●リプレイ本文
●
「やあ。コーヒーでも飲む?」
侵入からそこまでは、驚くほどスムーズにことが運んだ。
警備に穴があったのではない。
だが、それが如何にシステマティックなものであれ、個体を連動させる為のシステムである以上、そこには継ぎ目がある。
「うん、何? あぁ、ミルクはないよ。嫌いなのさ、コーヒーに入れるのは。味が濁るから」
内部にいる人間ならば、それを知っている。そこを衝いたのだと、言葉にしてみれば単純な所以だ。
だからと言って、その手引きをした人間が何を考えているかまで推し量ることが出来るわけではないのだが。
「‥‥何さ」
話す途中で、時折目を細めて体を傾けるのは、彼のよくやる癖だった。傾いている世界に写っているのは、灰色の迷彩に身を包んだ男だ。
「別に。罠にしては陳腐すぎると思ったが、ここまでお膳立てられると一周回って怖い。それだけだ」
夜十字・信人(
ga8235)が、一つ肩を竦めた。
そう、と短く呟いたソール・パックスの服は、今までのどれとも違うものとなっている。緩やかな外套とズボン。垢抜けていた。目元には紅が差してある。顔は妙に白いのも、白粉を塗っているからか。
現世のものらしくない、とでも言うべきだろうか。穏やかに、コーヒーカップを片手にうろつく。その部屋は、どうやら私室らしかった。ルートの確認、セキュリティのチェック。問われたことに答える。ただ、何を押し付けようとしているのかまでは答えようとしない。
「セキュリティの無力化は」
「出来るわけないじゃないか。異常がないということは、既にそれが異常なんだよ? 君らがわざわざ危ない橋を渡りたいのなら止めないけど」
「だろう、な」
「ならば」
信人とソールの会話。それにカズキ・S・玖珂(
gc5095)が割り込んだ。
「ならばソール。何故お前は危ない橋を渡る」
「さあ?」
「懐から崩そうって言うのか」
笑い顔。
薄い。
漂白された笑顔。
貼り付けられたような。それが、カズキにはひどく気にかかった。
それも、口にすることはない。
割り込んだのは他の誰かだ。
「‥‥ソールちゃんは、純粋だものね」
「純粋?」
笑う。作り物の笑顔。
春夏秋冬 立花(
gc3009)の問いは、糾弾か。それとも。
「目的に対して。その為に、何かを切り捨てる。だから、他の人が思考や行動にブレーキをかけるところで、平気でアクセルを踏む。それは、私と同じ」
「で?」
「‥‥あなたの本当の目的は、復讐なんかじゃないんじゃない? 復讐によって、ルーナちゃんの未来を‥‥」
「悪いけど」
声は、掌に遮られた。立花が言い募る。それをシャットした。
自らを認める言葉、その全てを拒絶する壁だ。
駄々をこねる子供にも似た達観と頑なだ。
「僕の言うことを。思うことを。信ずることを。例え言い募ったとして、君達は信じられるのかい? 裏切りと背信の徒である僕をさ」
「信じる」
海星梨(
gc5567)が短く言葉を切る。
「‥‥ははっ」
僅かに眉を上げ、呆ける少年の顔に貼りついたものは何もない。
「は、は、はははは、あはははは!! ‥‥冗談だとしたら笑えないし、本気だとしたら君の頭を疑うね」
乾いた笑い。
信じるなと、あれほど示してきたのに。
「ふふ、はは、あはは! 君はよくよく、馬鹿だね!」
口元の笑みを、海星梨は消さなかった。
最早言うべきことも言い尽くしたという態度の男が下がるに合わせて、天野 天魔(
gc4365)が歩を進める。
「何を企んでいるか教える気は? 先の見えない劇は楽しめるが、演出家の意図がわからんのは不安だ」
「そんなものだよ。僕はただの大道具係さ。演出なんて大それたことに関われるものかい」
「そんなところか‥‥それと、ルーナからバレンタインチョコだ。きちんとホワイトデーで3倍返しにするように」
「‥‥あのさ」
困惑するのがよくわかる。
眉を互い違いにするような奇妙な表情は、随分器用な彼ならではだった。手の中で転がした後、無造作に投げて返す。
「こんなの、ゴミどうするのさ。捨てられないじゃん。包装ごと食べろっていうの? ‥‥ま、心意気は貰っておくよ。これを渡してくれようっていう君の気持ちだけはね。あぁ、何か伝言があってもいらないよ。見たくも無い」
一つ俯く。
一つ顔を上げる。
小さく、息を吸った。
「あのね。気持ち悪いんだよ。妹だからってね、いつまでも構ってあげると思わないでよ。いつまでも僕におんぶに抱っこで、自分で何一つ決めようとしやしない。いい加減うんざりさ。そう伝えて叩き返しておいておくれよ」
「少年、お前」
「これ以上言うことはないよ。さあ、行って」
「‥‥その。俺たちとは来れない、ですか‥‥?」
追い払うような、壁のような断言。被さる様に芹架・セロリ(
