●リプレイ本文
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山間の町、サースフェー。
鉄道も乗り入れず、辿り着く手段はバスのみ。そのバスすら町中には入れない。内燃機関を有した乗り物を徹底的に排除し、古き良き光景を残した風光明媚な観光地だ。
「ここは、変わらんなぁ‥‥」
UNKNOWN(
ga4276)が、兎皮の黒帽子を指で弾いて視界を開けると、艶なしのフロックコートの襟を少し手繰り寄せた。風光明媚ではあるが、アルプスに囲まれたその地は言い換えれば天然の要害だ。それでいて戦略的な価値もなく、奇跡のような平穏を残している。
「ワインも、まだ美味いといいのだが」
「この風景だ。安酒だって上等な味になるだろうな」
ちょっとした呟きに、珍しく私服姿のミシェル・カルヴァンが返す。年長者達のほんのりと遠くを見る視線を、溌剌とした金色の影が下に向けさせた。
「今日はお招き頂いて、ありがと〜なのっ」
リズィー・ヴェクサー(
gc6599)が軽やかに視界に飛び込んで、跳ね回る子犬の風情でちょんとスカートを摘んでお辞儀する。軽く笑うと、ミシェルはひらひらと手を返した。
「何、俺の我侭に付き合ってもらったようなもんだ。楽しんで行ってくれ‥‥そっちのお嬢さんもな」
「本当は仕事していた方がいいんじゃが‥‥姉妹どもに無理やり休暇を取らされてのう」
唐突に話題を振られて何やら唇を尖らせているのは、美具・ザム・ツバイ(
gc0857)だ。同じ金髪でもリズィーとはまた違った豪奢な印象の巻き毛を風に任せ、姉妹の中でも最も仕事熱心な彼女はふと風景に目を寄せる。その目元が緩んだのを、軍人は見逃さなかった。
「気に入って貰えたようで、何よりだ」
「‥‥まあ、休暇も仕事と割り切れば全力やるのみじゃ」
指摘にまた少し唇を尖らせ、しかしそこに否定の感情は存在しない。その様子に、大尉は笑う。その肩に、軽い感触が当たった。振り向くと、何時ものドレス姿のキア・ブロッサム(
gb1240)が薄く笑っている。
「一夜、とは行きませんけれど‥‥御約束を御受けに、ね」
「勿論だ。これでも約束は守る男でな。花と言うには些か面白みもないが、良い絵を飾る額縁くらいにゃなれるかもだ」
そう嘯くミシェルに、キアはまた笑う。
また、別の所では、
「付き合わせてしまってすまないな」
鳳 勇(
gc4096)がルーナ・パックスに声をかける。少し茫洋とした瞳で山間に目を向けていたルーナは、えっ、と気の抜けた声を出してその顔を見上げると、首を横に振った。
「いいのよ」
その声は、少し硬くもあり、そして少女が頑なな時は決まってどういう時か、彼は短い付き合いながらも知っていた。
「色々な事があって観光、なんて気分じゃないかもしれないが、滅入った顔をされてるとほっとけないんでな」
「‥‥別に、滅入ってなんて」
「あんたら兄妹の笑顔のために、なんて言っておきながら‥‥ソールの件では、何も出来なかったのが正直悔しいな」
少女の顔が更に硬くなる。彼女がそういう顔をする時は、決まって激情を胸に秘めているのだ。少しの失言を感じつつも、改めて、その場に居られなかった自分を勇は悔しく感じた。
「ともあれ――」
その後ろから声がかかる。月野 現(
gc7488)が寄越した声に、少女が振り向く。
「明日には今より前を向いて生きる為に。今は背負う業を、忘れよう」
命をかけて戦うなんて仕事をしている以上、いつ何があるか分らない。その為に今を楽しみ未来に希望を持っていたい。彼の思いが通じたかは定かではない。確かなのは、少女が目を伏せて小さく頷いたことだけだ。二律相反する思いを胸にしながらも、ふぅ、と息を吐くとルーナが肩を上下させて力を抜いたのを見て、現の隣にいた大神 哉目(
