●リプレイ本文
●傭兵たち、金色の野に降り立つ
実りの秋を迎えたある日、一軒の農家、水沢家にて。
小鳥が目覚める朝5時半。寝息とノンレム睡眠で満たされた部屋が、一気に騒がしくなる。
「みんな、朝だよー。起きて〜!」
皆城 乙姫(
gb0047)が小鳥の歌と共に、縁側の雨戸を走り回って押し開けた。
「ん‥‥もう朝ですか?」
柊 理(
ga8731)が低血圧でいつもより一層青い顔を、そばがらの枕からあげた。
他の布団芋虫たちも、差し込む朝日にうめき声をあげながら身動きし始める。
ジェイ・ガーランド(
ga9899)や鳳覚羅(
gb3095)、傭兵たちの中には前日まで任務についていた者もいる。
朝すぐに集合・即農作業は辛いだろうと、喜代おばあさんが前日の夕方から、手伝いの傭兵たちを迎える準備をしていてくれたのだ。
お陰で傭兵たちは血と硝煙の匂いを檜の風呂で洗い流し、傷と疲労にまみれた体を、太陽の匂いのする清潔な布団に押し込むことができたわけだ。
全ての雨戸を仕舞い終えた皆城が、恋人の篠ノ頭 すず(
gb0337)の布団にダイブする。
「すずー! 早く起きないと、目覚めのキスするよ♪」
「うぅ‥‥いくら乙姫が軽いからって、寝起きにボディプレスは‥‥」
腹筋の痛みをこらえつつ、布団ごと乙姫をくるむ様にして抱きしめた。皆城は楽しそうにきゃっきゃと声を上げる。
「二人とも相変わらず、朝からお熱いな」
ジェイが枕元においた眼鏡をかけ、寝癖の付いた髪を手櫛でとかしながら言った。
田植え以来水沢家へ来れなかった彼だが、今回は再び親友3人揃って稲刈りに参加できたのだ。
「ふぅあぁぁ‥‥よく寝たぁ。ん‥‥いい匂いがする!」
成長期特有の食欲で朝食の匂いを嗅ぎ取った天・明星(
ga2984)は、大きな欠伸と共に起き上がった。
確かに、囲炉裏の火に掛けられた鍋から漂う味噌汁の香り、竃に掛けられた釜から流れてくる米が炊ける匂い。
頭がまだ起きていなくても、鼻腔を突き抜ける香りが嗅覚を刺激し、食欲を促進させる。
昨日の夜もてんやわんやでろくに食事をしていなかった傭兵たちに、自分の中に空っぽの胃袋があることを思い出させた。
ついつい、柊の腹の虫が鳴く。
「そういえば昨日何も食べずに寝ちゃったから、お腹がすいて当然ですよね‥‥」
「喜代、みんな起こしてきたよ!」
「喜代殿、もう起きたのか‥‥? 何か手伝う事は‥‥」
「あらあら、乙姫ちゃん、ありがとう。皆さん、おはようございます。朝御飯、もうすぐできますからね。先に顔を洗ってらっしゃい」
台所では喜代と、先に起きた叢雲(
ga2494)、不知火真琴(
ga7201)、M2(
ga8024)の3人は食事の手伝いをしていた。
「うーん、これくらいでちょうどいいかな‥‥叢雲君、ちょっと味見してみて」
鍋に自家製の味噌を加えていた不知火が、木の器に少量味噌汁を装って叢雲に手渡した。
「ん‥‥もう少し加えたほうがいいと思うけど。喜代さん、どうですか?」
「そうねぇ。じゃあもう少し加えて、後は好みで入れてもらいましょうね。皆さんも好みがあるでしょうから」
「喜代さーん、釜吹き零れてきたけど、大丈夫?」
「大丈夫よ、メイちゃん。蒸らしたほうがおいしくなるから、蓋を開けないようにね」
「始めちょろちょろ中ぱっぱ、赤子泣いても蓋取るな、だっけ」
「そうそう、よく知ってるわねー。日本人じゃないのに」
「料理好きだから、自然に覚えたんだ」