ga8801)が問う。
「“行かない”」
「‥‥あは。ですよねー」
拒否のような。それでいて、違う何かのような。
許されることじゃない。自分自身を許さないのかもしれない。
でも、そんなあなたが許されることを望んでいる人間もいる。
言いたいことは山ほどあった。それなのに、ガスバーナーの炎のような瞳を見ていると言えなくなってしまった。
淀んだへどろの、うわずんだものが燃えているようで、だがそれが何より彼をきれいにしているように見えた。覚えていてと言われた彼女には。
「‥‥お前の行動は、理解はできる。だが、俺は傭兵だ。何度でも立ち塞がるぞ」
「あはは。虫唾が走る」
「しかし、お前に死なれると俺の妹とお前の妹にひどい目に合わされる」
去り際、信人が背中越しに声を投げつける。
いやいや、とさすがに呆れた。
これでまだ僕の身を案ずるなんて、どれだけ人がいいんだよ。君らは。
「全く、どんな立場でも兄貴をやるのは辛いな。お互い」
「だからさ、一緒にするなって。何度も言ってるじゃない」
さらりと言い残す調子で笑う。
あぁ、と笑い声を呑んで、思い出したようにひとつ言葉を濁した。
「そうだね。兄貴っていうなら、何かひとつでもしておくかな」
妹よりも長い、腰まで伸びた綺麗な金髪の、根元に腰から抜き払った刃を宛がう。
ざくり、ともぶちり、とも取れるようなざんばらな音と共に、金の河が手の中に残った。
「まぁ、これさ。好きにしてよ。君らがそんなにも僕を見たいなら、これが僕ってことでさ。分けて持っててもいいし、誰かにあげちゃってもいいし。時計の鎖の御代くらいにはなるよ」
冗談ともつかない軽い口調で、こちらを見ていた緑の髪の少女に手渡した。
何のつもりと、問いただすには時間が惜しい。口を開く様子もない。
「では、またね?」
困ったような笑顔とともに、結局はセロリも、仲間の後に続いて出るしかなかった。
ちょっと笑う。
扉が静かな音と共に閉まる。気取ったように上げた手を、結局下ろすことも出来ず、少年はまだしばし留まっていた。
「‥‥またね。次に会う時、まだ僕なら良いんだけど」
首をふるりと振り払うと、襟元にまだ引っかかっていた彼自身が、はらりと零れ落ちる。
日は天元を巡り、夕焼けて、いずれ沈む。眩しそうに、扉を眺めていた。
しばしの後に、彼は耳をこつこつと叩く。
●
部屋に辿り着いた。
そこまでは、順調だったのだ。
「‥‥やや、演出が過剰に過ぎないかね」
天魔の苦い呟き。どういうことか。時間を少し前に遡る。
詳しく説明すると、敵の巡回パターンが突然変わった。このままでは遠からず接触するような、逃げ道を塞ぐ様な形。振動を感知していた彼がいたから察知出来た。簡単に言えば、敵がこちらへ向かってきたのだ。
かといって、明確に侵入者の存在を知って突き進んでくるのではない。ほんの少し、ルートに手を加えただけ。そんな様子だ。
とすれば、誰がそれを行ったのかは明白だ。
かくして、時間は現在へと立ち戻る。
人壁と化した信人の影から、弾丸の驟雨が奔る。セロリの弾と立花の超機械の迸りを、喰らいながらも意に介することなく突き進んでくる二人の少年。背後からの弾丸が食い止め、信人自身の弾幕も手伝って食い止めた。
「ちょい、なんで戻ってきたんです?!」
「後ろ見りゃわかんだろ、めんどくせェ‥‥」
驚いた様子の立花に、かったるそうな調子で海星梨が返す。弾丸を放ったのはカズキで、吸い出した情報を確保した天魔はそのまま彼らの間に滑り込んだ。返すままに、海星梨が後ろから迫る少女の突きを滑らせるように捌き、頚骨へ手刀を繰り出す。こきゃり、という音。
退路として目星を付けていた裏口に直行するには、敵の配置が悪かった。自然、事前に信人が目を付けていた迎撃ポイントへと押し戻されていたのだ。感情を持たない『軍団』との戦闘に物足りなさを感じる海星梨には、それが気に入らない。
加えて。
「ともあれ、引くしかないだろう。アレも出て来た」
カズキの言葉。最初から警戒していた相手だ。
蝶の羽根。
黒い迸り。
弾けるように、突進して来る。ざらりとした腕に、黒い砂が両手に細長く伸びる。咄嗟に差し出した信人の盾の僅かな傾斜にふわりと飛び乗ると、砂は足へと移動して轟音と共に蹴り付けた。数メートルも後退させられた信人は、その盾ががりがりと浸食されていることに気付く。振り払うと、地面にばら撒かれた甲虫を踏み潰しながら向き直った。
「懲りない」
くすり、と笑う。
「懲りない、懲りない、懲りない、何度彼に騙されるの、おまえたち」
ファラージャ。
蝶のさざめき。
「今度こそ連れ戻せると思ったんだけど‥‥上手くはいかないものですね」
「‥‥ふぅん?」