gc7784)が笑う。
「付き合わせて悪いね? ま、せっかくだし楽しんでってよ」
「‥‥ええ」
暇つぶしに観光。あとはとりあえず美味しいご飯が食べられればそれでいいや。旅は道連れ、なんとやら。無理のない気遣いに、悪い気はしなかった。その光景を眺めて、勇はひとまずその場を去ろうとする。同行者が居るならば、ここは譲ろう。そう思ったのだが、ふと立ち止まる。ルーナが、その腕を掴んでいたのだ。
「どうせなら、人は多いほうが楽しいわよ」
少し怒ったように眉を寄せて上げてへの字の口、可愛げも何もない熊手の鷲掴み。だがそれだけに本気で言っていることが伺える。聞けば、現の行動予定と自分の計画は奇しくもそう外れたものでもなく、やれやれと苦笑すると、勇は再び踵を返した。
「そういえば‥‥」
それぞれが流れのままに景観を楽しもうと散る中、ふと思い出したようにリズィーが振り返る。
「ミッキーとカルビー、どっちがいいかにゃ?」
「‥‥カルビーはよしてくれ、何か食われそうだ」
調子が狂うな、俺も若いとは言えなくなってきたかもだ。大尉は内心そう思った。
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美具が氷河の上をハイキングで渡っている。足元の欠片を拾い上げると、土産にしようかとも思い悩むが輸送手段が思いつかない。えい、大尉にクーラーボックスでもねだればいいのじゃ。とばかりに溶かさぬよう大事に仕舞うと、山間部をハイキングするべく装備を整え始めた。流行りのノルディックウォーク用のストックを手に、今日は一日中歩き回るのだ。事前の言の通りに、心から楽しんでいるようだ。
リズィーは、ミッテルアラリンの展望台に居た。景色を眺め、
「すごいなぁ〜」
美しい地球の姿に感動して、きゃっきゃとはしゃいでいた。その目が、ふと翳る。
「此処を戦場にしたく、ないのさね‥‥」
彼女にも思いがあり、その為の戦いがある。翳りは一瞬で、うんっ、と頷いて顔を上げると雪の上を転がり出した。周囲の観光客は呆れ半分、微笑ましさに目を細めるのが半分。汚れてもお構いなしだ。普段アフリカ等の暑い戦場が多い彼女は、誰はばかることなく地球の涼やかさを堪能すると、ぴょいんと飛ぶように立ち上がった。
「あーあ、泥んこ。お風呂に直行なのよっ☆」
勇と現、それに「おおー‥‥これはなかなか壮観だねぇ‥‥」などと目を輝かす哉目は、ルーナを引き連れてレンクフルーという名の展望台に立っている。
「自然には恐れ入るな。こういったのは気持ちが高ぶってしまう」
「‥‥そうね‥‥」
勇の呟きに感嘆の同意を送るルーナの目は真ん丸く輝き、口も半開きだった。おそらく、これが彼女の本当の顔なのだろう、と皆が思う。落ち込んで傷ついている今でさえこれなのだから、本当はもっと素直なのだろう。そう思い、そしてこれほどの表情すら掻き消してしまう彼女の絶望は如何程か、想像する。
「さ、次はハイキングだったか。汗もかくだろうから、風邪には気をつけろよ」
気分を切り替えるように言った現の言葉に、くちゅん、というくしゃみでルーナは返事をした。
一方は、サースフェーの町中。下山した後、特にすることも思いつかず、レストランでワインとソーセージを食べるのだと言うUNKNOWNに着いて行ったミシェル。2人で戻ったその軒先に居たマーモットに、ふと何か思ったようにUNKNOWNがナッツを与える。
「意外な趣味と言ったところかな?」
「――いや、懐かしくて、ね」
そう言って他所を見る。この町が、あるいはこの平穏が、それ以上を推し量れず、何となく自分も餌を与え始める。いい年をした大人2人がそうして興じているのを、少し眉を上げて不破 梓(
