タイトル:朝比奈アフター3マスター:神宮寺 飛鳥

シナリオ形態: ショート
難易度: 普通
参加人数: 6 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2013/02/22 07:08

●オープニング本文


 バグアとの戦争が一応の終結を見せた事により、世界は少しずつ変化を余儀なくされていた。
 戦争に支配されていた者、戦争に魅了されていた者、戦争に依存していた者、戦争を恐れていた者‥‥。
 全ての種類の人間がない交ぜにされ、これからは同じ大地の上を生きていかなければならない。それは生半可な事ではなかった。
 ただっぴろい平原を縦列になって進む幾つかの車両。未だバグアから開放されたばかりのこの地に訪れる一団があった。
 彼らは世界各地で活動している音楽家達である。今回、バグアから開放された都市を訪ね、演奏会を催すという慈善活動を行なっている。
 既に都市を回るのはこれで三つ目。軍人ならばいざ知らず、彼らはただの一般人である。悪路の長旅には疲れも見え始めていた。
「大変ですね、チャリティー活動ってやつも。誰に金が貰えるわけでもないのに」
 その車両の一つに黒いドレス姿の女が一人。その相向かいには正装の男が一人座っている。
「別にお金の為にやっているじゃないわ。そもそもお金にはそれほど困ってないもの」
「成程、確かに。それじゃまたどうして」
「そうね‥‥。罪滅ぼし‥‥かしらね」
 女は傍らに置いたヴァイオリンのケースに触れ、溜息混じりに呟いた。
 彼女の半生は正直なところバグアとは縁遠い物であった。安全な町を選んで仕事をしていたし、前線になんて一度たりとも赴いた事はなかった。
 戦争に関係のない身分だと、自分でもそう思っていた。自分自身の家族が戦争に巻き込まれるまでは‥‥。
「貴方、能力者なんでしょう? 前線には出た事あるの?」
「そりゃありますよ。勝ち目のないような化物相手に何度か死にかけたもんです」
「そう。実は私の娘も能力者だったのよ。今はもう、死んでしまったけれど」
 窓の外に視線を投げ出す女。彼女は一児の母であり、夫を持つ妻であった。
 しかし娘は生まれつき身体が弱く、絵描きであった父はそんな娘を連れて自然の溢れた土地への移住を希望した。
 だが、女はそれについてはいかなかった。彼女にとって音楽は人生そのものであったし、何よりその華やかさを手放す事は考えられなかったのだ。
 夫と娘の事を忘れていたわけではない。だが彼女は家族から解き放たれた事でそれまで以上に精力的な活動を可能とし、どんどん名を広めて行った。
 元々美しい女だったものだから、それが放って置かれるはずもなかった。若い男に言い寄られる事なんてしょっちゅうだったし、金にも人望にも困った事は一度たりともなかった。
「順風満帆な人生だったわ。だけど、その為に何を犠牲にしていたのか‥‥私は気付いていなかった」
 娘と夫が暮らす町がバグアと能力者の戦闘に巻き込まれて焼け落ちてから、彼女の人生は大きく変わった。
 夫が死に、娘は心に深い傷を負った。コネを使って娘はLHの病院へ入院させた。そこが医療技術的にも安全度的にも最良だと考えたのだ。
 間もなくして女は別の男と再婚した。ますます仕事は忙しくなり、娘をほったらかしにしたまま世界中を転々とする日々が続いた。
 娘には一切不自由を強いていないつもりだった。だがそうやって放っておいたのが拙かった。娘は能力者になると言い出したのである。
「娘は一人、ぼろぼろの身体を引き摺って戦い続けた。もう戦うのなんて不可能な身体だったのに」
「そうまでして戦いたい理由があったんでしょう」
「そんなのは戦いに向いている人間がやればよかったのよ! あの子は向いてなかった!」
「あんたにそれがわかるんですか? 話を聞いていると、どうにも俺にはあんたが娘を理解しているとは思えないんだが」
 むっとした様子の女。しかしすぐに脱力する。
「そうね。貴方の言う通りだわ。私は戦争を何も理解していなかった。自分が何をしたのか、娘がなぜ戦ったのか‥‥だからせめて、世の中の役に立ちたいと思ったのよ」
「娘さんをほったらかしたヴァイオリンでか?」
「私には他に何もないのよ。言葉で何かを伝えるのは苦手だわ。私達ってそういう種類の人間なの。例えヴァイオリンが憎くてもそれは変わらないわ」
 肩を抱いて苦しげに呟く女。男はサングラスを外し、しわくちゃになった煙草を一本取り出した。
「やっぱりあんたは娘の事を何もわかっちゃいねえな」
「どういう意味?」
「あんたを探し出すのには苦労したぜ。ガードマンとか普通にいるしよ。こういう時じゃないとサシで話も出来ねーんだもんな」
 眉を潜める女。男は真剣な眼差しで女を見つめる。
「俺の名前は朝比奈夏流。あんたの娘、スバル・シュタインと共に刀狩りと呼ばれたバグアを倒した男だ」
「刀狩り‥‥!?」
「そう。あんたの娘を死なせた連中の一人だよ」
 直ぐに無線機に手を伸ばす女。朝比奈はその腕をつかんで制止する。
「カシェルの奴が随分罵倒されたって言うからどんな傍若無人な女かと思いきや、案外可愛らしいトコあんじゃないの」
「一体何が目的‥‥?」
「ただ届けものがあるってだけだ。あんたの娘から、あんたに渡すように頼まれてる。世界的ヴァイオリニストの、メシエ・シュタインさんにね」
 ニヤリと笑う朝比奈。その時二人を乗せた車が急停止した。
 イヤホンに手を当てる朝比奈。それから直ぐに車から飛び出す。
「キメラかなんかが出たらしい。ちゃっちゃと殲滅してくるから、ちょっとそこで待っててくれ」
「ちょ、ちょっと!?」
 走り去る朝比奈。メシエはその背中を見送り頭を振った。
「まったく、なんだっていうのよ‥‥今更!」
 それは誰に向けた言葉だったのか。女はドレスの裾を掴み、朝比奈を追いかけ走り出すのであった。

