●リプレイ本文
●春告げる声はなく
かんじきが雪を食む。
傭兵たちは息を吐きながら、斜面を進んでいた。
雪と無音の白が全てを覆い隠す。
静寂に押し潰されまいと、傭兵たちは誰からともなく口を開いた。
「そろそろ雪解けの時期じゃないのか? まだこれだけ雪が残っているなんてな」
グラップラーの九条・命(
ga0148)は寒さに眉間を歪めていた。
寒さで手が悴むのも、厚着で動きが阻害されるのも、グラップラーには避けたい事態だ。
指先を動かして常に戦闘に備えつつ、先頭に立って雪を掻き分けた。
「あーもう、寒いのやだなぁ‥‥何でこの依頼受けたんだか‥‥」
文句を言いつつ、山の地図を睨むのは春野・若葉(
gb4558)だ。
頭に浮かんでくるのは、湯気を上げる暖かい出来立てふわふわのオムライス。
黄金のベールに包まれた、紅い世界に輝く緑と黄色の粒たち。口の中に含んだ瞬間に広がる甘美な味わい。
しかし急な北風が春野の愛するオムライスを、山の向こうへと吹き飛ばしてしまった。
「マフラーしてきてよかった。かんじきも借りてきて正解ね」
ステイシアのコートとファーマフラーを纏ったアズメリア・カンス(
ga8233)は、さながら映画女優だ。
現役モデルの春野と並んで雪山を歩いているだけでも絵になる。が、その服の下にあるのは戦闘のために鍛え抜かれた、無駄のない肉体だ。
かんじきをつけていても、機敏さは失われていないのが立ち振る舞いでわかった。
「それにしても、先に山に入った傭兵‥‥一人で入っていくなんて、また随分な事をするものね」
「たった一人でキメラ退治に行くって、勇敢と言うかなんと言うか‥‥」
二人の後に続くのは、イリアスを背に負う剣士、ヒューイ・焔(
ga8434)。甲冑でも身に纏っていれば、二人の姫に付き従う騎士にも見える。
防寒手袋で剣の握りを確かめる。汗や水で手が滑れば、その一瞬が命運を分けることになる。
ヒューイの手に、いつもと変わらぬ感触が返ってきた。
「豪胆な女性も居るもんだ。女性に豪胆といったら失礼になるが」
超機械を手に相槌を打つのは寿 源次(
ga3427)だ。冷気で機械が誤作動しないか、念入りに調べている。
これも傭兵としての心得の一つだ。自分の武器は研究員でなくとも、ある程度把握できなければならない。
「どうやら本当に一人のようだね〜。我輩以上のバケモノか、それとも我輩以上にイカれているのかね〜」
突然雪の中から男が現れた。いや、白衣に銀髪の男が雪の上に伏せていたから同化しているように見えたのだ。
ドクター・ウェスト(
ga0241)。傭兵の中で1、2を競う科学者の一人だ。
彼が指を刺した先には、傭兵たちと同じようにかんじきでできた足跡が一組。キメラのものではない、人間のものだ。
「一時間前って言ってたよな。まだ、そう遠くには行ってない筈だ。早いトコ追っかけよう」
同じく足跡を調べていた新条 拓那(
ga1294)も立ち上がる。自分の身長よりも大きなツーハンドソードを背負っているが、その重みを苦にしている様子はない。
だがやはり雪の上では、武器の重みが吉とでるより凶とでるのではないだろうか。
首から下げた手作りのお守りを取り出すと、傭兵の無事を祈る。
「俺たちが合流するまで無事だと良いのですが‥‥」
九条を越える、2m近い長身を持つリュドレイク(
ga8720)は、冷静に愛用のリボルバーに銃弾を込めながら言った。
鬼蛍の鞘を雪に刺し、雪の厚みと堅さを計る。できれば雪の浅い場所で有利に戦闘を進めたいと思っていたが、山の斜面は木から落ちた雪や、一度溶けて凍った雪の上にゆるい雪が積もっている場所もあるようだ。