ga3236)がすぐ近くのホテルのラウンジから見ていた。それに気付き、軽く手を上げてミシェルが近寄る。同じく挨拶する梓は、茶を飲みながら考えていた思考を少しずつ、纏め上げていた。
「何か妙な光景を見た気分だ‥‥なぁ、出立前に、あんたが言っていたこと、あるな」
梓が切り出す。対面に座ったミシェルは、少し真剣な目で続きを促した。
「人と意思は切り離せないな。人であろうとする意思を持つなら、それは人だ。強化人間も敵と捉えているが、事情やその者の思考を考慮する分別はあるよ。‥‥ついたのは最近だがね」
「羨ましいな。僻みではなくそう思う」
少し苦みばしった笑いを向ける大尉に、更に言い募る。
「バグアは‥‥敵だ。人を惑わせ、食い潰す‥‥ただそれだけだ」
「‥‥そんな敵が、意思を持った。バグアであろうとする意思を持つ奴は、何と定義したらいいんだろうな」
ミシェルが問うた。それ以上は、互いに答えを出せない。生き物として違う、それ以上の何かがあるのだろうか。
風を取り入れる為に開け放たれた窓から流れる冷たい風が、そよと頬を撫でた。
もうじき、日が暮れる。
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遊びが終われば、宴会の時間だ。
「さて、遠慮知らずの諸君。よくも皆で仮装して来てくれたな。奢り甲斐もあるってもんだ」
言葉とは裏腹に笑みを含んだミシェルの声に、喝采を上げる者も居れば、静かに笑う者も居た。皆がめいめいに食事を始め、飲み物を頼む。
「現、それ美味しそう、それ取って。あ、飲み物追加お願いしまーす!」
ちょっとけだるい狼男姿の哉目が遠慮無くばくむしゃと行くのに料理を皿ごとずい、と差し出し自らは酒を飲み、現は仕込みの仮装をいつ開放しようかとタイミングを窺っている。腐れ縁2人、それなりに仲良く食事中。歓談の中、扉が開かれた。
「さ、行こうか。お姫様」
怪人よろしく、仮面とマントで顔を覆った怪しげな雰囲気の梓が手を引くのは、ドレスを着た若手女優の仮装の少女。有名な劇作の登場人物に扮し、少し顔を赤らめている。
「こういうの、私には似合わないと思うのよ。色気とか無縁だわ」
「そう思っているのはお前だけだ」
梓の言に、彼女を知る面々が深く頷く。‥‥ばぁか。と呟いたまま顔の赤いルーナは大人しくエスコートされるままに席に着いた。これ以上突くといつ爆発するか判らないな、と梓は内心で苦笑する。
「追加じゃ」
美具は黒と金のゴスロリドレスで魔女を気取っている。縦ロールの金髪もすっかり下ろして全くの別人風味だが、つんとした雰囲気が何とも小悪魔的。参加者全員に御酒をついで回ると、ミシェルの前でぴたりと止まった。
「休戦締結で奴らが人類と意思疎通できることが図らずも証明された」
前置きもなく言い放たれる、その言葉の意味をミシェルは察して大人しく聞いた。これまでは意思を介さぬ害虫として駆除してきたが、先の休戦以来状況は一変した。バグアが変化できるというなら共存と言う選択肢も生まれる。
「共存による戦争終結も考えうる選択と言えよう」
戦いは続く。しかしそれは今まで通りの単純な話ではない。
「これからは生存を掛けた戦いではなく、意思と意思とのぶつかり合いになる」
「‥‥やれやれ、俺の仕事はまだまだ増えそうだ」
肩をすくめたミシェルに、うむ、と満足げに頷くと、美具は踵を返して酌をしに戻る。やれやれ気遣いさんめ、と笑ったミシェルの座るテーブルに、3人の男女が近づく。
「――待ってたぜ」
「初めまして、カルヴァン大尉。隣、宜しいですか?」
「特等席だ。心して座れよ?」
スーツとメイクで吸血鬼風味。垂目と泣き黒子が色っぽい秦本 新(
gc3832)が訊くのに軽口でミシェルが答えると、続くように新の向かいに藤宮 エリシェ(
