タイトル:いつかのだれかへのマスター:ユキ

シナリオ形態: イベント
難易度: 易しい
参加人数: 9 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2013/04/16 19:19

●オープニング本文


 激動の一年が幕を下ろした。

 最後の夜。空には過去の理科の教科書にある通り、一つだけの月が寂しげに、けれどどこかいままでよりも眩しく輝いていた。
 きっと、これが過去の人々が見たあるべき空なのだろう。過去を知らぬ若者はそんな想像をし、過去を知る老人たちは更けゆく夜の静けさの中、懐かしいあの日に思いを馳せた。
 そして、月が過ぎ去った365日と共に眠りにつく時。空を覆う黒い帳を開いて新しい一年が訪れた。
 一年の初めに昇った太陽は、なんだか思ったよりも平凡で。なんだか思ったよりも、暖かかった。


 ‥‥‥‥
 


「‥‥お、後藤の奴、結婚したのかー。懐かしいなぁ。あ、竹本の奴まだくたばってなかったのか、あの野郎」

 人もまばらな本部。それもそうだろう。収束へと傾く戦況。なにかの区切り。今年は故郷で。家族で。そう思う傭兵も少なくはない。
 依頼もまた、その様相を変えている。ロシアでの件はあれど、空からの落下物の処理にも一応のメドが見え、以前のような煩雑な状況は見られない。
 そんな本部の隅。ソファーに腰を下ろして、テーブルになにやら手紙の束を置いてそれを1枚、2枚と見てはぶつぶつと呟きながら、笑顔を浮かべる東洋人が一人。

「なに一人でニヤニヤして、気持ち悪いわよ?」

 急ぎではない案件を整理しながら、手持ちぶたさに煙草を1本2本。そんな風にどこかゆっくりとした年始をデスクで過ごしていたマリアナ(gz0439)。ふとカウンター越しにホールを見れば、そこにその東洋人の傭兵がいた。

「おいおい、気持ち悪いなんてひどいな。懐かしい奴からの便りを見りゃ、あんただってこうなるだろうよ」

 傭兵はマリアナの冗談めいた言葉に気分を害することもなく、口元に笑みを浮かべたまま言葉を返し、手にした1枚をマリアナへと差し出す。

「随分たくさんの手紙ね。オトモダチ?」

 受け取ると、片面には名前かなにかだろうか。なにやらかしこまった文字が並び。反対に裏には、差出人とその家族と思われる写真が大きく載っていた。妻の大きくなったお腹に手を添えながら、夫婦2人、幸せそうな笑顔で撮った写真。きっと来年には、新しい家族と3人の写真となっていることだろう。そんなことを思うと、なるほど。マリアナの口元にも笑みが浮かぶ。

「いい写真ね。近況報告か何か?」
「あぁ、お国柄さ。年賀状っていう、年始のご挨拶ってやつだよ。今年は戦況の変化もあったし、配達人たちも『新しい時代の始まりに』とか銘打って力いれてたみたいでね」

 ふーんと首肯。そして男に小首を傾げながら手のひらを手紙の束へ向ける。男もまた手のひらを見せる。向かいのソファーへと腰を下ろし、束を上から1枚。
 オペレーターという仕事柄、諸国の文化を聞くことは多くとも実際に見ることは少ない。まして、これまではバグアの影響下、こういった連絡手段も必ずしも十分に機能してはいなかった。実際に見ると、どこか不思議なもの。
 文字だけの簡素なものもあれば、イラストが描かれたものも。届いた1枚1枚の報せ。記された1文字1文字。添えられたメッセージ。それら全てがその人の今を伝える。けれどなによりもそれを鮮明に届けるのは、やはり写真という1つの形。

「写真、か‥‥」

(‥‥ふーん)




 ‥‥‥‥
 


「え? 写真?」

 話しかけられた女性傭兵は一瞬困惑した。男からのナンパ目的ならともかく、声をかけてきたのが女性オペレーターだったからだ。

「そう。写真。撮らせてくれないかしら? オトモダチと一緒でも構わないわよ」

 いつものタバコを小さなインスタントカメラに持ち替えて、いつもの依頼を斡旋するかのような口調でマリアナは女性傭兵へと話しかける。

「難しいことは考えなくていいわ。ただの思い出作り、とでも思って頂戴」
「思い出‥‥っていっても、ねぇ?」

 そうはいわれても。そう顔を見合わせる2人の女性傭兵。中にはアイドル活動を行なっている者もいる。傭兵を題材とした取材の一貫で写真を撮られる機会もないわけでもない。だがあくまでそれは一部の者。偶然立ち会ったといった場合を除いて、依頼はあくまで受けるも受けないも傭兵に一任されているわけで。突然話しかけられた傭兵が気後れするのも、至極当然の話。

「それじゃあ、未来への手紙、ならどうかしら?」

「未来の‥‥?」

 困惑し泳いでいた傭兵の視線が、その一言にふとマリアナへと向く。

「いつか思い返した時。そうね、掃除の時にひょっこり見つけたでもいいかもしれないわね。そんな時、写真があるといいんじゃない?」

 マリアナがそういいながら「撮ってみる?」と言うようにカメラを振って見せる。しかし、言葉を投げかけられた女性傭兵の瞳は曇り、その視線はまた伏せられ。その様子に、けれどマリアナは別段躊躇うことも何もなく。

「そうよね。アナタたち傭兵って、名前とか過去とか、色々捨ててる子、多いものね。残したくないとか、思ってるのかしら?」

 図星。

 同じ傭兵でもないただのオペレーターに言われるとは思っていなかった言葉。だが、事実。
 親に与えられた名前。もらった綺麗な身体。平凡だった生活。思い出。傭兵の中にはそれらを意図せず奪われた者、あるいは自ら捨てた者もいる。
 そういった者の中にある、ある一つの感情にあえて名前をつけるとすればそれは。