それぞれに口にしたいことを話した後、再び静寂が訪れる。
奇妙だった。
九条の言うように、普通なら雪解けの時期。それが山には雪が歩みを遮るほど残っている。
霊峰として人が近づかないためか、とも思われたが、人どころか、山には生き物の気配もない。
まるで、傭兵たちが山へ入るのを拒んでいるかのようだ‥‥。
足跡は山頂へと続く道とは別方向へ残っていた。足跡を辿って先に合流すべきか、それともキメラを見つけるべきか。
「まずは祠へ向かったほうがいいのでは? 一般人へ被害が出ては大変ですし」
リュドレイクの提案に、足跡を追いつつ新条が答えた。
「いや、話を聞いたところでは山には他に人は踏み込んでいないみたいだ。合流してキメラの情報を得たほうがいいと思う」
「無線機は?」
「切ってるみたいだ。となると、かなり敵と接近しているか、交戦中か‥‥」
耳あて
「善は急げ、兵は巧緻より拙速を尊ぶ。まずは追いかけよ? 途中でキメラがいたら、倒せばいい。それにこんな寒いところでうだうだしたくないよ」
「その言葉、孫子の誤訳だが、今はそのほうが良いだろうな」
春野とアズメリアは男たちを気にせずずいずいと足跡のついた雪の中を進んでいく。女性にこの寒さは堪える。
男たちは肩を竦めて、二人の後を追っていった。
「見事な雪景色だ。こんな時でなければ良い風景なのだが」
寿は太陽で輝く雪の野と風に揺れる枯れた木々に、儚き美しさを感じずにはいられなかった。
「確かにな。山の動物が見れたら尚よかったんだが」
「動物たちは人間以上に敏感ですからね。一足先に山を逃れたのでしょう」
「エー、残念。鶯の鳴き声聞きたかったのになー」
春野が残念そうに唇を尖らせた。可愛らしい仕草に思わずリュドレイクは微笑む。
「あれは‥‥?」
ヒューイが雪の中に何かを見つけたのは、それからしばらく歩いてから。皆、視線の先を追う。
1Mほどの木の棒が、雪の中に刺さっていた。斜面に無造作に建てられた棒だが、一見して元々あったものではないことがわかる。
「足跡もあの棒へ向かっていますね。ということは‥‥」
「先行した彼女が残したもの、というわけか」
棒は巫女が持つ御祓い棒だ。先についた鈴は静かに口を噤んでいる。
「この近くにいるのかな」
「でもなんでこんなものを」
首を捻る寿の脇を通って、ウェストが祓い棒の前にしゃがみ込んだ。
「どれどれ、ちょっと見せて貰おうかね〜」
好奇心で輝く瞳を見開き、興味深そうに観察する。と、急に咳き込んだ。
「おいおい、大丈夫か? 前の依頼の負傷が、まだ残ってるんだろ。無理するな」
「いや、大丈夫。傷はあっても頭は冴えてるからね。ふむふむ、なるほど。一種の結界だね、これは。見たまえ」
「何だ?」
新条は頭に疑問符を浮かべていたが、探査の眼を使ったリュドレイクにはウェストが持つものがわかった。
「それは‥‥糸、ですか?」
祓い棒に結ばれていたのは、細い糸だ。注意して視ようとしなければ見落してしまうほどの。
糸は三方向へと伸びていた。山頂へ伸びるものと、その左右へ一本ずつ。
「こっちにも、一本在るな」
糸を辿った先に、九条は同じような祓い棒を見つけた。
「足跡が山頂へまっすぐ続いてなかったのは、これを仕掛けるためか」
「で、これのどこが結界なの? ただ糸で結んだだけでしょ?」
ちっちっち、甘いね〜、とウェストは指を振った。糸を引っ張ると鈴の音が激しく響く。
「昔の鳴子みたいなものだね。敵の位置を知らせ、山から降りないようにしてる」
「さらに、俺らにも自分の居場所を知らせられる、ってわけか」