などと話しながら、朝食の準備を進めていた。
「おう、飯の匂いをかぎつけて起きてきたな。麦飯で鯉じゃなくて傭兵を釣ったってわけだ」
人数分の食台を持った団八が傭兵たちを出迎えた。腰の調子はもう大丈夫なようだ。
「お父さん、こっちに並べてくださいな」
「おう、わかった。お前ら、表に水道があるから、飯にする前に顔を洗って来い」
二人に言われた通り、台所の横を抜けて外へでたところに、昔ながらのくみ上げ式の水道があった。
鳳がポンプを動かすと、地下から汲み出された清水が吹き出てくる。
「ふぅ‥‥冷たくて気持ちいいですね。目が覚めます」
鳥飼夕貴(
ga4123)は顔を洗うと、髪を梳かして日本髪に結い始めた。
「いつもその髪型なんですか」
「ええ。このほうがしっくりくるんですよ」
「セットするのが大変そうです」
「そこは慣れですよ」
話しながら柊も青い顔を洗った。冷たい水を使ったお陰か、頬が少し赤く染まる。
冷水で睡魔を追い払った彼らの目に入ったのは、金色に輝く稲穂の海。
「みんな、立派に育って‥‥」
「‥‥結局、田植えから稲刈りまでの間、ここにくることが叶いませんでしたねえ」
七輪で岩魚を焼いていたM2が、目頭を押さえながらこぼした。
田植えの時から度々訪れていた者も、ジェイのように久しぶりに訪れた者も、自分で植えた稲が育った姿を見ると、成長した子供を見る親の気持ちがわかるようだった。
『ぐぅう‥‥』
しかし、誰かとわからず、焼ける岩魚の匂いに腹の虫が自己主張する。今の彼らには花より団子のようだ。
傭兵たち一人一人の前に、食台が並べられた。
麦ご飯にじゃがいもと人参のお味噌汁、岩魚の塩焼きに納豆、とれたての卵に胡瓜の糠漬け、味つき海苔。
「それでは皆さん、いただきましょう」
喜代が両手を合わせて一礼。傭兵たちもそれに習った。
『いただきまーす!』
切り分け、放り込み、咀嚼し、消化する。
傭兵たちは故郷は違えど、口の中にどこか懐かしい、土の味を感じた。
「麦飯って初めてですが、結構おいしいですね」
「給食で食べたのより美味しいよ」
イギリス人のジェイは見事に箸を使いこなし、岩魚の骨を取って見せて喜代を驚かせた。
「おいしいです‥‥こういった家庭の味とか母親の味は、何かコツがあるですか?」
「あ、うちも気になる。この間頂いたお料理も、素朴な味でとっても美味しかったです」
叢雲と不知火の問いに、喜代は少し考えてから答えた。
「そうねぇ。自分の家でとれた物で作ってるから、かしら‥‥。味噌も醤油も糠も自家製だから、自然と家の味ができるんですよ。昔はどこの家もそうだったけれど、今はお店で買ってくる物が多いからねぇ」
鳳と明星が差し出したお椀に味噌汁を装いながら、少し悲しげな笑みを浮かべた。
傭兵たちはここにくるまでに放棄された畑をいくつか見かけたのを思い出す。この辺りでも安い輸入品や巨大企業のプラントに負けて、農家をやめるものが多いのだ。
「自分で喰うものを、自分で育てて自分で調理して喰うことを忘れた奴らなんざ、終わっとるわい!」
味噌汁と麦飯を口にかきこみ、お椀を喜代に差し出しながら団八は言った。
「傭兵だから自分のご飯くらいは作れるますが、育ててる暇はないですからね」
「それがいかんと言うのだ。今日の稲刈りでわかるだろう。自分で育てた命を自分で刈り取り、自分の糧とする意味ってぇのをな」
●刈って刈って刈りまくれ!