●参加者一覧

百地・悠季(ga8270
20歳・♀・ER
クレミア・ストレイカー(gb7450
27歳・♀・JG
夢守 ルキア(gb9436
15歳・♀・SF
レインウォーカー(gc2524
24歳・♂・PN
ヨダカ(gc2990
12歳・♀・ER
月読井草(gc4439
16歳・♀・AA

●リプレイ本文

 敵の出現の報告を受けた傭兵達はそれぞれ担当していた車両から降り、前方へ向かった。
 そこには数体のキメラが進路を塞ぐように展開しており、じりじりと車両に近づいてきている。
「結構数が多いわね。一個体の戦闘力は低いって話だけど」
「撃ち漏らしがあると厄介だね。一応数は気にしておこーか」
 バイブレーションセンサーを発動しつつ、周囲の敵を警戒する百地・悠季(ga8270)と夢守 ルキア(gb9436)。敵は正面に見えているだけで、側面や背後から迫っている物はいないようだ。
「数は八体か。ま、特に問題ないよね」
 二丁の銃を取り出しながら笑うルキア。そこに朝比奈とメシエが走ってくる。
「悪い、出遅れた。どうなってる?」
「敵は八体、正面からのみ‥‥って、彼女は? 護衛対象じゃないの?」
「ああ‥‥ついてくんなって言ったんだが、どうしてもって言うんでな」
 悠季の問いに困った様子の朝比奈。ヨダカ(gc2990)はメシエをじっと見つめている。
「あの人がす〜ちゃんの‥‥」
 そこへ最後にやってきたのがクレミア・ストレイカー(gb7450)。バイクに跨っての登場で、朝比奈達の傍に停車した。
「車両から外に出ないように言ってきた所なんだけど、もしかして無駄だったかしら?」
 バイクから降りてメシエを見るクレミア。他の護衛対象は車両の中にいるのを確認してきた所だ。
「護衛担当は朝比奈だったわよね?」
「う、うるせーな! 俺だって危ないから残れって言ったわ!」
「私が無理を言ってついてきたの。能力者の戦いぶり‥‥その仕事を間近で見てみたくて」
 メシエの言葉に肩を竦めるクレミア。ヨダカは背中を向けたまま声をかける。
「メシエさんは安全な所に下がっているのです!」
「さ、こっちへ。あたしの傍から決して離れないように」
 悠季はメシエに寄り添いながら後退する。これで漸く戦闘態勢を整える事が出来た。
「悪いな、待たせちまった」
「ああ、いいよぉ。あれが例の‥‥なんだろぉ?」
 レインウォーカー(gc2524)に頷き返す朝比奈。レインウォーカーは刀を抜きながら微笑む。
「やらなきゃいけない事があるんだろ、朝比奈ぁ。なら、邪魔者は全部斬ろうかぁ」
「見た感じ明らかに雑魚だしなー。こんな時だからこそ暴れちゃうぞ!」
 剣をふりふりしながら声をあげる月読井草(gc4439)。警戒しながらうろついていたキメラが動き出すと傭兵達は得物を手に応戦の構えを取った。
「それじゃ連携と行こうかルキア。ボクは軽やかに避けるから、お前は敵に当てなよぉ」
「ふーん。言っておくケド、私は容赦なんかしないからね」
 レインウォーカーの言葉に不敵な笑みを浮かべるルキア。
 レインウォーカー、朝比奈、井草の前衛三名が走り出す。クレミアはその挙動を邪魔しないよう、兆弾で前衛を迂回した攻撃を放つ。
「いっくぞー! 今必殺の‥‥両断剣・絶ーっ!」
 振り上げた剣を勢いよく振り下ろす井草。クレミアの攻撃で怯んでいた敵を真っ二つにし、決めポーズを取る。
「決まったー‥‥これは滅多に出せない大技だからな‥‥斬ったのはつまらんものだが‥‥」
「雑魚相手に何やってんだ‥‥」
 呆れながら大剣でキメラを斬り殺す朝比奈。レインウォーカーも素早く刀を振るいキメラの首を刎ね飛ばす。
「んー。弱いねぇ、こいつら」
「お前には物足りないだろうな、そりゃ」
 と、急に思い出したように跳躍するレインウォーカー。その直後、ルキアの放った制圧射撃が前線を襲った。
「あぶねあぶねあぶね!?」
「うおぉっ!? こいつはヤクイ!」
 古いアニメのようにその場でジタバタしながら回避したり防いだりする朝比奈と井草。そこへストンとレインウォーカーが落ちてくる。
「ちぇ、外したか」
「甘いねぇルキア。攻撃直後を狙った所は良かったけど、いかんせん相手が弱すぎたなぁ。隙という程の隙でもなかったさぁ」
「お前らは何と戦ってんだ何と!」
 井草を抱えながら叫ぶ朝比奈。レインウォーカーもルキアも別にけろりとしている。
「猫は繊細な生き物なんだぞ‥‥びっくりさせるんじゃない‥‥」
「あは、イノチさえも、奪い合えるホドの信頼?」
「そこに俺達を巻き込むな!」
「巻き込んだんじゃないよ。勝手に入って来たんだよ」
 ぎゃあぎゃあとそんなやり取りをしている傭兵達に襲い掛かるキメラ。その額をクレミアが撃ち抜いた。
「余裕なのはわかるけど、まだ敵は残ってるわよ」
「おっと、いけないいけない‥‥すっかり忘れていたよぉ」
 爪と牙を避けながら笑うレインウォーカー。ルキアは溜息を漏らし銃を構え直す。
「あーあ。レインと殺り合える日は、何時来るんだか」
「ぐぬぬ、一回しか撃てない両断剣・絶を使ったのに、なんかあんまり目立ってない気がする‥‥!」
 涙目で悔しがる井草。そんなトタバタをやりながらも傭兵達はキメラを次々に蹴散らしていく。
「どうやら問題なく片付きそうね」
 後方でメシエと共に戦闘を眺めていた悠季。ここまで敵が来るのであれば相手をするつもりだったが、どうやら杞憂に終わりそうだ。
「凄まじいのね、能力者って‥‥実際の戦闘は始めて見たけど‥‥」
「あれが能力者全体の戦いぶりだと思われるのは、ちょっと心外だけどね」
 苦笑を浮かべる悠季。そうしている間に銃撃の音は止んだ。どうやら戦闘はあっさりと決着を迎えたようだ。