「敵は近い、みたいね」
正直、雪山にも飽きてきていた傭兵たちは、近い戦闘に神経を研ぎ澄ます。
「これ持っていっちゃおう」
春野は祓い棒を引き抜いた。滑らぬように身体を支えるにはちょうどいい。
「似合うね。今度の雑誌の表紙で、巫女の格好してみたら?」
新条の言葉に、春野はひらひらと棒を持って舞ってみせた。
「祈祷で鬼が倒せればいいけど、敵はキメラだからな〜」
「桃から生まれたり、胃袋に針持って入ったりしなくても鬼退治できるかもしれないんだ。ラッキーだろ?」
軽口を遮るように、鈍い重量のある音と振動を感じた。全員すぐさま身構える。少し遅れて雪の落ちる音と、微かな鈴の音。
「こっちだ!」
走りだしたヒューイに続く傭兵たち。足元の雪が煩わしい。
雪を越えた先で、白い世界は一変した。
赤、赤、赤。
雪の上に咲く、紅い花。‥‥血だ。
血花畑の中央で舞うのは、二匹の鬼。
振り下ろされる金棒。
金属がぶつかりあう鈍い音が、空気を歪めた。
再び咲く、花。
金棒を受け止めた刀は、そのまま滑り、鬼の腹を切り裂いていた。
鬼が膝をつくのと同時に跳躍し、傭兵たちの方へ飛びのいた。
血のついた刀を薙ぐと、鬼の血が雪を汚す。赤から黒へと変わり、黒い煙を上げて蒸発した。
「予想より早く着て頂けて幸いでした」
笑顔で振り返った巫女の額に生えるのは、血よりも紅い角。
「傭兵の水原円です。よろしくお願いいたします」
呆気にとられていた傭兵たちだったが、次の瞬間には動き始めていた。
「こっちの紹介は後、だな」
「安心してお供え物を捧げられるよう、消えてもらうわよ」
獲物を前にした、飢えた獣たち。
雪山に飽いた彼らは、各々の武器を取り出す。
「やれやれ、通常の視覚以外に何か備わっているか、白衣の雪上迷彩で確かめたかったんだけどね」
「気をつけてください。鬼型のキメラは皮膚が硬く、多少の怪我なら再生してしまいます」
「なぁに。切り倒せないなら‥‥殴り倒すまでだ」
狼の紋章を輝かせ、金色を帯びた九条が白銀の上を奔った。
立ち上がろうとする鬼の両手めがけ、リュドレイクのアイリーンから放たれた弾丸が命中する。
鬼が苦痛に呻く隙に、間合いを詰めた九条の拳が鬼の頭上に振り下ろされた。
拳に伝わる肉の感触と共に、鬼の身体が雪の中に埋まる。
「おらおら、どうした。さっさと立ち上がってこい」
頭をサッカーボールのように蹴り上げ、無理やり立たせると、わき腹を拳で突く。
肋骨と肋骨の間、筋肉の薄い部分を狙い、その奥にある内臓へ直接損傷を与えるのだ。
鬼は怒りで痛みを紛らわせるように、空気を振るわせる叫び声をあげた。
「五月蝿いな‥‥報酬でふわふわのオムライスを食べにいくんだから、さっさとやられなさい!」
九条の脇を抜けて春野がタッキ・ラージャを大上段から振り下ろした。
勢いの乗った袈裟斬りが、鬼の胸板を深く切り裂いた。
それでもまだ、鬼は倒れない。
「しぶとい奴‥‥女に嫌われるわよ」
「新手も来たか」
叫び声を聞きつけて接近してきたのは、全身の皮膚が青黒く、二本の角を持った鬼。
2M以上ある身の丈よりもさらに長い、金属製の六角棒を振り回し、殺気を抑えずに襲い掛かってきた。
「赤鬼に青鬼か、バグアも随分安直ね」
アズメリアがアラスカで敵をけん制しながら間合いを詰める。
棒の長さ、腕の長さを即座に推測し、青鬼の一撃を寸前で回避。
ぎりぎりの間合いから月詠を神速で抜刀、真空の刃で鬼を斬る。
「こういうナリのキメラなら時節柄、豆でも用意した方がよかったね。ま、キメラ退治に風情も何もないか!」