 罪悪感。

 親に。家族に。友に。見知った誰かに。見知らぬ誰かに。そして、自分に。
 汚れた手の自分が幸せになってはいけない。エミタに選ばれ生き残った自分は、選ばれず死んでいった友を忘れて笑顔になんてなってはいけない。
 ただ、戦って。戦って。その力で誰かのためにその身を削って。最後には擦り切れて、なくなってしまえばいい。何も残さず。何も残らず。
 誰にも知られず。誰の心にも残らず。
 そうすれば、誰も傷つかない。誰かも。
 ‥‥‥‥自分も。

「でも。歳を重ねると、何か残しておけばよかったな‥‥なんて思うこともあるのよ?」

 マリアナはいつもと変わらないどこか他人事のような、澄ました笑顔のまま。

「アナタはそれでいいかもしれないけど、隣のオトモダチは、どうなのかしら?」

 言われて、2人の女性傭兵は、隣に立つ互いの相棒の顔を見やる。

「案外、縁なんて知らない間に繋がってる者じゃないかしら? これからも、ね」

 そういいながら、マリアナは2人の傭兵をレンズ越しに覗き見る。顔を見合わせ困惑している2人の顔は、徐々に困惑とは別の色に。それは気恥ずかしさか、照れか。そして2人は自然どちらからと言わず頷き合うと、向けられたレンズへまっすぐと視線を返す。

 傭兵だって、誰かを愛したり、家庭を持ったり。そんな人並みの幸せを願い描いたっていいはず。そうして、何かを残したって。
 あの人と私がそうであったように。今、あの人との間に生まれたあの子が確かに生きているように。

●参加者一覧

/ 藤村 瑠亥(ga3862) / リュイン・グンベ(ga3871) / ラウル・カミーユ(ga7242) / 百地・悠季(ga8270) / 紫藤 文(ga9763) / 最上 憐 (gb0002) / ジョゼット・レヴィナス(gb9207) / ラナ・ヴェクサー(gc1748) / 浅間智(gc9201

●リプレイ本文

 立ち寄った本部はどこか閑散としていて、想像していたよりも穏やかな空気が流れていた。
 受付でペラペラと本らしきものをめくる女に近づけば、あちらもこちらに気づく。

「あら、いらっしゃい。初めて見る顔ね」

 本から顔をあげるオペレーター。その折垣間見えたのは、たくさんの写真。浅間智(gc9201)の不思議そうな視線に気づいたマリアナ(gz0439)が、「あぁ」と手元のアルバムに視線を落とす。

「貴方と同じ。同業者さんたちの写真よ」

 そういいながら「見る?」と向けられたアルバムを何の気なしに眺めれば、そのページだけでも幾枚かの写真があり、それなりの厚さになっている。写真に写っている人々は、戦場で時に雄々しく、時に冷淡に、兵器のごとく扱われることもある傭兵というイメージとは全く違う。およそ傭兵なんて言葉が似つかわしくない連中も多かった。女だてらにというのなら、自分もその一人なのかもしれないが。ページをめくってみれば、傭兵の写真だけでなく、LHの町並みや、商いをする一般の人々の写真もある。

 そのアルバムには戦場ではなく、LHという場所で生きる人々の姿が、今という時がそのままに閉じられていた。

 コトン、という物音に視線をずらすと、アルバムの脇にカメラを置く手が視界に入った。その手の主の顔へと視線を上げると、マリアナと目が合った。

「貴方も1枚、どう?」



● その愛に名前をつけるとしたら

(いい機会‥‥か)

 LH内の商店街。自分には似合わない場所だな。カメラを前にし、藤村 瑠亥(ga3862)はそんなことを思っていた。

 今朝のこと。穏やかになりかけている日々。それでも自然、足はあの丘へと向かい。あの日から覚醒をしなければ戻ることはない片目の世界。否、覚醒さえすれば戻るソレと、戻らぬ3つの名前。晴れた空の下、ただ何をするでもなく立ち尽くしていたが、落ちる煙草の灰に過ぎた時間を思い出すと、丘を下り孤児院へと戻ろうとした。そこに見慣れた影が立っていることに気づかぬわけもなく。相手もまた、身を隠すような素振りもなくこちらを見上げていた。

 ―― デート、しませんか?

 驚かなかったわけではない。だが何故か、その言葉を正そうとも、断ろうとも思わなかった。
 隣を歩く義理の妹は、一言で言えば楽しそうだった。そう、ただそれだけのことなのだが。彼女にとってそれがどれだけの変化か。仮にも義理の兄を名乗り、戦場では師としてその背中を持って戦う術を見せてきた。その中で見た彼女の心の闇と病み。全てとは言わないが、それらの一端を垣間見てきた。見てきたからこそ、今の彼女の姿がどれだけ得難いモノだったかを知っている。

(回復して良かった)

 こうやって買い物を楽しむ普通の女の子のような一面を見ると、ただそう思える。

(しかし‥‥)

 ―― 一緒、ですね‥‥ずっと、大事にしますから

 首に巻いた、買ったばかりのおそろいのマフラー。

(そこまで大げさに言わなくとも‥‥だが)

 おそろいのマフラー。黒を基調とした装束。高速戦闘術。強敵を求める性。片目の傷。他人から見ても正直よく似たものだ。本当の兄妹と呼んでも不思議はないのかもしれない。だがそれらのいくつが、俺が彼女の兄になってから彼女が変わったものだっただろうか。それらのいくつが、本来あるべき彼女の姿だっただろうか。あるいは最初からその全てが彼女だったのかもしれない。だが自分という者の近くにいなければ、彼女はもっと早く変わっていたのかもしれない。最近では女友達も幾人かできたようだ。そういった交友関係の方が彼女にとっては望ましいと、藤村は思う。

(近くに置き過ぎたのだろうか)