 目的の町に到着した楽団は演奏会の準備を始めた。
 使用するのは公園だった場所にある野外ステージだ。とはいえ街全体が戦闘の結果無残に崩れており、ステージも半分程瓦礫に埋まっていたのだが。
 街の治安も決して良いとは言えないだろう。キメラは勿論人間も信用出来るかどうかは怪しい所だ。
 能力者の存在は護衛としても設営としても有用であった。悠季はステージの瓦礫を撤去したり、機材の設置を手伝っている。
「ここで演奏をするのも厄介だけど‥‥あっちも中々厄介な問題を抱えてるみたいね」
 遠巻きに視線を向けた先ではステージの隅でヨダカとメシエが対峙していた。
 傭兵達は護衛や手伝いに従事しつつも二人の会話には耳を傾けていた。こうなる事はある意味わかっていた事なのだ。
「‥‥貴方がす〜ちゃんの、スバルの母親なのですね」
「そうだけど‥‥あなたは?」
「ヨダカはす〜ちゃんの友達なのです。最期の時、一番近くにいたのですよ」
 スバル・シュタインは戦死ではなかった。戦いに勝利し、病死したのだ。その時ヨダカは傍で彼女を看取った一人だ。
「どうして‥‥どうしてす〜ちゃんの事をずっとほったらかしにしていたのですか!」
 詰め寄るヨダカ。メシエは驚いた様子で黙り込んでいる。
「仕事が忙しくたって時々会いに来る事ぐらい出来たじゃないですか! ヨダカはす〜ちゃんから母親の話を一度も聞いた事無かったのですよ。だから貴方を好きだったのか嫌いだったのかも知りません。けど、一緒に居れば一番辛かった時に支えて上げられたんじゃないんですか?」
 神妙な面持ちで俯くメシエ。ヨダカは拳を握り締める。
「す〜ちゃんは自分の意志で闘いに臨んだのです。それはヨダカが一番よく知っています。死にたくない、幸せになるんって叫んで、その上で前へ進んで死を受け入れたのです」
「あの子が‥‥? そんな‥‥」
 少なくともメシエの知る娘はそんな人物ではなかった。
 引っ込み思案で他人と上手く付き合えず、言いたい事も言えず我慢ばかりしていた。諦めて、自分の人生を悲観したまま塞ぎこんでいたのに。
「居なくなってから面影を探したって遅いのです。死んだ人にはたとえ銀河の果てまで行ける船でも会えやしないのですから。それなのに今更出てきて‥‥す〜ちゃんがどんな気持ちで、どんな覚悟で戦ったのかを知りもしないで!」
 何も言わないメシエに背を向けるヨダカ。そして小さく呟いた。
「す〜ちゃんは立派な意思を持った、立派な戦士だったのです。それだけは絶対に否定させないのです」
 立ち去っていくヨダカ。メシエはすっかり落ち込んだ様子で肩を落としている。
「派手にやったなぁ。ヨダカとの話を聞かせてもらったよ。スバルのお母さん、と。ひとつだけ言っておきたいことがあってさぁ」
 笑いながら歩いてくる傭兵達。レインウォーカーはメシエに語りかける。
「スバルは戦士だったよ、一人前のねぇ。己の意志で立ち上がり、仲間と共に進む本物の戦士だ。迷ったり悩んだり苦しんだりしても、自分の選択を後悔してはいなかった。ヨダカの様にスバルを支えてくれる友達もいたしねぇ。だから、スバルを貶す様な事を言うのはやめてくれないかなぁ」
「私‥‥知らなかったわ。あの子がそんな‥‥私はてっきり、周りに無理矢理やらされてたものだとばかり‥‥」
「家庭の事情はわからないけど、スバルはいい娘だったよ。ただ母にとって音楽が何よりも大事だったように、娘の方もやりたいことを自分で見つけたってことさ。親はなくとも子は育つ‥‥でしょ?」
 頭の後ろで手を組みながら笑う井草。そうして言葉を続ける。
