い出して」
 道中、車内にて護はヒイロの手を取り言った。
「『仲間と息を合わせ』『集中力』『爆発力』だ」
 それは二人が出会った依頼の中で、教官が生徒に教えた事。
「震えてもいい、前を見て。君は一人じゃない。皆を信じて、皆救うんだ――」

 障子を突き破り、縁側より福山 珠洲(gc4526)が飛び込んで来たのは正にその時であった。
「別働隊!?」
「貴様の炎ごと焼き切れろッ!」
 珠洲が放った斬撃を剣で受け止める黒衣の女。その隙に巳沢 涼(gc3648)も飛び込み、盾を構えて急接近する。
 爪で腕を弾きながら祖母を救出、護の傍に彼女を下ろしゆっくりと振り返った。
「どこのどいつか知らねぇが、舐めた真似しやがって‥‥。人質は返して貰ったぜ」
 傷を負い、しかしヒイロは友を抱き敵を見据えていた。そこにもう涙は無い。
「油断したですね。まんまと時間稼ぎに引っかかって」
「あんたまさか、最初から‥‥」
「弱いと見くびるからそうなるです。弱いヒイロにしか出来ない事がある――浩一君に教わった事ですよ。ヒイロは誰も見捨てない、それが答えです」
「よくぞ言った、それでこそだ!」
 後退し、ヒイロの隣に並んで剣を構える珠洲。黒衣の女は首を傾げた。
「どうやってあの複雑な山道を‥‥」
「地の利はこっちにあるんだぜ? 俺達にはヒイロちゃんがついてる。抜け道くらい知ってるさ」
「貴様はやはり、この子の力に遅れを取ったわけだ」
 涼に続き珠洲が鼻で笑うように告げる。女は珠洲の一撃で傷ついた仮面を指先で撫で剣を振った。
「それで勝ったつもりなら笑わせてくれるわ。二人とも奪い返せばいい――ただそれだけの話よ」
 漆黒の剣が赤熱し、一振りで炎を巻かせる。傭兵達は気を引き締め、強敵と対峙した。

●英雄
 キメラの放つ巨大な拳が浩一の身体を軽々と吹き飛ばす。
 村に残った傭兵達はキメラの足止めに奮闘していた。浩一は自らの傷を癒しながらキメラへと向かい、強烈な一撃で巨人を打ち倒した。
「上杉さん、大丈夫ですか?」
「このくらいいつもの事、ただのかすり傷だ」
 浩一と背中合わせに立ち南斗はラグエルを構える。既に何体かキメラの相手をしている二人だが、その周囲にはまだ多くの敵が残っていた。
 強がりを言って見せるが、浩一も南斗も既に疲労は色濃い。村中のキメラを相手にしているのだ、当然である。
 目的は殲滅ではなく時間稼ぎ。仲間が人質を救出して戻ってくるまで、この道を死守する事である。
「崔さんこそ傷が深いんじゃないか?」
「上杉さん程じゃないさ。それに通信、聞いたでしょう」
 人質は無事に救出したらしい。あの弱虫が啖呵を切ったのも聞こえた。それだけでやる気は満ちてくる。
「お互い損な役回りだ」
「全くです。だが‥‥負けてはやれないな!」

 二人が得物を手に走り出した頃、屋敷では追撃してくる敵との戦いが続いていた。
 人質を抱えたヒイロと涼は既に屋敷から出たが、他の傭兵は敵の猛攻に晒されている。接触すると炎を巻き上げる敵の刃は見る見る周囲を炎上させ、近づく事すら難しい。
「あんた達はあの子を助けたつもりかも知れない。けどそれはただ結果を先延ばしにしただけよ」
 その場で回転するように斬撃を放ち、星華と珠洲を吹き飛ばす。そのまま逃げた二人を追いかけようとする敵の前、護が立ちふさがった。
「行かせない!」
「退きなさい!」
 護は防御に徹し盾で炎の剣を弾き持ち堪える。そこへ環の放った弾丸が敵の腕を貫き、護が後退すると同時に環は一気に銃弾を連射する。
 女は大剣でそれを防ぎつつ後退。更に背後から珠洲が衝撃波を放つが、女は殆ど傷を負っていない。
「正体を現せ、ルクス・ミュラーを騙るバグア。何故ヒイロちゃんを苦しめる?」
「その名前、何処で聞いたのかしらね」
 環の放った銃弾の一つが当たっていたのか、仮面が砕け落ち素顔が露になる。護はその顔に見覚えがあった。
「ビリー君も、君が‥‥」
「そうよ。あいつの最期教えてあげましょうか? 死ぬ直前まで『助けてくれた仲間は裏切れない』って泣いて謝ってたわ。大人しくあたしの言う事を聞いていれば良かったのに」
 額に手を当て高笑いするその様子は護の知る少年とは程遠い。残虐な笑みを浮かべ、ルクス・ミュラーは言う。
「同じ様に首を刎ねてあげるわ、傭兵。這い蹲りなさい――」
 そこでルクスの動きは止まった。まるで何かに呼ばれたかのように振り返り舌打ちを一つ。
「‥‥時間ね。お遊びはまた出来るし‥‥また会いましょう、傭兵さん」
 炎を撒き散らしルクスは去っていく。焼け落ちる屋敷から脱出し、傭兵達はそれを振り返った。
「スズさん、星華さん、大丈夫ですか?」
「ええ、私の傷は大した事ないけど‥‥」
 星華の隣、珠洲は刃を納めながら息を吐いた。奇襲は成功したものの、強烈な一撃をお見舞い出来なかったのが心残りの様だ。
「‥‥次は必ず」
「ここからが始まりですね‥‥。そういえばヒイロさんと涼さんは?」
「二人とも、既に引き上げたみたいだね」
 環の質問に応じ、護は浮かない様子で歩き出す。
「護さん‥‥?」

