●リプレイ本文
●開講五分前
AU‐KVミカエルの排気音が、青葉の香り始めたカンパネラ学園に響いた。
流線型のフォルムが降り注ぐ陽の光を返し、搭乗者、常世・阿頼耶(
gb2835)の烏羽色の髪を照らしていた。阿頼耶は黒の強い瞳で所定の場所を捉え、ミカエルを止める。しっかりと鍵と輪止めをかける作業をすると、額に汗が浮かんだ。見れば雲が薄く、空がやけに高い。阿頼耶は少しの間、ぼうっと空を見つめていた。
教室のほど近くでは、如月・菫(
gb1886)がミカエルの排気音もかくやというほどの声をあげていた。肩ほどの黒髪が、サラサラとあちらこちらへ揺れる。その腕を東雲・智弥(
gb2833)が、その中性的な容姿に似合わぬ力強さでがっちりと掴み、離さない。
「授業とか嫌なのです! 私の安眠の邪魔をするとは何事ですか!」
「学生らしく、通常授業も受けないとだめだよ」
「くぬぬぬ、離せ、離せ! というか私を拉致るとか良い度胸なのです! 後で覚えておけ!」
授業を受けるという要求を、頑として聞かない菫を、智弥はなだめつつ、ひきずるようにして教室へと連れて行く。菫を連れながら、「歴史だけど、何処なんだろうなぁ」と、智弥は授業の内容を気にするのだった。
二人が向かう目的の教室に、朧・幸乃(
ga3078)は既に座っていた。黒板から離れた後ろの位置で、赤褐色のつややかな肌を窓の陽射しに輝かせ、静かに始まるのを待っている。
そうしていると、ふいに、隣へ誰かが腰かけた。幸乃が目を上げると、そこには百地・悠季(
ga8270)の赤い瞳があった。白衣デザインの半袖チュニックと、黒いスパッツというラフな格好を着こなしている。なぜいるのかと、問いたげな眼差しに、悠季は口を開いた。
「戦場に出るなら、色々負傷するだろうけど、何にせよ怪我すればリハビリは欠かせない訳だし・・・・アルも今年はまだみたいだけど、何時なんどき、そうなるかもしれないし、そこを助けるのが同棲相手たるあたしの務めよね」
どこか艶のある口調で語り、逆に問うような瞳を悠季が向けると、幸乃はポツポツと語る。
「学校、通ったことがないので・・・・一度、授業って聞いてみたかったんですよね・・・・リハビリとか、救命救急とか・・・・そういった医療とか看護みたいな分野、興味ありますし、いい機会だから・・・・」
その答えに、悠季は親密な笑みを向けると、ノートを開いた。予習してきた部分が、そこにはしっかりと書かれている。二人は授業が始まるまで、リハビリテーションに関わるあれやこれやを語り合った。
掲示板の前を、最上・空(
gb3976)は購買の帰り際に通っていた。手に持った紙袋からはメロンパンの甘い匂いが漂っている。掲示板の前で、ふと足を止めると、貼り付けられている紙を眺めた。興味が湧いたのか、さっそく教室へ向かう。小さい教室だった。既に数人がいる。講師がまだ来ていないのを見て、空は黒板消しを取ると、おもむろに扉に仕掛けた。――罠。まさか、このカンパネラ学園で、かほどに原始的な罠が仕掛けられるとは。まして、それにかかるものなど。
「あいたっ」
パカッ、と、黒板消しのプラスチックが床に落ちる音がする。
ファブニール(
gb4785)は、その真面目な風貌に困惑の表情を浮かべ、コロリと転がった黒板消しと、目の前に立つ空の姿を交互に見た。チョークの量が少なかったのか、さほどの汚れは見当たらない。不自然な沈黙が落ちた。それはごく普通に授業を受けに来た自分こそが間違いなのではないかと思わせるほどの沈黙。
それを破ったのは、授業開始の鐘だった。
●授業中
――リハビリテーションは、reという語から分かるように、語源は元の状態に・・・・
授業が始まる。学生たちも、それがふりであろうとなんだろうと、講師の話を聞いていた。それが三十分もすると、眠るものや、聞いている振りすらしないものが現れる。
まず菫が寝ていた。隠す努力もなく、なにもせずに寝ている。「授業、何それ美味しいの?」と言わんばかりの睡眠っぷりである。「最近、疲れていて」といった言い訳も通用しなそうなほど幸福な寝顔だ。
隣に座る智弥は、欠伸を耐えつつ、指差し君一号で、菫を突いた。起きない。もう一度突くと、わずらわしそうに振り払った。これでは駄目だと見た智弥は、菫の耳元で、
「にら」
ぽつりと、呟く。
菫はカッと目を開き、睡眠を妨げられた怒りと禁句を口にされた怒りで、暴れだそうとし、
スパァンッ、と智弥にハリセンで叩かれた。
どんな意味にしろ、大人しくなった菫に、授業は続けられる。
――リハビリテーションは二度の世界大戦で急速に発達した。理由がわかるものはいるか?