 事の正誤はわからない。ただ少なくとも、自分を真っ当な人間だとは思わない。そして一方で、彼女にはその真っ当な人間になって欲しい。傭兵なんて生業を捨てて。

(‥‥っと)

 偶然会ったマリアナに声をかけられ、どんな写真を撮るか女2人でなにやら話し込んでいるのを横にもの思いにふけっていると、無意識に煙草を口元に。しかしそれに火をつけることはなく、再びしまう。

 撮った写真は2枚。
 1枚は腕を組み、お揃いのマフラー、さながら恋人同士のような写真。だが自分には恋人がいる。それは妹である彼女も知っていること。同時に、彼女が自分に頼り縋りにも似た感情を抱いているのもわかっていたこと。それでも彼女の想いを拒否せずにいた、自分の甘さにけじめをつけなければならない。デートという言葉で声をかけられた朝からそう思っていた藤村には、彼女の真意をはかりかねていた。
 しかし続けて提案された2枚目の構図を聞き、それらを快諾した。



 帰り道。2人はもう手をつなぎはしない。マフラーも今は紙袋の中。それが2枚目に撮った写真の2人の姿。結局、互いに言葉にはしなかった。だがお互い、思う所は通じていた。この写真の距離が、これからの2人の距離。

(やはり、兄妹か)

 そんな風に思うと、どこかフッっと笑みが溢れるような気がした。
 
 きっと、この写真はこれからも『家族としての大事な物』として失くさずにいるだろう。彼女を妹として、本当の意味で愛していくためにも。
 
(‥‥ラナから言わせてしまったな)

 その心の声は、妹の成長を喜ぶものか、自分の兄としての不甲斐なさを自嘲するものか。おそらくそれは、今の彼自身にもわからないこと。



● その愛に線を引いて

 今朝もいつものように一人、丘の上へと向かった彼。彼の帰りを待つ時間は、ラナ・ヴェクサー(gc1748)にとってとても長く感じた。

 自分の中にあるいろんなモノの中でただ1つはっきりしたもの。それは彼への好意。家主として。義理の兄として。師として。否、どれも違う。でも、それは許されない感情。それでも、彼はそれを受け入れてくれた。縋れば受け入れてくれる彼に甘えていた。彼の側にいることで安心し、心が休まった。幸せだった。いままでは。
 もちろん、これからもそれが自分の安堵と幸せになるのは変わらない。けれど、それが同時に彼を苦しめることだと。縛ることだと分かっているから。
 彼の自分への思いは、けして、自分と同じじゃない。その思いは、別の女性へと向けられるもの。
 これから世界は落ち着いていく。今後傭兵を続けるかも判らない。ただ思う。彼らに迷惑をかけたくない、かける訳にはいかないと。
 これからの自分に、自分達にこの思いはもう、必要のないものだから。大丈夫だから。
 
 ―― だから、ケジメをつけなくちゃ


 デートを了承して貰えた時は嬉しかった。でも同時に寂しくもあった。これが最後だから。最後にしなくちゃいけないから。
 普段通りに振舞おうと思っていた。けれどそんな必要もないくらい、純粋に彼との時間を楽しんでいる自分がいた。ショーウィンドウに映る自分は、買ったばかりの彼とおそろいのマフラーをして、とてもリラックスした表情。以前の自分を思うと、まるで嘘みたい。

 失ったのは、自信。自尊心。存在価値。目の前の敵を討つこともできず。目の前で多くの命が散っていった。当時大切に思っていた人が戦場に散ったのは、昔のことと言うには、まだ日が浅い。
 盲目的ともいっていいほどに、強敵を求めていた。そして敗れた。左目の傷だけじゃない。心も蝕まれ、気持ちを落ち着かせる薬に溺れ、気にかけてくれる知人の言葉も届かず。

 生きる術は復讐だけ。それを成すための術を教えてくれたのは、彼。彼はいつも前にいてくれた。それがどんなに激しい戦場であろうと。彼は死なずに、そこにいた。その背を追うことがが正しいことだったのかはわからないけれど、あの頃はそれが唯一の道。

 生き残れたのは、なによりも彼の存在があったから。
 嫉妬。憎悪。憤怒。その果てにあったのは結局、復讐を果たしても満たされることのない心と、返り血に染まった手だけ。肩の傷と同じ。左目の傷は癒えず。笑ってみても、心は晴れず。そんな満たされない心のままに、戦闘人形に成り果てる未来しかなかった自分に、それだけじゃない動機を、生きる目標をくれたのもまた、彼。


 考えれば考えるほど、痛いほどに思い知らされる彼の大きさ。そんなことを考えている時、街で撮影の話をされたのはいい機会だった。直接言葉にするのは、やっぱり難しい。でも、これなら伝えられる。そう思った。
 それでも、いざ自分の考えを伝えるときには、勇気が必要だった。それを後押ししてくれたのも、彼だった。彼が煙草を吸わずにしまった行為。気づいていた。それは以前にもあったこと。その時彼がいった言葉が、頭の中に浮かんだ。

 ―― 一度例外を作ったら意味がない

 彼にとって、その言葉は特別な意味はなかったかもしれない。愛煙家ではない自分も、その時は別に深く捉えたりなんてしなかった。
 でも今、その言葉が、教えてくれた。自分は彼の特別じゃない‥‥って。

 
 写真を撮った帰り道。彼が手にしているのは、お揃いのマフラーもはずして、手を離し並んで撮った1枚。それを皺にならないように胸ポケットにいれる彼に倣って、自分ももらった写真をしまう。手にある写真は2枚。もう1枚は彼に寄り添う、恋する自分の姿。

 最後の記念。きっとこの1枚はずっと、いつまでも大切にしまっておくだろう。見返した時「私にも、こんな若い日があった」なんて思えるように。


 大丈夫。自分を護るために傭兵になったなんて息巻く妹にも、姉として迷惑はかけられない。今は、あの子にはあの子の大切がある。自分にも、大切な友人ができた。だから、大丈夫。