 女性三人が顔を合わせ首を傾げた頃。
 キメラの足止めを浩一と南斗に任せて屋敷に駆けつけていたイスネグは涼の運転するジーザリオの車内で練成治療を繰り返していた。
 斬子の重傷は言うまでも無く、同時に救出した祖母も目を覚まさない。ヒイロは祖母の手を握り、首を横に振った。
「‥‥イスネグ君、くず子を治療してあげて」
「でも、先輩‥‥!」
「いいから、お願い」
 今にも泣き出しそうな笑顔を見てイスネグは唇を噛み締め、斬子の治療に移った。
「ど、どうした? 何でお婆ちゃんの治療を止めちまうんだ?」
 運転しながら涼が問いかけるが二人は答えない。
「おい‥‥ヒイロちゃん? イスネグさん?」
「涼さんは、運転に集中して下さい」
 振り返ったイスネグは力なく微笑んだ。彼は汗だくになりながら道中ずっと斬子に治療を施し続けた。
 環の運転するジーザリオで送れて撤退して来た傭兵達が見たのは避難の完了した村とその入り口に集まった仲間達の姿だった。
「村人の様子は?」
 下車した星華が南斗に問いかけるが、どうも様子がおかしい。
 村人達は浩一が呼んでいた救助隊に輸送され、既に村の入り口には残っていなかった。たった今斬子を乗せた救急車が遠ざかっていった所である。
 燃え盛る村を背景に立つ傭兵達の前、ヒイロは何故かまだ祖母を背負ったままだった。慌てて環が駆け寄り声をかけようとするが、ヒイロは黙って歩き出してしまう。
「ヒイロさん‥‥?」
「おばあちゃんはヒイロが背負って帰るですよ。だから、皆は先に帰ってて欲しいです」
「でもヒイロさん、怪我が‥‥」
 彼女もまたルクスとの戦いで負傷していたはずだ。しかし少女は黙々と祖母を背負って歩いていく。
「‥‥すいません。私の力が及ばないばかりに」
「イスネグさんの所為じゃない。恐らく、僕達が辿り着いた時には既に――」
 イスネグの肩を叩き護が首を横に振る。浩一は腕を組み、少女の背中をじっと見つめていた。
 いつかはこんな日が来る気がしていた。現実は常に残酷で、時に理不尽な程人を打ちのめす。
「‥‥まったく、困ったものだな」
 悔しい気持ちを押し殺すようにそう呟く彼の隣、走り出した涼がヒイロの肩を掴んでいた。
「ヒイロちゃん!」
「皆、一生懸命頑張ってくれて‥‥ヒイロ、嬉しかったです」
 振り返った少女は泣きながら笑っていた。言葉を失う涼の前、耐え切れなくなったのかヒイロはその場に膝を着いた。
「おばあちゃん、前から体が悪くて。だから、皆頑張ってくれたけど、仕方なくて。分ってたです、いつかこんな日が来るって」
 ぽたぽたと涙の雫が乾いた土に染み込んで行く。ヒイロは祖母との日々を思い出し、目を閉じた。
「早く一人前になりたかった。おばあちゃんが死んじゃう前に、安心させてあげたかった。嘘吐いてでも‥‥なのに」
 ヒイロを支え、手を差し伸べたのは南斗だ。涼も彼女に手を貸し、ヒイロを立ち上がらせる。
「でも最期に、少しかっこいい所を見せられたかな‥‥。もう一人じゃないよって、伝えられたかな‥‥」
 痛みを堪えて少女は歩き出す。傭兵達はそこに意味等無いと知りつつも彼女に付き合って歩き出した。
 少女の脳裏を過ぎるのは沢山の思い出。それは足取りを重くさせ、時にこれから彼女を苦しめるだろう。
 それでも前に進もうと思った。それは自分を支えてくれる人達が居ると知っているから。
「――手紙、書くですよ」
 あの夏の日、少女は祖母に約束した。
「大切な、友達の事。仲間の事‥‥だから」
 手を振り声を上げた。祖母は笑って手を振り返してくれた。
「だから‥‥安心してね、おばあちゃん」
 少女は一歩を刻み出した。例え全てを救えずとも、救うのだと理想を掲げて戦ったのだ。
 終わりでないと知る。この一歩こそ、英雄への条件なのだと。

 傭兵達の上に、等しく星明かりは降り注ぐ。責めるでもなく。癒すでもなく――。