●リプレイ本文
●前兆
マルセル・ライスター(
gb4909)の、ささやかな鼻歌が聞こえる。
調理実習室には、香ばしい匂いがただよっていた。講義に向けて、マルセルが茶菓子を焼いているのである。青い瞳をあちらへこちらへと動かして、手際よく焼いていく。趣向を凝らしたらしく、出来栄えに「うん」と唸った。
甘い香りは、誘蛾灯のように人をひきつける。マルセルの立ち働く姿を、扉の隙間から、こっそりと窺う影が一つ、あった。獲物を見つめる獣のように、凶暴な瞳を向ける。マルセルは、ぞわりと背筋を寒くした。しかし、目を向けたころには、誰もいはしない。視界の外、その廊下に、長い三つ編みの端がヒラリと舞うのであった。
●梅の前にて
「はい、わびさびを知る雅で文化人の空が川柳を詠みに来ましたよ! ええ、決して和菓子に釣られたとか、適当に詠んで、後は和菓子食べ放題に突入してやります! とか邪な事は考えていませんよ? 考えていませんよ?」
言いつつも、最上 空(
gb3976)は金色の目を近くの和菓子屋に突っ込んでいった。山のように用意された菓子が見る間に消費される。「甘い物を補給して、脳に栄養を与えようと思います」と言いながら空は饅頭を両の頬に詰め込み、「はい、頭を働かせるには糖分が大事ですからね!」と言っては甘酒で喉へ流し込む。講師のメリィの視線に気づくと、
「桜餅 もっとおかわり 下さいな」
唐突に、五、七、五の区切りを行う。すべては川柳作成のためであると言わんばかりであった。
「和菓子食べ放題・・・・では無く! 日本文化を感じに参上しましたよ!」
あざといまでのアピールも、唇の端に付いた『あんこ』が説得力をなくす。「コレが日本文化ですか! 凄く甘露でおいしいですね」と、もはや開き直る空に、メリィは突っ込むべきか一瞬考え、「まあ、いいか」とつぶやく。
「私は少し場違いですね。いや、そうでもないのでしょうか」
チラと辺りへ目を配り、ガーネット=クロウ(
gb1717)はつぶやく。視線を向ければ、三十ほどに見えるUNKNOWN(
ga4276)の、悠々とした姿がある。黒のフロックコートにスラックスを合わせており、口元には煙草が煙を揺らめかせていた。帽子に半ば隠れた目が、ふいにガーネットを向く。鋭い瞳は寒気を誘うほどであったが、皮手袋をはめた手で、その帽子を軽く傾けると、UNKNOWNは優しげに微笑むのであった。
きっちりとした服装は、風景に映える、と言えなくもない。シルクのマフラーの艶やかな色合いが、梅のそれに、少し似ていた。であれば、どこか重厚な雰囲気は、年経た幹の荘厳な面持ちだろうか。
ガーネットは、まだ少し寒気の残る風に赤い髪を揺らし、他を見回した。散り初めといったところか。白い花は精一杯に開き、ときおり吹く風に、その欠片を雪の切片のように飛ばす。ふわりと、匂いが鼻を打った。
ふと目を向けると、いつの間にか、一人、増えていた。長い三つ編みを垂らす少女である。マルセルの持つバスケットに鼻を近づけて、しきりに動かしている。学生だろうか、と思ううち、マルセルはガーネットの視線に気づくと、バスケットを開いて中身を見せる。
「抹茶生地のバッフェルに、バニラクリームをサンドして、和風にアレンジしてみました。もう一つにはイチゴクリームをサンドしています」
ニコリと笑う仕草は、どこか自慢げで子供っぽく、愛らしい。後ろから伸びた手に、ヒョイとマルセルは茶菓子の一群をヒョイと持ち上げて、届かないようにして見せた。青い瞳が、その手の主を見据える。
「・・・・ところで何故、朝見先輩がいるのでせうか?」