gc4004)が座る。
「ミッキー、どう? 暖かいー?」
「疲れて居なくて良かったと思うね。寝ないようにするので精一杯になっちまうからな」
リズィー・ヴェクサー人狼の着ぐるみ――尻尾ふさふさ体もこもこが両手を伸ばして近づいてくるのに、立ち上がったミシェルは軽く背に手を回してぽんぽん、と叩いて返す。同じように新とエリシェにもして、向かい側に座った。
「御存知でしょうけど‥‥私達は、皆それぞれ、ラファエルと戦った因縁があります」
ミシェルが何も言わず、穏やかな、しかし乞うような目で見ている。それをエリシェは感じた。話を聞かせて欲しい、と。お前さん方の知るラファエルとは、どんな奴だったのか。その前に、とリズィーが両手をぺちっと机に置いて意識をこちらに向ける。
「ミッキーと友達だった‥‥ラファエルさんは、どういう人だったの?」
「‥‥ん? ‥‥そうか、そうだなぁ。お前さんらは知らないんだよなぁ‥‥」
バグアはヨリシロになった人間の感情に影響される。なら彼女の想いは彼に依る部分があるはず。リズィーの問いに、そうだなぁ、と尚も呟き、煙草に火をつける。緩やかに煙が宙を舞った。
「‥‥偏屈な奴だったな。だから友達も居なかった。理屈をこねるのが好きで、突き放したような言い方をする。その癖寂しがりで、気付いたら一緒に居ることが多かったな。親友で、腐れ縁だ」
視線は遠くに流れる。在りし日を思い、瞳が揺れる。
「気付いたらずるずると大学まで一緒に居てな。卒業してからはお互い忙しくて滅多に会うことも無くなって、それでもひょっこりと顔を出すときには、『やあ、まだ生きてたんだね』なんて具合に、当たり前のように俺の隣に居てな」
訥々と、話を続ける。ミシェルの言葉の端々に、3人は古びた本の香りのような懐かしみを感じた。そして、全てではないにしろ、自分達の見てきた『朱雀』の姿に重なって、それは矛盾するものには決してならなかった。何故なら、それは。
「私の知るラファエルも、そういう人でした」
エリシェが言う。朱雀のバリウスへの想いは見返りを求めない愛情だと感じた。その純粋さに触れたからこそ、亡骸を辱める兵士達を見て人の弱さと醜さを突きつけられて胸が痛んだのだ。
「大好きな人の為に、きっと、彼は、いえ、“彼女”は」
大切な存在がいれば強くもなるし弱くもなる。優しくもなれるし守る為に他者に対して残酷にもなれる。
「きっと、人とバグアは似ているのだと思います。揺るぎない意思は自分の為ではなく誰かの為に」
心に大切な存在がいれば強くなれる――
「元々の“朱雀”が、どういう人だったのか、私には判りません。ですが、きっと」
「‥‥あいつめ」
ふ、と笑う。エリシェの話に、良かったなぁ、とも思った。俺の親友は、きっと朱雀の奴と相似形だった。そう思えた。失われたのではないのかも知れない、そう思えた。
仕様がないなぁ。もしも仮にあいつの目が冴えていたのなら、朱雀に対しそんな呟きも残して、一緒に逝ってやったのかも知れない。勝手な想像だが、そう思えた。
「人もバグアも感情がある。正も負もね」
リズィーが続く。金の糸がさらりと揺れる。
「ボクは、その点であの人を尊敬する。人間とピエトロさん、対象は違うけど‥‥命を賭してやり通したから」
他の為に奉仕する――だけでない。護る意思があった。それを感じたからこそ、今は言える。
「ボクのお姉ちゃんは、人間だけど黒い感情に囚われていたし‥‥バグアでも自分の立場よりも大切なものを抱いた人が、エジプトに居る。全てのバグアがヨリシロの感情に影響されるなら、人間の気の持ちようによって共生できるかも、しれない」
そんな風な独白を抱いて、それからちろりと舌を出して照れ笑いめいた苦笑を漏らした。