「ようし、全員準備できたな」
朝食の後片付けも協力して終わらせ、作業用の服に全員着替えた、朝6時半。
傭兵たちは一番上の小さな田んぼに集まって並んでいた。
「団八おじいさん、喜代おばあさん、ついに稲刈りですね!」
「初めての体験なのでうまくいくでしょうか‥‥」
「俺も初めてです。日本人としては、一度体験してみたかったんですよ」
「うちは二回目かな。他の依頼で手伝ったこと、あるよ」
「稲、元気に育ったね! うれしいね? すず」
「ふむ、こんなにも元気に育ったのは本当に嬉しいな。乙姫」
「おしゃべりはおしまいだ。稲刈りの説明をする。しっかり見ておけよ」
団八が睨むと、並んだ傭兵たちはぴしっと背筋を伸ばして気をつけの姿勢。
「よし、稲刈は簡単だ。昔は学校を休んだ子供が手伝ってたくらいだからな。鎌さえあれば誰でも‥‥、おい、鶏小僧!」
「鶏じゃなくて、鳳です」
「どっちだっていい。お前その鎌は何だ!」
「あれ? 何か間違ってました?」
作業着に着替えた鳳が持っていたのは、愛用の大鎌『ノトス』だ。
「稲刈りでは鎌を使うと聞いたので持参しました。どうですこの大鎌。キメラでも刈り取れる優れものです」
この男、魔界村で稲刈りでもするつもりだろうか。
「うちの稲をキメラと一緒にするなダァホ!」
農夫としての馬鹿力で大鎌を取り上げると、稲刈り用の鎌を渡す。
稲刈り用の鎌は、刃の部分が鋸状になっていて、鎌を引いて茎を切り取るように作られている。
そのため普通の鎌より湾曲していて、刃も長い。作業しやすいように作られているのだ。
「作業は単純だ。一束ずつ刈っていって、15束刈ったら稲藁で結ぶ。結んだもんは後で集めて干すが、今はその場に置いておけばいい」
団八は稲の前に屈み込むと、慣れた手つきで鎌を振るい、あっという間に15束の稲を刈り取ると、稲藁で縛って見せた。
「それでは、一生懸命にお手伝い致しましょう。働いた後のご飯は、格別美味しいですからね」
『おーー!』
Tシャツジャージ姿の鳥飼の言葉に、全員強く頷き、掛け声を上げた。
田んぼの一辺に等間隔に並び、鎌を振る。
「ここってボク達が筋肉痛になりながら植えた場所ですよね。あんな小さな苗がこんなに大きく立派に実ってる!」
「ああ、ここ! うっかりライン歪んじゃった所だ!」
「田植えの時は大変だったよな、泥だらけになって。今日はあそこまで汚れる心配はなさそうだな」
「あはは〜、この辺りで飽きて来たんだな〜。一束の大きさがバラバラだー」
田植え組みは初夏の依頼を思い出し、感慨深い様子。
田んぼからは片方だけの長靴や、倒れた時の人型の窪みがそのまま残っているところもあり、田植えの苦労と珍プレーを思い出させた。
「これは結構‥‥重労働ですね」
「今回も腰に響きそうだね。腰痛大丈夫?」
「‥‥後が怖い」
「若いくせにぃ」
そう、腰をかがめ、根元を刈り取る作業は体勢的に非常に辛い。稲もなかなかしっかりとしていて、刈り取るにも力が要る。
傭兵とは言え、普段使っていない部分の筋肉を使わなくてはならないのだ。
「この姿勢はきついですね。休憩しながらやるとしましょうか」
大きく伸びをする明星。何故年老いた農夫たちが背が曲がっていくのか、わかった気がした。
「鳥飼君、その髪は重くないんですか?」
「きみの大鎌ほどじゃないよ、鳳君」
大鎌はからかっただけです、といいつつも、鳳も鳥飼も熱心に作業していく。
しかし、田植えの時ほどスピードはでない。
田植えは慣れればどんどん早くできるが、稲刈りは力だ。慣れて無駄な力が要らなくなったとしても、必要な力を入れなくてはならない。
「はぁ〜‥‥綺麗だね‥‥」
目の前に広がる黄金色の草原が、風で揺られる様に、皆城は目を奪われた。
「眺めとる場合か。手も動かせ、手も」
「ああー、団八もうそんなに進んでる! ずるい!」
「ええい、抱きつくな!」
「乙姫、団八殿にくっつきすぎるんじゃないぞ。腰も心配だからな」
「あ、そうか。ごめん、団八!」
「二人とも余計なお世話だ! それより作業が進んでおらんぞ、お前ら!」
一番端に位置する団八と喜代の列だけ、凹んで刈り取られていて、傭兵たちの部分は遅々として進んでいない。
「回転斬りで雑草を刈るみたいにはいかないかぁ‥‥」