疑わしげな目を向けて、首をかしげる。視線の先、同じくカンパネラ学園生である朝見胡々の不満げな顔があった。餌を取り上げられた獣のように、いまにも唸り声をあげそうな勢いでマルセルを睨む。
「先輩が講義の掲示板なんか見るわけないし・・・・。あっ! さては、調理実習室からつけてきたなッ!?」
ピッと指摘すると、いいから寄越せとばかりに胡々は襲い掛かった。高くあげた腕は、その格好のまま倒れていき、もつれて草葉の浮かぶ土の上に転がる。菓子を求めて胡々が動くたび、下に敷かれたマルセルは声をあげた。
「ちょ・・・・ あげますから、爪を立てない・・・・」
ぎゅうぎゅうと地面に押し込まれ、マルセルは叫ぶ。暴れるせいで白い肌に火照りのような熱が浮かび、乱れた衣服と共に、どこか倒錯げな風情が表れだす。ガーネットとUNKNOWNは、展開に手を出さずに眺めた。
「いたっ、いたいっ、血走った眼が怖いッ!! 先生っ、見てないで助け・・・・アッ―」
メリィも手を出さず、ただただ、叫びが響いていく。
『半ズボン 堕ちる素足に 散る椿』
誰が読んだか、一句、ヒラリと風に舞った。
「――梅誘い酒匂い売る初春か」
UNKNOWNはつぶやいて、一升もの酒を手に、木々の間を抜けようとする。ガーネットは、ふと思い出して、
「義父に心当たりはありませんか?」
と、尋ねた。経緯を話すも、UNKNOWNは小さく首を横に振る。大きな期待があったわけでもないが、「そうですか」と頷くと、ガーネットは少しばかり俯いた。「ともあれ依頼です。日本の文化に造詣を深めればいいのですね」と気を取り直して、UNKNOWNに向き直ると、酒瓶が目に入る。
「花に一献。そんな句も、あるのだよ?」
酒を示して、微かに笑う。飲むか、という言外な誘いに、ガーネットは手を振って、
「未成年ですから、飲酒はできません」
と断った。UNKNOWNは頷くと、帽子を軽く持ち上げて、傍らの梅の木を眺めた。
「私なら、酒の句、という所だな」
持ってきた朱杯の一つに酒を注ぎ、くいっ、と乾す。
「梅に酒にほいつまみに杯すすませ」
杯を重ねるところへ、ガーネットが緑の瞳で物問いた気に見つめるのに気づくと、
「ん? ふざけてなどいない、さ。バショウ・マツヲやソウセキも梅や桜と、酒の俳句等を呼んでいるのだよ?」
UNKNOWNは口の端で、微笑んで見せた。そういうものかと、ガーネットは首を立てに動かした。
そうしているうち「わびさびを知る文化人」を自称する空が、両手に大福や団子を持ったままやってきて、日本文化について語った。ようやく胡々の折檻から復帰したマルセルも聞き入り、メモをとる。
「ニンジャやサムライは本当はいない、という程度の知識はありますが、日本とは?」
首をかしげるガーネットに、空は語る。――然り。ニンジャはいない。しかし、クノイチという隠密集団がおり、これは空のような美少女能力者たちの集団である。彼女たちは甘味をエネルギー源とする特殊体質のため、前大戦中は糖分の補給が間に合わないために力を発揮せずに終わった。そのため日本では和菓子が発達したのである云々。
当然のことながら嘘であり、あまりにもあまりな解説に聞き入るガーネットに、UNKNOWNはちょっと杯を持つ手を止め、軽く歴史について話した。川柳の歴史など、多岐に渡る知識を、さりげなく披露する。
ふいに、はらりとガーネットの手に、梅の花びらが落ちた。鼻に近づけ、くんと匂いをかぐ。何か思うところがあるのか、それをそのまま空にかざした。雲の佇む空の中では、同じ白で、あまり目立たない。
「なぜ日本で薔薇や菊、百合ではなくこの地味な花が好まれたのでしょう?」