 自分は彼の特別じゃない。でも‥‥彼の家族。それは自分にとって、特別なこと。
 これからは本当に家族として支えてみせる。彼を、兄を、家族を愛して。
 


● 日常への回帰

「それじゃこれ、ありがとね」

 マリアナはそう言うと、写真を2人の傭兵に手渡しデスクへと戻っていった。

「仕事熱心なもんだ」
「そうだね」

 紫藤 文(ga9763)が漏らした言葉に、ジョゼット・レヴィナス(gb9207)が相槌をうつ。そして、しばしの沈黙。友人を待つジョゼットと、偶然通りがかった紫藤。2人は傭兵であり友人。紫藤にとっては、妹が小隊で世話になった相手。先日大規模な作戦も終えた折。会話は直近の話題に。そんな風に2人で話していた時、ふとカメラを携えたマリアナに声をかけられ、なにやら写真を撮ることに。理由はただ「2人が楽しそうに話していたから」だそうだが。

 ―― 2人は、知り合いか何か?

 その問いに「古い友人」という言葉で答えた紫藤。特に追及はされなかったが、マリアナが去った後、脳裏に浮かぶのは2人の故郷の情景。

 名古屋。それは2人にとっての共通の街。そして、人類初の大規模作戦の舞台となった地。あれからもう5年以上の歳月が流れた。当時彼らはまだ能力者ではなく、彼らは同じ戦災を受けた被災者だった。その後、時期は違えどエミタの適正を見出され能力者となった彼らが再会したのは、本当に偶然だった。
 お互い故郷を思い浮かべたようで、そういえばと交わされるのはやれ共通の知人の誰某が結婚しただとか、同じ年の奴に孫が生まれただとか、他愛のない会話。そんな会話もしばらくの間。またパタリと会話がやみ、ちらりと時計を見る紫藤。彼女の方は待ち人がくるまでまだしばらく時間があるようで。自分は用事も済ませた帰り道。声をかけた手前、彼女を一人残して帰るのもなんとなく気が引ける。さて‥‥。それは、そんな風に考えていた頃だったろうか。

「時間あるし、怒らないで聞いてもらえるかな?」

 いつもとかわらない大人びた、落ち着いた表情。けどどこか改まった感じ。それを察せない紫藤でもない。もう一度壁に背を預け、小柄な旧友の言葉を待つ。
 それを見てか、ジョゼットも同じように壁に身を委ねる。フゥと息を吐くと、コツンと壁に頭を預けるように少し上、どこか遠くを見るように視線を上げ。

「私ね。思えばずっと、この戦争が他人事だったと思うの」
「‥‥他人事?」

 紫藤は特に問いただす風でもなく。彼女の言葉を反復し傾聴する。ジョゼットもまた、返ってきた相槌に対し「うん」と小さく返しながら言葉を繋げる。

「文さん達が、死に物狂いで戦って。時に大事な友達を何人も失って‥‥。そんな中で私は何もしてなかったんだなって」

 戦争が始まって以来、周囲の状況は悪くなるばかりだった。それはけしてテレビに見た遠い話ではなく、実際に親しい人が何人も死んでしまった。両親も逃げるように疎開していった。
 そんな中で、自分はエミタ適正があっただけで比較的安定した衣食住を得ることできた。
 もちろん傭兵として戦争にも参加した。けれどそれも、後方にいる自分は安全なまま。

「だから、ありがとう。そして、ごめんなさい」

 戦ってくれて、ありがとう。
 戦ってくれて、ごめんなさい。
 戦わなくて、ごめんなさい。

 それは特別、紫藤だけに向けられた言葉ではなく。それでも、何かの折に言葉にしたかった思い。戦争の中で安全な立ち位置にいても、心の中が満たされることはなくて。生活が落ち着くのと比例して、心の中は空っぽになっていった。
 そんな心の中に今ある一番の言葉がたぶん、「ありがとう」と「ごめんなさい」。その2つだったのだろう。


 ―― 自分は何もしていない

 ジョゼットの中ある罪悪感。紫藤にもそれは感じ取れるもの。それはただ古い友人だからというだけでなく。
 煙草を手にし「いいかな?」と見せると、ジョゼットも「どうぞ」と頷く。
 ジッポライターの着火音。ゆっくりと息を吸い、長く、時間をかけて吐く。宙へと吐き出された紫煙はすぐに霧散していく。

「‥‥それは、俺も変わらないな」
 
 先ほどのジョゼットと同じく、息を吐きながら宙を見上げる。

「俺も、今でも全然死ぬ気で戦った気はしないし。ジョゼさんとおんなじだよ。でも、皆その時その時、やれることはやってきたんだと思うよ。生きるために」

 元不良の整備士で、酒と楽器が好きな三十路野郎。典型的な地元の不良崩れの自分が、気づけば傭兵になり、小隊なんてものを構えて、強敵とドンパチをやらかして。それでもけっして、自分が死にもの狂いで戦ったとは思っていない。
 自分は能力者だ。能力者と一般人、傭兵と軍人のリスクの差は覆せないほど大きい。依頼を選び、敵を選び、状況を作ることができる。自分は常に勝算と共に戦場へ挑めた。その土台を作ってくれたのは、軍人たちや、彼女のような後方を支えてくれる存在だ。

 紫藤はそう思っている。だからこそ、傷ついた、亡くなった戦友達に対する思いと、勝ち馬に乗って幸運にも生き残った自分への後ろめたい気持ち。それは、ジョゼットと同じだった。
 何もしなかったわけじゃない。自分が代わりになれたわけもない。理屈では分かっている。それでも理屈じゃどうしようもない。それもわかっているからこそ、彼女の今の心の内、その虚無が感じられるようだった。 
 