「馬鹿なこと言ってないで、刈れ刈れ!」
数ヶ月前まで、手のひらに収まるような小さな緑色の可愛い苗だったものが、今は大地に根ざし、命を汲み取り、新しい世代の種をその身に宿している。
その重みを稲を掴む腕に感じながら、鎌を振るって命を摘み取る。
死神が鎌を持つのは、そのためだ。命を刈るのは、剣でも斧でも槍でも銃でもなく、鎌なのだ。
一つ目の田んぼが全て刈り取られた時、まだ始まったばかりだと言うのに、傭兵たちの額には汗が玉になってにじみ出ていた。
「よし、次は馳掛けだ」
「馳掛け?」
団八は稲木と呼ばれる、刈り取った稲を掛けて天日干しするための木の支えを立てる。
「この稲木に、稲が地面に付かない高さで吊るして干すんだ」
「どうして干すんですか?」
「刈り取ったままの米は水分が多い。十分天日干ししてから、脱穀するんだ」
なるほど、と鳥飼は頷いて、団八に習って稲木に束ねた稲を掛けていく。
全ての稲束を稲木に掛けて、次の田んぼへ。
「これは本当に‥‥重労働だ」
「今度からお米を食べるときは、必ずお百姓さんに感謝することにします」
もっとも、今ではコンバインなどの機械が発達している。わざわざ苦労してまで人手を集めて手作業で稲刈りをする農家など、数えられるほどだ。
「団八さん。小型のバインダーならここでも使えるんじゃないですか? どうして使わないんです?」
叢雲の問いに、団八は首に巻いたタオルで汗を拭きながら答えた。
「別に使わないわけじゃない。自分の手でできるうちは、例え骨折り損をしてもくたびれ儲けても、自分の手でやりたいってだけだ」
全自動洗濯機に電子レンジ、エアコンで育ったお前たちにはわからないだろうがな、と続けて、作業に戻る。
「はぁ〜‥‥綺麗だね‥‥」
「乙姫、戻って来い。その台詞は8回目だ」
「こ、腰がぁ」
「若さで、若さで乗り切るんだよ!」
「やばい、これさっきと同じ人型じゃないか? 全く稲が減ってない気がする」
「しっかりしてください、M2さん。ちゃんと稲は減っています。‥‥微々たるものですが」
「泥だらけにはならないが、汗のせいで汚れ具合は前とかわらないな」
「やはりここは大鎌で!」
「ちょ、鳳君! ノトスはだめだ! 覚醒するな!」
「已経是界限‥‥(もう限界だ)」
傭兵たちの散々たる有様に、団八は大きく息を吐いた。その表情には呆れはあっても疲労はない。
どういう体力をしているのだ、この老夫婦はと思うかもしれないが、生まれてから毎日田畑にでて働いていた彼らの体力をなめてはいけない。
傭兵たちが戦うために特化された能力者ならば、彼らは何十代も前から農業のために特化された、大地を愛し続けた農民なのだ。
「仕方ない、少し早いが昼飯にするか」
「そうですねぇ」
その言葉を聴いた途端、稲穂のように項垂れていた傭兵たちの瞳に光が。
「喜代、私ご飯の用意手伝うよ!」
「うむ、乙姫だけでは心配だ。我も手伝おう」
「すずと乙姫だけでは心配だ。私もいこうか」
「俺も俺も!」
「うちもー!」
「えーい、手伝いは女だけでいい! 男どもは昼飯の準備ができるまで作業を続けるぞ! 鳥飼、お前もこっちだろうが!」
『うおぉああ』
田んぼに残された男たちは、牛蛙のようなうめき声をあげて、今では天国への階段に見える坂道を駆け上る女の子たちを見つめた。
「情けない声をだすな! 気合いれろ! まだ半分しか終わってないんだぞー!」
『う゛ぁーい』
稲の刈り取られたでこぼこの田んぼに、青いシートが敷かれた。
「もうだめだー、眠る」
「地面に寝っころがることが、これほどまでに心地よく感じたのは今日が初めてです‥‥」
そんなことをぶちぶちいいながら、男たちがシートの上にぐでんと横になる。
「はいはい、お疲れ様。おにぎり用意しましたからね。いなり寿司もありますよ」
遠足にきた小学生のように歓声を上げると、皆我先にと手を伸ばした。
「めっ! みんなちゃんと手を拭いてから!」
おにぎりはラップで包まれてはいたが、土と汗まみれの手で取って食べるのは清潔とは程遠い。
「水沢さんのお宅のお米を使っているんですか? すごく美味しいです♪」
「ええ。去年のですけどね。でもこれでおしまい。お夕飯には、新米を食べられますからね」