「‥‥なんてね。その想い。直に聞けず、ボクは倒れたんだけど」
「十分だよ、感謝する」
その笑いに笑みで応え、その姿が以前見た映像に重なった。きっとその姿は、人に近付いて苛立った朱雀に、更なる共感と苛立ちを覚えただろう。
「私は‥‥正直、迷っています」
指を組んで目を伏せる。新は酒に唇を一口つけると、息を吐いた。
「奴と‥‥朱雀と戦っている時は、自分の内に宿るのはただ激情でした」
目を伏せ、思いを伝えられる言葉を慎重に選び、発する。朱雀は戦友や人々を踏みにじったのだ、と。
「憎い敵。ただ、それだけでした」
「でした、か。思いを過去にするには早すぎるが、さりとて‥‥そんなとこだな。で?」
凪いだ湖面のような瞳に見られて新は思う。奴には奴なりの想いや誇りがあった事、自分以外の存在のために命をかけた事。それが思い返されて、言い淀む。
「朱雀は‥‥強敵でした。戦闘能力に限らず、その心においても――未だに分からないのです‥‥私は意志において、バグアである朱雀に勝ることができたのか」
言葉を慎重に紡いで、形を成す。その感情の正体は何か、悩む。
「奴の事は、未だに許せません。しかし‥‥奴の、バリウスへの想いだけは尊かった」
成程、と呟く声が新の耳に微かに届いた。
「大尉。私の思う“コレ”は、間違いでしょうか」
そして、それを問う。憎むべき敵である。そして尊いものであると思う。相反する二つの感情、これは是なのかと。
「俺にとって、奴は親友の仇で、仲間の仇だ。俺の命令で奴と戦い、死んだ部下もいる」
全てを遮るような一言が、ミシェルから発せられる。目を伏せかけた新だが、その声が言葉と違い柔らかなことに気付き、目を上げた。
「そして、奴は敵として実に堂々とした男だった‥‥いや、女か。少なくとも、それも事実だよ。“真実から目を逸らしてはならない。しかし受け入れてもならない”。真実を見ないなんてのは夢見がちに過ぎるが、それをただ受け入れれば、矛盾と絶望、それに徒労感という名の悪魔に心を食われちまう。大事なのは、真実を知って何をするか、だ。参考になったか?」
煙草をもみ消し、顔を上げて言うその言葉は、3人に向けられていた。
「有難う。お前さん達のおかげで、知ることが出来た。朱雀を。ラファエルの残滓は、存外あいつに似てふてぶてしい奴だったってことをな。乾杯しよう。サバンナに沈んだ仲間達の命と、意地っ張りの雀に。それと‥‥」
グラスを掲げてみせる。リズィーとエリシェ、それに新が続いた。冗談めかしたウィンクに失った悲しみを押し隠して、別れを贈る。
「もし良かったら、憎らしくも愛らしい、俺の終生の親友にも、だ」
グラスが打ち鳴らされる音が、軽やかに響いた。
宴はまだ続く。未だ仲良く料理をパクつく現と哉目の所にも、ミシェルは声をかけようと出向いた。
「ん、初めまして大尉。そしてごちそうさまっす」
ぴっと手を上げて敬礼の真似のようなことをしながら哉目が言う。ああ、と笑って返すと、暫く雑談を交わした。話題は自然と、先ほどまで話していたことに向いた。
「意志とか良く判んないですけど、人間だって良い奴と悪い奴がいる、バグアだってもしかしたらそうかもしれないです」
哉目の言葉は実にさっぱりとしていた。それはそれ、これはこれ。そんな副音声が聞こえてくるようだ。
「で、良い奴と悪い奴がいる同士、お互い譲れないトコがあるから戦争になってるんだと思いますけどね。私としては面倒くさい事この上ないですけど――現は?」
「ん?」
ちみちみと、酒を呷りつルーナをからかいつしていた現はその言葉に目を向けると、静かに答えた。
「人類とバグアも変わらない。互いに譲られないモノが違うだけだと思う」
現の言葉は実に簡潔だった。割り切った、ということとも違う。見定めた答えが、彼からは返ってきた。