 互いの沈黙。それは、言葉を反芻する時間。気持ちを整理するためのステップ。
 フゥ、と再び息を吐いたのは、ジョゼットだった。俯き加減だった顔をあげ、前を向く。

「結局皆、自分の気持ちと向き合って、埋め合わせていくしかないのよね」

 納得したわけじゃない。けれど、そういったもやもやもひっくるめて生きていくしかない。そんな彼女の気持ちはまるで手に取るようで。
 駆け抜けてきた時間はまるで嘘のようで、時計は何事もなかったかのように回り続ける。自分たちもまた、何事もなかったかのように日々の暮らしを営んでいる。それでも、戦争はそれぞれの気持ちの中にしこりとなって根付いている。整備油と煙草の匂いの染み付いたこの手は、いつからこんなにも火薬と硝煙の香りがするようになったのか。

 ‥‥それでも。自分たちは今を生きている。これからを生きていく。そこに未来予想図なんてものはないかもしれないけれど。 
 
「そのために戦場へ忘れ物を取りに行くなんて言い出さなきゃ安心だ」

 冗談めかした紫藤の言葉に、ジョゼットも控えめな笑顔を見せる。控えめだけれど、ちょっとだけ、憑き物がとれたような。
 賢明な女性。新たな一歩へ至る答えを自身で見つけだす。昔からそれは変わらない。

「まずは‥‥そうだな‥‥」

 そういうと、使い込んだ携帯を操作しアドレス帳のフォルダを1つ開いてみせる。

「あの頃ジョゼさんに振られたヤツ、告白し損ねたヤツに写真送るのはどうかな。『私達LHで再開しました』って書けばスゲー悔しがるぞ」

 ニヤリと笑ってみせるその紫藤の顔は、名古屋でのヤンチャな日々を彷彿とさせ。そんな誘いに、ジョゼットのイタズラ心も沸き起こり。

「送るんだったら私から送ったほうが傷深いよね」
 
 と、彼女らしい笑顔が。そんな彼女に、紫藤はわざとらしく両手の指でカメラのフレームをつくって見せる。

「その笑顔を送ったら、重体確定だな」

 そう言いながら、「でもこいつは今妻子持ちだからトラブル起きないように俺が‥‥」などと、具体的なイタズラ相談に。
 そう、これが自分たちの戻ってきた『日常』。平凡で、馬鹿みたいだけど。

 ―― その日常の光景には、君も映っているんだよ。

 なんとなく、そんな風に言われているような気がした。でも今はとりあえず『どうやって悪友たちを困らせるか』なんてことを考えながら子供っぽく笑うジョゼット。
 本部の隅は、先程までの暗く静かな様子はなく、明るい笑い声が響く。そんな光景を、マリアナは自分のデスクから遠巻きに、静かに写真に収めた。
 


● 食べ物を通して

 お昼時の食堂。券売機の上の方、人気メニューの1つに『売り切れ』の文字。この時間にカレーが売り切れなんて珍しい。そう思いながら、持参のサンドイッチを手に席を探そうと食堂を見渡せば、そこにそれはあった。

 テーブルの上におかれた、業務用の炊飯器。そこに直接かけられた同じく業務用鍋1杯分のカレー。酷く異様なモノの向こう。立ち上る湯気の中に、時折ぴょこぴょこと揺れる赤いウサ耳。
 マリアナにはその耳の持ち主に覚えがあった。

「Hi。最上 憐(gb0002)、でよかったかしら? すごい食べっぷりね」
「‥‥ん」

 以前依頼を斡旋した傭兵のことは覚えている。声をかけられた最上はちらりと視線を向け肯定の返事をするが、何事もなかったかのように再びカレーへと向かい、それを文字通り飲み干していく。そんな光景にマリアナはクスリと微笑むと、カメラを向け、写真を撮っている趣旨を伝え1枚どうかと尋ねる。

「‥‥ん。問題ない」

 そういいながら、スプーンは離さず反対の手で小さくピースをするゴシック服の少女を、「それじゃ」とカメラに収めると、自分も食事に。先に食べ終えた最上は、食べ終えた炊飯器を調理場へと返すと水道でマイスプーンを洗い、懐へとしまう。そして先ほどの席、マリアナの元へと戻ってくると、声をかける。

「‥‥ん。アルバム。見せてほしい」

 もちろん、と渡されたアルバムをパラパラと捲る最上。特に注視するでなく、ひと通りを見終わると、パタンと閉じる。

「‥‥ん。しばらく。カメラを。借りたい」
「え?」

 マリアナが返答するよりもはやく、最上はテーブルの上のカメラを手に取ると、その瞬間、凄まじい速さで食堂から姿を消したのだった。

「‥‥覚醒?」

 マリアナを含め、周囲の人間は皆呆気にとられるだけだったとか。





 ―― ‥‥ん。撮影しても。良い?

 はじめは、子どもがおもちゃのカメラをもらって遊んでいるのか。そんな風に思いながら、勇ましく包丁を構えてみたり、作った料理のどこがポイントかなんてことを、どうせ子どもになんてわかるわけもないのに自慢気に話していた。
 だが、すぐに様子が変わった。

 ―― ‥‥ん。とりあえず。メニューに。あるもの。全部。頂戴。大盛りで。

 見かけによらず威勢のいい嬢ちゃんだ。うちのチャーハンの大盛りは、大の大人でも‥‥あれ? もう食べ終わってる‥‥? つ、次かい? それじゃあ‥‥
 
 ―― ‥‥ん。遅いと。直接。厨房に。乗り込んで。生の。食材を。食べ尽くすよ?