「おっにぎり〜、おにっぎり〜、おにぎっり〜♪ む、むぐっ!」
「慌てて食べるから‥‥ほら乙姫、水だよ」
喉を詰まらせた皆城に、篠ノ頭が水を与える。
「いや、すずが作ったのにあたったんじゃないか? 微妙に米から具がはみ出しているものが」
というジェイの言葉には、グーパンチがとんだ。
「このいなり寿司も、味がしみてて美味ですね‥‥」
「蕪の漬物、根も葉もどちらもいけますよ」
鳥飼と鳳は鳥仲間で、というわけではないが、和気藹々として食事を頬張った。
「取れたてトマト美味しいです! トマトがこんなに甘いなんて知りませんでした」
「好吃(うまい)! 味道好(おいしーい)!」
用意されたおにぎり、いなり寿司、取りたてのトマトに漬物まで、瞬くまに平らげられていく。
最後のおにぎりが、皆城が幸せそうに開けた口の中に収まる。
入れたての緑茶が全員にいきわたった。心を落ち着かせる香りと温もりが喉元を通り過ぎると、誰もが一息ついた。
しばしの沈黙。
風が稲穂の上を戯れるように駆け抜ける。
地面に落ちた米を狙って集まってきた雀たちが、先ほどの傭兵たちのように歓喜を歌う。
太陽は晴れた空の真ん中にあり、今日も全てに光を恵んでいた。
今この時も世界のあちこちで、バグアと人類が生存を賭けて戦っていることを忘れさせる風景に、傭兵たちも心を奪われそうになる。
「さて、残りを片付けちまおう」
喜代の注いだばかり熱い緑茶を喉に流し込むと、団八は立ち上がった。
平和を絵に描いた光景から引き剥がされることに抵抗を覚えつつも、傭兵たちも立ち上がった。
●脱穀・自由時間
疲労感、息切れ、筋肉痛、肉体の活動限界に近づいたが、それももう長くは続かない。
戦いは終局へ向かっていた。傭兵たちは敵を完全に包囲し、圧倒的な物量と火力で殲滅していく。
そして‥‥最後の時がきた。
「これで‥‥終わりだ!」
漆黒の髪が揺れ――金色の瞳が煌き――振り上げられた鎌が――奔る。
覚醒した鳳の渾身の一撃が、最後の稲を刈り取った。
休憩から3時間たち、とうとう全ての稲を刈り取ることに成功した傭兵たち。
最後の稲を束ねて稲木に掛け終えると、その場にへなへなと倒れこんだ。
「よし、ご苦労さん。後は脱穀だな」
その言葉を聴き、地面に突っ伏していたM2はビクンと体を強張らせた。
起き上がりながら、恐る恐る疑問を口にする。
「団八さん‥‥ひょっとして、脱穀機、昔ながらの手動‥‥『千歯扱き』とかだったり‥‥する?」
「なんだメイ、お前、手動でやりたいのか? 殊勝な心掛けだな」
「千歯扱きって、日本の脱穀機ですか? ちょっとやってみたいかも」
「じゃあ脱穀は二人に頼むか」
「マジで手動!?」
「冗談だ。ハーベスターという脱穀機を使う。まだ完全に乾燥してないが、今日食べる分くらいは乾燥機を使ってもいいだろう」
「よかった‥‥江戸時代にタイムスリップするところだった‥‥鳥飼さんが普通の髪型に見えるところだった‥‥」
「別に日本髪は普通じゃない髪型ではないよ」
全員で落ち穂拾いを済ませると、脱穀、籾摺り、精白の作業が続く。
乾燥機で水分を飛ばしてからからになった稲を、ハーベスターの中へ送り込む。
稲から藁が取り除かれて、籾が袋ずめされてでてくるのだ。
ほれ、やってみぃ、と促され、明星も乾燥した稲をハーベスターに入れていく。
出てきた籾を、さらに籾摺り機に入れて、玄米の形にする。さらにそこから糠をとり、精白したのが白米だ。
流石にこれを昔ながらの石臼で行えば時間がかかりすぎる。機械に頼らなくてはならない。
大量の玄米を飲み込んだ機械から、純白の煌びやかな米たちがでてきた。
乙姫が両手で米を掬い上げた。滑らかな感触が手のひらに伝わる。
「みんなで植えた稲から出来たお米、どんな味かなっ?」
「きっと美味しいよ」
「よし、これくらいで大丈夫だな」
『お疲れ様〜!』
精白した米を枡に入れて、団八と喜代は近くの稲荷神社に訪れる。
神社はあちこちが修復されていた。使われている木の腐敗具合から、もう何十年も昔から、村人の手によって直されながらもここに存在していたことがわかる。
神殿の中には、他の農家が収めた米がすでにいくつか置かれていた。団八も、自分の米を置く。
礼、再拝、二拍手、一拝。