さらに身体を地面すれすれまで低くした新条が、六角棒の下を抜け鬼の足へと、ツーハンドソードを二度、振りぬいた。
アキレス腱とひかがみの二箇所を斬りつける。
再生すると言っても腱を立たれれば、治るまでの時間、鬼は自重を支えきれずに膝を突いた。
「強化完了、ブチかまして来い、桃太郎!」
二匹の鬼へ電磁波を浴びせた後、寿はヒューイに練成超強化を施す。
ヒューイのイリアスが雪に軌跡を描きつつ、鬼へと翻る。
エミタを活性化させ、身体のバネを利用した横薙ぎの一撃。
脇の下から入った一撃は、左肺と心臓を切り裂き、右肺で止まった。
刀が抜けなくならぬよう、足で青鬼の胸板を蹴る。
青鬼の巨体が雪の上に倒れこんだ。
「報酬はきび団子ってオチじゃないでしょうね!?」
膝と腰を曲げて屈みながら春野が叫ぶ。その頭上数センチを、赤鬼のフルスイングした金棒が通り過ぎた。
「それはないだろう、鬼が島にしては、鬼が少なすぎる」
大振りな一撃の隙を突き、九条が赤鬼の足を踏んで固定した。
超至近距離から、腹、脇、皮膚の下の臓腑へと拳の弾幕。
「それになにより」
再び動きだそうとする金棒を持つ手が、鈍い音を立てて落ちた。
リュドレイクの鬼蛍での一撃が、鬼の肘から下を切り落としたのだ。
『弱すぎるッ!』
九条の蹴りが鬼の膝を折り、崩れた上体に春野とリュドレイクの刃が閃いた。
断末魔の悲鳴を上げ、崩れ落ちる鬼たち。
「リュドレイク君、まだ居そうかね?」
「いや‥‥気配も姿も感じない」
「お疲れ様。それでは検体採取といこうかね♪」
負傷のため後方支援に回っていたドクターは、嬉々として携帯している調査器具を取り出した。
だが、鬼の身体は見る見るうちに溶けてしまった。
雪に刻まれた人型と、傭兵たちに残った傷だけが、鬼が存在していた痕跡になってしまった。
「ふむ‥‥。生命維持が不可能な損傷を受けると、細胞が自壊されるように設定されていたのか? それとも‥‥まあ、これはこれで興味深いね」
「なんにしろ、これで任務完了というわけか」
拍子抜けたように思えた傭兵たちだったが、雪山から一秒でも早く降りられるほうがいい。
「何はともあれ、皆さんありがとうございました」
覚醒をといた水原は、ふかぶかとお辞儀をした。
「けれど私が倒した黄色い鬼が一匹。今倒した二匹を含め、邪気は薄れているようですが‥‥目的がはっきりしませんね」
「赤青黄って、信号機かよ。いや、信号鬼、か?」
周辺には戦力的要地もなく、この山をキメラが襲撃したとしても周辺への被害が少ない。かといえ、野良とも考えにくい。
「詳しいことはUPCに報告して任せようよ。それより早くここを降りないと、汗が冷えて風邪引きそう」
春野の言葉に皆賛成し、一旦山の麓へと降りた。
村の人々に報告し、再び山を登り祠へと参拝しに向かう。
山は行きとは一転し、鳥たちが戻ってきていた。傭兵たちに踏みしめられ溶けた雪の下から、ふきのとうが顔を出しているところもある。
山頂にたどり着くと、小さな古ぼけた祠があった。
それはただ積み重なった丸い石を、小さな木の小屋で覆っただけのものだったが、昔から何度も手直しを繰り返されてきた形跡があちこちにあった。
鈴を持った水原が、神楽を舞う。村人も傭兵たちも、静かにそれを見守っていた。
額の上に掲げられた鈴が揺れる。鬼を祓う音とされた鈴の音に反して、異様な音がそれを打ち消した。
「あっ!? お、御石様が!」
丸い角の取れたご神体の石が、中央から二つに割れていた。
「鬼の仕業じゃ! 祟りじゃ、ナンマイダナンマイダ‥‥」
場違いな経が村人たちの中から聞える中、水原は顔をしかめて舞を終えた。
鬼たちは、動き始めていた‥‥。