「確かに最初はどー見ても傭兵には向いてなかったよ。でもそこから自分で頑張って、周りも助けて最後は一人前の傭兵になってた。死んだサバみたいな目してた奴が、『もっと生きたい!』なんて言っちゃってさ」
 鼻の頭を擦りながら寂しそうに呟く井草。
「出来ればもっと一緒に漫画の話をしたかったよ」
「あの子、私にはそんな風に心を晒してはくれなかったわ。私‥‥本当に母親失格ね」
「そんな事はないわよ。親が子を想う‥‥そんなのは何時だって当たり前の事じゃない」
 そっとメシエの肩を叩く悠季。肩を竦めながらその隣に立つ。
「例え離れてても先行きの心配をするのが母親だし‥‥例え子供が自分に反発していようがね」
 メシエの行動が正しかったのか、母親として立派だったのかはわからない。だが悠季は同じ母親として彼女の気持ちを理解していた。
「先に死なれたら悲しいに決まってるじゃない。皆が責めてる言葉はもう自分で既に叩きつけてるだろうから。今辿る事で思い返しているのだし‥‥そうやって癒すしかないのよ。肉親の死はね」
 無論、傭兵達もわかっていた。彼らも故郷に家族を残してきたり、別れを乗り越えてきた者達だ。
 故にきつくメシエを責める様な事はなかった。むしろ彼らはメシエに何かを伝えようとしているようですらある。
「親でもなんでもさ。結局ダレカが出来るのは理解の近似値で、理解では決してないんだよね」
 青空から差し込む光にルキアは手を翳す。
「完全に理解し合えないからこそ、私は全てをキロクしたい。それが私の在り方。他者のセカイを、キロクする」
 メシエへと向き合い、その顔を覗きこみながら問う。
「きみは、どういう風に在りたいの? そこが良く見えないんだよね。きみのセカイは、何を望んでいるの?」
「あんたが本当にやるべき事、何なんだろうねぇ? ボクにはただヴァイオリンを奏でるだけじゃダメな気がしてねぇ。おっと、言うことが二つになっちゃったなぁ」
 ウィンクしながら微笑むレインウォーカー。ルキアの手を取り、片手を振りながら去っていく。
「ボクはヒース・R・ウォーカー。スバル・シュタインの友達さ」
「私は別に友達じゃなかったケドね」
「ボクはねぇ、スバルには沢山友達が居たって事を言いたいんだよぉ、ルキア」
「ならあたしもスバルの友達さ。ヨダカに話を聞いてみなよ。遠く離れてしまっても分かるだろう。いい娘だったさ。あんたの知ってる通りのな」
 次々にステージを降りていき、残ったのは朝比奈とメシエだけ。朝比奈はそこであるものを差し出す。
「あんたにスバルから預かりモンだ」
 それは布をかけられたカンバスだった。描かれていたのは――バイオリンを弾くメシエの姿だ。
「スバルは三つの絵を画き遺した。二つは友達に、そして最後の一つがあんたへのメッセージだ」
「‥‥スバル」
「‥‥勝手知ったる事を一生懸命やる。今日を一生懸命やらなければ明日なんて絶対にないという事を、彼女は身を持って経験していたんじゃないかしら?」
 突然声が聞こえ飛び退く朝比奈。見ればステージ下に腕を組んでクレミアが立っていた。
「お前いたのか‥‥」
「ずっとね。あなたが本当にやるべき事、スバルが何を望んでいたのか‥‥皆が何も言わなくても、もうわかったんじゃないかしら?」
 そこに描かれていたのは、ただバイオリンを弾く女ではない。
 笑みを浮かべ、絵全体からとても楽しく明るい雰囲気が漂ってくる。それは心の底から演奏を楽しんでいる女の絵であった。
 そしてそこには三つの絵に共通する言葉が添えられていた。メシエはそれを目にした瞬間、ステージの上で泣き崩れるのであった。