 小さなお客さんを持て成す和やかな昼下がりは幻か。覚醒した最上の胃袋はまさに無尽蔵。厨房はてんやわんや。フロアも次々と料理を運び、平らげられた食器を洗い場へ。洗い場も常にフル回転。いつしか他のお客も皆観客となっていた。
 最上は出てきた料理を写真に収めると、次の料理が運ばれるよりもはやくそれらを平らげ、手が空くと厨房やフロアスタッフ、周囲の客の様子を写真に収めた。 
 そうしてメニュー全ての料理を写真に収めると、疲れきった店主を労い、その笑顔をもう1枚撮ると、再び風の如く姿を消す。そして数分後、別の店でまた店主の悲鳴が起こる。飲食店街はその日、小さな悪魔の襲来により地獄絵図となったのだった。

 だがしかし、うさみみの小悪魔にも苦手なものはあった。
 帰り道。肉まん、大福、ケバブ。LHに集う各国のおみやげ料理を抱えて歩いていると、道端に座る女性と目があった。農作業姿の女性の顔には皺が深く刻まれ、その過ごしてきた歳月が伺えた。けれどその人の良さそうな、優しく柔和な笑顔は相手の心を穏やかにさせる力があった。女性はどうやら、自分で育てた野菜を売って生活の足しにしているようで。見れば、並んでいるのは立派な野菜たち。今もちょうど子供連れのお母さんが野菜を買って去っていく所。
 最上に気づいた女性は、「あらあら、若い子がそんなに偏ったものばかりじゃいけないわ」と言いながら、笑顔で後ろの瓶から何かを取り出した。その時、最上の肉まんを頬張る口が一瞬止まったのだった。




「‥‥ん。写真。大量に。撮って来た。味の。感想は。裏に」

 夕方、最上がカメラを返しに本部に姿を見せた。一緒に渡された大量の写真は、見事に食べ物ばかり。けれどその中に人の写真を見つければ、なんとなく呆れとはまた別の感情を覚える。

「‥‥ん。食べる事は。生きる事だから。食べ物を。撮るのは。良い思い出になるよ」

 そう話す最上。彼女の撮った写真に写る料理はどれも本当に美味しそうで。そして写る人々は生き生きとしていた。

「‥‥ん。この。写真を。懐かしいと。思う。将来。世界は。どうなってるのかね」

 小さな少女が話すにはどこか不釣合いな台詞。だがなぜだろう。彼女がいうと、何故だか『らしく』聞こえてくる。そんなことを思いながら、小さな写真家の作品を眺めるマリアナは、アルバムに傭兵の写真だけでなく、彼らの周りで今を生きる人々や、街の様子も残していこうと考えていた。



 蛇足だが、後日マリアナが飲食店街を歩くと、各地に貼りだされた「うさみみ少女お断り」の文字と、何故か店先に吊るされたきゅうりを見て、思わず声を出して笑ってしまったのだとか。



● 母娘の記録

 だだっ広い芝生の公園。開けたその場所できゃっきゃとはしゃぐ愛娘を眺める百地・悠季(ga8270)。
 昼時とはいえまだ冷える屋外。人は少なく、幼い少女は広い芝生を独り占め。大通りからも離れたこの公園ならば車の通りも心配ない。小さい子を持つ親にとっては安心できる場所だ。
 同世代のママ友や子どもの友達が少ないのは仕方ないが、それも戦況が収束していけばいずれ。先日も身重の後輩ママと一緒にドイツで星を見にいったことを思い出しながら、増えていく自分の周囲の幸せな報告と、目の前でよたよたと歩く幸せに、自然笑みが溢れる。

「もう1歳ちょっとになるかしら?」
「3ヶ月ね。歩けるようになったものだから、大変なのよね。だからこうやって成長過程を形に残せるのは助かるわ」

 以前依頼を斡旋した縁でか散歩に誘ってきたマリアナの問いに苦笑しながら応えるが、その苦笑もどこか嬉しげだ。そんな表情も、マリアナはパシャリとカメラに収める。百地もそれを別段止めたりはしない。もとより、そのための散歩なのだから。傭兵たちをアルバムに。突然の申し出ではあったものの、百地にとってはまさに『いいタイミング』だった。
 もちろん百地だけでなく、とてとてよちよちと歩いたり座ったりを繰り返す百地の子へもカメラを向ける。

「いいわね、元気で。シグレちゃんっていったかしら。あの年頃だと、まだママにべったりも多いのに」
「時と雨で時雨。旦那が飛び回る性格だから、それに似たのかもしれないわね」
 
 百地の冗談半分の言葉に「あぁ、あの旦那さんね」とマリアナも笑みをこぼす。頻繁に本部に姿を見せ難しい依頼を数多くこなす彼女の夫は、直接依頼を斡旋したことはなくとも自然目と耳に入る存在のようだ。きっと今もどこかの空を飛んでいるのかもしれない。百地が遠くの空を眺めている姿にシャッターを切りながら、マリアナはそんな風なことを思い浮かべる。しかし、写真に写る百地のその顔には寂しさや心配といった色はなく、写し出されるのは信頼と愛情。「妬けるわね」などと冗談半分に撮っている写真を渡せば、百地としても悪い気はせず。けれど、けして「そっちはどうなの?」とは聞き返さない。相手の事情を知らない百地ではない。

「旦那のことばかりいってられないかな。私も、少なくともあと数ヶ月は外回りしてるつもりだから。その間は、今日の写真を励みにできればねと」
「傭兵っていうのは皆、落ち着かないものね」

 互いに子を持つ母。2人の違いは、百地は夫婦ともに現役の傭兵・能力者であること。マリアナは夫だけが能力者であり、すでにこの世にはいないこと。互いの左手薬指には控えめに指輪が光るが、マリアナの首にはもう1つ、くすんだソレが。それを無意識に指で遊ばせる姿を、百地もまた言葉なく眺めながら、自身の左手薬指に視線を落とす。