「こんな時だからこそ楽しめる余裕を持つ必要があるんだよ。こうして騒いで頭の中をスッキリするのも良いものだろ?」
「‥‥お前さん達は、どちらかと言えば兵隊向きだな」
楽しそうにくつくつと、ミシェルが笑う。その肩を叩かれ顔を上げると、ドレスに同色のマント。そして常からのハットの代わりに三角帽子。そしてステッキを持った魔女姿のキアが立っていた。軽く首を傾げる。
「お酒飲んで、少し‥‥暑く、なりましたね」
「‥‥軽く外でも歩くかね?」
「人も、バグアも‥‥命と感情を宿す以上‥‥須く同じ物、かな」
男の問いに、肌寒い風を顔に受けながら、キアは答える。白い息を吐き出していると、肩にジャケットを掛けられる。それを手繰り寄せながら、言葉を紡いだ。
「国境を隔てれば、人間同士でさえ‥‥争って来たでは有りませんか‥‥所詮は‥‥その程度、かな」
「手厳しいな」
苦笑された。本当のことなのに、とキアは思う。案外繊細なのかなこの人、と心の中で首を傾げながらも、尚も答えた。
「善悪の無い‥‥揺るがぬ想い‥‥その方が、その方である為に必要な物‥‥言い方は色々ですけれど‥‥」
それを無くした時に、自分では無くなる物、そうキアは呼ぶ。そして、
「それもまた‥‥人とバグアで区切る物ではなく‥‥それを持つ個々に委ねられているだけ、かな‥‥」
私の意志を‥‥人の意志などと、他と同じ価値と見られたくは有りませんし、ね。そう呟いた。こんな話題になると頑なな彼女にも、恐らくそういうものがあるのだろう。ミシェルはそう思った。
「無形の意志の価値は、誰にとっても違うな。それは真理じゃあるが、他人の意志に自分と同じ価値を見出すこともまた、人にとっては間々あることだ」
夜空を見上げながら、遠くを眺める。軽い口調でありながら疲れの残る姿に視線を向け、苦笑と冗談混じりに呟く。
「俺は、あいつの意志を、自分のそれと等価値じゃなかったなんて、そうは思いたくないのさ」
「貴方をそこまで縛り付ける存在‥‥妬いておくべきなの、かな」
「妬いてくれるのか。まだまだ俺も捨てたもんじゃないな」
笑うその視線を追いかけて、キアも空を見る。星は狂ったように瞬いていた。
(他人にそこまで我が身を囚われる御気持ち‥‥私には‥‥理解できませんし‥‥解りたく無くも無い‥‥)
‥‥ただ‥‥
(それは良いモノ…?)
傷に被われ鍛えあがった腕が風に晒されていた。過酷な生を生きていても尚、この男は人にとても“期待している”のだと言う事が、伝わってくる。
(私にも持てるモノなの?)
訊ねたく思うも、言葉にはできず。
白い手がとん、と男の肘に当てられる。軽く腕を上げると、するりと少女の腕が絡められた。そのまま無言で歩く。少女の生きている証が、男の腕に伝わった。宴会場の手前に辿り着いたところで、少女が手を離す。
「ここまで‥‥です、ね」
離されようとする手。その手が、唐突に取られる。何かを握らされ、少女は驚いて目を丸くする。
「ドッグタグ‥‥」
「俺のと揃いだ。何かを見つけたいと思うなら、そいつに刻んでみても良いかも、だ」
そのまま手の甲に口付けられ、手を振るとまた宴会場に戻って行く。気障というより悪戯に成功した子供のような態度に、目を白黒させた。
冷たい風が頬を撫でる。そういえばジャケットを返していなかったと思い、もうしばらくこのままで良いか、と風に身を任せた。
大尉が戻ってくるのと入れ違うように――何してたんだろうあの人、と勇は思い、しかし首を振ると少し外に連れ出した銀髪の少女に振り返る。
「なぁに?」
雰囲気に当てられて、少し様子が柔らかくなっている。ルーナはお色直しをして、【L&P】キャットワンピースを着ていた。良く似合うな、猫っぽい少女には。そう思いながら、顔を改めた。