「言いたい事、言えたみたいだねぇ。お疲れ様、ヨダカ」
 演奏会が始まった。灰色の町に音楽が流れる中、レインウォーカーはヨダカの肩を叩く。
「親子ってフクザツだねー。なんだかよくわかんない。私が変なのかな?」
「いいんじゃないかぁ? それがルキアなんだろ」
 笑い合う二人。ヨダカは演奏を聴きながら空を仰ぎ見る。
「ヨダカだってもっと、一緒に居たかったのです」
 春には揃って桜を囲み。
 夏には蝉時雨に耳を傾け。
 秋には紅葉に染まる山を見上げて。
 冬には寄り添って暖を取る。
 そんな当たり前の日々がずっと続いたらどんなに良かっただろう――。
「彼女、少し吹っ切れたみたいね」
 微笑む悠季。壇上のメシエは美しく、間違いなく世界有数のヴァイオリニストであった。
「手に職があるといいわね。能力者を辞めたらどうするか、考えるだけ憂鬱だわ」
 小さく溜息を零すクレミア。
「意地やプライドは捨てて新しい事を始めないと、朝比奈みたいになっちゃうのよね」
「どういう意味だ」
「もし朝比奈が能力者じゃなかったら、ただのガサツな男でしかないじゃない」
「余計なお世話じゃ!」
「別に悪気はないのよ。ただ‥‥やっぱり勝手知ったる事を一生懸命やるのが手っ取り早いって話よ」
 今のメシエ・シュタインに出来る事は何か。
 スバル・シュタインが望んでいた事は何か。
 傭兵達のお陰で、親子は漸く絆を結べたのかもしれない。

 演奏終了後も彼方此方で音楽は流れ続けた。
 疲れた町の人々と踊り歌い、笑顔を交わす。
 それが心の傷を癒すたった一つの手段であるかのように。
「届け物は渡せた?」
「お蔭様でな」
 並んで人々を見守る井草と朝比奈。
「一つ聞かせてくれ。本当は何て名前なんだ?」
「俺か? そうだな。俺の本当の名前は‥‥」
 二人の視線の先、ヨダカとメシエが向き合っている。二人が言葉を交わす様子に朝比奈は笑みを浮かべ。
「ラルクだよ。ラルク・オルディアスだ」
「そっか。それじゃあまたどこかで会おうや、ラルク!」
 晴れやかな笑顔を浮かべる青年。それは彼にとって漸く過去と決別し、新たな一歩を踏み出した瞬間でもあった――。