「今年もお稲荷様のおかげで、無事米を収穫できました。真に有難う御座います。うちで取れた米です、どうぞお納めください」
お稲荷様――つまり狐は、稲を食べてしまう雀などの鳥をとってくれる益獣として、農民たちから古くから奉られている。
いまでは全国でも数がどんどん減ってきているが、田舎ではこうしていまだに残っている場所もある。
「来年も豊作でありますように」
「願わくばお二人に幸多からんことを」
「来年も豊作になりますようにっ」
(「これからもお二人の田畑に豊作を‥‥我は乙姫と一緒にいられますように」)
傭兵たちも手を合わせ、各々の願いを込めた。
「参拝も終わった。後は自由時間だ。寝るなり遊ぶなり、好きにするといい」
夕飯までの自由時間、傭兵たちはそれぞれやりたいことをすべく別れる。
「もう限界だー、俺は眠るよ」
そういうと、M2は脱穀でできた稲藁に体を埋めて横になった。
「いいなぁー。僕も藁のベッドで眠ろっと」
明星もM2と同じく、自分用に藁をセッティングすると、藁束に体を任せる。
麦わらほど柔らかくないものの、太陽の光を浴びて育った稲の、暖かさと匂いが心地よい。
3分も経たないうちに、二人は眠りの世界へと旅立っていった。
「ボクも疲れました‥‥ゆっくりさせてもらいます」
柊はまだ陽があたる縁側に座って、うとうとし始める。こちらはこちらで、木の床がぬくもりを帯びていて眠るにはちょうどよい。
「あらあら、みんな眠ってしまったのね」
流石にもう11月だ。汗をかいたままでは風邪を引く、と喜代は3人に毛布を掛けた。
「ほら、すず! 早く早く!」
皆城が篠ノ頭の手を引き、坂道を走って下っていく。
「はしゃぎすぎて転んだりするなよ」
ジェイの言葉を背中に受けつつ、何度か転びそうになりながらも坂の下にたどり着いた。
振り返り、棚田を眺める。稲刈りが終わり、土が顔出した田んぼは、まさに彼女らの努力で作られた光景だ。
180度視線を変えて、秋山を眺めると、木々が見事に紅葉していた。
様々な種類の木が、だんだんと紅葉していくため、秋山は黄色から紅色へ、美しいグラデーションを生み出していた。
「綺麗だね‥‥」
「ああ‥‥」
風が吹き、落ち葉が舞い上がる。
ひらひらと舞い散る葉の雪の中を、ゆっくりと手をつないで歩いていく。
「あ、すず、頭に落ち葉ついてるよ‥‥? ん、ちょっと屈んで?」
「ん‥‥こうか?」
屈み込んだ篠ノ頭の首に手を伸ばし、皆城はそっと唇を重ねた。
(「えぅ‥‥な、何を‥‥人に見られたら」)
そう思い始めは驚いていた篠ノ頭も、瞳を閉じた。
二人だけの時間が、二人だけの世界の中を流れていく。
やがてゆっくりと、唇が離れた。
「ん‥‥」
皆城は満面の笑みで、篠ノ頭は困ったような恥ずかしいような、照れた笑顔で、互いを見つめる。
再び皆城が抱きつくと、篠ノ頭はしっかりと包み込むように抱き止めて頭を撫でた。
「えへへ、すず大好き。またこうして紅葉見に来たいね?」
「‥‥我は乙姫と一緒ならどこでもいいよ」
「散歩にいかない?」
「そうだな。行こう」
叢雲が手を差し伸べ、不知火が握って走り出す。幼馴染の二人。姫君をエスコートする騎士、というよりは、一緒に野原を駆ける子供と言ったほうがいいだろうか。
自分たちが刈り取った田んぼを見つめながら、二人は小学生の頃のことを思い出していた。
(「あの頃は余裕がなくて、はこんな風景に目を向ける事もなかったな」)
叢雲は苦笑した。こうして目を向ける事ができるのは、少しは成長したって事なのだろうか、と思いながら。
(「あの頃はまだ、叢雲とも出会っていなくて‥‥楽しい思い出は少ないけど」)
それでも、心のどこかにある、懐かしさを感じていた。
辛いことも悲しいことも、時が経てば『思い出』として彩られていくのだ。
そして思い出す。辛いことだけではなかった、悲しみもいずれ終わった、ということを。
互いに手のひらで相手のぬくもりを感じながら、出会ってから一緒にいた今までのことを思い出す。
顔を見つめあい、二人とも同じことを考えていたんだなとわかると、微笑みあい、再び強く手を握り締めた。
「のどかでいいところですねぇ」
「全く」
「ん‥‥どんぐりか」
ジェイ、鳳、鳥飼の三人は二組の世界を邪魔しないように、秋山の中へと入って秋探しを楽しんでいた。