セロリの呟きに、蝶の少女は楽しげに笑った。
「人間って、ばかだよ。こんなにもこんなにも明確で明瞭な裏切りなのに、信じる? どうでもいいんだよ、そんなの」
ステップを踏んでふわりと下がると、くすくすと笑った。
「あぁ。滑稽ってこんな感情なんだね。おまえたちのことが、理解出来て来たかもしれない。ねえ、ちょっと楽しいものを見せてあげる」
すり、指を擦る。彼らを挟んだ両側から二人ずつ、少年と少女が武器も持たずに突っ込んできた。感情を持たない彼らに慣れた傭兵達は、いつものように迎撃する。
弾丸を放つということは、当然喰らったものの肉は裂ける。斬れば弾ける。
絶叫が、廊下に響いた。
『アアァァァ!!』
『イギィィィィ! ギィィィィィ!』
『ママ! ママァァァ!!』
「な‥‥!」
思わず、誰かが一歩を引いた。
繰り返すが、武器を振るうということは、敵を傷つけることである。
そしてそれを是とするか否とするかは別に置いて、実戦を潜り抜けた傭兵達には覚悟がある。
傷付け、傷付けられる覚悟。
しかしその覚悟は、決して風化しているのではない。ただ鈍化しているだけだ。
「あは、あはは、あはひひひひ‥‥」
笑うのは、金色の少女。まるで何か、とって置きのダンスでも見ているように目の端に涙を浮かべている。
「どう? おまえたち。ほら見て、腕が取れそうなの。あっちの子はあぁ、お腹に穴が開いちゃって何か飛び出てるのね。引っ張り出したらどんな風になるかな。ねえ? あは、ふふ、うひふ」
お腹を抱えて笑う。少女は笑う。純粋に笑う。
「あはは‥‥ふぅ。飽きた」
ぱちんと指を鳴らす。途端にその子供達は、今までの狂乱などなかったかのように空ろな目に戻った。
だくだくと血を流し、ただの肉袋になりながら。
「あぁ、安心していいよ。これはただのプログラム。今までよりも、ちょっと複雑なことが仕込めるようになったからお披露目。コレらが生き返ったわけじゃない。ほら、良心なんて痛まない。おまえたちは悪くない」
目を細める。
「‥‥貴様に劇作の才能はないな」
「つか、胸糞悪ィ」
天魔と海星梨が、顔を顰めた。こんなものは、感情ではない。それを弄んだ所業だ。
「これを俺達に見せることに、何の意味があった」
カズキがサングラスを押し上げて静かにたずねる。感情を押し殺すような言葉に、あくまで少女は楽しそうだった。
「なぜ? なぜってそう、おまえたちとわたしの間に共通項は何? 知らない振りをしてもだめ。だぁめ。ゆるさない」
「勿体を付けるな」
信人の声は、とても低かった。
気付いてしまえば、不意に何か、己の根深い物を覗き込んでしまうような気がして、しかし、聞かずにはいられない。足を掴んで泣いていた、空ろな子供の指をそっと引き剥がす。
「ソール。ソール・パックス。彼のせいで、おまえたちは今そんな様になっているの」
「‥‥そんな、でも」
立花が、唇を噛み締めていた。
初めは、誰より彼らを傷つけるのを厭うていた彼女。救う術がないからと押し殺してきた気持ちなのに。
そして、それを知っている彼のはずなのに。
それとも、知っているからこそなのか。
ファラージャは、周囲を見渡した。今の四人を除いても、相当数が傭兵達にやられている。
「ネタの仕込みに忙しくて、戦闘パターンの構築はまだ荒削り。しょうがないね、これ以上暴れて減らされるのもつまらない。磨り潰せる程度の抵抗しか出来ないおまえたちだったなら、つまらないからわたしが潰してもよかったんだけど。おまえたちは‥‥」
「俺達が何だってんだよ‥‥」
セロリが噛み付く。ふふ、と笑う少女。
「わたしは、おまえたちにもっと踊ってほしい。あぁ、機械みたいに戦う兵隊なら心置きなく潰せたのに、なんて悲劇! おまえたちはとてもとても心優しい、それがわたしには愉快で仕様がない。だから‥‥見逃してやるよ」
何か目的があったんでしょ?
そう言い残すと、背を向けた。
馬鹿馬鹿しいほどに無防備だった。しかし、彼らには目的がある。
今は、意趣を返す時ではない。
苦々しくも、傭兵達は撤退して行く。不愉快さと共に、一つの確信を残して。
ファラージャに目的があるのは疑いようがない。
しかし、それ以上に、彼女は愉しんでいるのだ、と。
「メアリは‥‥逃したかぁ。期待はしてなかったからいいよ」
少女は、傭兵が去った後の廊下を眺めていた。
『軍団』の目で確認したところ、施設の一角が粉々に砕かれていた。何かを持ち出したのか。行きがけの駄賃か、それとも目的があったのか。
あるいは、ソール・パックスの手引きか。
何でもいい。愉しませてくれるのなら何でもいい。
甘露のような苦しみは、収穫したときの喜びだ。
もうすぐ。あぁ、もうすぐ。
もうすぐ彼は。