質問をすると、UNKNOWNはよどみなく答えた。由来のさわりと、春告草という別名などを。
「なるほど、冬が厳しいが故、最初に春を告げる花が好まれたと言う事ですか」
もう一度、ガーネットは花びらを見た。香るのは雪解けの匂いだろうか。吹く風に、ヒラリと、手から舞った。
そんなガーネットの横で、しかしマルセルは胡々に捕まり、散々に吹き込まれ、「ニンジャーニンジャー、ゲイシャー」と言うだけの謎の面白外人と化していた。茶を飲み終わったら、茶器に爆薬を詰めて爆破するのが礼儀であり、これを「マツナガ式」と呼ぶといったことや、会話や物事の終わりには「オチ」と呼ばれるものが必要であり、これを蔑ろにする者は暗黙のうちに集団から排斥されるようになるということを本気で語る。
「そうなのですか?」
と毒されかけるガーネットに、日本では兄妹間の恋愛も珍しくはないという話を聞いたばかりのマルセルは、意気揚々と頷いてみせる。後ろで胡々が馬鹿笑いをしていた。
「マルセルは 病的なほど シスコンだ」
片手の大福を食べ終わった空が、一句詠む。聞こえたか聞こえないか、マルセルは胡々の笑いにつられて、「HAHAHA」とドイツ生まれのはずが、どこかアメリカ臭く笑うのであった。
「『酒に飲み酔わず明けたり今朝の春』と、まあたまには花を愛でる時間も、とね」
一人、混乱からちょっと距離を置いて眺めるUNKNOWNが詠む。舞う花、咲く花、そしてにぎやかさの花があった。渋みのある横顔を、微かに緩めて、また一杯、くいっ、と飲み乾した。
再び酒を注ぐと、花弁が一枚、杯にひらりと落ちて、水面に、その背を預ける。杯の色に、その白が映え、ゆらゆらと動く様に応じて、梅の香りがふわりと広がるようだった。
「お、粋だな。判っている、な」
木を仰ぎ見る。ゆらゆらと枝を揺らす姿に、UNKNOWNは鋭い眼光を、少し細めた。
その裏で講師メリィによる似非日本文化撤廃講義が行われる。とはいえ、メリィも深くは知らないため、若干、マルセルには後遺症のようなものが残ったかもしれない。ハッと気づくと、マルセルはメリィに詰め寄り、
「しかし先生。学園の講義という厳粛な場で、仮に冗談でも飲酒をほのめかす記述は問題があります。節度と規律、道徳をしっかり持つのも、『力を持つ者』が負うべき責任だと俺は思いますよ?」
ピシリと、指摘をする。ムッ、と凄んでも、その顔は可愛らしさが先にたち、怖気づくよりは抱きしめたくなる容姿であった。メリィは五回ほど「日本文化」という言葉を使って長ったらしい洗脳じみた弁解をし、おおよそ三度目でマルセルの瞳から光がなくなり、「文化ならしょうがない」という結論を示すに至った。
句を詠むという本来の目的についても、ついでとばかりに話す。
「5、7、5ですね。ありがとうございます」
ガーネットは話をそのまま受け、降る花びらを青白い手に受けた。それをじっと見つめて、
「梅の花。ふむ、言葉はそのまま過ぎては駄目なのでしょうか」
首をひねった。言葉をひねろうとしているのと重なって、ちょっと、可笑しくも可愛い。
「梅といえば天神の有名な句もあるわよね。『こち ふかば におい おこせよ うめのはな・・・』という」
悩む姿を見かねてメリィは、そんなことを言う。ガーネットは「こち、とはなんですか?」と尋ねたところへ、春に吹く風のことと告げた。漢字にすれば、『東風』、あるいは『春風』となる。
「こち・・・・」
ぽつんと、ガーネットは繰り返した。梅を見上げる。青白い肌に、すこしだけ興趣をそそられたような色が点った。その横で「大福とみたらし団子のおかわりを下さい、もう少しで閃きそうなので」と頬や唇にタレやら餡やらをくっつけて注文する。運ばれる間に、ヒョイと梅の木を見ると、