染め上げられた木の葉の間から零れ落ちてくる陽光と、森の中の新鮮な空気が、疲れた身体に心地よい。
足元には落ち葉のカーペットがしかれ、その間から茸が顔をだす。
鳥飼は食べられるものを選んで艶やかな手を伸ばすと、取って風呂敷につつんでいった。
鳳はどんぐりを拾い上げた。様々な種類のどんぐりが、森のあちこちに落ちている。
違う種類のものでも形が違うもの、色とつやが違うものがあり、鳳の目を楽しませた。
ジェイは木の葉を拾っていた。椛に銀杏と、いろんな形、紅葉の進み具合で現れる色の違いがあって、飽きが来ない。
「もうすっかり、秋ですね‥‥」
●食べることは生きることだ
夕方になり外へ出ていた傭兵たちが帰ってくると、水沢家はいつもの何十倍もの賑やかさを見せた。
「そうだ、これ先日のお礼です。自家製の梅酒ですから、飲んでいただければ」
「あらあら、まぁまぁ。ありがとうね、叢雲君」
叢雲が梅酒の瓶を喜代に手渡す後ろで、鳥飼が割烹着姿で包丁を巧みに使い、軽く水洗いしたしいたけに切れ込みを入れる。
「そうやってると昭和初期のおっかさんって感じだな」
「それは喜べばいいのやら‥‥」
「柊君、もうすぐ夕飯ですよ」
よだれを垂らしそうになりつつ、縁側で船を漕いでいた柊を、鳳が揺らして起こす。
「ほらほら、M2さん、明星さんも。ご飯無くなっちゃうよ!」
不知火も藁のベッドに眠る二人に声をかけた。
「ご、ご飯!?」
「お、俺の分とっておい‥‥あれ?」
体のあちこちに藁をくっつけながら、寝ぼけ眼で目を覚ます二人。
「ほらほら、食べたかったら働く、働く!」
「うぅーい‥‥ふぁああ‥‥まだ眠い」
「秋刀魚、焼かないとですね」
台所では、皆城と篠ノ頭、ジェイが料理の手伝い‥‥というより、二人が篠ノ頭の料理の監督をしていた。
「すず、少しは上手に‥‥いや待て、それは違う」
「あ、あー、すずは焼き物のほうが得意じゃなかった? 秋刀魚を焼いたほうが‥‥」
「秋刀魚は明星殿が焼くと言っている。それに我も少しは上達している‥‥乙姫も心配しないで!」
そう言いつつ、危なっかしい手つきで鍋に入れる白菜に包丁を入れる。
一口サイズに切るだけの簡単な作業のはずが、何故か篠ノ頭の指にはすでに喜代のハンドメイド・バンドエイドが張られていた。
「柊! お前唇まで真っ青になってるぞ」
団八が言うとおり、お釜に入れた取立ての米を研ごうとする柊は、水の冷たさから青い顔をさらに真っ青にしていた。
「お米‥‥研ぐのも大変‥‥ですね」
「ええい、もういい、囲炉裏の近くでやれ。少しは暖まる」
「ああ、そうでした。団八さん、これ詰まらないものですが‥‥すずと乙姫が何度もお世話になったそうで」
菓子折りを差し出すジェイに、片手に包丁を持った篠ノ頭が瞳を光らせる。
「‥‥我のほうが年上だぞ、保護者モードで挨拶するな」
「とりあえずすずは包丁をしまえ! 菓子折りはみんなでいただくとするか」
このような具合にてんやわんやしながらも、夕飯の準備は進んでいった。
「よし、全員席についたな」
朝食のときと同様に、傭兵たちの前に食台が置かれ、今にもつまみ食いしたくないそうな料理が並ぶ。
「えー、本日は稲刈り、ご苦労様でした」
『ご苦労様でした』
「これから食べる米は、全員の力をあわせて作った米だ。よく味わって食べてほしい。あー‥‥なんだ。こういう挨拶は性に合わん。とにかく、いただきます」
『いただきまーす!』
全員が手を合わしたのち、食事に飛びついた。
夕飯の献立は、新米のご飯に鳥飼が取ってきたきのこの味噌汁、秋茄子を醤油で炒めて焼いた物に、明星が焼いた秋刀魚と大根おろし。
皆城と不知火が手を糠臭くして取り出した、大根と葉の糠漬け。そして味噌ちゃんこ鍋だ。
酒が飲めるものには叢雲の持ってきた梅酒が配られた。
皆、まずは何も言わずに、白米へ箸をつける。
柊が手を赤くして研いだ米は、お椀の上で純白の輝きを放っていた。一粒一粒の米が立っているのが見てわかる。
「お米が光ってる! これが水沢家の新米の力ですか!?」
口に運ぶと、いつもは味などないと思っていた白米に、甘みと旨みが凝縮されていた。
「もぐもぐ‥‥んーーっ‥‥おいしぃ! 感動だよー」