「ままー。ままー」

 遠くから聞こえてくる愛らしい声に腰を上げる。もこもこ完全装備の着膨れちゃんがふらふらと覚えたてのおぼつかない足取りで、自分だけの安全基地へ。その様子に母親は身を屈め、向かってくる我が子へと手を差し伸べる。転がって草まみれの子どもは広げられた手を見るとぱっと、一層明るい笑顔になって突撃。受け止めた百地は、そのまま娘と一緒に芝生にゴロリ。その幸せそうな母娘の様子もまた逃さず。

「偉いわね。ちゃんとママって覚えて。パパももう?」
「もちろん覚えさせたわ。ママの方が先だけどね」

 当然ね、っと笑いあう2人の母。それはどこにでもある、普通の母親同士の会話。それがたとえ、LHという地であろうと。傭兵と一般人という垣根があろうと。
 マリアナは必要以上に傭兵たちの個人情報には踏み込まない。故に知らない。百地もまた、名古屋戦線の戦災者だということを。以前の彼女が、今の彼女からは想像できない程の憎悪に駆られバグアとの戦闘に臨んでいたことを。その彼女を咎から解放したのは、間違いなく夫の存在。そして今、その腕の中にいる我が子の存在。

「そろそろおねむみたいね。戻りましょうか」

 遊び疲れたのか、母親の胸の中でちょっぴりうとうと、ご機嫌斜め。ぐずりだした少女を見てマリアナが立ち上がる。「そうね」と、我が子をベビーカーに乗せ、帰り支度。

「はいこれ」

 そう言って渡された写真とペン。写真の裏には今日の日付と、さきほど彼女が教えてくれた娘の名前。きっと、大きくなった時にこれを見せて「昔はこうだった」と、冷やかしながら笑い合うことだろう。受け取った写真を丁寧にしまい、寒くなる前に帰ろうと歩き始める。ベビーカーを押しながら、ゆっくりゆっくり、大通りへ続く道。石畳でガタガタと揺れる振動も、おねむな少女には揺り籠の様。

「そのカメラで、マリアナの子も撮影してあげようか?」

 百地のその言葉に、「ん?」と振り返り、手元のカメラへ視線をおとす。そういえば、小さい頃はよく写真をとったけれど、夫がMIAとなってからは、あまり写真を撮ることもなかった気がする。

「あの子も年頃だから、写真なんていったら、なんていうかしらね」

 そういいながらも、口調は否定ではなく。お互いの子にとって、いい姉と妹になるかもしれない。お互いの娘たちが仲良くしている姿。そんな光景を思い浮かべながら、日が傾きだした大通りを2人の母は家路へと向かう。
 一日もおしまい? いやいや。母の仕事は、これから。




● 世界に2人だけの

 響いたのは、女性の驚く声。そして

『ゴスッ!!』

 鈍い音。

「‥‥あ、愛がいたひ」
「うざい、暑苦しい!」

 ここ最近どこか静かだった本部は、今日はとても賑やかだった。




 遡ること数分前。

「おーいマリアナ。つれてきたヨ!」
「あら、お揃いみたいね」
 
 本部で待つマリアナの前にやってきたのは、先ほど声をかけてきた男性傭兵とそのツレ。見るからに欧米系の、それもかなり整った顔立ちの2人。同じ髪色もあってか、どこか似た印象を受ける2人は、互いに傭兵、能力者の兄妹。並べば絵になるこの2人だが、その表情はまるで正反対。兄のラウル・カミーユ(ga7242)が満面の笑みなのと比べ、妹のリュイン・カミーユ(ga3871)はどこか不機嫌そうだ。

「2人並ぶと絵になるわね。でもいいのかしら? こんな素人カメラマンで」
「まったくだ。我はアイドル故に、写真を撮ろうというのなら高く付くぞ」

 マリアナの確認に対し、両手を組みフンと語気荒く話すリュインだが、すぐにフゥと肩を落とす。

「‥‥と、脅してもこの愚兄が食い下がるのだから仕方ない」
「仲がいいのね」

 マリアナがクスリと笑うのに思わず否定しかけたリュインだったが、否定すればそのことにまた愚兄が食い下がりそうで、面倒だからと踏みとどまる。一方でラウルは肯定しようと思ったが、そうしたらリュインが怒って帰ってしまいそうだったので、お口にチャックで我慢をしている。まったく、似たもの同士。さすが兄妹というもの。

「で、撮るのはいいけど、2人ともその格好でいいの?」

 たしかに2人共素材がいい分、普段着でも十分絵になる。しかしラウルが意気揚々と人を呼びに行った様子を見て、そんなに撮りたい写真ならどうせならお洒落しなくていいの? という意味での質問。向けられた言葉に、けれどリュインは冷たい。

「一緒に写真を撮りたいというだけでも意味が分からんのに、こんな奴との写真で着飾る必要などあるわけがない」

 いつも通りの様子に、されど兄は笑顔でウンウンと頷く。内心で「いつも通り不機嫌そうデ‥‥そんナ所がヨイね!」などと思っているとは口が裂けても言えず。けれど

「このままでヨイよ! 『いつも通り』の格好でリュンちゃんと撮りたかったカラね」

 満面の笑顔で話すその言葉もまた、本心。




 そして、場面は先ほどの鈍い音がした瞬間へと戻る。

 ―― 良いか? 普通に並んで写れよ? 間違っても 抱 き つ い た り す る な

 念押しも虚しく、兄は笑顔で妹へダイブ。その暴挙もまた、『いつも通り』なのか。この光景がきっと、アイドルでも傭兵でもない素の2人の姿なのだろう。

「こんな写真残せるか! 処分だ処分! もう1枚撮り直してくれ」

 リュインの処分という言葉に、おそらく耳や尻尾があればアワアワ、ショボンと垂れ下がっているだろうラウルだったが、こっそりマリアナに目配せする辺り、食わせ者。後でちゃっかり回収することだろう。ハイハイと促すマリアナに応じ、2人は改めて並んで、パシャリ。