「桜も良いですが梅も乙な物ですね、まぁ空の魅力には及びませんがね」
気ままに言って、「梅さえも 空の前では 脇役だ」。さらりと、新たに一句詠んだ。そうか、あのように自由に作ればいいのか、とガーネットは思ったかどうか知れないが、いくぶん気楽に、梅を眺める。
文化を体験と言うことで、一同に茶を勧められる。どのようにしたらいいものか、手順に迷っていると、ふいにUNKNOWNが杯を置いて、ゆるやかに礼儀を示し、裏千家流で一つ、点てた。静かな挙措に、すこしばかり、煙草と酒の香りが漂う。あるいは、それがダンディズムというやつだろうか。
「ふぅ、心も体も満たされたので、少し横になりますかね」
飲むだけ飲み、食べるだけ食べ、空はごろりとシートに横になる。にんまりと、その頬が喜悦に緩みきっていた。これは本当に講義であろうか。ただの旅行ではなかろうか。だって食べて飲んで横になっているだけなのだから。
「満腹だ 梅愛でながら お昼寝だ」
講義であろう。およそ、句を読み、梅を楽しめば、それで万事良いはずだ。
同じように、マルセルの作ってきた茶菓子を食べきり、「美味しかった美味しかった」と言って、さっそく猫のように丸まって寝入った胡々という生徒もいる。ムニャムニャと、満足そうな顔で寝息を立てていた。
マルセルはそれを見て、一つ大きなため息を吐いた。和茶を一杯もらい、それをずずっと啜る。眺めていると、はらはらと舞う花びらの一つが、ヒラリヒラリと舞って、胡々の頬に落ちた。軽く笑って、マルセルは一句、
「茶請けに 君の笑顔と 梅の花」
そう詠んで、再びずずっと、茶を啜った。「・・・・喜んでくれたなら、それでいいか」と、目を細める。
寝入るもの、静かに楽しむもの、句を練るもの、ゆるりと時間が過ぎていく。
「ふむ、もう終わったか・・・・では、失礼するかな?」
一升の酒を飲み乾しながら、足元に狂いもなくUNKNOWNは立ち上がり、眠っているものも含めて、軽く帽子を押さえて挨拶をした。最後にメリィへの挨拶を終えると、梅の幹を軽く叩いて、
「お邪魔した、ね」
ぽつりと、言った。紅のタイと銀のカフスを射し始めた陽光に閃かせ、花の中、流れに身を任せるように、ふらりと歩き、消えていった。その酒と煙草の名残が、ふわりと吹く風に乗って、梅とともに微かに香る。
ガーネットが空を見て、ふいに詠んだ。
「春風吹いて、晴れ間に映える、白い花」
視線の先では、風に乗って雲が動き、青空が広がっている。梅の白が、その青に映えていた。メリィに問われ、「雪と同じ白色の雲の下では映えなかった梅の花が、青空の背景ではこんなに目を惹き付ける驚きを」と、ガーネットは再び青空を見つめながら、答えた。
「春風吹かば・・・・」
メリィがつぶやく。ガーネットは、チラリとそちらを見て、また、空へ目を戻した。梅の花が揺れ、そのかぐわしい芳香を、あたりへ放っていた。晴れ間に見る、その白が、いやに輝いて、そのときには見えた。
●帰還
眠りから覚め、空は紅茶を手に、「角砂糖 紅茶に投下 七個ほど」と、さらりと詠んだ。そろそろ日も落ちるであろう。それぞれに帰りの準備を始める。そうした中、マルセルが一人、遠くまで行って帰ってきた。
「え、だって、オチが・・・・」
メリィに聞かれて、そんなことを言う。ドォン、と、どこかで大きな音がした。おそらくは花火の音かなにかであろう。縁日が近いのかもしれない。メリィは遠くを眺めて、始末書という名を頭から消し去ろうとした。