「‥‥なんだかすごく美味しい。どうして、だろう?」
「米だけでこんなにおいしいだなんて‥‥」
「好吃! 中国の米も好きだけど、日本の米のほうがモチモチしててうまいですね」
皆の歓喜の声を聞き、団八と喜代の顔が嬉しそうに綻んだ。
「一生懸命手伝った甲斐がありました‥‥今まで食べた中で、一番おいしいですよ」
「稲刈りの苦労も、この味なら報われますね」
「このきのこの味噌汁も食材の味がそのまま出ていて、なんともいえないな。料理で感動するとは」
「はいはい、みんな。お代わり、沢山あるからね。お鍋も用意しましょうか」
「すずが用意した、大きさのそろってない具があるが、勘弁してやってください」
「ジェイ! 一言多い!」
水沢家の味噌と特製の出汁を使った味噌ちゃんこ。取れたての野菜に出汁がしみこみ、暖かい具が体を中から温める。
叢雲の梅酒も口をつけると滑らかな舌触りと、梅のさわやかな香りと甘みが食欲を増す。
糠漬けもほどよい塩気で、ご飯がより一層進んだ。
「よーし、お前ら、何かやれ!」
「では、俺が」
程よくよった鳥飼が扇子を開き、舞を踊る。団八に押されて喜代も踊りだすと、皆城がすずの手を引き加わり、それならうちも、と不知火が躍り出る。
皆の手拍子と歌に合わせて舞う。肩を揺らしながら、囲炉裏の周りで歌って踊ると、不思議と血のつながっていない自分たちも、家族のような気がしてきた。
水沢家の宴会は、夜遅くまで続いた。
「皆寝たか?」
「はい。傭兵さんと言えども、皆さん疲れていたんですね。もうぐっすりですよ」
「そうか‥‥」
縁側に団八と喜代が並んで座った。欠けた月が二人を照らす。
「賑やかな一日でしたね。こんなに騒いだのは本当、久しぶり」
「そうだな」
「‥‥どうしたんですか、お父さん。干し柿みたいな顔をして」
「‥‥こいつらを、戦場に行かせたくない」
「お父さん」
「再び奪われるのが怖いんだ。あいつのときみたいに‥‥生きることは死ぬことだと、わかっていても」
「何言ってるんですか。順番は私たちのほうが先ですよ。それに私たちの米を食べたんです。バグアなんかにやられはしません」
「ああ」
「来年もまた、生きて帰ってきます。皆強い子たちですから」
「ああ‥‥そうだな。くそう、このお茶はしょっぱくていけねぇ。喜代、取り替えてくれ」
「そうですね、私のもしょっぱくて飲めないわ。すぐ取り替えますね」
「あいたたた‥‥」
「もう、しっかりしてよね!」
腰痛でぎくしゃく動く叢雲を、不知火がせかす。
皆はもう外に帰宅の準備をして待っていた。
「今日はお世話になりました。ご老体も喜代さんもお体に気をつけてお元気で」
「水沢さん、良い体験をさせていただきました。謝謝。また来年もお手伝いさせてくださいね。再見」
「お陰でかけがえのない体験が出来ました。お二人とも大好きです!」
「本当に、お世話になりました。楽しかったですよ。また今度は‥‥依頼も何も無く、遊びに来たいと思います。‥‥な、乙姫、すず」
「うん団八、喜代、楽しかったよ! また来るね! それまで元気でね!」
「喜代殿、団八殿‥‥またくるから。その‥‥元気でいてくれ」
「ああ。お前たちも達者でな」
「皆さん、これを持っていってね」
喜代が傭兵たちに手渡したのは、小さな巾着包み。
「これは‥‥?」
「中に、種籾が入ってます。私とお父さんからのお守り。皆が空に飛び立っても、必ずこの大地に戻ってこれるように‥‥」
口にしながら、喜代の目には見る見る大粒の涙がたまっていく。
喜代は思わず、皆城を強く抱きしめた。
「ああ‥‥こんな小さな子まで戦わないといけないなんて‥‥」
「大丈夫、喜代。必ずまたここに戻ってくるから。ね?」
「ええ‥‥私も戦争が終わったら、この種をもって戻ってきます。必ず」
「うちも、絶対帰ってくるよ!」
「俺だって! またおいしい料理、食べたいしね♪」
「そうだぞ、喜代。別れじゃねえんだ。こいつらの旅立ちなんだから、笑って見送らないと」
「そうですね。ごめんね、皆さん。年を取ると涙もろくて‥‥。みんな、いってらっしゃい」
傭兵たちはいつまでも手を振り続ける二人を、何度も振り返りながら坂道を下っていく。
車に乗った彼らが見えなくなるまで、ずっと手を振っていた。
「いってきます」