「撮ったけど、これでいいのかしら?」

 マリアナが確認するのも当然で。リュインが受けとったその写真には、笑顔のラウルと、特に表情を見せず佇むリュイン、二人がただ横に並んでいる。せっかくの写真なんじゃないの? とでも言うかのような問い。けれど、リュインの手元を横から覗きこむラウルは笑顔でウンウン頷くのみ。そんな様子をチラりと見ながら、リュインはマリアナからペンを受け取るとそそくさと裏面にメッセージを添える。日付と名前。ただそれだけのシンプルなもの。ただ、書いたその名を一度確かめるように指でなぞったことは、無意識か、あるいは。

 書き終えると、リュインは「さっさと書け」と横の愚兄へべしりと写真を渡す。「ハイハーイ」と言いながらラウルは裏面を見、「リュンちゃんそっけないナー」などと零すと、「いいからさっさと書け!」と横から檄が飛び。
 リュインのメッセージ、といっても書かれているのは日付と名前だけ。それを眺め、表の写真を確認し。しばらく「んー‥‥」と考えた後、さらさらと書き出す。書きだしてからは早いもの。「できター!」と言うと、そのままマリアナへパス。マリアナはそのまま写真を封筒へ。

「さぁ、約束だ。今すぐ店に行って我の分の席を取ってこい。夕飯時だとかそんな言い訳はきかん。わかったらさっさといけ!」

 二人の様子を腕を組んで、どこか不機嫌そうに眺めていたリュインがそういうが早いか、兄の尻をゲシッと蹴り上げる。

「ハーイ。いってキマース!」

 と元気よく本部を飛び出していく兄ラウル。どうやら飯を奢るのが一緒に写真を撮る条件だったようで。ラウルが去り、静かになった本部。さて‥‥と仕事に戻ろうとしたマリアナ。けれどそれを、リュインが呼び止める。

「すまんがもう一枚撮ってくれるか」

 もちろん、という言葉とともに向けられるカメラ。リュインはカメラに向かうと静かに右の二の腕のバングル、平時外すことのなかったソレを外す。いつもつけていたためだろう。周囲に比べ少し色素の薄いその部分に現れたのは、古い斬傷跡。傭兵にはそれぞれに過去がある。マリアナはそのことをあえて追及しない。ただ『彼女がそうするには意味があるのだろう』という意図を察するだけ。そしてシャッターを切る。

 写真に写ったのは、穏やかに微笑む銀髪の女性だった。


「あんな愚兄だが、幼い頃から我を愛しんでくれた‥‥のは一応分かっている」

 メッセージを添えながら、ぽつりと呟く。「それが過剰過ぎるのが問題だが」とフンと不満気な声を続ければ、マリアナの笑いを誘い。フゥと肩の力を抜き、もう一度、今までどおりに傷跡を隠してくれる右腕のバングルを撫でる。これもまた、あの愚兄の愛情。
 メッセージにもう一度名前を添えれば、その感慨も一段と増す。いずれこの名も変わることだろう。それは、幸せなこと。けれど同時に、兄と妹、2人の道の別れを示す。だからこれは記念と感謝。
 能力者として、傭兵として、リュイン・カミーユとして、今この場に居た証として。妹として、馬鹿な兄に恵まれたことへの感謝として。

「アルバムができたら、また連絡するわ。良かったら見に来て頂戴」

 写真を受け取ると、そういってマリアナは仕事へと戻っていった。
 おそらく、その時兄妹はすでに別々の道を歩き、共にここを訪れることはないだろう。



 ―― ちょっとソコ、どいてくれないカナ?

 一切笑わない瞳で凄まれれば、昼間からテラスの特等席で酒を飲む酔っぱらい連中はスゴスゴと店を後にする。静かになったテラス席に一人どっかと腰を下ろし、愛する妹の到着を待つ兄。この席ならきっとリュンちゃんも喜んでくれるかなー、などと思いながら、妹を愛する兄は先ほどの写真を、そして昔を思い返す。

 双子だからずっと一緒だった。もし妹に害をなす輩が現れれば、躊躇なく排除してきた。群がる虫共も退けてきた。けれど今、その妹は愛する相手を選んだ。そして、自分も。やっぱり兄妹なのか、選んだ相手は互いに軍の関係者。
 妹が選んだ相手。今はそれを信じようとも思える。おそらくそれは、自分も妹以外の誰かを愛することができたから。

 出会いは、けして良いものではなかった。でも何度かあって感じたこと。『この人なら自分のコト全部話せそうな気がする』。思えば、もう出会って4年以上。遠距離恋愛でも、気持ちが色褪せることはなかった。そういえば、初めて『恋人前提のお付合い』を申し出たあの海で撮った写真があったナァなどと思い返せば思わず口元が緩む。窓際の枯れたサボテンは、今は花を咲かせているだろうか。

 互いに、互いの幸せを掴んでいく。先の未来、お互いの隣にいるのは兄や妹ではなく、それぞれの愛する人。
 一緒だった妹の名前もいずれ変わってしまうだろう。それでも、『特別』なのは一生変わらない。

 ―― 大好きな妹と、「リュイン・カミーユ」という僕の特別と一緒に居た、一緒に戦ったとゆー証拠を残しておきたいカナ

 ただそれだけのこと。でも、十分な理由。そのおかげでほら、こんなにステキな一日になって、あんなにステキな思い出ができたヨ。



 いつか双子がそれぞれに、改めてアルバムを眺めた時、愛する片割れの存在を思い出すだろう。いや。忘れることなど、ないのかもしれない。
 それは彼らだけでなく、この地で、LHで大切な誰かと出会い、共に戦った多くの傭兵たちにとっても、同じかもしれない。


 ―― 愛すべき馬鹿兄へ。リュイン・カミーユ

 ―― 一緒に生まれた時から死ぬ時まで、僕達はずっと兄妹だよ。僕の『特別』と共に。ラウル・カミーユ