この質問に、悠季は自信ありげに手を挙げた。講師は即座に悠季を指す。
「それはつまり、近代戦争によって生じた多数の戦傷者を、国家が責任を持って受け入れざるを得なかったからだわ。戦争で傷を負っても、助けてくれない国家では、いつ傷を負ってしまうか、怖くて足がすくんでしまうもの」
明朗な口調に、どこかユーモアを含ませた答えに、講師は頷いた。それが全てではないことを悠季は知りつつも、時間の少ないことを考慮し、言ったのである。講師も、わざわざ訂正するような無粋はしない。
――では次に、リハビリテーションの定義についてだが・・・・
再び話が始まり、数人のペンを走らせる音が響き始める。そんな中、空は、その金の瞳を退屈そうに半ば閉じて、
「ふぅ、飽きて来ました・・・・消しゴムのカスを、前の人の背中にこっそり投擲でもしましょうかね」
ひとり言には少々大きな声で、そんなことを言った。
驚いたのは隣に座るファブニールである。黒板の内容や、講師の説明で重要そうな部分をノートに書き出していた彼は、突然の言葉に面食らった。しかも、発言の主は、黒板消しを扉に仕掛けるようなことを平然と行う少女である。
おずおずと様子をうかがうと、なにやらゴソゴソと紙袋をあさり始めた。まさか本気で、消しゴムのカスを投げるなどという、悪ガキじみたことをするというのか。
ふわりと、甘い匂いが漂う。紙袋から出てきたのは、メロンパンである。それを机の上にどさどさと大量に乗せ、その上に教本を置くと、おもむろに食べ始めた。――誤魔化せていない。早弁を隠すようなことをしているのは分かる。しかし、メロンパンの量は教本一冊で隠せるものではない。
「やれやれ、教職員の必殺技の一つ、チョーク投げのご開帳はまだでしょうかね?」
マイペースに、空は食べながらそんなことを言った。ファブニールに出来ることは、せめてそのメロンパンを教本で隠すことだけだった。完全にはみ出していたが。
講師は無論気づいたが、それを無視することに決めた。藪を突いて蛇を出しそうな気がしたことと、一応は隠そうとしているからだった。実際はどうか知れないが。
――世界保健機構の1968年に示した定義だが、これを・・・・常世、読んでくれ。
姓を呼ばれた阿頼耶は、しかし、ぼーっと空を眺めており、気づく様子がない。窓際のよく陽の入る席で、心地よさ気に、雲の様子や鳥の仕草を眺めるのだった。もう一度講師は呼ぶが、反応はない。さきほどまでノートを取っていなかったかと、近くまで寄ると、そのノートに描かれているのは雲や鳥の絵であった。傍で呼ぶと、流石に気づき、慌てて教本の朗読を始める。
「フーコーは、「突然、変化が起こった。狂気の世界は疎外の世界となる。・・・・大きな収容」
明らかに違う。講師の渋い顔に、さとったのか、読むのを止めて講師をうかがう。黒い瞳が上目がちに小動物のような愛らしさを湛える。講師は「気をつけるように」とだけ言って、他のものにかけようと見回した。
はたと幸乃と目が合う。静かに講義を聴いていたことを思い出し、彼女ならば、すんなりと答えられるだろうと考え、幸乃へ同じ部分を頼んだ。
「障害の場合に・・・・機能的能力が可能な限りの、最高レベルに達するように、個体を訓練・・・・あるいは再訓練するため、医学的・・・・社会的・・・・教育的・・・・職業的手段を併せ、かつ調整して、用いること」
落ち着いた、染み入るような声音で、幸乃はひとつひとつ読み上げた。どこかメロディを奏でているようでもあり、そのときばかりは教室が静かになった。
幸乃の手元には、教本もあるが、他の本も広げられていた。救命救急の本などがあり、話が少々脱線したときに、チラと見ていたのだった。その他に、楽譜を書いていたりもしていた。知るのは、隣にいた悠季ばかりである。
――この定義づけにおいて医学だけでなく社会的、教育的な・・・・
授業も中盤から終盤へと向かい、集中力も途切れがちとなっていく。
菫を起こした智弥であったが、単に座るだけという、日ごろの生活との違いにか、うつらうつらと船をこぎ始める。講師の声も、子守歌にしか聞こえない。
「(本当は頑張って勉強したいんだけど! 刺激のある生活になれてしまったのか、退屈すぎる・・・・。ああ、眠気が・・・・)」
しかし、と智弥は思い直し、菫も起きているのだからとそちらへ目をやる。
寝ていた。講師の言葉など右から左。菫は教本を下に敷いて優雅な船旅を演じ、可愛らしい寝顔を浮かべていた。その表情に、よし、と智弥は思う。腕を机の上に置き、チラとまた菫の寝顔を見て――そのまま寝た。
すこし離れたところでは、空がメロンパンを食べ終え、次なる作業を始めていた。ペンをとり、教本に向かう。下線でも引くのかと見えたが、違うようだった。
ファブニールは、恐る恐る覗き込み、そして見た。黒々とした、たくましい髭を生やされた日本の偉人の顔を。そして額に『肉』の字を賜ることとなった英国の偉人の顔を。