「戯言だと思って聞いてくれればいい」
そう言う。煙草を吸おうとして、やめた。
「他の傭兵に比べれば戦歴も実力も、あんたら兄妹への想いも足りないかもしれないが‥‥」
己の心に誓ったのだ。この少女が塞ぎこんでいるのを見たくないとも思った。だから。
「それでも守らせて貰えるなら、我は誓おう。必ず守ると」
「‥‥」
少し押し黙ると、ルーナは後ろに手を組んで後ろを向いた。何と声をかけようか、迷う勇に言葉がかけられる。
「子供じゃないのよ。守られるだけなんて御免よ」
「‥‥それは」
子ども扱いは止めて欲しい。ただ。
「ただ‥‥助けてくれるなら、とても嬉しい」
首を廻らせて、振り返る。その顔は落ち込みこそすれど、折れてはいなかった。燻る瞳だった。ああ、と合点する。それが彼女なりの道の付け方なのだ、とそう思った。
「‥‥誓ってくれるかしら」
「勿論だ」
遠くから、ヴァイオリンの甘やかな響きが聞こえる。エリシェが、ラファエルへの鎮魂歌を演奏しているのだ。
「折角の機会だ。参加してみるか」
「‥‥何か、出来るの?」
「オカリナを。良ければ、聞くか?」
「ええ」
手を引かれて、着いて行く。
喧騒は天に昇る。癒えることない傷を覆うかのように、人々の声は響く。
暁を目指して。
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「散々エスコートしたろ? お姫様の独り占めは良くないな」
そんなことを言ってからかうように勇を笑ってから、梓は傍らを見る。うつらうつらと、ルーナは既に舟を漕いでいた。
「そうだな‥‥今夜は一緒に寝るか?」
「‥‥え、で、でも」
顔を赤らめているが、眠気であまり抵抗力がない様子。皆に諒解を取ると、シャワーを浴びせ、服を着替えさせ、向かい合うように横になった。
「‥‥やっぱり恥ずかしい」
「気にするな。妹みたいなものだ」
刀を握っている時からは想像できないぐらい優しい雰囲気と表情で、梓が笑う。その笑みに釣られたように、ん、と眠気にふやけた声で頷いた。
「こうしてると、昔妹を寝かしつけていたのを思い出すよ‥‥」
布団に手を当てて、ぽん、ぽん、と叩く。疲れていたのか、程なく眠りに着き、その証拠は程なく夢見の悪さとなって現れた。唸って、涙を流し、身もだえする。激情を押さえ込むのにどれだけ体力を要していたのか。軽く抱きしめると、強い力でしがみ付いてきた。
「‥‥私はお前の前から居なくならないよ。約束する」
起きたら同じことを言ってやろうと思いながら、彼女もつかの間のまどろみに着く。
今はただ、おやすみなさい。
「五つ星とは‥‥一応、俺の立場も考えろよ」
「良いじゃないか。まぁ」
BARで、UNKNOWNとミシェル。宴が終わり、2人の大人がカウンターでグラスを傾けていた。今は誰憚ることなく紫煙もセットだ。
「明日は、氷河を見ようと思っているのだよ。氷河の融ける速度を見に」
「温暖化の話か」
「バグアが来てから20年。地球がどう変わったのか、とね」
「20年か。それだけありゃ、地球もバグアも変わる、か。それに」
ショットグラスを傾けるミシェルの隣に、ワイングラスをUNKNOWNが差し出した。
「人は、どこかで死ぬものだから、ね」
「至言だな。逃れられない運命だ」
「――だが、な。忘れなければいい」
そのグラスに、黒い男がワインを注ぐ。軽くグラスを掲げあうと、互いに口に含んだ。
「覚えている限り‥‥親友は、親友のまま、だよ」
立ちあがって肩をぽん、と叩かれる。笑って肩を揺すると、しばしミシェルは赤い液体を口に運んだ。
甘い過去も酸い思い出も、その全てを呑み込むように。
傭兵と言う名の現実に背中も押されて、これからの向かう先を思案する。
冷たい風が、少し頬を撫ぜた。