「暇ですね、お隣さん。よろしければ空としりとりでも致しますか?」
しばし、教本への書き込みに熱中した後、空はポツリとそんなことを言った。
ファブニールは、授業中にそんなことをしてもいいものか、と考えた。しかし、ペースを乱されっぱなしでいることと、巻き込まれやすい性格に、これを承諾した。
教室の端で、なにやらぶつぶつと言い合う二人に講師は気づいたが、大声で話すよりはいいか、と、やはり気にしないことにした。寝ている生徒もいることだしと半ば諦める。
――さきほど、医学的以外のリハビリについて出たが、これはキミたちに重要なことである。
そのまま授業を進め、残り時間が少なくなったころ、手を叩いて起こし、注視させた。
――ヒュームらの定義は・・・・そうだな、常世。
呼びかけに、また空を見ている阿頼耶は気づかない。改心してノートを取ったのではなかったか、とまた近寄ってみると、そこには飛行訓練のフライトプランや小隊で出してしまった始末書について書かれていた。講師がチョークを頭頂にぽとりと落とすと、ハッとして阿頼耶は向き直った。一瞬、気まずそうな顔をし、急いで教本を取り上げて読む。
「リハビリテーションとは、ある人が能力障害を抱えながら適応していくのを援助していく過程である。・・・・障害の性質によって、リハビリテーションの焦点の置きどころが決まる・・・・リハビリテーションの主な目標は、その人が心理的、社会的、身体的、経済的に最大限の自立を達成できるようにすることである」
一気に読み上げ、合っているのか半信半疑といった顔で阿頼耶は講師を見る。講師はわざと苦そうな顔をしてから、「間違いなくあっている、戦場で生き残れる勘のよさだ」と少々皮肉気に褒めた。さらに、これを外したらラストホープでの身元引受人に連絡するか迷っていたと冗談のように言ったが、阿頼耶は笑えず、ほっと胸をなでおろすのだった。
――社会的、心理的、とはどういうものか・・・・朧、いけるか?
急に回ってきた出番に、幸乃は、緑の瞳をぼんやりと宙へ向けて、思い出すように、ぽつ、ぽつ、と語りはじめた。なぜだか、そのときロザリオが陽の光りを返して強く瞬いた。
「リハビリテーションって、運動機能のトレーニングみたいに思いがちですけど・・・・そのトレーニング自体も、とても大変ですし、自分の身体の変化を受け入れたり、リハビリテーションをした後の自分、必ずしも以前のままに戻るとは限らない現実との対峙もあって、精神面のリハビリも、大切なんだと、思います・・・・」
静かな言葉に、また、聞き入った。講師は深く頷き、続ける。
――この講義において重要なのは、この部分だ。語源について、百地、覚えているか?
悠季は滑らかな動作で頷き、ノートを読み返すこともなく、答えた。はっきりとした言葉に、その赤い髪と瞳が、より強い印象と説得力を与える。
「re‐habilis‐ation。再び―適した状態に―すること。中世ヨーロッパにおいては「身分・地位の回復」などを意味し、近代では「無実の罪の取り消し」「権利の回復」などを意味しているわ。二十世紀初期では、「犯罪者の社会復帰」を意味していたと言われるわね。現在では「全人間的復権」、人間らしく生きる権利の回復と捉えられていると、と記憶しております」
よどみなくスラスラと述べる様は、どちらが講師か分からないほどである。
――その通り。人間らしく生きる権利の回復がリハビリテーションだ。これは、負傷したものが、再び同じ場所に戻るということではない。切れた足は生えてこない。ここで言っているのは、新たに人生を始めるということだ。車椅子、義手、義足、そういったものを日常とする人生を、一度立ち返って、再び始めるのだ。これは、精神的に非常に苦しいことと想像する。だからこそ、キミたちの仲間がそうなったとき、失くした人間ではなく、再び始めている人間として見、応援してもらいたいと思う。なにかを失くすという事は、終わりではなく、始まりと考えて欲しい。人生を再び始めるのだと。これがリハビリテーションにおける私の考え方である。以上。
ちょうどよく、鐘が鳴った。講師がパタンと教本を閉じる。
●授業終わって。
最後の長口上にぐったりした菫を、智弥は「はい、お疲れ様です」と言って、頭を撫でた。菫は疲れきった顔で、それでも、こんなところに一秒も長くいられないと脱兎の如く逃走した。
幸乃は机の上のものを仕舞い、あちこちの授業後の様子を見た。疲れていたり、楽しげだったり、まちまちだ。なぜだか、幸乃は、それらを見るのが、すこし楽しいと思った。
悠季が食堂に誘う。ジュースでも飲もうという事だ。授業も終わって、表情が柔らかい。何人か、他の人も誘ったらしい。鞄を拾い上げて、講師に一礼。皆で教室を出る。
・・・・学生さん、か・・・・
なにげなく、心で呟く。いいメロディが、浮かんだかもしれない。